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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

リサイクルフェアにて

2023年11月14日(火)

日曜日、地元の公共図書館で開催されたリサイクルフェアというイベントに出かけてみた。
図書館で保管し貸し出している本の一部を無償で譲渡するぜよ、という催しである。
混雑が予想されるため会場に入れる人数は制限し、並んでいる人から少しずつ室内に誘導するとのこと。
私と豹専務(同居人)は、自治体の広報誌で告知されたこの催しを半月くらい前から心に留めていて、
狩りに備えて爪とぎ、毛づくろいしていた。
にもかかわらず、当日なぜか眠くて早朝に起きられず出遅れてしまい、
もうめぼしいものは捌けてしまったかなぁ、と思いつつも散歩がてら図書館をめざした。
行列の最後尾に並び、自分の順番が来たら、係の人の案内にしたがって会場のなかに入る。
っと、そこでミラクルが起きたのよ。
部屋に入って、適当に本を平積みにしたワゴン棚にふっと目を落とした、
そこに『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ/SRF=Self-Realization Fellowship)があったのさ。
こんなことってあるのぉ!? って、あるんだね。
ちなみにこの本は2023年9月にキンドル版が出版されており、
出版社名はNPO法人ババジのクリヤヨーガ教育協会となっています。
また私が頂戴した本はペーパーバックですが、森北出版という出版社からハードカバー版が出ているようです。

内容は、著者パラマハンサ・ヨガナンダ氏の自伝を軸として、
師匠や師匠の師匠、さまざまなヨギ、聖者のエピソードを織り込んだ自伝&ヨギ列伝的なもの。
パラマハンサ・ヨガナンダ氏は、ネットで調べたところによると、マハーサマディーを成就したといわれている
20世紀のヨギです(1893年1月5日~1952年3月7日)。
マハーサマディ(大三昧)とは、瞑想しながら昇天し、二度と生まれない(輪廻しない)ことをいいます。
ヨガナンダ氏の場合、1952年3月7日、ロサンゼルスで、駐米インド大使のために晩餐会を催し、
挨拶をして去ったあと、マハーサマディに入ったという。
遺体安置所の所長によると、棺に蓋が被せられるまでの二十日間、遺体は腐敗せず、入滅直後と変わらなかったという。
そういえば『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)にも、立派な(ロシア正教の)長老の遺体は腐敗しない説
というのが出てきた。で、ゾシマ長老の遺体は腐敗しちゃったので、アリョーシャは動揺するんだよねたしか。
なんでマハーサマディ関連のことを調べたのかというと、
昨年読んだ成瀬雅春氏の『意識ヨーガ』(BABジャパン)という本にこのワードが出てきたから。
そうしたらヨーガ実践者のブログや動画で、現代でそれを成就したヨギとしてヨガナンダ氏のことが紹介されており、
参考図書として『あるヨギの自叙伝』が挙げられていたわけ。
当時は、へー、ふーん、すごいな、ってくらいで、読んでみようとまでは思いませんでしたが。
でも、マハーサマディーというワードの響きが、ニルヴァーナ、虚空蔵(漢字の並び)、愛の国ガンダーラみたいで
カッコいいと刺さってしまっていたことはたしか。
マハーサマディーとか即身仏とか復活とかって、お弟子さんや信徒さんや行者仲間のモチベ上げのために行う
利他即利己の菩薩行という気がするんですけどね。
私のガイドスピリッツは通常の移行(死)も本当はたいして変わらないって言うし、
むしろ予感や瞑想なしに突然飛ぶっていう設定の地球3次元方式が汎銀河的には稀有なんだそうだけど。
それでも地球にいる私としては、仕上げがマハーサマディーって細かいところまできれいに造作した芸術的職人仕事
という感じがしてブラヴォーと思います。

