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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

現代の哲学とか

2023.4.9(日)

21世紀に入ってからの西洋哲学の流れを解説した本を2冊読んだ。
『いま世界の哲学者が考えていること』(朝日文庫)と、『ポスト・ヒューマニズム』(NHK出版新書)で、
どちらも著者は岡本裕一朗氏である。
構造主義とか脱構築とかポストモダンとか、あのあと哲学ってどうなったの? という話で、
カント以後の、世界と向き合い世界を生きる的な、不要不急に視野の広がった「人間」をやめようぜ派
(思弁的実在論、加速主義)とか、
いやいや、物質の視点や他者の視点や私の空想妄想を視野に収め統合した「人間」の時代はむしろこれからだ、
という説(新実在論、新実存主義)なんかを紹介している。
で、仮説的、思考実験的に人間がどうのこうの、と構想したり議論したりしている間に、
コンピュータやバイオのテクノロジーがめちゃ進歩して、
人間を成り立たせているスペックが生物学レベルから揺れはじめ、
人間がホモ・サピエンスという種の枠から出るかもしれないという感触もリアルになってきたという。

人間を含めた生物が、0(OFF)と1(ON)の明滅、そのテンポやリズムのような信号的なものに還元されるという予感は、
電脳や電気羊がどうとか言っていた1980年代にすでにあったので、とくに驚きはないし、怖さもない。
SF風に想像されていたああいうのがリアルワールドに降りてきたんだな、という感じ。
一方で、人類がサードアイの開けた視野の広い「人間」だったことなんか一度もなく、
いつの時代も用事に忙殺され天災人災を怖れ欲望に振り回されてきた野蛮人だったのだから、
近代哲学が夢みた「人間」はむしろこれから実装されるべきでしょ、という主張もわかる。

それはそれとして、どちらの本にも、終わりのほうに近年の新型コロナウイルス感染症の件が出てくるんだけども、
パンデミックとか、バイオテクを使ったワクチンを接種して感染を予防しようとか、
そうした公式見解をいずれの哲学者氏も疑っていないということに、私は驚愕した。
哲学界だけではない、この2冊ではない別の時事評論本をざっくり見たところ、
社会学の人もそうだし、文化人系、アート系の人たちもそう。私の知った限りではみんな公式見解前提。
文科系で、公式見解に対し、ちがうだろ、って言ってるのはゴーマニストの小林よしのり氏くらい。
私の周囲は全然パンデミクってなかったし、
初回のワクチンを打った豹専務(同居人)がくも膜下出血で入院したので(その後回復。以後接種せず)、
私のなかではワクチンは有害確定。
もっともワクチンのリキがどうであれ、私は最初から接種しないつもりだったけど。コロナべつに怖くないから。
でも、公式見解がまちがっていて、それを見抜けないことにびっくりした、というのではなく、
パンデミックとワクチン有効説に関しては、頭のいい人たちのうち誰も異をさしはさんでいない、
というか自明であるかのごとく、以下同文的に肯定されちゃってることに違和感があったのだ。
もっといろんな意見があるんじゃないかと思っていた。
それとも「公式見解に疑いを抱く=反ワクチン=陰謀論の人」で、
陰謀論というのはプロレス的なお約束にもとづく趣味の世界なんだから、
オタクの人たちだけで分をわきまえて語っててください、領域侵犯しませんから、ってことなのか?

2020年に緊急事態宣言が出る前までは、医師や生物系の研究者のなかには、
コロナ感染症の流行は「きわめて危険」だという説の人と、「そうでもない」説の人がいたように思う。
また、これはあとから知ったことだが、21年にワクチン接種がはじまる前までは、
ワクチンのリスクについて語ることはタブーではなかった。
しかし21年4月ごろからワクチン接種がはじまると、
①新型コロナは危険な感染症で、世界中で流行している(パンデミック)。
②①を食い止めるために急ピッチで開発され緊急承認された新型ワクチンは感染予防に有効で、副作用は少ない。
①を止めるために、できるだけ多くの人がワクチンを接種するのが望ましい。
という公式見解一辺倒になってしまった。
公式見解に反する見解は大きなメディアでは報道されなかったし、ユーチューブ動画などネットにも情報統制が入った。
①②は2022年に重症化率や死亡率の低いウイルスが蔓延するまでは、世界各国の公式見解だった。
22年以後、海外ではワクチン推進策を止めたのだが、なぜか日本ではつづいていて、
努力義務ではあるが強制はしない定期接種へと軟着陸させていこうとしている。

この2020~23年の間、公式見解の是非をめぐる意見は、

<推進・賛成派>
政府の推進施策担当者、理系の専門家(医師、研究者など)、接種に賛成の一般人
    vs.
<中止・反対派>
理系の専門家(医師、研究者など)、ワクチン被害の当事者、接種に反対の一般人

