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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

『アンナ・カレーニナ』のデムパ読み

2021.1.20(水)

『戦争と平和』『復活』につづいて、トルストイ長尺小説シリーズ第3弾『アンナ・カレーニナ』読了
(望月哲男・訳/光文社古典新訳文庫全4巻)。
文学になった19世紀版ハーレクインロマンス的な不倫小説、みたいな。
しかしそれはそれとして、どれほど精勤しても採算のとれない農業(領地)経営に奔走しながら、
良家の奥様仕様に育てられた娘と結婚して堅実な家庭を築いていく、田舎の地主貴族リョーヴィンの話が、
なぜか不倫話と並行して綴られていく。
不倫編の主役アンナ・カレーニナと、田舎暮らし編の主役コンスタンチン・リョーヴィンは、
小説の終わり近く(第7部)で直接会って会話を交わすが、そこでとくに重要な転回が起きるわけではない。
相関図的には、リョーヴィンの妻キティとアンナの愛人ヴロンスキーにはかつて婚約前提の交流があった、
ところがヴロンスキーとアンナがくっついてしまったので、フラれたキティはセカンドのリョーヴィンと結婚、
という関係にあるのだが、この件は一応落着し、わずかに燻りつつもストーリーには影響していない。
関係のないふたつのドラマが別々に進行して大団円とならず終わる。
昭和の昼ドラと「北の国から」を一週交替で見せられとるような感じだ。ヘンだ。
この分裂した構成については、研究者、批評家によるさまざまな解釈がなされているようで、
それは最終巻(4巻)の解説で言及されている。
ふうん、そういう読みかたもあるんか、とおぼろげに察しつつも、ワシにはピンと来なんだ。
だってふつーに読んでればやっぱり別々の話ですよ不倫と田舎暮らしは。
とはいえ、『細雪』(谷崎潤一郎)の構成の液状化、
戦前の関西アッパーミドル姉妹の日々が起承転結ならぬフェイドイン、承、承、承・・・と連綿と綴られ、
ところどころ事件は起きても喉元過ぎればもとのまったリズムに収まり、とうとうオチなく終わる、
3巻もあるのになんじゃこれはワシの時間を返せ的なあの長編に比べたら、話の分裂なぞ屁でもないよ。
不倫編では、その場の空気に対するアンナの流されやすさ(ために夫が離婚を切り出してきたときに
応じるという最良の決断ができない)、すぐにここはどこあたしは誰なにがしたかったのかしら?
となってしまう情報処理容量の少なさにため息をつき、奥さん、もう少ししっかりしましょうよ、と呼びかけ、
田舎暮らし編では、夫婦それぞれの嫉妬深さや、互いの言動の裏読みにうんざりし、
んっとにおまいらめんどくせーなーどうでもいいじゃんそんなこと、とつぶやき、
そのようにして別々の話を別々のものとしてありのままに書かれたままに読んでいくと、その果てに、
あーそうだったのか、と、オカルトな閃きを得た。

このふたりは、快楽(アンナ)とメンテナンス(リョーヴィン)という、
3次元生活を回す燃料(快楽)と機関(メンテナンス)を象徴する人物である。
フロイト式に、燃料のほうを快感原則、メンテナンスを現実原則といってもいいかもしれない。
3次元生活とは、自分の認識とは別に客体X(物質、神、エネルギーなど)が存在する(認識≠存在)
という想定にもとづき、客体の一部(身体)と同一化された自分を保存、維持するため、
客体から繰り出されてくる各種の問題に対処するテトリスゲーム的な世界をリアルに体験することで、
3次元的にいえば生存競争のことである。
3次元ゲームを上手にプレイしていくには、オブロンスキー(アンナの兄)のように両者のバランスを
とらないといけないんだが、
アンナはバランスをとるとか抜け目なく立ち回るといったことができない、ある意味純粋な人で、
全力で愛欲のほうに突っ込んでいってしまい、たちまち燃え尽きて、最後は鉄道自殺してしまう。
リョーヴィンは将棋でいうと穴熊戦法的な守りメインの配置でどうにか持ちこたえてはいるものの、
兄ニコライの死(結核で病死)に立ち会って以来、
「俺も嫁も、息子だって、いつか死んで無に帰してしまうのに、農作業だの燕麦がいくらで売れるの、
お客のもてなしだとか、俺流農業経営論とか、そんなことが何になるんだ何の意味があるんだ?」
という中島義道チックな問いに苛まれてヘロヘロになる。
アンナもリョーヴィンも、それぞれに不器用だ。若い。魂が中二なのかもしれない。

自分は何者か。なぜここにいるのか。
というリョーヴィンの問いは、地主貴族とか夫といった役割をはずした自分の資質や性格を突き止めたい
というものではない。
これを「私は(  )だ」という、カッコ内の術語を求める質問だととらえていると、
本当の私は宇宙人だとか天使だとか、私の使命はライトワークだとか教師だとか、その類の、
3次元世間が「自分探し」と嘲笑しているそれになる。
そっちではなくて主語のほう、「私」というこの一人称が問題なんである。
この問いは、無時空間の「私」という一人称意識(統覚視点)への動線である。
しかし、物があって、それがそこかしこへと広がり、徐々に変化している、と想定している
3次元にリアリティがあると、「これ(物‐空間‐時間)ではない」という感じしかわからない。
いくら目を凝らしてみてもこの物の広がり、刻一刻の変化のなかに俺はいない、
身体も俺じゃなくて身体を動かしているこいつが俺だ、
この俺意識はこれ(物‐空間‐時間)の外から来ている、これは何なんだ誰なんだ? と。
誘導する問い、動線であるとはそういう意味である。