それからいくらか月日がたち、今年の夏あたりから、
『禅』(鈴木大拙/ちくま文庫)→『龍樹』(中村元/講談社学術文庫)→『般若心経・金剛般若経』
(中村元+紀野一義・訳注/岩波文庫)→『古代インドの神秘思想』(服部正明/講談社学術文庫)
という流れで、読書傾向があやかしめいていたので、
『あるヨギの自叙伝』との出合いはそのあやかし波の引き寄せだったのでせう。
2段組で550ページ以上もある分厚い本ですが、文章は非常に読みやすいです。
著者をはじめ、さまざまなヨギの写真も収録されていて楽しいよ。
今日までに50ページくらい読んでみたのですが、ムクンダ(僧団に入る前のヨガナンダ氏の本名)少年の周りは
超能力、不思議現象のオンパレードで、それがちょっと珍しい気象現象(虹とかオーロラとか)みたいなテンションで
当たり前のように描写されています。
かつての私だったら、こんなオカルト話、神様話のてんこ盛りには耐えられなったでしょうね。
けど今は、超常現象や神秘体験が「超」でも「神秘」でもなく頻出する周波数域があるんだな、というだけで、
とくにどうも思いません。いわば自分の知らない国の生活誌を読んでいるような感じです。

インドに限らずどこでも、そのような周波数域には、町内にひとりふたりくらいの割合でサイキッカーやヒーラーや覚者が
いるのでしょう。
なぜその力を国内外の社会問題や環境問題の解決に活かさないのか? という類の疑問はまったくの3次元発想で、
波動(感覚)がちがうと体験がまるごとちがうから、問題が発生する領域と覚醒領域は交わらないんですね。
当事者でも共感者でも、社会問題とはじつは個人に起こっている個人的問題であって、
問題を解決するなら、当事者や共感者が覚者の周波数域(五感のほか思いやイメージも含めた全感覚)に、
ラジオの周波数を合わせるように合わせていく、チューニングしていくしかないと思います。
てゆうか自分が覚者になるのがいちばん早いよね。
そういえばリサイクルフェアの前後に、私が「指導教官」と呼んでいる人から電話をいただき、
「個人差は宇宙差である」ということが話題になりました。
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  1. 2023/11/14(火) 15:16:27|
  2. 三毛猫亭日乗
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アーシングやってみた

2023.10.30(月)

今月は猛烈に忙しかった。
パソコンやネットでソリティアやスパイダソリティアのようなトランプ系のゲームをやっていると、
ときに、いやしばしば、不自然なほど立てつづけに終わりそうにない札が配られることがあるけど、そんな感じ。
意図的に工夫しないとこんなふうにはならないんじゃないか、というような。
というのも一個一個の用件に関連性がないからだ。
5年分くらいの偶発事がひと月に凝縮された感じ。
とくに月半ばの週末、11月に行われるはずだったマンションの植栽(実質的には植えられている木の剪定)が明日になったから、
みけっち立ち会ってね、という旨のお知らせがメールで入ってきたときは、
翌日曜午前中に会議を控えていたので、あまりのタイトさにもはや笑うしかなかった。

しかし、その樹木剪定の日、業者さんが行う剪定の補助作業として木の周囲の草を取っていたとき、
なんというか、掌、足裏、目、前頭部のへんから、妙な表現だけども気化した液体が抜けていく感覚があって、
あ、これがもしかして世に言うアーシングってやつ? と思った。
終わったあと、すっきりして疲れもなかったので、この予定挿入はむしろ宇宙が指示したヒーリングだったのかもしれない。
気化しているなら液体ではなく気体なんだけども、それはつまり軽くて目に見えないという意味で、
たとえば喉をゼリーが通過していくような流動感があったのです。
ニュルニュルニュル、みたいな、異物感的な。
そんな感覚を感じたのは私がめったに土に触れないからで、
しょっちゅう土に親しんでいれば特別な感覚などなく、いつのまにかすっきりしている、というものなのかもしれない。
頻繁に部屋を掃除していれば集まる塵も少ないけど、
めったに掃除しないとゴミがどっさり、というのにも似て。

