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心(マインド)を3次元の枠から解放する

2024年4月8日(月)

近ごろ、自分は(常識と)ズレているのだな、と自覚するようになった。ようやく、というか。
それまでは、周囲の人、自分と接する人が何と言おうと、それはその人たちの意見であって、自分とは関係ない、
自分は自然にしているだけ、なのであんまり気にしていなかったのです。
「みけっちって変わってるよね」
「そう?」または「ふうん」あるいは曖昧に口角を上げ、心のなかでは「それは**さんの評価だよね」といったコメントをして、
秒で忘れてしまうというような。

(常識と)ズレているとはどういうことか。
それは、私、みけの統覚意識が開く宇宙の五感世界に、人間型の感覚模様をした周波数構成体が10体ある、
つまり10人の人がいるとすると、このうちの8人から9人、要はほとんどが同じような角度のところに集住しており、
対して私の意識はその集住ゾーンから90度とか110度とか、かなりズレたところに向いているということ、
心(マインド)の領域でそのように設計している、想定しているということです。
自分の心(マインド)の領域で、自分でズレをつくりだしているわけです。
ほとんどの人間型周波数構成体がCメジャーのスケール(音階)に合わせている、
でも自分の意識が自然と感じるのはGメジャーだとかAマイナーだとかっていう感じ。
そういう調整法で、「違和感を覚える奇妙な世界にドボンと飛び込んだ」という体験をつくりだしている。
こういうズレをつくっている意識のことを宇宙系とかスターシードとか異界ソウルとかなんとか呼ぶのですが、
名称は何でもよく、どうでもよく、現象として起きていることはズレがある、ズレを感じているということ。
宇宙系云々とは、心(マインド)で起きているズレ感覚を言語化した象徴的表現です。本質はズレ感覚。

このズレ、自分の意識と他の人間型周波数構成体とのちがいに対し、
「自分はポンコツだ。ダメだ」という自責的評価をする人もいれば、
反対に「あの人たちはおかしい。どうかしている」という他責的評価をする人もいる。
私の場合、ズレに対し、どんな評価もしてこなかった、
というのは、自分が開く宇宙を去来する人間型周波数構成体から下される評価に興味がなく、
つまり他人が自分をどう見ているかに興味がなかったからで、
ズレていることそのものや、周囲の「変わってるよね」等の発言が気にならなかった、とはそういうことです。
私は自分基準では十分常識的で標準仕様なのです。
それは傍からすれば神取忍さんが「私は中肉中背」と言ってるようなもので、「はい?」と返したくなるかもしれないけど、
そこはどうでもいい(神取さんの中肉中背発言は『プロレス少女伝説』だったか、他のインタビュー本だったか忘れたけど、
とにかく取材にもとづく本で読みました。自分の身体感覚で中肉中背という意味だと思います)。

そんな私が一般基準、いわば世間軸の常識とのズレを自覚したのは、
2020年代に入ったくらいから、いろんな場面で、ズレのない人間型周波数構成体の方たちと話す機会が増えたからだと思います。
深い話をしたわけではなく、書類がどうした、お金はいくら、日時はいつで場所はどこ、といった用事トークだけなのですが、
先方の提案や意見の前提には「世の中的には」「通説では」「ビジネスなんだから」「われわれ庶民の感覚では」等々の
世間軸の常識があって、語彙や語調や身振りにそれが表れてくるので、
ズレのない人が考えている「ふつう」「ふつうじゃない」とはこういうものか、ということがわかり、
このものさしを持っていない私はだから「変」と評価されるわけね、ということがわかったのでした。
私が接したズレのない方たちのなかには医師とか法律家のような専門家もいましたが、
専門知識、技術のあるなしやその多少と、一般基準の常識の浸透、定着度合は関係ありませんでした。
専門家間で意見が食いちがうこともありますが、周波数(感覚、ヴァイブス)に還元すれば一般基準の常識の範囲に収まるので同じです。
たとえば、不快な感覚や生活動作の不具合があって、その原因についてA先生とB先生で意見が異なるとしても、
身体の何らかの器官や機能に問題があるとしている点ではどちらの先生も同じということです。

だからといって、ズレのない人が愚かでズレてる私が賢いわけではなく、その逆でもなく、
また波動が高いとか低いとかいうのも、実体(物)にリアリティがあるかないかというだけのことであり、
感じかたにちがいがあるというだけで、
どっちが賢いとか偉いとかいうものではない。
しかし、ズレのない人にとってたやすいことがズレてる私にはムズい、ということがあるように、
私にはたやすいことがズレのない人にはそうではない、ということがあるらしい。
自分が心(マインド)の領域で人間型周波数構成体とのズレを設計しているのを自覚すると、
そういう得手不得手があることも見えてきました。
自分の不得手分野は、もはやがんばって克服しようとは思っておらず、
いったん手放して、得意とはいわないまでもできるレベルまで宇宙にアレンジしてもらう、
もしくは得意な人に回すなど、わざわざ不得手な自分がやらなくてもすむようにしてもらうので、気にしていませんが。