小説の終盤、脱穀係フョードルとの会話をきっかけに、リョーヴィンは、
「自分の欲のためではなく、神のため、魂のために生きる」という答を見い出して一応落ち着く。
自分の欲とは習慣に根づいた生存戦略のことだ。
「神」とか「魂」というのは、キリスト教的、プラトン版ソクラテス的な表現であり、
19世紀の西方ロシア人であるリョーヴィンの語彙ではそうとしか言い表しようがないのであるが、
これは「私」、時も場所もなく、どこまでもどこまでも、虚空(ゼロポ)に融けていくまで広がっている
無窮の一人称意識のことである。
形而上的な思弁が刺さらない実践志向のリョーヴィンには、これが書かれたり研究されてきた神や魂の
ことではないことが直感的にわかっている。
しかし、身体と身体にもとづく心に限界づけられていると想定された、神や魂ではない自分が
反射的に反応して生存戦略に沿うよう要求する習慣の束であることには未だ無自覚なので、
答を得ていくらもたたないうちに馬車の御者に腹を立て、異父兄やお客と議論し、
嫁といえども他人とは自分の気づきをシェアできないとさとって、ちょっと落胆する。
ここからリョーヴィンが神や魂(どちらも自分)ではない周波数を手放して覚醒するのか、
もとに戻ってしまうのか、それは書かれていないのでわからない。
それはそれとして、
脱穀係フョードルが小作人や債務者に対しブラックになれない百姓フォカーヌィチをさして言った言葉、
「あの人は魂のために生きています。神様のことを憶えているんですよ」は秀逸である。

なんとも惜しいのは寝取られ夫のカレーニン氏である。
アンナが愛人の子を出産して瀕死の状態になったとき、非常時の効能なのか、
右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ、インナーを取ろうとする者にはアウターも与えよ、の心意気で、
妻と愛人の行状一切を赦す気になる。ジャッジを手放していくここのくだりの描写はすばらしい。
が、その後、報復(決闘のこと。アンナの愛人ヴロンスキーは、カレーニンから決闘を申し込まれたら
自分は的をはずして死ぬつもりでいた)もできないヘタレ野郎として世間の嗤い者になり、
自分のテリトリーである官僚界からもハブられると、混乱しフリーズして、
19世紀版オカルト大好き人間リディヤ・イワーノヴナ伯爵夫人の言いなりになってしまうのだ。
アンナが周りに勧められて請求した離婚をカレーニン氏が拒絶したのは、
リディヤ夫人が入れ込んでいるフルトランスチャネラーのチャネリ助言にしたがった結果である。
左の頬も差し出したあげくダブルパンチなんて想定内(ていうか波動を上げるチャンス到来)、
福音書の次に旧約のヨブ記も読めよ、と言いたい(ヨブ記は神様からのお試しの被験者になって、
ありえないくらいひどい目に遭う男の話)。

ちなみにトルストイの小説には、けっこうオカルトなネタが出てくる。
『戦争と平和』の主人公はフリーメイソンに入るし、『復活』にはコックリさんと同じ方法で
ジャンヌ・ダルクの霊を呼び出す場面がある。
そうしたオカルト志向やオカルト解釈されたキリスト教に対して、作者は風刺的なスタンスをとっているが、
まるきり否定しているふうでもなく、生温かく見守っている感じだ。
『復活』では正統キリスト教(ロシア正教)にも疑義を呈し破門、21世紀現在も破門は解けていないそうだ。

デムパ系の方で、トルストイおもしろそう、けど長いのはかなわんなー、という方がもしいらしたら、
新潮文庫版で約150ページの『光あるうち光の中を歩め』(新潮文庫では原久一郎・訳)をお勧めする。
帝政ローマ時代の話なので、ドミートリーがミーチャになったりアレクサンドラがサーシャになったりする、
ロシア人名あるある誰やねん変換にとまどうこともない。
ラストの一行がまじ衝撃です。
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  1. 2021/01/20(水) 15:14:12|
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  4. | コメント:2
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  1. |
  2. 2021/01/25(月) 17:19:03 |
  3. #
  4. [ 編集 ]

トルストイワールドへようこそ

私の口車ならぬ文字車に乗ってくださり、ひみつのご感想をありがとうございます。
私のチャネリによると、ユリウスのような移行は4次元人間
(覚醒してエーテル域で五感世界をやっている人)としてはフツーなのだそうで。
『光あるうち光の中を歩め』はデムパ成分多めの話ですが、
トルストイは小説が巧いし、語りが優しいというか丸っこいので、
どれを選んでも楽しめると思います☆
  1. URL |
  2. 2021/01/25(月) 18:52:40 |
  3. みけ #X4YsqK5w
  4. [ 編集 ]

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