にしても、アーシングって言葉は聞いたことあるけどよく知らないので調べてみたら、
身体と大地が直につながることをいい、砂浜や公園で裸足になったり、掌で樹木や地面に触れるのですって。
すると身体に滞留した電気が放電され、血流がよくなり、痛みや疲労などが緩和されたりするのですって。
スマホやら無線やらWiFiやら知らんけど電磁波を浴びまくってる今どきの人によいらしい。
カリフォルニアが発祥地だとか。いかにもだね。
ネットで調べて私はもっとその気になり、近所の公園を裸足で歩いてみることにした。
足拭き用のタオルを持ってサンダル履きで出向き、スタート地点でサンダルを脱いで、
サンダルとタオルを手にがしがしと園内を歩く。
うぬ。砂利やら小石やら落ちた枝やらが足裏を刺激し、ちょっと、痛い。
家に帰ってから、放電が目的なら、なにも二拍子でエイエイと歩く必要はなかったんじゃないか、
木のそばなんかでしばらく素足で立っているだけでもよかったのでは、
ていうか木の許可をもらって(←ここはオカルト)木に触れているだけでもよかったのかも、と思ったが、
このときは実験マインドで高揚していて何も考えられず、ひたすら歩いた。
高揚ついでに遊具コーナーに行って運梯もやった。

結果、植栽からあまり日がたっていないせいか、ニュルニュルというほどのデトックス実感はなかった。
でも、これも変な表現だが、ミントなしのミント感、エアミントのような清涼感が全身全方位に広がり、
ぼやけていたピントがピタッと合ったような、
ノイズが消えて音声がクリアになったような感じですっきりした。
あと、なぜか滑舌がよくなった。

私は電磁波とか、あまり気にしてこなかったけど、
それでも、強い電磁波を発する設備、機器とかの近くにいると、なんというかサイケデリックな、幻覚的な圧迫感を感じる。
2010年代の一時期、通信会社の都合で固定電話を無線にせざるをえなかったことがあって、
このときは電話を置いてある部屋の空間が微妙に歪んだように感じた。
また空気も、長いこと換気されていないかのようにホコリっぽくなった。
現在は固定電話もパソコンも有線なので、そうした奇怪な空間感はないが、
強めの電磁波なんてあちこちに飛んでいるのだから、知らず知らず帯電しているのかもしれない。
直感的に違和感を感じたら、またアーシングってやつをやってみようと思う。
気になる人は電磁波除去グッズを使うという方法もあります。
あと、スマホの「設定」をタップして出てくる機能一覧から、使わない機能をオフにするだけでもかなり変わります。
私はスマホを持たないけど、豹専務が古いiphoneを持っているので、
「フィットネストラッキング」や「ゲームセンター」をオフにする実験をさせてもらったところ、変化を実感した。

公園には保護者と小児という組み合わせのペアが二、三組いただけで、人が少なかったせいもあってか、
土や木や草花の非常な静けさが感じとれて趣深かった。
むかし、午後遅くにその公園の脇を通ったとき、高木低木が立ち並ぶ景色を一瞥して、
ほんの一瞬だけど、吸い込まれるように深い瞑想に入ったことを思い出す。
思えば植物は、栄養摂取にしても成長にしても、その存在様式はたいへん受動的なわけで、
もしなんらかの植物を入射角として統覚意識を開いていたら(もし自分が植物だったら)、
起きることを体験し尽すという点で、人間はむろん動物よりも高踏だと思う。賢者である。
冬の寒さに耐え、とか、春になれば芽吹き、とか、季節のめぐりがなんちゃら、なんというのは、
人間尺の観念から湧いた情感からくる擬人化であり、
植物にしたら瞬きや呼吸のごときものにすぎない(これも擬人化かな?)。
植物のテリトリーがどうなっているのかは知らないが、その群体意識は途轍もなく巨(おお)きく、無窮である。
動かないからとか食えるからといってナメないほうがよくってよ。
まして石とか土とかになると、もはや遺伝子も持たず、生命ですらなく、完全に受動態なわけで、聖者である。

そういえば二、三か月前、科学ものの解説動画で、近年の睡眠研究の成果について紹介されたものを見た。
それによると、睡眠中の人体の動態は植物に近く、
もし植物が生命体として基礎型に近いものだとすると、
生命体としての人間の本来の姿は起きて活動しているときではなく睡眠中なのではないか、
つまり活動に備えて眠るのではなく、睡眠こそが「本番」なんじゃないか、という説があるのだそう。
だとすると、起きているときの活動は良質な睡眠に導くための準備なわけで、
活動するほうが「充電」ということになる。
生命体ですらない石や土などどういうことになるのかな。昼夜フルタイム活動中?
とにかく、この逆転発想すごくおもしろい。
  1. 2023/10/30(月) 13:48:40|
  2. 三毛猫亭日乗
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崖を登る夢