ではズレのない人が不得手なこととは何か。
それは、形になっていないものや、感覚の向こうに実体(物質)があると想定した3次元の世界には存在しないものを想像することです。
想像力が実体(物質)ベースの3次元の事象に限界づけられていて、その枠内にない感覚景色を描けない。
たとえば、涼しい太陽とか太陽光、温かい氷、山とか森の空気のような軽さ、瑞々しさをもつ真水を湛えた海、
重力を自在に設定できる空間(壁や天井や空中を歩くことができる)、オウムやインコのように人間言語を学習する植物、
自分という意識はあるけど五感的感覚(身体)はない、でも人間型周波数構成体(他の人)との意思疎通はできている世界、
地中に地上と似た、しかし微妙にちがう景色が広がる世界、そして地中の人にとっては地上が地中とされている、などなど。
あと、死後世界も過去世も未来世もなく、自分という一人称意識がどこかの場面にフェイドイン、
たとえば小学校低学年の教室で机を前に座っている、と、それ以前の記憶がなんやかや全部できあがっている、とか。
自分は女子だから男子の自分を想像したことがない、想像できないとか(まして両性体とか無性体など完全圏外)、
今とちがう環境にいる(たとえば外国で生まれ育っていた場合など)自分は考えられないという人すらいらっしゃいました。
想像力が3次元の原理や法則で枠づけされていると、
その枠を超える発想が出てこないし、枠から出られません。

3次元の原理や法則で枠づけされている、枠外、圏外の「感じ」が描けないというのは、
心(マインド)の「現実」の広さや深さがそこまで制限されている、つまり心(マインド)の現実が固いということなので、
「あかん、八方塞がりだ」と思ってしまうと、八方以外の方向の開いているルートが見えないし、
またちょっとした行き詰まりで八方塞がりになりやすいんですね。
引き寄せも起きにくいし、「これ塞がりじゃなくて垂直にアゲられるやつ」といったポジ転発想も出てきにくいし、
経験知を超える直感も感じにくい。
そもそも3次元世界では引き寄せだのポジ転だのはありえないことになっているし、直感はあてにならないしね。
で、枠づけされていると、枠からはみ出すような構想や仮説には否定的オチをつけがちなんですね。
永遠に生きられたら退屈して不幸になるだろうとか、世代交代がないと文化や文明が更新されず閉塞してしまうとか、
困難やストレスがなかったら成長しないとか、そういう寓話っぽいやつ。それ、それが枠なんですってば。
そもそもすでに永遠に生きている(自分という意識が認識しかつ存在している)かもしれないのに。

もっとも涼しい太陽だのしゃべる植物だのフェイドインだの、漫画や小説のネタにするのならともかく生活には関係ないし、
引き寄せだのポジ転だの、その種のオカルトはいらない、私は当たり前の人生を当たり前に生きていきます、というのなら、
それで全然OKだし、それは愚かなことでも賢いことでもなくそういう方針だというだけです。
ズレてない人と交流してわかったのは、彼女ら彼らは感じ手意識(統覚意識)としての自分がどうの、
宇宙が、次元がどうした、などということにはてんで興味がなく、
実体(物質)の状況や変化にどう対処するかということが、怖れと警戒をベースとした最大の関心事だということ、
生老病死や不本意な境遇を諦めて受け入れつつ、なるべく楽しく快適に暮らそうと努力しているということです。
なので、私はこの方たちに自分のデムパ講釈を開陳するつもりはありません。
興味がなくてもいいし、羽化や開花のように時機がくればその種のコンテンツと出合うかもしれないし。

ところで、心(マインド)を3次元の原理や法則にもとづく枠から解放するのに有効なのは、
瞑想と、アートに親しむことです。
私の経験では、瞑想をベースにしてアートに親しむのがいいと思います。
なぜ瞑想をベースにするのかというと、瞑想は、瞑想の最中に何か神秘体験みたいなことがなくても、
つづけているうちに徐々に枠が弛み、はずれていき、あるとき超心の領域(高次)へと吹き抜けて無窮になる、
そのプロセスが無理なく徐々に進むから。
そして琴線に触れるアートのジャンルやレパートリーが広がるから。
アートはビジュアルでも音楽でも文芸でも工芸でもファッションでも何でもいいんですが、
これぞ自分の鉄板と思っているものって案外3次元の実体(物質)発想に絡めとられた感じかたをしている
(と、枠がはずれると気づく)ことがあります。
それが瞑想によって解(ほど)かれると、感じかたが変わったり、組み換えや再構成が起きたりして、
琴線の振動数が上がるわけ。
そのうち、アートとかサイエンスとか実用ものとかの仕切りもどうでもよくなり、
一般的にはスルーされるもの、向かいの家の煤けた屋根瓦とか、自宅の玄関のドアノブとか、
ゴミ置き場のゴミの積まれかた、人の話し声や生活音とかに感興を覚えたりも。
未だ形や言葉にならない感覚すなわち瞑想がベースにあると、
何でもいい、どうでもいいという構えは諦念ではなく、創造の基礎になります。ワクワクのもと。
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  1. 2024/04/08(月) 15:35:56|
  2. 三毛猫亭日乗
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

自分軸でなく世間軸で生きてる人に合わせる必要ナッシング

自分が見ているこの世界=自分専用ネトゲ と気づいていない人に合わせる必要ないと思うwww
  1. URL |
  2. 2024/04/11(木) 02:34:01 |
  3. ズレてても いいじゃないか にんげんだもの みつを #mQop/nM.
  4. [ 編集 ]

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