という構図でたたかわされてきており、ざっくりいって、理系の専門家間で意見が割れているわけです。
で、推進派の専門家の意見は政府の施策の根拠となっており、こちらがメディアで広報されて多数派となり、
一般に浸透して、「良識」となった観がある。
一方、中止派の専門家の意見は専門家全体のなかでは少数派であり、
書籍やネットから彼らの情報を得た、やはり少数派の反対派一般人にとっての理論的根拠となった。
そして、どちらの少数派も、ワクチン推進という「良識」に反する歪んだ輩とみなされ、
陰謀論やフェイクニュースとも結びつけられて、中傷されたり、コミュニティから排除されたりしてきた。
そうこうするうちに、ワクチンの副作用を被ったり、身近で副作用症状を目の当たりにした人の数は増加し、
2021年以降、大きな自然災害があった年よりも死亡数が増えているという事実が積み上がりつつある。

というわけで、意見が割れているのは理系の専門家と一般人であり、
非理系の発信者は、よしりんとか、医療ジャーナリストの鳥集徹氏とか、ごくひと握りの人たちを除いて、
おおむね公式見解を疑問なく受け入れているかに見えるのです。
私は、コロナワクチンの安全性、有効性が疑われるような事実が、死亡例や後遺症例という形で出てきても、
政府が推進策を撤回しないことに強い違和感を覚えたけれども、
この非理系の研究者、ジャーナリスト、作家、アーティストなどの公式見解に沿ったまとまりかたも不可解に感じます。
それは、非理系の著名人が、政府やグローバル資本や、それらをまとめているらしいラスポス的な人や団体に
取り込まれていたり、肩入れしているからではなく、そんなロマンチックな理由によるのではなく、
 自分 ∈ 人類 ⊂ 動物 ⊂ 生物 ⊂ 物質
と考えていて、自分を含めてどんな存在も物質からなり、
物質としての生物、動物、人類、自分といった物質性については、そのしくみがあまりにも複雑なので、
理系の専門家に任せる、という思考態勢になっているせいではないかと思う。
理系の専門家に任せるということは、詳しいところまでは立ち入れないので専門家の研究成果を信用する、
専門家間で成立した定説にしたがう、ということで、
定説にしたがうとは、あとで変わる可能性はあるとしても、当座、多数の専門家に受け入れられている説にしたがう
ということです。
政府やWHOなどの組織の公式見解というものは、定説(多数派)にもとづいて成立するので、
定説にしたがうという態勢は公式見解を受け入れることにつながります。
じつは、ある学説が定説になり、定説から公式見解ができるプロセスで、
研究費の多寡とか、出資者の意図とか、専門家・団体間の競争や確執、技術の権利関係、ときには軍事機密、といった
生々しい利害事情がからんできて、それらが建設的な方向に作用するにせよ、歪んだ方向に流れるにせよ、
この段階で揺れたり揉めたりするのですが、
いったん定説化、公式見解化すると、最終結果だけがきれいにまとめられて流布していき、
水面下のドロドロは関係者だけが知る裏話になる。
すべての現象は物質とそのふるまいから生じる、物質だけはごまかしようのない絶対的な現実だ、という観念は、
理系の研究にはごまかしが利かない、理系の研究成果にバイアスはないという誤解につながります。
つまり、非理系の研究者、ジャーナリスト、作家、アーティストなどが
①パンデミック、②ワクチンは安全、有効だから、接種するのが望ましい、という公式見解を了解したのは、
自然科学はウソをつかないという素朴な思い込みにもとづき、①②を信用したから、
というのが私の個人的見解です。

すべての現象は物質とそのふるまいから生じる、と考えるのはもちろん自由です。
理系の研究者や製品開発者であれば、少なくとも仕事のうえではそういう考えを前提にしているでしょう。
また私の見たところ、この考えは常識として広く一般に行き渡っているようです。
でも、哲学や文学や芸術の人たちは、物質を必要条件としてもいいけど、しなくてもべつにいいんじゃないでしょうか。
自分の感覚(観測機器を使ったときの感覚も含める)を介さずに感覚の向こうに物質が実在することをたしかめることは
できないし、したがって物質のあるなしは不明だし。
不明なのに「ある」を前提にできるのなら、「ない」を前提にしてもいいわけだし。
「鉛筆が見える」と「鉛筆がある」は別のことです。見えるからといって、あるとは限らない。
鉛筆が見えて、使えていても、それらは見たりさわったりしているという感覚の束にすぎないかもしれない。
また、自分は生まれたことを憶えていないし、死は未経験だから、生まれておらず死にもしないのかもしれない。
記憶というのも事実とは限らず、そもそも事実はいつでも存在しないのかもしれない(※)。
他人は誕生したり、不可逆に活動停止(死)したりするけれども、
あらゆる感覚を統覚して感じているこの意識(自分)と、さまざまな感覚の束である他者や事物というのは、
同一カテゴリーではないのかもしれない。
自分と非自分を同一カテゴリーにくくるのは、ゲームの画面とプレイヤーを混同するのと同じエラーで、
これがエラーでなくなるのは、物質の実在を前提にして、みんな同じ物質でできている、と考えたときだけである。
つまり自分も非自分も画面のなかの登場人物で、
ゲームの機器やプログラム(物質と物質の法則)が自動ピアノのようにゲームをプレイしていると考えたときだけである。
このときのゲームの機器やプログラムというのが、感覚の向こうに想定された「実体」で、
一般的には物質(ハード)とその法則(ソフト)だけど、神(ハード)と神学的な体系(ソフト)、
霊的存在(ハード)と霊的原理(ソフト)を想定することもできる。
・・などなど、物質なしに全現象が起きると考えても、とくに支障はない。
※そのときどきに自分が感じる五感的感覚からなる場面には前後がなく物語化していないので、
前後があって物語化した思考を事実とするならば、五感的感覚からなる場面は事実ではない、という意味。