2023.8.12(土)

小学生のころから、年に何回か、繰り返し見ていた夢があった。
目が覚めると、ああまたこれか、と思う。
三十代の後半くらいからか、その夢を見なくなった。
そして、その夢のことを、ついこのあいだまで忘れていた。

それは、大勢の人が崖を登っていく夢である。
クライミングのように、ところどころ出っ張った岩や木の根に手や足を掛けて登っていき、頂上をめざす。
自分もクライマーのひとりになって登っていることもあるし、
自分は夢に登場せず、人が登っていくのを見ているだけのこともある。

気を張って注意していないと、手か足を滑らせて、ざざざざざ、と滑り落ちてしまうこともある。
でも、滑り落ちるのは途中で止まるので、地面まで落ちることはない。
落ちたら落ちたところからやり直し。
どんなに気をつけていても、どこかでつるっ、と手か足が滑ってしまい、腹ばいの格好で何メートルか下に落ちてしまう。
さらに、上に行けば行くほど、斜め上からボールが転がってくるとか、そのボールの数が増える、
手がかりとなる岩や木の根の位置が変わってしまう、消える、
上に向かったつもりなのに、双六の「三つ戻る」みたいに、なぜか下に戻ってしまっている、
といった仕掛けがしてある。
落ちる人が増えるので、上から落ちてきた人の巻き添えを食う危険性も増す。
左右には、登っていく人、滑り落ちていく人の姿が見え、ときどき、ずずず、ざざざ、といった滑落音がする。
年齢や性別はまちまち、知っている人もいれば知らない人もいる。

この夢のなかで、崖を登っている自分から少し離れた背後に、
空中に浮いている同級生や知らない大人がいることに気づくことがある。
そこで、「ひょっとしたら手を放してもだいじょうぶなんじゃないか?」という発想ができ、
そっちに気持ちが動いて、思い切って手を放してみると、
崖から一、二メートルくらい離れて、自分も浮くことができる。
「手を放したら落ちるんじゃないか」と思えば落ちるし、「だいじょうぶなんじゃないか」と思うと浮くのだ。

空中に浮けるようになると、いろいろ自在になる。
山登りでいう七合目、八合目あたりまで空中を移動して到達することもできるし、頂上まで行くこともできる。
地面に降りたければ、ふわっと着地することもできる。
地面で、あるいは空中に浮いたまま、しばらく休憩して、クライミングを再開してもいい。
あと、浮けるようになると、重力が軽くなるのか身体が機敏になるのか、ともかく空間感が変わって、
登るのがめっちゃ楽になる。手や足を掛けるところがなくても駆け上がれてしまう。
なんだか楽しいかも?
命がけ、必死の修羅行だった崖登りが、アスレチックみたいな遊びになる。

この夢を見るたびに崖登りを遊びに変えられるとは限らない。
動きが自在になるのは調子がいいとき。
調子がいいときというのは、「あ、これはあの、例の崖登りの夢だ」と気づいているときである。
調子がよくないと、周りを見回してみる余裕がなく、浮いている人がいるらしいのにまったく目に入ってこなかったり、
力技で登ることだけに全集中していて、浮いている人が見えても無視したり、
浮くところまではできても、そこからどうしていいかわからずポカンとなってしまったりする。

今月の8日前後だったか、何のきっかけもなく、不意に、かつて定番だったこの夢のことを思い出した。
その二、三日後に、パソコンのメールを確認するついでにユーチューブを見たら、
kiranチャンネルというグループの一員としてスピ系の動画を配信しておられるyurieさんという方が、
天界からのメッセージとして、大勢の人が崖を登っていく夢を見た、とおっしゃっていて、たいへん驚いた。
ただしyurieさんの夢の崖には水が流れており、崖の下には滝つぼがあって、
一生懸命に登っていた人が力尽きて滝つぼに落ちると、滝つぼと見えていたそこがじつは楽園だった、
というオチになっている。
ご覧になりたい方は下記をどうぞ。
<ワンネスyurie(切り抜き動画)より「幸せの本質を悟りました!」(約12分)>
https://www.youtube.com/watch?v=yg-iziYOJ8M

