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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

春の大掃除

2021.3.31(水)

大弓を引き絞る的な引き寄せ企画により、
思考ないし観念というマインド感覚の組み換えがだいぶ進んだ。
つまり、自分に合わない感覚(周波数)の手放し、ゼロポ還しが進んで、かなりすっきりしました。

どういうことかというと、

①引き寄せ目標を設定する。
        ↓
②「むり」「できない」などの不可能感、過去の失敗記憶、「何様?」といった自分へのツッコミ、
「ベタベタに現世利益じゃん、ダサくね?」といったジャッジ、ハズしたときの言い訳、などなど、
ネガティブな考え、感情、気分が湧出してくる。
        ↓
③②を、気がつくつど、ゼロポイントフィールドに還す(手放す)。

ということをやっていたわけです。
引き寄せ(磁力、引き寄せ力のアクティベート)と、手放し(マインドを整えることによる磁力のリリース)を
併用して波動を上げていくやりかたです。
波動を上げるというのは、マインドが、マインドを超える高次の帯域とコヒーレントな状態(一貫した状態)
になって、五感的な感覚を喚起するという、すっきり単純な形になることです。
実感的には、晴れやか、のびのび、視野が広がって遠くまで見渡せる感じ。
ワクワク、ウキウキした感覚もとらえやすく、思いついたことを実行するのに躊躇がなくなります。
視覚や触覚などの向こうに物質(客体X)がある、それが本物の現実だと想定して、
自分の感じた感覚(認識)と物(客体X)の法則とがせめぎ合うゴタゴタ(これが3次元の世界)は
全部マインドで起きているので、
おおもとの「物がある」という観念ごとゴタゴタを手放して、
二重規準を解消し自分の感覚(認識)に一本化すれば、本来の瑞々しいマインドに戻るのでした。
いわゆる他人軸というのは物(客体X)の法則をベースとする常識一般のこと、
自分軸は自分の感覚(認識)のことなので、軸を一本化するといってもいいです。

③は、ネットで紹介されている関野あやこさんや並木良和さんなどの「統合メソッド」を使ってもできますし、
アレンジも含めて、自分オリジナルの方法が閃いたらそれが最適と思います。

もうね、すごかった。
わしはこんなにゴミ屋敷やったんか!? みたいな。
「(可能性が)ない」「できない」「やっぱりヤダ」の常套思考はもちろん、
目標設定がまちがっているんじゃないの疑惑、
準備不足、下調べ不足への懸念、
年齢がどうの適性がどうの、
マーケットとか企業論理とか世の中のいろいろへの不信、
ふだんは忘れている、過去に出会った人たちからの忠告、
失敗してがっかり、という失望感を緩和するための失望感の先取り、
成功したあとになんとも嫌な展開になるという想像、
それって誰ルール? と問いたくなる縛りがいっぱい。
そして、4番、サード、「時間がない」くん。
やあ、久しぶりだね、ていうかスタメンに返り咲いてる?
「時間がない」は消えたと思ってたから、まさかの再会にはまじ感動した。
3次元の舞台は物質ではなく、物質を想定することを含めてマインドなので、
一度ゼロポに還した感覚でも、また自分が3次元をはじめると再構成されて戻ってくることがあります。
ただし自分の波動が上がってて、リバウンドしてもガチ3次元じゃないので、リアリティは薄まっています。
「時間がない」くんのスイングにも、むかしみたいなキレはありません。

