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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

ミルコメダな話

2021.3.15(月)

サイラス@ベガ、モナ@アルクトゥルスとのチャネ談です。
サイラスはアストラルスペースで私の活動を手助けしてくれている、秘書のような存在です。

サイラス@ベガ ミルコメダ・ガイドラインの作成、お疲れさまでした。
ミルキーウェイ・センター、アンドロメダ評議会、宇宙連合その他から感謝状が届いてます。
みけ 感謝状って、単に受領のサインとかハンコなんだけどね。
ミルコメダ・ガイドラインとは、引き寄せと手放しのアウフヘーベン(対立項をより高い次元で統合すること)
です。アンドロメダの人が、天の川の人がどうこう、というんじゃなく、
私の宇宙における周波数の傾向の話。アメリカの文化と日本の文化のちがいみたいな。
サイラス アンドロメダ銀河の磁場とそれに誘導される周波数というのは、
構造にはあまりとらわれず、普遍的な法則(引き寄せの法則)によって生じるフォース(引き寄せ力、磁力)を
使っていって、体験を重ねて、使うこと自体でアクティベートしていくという方向性をもっています。
一方、天の川銀河の磁場と周波数は、アストラル構造(考えかた)を転換し、
フォースの反作用(「世界はすべて(想定した)物質の法則で回っている」という観念を強化して、
考えや感情の磁力を無効にすること)を解除すること(手放し)によってフォースをリリースしていく、
というアプローチをとります。
みけ そう。ひと言でいうと、アンドロメダはアクティベート(賦活)、天の川はリリース(解放)なんだよね。
サイラス セルフアセンションでは統覚視点の入射角によって(個々人によって)それぞれに適したプログラムが
組まれ、ツールが提供されるので、フォースが反作用している場(3次元)からするといろいろと矛盾した情報が
交錯している観があるかと思いますが、
どちらもフォースの復元をめざすという共通面に着眼されたのは卓見です。
みけ 引き寄せや手放しだけじゃなく、修行も千本ノックもバンジージャンプも、
エゴを滅却してハイヤーエゴを覚醒させるのも、全部、究極「磁力の利く世界」の復元をめざしてるよ。
サイラス 千本ノック、バンジージャンプって何ですか?
みけ 荒行的なやつ。あなたは知らないほうがいいと思うw
何にしても、評議会だのなんとか連合だの、私の非五感世界のネタだよね。
私にとっては非五感世界の「現実」ですけど、
読んでる方は、違和感があったりピンと来ないのであれば、
全部つくり話と思っていただいて、気にせずスルーしてくださってかまいません。

モナ@アルクトゥルス ブラヴォー! あなた宛に感謝状がたくさん届いていてよ。
みけ それ聞いた。
モナ (人の話を聞いてない)アンドロメダのツールってすごいよね。感心したわまじ。
3次元のからくりがどうだこうだとか、四の五のいわずに磁力を使え、使えるんだから、っていう。
あの鬼のような自信はどこからくるのかしらね。
みけ センスのちがい、かな?
「自分に合わない周波数(違和感のある、心地よくない感覚)」を感じたとき、
天の川式だと、これを手放して、ゼロポイントフィールドを介して素材に還してリサイクルに回す、
そうやって「もともとの自分の感覚、心地いい感覚」に戻すでしょ?
でもアンドロメダ周波数だと、
「合わない、むり」と感じたら、「合う(心地いい)感覚」のほうに直に飛べちゃうんですよ。
「このままだと来月の家賃支払えないぞ」ってわかっても、通販サイトか何かでいい感じの服とか見て、
パアァァァ☆って舞い上がってそっちの引き寄せをはじめると波動が上がる、
波動が上がるとステージも上がる、そのステージには家賃問題は存在してないから、
家賃の件は完全に削除されちゃうの。「家賃って何だっけ、英語だっけ」くらいに、残像すら残りません。
結果的に服は手に入るし、家賃も支払える。もしくは何かの事情で支払わなくてよくなる。
これって、「ネガティブな感覚を手放す」ってことを自動、高速でやってるのと同じです。
ただ、それはアンドロメダ星人はこうで天の川星人だとこう、っていう血液型性格診断みたいな話じゃなく、
「感じかた(周波数)」のちがいだから、適宜、どっちも使っていいんだよね。
モナ アンドロメダ波って意図するのも上手いよね。
ほら、欲求ってそのままだと意図にはならないじゃん。
みけ 「欲しい」という思いは「ここにはない」が前提で「ない」からこそ「欲しい」んだからね。
意図するというのは、これを「あるんだけど五感化していない」にもっていく、
3次元的にいうと「予定化する」ってことで、
そうすると「ある」というマインドと「現れていない」という五感の落差が埋まる形で実現する。
引き寄せ本に書いてある「宇宙は隙間を嫌う」ってそういうことです。
モナ 席が用意してあるのに誰も座ってないのはおかしいってなって、五感像が喚起されてくるのよね。
みけ 「欲しい」から意図へ、いきなり飛べないんだったら、
それとか、形になるまでの間にどんどんダメ感、ムリ感、疑いが募ってくるんだったら、
「できっこない」「分不相応」「現実はそんなに甘くない」とか「ダメ」とか「ムリ」っていう、
ネガティブな感覚の一切合切を手放せばいい。
モナ これがアンドロメダ波だと「欲しい」の次がもう「ありがとう」でさ、受け取りサイン書いちゃうんだから、
怖ろしいよ(笑)。
それって形だけじゃなくて本気で思い込んでないとそうならないから、
アンドロメダ波に乗れないときは、まず制限の手放しが先だな。
制限を手放したあと、もしイメージを描くとかパワースポットに行くとか、やることがあれば閃くから。
とくに閃かなかったら何もしなくていいし。
みけ 特定の願いごとに執着してて、それがなかなか叶わないってのも、
「できない」「なれない」とかの制限が根強いからだよね?
モナ そう。欲求が意図に変わらなくて、ずっと「欲しい」ままだから、
「(「ない」ことが前提で)欲しい」がつづいてくの。
みけ 天の川波って、感覚宇宙(五感も含めた意識の宇宙)を全体で把握するっていうセンスなので、
どこかで循環が滞っていたら異物をはずして回復させるっていう発想なんだよね。
全体の構想があって、構成が決まって、細部が決まるから、
ヘンなところがあったらズームを引いて(全体の構想まで戻って)余計な周波数をはずす。
アンドロメダ波は、自分に合わない場(感覚)だったら、ラジオの周波数を合わせるみたいに
ピピピ・・・って探査して、すぐ自分に合う場(感覚)に飛ぶ、感覚跳躍するんです。
場(感覚)そのものをとらえるセンスが鋭敏。そこに集中している。
合わない場(感覚)を引きずらず、すぐ切り離せる。全体構想を気にしてないからそれができる。
場(感覚)の触知が上手いから、ミミック(模倣)、いわゆる「誰それを降ろす」のも上手です。
どっちがいいとか優れているってことはないので、両方ツールとして道具箱に入れておけばいい。
引き寄せ本に書いてあるような各論的な話ってだいたいアンドロメダ的で、
各論的な話は3次元翻訳するとベタで現世利益的になりがちなんだよね。
お金だったら欲しい金額を書いて貼っておくとか、
しあわせな気持ちになれる情景とか品物とかを書き出して一覧にしたハッピーリストをつくるとか、
わかりやすいから「へえ、やってみよう」ってなるんだけど、
3次元をやってると「できない」「むり」「そうは言っても」っていう制限思考が習慣に埋まってるから、
そう簡単に感覚跳躍できなくて、効果が出ないってことが多いんだよね。
モナ この場合の感覚跳躍って、マインドの感覚つまり考えや気持ちを切り換えることです。
けど、制限思考があると、「欲しい」と「むり」の間で葛藤が起きる。制限に気づいてないと「むり」の圧勝。
みけ で、効果が出ないと、自分で書いた紙やハッピーリストを見るだけで逆にうんざりしたり、
そのうち引き寄せってことを思い浮かべるだけで気が重くなったり抵抗を感じたり、ってなる。
いい気分でいないと、それに合った五感化は喚起されないのに、逆に気分がわるくなっちゃう。
モナ できない、ってなったときこそ手放しのチャンス、道を開けるチャンスです。
ここで制限思考を手放せると、
①欲求が意図になり、五感化する。
②欲求が本質的、包括的な意図に書き換えられて五感化する。
(「某社に就職する」から「これこれの仕事(職種)に就ける」というようにカバー範囲が広がったり、
学費捻出を前提に「お金」を意図すると奨学金を受けられるようになる、など)
③不要な欲求であれば自然消滅する、忘れる。
このどれかに落着するよ。
特定のテーマで磁力(引き寄せ力)をアクティベートできなかったら、
磁力そのものをリリースすれば(制限思考を手放せば)、
特定のテーマがその磁界にあれば実現する。磁界にないものだったらいらない。
だって欲しくないものはいらないでしょ。
みけ そこですけど、「あきらめ」「やせ我慢」を「いらない」と勘ちがいしてる角度(人)が多くて、
それがあちこちのアセンション支援系会議の議題になり、ミルコメダ・ガイドラインの作成、
という流れに至ったわけですけど。
ある程度、手放しが進み、もしくは生活上の希望がかなって、
「平穏無事でありがたい」「心が豊かだったらしあわせだ」みたいになったときに、
じつはまだ「あきらめ」「やせ我慢」的なマインドが潜んでいて、盲点みたいになってるという。
たとえば結婚してオタクな趣味はやめたけど、どっこい魂のオタクが燻ってるとか、
アーティスト志望を封印してディレクターの仕事に充足してるとか、そういうやつです。
隠れてて気づきにくい制限思考。
モナ クラいよね。覚醒って明るくてクリアで、こう、ぴしっとピントが決まってる感があるのに、 
どよん、とヘンなソフトフォーカスになってる。
だから、最初は的はずれでもなんでも、
①②③のどれだろう、なんてことも考えず、
欲しいもの、やりたいことがあれば「手に入れる」「やる」って決めて意図したほうがいいよ。
「いらない」のは、もうね、書店で服を探そうとするくらいにアサッテだってはっきりするから。
最初から関係ないって感じ。憶えてないことだってあるし。
  1. 2021/03/15(月) 16:27:15|
  2. 超デムパ話
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ポジティブなのが当たり前な世界