なお、「私は脳ではない(byマルクス・ガブリエル)」とは、
「私」とは、物質(脳が統括する身体)の私、他人から見た私、自分から見た私、ある役割や立場にいる私、
空想上妄想上の私、などなど、さまざまな私の統合体であって、「脳=私」ではない、
脳を保存したり、脳の信号情報を記録して入力可能にすれば私は生きつづけるとか、そういうことじゃない、という意味です。
でも脳がなくても「私」は存在するとは言っていない。
「私」は、また自分でなくても誰であっても、物質に還元されない、
けど物質は「私」や誰彼が存在するための必要条件だということです。
自分は身体を使って生きているけども、それだけじゃない、心があり、魂があり、みたいな。
なんかきわめて常識的な感性に合致した考えかただと思えますが、
そんなよくある考えかたを哲学として思考し論じなければならないほど、
テクノロジーの進展が急激でやばいってことなのかもしれません。
しかし、物質(脳が統括する身体)を「私」あるいは人間の必要条件とした場合、
「脳の私」というのは、自分ではわからないんですね。
医学や生物学や化学などの理系の研究成果を信用し、さらには、自分で一次情報に当たれるわけではないので、
研究成果を要約した報道や関係機関のサイト情報を信用するしかない。
なので、「私」の必要条件であり基礎といってもいいかもしれない「脳の私」には、
理系の偽装情報や誇大広報、ハッタリとかに引っかかりやすいという脆弱性があります。
のみならず心や魂の「私」だって、人間関係の都合や権威者の意見などによって日和ったりブレたりするかもしれません。
結局、物質とそのふるまいが全現象を決定すると想定する、
すなわち「私」を物質に還元したり、物質を「私」の必要条件とすると、
適切な判断をするためには物質でできた環境から情報収集しなければならず、
誤情報や選択ミスによって不本意な決定をしてしまうかもしれないという不安定さが、
「脳(物質)の私」を筆頭に、どんな「私」にもつきまとってきます。

学問の人もアートの人もネット系のインフルエンサーも、何やかや発信している人の多くは、
自分も他人も動植物も細胞とかDNAとか、もっと遡って分子、原子、素粒子でできていると信じているらしい。
ほんとにそれ実感すんのかリアリティあんのか!? と、訊いてみたい。
まあ、そう思うのはその人たちの自由だけど、
私にとっては細胞もDNAも素粒子も、チャクラや経絡と同じくくりのイメージツールなので、
物質派の先生方の説法は物質神学の体系内の話として聞いておかないと自分が路頭に迷うぞ、と思った。

「五感や思いを感じているこの意識(自分)と他者を含む環境(非自分)は別カテゴリーだ」というのは、
この記事を書いている最中に湧いた発想で、
自分のなかで言語化できていなかった他者の位置づけがはっきりした感じがする。すっきり。

<本のデータ>
書名/いま世界の哲学者が考えていること
著者/岡本 裕一朗(おかもと ゆういちろう)
発行所/朝日新聞出版(朝日文庫 お88-1)
発行年月日/2023年2月7日
価格/900円+税 キンドル版1,426円(税込)

書名/ポスト・ヒューマニズム
副題/テクノロジー時代の哲学入門
著者/岡本 裕一朗(おかもと ゆういちろう)
発行所/NHK出版(NHK出版新書 664)
発行年月日/2021年10月10日
価格/880円+税 キンドル版871円(税込)
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  1. 2023/04/09(日) 14:20:13|
  2. ひみつの閉架書庫
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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  1. |
  2. 2023/04/11(火) 14:20:26 |
  3. #
  4. [ 編集 ]

ひみつのコメントをくださった方へ

西洋系の哲学者のなかに、
超能力や霊能力が漏れ出ちゃう人がいるといいのに、と思ったりします。
心理学のユングのような。
大昔ならソクラテスとかプロティノスのようにデムパゆんゆんでもOKだったのにね。
哲学もスピも帯に短くたすきに長いって感じなので、
自分でやるしかないようです。
お互い励みましょう(って何に?)。
  1. URL |
  2. 2023/04/12(水) 13:32:02 |
  3. みけ #X4YsqK5w
  4. [ 編集 ]

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