私の崖登りの夢には、必死は必死なんだけども、なんかヘンなことをやってるな、という一抹の可笑しみがあった。
もう力をふり絞って全力で登っているのに、落ちるときはあっけなく落ちていってしまう。
自分なら無念であるし、他人ごとなら気の毒に思ったりなんとも思わなかったりするのだが、
どっちにしろプププ、といった笑いのエモーションも入っている。
崖を登っている人も、たぶん心の奥の奥の奥底では趣味でやってるんだとわかっているのだろう。
  1. 2023/08/12(土) 16:07:56|
  2. 三毛猫亭日乗
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空気が一変した話

2023.7.18(火)

先日、ある会合があった。
私と豹専務(同居人)は、この会を構成する役員になっている。
といっても株主総会とかそういうすごいのではないし、秘密結社の幹部会でもない。
今年の4月末から5月にかけて、私は会の母体となる団体の会計収支に直感的にザワつきを覚え、
収入合計から光熱費その他の固定費を差し引いて、役員の裁量で使えるお金がいくらになるかを左脳で計算し、
「マイナスじゃん。やばいんじゃないの」と警告を発したのだった。
マイナスなのに借入金など負債をつくらずにすんでいるのは、一般家庭でいう積立預金的なお金が別にあって、
そっちで補填されているからだ。これは、やむをえない場合を除き気軽に切り崩してはいけないお金なんだけど。
ために、マイナスという現状が見えにくくなっていたわけさ。
このときの計算とかレポート書きなどの作業がカルマとなって新年度の会計担当役員などに推挙されるかもしらん、
と予想していたら、やっぱりそうなった。やっぱりね。
本当のところ私には計数センスはなく、足し算引き算をまちがえるとか、887を877と入力してしまうとか、
数字の書いてある欄を一段二段飛ばして読みまちがえる、などということがしょっちゅうある。
そんな輩に、しかも中身は3次元の運営に難があり一説には発達障害に近いともいわれているスターシードなのに、
団体の会計を預けてしまってよろしいのか。しかもアルクトゥルス人だぞ。
私が宇宙連合司令官アシュタールだったら許可しない絶対に。
それに、ドキドキしたりビクビクすることはあってもワクワクすることではない。
にもかかわらず、私は敢えてこの流れを回避しなかった、いやつくったといってもいいんだけども、
それは、他のメンツとやりとりしているうちに、彼らが私の思っていた以上に会計というか簿記というかそっち方面に暗い、
その場の現金預金の出入りしか見えていない、ということが判明したからなのだった。ちょっと戦慄した。
私だって明るくはないのだけども、二等星は三等星よりも明るいという程度に、相対的に光度が高い。
私が行った作業は「監査」であって「会計」ではないんだけど、そんな説明を数分かけてしたところで
わかってもらえないことに自信がある。

で、そんなこんなで会計係となって、今年度はじめての会合に参加することとなった。
この会合は開催日の一週間前でも「今週はアレかぁ」と気が重くなるような集まりなので、
頭のなかで当日の段どり予告編(シミュレーション)を繰り返し上映したり、
過去の会合のようすやメンバーの発言を反芻しないよう心がけた。
頭のなかで動画や音声の再生ボタンを押してしまっていることに気づいたら、
ゼロポイントフィールドとつながる、もしくはゼロポイントエネルギーを流す(正確には流れていることを意識する)
ことによって手放していた。
といって何もしなかったわけではなく、ガイドスピリッツから「こういうのつくっとくとよいよ」と助言された資料は作成し、
人数分プリントアウトした。
なぜそれが自分の起案でなくガイドスピリッツからの推奨だとわかるのか証拠はあんのか? と訊かれたら証拠はないのだが、
全然ストレスがなく時間もかからずタイミングもよい、というスムーズ感で個人的にはわかるのよ。
自分が思い立ってやっていたらかなりめんどくさくてゲッソリする内容なのに、
運よくサクサクと進んで4ケタ台の得点が出るスパイダソリティア上級みたいなノリでできちゃうわけよ。
おまけに、隣家の人から一般のスーパーで買ったのではないイキのいい鶏卵を10個いただいたりとか、
処分がむずかしそうで半年くらい放置していた壊れた蓄電池を無料回収してくれる業者さんが見つかって、
引き取ってもらえたりとか、ウッキッキなことがいろいろあったのよ。

