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ドリーム。

3次元も非3次元も想定、どちらを選んでもよい

2020.9.5(土)

宇宙を操縦するには二通りのやりかたがあります。
3次元と非3次元です。
宇宙とは、感じられるもの考えられるもの一切合切。
操縦するとは、具体的でない意図、デザインを具体的にすること。
3次元と非3次元では、宇宙のとらえかた、角度が180°ちがうので、
操縦方式も真逆になります。

一切を自分ごととして一人称で感じる「私」が何かを感じる以前に何らかの客体がある、
客体は「私」が感じようが感じまいがずっとある、と考えるのが3次元です。
「私」とは別に、独立した客体があって、
それは「私」の考えや気持ちとは関係のない独自の、固有の法則で動いている、
と仮定したとき、その仮定どおりに出力される世界が3次元です。
客体は感覚に先立って存在するという設定なので、
「私」という視点も客体に由来する自意識であるとされます。
客体Xは魂でも神仏でもエネルギーでも何でもいいのですが、一般的には物質です。
すべては物質でできていて、物質の法則にしたがうので、
「私」もまた物質(身体)に由来し、
物質(身体)の諸反応が言葉や言葉のような機能をもつ象徴記号で表現された、
「この身体と心」という自意識である、とされます。

一方、非3次元では客体を仮定しません。
なので、「私」が感じたその感じ、「私」が考えたその考え(これも「感じ」のひとつ)が
そのまま宇宙です。「私」とは何らかの「感じ」を感じる視点、感じ手のことです。
「私」が感じる、認識するとともに、その「感じ」が生まれる、創造される。
何の「感じ」もなければ(感じる対象がなければ)、感じ手もいないのだから「私」もいない。
いたってシンプルです。
自分が登場しない夢を見ていても、その夢を見ている視点(夢見手)は「私」です。
そもそも目覚めているときでも、3次元で定義する「私」(身体)は部分的にしか見えませんし。
残りの部分は全身という客体を想定したときの思考です。

3次元は客体を仮定した世界です。
非3次元は客体を仮定しないと仮定した世界です。
どちらも仮定、設定です。
なので、どっちが正しいとかまちがっている、とは言えません。
以下、わかりやすくするために客体Xを物質とすると、
青い色とか、すべすべした触感などの感覚が生じていることはたしかであっても、
そうした感覚の向こうに物質があることをたしかめられる人はいないからです。
観測機器を使っても、観測したデータは観測した人の感覚でとらえられます。
自分の感覚を介さずに物質があると確認できる人などいません。
同様に、物質がないと確認できる人もいません。
ということは、感覚の向こうには物質があるかもしれないし、ないかもしれない。
確認できないのだから、正解は出ません。
「ある」と設定すれば3次元、
「ない」と設定すれば非3次元です。
物理学ふうにいえば、「ある」と設定すれば粒子ベースに、「ない」とすれば波動ベースになる。
なお客体Xが魂やエネルギーなどであっても、感覚の向こうに設定されている点では物質と同じで、
そのあるなしは誰にも確認できません。

客体X(物質)のあるなしを誰もたしかめられない、世代交代してもたしかめられない、
つまり原理的に正解が出せない、ということは、
「この文章の文意を30字以内に要約しなさい」とか、
「この絵に描かれているリンゴは何を象徴しているか」といった類の解釈問題であり、
解釈の根拠は「~だとすると」という任意の設定だということです。
だから客体X(物質)が「ある」とするのも「ない」とするのも自由だけども、
いったん「ある」もしくは「ない」と設定すると、
その設定を前提に解釈が展開していく。

<非3次元>
客体X(物質)が「ない」とすると、
高次の感覚 → マインドの感覚 → 五感的な感覚
というように、だんだん感覚(波動、周波数)が具体的になっていきます。
「私」というのは全部の感覚(波動、周波数)を貫く感じ手です。
物質は「ない」ので、五感的な感覚は物質を物質(脳や感覚器官)が知覚して
(物質からの刺激に反応して)生じた物理感覚ではありません。
雲や蒸気のようなマインドの感覚が、よりはっきりと、具体的に感じられる感覚です。
マインドと五感の関係は、
たとえばマインドがCメジャー(ハ長調のド、ミ、ソが同時に鳴る響き)だとすると、
五感は「ド」「ミ」「ソ」のどれかにはっきり決まるという感じ。
「ド」「ミ」「ソ」のどれであっても、すっきりした、うまくいっている状態です。

<3次元>
物質が「ある」とすると、
物質 → 物理感覚 → マインド(思考、感情、気分)
と、物質に対して脳や感覚器官という物質(身体)が反応して物理感覚が生じ、
その物理感覚に反応して思考や感情などが生じる、という流れになります。
物理感覚を物質への一次反応とすると、マインドは二次反応で、
二次反応も物質の相互作用(脳の働き)に還元されます。
高次の感覚は物質固有の法則を逸脱するので「ない」ことになっており、
集積した経験則を無意識に活用したとか、空想、妄想と位置づけられ、
マインドの枠内に収められます。