2021.3.9(火)

何度か書いたことですが、
色とか形、触感などの感覚の向こうに物があるのか、ないのか、ということはわかりません。
直覚できるのは色、形、触感などを感じているということだけで、
自分の感覚を介さずに物があるとたしかめられる人はいないからです。
厳密にいうと、
たとえば隣りにいる人がその人視点の感覚世界を体験しているのかどうかもわからないのですが、
もしそういう別視点の感覚世界があるとしても、
その別視点で直覚できるのはやっぱり感覚だけであって、物があるかどうかは不明です。
なので、物は「ある」と考えることも、「ない」と考えることもできる、どちらも想定です。
想定だということは、考えかた次第で「ある」「ない」のどちらかに決まるということ、
物質はマインドでつくられる、もしくはつくられないということです。
物質が「ある」とすると、物の広がり(空間)と変化(時間)でできた3次元世界が出力され、
物質が「ない」とすると、自分という統覚意識の感じたこと(認識)がそのまま現れる(存在)、
考えや感情、直感や閃きといった非五感的な感覚も、自分が感じることによって現れる、
そういう感覚模様からなる非3次元世界が出力されます。
どちらを体験するかは考えかた次第です。
正確には、物が「ある」ベースで過ごしているか、「ない」ベースで過ごしているか、
どっちが習慣になっているかで決まります。
統合などの「手放し」系のメソッドというのは、ふだん自覚なしに「ある」ベースで過ごしているという
習慣を手放して、「ない」ベースにもっていく方法です。
イメージワークや言葉で誘導するアファメーションとかが主体になるのは、
「ある」「ない」が考えかた次第であり、マインドで決まるからです。

