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ドリーム。

「誰でも死ぬ」は仮説のひとつ

2023.3.12(日)

昨秋ごろ、意識が途切れたあとは何もなかった、という臨死体験動画を二本見ました。
ひとりは交通事故で救急搬送された男性で、ぐるり四方「まっ白だった」、
もうひとりは突然の心臓発作で重体になった男性で、あたり一面「まっ暗だった」と。
白と黒のちがいはあっても、要するに何もなかった、走馬灯も光のトンネルも花畑もなかったということです。
ただ、まっ白やまっ暗を見ているというか認識している意識はあったとのこと。

おふたりとも生還されているので、どちらの話も、数ある臨死体験談話のひとつということになります。
臨死体験談は、生きて戻った人が自分の記憶にもとづいて臨死中のようすを語ったものなので、
死後の世界の存在やそのありさまを保証してはいません。
まっ白説とまっ暗説は、むしろ死後の世界がないことを裏づけていそうですが、
どちらも生還者によって語られた臨死体験談話ですから、死後の世界がないことを証明してはいません。
が、私には走馬灯や光のトンネルや花畑が出てくる話よりも本当らしく感じられました。
というかむしろ、まっ白ないしまっ暗のほうに今の(生前の)生活との地つづき感を感じます。

また記憶とは、再現前感をともなって想起されるイメージ情景などであり、
「かつてあった事実である」というリアリティは思考であって事実ではありません。
五感の景色は、そうした記憶情景と一致していないし、記憶情景を含んでもいませんから。
「かつてあった事実」は、五感の景色が過去から未来へと連続的に推移するとか、
前後の因果関係を前提条件として仮定したときだけ導き出せる見解です。
つまり、五感の向こうに五感のもとになる実体(物質)があって、その実体が連続的に広がり推移する、
と想定したときだけ、再現前感をともなうイメージ情景などが「事実」として再現前感なしのイメージ情景などとは区別され、
事物や他の談話などと照合される証拠構成もできるようになる。
五感の向こうに実体を想定した世界を私は3次元と呼んでいるので、
ある記憶が「事実」にもとづくか否かは、世界が3次元であるときだけ問題になるということです。
臨死体験の記憶が「事実」にもとづいているか? という疑問は、3次元でだけ成立する問いの立てかたです。
3次元の枠をはずしたときには、その談話にリアリティを感じるか? という問いかたになります。

死とは、活動していた他人や動物が動かなくなったり、植物が枯れたといった外観をさす言葉です。
活動停止は不可逆で、そのままにしておくと硬くなり、それから崩れて(腐敗して)いきます。
なので、人や伴侶動物の場合は埋めたり燃やしたりします。
いずれも他者を観察してわかるようすであり、
自分の動かなくなった姿、埋められたり燃やされたりするところなどは、自分で観察できません。
なので、他者の死に自分を重ね、「自分もやがてああなるのだな」と想像して、
自分も死ぬのだとか、人みな死ぬのだと思うわけです。
五感の向こうに実体(物質)を想定して3次元世界を立ち上げていると、
我も誰彼もみな物質(身体)で物理法則にしたがう、ということになるので、
上述のような他者との重ね合わせ想像が可能になります。
他者に起きたことに自分の未来を重ねようが重ねまいが、ともかく、死は他者の描写です。
自分が不可逆に動かなくなったところは、想像することはできても、観察はできません。
それどころか、私が人から聞いた限りでは、不可逆に動かなくなるはるか手前で観察できなくなるようです。
クルマがぶつかってきて、自分が空中に飛び、そこから先は憶えておらず、気がついたら病院のベッドに寝ていた、とか。
私の同居人の豹専務は、2021年夏、コロナワクチン接種後にくも膜下出血で入院しましたが、
彼女も、救急車に乗っていたときや(会話はできる状態だった)、手術の前後は憶えていないと言っていました。
手術の翌日には私にスマホで電話しているのですが、それも憶えていないとのこと。
手術後の記憶は病院のベッドで重湯を飲んでいるところからはじまっています。