おもしろかったですね。楽しめました。
楽しめたのは、私が「統覚視点の自分」の位置からマインドを俯瞰していたからです。
①のような引き寄せ目標を設定したとき、あるいは何か心ときめく発想があったとき、
「ちょっと待って、でもさ・・・」という、世間的には現実的思考とされている妄想が動きだすと、
ついずるずるっ、と、「物がある。物の法則ベースの常識がすべてを決定する」3次元の想定世界に入り込んで、
ああだこうだと検討をはじめそうになります、が、
そこで暖簾をくぐらずに、暖簾の前からうしろに下がるのです。
それは瞑想したときに、雑念に入り込まずに雑念を通過させている瞑想者の位置であり、
人の話とか会議の場での議論を、距離をもって醒めて聞いていることがありますが、アレの徹底したやつです。
この位置にいると、諸々のネガティブな感覚は、何かのまちがい、勘ちがい、郵便や宅配の誤配みたいな、
フィットしないミスマッチな感覚としてとらえられます。
長いこと怒りを感じていなくて、久々に怒りが起きると、
胃のあたりや喉のあたりが突然ズシッ、と重たくなったり、そこから何かがニュッ、と出てくる感じがしたりして、
「なんじゃこりゃ!?」となりますが、そのときの重石感や異物感みたいなものです。
この位置にいないと、3次元をつくる観念とくっついた「時間がない」の全容は見えず、
自分が「時間がない人」になってしまいます。
マインドのゴタゴタ現場に参入して、分析、計算したり、騒いだり安堵したりして、
「ネガティブな人」になっていると、ネガティブな感覚を手放すことはできません。

統覚視点の自分とは、身体とか身体由来の心といった範囲に囚われず、その範囲を超えて、
五感的な景色も、考えや感情の景色も、一人称宇宙の模様として感じられる自分のことです。
自分軸の宇宙を動かす「軸の自分」です。
私のやりかたは、
まず自分にとって居心地のいい場所を想像してそこに立ち(私の場合は某惑星)、
そこから金色の光が広がる「光の磁場」に飛んで、
頭のなか、できれば首から下も全部空洞にして、金色の光で満たす、というもの。
ほかにもいろいろあると思います。
この立ち位置が定着すると、そこからズレたときに早く自覚できるようになるし、
上述のようなワークを超高速で1秒以内に完了したり、
上半身をうしろに引くイメージだけで帰れたりするようになります。
実感的な感じとしては、とくに根拠はないのに余裕があること、リラックス感、
3次元的には緊迫した場面でも脱力していること、
全状況を無条件に肯定していてジャッジがない、自分へのダメ出しもない、居るだけでOK、といったところ。
ひと言でいうと、おおらかな自己肯定感があることです。
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  1. 2021/03/31(水) 16:24:17|
  2. 三毛猫亭日乗
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私が引き寄せに失敗した話

2021.1.3(日)

昨年末、どぅーしても叶えたかった願いごとが叶いませんでした。
むかしから、ある特定のテーマについてはどぅーしてもオーダーが通らないんだけど、
昨年はそれに二度チャレンジしてみて、二回ともハズしました。
お願いだけでなく、傍目からみたら「行動」「努力」と映るかもしれないこともしています。
自分からすると手芸とか陶芸みたいな感じで「オタク遊び」なのですが。