物が「ある」と想定した3次元世界では、
物は自分が感じているかいないか、どう感じるか、といった自分の感じかたとは無関係に存在し、
それ固有の法則(物理法則やそれにもとづく常識)をもっています。
「自分」という一人称意識も、物の一部である身体の生理反応に由来しており、
自分が何かを感じるのは物からの刺激にやはり物である身体が反応した結果であり、
自分が考えや感情を抱くのは、その身体反応に反応した結果だ、ということになります。
自分も、自分の知覚や考えや感情も、遡れば全部、物からきているわけで、
物の世界は、物の状態や動きの結果である自分の自由にはなりません。
自分にできるのは、物固有の法則に適う範囲で、(想定している)物に直に働きかけることだけです。
 物-1次反応→物理感覚-2次反応→頭のなか、心のなか(マインド)
この<反応>形式を何度も何度も使ってそれが習慣として定着すると、
3次元世界は、それが観念だなどともはや発想できないくらいリアルに、強固になります。
感覚の向こうに想定された「物」は、それ固有の法則をもってしっかり実在する対象(外側)で、
外ではない側、すなわち頭や心の「なか」という言葉で象徴される内側の思考や感情は、
外側に対する反応にすぎず、内側に外側を変える力などありません。
本来、マインドがもっている磁力(マインドではまだあいまいな図を、より具体的な五感的感覚で
表出しようとする力)は働きません。
というか、「全部を物の法則が回している」という想定を当然のこととして許容しているので、
その想定が磁力を発揮して、想定どおりの世界を出力させています。
「どんな出来事もまず外側(物の世界)で起きる。快不快の原因は外側にある」、
職場の人に注意された、その人のもの言いも不愉快だけど、自分の無能が嫌になる、
体調がわるいのは免疫力が落ちたからで、その原因はふだんの食事や運動不足が云々、
好きなことで食べていけるのは才能や条件に恵まれた一部の人たちだけだ、
ネットのニュースを見て不快になった、この“みけ”とかいう人の記事でさらに気分がわるくなった、
けど推しのスピ先生の動画で癒された、やっぱり本物はちがう・・・等々、
自分の幸不幸を外のせいにして、元気があれば外に対処、なければ心のなかで愚痴対話、
という、3次元の当たり前マインドが<反応>の反復習得でできあがります。
物が「ある」と想定するということは、
自分の感覚世界のなかに、自分の感じかた(認識)ではどうにもならない領域を立ち上げ、
自分自身もそのどうにもならない領域に基礎づけてしまって、
自分ではコントロールできない世界を創造するということです。
これ、非3次元からするとウルトラクリエイティブ。
どうにもならないことがある、すなわち制限がある、なので「ネガティブ」、
3次元世界は、通常設定が「ネガティブ」です。

強い怒り、悲しみ、妬けるような焦燥、嫉妬、といった振幅の大きい感覚が稀になると、
平穏な心境で過ごせるようになります。
しかし、手放しが進んでくると見えてきますが、
じつはこの平穏無事なときに、ものすごくたくさんの対物対人対社会対処思考をしていて、
習慣的に考えたとおりに習慣的に対処しています。ダルい、めんどくさい、などと感じながら。
3次元では外側にある(と想定された)物の世界が本物の現実で、こちらを注視しているので、
外側ではない側の考えや感情などは、よほどの大波にならない限り二の次です。
ときどき思うんだけど、3次元社会って(想定された)物ファーストなので、
考えや感情を観察したりコントロールすることはほんと軽視されてますね。
先ごろ、アンガーマネジメント(怒りのコントロール)についての情報番組をテレビで見ましたが、
私の場合、そんなこと家庭でも学校でも職場でも教わりませんでした。
怒りのコントロールだけでも、職場、学校、そして自分へのブラック度合をずいぶん下げられると
思うのですが。
そんなわけで、平穏無事(通常設定)がネガティブだということにはなかなか気づけません。
3次元のままプラス思考をしようとしてもなかなかうまくいかないのは、
習慣に埋め込まれて隠れているマイナス思考のほうがずっと優勢だから。
手放しが進んで非3次元のウエイトが上がると、
考えや感情が非五感的な「現実」で、ここが重要だとわかってくるので、
マインドにもっと注目できるようになり、マインドがもっとよく見えるようになります。

物は「ない」、色や形や触感などからなる五感像は感じ手の自分が感じた感覚模様、
それは考えや感情などからなるマインドの感覚模様の磁力が喚起したもので、
それはもっと瞬速の直感とか閃きなどからなる高次の感覚模様の磁力が喚起したもの、
という、連動メカニズムで動く非3次元ワールドは、
制限の大元である、それ固有の法則をもつ物質を想定していないので、
制限がなく、ポジティブです。
しかし、どんだけばりばりにポジティブでも、
そのポジ感覚はゼロポイントフィールドとつながっているので、
自動的にバランスがとれて、結果的には中立になります。
それはこういうしくみ。
感覚の感じ手(自分)という一人称の認識主体意識は、
全感覚と無感覚が渾然一体となったゼロポイントフィールドから、
ゼロポではない側(ゼロポを認識する側)として立ち上がるのですが、
その「~ではない」という分離コマンドが自身にも働き、
「“ゼロポではない”ではない」となって、結局ゼロポに還ります。
これは「自分でありつつ自分でない(ゼロポでないと同時にセロポである)」ということで、
喩えると右手で自分、左手でゼロポをやっているような感じで、両方とも同時に起きています。
何らかの感覚を感じること(認識)と感覚が生じること(存在)は表裏一体なので、
感じ手(自分)が自分でありつつゼロポに還っているとすれば、
感覚もそれが生じるとともにゼロポに還っているわけです。

通常設定が「ポジティブ(制限なし)」になっている世界。
それは、「できる」「そうなる」「イケる」「手に入る」が通常設定になっている世界です。

何かわからないけどピッ、という閃きに、想像図へと具体化する磁力が働き、
想像図が五感的な感覚像へと具体化する磁力が働いているからです。
その磁力にしたがって、わくわくする、惹かれるほうに向かっていくと、
最終的に五感的な感覚として実現する。
ピッ、も想像図も五感像も、どれも「現実」です。
3次元だとアクシデント、ピンチに思えるようなことは単にチェンジの合図。
服のファスナーが壊れて着られなくなると、その日のうちに誰かから「これ買ったんだけど着ないわ。
いらない?」となって、もっとよさげな服をもらえるとかの流れになる。
やりたいことがあるけど苦手な作業がある、知識もないし、となれば、
それに適任の人が手伝ってくれるとか。
こんなのはまだ序の口で、物があるという想定に制約されていないマインドはもっと広大で自由なので、
常識はずれの突拍子もないオチがつく余地はたくさんあります。
通常設定がポジなので、たまに気分がわるくなるなどの変調があると速攻気づいて、
五感化まで行く前に手放してリセットすることができます。
不快になるとか調子がわるいとか、3次元ではよくあること、しかもいつ起きてもおかしくありませんが、
通常設定ポジの非3次元では異常事態です。
3次元では運がいいとかツイてるというのは特異なことですが、
ツイてるのがふつうの非3次元だと、一回でもはずしたらそっちが異常です。
白い碁石のなかに一個だけ黒い碁石が交じっているみたいな感じなので、すぐ気がつきます。
非3次元の人は、「(外で)これこれの出来事があったから追い込まれた。(外に)対処しなくては」
という<反応>発想をしません。
不快な感覚を感じたら、ズームを引いて(高次、マインド、五感の感覚を感じている「“点”の自分」
に戻って)変調感覚をその土台の観念ごと手放します。
外に出ていくのではなく、うしろに下がるのです。
土台になっている観念は、自分の認識に先立って「(  )がある」という想定です。
カッコのなかは、物質でも、エネルギーでも、霊でも何でも同じ、要するに「客体X」であり、
要するに「自分の感覚ではない感覚(違和感のある感覚)」です。
というわけで、通常ポジの世界は、徹底的に自分軸で回る世界でもあります。
そうなってこそ磁力(引き寄せ力)も全開。
他人軸というのは、客体Xの中身が何であれ、制限をつくります。
実感的にいって、3次元をやめるとすごく脱力、リラックスしていられるのですが、
それは何にせよ自分の都合、自分のペースで決められるからだと思います。