非3次元も3次元も、客体Xを「ある」と考えるか「ない」と考えるかのちがいなので、
どっちを採用することもできますが、
「ある」を選ぶと宇宙のオペレーションが非常に複雑になり、
「ない」を選ぶと単純になります。

客体Xが物質だとして、
物質は「ない」とすると、
感じ手の「私」(統覚視点)が何かの感覚を感じると同時にその感覚が現れる。
それだけでオペレーションは終わり。
五感に限らずマインドの考えも高次の閃きも全部感覚(周波数)です。
濃淡がちがうだけ。

物質は「ある」とすると、
「私」は物質(身体)に由来する自意識と定義されます。
この自意識「私」が宇宙を操縦するには、
物理感覚とか思考や感情などの裏側で本当は何が起きているのか、
常に注意を向け、情報収集していなければなりません。
オペレーションの決定権を握っているのは本物の現実である物質(客体)であり、
物理感覚は物質への一次反応、思考や感情などは二次反応にすぎないからです。
起きた反応が思考や感情や気分であれば、どんな物理感覚への反応なのかを探り、
物理感覚は物質への反応だから、物理作用にさかのぼって原因を調べる。
さらにこれに空間(物質の広がり)や時間(物質の変化)という要因が加わり、
過去の一次、二次反応、未来に予測される一次、二次反応、
身体内部、細胞レベル、地域差、国際情勢、地球環境、等々も調査対象になります。
このように、客体(物質)を設定すると、
本当の現実(客体の動向)に到達するために感覚の裏側を探らなければならないので、
オペレーションがたいへん複雑になるのです。
客体(物質)はそれ固有の原理、法則(物理学などの自然科学の法則)で動いているので、
法則に合わないオペレーションは不可能です。
したがって、どんなにがんばって調査し、原因を追究しても、できることには限界があります。
そもそも「宇宙を操縦する、オペレーションする」というのは、
物質(客体)を想定していない非3次元ぽい言いかたで、
物質(客体)が「ある」のなら、「現実に対応する」と言ったほうが妥当でしょう。
現実とは最終的には物質(客体)のことであり、対応することはできても、
それ固有の法則による限界(たとえば寿命や耐用年数など)を超えることはできないからです。

私は前回の記事で「問題が起きたときに原因を追究すると3次元に戻る」と書きました。
それは、「どうしてこの問題が起きたのだろう?」という発想をしたとたん、
感覚を物質(客体)への一次または二次反応としてとらえることになり、
自動的に「物質(客体)あり」の世界になるからです。
客体Xを考えない非3次元では、感覚に裏はありません。
なので、非3次元に行くと決めている(コミットメントしている)のであれば、
「自分に合わない感覚(“私”のものではない感覚)」は裏を探らずに手放すほうが賢明です。

ともかく、どちらを選んでもよく、どちらに出入りするのも留まるのも自由で、
優劣もありません。
ただ、客体Xを想定した世界、ザ・3次元のしくみが体験学習的にわかるのは、
ここから出て行くときだけです。
非3次元に留まっていればガイドブックで知った外国みたいな感じでしかわからないし、
3次元に留まっていれば物質(客体)の存在にリアリティがあるので、
想定だの統覚視点だの絵空事吹いてんじゃねえよ基本は脳だよ塩基配列だよ分子だよ、
ということになって、思考の構造体としての3次元世界は見えません。
これは3次元がおバカな世界だからではなく、
「物質(客体)は実在する」ことが大前提のお約束だから。
3次元にリアリティがあると、
客体‐空間‐時間思考がうんたらかんたら・・・といった類の形而上話を見聞きして、
それがロジックとして理解できたとしても、
なんか、「三角形は頂点の周りの角を勘定に入れれば本当は六角形だ」とか、
「周りはひとつの平面だから周りの角はひとつとカウントする。そしたら四角形だ」とか、
落語の『時そば』の会計ゴマカシ話のようで、こじつけっぽく、腑に落ちないでしょう。
そして非3次元から3次元に入って、定着するときには、
非3次元の方法で、つまりきわめて直感的、感覚的に慣れていき、
「いつのまにか客体(物質)があるのが当たり前になっていた」、
さらには「客体(物質)がどうこうとか考えたこともない」ところまで行くので、
3次元の全体構造はわかりません。
「客体(物質)があると想定する」こと自体、
「軸をずらす(自分と対象を分離して対象のほうに決定権を譲る)」
「重たく混雑している方角に照準を合わせる」というように感覚的です。
つまり高い波動のやりかたで波動を下げていくので、いちいち考えてないのです。
でも3次元から出て行くときは、複雑さや困難さに慣れた状態から単純なほうに移るので、
高い波動のやりかたをとり戻しつつ波動を上げていく過程で、
「高い周波数の感覚と低い周波数の感覚を比較対照する」
という、高波動時代には思いつけなかった複雑なふるまいができるようになっており
(これは喩えるなら飛行しながら回転やヒネリを入れるようなワザです)、
「時間がかかると思い込んでいたんだ」とか、
「現実は思い通りにならないのが大前提だから実際思い通りにならなかったんだ。
てことは結局想定どおりじゃん」とか、いろんな形で3次元のからくりがわかるのでした。
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