どぅーしても通したいというからには、このテーマに強い執着があるのかもしれないし、
イメージングとか、すでに叶った前提で生活する「なりきり」が弱かったのかもしれないし、
すでに叶えていることや得ているものへの感謝が足りてないのかもしれないし、
家の掃除がいいかげんだからかもしれないし、
(地球の)ご先祖供養とか全然してないからかもしれないし、
他者や世の中に貢献しようという気持ちのないエゴイストだからかもしれないし、
その全部かもしれない。
でも、そういうのはどうでもいいんです。
ていうか、本当の鍵はそこじゃありません。
願いを叶える、引き寄せといったことが上手な人は、
引き寄せたいことを思い描いたり、願いごとをリストアップしたりするのが楽しい、わくわくする、
と感じられる人です。
ヴィジュアライゼーション(視覚化)とかアファメーション(言葉にする)とか、
写真や画像を切り貼りしてボードをつくるとか、そのテーマにふさわしいパワースポットを訊ねるとか、
成功した人が住んでいる街に行ってその氣を浴びるとか、
その種のテクニックを使うのであれば、そういうテクニックを使うこと自体が楽しくて、
やっているうちにどんどんその気になれたり、宇宙の応援を感じられちゃったりする人。
つまり、引き寄せやお願いごとなどをきっかけに波動が上がる人です。
うれしくなったり楽しくなったり、わくわくしたり、
パーンと視界が広がって見晴らしがよくなりすっきりしたり、気づきが増えたり、
ちょっとしたことにすごい発見があったり喜びを感じたり。
アセンション視点(統覚視点「私」がつくる一人称宇宙に回帰すること)からいうと、
波動を上げるほうが目的で、引き寄せなどはそのツールです。
執着を手放すとか、なりきり、感謝、掃除、ご先祖供養、他者への貢献の志、等々が
引き寄せのサブメソッドになっているのは、10人中8~9人がそういうことをすれば波動が上がって、
結果的に案件の実現確率を50%超まで上げられると、経験科学的に考えられているからです
(事例が多いということ)。
なので、自分がそういうことをしても波動が上がらない10人中1~2人のほうならば、
実践しても効果はありません。
宇宙は0から1、または1から0へと量子変化する(0.5とか0.7とかはモヤモヤした確率として潜在して
いる状態)ので、磁力(引き寄せ力)が50%を超えれば実現確定、
50%ちょうどなら0か1のどちらかに決着します。
なお、感覚(波動)宇宙に倫理や道徳は関係ありません。感覚(波動)力学がすべてです。
スピリチュアル分野で善行や感謝が強調されがちなのは、
善行や感謝で波動上昇する人が多いからです。
もっとも善行は善いことだと意識している時点でやや善から逸れているのですが、
波動が上がるならそのへんはどうでもいいのです。

私が上述の案件で引き寄せに失敗したのは、
直接的には、過去、同じテーマの引き寄せに何度も失敗していて、
再度チャレンジする、と思いついただけで、その潜在記憶をアクティベート(賦活)してしまい、
波動が下がるからです。
波動が下がるとは、モヤっとしたり、なんとなく気が重くなったり翳ったり、楽しくなくなること。
さらに根本的には、「何月の半ば、これこれの場所で」といったように3次元世界で決着する的(まと)を
設定すると、私の場合、それだけで、連続的につづいていく時間とか、連続的につながっている空間とかの
空間‐時間思考がまとわりついてきて、波動が下がるということがあります。
どんなに楽しい予定でも、予定として組み込んであると、ちょっとテンションが下がり、
そのときがくると、予想以上に自分が醒めている、ということがあるように。
フラフラっと書店や図書館に行って、たまたま自分の読みたかった本が見つかったときなどは、
キタ! と高揚するだけでなく宇宙の計らい(笑)を感じてゾクゾクしますが、
通販や店舗で注文して入手するときはそれほどではありません(ただ店舗注文の場合、お店の人に
愛書マインドがあると、それに敬意を感じることはあります)。
このように、年月日や予定から空間‐時間思考がアクティベートされてしまうことを、
私は「3次元ロック」と呼ぶことにしました。

ただ私は、引き寄せを試みても、四六時中そのことを考えているわけじゃないので、
結果が判明するまでずっと波動が低いというわけではありません。
ときどき、その引き寄せネタを思い出して気にしているときに波動が下がるというだけです。
波動といっても、上がったり下がったり流動的なのは高次や五感ではなくマインドの感覚で、
マインドの波動は、3次元をつくる観念(自分の認識とは別に、それ自体の法則で動く何かが存在する
という考え。この「何か」は一般的には物質です)を下敷きにしているか、
下敷きをはずして自由になっているかで大きく変わります。