覚醒する、統合すると決めて(コミットメントして)「手放し」をやっているということは、
裏ではこの通常設定ポジティブの世界自体の「引き寄せ」を設定しています。
手放していくと、もとの磁力(引き寄せ力)の利く世界に戻っていく、
引き寄せターゲットを設定すると、手放したほうがいい余計な考えや感情がはっきりする、
両者は表裏一体なので。
要は3次元を出れば非3次元に入る(手放しアプローチ)、
非3次元に入るのなら3次元は出ることになる(引き寄せアプローチ)、そういう表裏関係。
  1. 2021/03/09(火) 15:26:14|
  2. 実現のメタフィジクス
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引き寄せ本の再読

2021.3.1(月)

このところattraction(磁力、引力)にattractされているので、
本棚の奥からゼロ年代に買った引き寄せ本を読み返してみている。
このころはまだそれほど巷間には知られていなくて、ヘンな本という印象だったような。

トルストイを中心にロシアの小説をいろいろ読んだ流れで、
『一冊でわかるロシア史』(関 眞興・著/河出書房新社)という本も、図書館で借りて読みました。
もうね、歴史以前に今さらながら国土の広さにびっくりよ。
ソ連がなくなって、関東圏のなかの東京都がロシア、みたいな印象だったのだが、逆よ。
23区以外はみなロシア、みたいな広さなのさ。おそ(恐)ロシア。
練馬区やら板橋区やら北区やらがバルト三国みたいな感じやね。
東はベーリング海峡まで延びているこの国を、はたしてヨーロッパと呼んでいいのか?
この国がうちは欧州やで、と言い張るなら、モンゴルも中国もOKな気がする。
なおロシアはEUには加盟していない。

さて、自分が何かを考えたり想像したりすることと、何らかの出来事が起きるということは別範疇で、
考えや想像では出来事を直接喚起することはできない、
という大常識(※)をひっくり返すことに本気で取り組むと、
この世界は、自分という統覚意識が感じる濃かったり(五感的な感覚)淡かったり(マインドや高次の感覚)
する感覚の模様である、という非3次元感のリアリティが強くなってくる。
物があって、やはり物である身体の感覚器官でそれをキャッチしている、のではなくて、
濃淡や速度や安定感(軽かったり重かったり)のちがう三つの感覚層で、
それぞれいろんな感覚が現れたり消えたりしている、
五感も、マインドも、高次も、どれも「現実」である、ここに存在している、という感じ。
色や形や触感も「現実」だし、考えや想像も「現実」だし、直感も閃きも「現実」。
※五感的な感覚の向こうには物がある、物はそれ固有の法則(物理法則など自然科学の法則)で動いている、
五感的な感覚というのは物の一部(身体)が物環境からの刺激に反応した物理感覚であり、
思考や感情や気分はその物理感覚への二次反応である、と想定すること。
筆者のいう3次元世界とは、このような想定によって出力される世界をいう。
3次元世界では自分の認識と認識の対象は分断されており(認識≠存在)、
しかも自分という統覚意識が「身体」として対象(物)に含まれるので、
全現象の動因が対象(物)固有の法則に帰せられ、
その法則を探究したり学習したりすることはできても、超える(法則を破る)ことはできない。
つまり、本当の現実とは物質のことであり、物質の法則がすべてを決定する、という世界が出現する。


そうやって、3次元じゃない世界って詭弁や絵空事じゃなくてほんとにあるんだな、
自分次第、視角次第なんだ、と実感つきで得心してから、あらためて引き寄せ本を読み返すと、
すごくよくわかる。腑に落ちるわ。
「考えは、それに似た考えや(水平方向)出来事(垂直方向)を引き寄せる」
って、そりゃそうだろう、高次もマインドも五感も、どの「現実」も自分が感覚化して束ねているんだから、
考えと無関係に何かが起きてたらむしろそっちがおかしい、となる。
この当たり前感は、自分的にとても新鮮。
最初に読んだときは、精神世界や哲学といった方向に惹かれていたとはいえ3次元人間だったから、
「考え」がどうやって「出来事」になるのかというところで悩んだ。
オカルト界には、ここに量子力学をもってきて突破を試みるという流派もあって、
私も一時そっち系の本をいろいろ読んだんだけれども、
量子力学って、ほんとに納得するまで理解したかったら、相当ムズい数学がわからないとだめで、
私は数学には疎いので、波動関数とか密度行列とかの式を見て、うえっ、となってやめました。
五感的な感覚の向こうに「物」があるという想定を前提として、
その仮想物質の法則を突き詰めていくと数式で表すしかなくなる、
物の実在性とは概念だということがあきらかになり、
あるかもしれない、ないかもしれないという潜在性は数学語でしか記述できなくなる、
という方向のアプローチは、数学大好きな人におまかせする。
量子力学によると、誰も見ていないときには月は明らかにそこにあるとはいえないが、
月がそこにない確率は完全に無視できるほど小さいという(『量子力学のふしぎな世界』町田 茂・著)。
としても、その確率はゼロではないし、
そもそも確率の小ささ、起こりえなさは、物からなる三人称的な客観世界を前提としたときであり、
たとえば月が月齢や天候などの理由で見えないはずの夜に自分には月が見えた、
という出来事がもしあったとすると、自分にとってその確率は100%なのである。
量子力学は、物が「ある」こと、それは誰にとっても同じだという客観性から出発して、
物の最小構成要素を追究していったときに、数学語でしか記述できない潜在性に達するという
サイエンスであって、オカルトではない。
だからオカルトをサイエンスで「証明」しようという切り口でよく流用されるのだけれども、
サイエンス自体がフィクションでありアートである、という視角をとったほうが、私にはおもしろいと思う。
物も客観性も想定だとすれば、数学語が必要になるのは敢えてそれらを想定したときだけになる。

引き寄せの法則というと、
欲しいものを入手したり、やりたい仕事に就く、収入を増やすなど、
何か望みをかなえるためのノウハウ、成功法というイメージがあるようで、
私もそういうイメージでとらえていたんだけど、じつはそうではないんだね。
それは、「どんな感覚もそれ自身と似た感覚を引き寄せる」、
ある考えはそれと似た考えや感情を呼び起こし(水平方向の作用)、
それと似た五感的な感覚を呼び起こす(垂直方向の作用)、という、
ただの法則なのでした。
言い換えると、感覚には磁力がある、
高次の感覚も、マインドの感覚も、五感的な感覚も、似た感覚は引き合う、
高次とマインド、マインドと五感、というように垂直方向にも引き合う、ということです。
ちなみに、五感的な感覚の水平方向の引き寄せは、
色や形や触感や音などからなる像の組織化を促します(コップがコップの像になり、机の像と混じったり
しないということ)。
似ているというのは、相性がいい、親和性がある、なじむ、つながりがある、というような感じ。