他者が不可逆に動かなくなった状態(死)に自分やその他者以外の他者を重ねて想像することによって
「人は誰でも死ぬ」と一般化せず、
自分の観察視点から観察できるありさまだけが確実に把握できることだとして、そこに踏みとどまれば、
観察視点である自分は死にません。というか死ねません。
死が他者の状態を観察した結果であり、
自分が不可逆に動けなくなったところ(死)を観察できない以上、
自分は自分の死を体験できないことになるからです。
五感の向こうに実体(物質)を想定し、我も誰彼もみな物質(身体)で物理法則にしたがうことを大前提にして
情報を集めたり考えたりするのは、いちいち自覚しないくらい当たり前になっており、癖になっているので、
「自分は死なない」なんてアキレスと亀風味の詭弁と思えるかもしれませんが、
大前提をはずして、自分をただの視点に戻せば、実際そうです。
実際に起きていることは、観察できる五感の景色や思いがあれこれ去来している、それだけ。

死後の世界は存在するか? という問いを、
霊魂や、霊魂が行きつく別世界は存在するのか? という存在論ではなく、
死と呼ばれる状態に至ったあとも意識は保たれるのか? という認識論的な問いにすれば、
それほど荒唐無稽ではありません。
保たれるとすればどんな感じなのか。何かが見えたり聞こえたり、何かをさわったりするのか。
しかし死は不可逆に動かなくなった他者の外観を表す言葉ないし概念なので、
外に表れない意識が残るのかどうかはわかりません。
どころか、他者に意識があるのかどうかすら、本当はわかりません。
他者にも自分と同じような意識があると想像することはできますが。
この想像は、自分も他者も物質の法則にしたがう身体であり、同じ構造としくみをもった別々の個体である、
という3次元構想を前提に描かれます。
では自分の意識を問題にする場合はどうか。
3次元構想によらない自分は「死なない」ので、「死後」もありえません。
が、この意識が不可逆にぱったり途絶えることはあるか? と問うことはできるでしょう。
再現前感をともなって想起されるイメージ情景すなわち記憶によると、
①夢を見ないで眠っているときと、②もの心つく前は、意識がないときと考えられます。
この①②の記憶は、意識が不可逆にぱったり途絶えた状態がどんなものかを推測する材料になるかと思います。
しかし、①は目覚めとともに意識がはじまるので不可逆ではないし、
②については、もの心ついて以来ずっと意識がつづいているので、再体験することはありません。
しかも①も②も記憶情景なので、ぱったり途絶えた状態が①②のようなものなのかはわかりません。
そもそも「不可逆にぱったり途絶える」という場面設定自体が①②からの連想です。

結論。
他者の意識の有無はわからない。
仮にあるとしても、他者の死後(不可逆に動かなくなったあと)も意識が残るかどうかはわからない。
残るとすると、残った意識がどんな経験をするのかはわからないし、
残らないとすれば、それは自分の意識が不可逆に途絶えた状態と同じなのかどうか、それもわからない。
自分の意識があるときぱったりと不可逆に途絶えるかどうかはわからない。
途絶えることがないとすると、この意識がどうつづいていくのか、どこかで跳躍的な変化があるのかどうか、わからないし、
どこかで途絶えるとすると、それが記憶にある睡眠中やもの心つく以前の状態と似ているかそうでないかもわからない。

ただし、五感の向こうに実体(物質)を想定する3次元構想にしたがって「意識は物質(身体器官)から生じる」と考えれば、
他者についても自分についても、仮想した物質(身体)の身体としての不可逆的機能停止が死であり、
死を境に意識はなくなる(生体反応の停止イコール意識の消失)とすることができます。
つまり「誰しも死ぬ」「死んだら無感覚になる」と。
これは広く一般的に受け入れられている常識的な考えかたですが、
実体(物質)の想定にはじまって、実体(物質)固有の法則の想定、意識が実体(物質)に由来するという想定、と、
いくつもの「もし~なら」という想定で構築した仮説です。

「誰しも死ぬ」「死んだら無感覚になる」というあのおなじみの常識が仮説なら、
これ以外の答もすべて仮説です。

正解はわからないので。
この「わからない」は、自然科学が進歩していけばいずれわかるけど今はまだ未知というのではなく、
「五感の向こうに実体(物質)があるか、ないか」というのと同じように原理的にわからないのです。
実体(物質)の有無が原理的にわからないのは、
観測機器なども含め五感を介さずに実体(物質)の有無をたしかめることは誰にもできないからです。
死後の世界の有無すなわち死後の意識の継続の有無については、
死とは他者の様態をさすのであり、その他者の意識がたしかめられないこと、
自分の意識の推移もたしかめられないことにより、原理的に確認できません。