・・・ということが、昨年末、5秒くらいでわかりました。
では、私はもう二度と引き寄せなどに手を出すべきではないのか?
これは宇宙からの警告?
ではないですね。ツボはそこではありません。
①何かを願う、引き寄せようとする→②過去の失敗記憶のアクティベート、3次元ロック→③引き寄せやめよ
これは、何かの出来事ないし行為(①)に対してこれこれの反応が起きた(②)、
だから出来事ないし行為という原因(①)に遡って、これを改善したり修正したりして対処すべきだ、
という3次元の発想です。
この原型は、3次元の観念を反射神経的に習い覚えて定着させていくときに使った、
<(想定した)物質-1次反応→物理感覚-2次反応→思考や感情などのマインドの感覚>
という<反応>形式です。
簡単にいうと「トラブルが起きたら外側に原因を探せ」というかまえ、視角です。
ちなみに「私が悪いんだ」「私はダメ人間」と自分を責めるのは、
この<反応>形式を使った対処スキルの低さや育成不足を責めているのであり、
<反応>形式で発想しているという点では同じです。

私に起きたことは、自分のマインドに、②のような自分に合わない感覚(周波数)が見つかった、浮上した、
それだけです。
なので、これをゼロポイントフィールドに還して手放せばいいわけ。さ~よ~な~ら~。
今の私は過去の失敗記憶云々という翳りがないし、予定を入れてもロックはかかりません。
再度、翳ったりロックがかかるようなことがあっても、格段に気づきやすくなっているので、
瞬時に還せるでしょう。
思ったように行かなかったとかピンチに立たされたというのは、
本来の一人称宇宙にはない周波数(感覚)を還して波動を上げるチャンス! なのでした。

波動を上げると、
というのはマインドから3次元をつくる観念をはずして本来の自由な状態に戻すという意味ですが、
そうすると引き寄せは企図しなくても勝手に起きてくるようだ。
わくわくする構想、愉快なイメージ、喜ばしい気分、楽しい沈黙・・・というように、
常時、非3次元波動でいると、
特定の結果場面に的を絞らなくても、何やかやそれに相応しい五感化が起きる。
で、五感化したときにマインドのイメージや構想が返ってくれば、
ヒーミル@シリウス系イルカが言っていたように(2020.12.27「風の時代――ヒーミルとのチャネ談」)
デジャヴュ、既知感になるわけです。

むろん、意図的な引き寄せが禁じ手というわけではなく、やるやらないはまったく自由なので、
何かワクッとくるものがあったらやってみてもいいと思います。
ちなみに欠乏感や不満から引き寄せを試みると失敗するといわれるのは、
すでにスタート時点から波動が低いからで、
これも、あらかじめ欠乏感とかをゼロポに還しちゃえばうまく行くかもしれないし(もっともそうすると
意図的に引き寄せることに興味がなくなるかもしれませんが)。
  1. 2021/01/03(日) 18:14:37|
  2. 三毛猫亭日乗
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さよなら前世期的減点主義

2020.9.10(木)

譜面<10>で音が当たらなかったり、音程や音色がいまいちだったりしたら、
アカンかった箇所を3~4回くらいはさらうとしても、それ以上は食い下がらない。
まして、もう一度頭から通すなんてしない。
いっぺんもさらわずに譜面<11>に行っちゃうこともある。
で、また別の機会に譜面<10.>をやってみる。
別の機会は30分後かもしれないし、3日後かもしれない。

以上は楽器の闇練の話。
譜面といっても、格安楽器に添付されてた基礎練の譜面です。ペラッとしたホチキス留めの。
ドーレードーレー、とか、ドーレードー、レーミーレー、とか、
ドーレー、ドーミー、ドーファー、ドーソー、とか。
こういうのも、これはドのときとレのときの口のなかの容積のちがいを意識して、
音をまっすぐ伸ばせ、ってことだな、とか、
出だしと終わりが濁らないように注意して一音ずつ明澄に区切れ、ってやつだな、とか、
ねらいがわかってるとけっこうおもしろい。
てかねらいを読もうとせず漫然とやってるとすげー退屈よ。
何かの曲のなかのまとまったフレーズだって、
結局は何らかのねらい(作曲者の意図)の集まりなんだし。