そして、何かを望んでも、望まなくても、望みがかなっても、かなわなくても、
どんな境遇、状況にあろうと、
引き寄せの法則とかないだろオカルトだろと思っていても、そんな諸々とは関係なく、
3次元の(「物」があると想定したときの)重力とか電磁気力とかの物理法則のように、
ただただそれは作用していると。

「引き寄せの法則などという法則はない」と想定して、
そんなの考えるまでもなく当たり前、そのくらいその想定を許容していれば、
ちゃんと引き寄せの利かない世界を引き寄せます。
「まず物が存在する。自分も物(身体)だし、自分が何かを感じるというのは物(外界)への反応だ。
考えや感情は物(外界)への反応(物理感覚)への反応だ。
物が本物の現実で、最終的には物の法則が現実を決定する」
と想定している、
その想定が、ふだんはいちいち意識しないくらい当たり前な習慣になっている、とはそういうことです。

私が持っている引き寄せ本には、
何であれそれ自身に似たものを引き寄せる、そういう磁力、attractionが、いつでもどこでも働いている、
ということが、最初のほうに書いてあるのですが、
その磁力自体を「ない」と想定することによって、磁力を無力化するカラクリについては書かれていません。

宇宙には引き寄せの法則っちゅう法則があってな、
ポジティブなことを考えれとばポジティブな出来事が、
ネガティブなことを考えとればネガティブな出来事が起きるんよ、
あんたの人生に嫌なことが多いんはネガティブな仮定や想像に思考を費やしとるからだわ、
その考えをポジティブなほうに向けてみ? となって、
そこから、「だめ」「むり」「ない」「できない」をどうやって消去するかというテクニカルな話に入って、
あんたにもできるはずや、成功を祈る、シーユーアゲイン、みたいな。

読者がよほどノリのいい人で、こういう誘導でおおもとの「考えと出来事は別」想定を超えられれば、
引き寄せたいことの実現に成功し、
また成功体験が重なると経験則が書き換わるので、実感的におおもとの想定がはずれていくんですが、
実践してみてうまくいかないと、なんや引き寄せの法則ってやっぱ嘘やん、となってしまう。
要は慣れの問題で、私もそうでしたけれども、
3次元人間は磁力の利く世界に不慣れなのです。
おおもとの想定のほうに慣れちゃってて、磁力を止めてることに気づいてないので。

「自分に合わない感覚を手放す」というタイプのメソッドは、
このおおもとの想定をはずす方向からアプローチするやりかたです。
磁力を無力化する想定をはずすということが、覚醒でありアセンションであり非3次元化です。
本来の宇宙とは、磁力が利く世界のことです。
感じたことがそのまま感じたように実現し(認識=存在または創造)、
その実現した感覚の持つ磁力が水平に働いて広がったり、
垂直に働いてさらに具体的になったり(閃きが考えに、考えが五感に、と具体化していくこと)。

前の記事にも書いたように、私は手放しメインだったのですが、
引き寄せ本に書いてあるような「意図的な引き寄せ」も、適宜、実行することにしました。
これは高次から降りてくる本当の欲求だろうか? などということは気にせず、
自分はこうするとか、これを手に入れるとか、思いつくまま深く考えずに意図します。
何か意図すると、磁力を止めている手放し材料がどんどん出てくるからです。
ということは、非3次元化を阻んでいる感覚が明確に浮上してくるということです。
「できない」「ありえない」「前にもやったけどだめだった」「もうあきらめるべき」といった、
自分の能力、適性への不信、磁力そのものへの不信だけでなく、
「こんな現世利益ベタベタの欲求はダサい、くだらない」「もっと大事なことがあるはずだ」
「虫がよすぎる」「幼稚」「こんな通俗的な欲求を残している自分が嫌」
といった価値判断系のウダウダが混じっていることもあります。

本当に不要な意図だったら、そのうち自然消滅するので気にしません。

「できる」とわかっている(これが「許容している」ということです)意図なら、
ふだんからばんばん発しています。
スーパーに行くとか、何を買うか決める、代金を支払う、帰り道を決める、歩く速度、
玄関のドアを開ける、電灯のスイッチを押す、などなど。
昨年、私は不意に3日間くらいヴィパッサナー瞑想入りっ放し状態になったことがあって、
そのとき、こういう自動反射みたいになっている習慣的な些細な行為も、
そのつど微細な意図にもとづいていて、
それぞれの意図に「めんどくさい」「ダルい」「暑い(寒い)」「(買い物代が)高!」「もう6時か」とか、
その他、言語化もされないいろんな抵抗感覚が絡みついていることがわかりました。
できるとわかっている(許容している)ことなら、この程度の対抗波動(抵抗感)で実現が阻まれることは
ありませんが、こういう感覚があるとマインド全体の波動が下がる(透明度、明晰度が落ちる)ので、
見つけ次第、ゼロポに還して手放すようにしています。
引き寄せターゲットを意図したときに湧出してくる対抗感覚に気づき、それを手放せるようになると、
こういう習慣に埋まっている(潜在している)低波動感覚も見つけやすくなると思います。

ともかく、引き寄せ本で最も大事な情報は、導入部でさらっとふれられることが多い、
「attraction(引力、磁力)は常時作用している」ということだと私は思います。
  1. 2021/03/01(月) 15:50:06|
  2. ひみつの閉架書庫
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引き寄せ詳説~垂直方向の磁力について

2021.2.20(土)

何であれ、「それ自身に似たものを引き寄せる」というのがthe law of attraction、
一般に普及した日本語訳にすると引き寄せの法則です。
attraction、誘引力、引力、磁力だと? そんなものが本当にあるのか?
というところで引っかかりを覚える、眉唾くさい、ということはあると思います。

引き寄せの法則、それは簡単にいえば、
ポジティブなことを考えているとポジティブな出来事が起き、
ネガティブなことを考えているとネガティブな出来事が起きる、ということなんですが、
なんだそれ、「考え」と「出来事」はまるで別範疇ではないか、
嫌なことを考えているのにいいことが起きることはあるし、
楽しいことを考えているのに災難に巻き込まれることだってあるぞ、と。

だから、「“考え”と“出来事”はまるで別で、連動するとは限らない」と考えていると、
まさにそう考えているとおりになるわけで、
attractionはちゃんと働いているのですが、それはさておき。