原理的にわからなくても、
「五感の向こうに実体(物質)がある」とか「意識は物質(身体器官)から生じる」といった想定はできる、
するとその想定にもとづいた世界が開いてくる、
だとすると、「実体(物質)はない」と想定することもできるし、
「誰しも死ぬ」「死んだら無感覚になる」以外の仮説も立てられることになります。

他者の活動の不可逆的停止(死)についても、
他者を統一体として観察することを可能にしていた何らかのしくみの統合が解けた状態で、
何かが消滅するわけではないのだから、「死」ではなく「解体」「解散」のような表現をしたほうがいい、
と考えることもできるでしょう。
「何らかのしくみ」はチャクラやスシュムナー管でも、経絡や経穴でも、
タンパク質などの有機化学成分や細菌やウイルスでもいい。
いずれも五感の世界ではなく、マインドの世界でつくられる概念です。
あるいは、他者に「誰々さん」という統一的意味を与えていたのは自分であり、
というか自分のマインドにあるキャラ像(さまざまなイメージの束)を誰々さんの外観に被せていたのであり、
誰々さんの活動の不可逆的停止を、そのキャラ像と外観との重なりが解けた状態とすることもできます。
または、単純に「私の世界像が変化した」とすることもできるでしょう。

あるとき、四方がまっ白になっていても、まっ暗になっていても、光のトンネルや花畑が見えても、
どれもありです。
一般常識でいう生死にかかわることに限らず、どんなことであれ、起きることはすべて自作自演で、
心で前提にしている想定図が、それに沿った五感世界として具体化します。

では、私の想定図はどうなっているのか。
私の宇宙では、自分の意識が不可逆に途絶える(死ぬ)ことはなく、したがって反対に生じる(生まれる)こともなく、
ホワイトアウトまたはブラックアウトをはさみながら、ずっとつづいていきます。

 ・・・自分(A) ―まっ白かまっ暗→ 自分(B) ―まっ白かまっ暗→ 自分(C)・・・という具合。

ただし、まっ白かまっ暗のあと、記憶という形をとるAのリアリティを整理するトランジット期間が入る場合もあります。
カッコ内のABCは、それぞれ別世界です。
たとえばBで教わる歴史は、AやCで教わる歴史とはちがいます。
Bで教わる徳川幕府は、Aでは織田幕府、Cでは幕府は存在せずスペインの植民地かもしれません。
物理学や数学、言語、生物のしくみ、人間以外の生物の種類なども、全然ちがうかもしれません。
しかし自分というこの意識は一貫して変わらず、何もしなければ周波数(感じかた)はそのままです。
「五感の向こうに実体(物質)がある」「意識は物質(身体)から生じる」「全現象は実体(物質)の法則で決まる」
「自分という意識は物質(身体)から生じるから、自分の運命を決定するのは究極には物質の法則である」
といった3次元の世界観のリアリティ、本当らしさが受け継がれていれば、
ABCそれぞれの世界で「私は、生まれて、成長して、老いて、死ぬ」と思い込んで「人生」を歩んでいきます。
人物の見た目や性別、境遇などは変わりますが、周波数(感じかた)が変わらなければ、
フェイドインした世界でも似たようなキャラクターを形成します。
コンテンツが変わっても同じプログラムで動いているという感じ。
一般的な輪廻転生説とちがうのは、
生まれた赤ん坊に魂が入るとか、個体(乳児)と自分(意識)が一対一で対応するのではなく、
自分という意識を中心とする世界ごと様変わりするという点です。
なので、私は「転生」ではなく「(3次元への)再接地」とか「(3次元への)再接続」と呼んでいます。
Bにフェイドインするとき、3次元でいうところのAの「事実」は記憶という形で引き継がれませんが、
それは3次元をつくる思考にはAの「人生」とBの「人生」がリンクするという発想がないためです。
しかし周波数(感じかた)というプログラムは引き継がれるので、これが変わらなければ、
Aで抱えている問題がAをやっている間にAの終わりだと思っている「死」で解消することはありません。
覚醒とか悟り、もしくはセルフアセンションと呼ばれているのは、
3次元世界を延々繰り返し開いていくというこのループを止めることです。