何につけ、できないことをできるようにしよう、という発想はやめた。
だってそれだと情報が集まってこないんだもの。
ということが、こないだわかったのだ。
「高い音を中音のアンブシュア(口の形)感の延長でムリなく出したい」とねらいつつ、
できる、できないを気にしないでいたら、
検索したなかで最初に開いた動画に出ていた、とか、
関係ない本のなかにヒントが出ていた、とか、
ふとした閃きとか、いろんな形で、
二、三日中に自分に必要な情報が磁石に吸い寄せられるみたくそろってしまった。
そのほとんどが、「できないことをできるように~」というマインドだったら
絶対に注目できなかったことだった。
で、実際やってみたらすごく役に立った。
「できないことをできるように~」マインドだと、
いわゆる潜在意識でノウハウの範囲を絞り込んでしまっている、
気がついていないところで「これは当たり前」という前提をつくっちゃってるんで、
その前提を超える、あるいは崩すような情報が入ってこなくなるのです。
それに、できるできないを気にかけていると、情報収集自体、宿題っぽくなって、
気が重くなる。
できないクヨクヨMAXだとキーワードを見るのもイヤになるから、
むしろそのテーマの情報は遠ざけてしまう。

私は20世紀後半のタイムラインに放り込まれたアルクトゥルス人なので、
「できないことをできるように~」は「みんなそう心がけてる」合意精神のひとつになっていて、
さんざん使ってきました。
この時代には「褒めて伸ばす」だの「自分を褒めちぎる」だのといった発想もありません。
何ができないか、どこがダメかを指摘して叱ってくれる人がよい先生、よい先輩。
なので自分へのダメ出し、能力や達成見込みの判定ジャッジも厳しい。
やる前からハードルが高い。
よって、わくわく指数は上がらず、緊張、ビビりが高まり、慎重になってタメが長くなる。

できないことができるようになれば、
3次元世界を満喫するつもりの人は、成長したとか殻を破ったとか思えるかもしれない。
でも私の場合は、3次元はそのからくりを知るためにやってることで、
最初から「3次元を出て非3次元に回帰する」ことがエンドポイントになってるから、
そんなにうれしくない。
できた瞬間には「お」という驚きでテンションが上がるけど、1秒後には放散してしまう。
大きなヤマを越えた経験を指標にして、
「あのときアレができたんだから、このくらいのことはイケる」
という方式も使ってみたことがありますが、
これだと「あのときのアレ」を量的、質的に超える案件には対処できないし
(経験が自信の裏づけになると同時に限界になる)、
「イケる」という判断の根拠になる可能性を、
気力、体力、がんばり、ねばりなどの運動エネルギー系の力の量に換算していて、
意外性も創造性もない。
私にとって興味があるのは、「ちょっとした角度のちがいで膨大なエネルギーを引き出せる、
思いも寄らなかったルートが開く」位置エネルギー系の力。
(一方、位置エネルギー系の力を使うのが当たり前な天使や宇宙人にとっては、
がんばるのは新鮮かもしれない。)
とはいえ、「できないことをできるようにしよう」指向の思考は習慣になっていて、
ぼんやりしてると何でも「がんばり」で解決しようとする方向に行くから、
ゼロポイントフィールドに還すことにした。
ゼロポとつながり、地面(磁場)を変えて、統覚視点(自分軸の私)までバックし、
「できないことをできるようにしよう」をカプセルに入れて、お世話になりました、さよなら~。