ネガティブな考えからネガティブな連想を、ポジティブな考えからポジティブな連想をしやすい。
これなら、一般常識的、経験則的にいって、ほぼほぼ異論はないのではないでしょうか。
財布にあと二千円あると思っていたのに、財布を開いてみたら千円しかなかった、げっ!
と、そこから最近の無駄遣いを悔いたり、来月の税金の支払いやローンの引き落としのことを考えて
暗くなったり、急に公共料金や通信料金が高く思えたり、と、
ほんの数秒くらいの間に、とりあえずその場に関係ない件まで思考の触手が伸びて、どよ~ん、とか。
でも財布にあと五百円しかないと思い込んでいたら、なんと千円あった札があった、となると、
シャー! と心のなかでガッツポーズ、卵と野菜とパンを買ってもまだ余る、ポテチもイケる、と高揚し、
そういえば今日はすばらしくいい天気ではないか、と深呼吸してみたり。
この程度のことなら数分で雲散霧消してしまうかもしれませんが、
仕事のミスが家に帰っても忘れられないとか、人から投げつけられた嫌な言動を何度も反芻するなど、
ネガティブな考えを「引きずる」状態になると、
固定されてしまったその気分と同調する不快なニュースを拾ってしまったり、
陽気にしていたり大笑いしている人がいると気に障ったり、
食事がおいしく感じられないとか眠りが浅いとか、五感領域まで及ぶこともあります。
逆に、仕事や勉強がはかどって、調子がいい、うまく回っていると感じられると、
将来への明るい見通しが立ったり、やりたいことが出てきたりと、前向きな方向に考えが動きます。

考えが考えを呼ぶ。
ある考えや感情は、別の考えや感情を結びついて、同一フォルダに入る的なまとまりをつくる。
その考えや感情への関心(注目度)が強いと、
マインド全体がその考え、感情の色に染まり、広範囲に影響する。生活にも影響する。
これは、ある考えが、それと関連する考えを連想させて強くなったり膨張したりする、という、
水平方向の作用です。
では、この連動作用が水平方向だけでなく垂直方向にも働くとしたら?
その考えないし感情は、それと関連する色、形、音、味などの五感的感覚を喚起することになります。

マインドに連動して、それと似た五感的な感覚が呼び起こされる。
マインドでつくった「現実」が五感的な「現実」を引き寄せる。

いや、それはないでしょう、とストップがかかるとすれば、
垂直方向には、考えや感情には影響されない何かが存在している(と考えている)からです。
この何か(客体X)は、一般的には物、物質です。
物質があって、それが考えや感情の及ばないそれ固有の原理、法則(自然科学)で動いている、
とすれば、当然、物質は考えや感情には影響されず、垂直方向の連動作用は起きません。

何度か書いてきたように、五感的な感覚の向こうにたしかに物があるかどうか、
緑色で四角いという視覚、触覚の向こうに緑色の箱が存在しているかどうかは、わかりません。
たしかなのは緑色で四角いという感覚を感じているということだけで、
自分の感覚を離れて物のあるなしを確認できる人はひとりもいないので
(観測機器を使っても、機器を操作する人や結果を検証する人の感覚を介することになる)、
物が「ある」とすることもできるし、「ない」とすることもできる。どちらにしても想定です。

物が「ある」と想定し、
物は物理学とか化学とか物固有の法則で動いているとすると、
物は人間の考えだの感情だのとは関係なく存在していることになります(認識≠存在)。
のみならず、むしろ人間の考えとか感情とかは物固有の法則にしたがって生じる、
身体という物が、物でできた外界からの刺激に「反応」するという生理作用から考えや感情が生じる、
ということにもなります。
とすれば、物(身体)から派生する考えや感情に、それ自身の基盤である物を動かす力はありません。
ハードウェア(身体を含めた物質一般)はソフトウェア(考えや感情)を作動させることができても、
ソフトウェアではハードウェアを動かせないように。
これは、五感的な感覚の向こうに「本物の現実(物質)」が存在し、
「本物の現実(物質)」固有の法則(自然科学)が一切の出来事を決定する、
考えや感情はそれに制約され、
法則(自然科学)を研究したり、法則に沿った情報を集めたり、
「本物の現実(物質)」を解釈して一喜一憂したりはできるけれども、
「本物の現実(物質)」を変える力(垂直方向の連動作用)はない、と考えることです。
筆者が書いている「3次元の世界」とは、そのように、物が「ある」と想定したときの世界です。

引き寄せの法則などはインチキだ、本当の現実を直視できない弱い心がでっちあげた思い込みだ、
本当の現実の基礎は自然科学である、と考えれば、その考えどおりに、
物質があり、物質の法則(自然科学)が現実を左右する、引き寄せのない世界を出力します。
認識が、存在がどうのこうの、と深く考えなくても、即座にアヤしい、インチキくさいと感じられるのは、
考えや感情と物でできた現実は別だ、という観念が、
何度も反復して習得し、習慣になった行動、思考の前提になっていて、
いちいち意識しないくらい当たり前になっているからです。
だから、考えや感情と物でできた現実は別ということが暗黙の前提になっていると、
理屈より先にアラームが鳴る。

しかし色や形、触感などの向こうに物が「ない」と想定すると、
考えや感情の連想として水平方向に働いていた連動作用が、
垂直方向の作用を止める(というか「停止」指令として作用する)
物質とか物質固有の法則とかの想定に阻まれないので、ストレートに下に向かい、
考えが考えを呼ぶのと同じメカニズムで、
色や形、触感といった五感的感覚を喚起します。

物が存在していなければ、
五感的な感覚は、物(外界)からの刺激に物(身体)が「反応」して起きる物理感覚ではないし、
考えや感情は、物に反応した物理感覚への「二次反応」ではありません。
両方とも、自分が感じる(認識する)ことによって現れた感覚であり、その点で本質的には同じです。
ただ、五感的な感覚が濃くて段差(コントラスト)がはっきりしているのに対し、
考えや感情などは相対的に淡く、また相対的に移り変わる速度が速くて軽い、
というちがいがあるだけです。
考えや感情なども、色や形などと同じように、自分が感じた「感じ(感覚)」である。
考えや感情などはマインドの「感覚」といえます。
どちらも本質としては「感覚」なので、考えが考えを呼ぶという水平方向の作用と同じように、
ある考えが色や形などを呼ぶといった垂直方向の作用も起きるのです。
なお、物が存在していなければ、
「自分」というのも身体やその生理作用でできる心理現象のことではなくなります。
物を想定していないときの「自分」とは、
さまざまな感覚をまとめて感じている統覚視点ないし統覚意識のこと、
簡単にいえば感覚の感じ手のことです。
物を想定していなければ、感じ手が感じる(認識する)ことによってその感覚が創造される、
ということになります(認識=存在もしくは創造)。
感じ手なしに感覚だけがあるとか、感覚なしに感じ手だけがいるということは起きえません。