そうして迎えた会合の当日。
会の議長が、
「現金・預金出納帳に小口現金の出入りを記帳してはいけない。
現金・預金を親の収入だとすると、小口現金は子どもの小遣いに相当し、
家計簿(現預金出納帳)に小遣いの使い途を記帳していったら、
(小遣いを5千円とした場合)5千円を渡したうえにお菓子代とか文具代とか5千円の使い途を書くことになって、
支出が倍の1万円になってしまう。よってふたつの帳簿に分けてそれぞれ独立して記帳していく必要がある」
というリクツを理解できないことは無視し、
「記帳はキミにまかせるよ」という丸投げ確約だけを取る。
私の頭の隅では、落語「時そば」が絶賛上演中。
議長は本心では、現預金出納帳と小口現金出納帳をワンシートにまとめたいのだ。
それがシンプルで誰が見てもわかる帳簿だと信じている。
出納帳に現預金残高欄と小口現金残高欄のふたつを設ければワンシートにできると思うけど、
残高欄がふたつある帳簿ってキモいし誰が見てもわかりにくいからこれは提案しなかった。

団体にかかわる各方面への批判、個人攻撃はさらさらと聞き流し、
水分と栄養補給のために買ったドリンクゼリーのマスカット味にマインドフルネスで集中する。冷たーい、おいしー♪
そうこうするうちに時計の針は進み、残り時間10分となったところで転調のチャンスがきたので、議長から発言の許可を得、
用意しておいた資料を配付して、3分で説明を終えた。
ここで予期していなかった好転換が起きた。
毎年の支出費目のなかで、赤字の原因ではないけれども、それを後押ししてしまっている費目があって、
前回の会議で私がその廃止ないし凍結を提案したために、その時点ですでに沸騰していた議論がさらに炎上し、
私は会の番長(兼議長)から速射砲テンポで罵倒されまくったのであった。
その懸念の費目とは、年度末に支給されることになっているささやかな役員功労金である。
びっくりするくらいささやかではあるが、人数分となると、最新ではないiPhoneが買えるくらいの金額になる。
「功労金なしにこんな仕事やってられっか!」
「むしろ増やしてもらいたいくらいだよ」
と、前回は番長も副番長もこの功労金にいたく固執しておられたのだが(お金がどうとかよりプライドがかかってるっぽい)、
このたびはなぜか、番長自ら「功労金はなくてもいいんじゃないの」と言い出したのだ。
番長が「なくてもいい」と言えば、むしろ増額せよと主張していた副番長も番長に倣う。
さらに、今回の会合は公民館の会議室を借りて行われたのだが、
今後の集まりもファミレス等ではなく公共施設の部屋を予約して行うことになった。
会の潜在マインドのなかにいくらか予算意識、コスト意識が根づいたようである。祝。

べつにキセキが起きたわけではない。
現場にいた私としては、場の空気の一変ぶりにはまじ驚愕したけれども。
「波動が変わった」というデムパ表現がまさにぴったりで、呼吸がしやすくなった。
科学的というか心理学的にいえば、
番長と副番長が冷静になり、私の会計赤字レポートを中立に読めるようになった、
アンチ番長派だけど自分で政権運営する気概はない「監視役(自称)」おじさんのレジスタンス熱も冷めた、
それまでにいくらか時間がかかった、というだけのことだろう。
でもそれは番長の豹変に象徴される場の波動一変という結果から遡って推理できることであって、
実際には局面ごとにいくつもの選択肢があったのだ。
役員ではない団体メンバーから意見、情報を収集するとか、
今年度から参加した新人役員に事前に(議長が番長化しているという)現状を説明しておくとか、
ネットや経済雑誌などからもっと客観データを収集してレポートを補強するとか。
真面目で、一般常識をふまえた思考をする人ならそうしたかもしれないし、
私も、やろうと思えばこんなこともあんなこともできると、頭のなかでアイデアを並べていた。
けど、なんかピンとこなかったんだよね。
あーこれ! すっごいワクワクする、どうなるの、やってみたい!っていう案じゃなかった。
だから、ガイドスピリッツから推奨された資料作成以外、何もしなかった。
今回の件での個人的収穫ポイントは「パフォーマンスは最小に(ゼロが最良)」。