五感の向こうに実体(物質)はなく、五感も思いも感じること(認識)によってつくられる波紋絵なのだとわかり、
全現象を高次、マインド、五感の多層波紋絵(感覚模様)としてとらえる、
このとらえかたに実感がもてるようになって、実体(物質)を想定したほうにむしろ違和感を覚えるようになると、
ループは終わります。
すると、自分が認識し創造している多層世界(多次元あるいは汎次元宇宙)は、
次のような構成になります。

 ゼロポイントフィールド
     ↓
 「自分(私)」という一人称の認識装置ができる
     ↓
 「自分(私)」を使って開く世界α(心を超えた高次の世界)
     ↓
 αが具体的になった世界a(マインド、心の世界)
     ↓
 aがさらに具体的になった世界A(五感の世界)


ちなみにホワイトアウトまたはブラックアウトというのは、二番目の「自分という認識装置ができる」段階の意識状態です。
個別の宇宙がはじまるのはαからで、α、a、Aと下るにつれ、感覚がはっきりし、感覚像が具体的になっていきます。
α、a、Aの感覚像は波紋なので、αの波動はaに、aの波動はAに伝播する、つまり「引き寄せ」が働きます。
具体的な像に収束するとき、それ以外の他の選択可能性はなくなるので、創造のポテンシャルは下がります。
いちばん創造のポテンシャルが高いのはαで、このネタの泉は枯れることがありません。
なぜなら、Aが終わるとゼロポに還って、素材としてリサイクルされるからです。
億年、億光年単位の時空事業が終わっても、空中に次の企画書が出現します。
このように次元下降して全現象を感じるとともに創りだしていく「自分」は、全現象の認識者であり創造者です。

「自分」を軸とするこの宇宙で、Aやaの世界に現れて去っていく他者とは、
「自分」を軸とするこの宇宙にもともとある感覚(波動、周波数)の束を、形象化して表現した波紋像です。
つまり親しい人も嫌いな人も、伴侶動物も苦手な生き物も、現れる前から、そして去ったあとも、ずっとスピリットです。

「自分」がループする水平セルフ(「→」)から垂直セルフ(「↓」)になると、
部屋の景色だとか町のようすなどの表層は一見変わりませんが、
aの心の世界が劇的に変化します。
充溢しているとともに無窮に広大で、常に無限の選択肢が開かれており、根拠なくしあわせだったりワクワクしたりして、
ループ時代の自分には想像のつかない自由さがあります。
ループ時代のA、B、Cの鉄則だった「本当の現実は環境(物質)で決まる」とか「生まれて、成長して、老いて、死ぬ」
というのが、じつは手の込んだ、職人仕事的にクリテイティブな虚構だったということもわかります。
この虚構はaの心の世界でつくられるので、これがはずれることにより、aが一変するのです。
もっともループ時代には奇蹟とか不思議と感じられたことも、自然とか成り行きと感じられるようになるので、
「超」常現象とか「超」能力とか気に留めなくなります。

さて、これを書いている2023年現在、世の中にはさまざまな問題が湧出していますが、
今の「自分」がABCの「人生」のどれであれ、上手くサヴァイヴァルすることを目的にしていると、
ループから出ることはできません。といってべつに出なくてもいいのですが。
しかし何かの問題をきっかけにして、問題をaの心の世界で自作していることに気づけば、そこが出口になります。
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  1. 2023/03/12(日) 14:54:36|
  2. フィロソフィア(愛知)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<問題(困りごと)の波形 | ホーム | 直感を使う>>

コメント

こんにちは。みけさんが書いている宇宙の構成図はバシャールの本にも出てくる意識世界の構成図とほぼ同じで、自分はこの図を見るといつも「懐かしい気持ち」になります。今は忘れてるだけで本当は全部知っているんでしょうね。アセンションって思い出しのプロセスでリハビリみたいなものですものね。
  1. URL |
  2. 2023/03/12(日) 16:04:09 |
  3. あやつ #-
  4. [ 編集 ]

専務さん

いつもの豹専務さんが、みけさんバージョンの専務さんだとすると、術後telしてきたのは誰だったんでしょうね?
  1. URL |
  2. 2023/03/16(木) 11:08:56 |
  3. 27 #4ypaPSxg
  4. [ 編集 ]

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Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
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