ただし、マインドの感覚(考えや感情など)の全部が連動作用するわけではありません。
考えが考えを呼ぶ水平方向の連想でも、考えという考え全部が連想に至るわけではなく、
パッと思い浮かんで消えてしまうものもたくさんあります。
あれこれ、次々と連想が広がるのは、
最初の考え、または途中で出てきた考えに、ポジネガどちらにせよ関心があって、
湧いてくる考えに注目している場合です。
垂直方向でも同じ。
何回も考える、感情や気分を伴って、ある程度まとまった「コンテンツ」みたいになっている、
というように、関心度合の強いマインドが五感的な感覚の喚起に向かう磁力(attraction)を持ちます。

ただし、マインドの感覚と五感的な感覚は、同じ感覚でもやや性質がちがいます。
マインドで思い描いたことは瞬速で実現します。修正も速攻でできます。
「だいたいこんな感じ」という、ぼやけたファジーな実現もありです。
感覚化(実現)のスピードが高速で、目盛りが細かい(軽い)のです。
対して、五感的な感覚は、考えや感情などのマインドの感覚よりも、濃くてはっきりしています。
相対的にいかついです。
相対的に感応度合が鈍いといってもいいかもしれません。
ここはいわば四捨五入の世界で、マインドの磁力が50%以下だと微動だにしない、
でもちょっとでも50%を超えると100%と同じになって連動が起きる、という感じです。
これが、ある軌道から別の軌道にジャンプするみたいな変化なので、
物理学用語になぞらえて量子変化とかクォンタムジャンプと言っているわけ。
20%や30%では動かないこの感応度合の鈍さが、
3次元の思考(物があると想定し、それが連続的に変化すると考えること)では「時間がかかる」
ととらえらえます。
たとえば、マインドでAのことを考えているとすると、
Aのない場面から別のAのない場面へ、また別のAのない場面へと次々ジャンプしていって、
確率50%を超えたときにポンとAのある場面に移っている、ということなのですが、
過去にはこれこれのことが実際にあった(こういう物環境だった)、それが現在までにこう変化し、
それが未来につづいていく、という連続時間進行を前提にすると「時間がかかる」ことになります。
(オカルト語を使うと、マインドの感覚は気体的なアストラル媒質に起きる波動、
五感的な感覚は液体的なエーテル媒質に起きる波動ということになります。)

考えが考えを呼ぶ、水平方向の引き寄せは、関心さえあればたちまち作用し、広がり、実現しますが、
考えが色や形などを喚起する垂直方向の引き寄せは、関心がある、興味があるくらいでは起きません。
といっても初発は関心や興味であり、
関心や興味によってマインドで感覚化(実現)していないことには垂直の連動も起きないのですが、
関心度合が強く、大きくなってMAX値まで来たとき、
関心は「許容」「受容」「承認」といった感覚に変わります。
感覚を波動だとすると、ここで周波数が変わるのです。
関心よりもずっと確定的で、安定していて、落ち着いた感覚です。
それが当然、当たり前、(奇蹟じゃなく)常識だよね、という感じ。
カドがとれてリリースされた感じ。
ここで、五感的な感覚は実現確率50%を超え、四捨から五入のほうに飛びます。

コーヒーを飲みたいと思っているときは、飲みたいという欲求の感覚がありますが、
目の前にコーヒーがあれば、もう飲めるに決まっているので、コーヒーを飲みたいとは思いません。
コーヒーを飲んでいるときも、コーヒーを飲みたいとは思いません。

関心がある、欲しい、知りたい、というのはマインドで何かが実現するとき、
つまりイメージしたり、リアリティのある感覚(記憶)を呼び起こしたり、
複数のイメージを関係づけたりするときのキー感覚です。
マインドの創造力のソースといってもいいでしょう。
マインドで意図し、その意図と似た五感的な感覚を喚起しようとするなら、関心は不可欠です、が、
それだけでは五感的な感覚を動かせません。
五感的な感覚で実現するときのキー感覚は「許容」です。
「関心」も「許容」も、ともにマインドで、心のなかで起きていることですが、
五感的な感覚が動くのは「関心」ではなく「許容」によってです。

五感的な感覚の世界には、積極的な関心はないのに五感化している感覚が多々あります。
玄関に敷かれた四角いタイルとか、ベランダの茶色い手すりとか、
べつに菱形でもグレーでもいいんだけど、みたいなやつ。
この種の五感的感覚は、意図せずに、つまり関心抜きで「許容」だけで実現している例です。

物が「ある」と想定すると、物質の法則や、それをベースにした常識にしたがう世界がちゃんと出現するのは、
考えと出来事は別だという考えを許容し、
物質の法則にしたがわない非常識なことが実現するのを許容していないからです。
  1. 2021/02/20(土) 16:26:26|
  2. 実現のメタフィジクス
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高い音はほんとに高いのか

2021.2.12(金)

Youtubeでトランペットのレッスン動画を公開されている、ニイヤマッスルさんという方がいらっしゃいます。
記事を書くためにヤフーで検索したところ、ニイヤマッスルこと新山泰規さんは、
ジャズバンド等での演奏活動のほか、群馬県内でトランペットのレッスンをされているとのこと。
のみならず、トレーニングジムの広報、営業もなさっている、「筋肉トランペッター」なんだそうです。
私は昨秋くらいから、この方の動画をときどき拝見していました。