見えて、さわれて、味わえるような五感世界には、(困りごとという意味での)問題は存在しません。
問題となるには、こうなってああなってという「経過(時間)」や、ここであそこでという「広がりや内部(空間)」が必要、
つまり来し方行く末という、前後に伸びた連続時空が必要だけど、
五感世界には来し方も行く末もなく、端的に五感的感覚しかないからです。
問題が作成されるのは常に頭のなかや心のなか。
頭のなかや心のなか、つまりマインドの世界のことなので、どういう筋にもできるし、筋の書き換えもできます。
そこで、ピントの合わない感覚(周波数)すなわち自分からズレた感覚(周波数)をわざわざ留めて問題にまとめあげる
こともできるし、ズレた感覚をスルーしたり手放したりして、ピタッとピントの合う感覚をキープすることもできます。
ちなみにマインドの世界の「感覚(波動)」とは、思い、筋道のある思考、想像、感情、気分などのことです。
自分からズレた感覚(防御強迫、行動強迫など)にわざわざ着目して問題を作出することを、
最近、私のガイドスピリッツは「3次元にコミットする」と言っています。
「あんた、3次元にコミットしてるよ?」とかって指摘してくるわけ。
で、いったん問題をつくりだすと、まるで磁場ができたように問題フィールド内に捕えられるので、
ひとつ手を打てば手を打ったぶん可能性は狭まる。
ややこしくなることを防ごうとして動くとややこしくなる。
もし、いつのまにか問題にズブズブにはまってしまっていたら、
頭のなか、心のなかで広げている筋書きやフローチャートをいったん止めて、
露店やテントをたたむように撤収し、退却、後退していくイメージを描くとよいと思います。
そうすると、問題フィールドの前線へ、先へと駆け出したい衝動が止まります。
  1. 2023/07/18(火) 13:55:04|
  2. 三毛猫亭日乗
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流れ

2023.5.20(土)

5月上旬の連休中の夕方だったか、近所にあるジュースの自販機の前にタバコの吸殻が十数本くらい落ちていて、
一瞬放置しようと思ったが、なんとなく、もし翌朝までそこにあったら痛ましいなという気がして、
何が痛ましいのか知らんけど、家からレジ袋(小)を出してきて回収した。全部メンソールのタバコだった。
そしたら、吸殻と吸殻の間に一円玉を発見したの♪ 昭和時代の一円玉。
よく聞く金運の俗説に、一円玉を見つけたらぜったい拾えってのがあるじゃない? 聞かないか?
森田健さんの『不思議の友』にも、むかし、そんなことが書いてあったような。
で、同じ日の夜、別の場所で40円拾ったんだよね。
お♪って思ったけど、この×40でさっきの一円玉の金運を使い果たしたかもって、ちょっとテンション下がった。

それから、さまざまな、ほんとにめくるめくようにさまざまなことがあって、
人の失敗を指摘するメールを書いて送信したり、お説教をしたりした。
そうしないでおくこともできたけど、今回は、ウヤムヤにしないほうが流れがよくなるって確信したからそうしたの。
怒りとか正義感とかないし。
かかわっている数人の人たちが抜け道だと思っている方向がそのじつ迷い道で、
本当の抜け道は、ちょっとイガイガのある正規のルート、それもたいしたイガイガじゃないと見えていただけ。
時間はかかるけど。時間なんかかかったっていいじゃん。なんなら休んだっていいじゃん。
失敗がわるいのではない。
自分の生活の課題をクリアするのに一杯一杯で心が疲れているので無関心になっていて、
失敗すらできない人が多数派なのだから。
でも、ここでまちがえたんだ、そのときはわからなかったけどそういうことだったのか、とわかったら、
それを認めないと、適切な道って開けてこないのだ。
まちがいを認めると、どこをどのようにまちがえたのかという構造や、まちがいに至る経緯がわかり
(デムパ的にいえば不整合な波動の構造や運動力学がわかる)、
スムーズで心地よい軌道に戻す道も見えてくる、と、さまざまな収穫があり、
失敗しといてよかった、失敗は失敗じゃなかった、となるのだ。
まちがいとわかってそれを認めないと、このギフトを受け取り拒否することになって、もったいないのだ。