発想が革命的だったのです。
トランペットで高い音を出すには、最初に唇のテンションをMAXにしてなんかわからん謎音程のハイノートを出し、
そこから目標の音(ハイB)まで降りてくれば楽に出せますよ、
なんてことを、ぺろぺろんと言い放っておられるのじゃ。
は?(-д-)?
それって、跳び箱の8段が飛べれば6段は楽にイケますよ、って言ってるのといっしょじゃん、できねーよw
って、初は笑ってネタにしてたのですが、
何本か動画を見ているうちに、「高い音」という観念が壊れていって、
自分のなかでは、ハイFくらいまでの音はもう完全に「高い音」ではなくなり「そういう音程の音」に
なってしまいました。
そもそも私には、自分にはまだ吹けない音であっても、
高い高いといわれている音は本当に高いのか?
風(息)に押されてゲート(唇)がある振動幅で振動してそれが楽器に伝わって音になってるだけでしょ、
条件設定(息、唇)が変われば出力される音も変わる、それだけじゃん、
高い低いってのはマインドで起きてる、プレッシャーとセットになった心理評価じゃん、
というような思考があって、
自分が出せると思ってる音なら、いずれ条件設定がそろって出るはずだ、
という無根拠な確信にもとづいて練習してたのでした。
楽器をはじめたのも、自分の意志でというよりはチャネリング的、直感的なオカルト動機でした。
だからといってすぐできるわけではありません。
オカルト界には、ピカッと閃くと、まったく未経験のことであっても、
身体が勝手に動いてできてしまった、みたいな例もあるらしいですが、
私の場合は全然そうではありません。
当初は、顎が震える息がもれる姿勢が保てない酸欠でめまいを起こす・・・等々、
あれやこれやの問題がうず高く山積していました。
また、中高生のときホルンをやっていたので、
昭和の部活で培われた無理のあるアンブシュア(口格好)が潜在記憶に残っていて、
これをリセットすることからはじめたので、
たぶん、まったくの未経験ではじめた人よりも、とっかかりはたいへんでした。
でも私は、どうしたらこれを解決できるだろうか、などと煩悶したりはせず、
たまにおもしろそうな動画や文章を拾い見、拾い読みするだけで、
問題解決のためのリサーチはめんどくさいので一切せず、
そのうちなんとかなるべさ、と放っておいたら、
そういえばそんなことあったっけ、みたいに、問題は消えていました。
むかしの歯科治療の後遺症である左顎の麻痺と知覚過敏もいつのまにかなくなっていて、
これにはかなりびっくり。

トランペットの中音はチューニングB(ベー)である、
だから音出し(ウォーミングアップ)はチューニングBからするのがいい、
という説も画期的でした。
トランペットの公式音域は、
ファ# ソ ラ シ  レ ミ ファ ソ ラ シ  レ ミ ファ ソ ラ シ ド
の約2オクターブ半です(※)
ただ、ジャズやポップスだと、右端の(ハイB)よりも高い音を使うことがあって、
その非公式音域を含めると最大幅は3オクターブ半くらいです。
チューニングBとは、右端のドの一オクターブ下ののことなので、
こうして並べてみると、なるほど中音といってもいいかもしれません。
ローからハイまでの二オクターブを最も頻繁に使われる音域と考えれば、たしかにそうです。
しかし、ニイヤマッスル説で中音とされるチューニングBは、
トランペットをはじめてまもない人がパパパッパー、イェイ、とかって出せる音ではないんですね。
ど初っ端は音自体が出ないというケースもあるし、そもそも音らしい音が出るまでがひと苦労、
練習時間や回数などにより個人差はありますが、
チューニングBが出せるようになるまで、だいたい3か月くらいはかかるんじゃないかな。
チューニングBは、高いほうへ音域を広げていくときの最初のヤマ場みたいな感じに思えます。
するとだね、すでにチューニングBからして高い音であるという刷り込みができてしまうわけです。
ド、レ、ミ、ファ、ソ、と上がってチューBまできた、さぁ、ここから高音域に向かうぞ、
みたいな意識が形成されてしまう。
この「チューニングBは高音域のスタート地点」意識だと、その上のハイF(ソ)は富士山、
ハイB(右端のド)はマッターホルンか何かみたいに思えてしまいます。

このマインドを崩すには、ともかくチューニングBが吹けるようになった段階で、
音出しの一発目とまではいわなくても、ソ、ラ、シ、ド、とか、ソ、ラ、シ、ド、シ、ラ、ソ、みたいに、
口輪筋が元気なうちにチューニングBを出しておくのは有効と思います。
私自身、まだチューニングBが出せなかったころでも、
その日に出せるいちばん高い音から音出しをしていました。
「これはいろんな音のひとつで、高い音ではない。
高い音などというのは他人軸の定義で、私の宇宙に高い音なる音は存在しない」
という意識に誘導する、一種のイメトレです。
現在は、公式音域の音は出すだけなら全部出せるので、
音出しの一発目は二オクターブ目のソ(F)かミ(D)にしています。
※トランペットはピアノの鍵盤でいうとシ♭すなわちドイツ音名だとB(ベー)がドになる移調楽器なので、
トランペットでドの音を吹くと、ピアノの鍵盤だとシ♭の音が出ていることになる。
ピアノのド(C)がそのままトランペットのドになるC管トランペットというのもあり、主にオーケストラで使われている。


とはいえ私は、上記の音域の左半分、中低音を無視しているわけでは決してありません。
むしろ中低音のほうにウエイトをかけています。
中低音がきちんと出せるようにならないときれいな響きがつくれないだのなんだのって、
そんなの都市伝説かと思いきや、どうも一理あるっぽい。
ただ、低音の口からだんだん口を締めて上げていく、のではなくて、
高音の口をだんだん脱力させて低音に降りていく、というニイヤマッスル説のほうが、
練習の考えかたとして合理的なんですね。
自分でやってみてそう思いました。
左半分の音域がちゃんと出せるようになってから右半分にとりかかろう、というんじゃなく、
ニオクターブ目にも(倍音のリップスラーや音階などを使って)ばんばんトライするようにしたら、
左半分の音程が安定し、響きも向上したので。
アンブシュア(口格好)にせよ姿勢にせよメンタルにせよ、またおそらく楽器関係に限らず、
脱力が上手になると、適切な力の入れ加減が感覚的にわかるので、いろいろ上達すると思います。

人にはその人の宇宙があり、マインドも五感的感覚もちがうので、
ニイヤマッスルさんとはちがう角度のアプローチも多々あるでしょうが、
ドレミファソラシド(上り)ではなくドシラソファミレド(下り)指向のその発想は、私的には超目ウロコでした。
私の在籍していた当時の吹奏楽部で同じことを言ったら、
提唱者が下級生なら呼び出し、上級生なら顧問から呼び出されるかミーティングになっていたでしょう(笑)。


ニイヤマッスルさんの演奏動画「ルパン三世のテーマ」(約3分)
https://www.youtube.com/watch?v=Igv8xOfCeeQ

私的に心惹かれるトランペットの仕事は、
ホルストの「吹奏楽のための組曲一番」より「一楽章 シャコンヌ」で、
湧き上がるようなクラリネット隊の旋律につづいて「ンタタタ」と出てくるやつとか、
モーツァルトのピアノ協奏曲二十番三楽章の終盤で華を添える的にちょろっと出てくるのとか、
どちらかというと渋い裏仕事系ですが、
なんだこりゃフルートかよ、みたいなハイノートの快感も、なんとなく想像できます。

なお、森井奈緒さん、岩田恵子さん、宇野嘉紘さんほかのレッスン動画もいくつか拝見しています。
諸先生方、ありがとうございます。
つべのアカウントさえつくってない野良視聴者ですが。
  1. 2021/02/12(金) 19:35:49|
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
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