そんなさまざまなことどものなか、これ以外のさまざまな流れも交錯して、
「ラジニーシ」というワードが急浮上。
ラジニーシとか、クリシュナムルティとか、グルジェフとか、シュタイナーとか、
懐かしいって人もいれば、誰それ?って人もいらっしゃるでしょう。19~20世紀の精神世界の巨星たちです。
で、ユーチューブ動画に山川亜希子さんが上げておられた「バグワン・ラジニーシ」を見て、
動画中で紹介されていた『JOY』(山川紘矢+山川亜希子・訳/角川書店)という本を図書館で借りて読んだ。
著者名はラジニーシじゃなくOSHO(和尚)になっているんだけど、
それはラジニーシが晩年に禅に接近したからであるらしい。
このへんの改名事情を知って、関係ないけど、2016年に亡くなったプリンスが、
一時プリンスという名を止めて♂♀が組み合わさった記号になっていたことを思い出す。
すごくおもしろい本です。
たとえば、少年期に起きて、大学入学のために町を離れるまでつづいた、一本の木との交流の話とか、
深いうえに切なく、琴線に響いた。
この人は、悟りマスターたちの体験や教説に対する地球人の誤解を解こうとしていて、
私とはアプローチがちがうところもあるけど、遠くでクロスしているのが見える。

その『JOY』を読んでいる最中に、
自分が優しくなく、一般常識にしたがえば思いやりにも欠けるメールを送ったその人に会う機会があった。
体調がよくないのは、もしかするとコロナワクチン後遺症かもしれないと疑っておいでですか?
だとしたら、一般の病院や診療所では対応してもらえないかもですよ。
有志医師の会のサイトから診療してくれる病院を探すとか、紹介してもらうとか、
医師自身が後遺症情報を発信している病院に行くとかしないとむずかしいと思います。
それか、医療にまかせるのでなく、本やネットで調べて、自分で解毒していくか。
ワクチンの是非や後遺症のあるなしはセンシティブなテーマで、
お医者さんでも、ちょっとでもワクチンに否定的なことを言うとびっくりするくらい怒る人がいるので、
医療を使うなら病院に行く前に下調べしたほうがよいと思います。
――と、まさにセンシティブで言いにくいことを、ためらわずぺらぺらとしゃべっている自分に驚いた。
その人は、*回目の接種のあとに体調を崩し、病院でいろいろ検査してもらっても異常はみられないので、
おかしいと思って(ワクチン後遺症について)調べている、
今日もこれから**科の検査に行くが、ことによると自分で体調管理していくしかないのかもしれない、
と言っていた。
反ワクチンとか陰謀論に傾倒していない、というかむしろ公式情報を信用してきた人であっても、
体調不良が自分ごととなったり、身近な人のこととなって、その当事者性から、
公式でない情報に注意を向けるようになった人は、自分が想像しているほど少数ではないのかもしれない、と、
この人の話を聞いていて思った。
ただ、体調は自分で「管理」するもので、それは人に迷惑をかけないためである、というニュアンスが、
もろ昭和、平成のビジネスマインドって感じだった。
政府は、真面目な人たちのこの心理を突いて、集団免疫話法で同調圧力を引き出し、
接種人数拡大をはかったのだと思う。
福島雅典先生(京大名誉教授)は「ワクチンはもはや信心のようになっていて、(有害性を)わかりたくない人には
何を言ってもむだ」(ニコニコ動画での発言)とおっしゃっていたけど、
私が話した人は、まだ信心級にはなっていないということか。
ともかく、こんな話題をぺろんと振ったイルカのような率直ぶりが自分でも吃驚。イルカに憑かれていたかもそうかも。

1円が40円に化けて終わったこと、自分のなかで鬼降臨、鬼メール、ラジニーシ、そしてイルカ憑依疑惑、
と、なんだそれってくらいもはや話はばらんばらんなのであるが、
私の宇宙ではつながっており、きれいに一本の流れができているのだから不思議。
  1. 2023/05/20(土) 13:25:38|
  2. 三毛猫亭日乗
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