それはそれとして、
これまでずっと基礎練に専心してきたんだけども、
こないだ、ふと思い立って、ある曲を耳コピで演奏してみた。
で、原曲を確認しようとネット動画を見てみて、こういう詞だったのかとびっくり。
誰だって笑いあり涙あり、
世界はせまい、同じ、まるい。
そうなのか!?
笑いや涙のツボが人によってズレてるなんていくらでもあるし、
せまくてもまるくてもいいけど、「同じ」は微妙やぞ。
それぞれに「私」という視点があり、そこからそれぞれの視角の世界を開いている、
「同じ」なのはそれぞれが「私」という一人称視点だということ、「私」という形式だけである、
と、そういう鳥瞰的視点に立っていないと、
スペックが多数派と異なる者とは手をつながず、その人を輪からはじき、
ことごとく排除、駆逐するという、えぐい暴力につながりかねん。
せまくてまるいのだから同じにせんといかん、という圧力になることもあるわな。
「同じ」方向に結束するために仮想的やらスケープゴートやらを捏造したりとかな。
こういう歌で高揚する人は『リトル・ブリテン』みたいなコンテンツも見といたほうがええぞ。
・・・などと画面に向かってテレパシーで批評を送信しつつ、
山本直純氏が作詞・作曲したオリジナルソングではないかと思えるほどに、
英語、邦訳ともよくできているので、3ロテくらいで洗脳され、不覚にも口ずさんでしまった。
「同じ」が孕む危うさは、
Dの数々のキャラクターの異形性、多様性によって、かろうじてというか洗練された形で
回避されているのかもしれない。
どれもDのキャラだからテイストは似ているけども、ねずみとあひるは全然ちがう。
よーく見ると異様だし。
なるほどDに視覚要素は不可欠。
しかし私個人的には、いちばん得体が知れないのはSの猫キャラと思う。
ぎりぎりまで簡素化されたあのデザインは、禅寺の枯山水庭園を連想させる。
  1. 2020/09/10(木) 14:47:31|
  2. 三毛猫亭日乗
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「0点牧場」の掲載終了(追記あり)

2019.2.17(日)

「スターピープルWEB」(ナチュラルスピリット)に掲載していた「0点牧場」は、
第3回をもって終了となりました。
16日(土)、窓口担当者に、掲載の終了と、すでに送信してある第4回分の原稿の破棄を
お願いするメールを送信し、17日(日)に了解をいただいています。

私が降板を決めた理由は、窓口担当の方を通して、編集者から第3回原稿の一部修正の可否を
訊ねられたさい、私が「元原稿のままで掲載してください」とお伝えした部分が、
何の説明もなく修正されてアップロードされてしまったことです。
アップロードしたという連絡もいただいておらず、私が2月15日(金)の夜7時ごろ掲載に気づいた
ときには、会社は業務を終えていて、電話での問い合わせはかないませんでした。
しかも、アップロードされた記事を読んでみると、記号の入れちがいや読点の位置のズレなど、
意味が大きくちがってしまう誤入力がいくつか発見されました。
私は、その日のうちに訂正の依頼メール、つづいて土日をはさむため訂正が遅れることを考え、
原文をブログに公開したことをお知らせするメールを送りましたが、
自分、編集者、窓口担当者と、制作にかかわる三者にとってもはや「0点牧場」は負担になって
しまっており、無理に継続させようとすると、いたずらにストレスが募るのみで益はないと判断して、
翌16日午後に掲載終了の依頼メールを送信しました。
なお、最初からの約束で、原稿料はいただいておりません。

以上が事実で、元原稿のほか、やりとりしたメールや、第1~3回の掲載時のwebページは
保存してあります。
メディアの責任者(編集長など)には掲載・放送する制作物を加工修正する編集権がありますが、
通常は、著作者との関係が悪化してもかまわないと考えているのでない限り、
このような一方的な手段がとられることはありません。

しかし、このような事態は突然起きることではなく、そこに至る前に兆しが生じています。
第1~2回の記事については、事前の可否の問い合わせなしに修正、加筆された記事が
掲載されていましたが、修正、加筆は本質的な部分ではなかったので、
文章の流れを分断する空白行の削除とか、日本語が破綻している箇所以外は、
訂正を求めませんでした。
けれども疑問には感じていました(修正後に日本語が破綻しているって・・・???)。
これはあくまでも私の推測ですが、先方も、アップロードするたびに訂正を依頼してくる私に、
編集権や編集実務について無知な、傲慢な著者という印象をもたれたかもしれません。
もし私が、初回の掲載段階で抱いた疑問をすべて訂正希望事項として伝えていたら、
「0点牧場」は初回で終わっていた可能性が高いと思います。
要するに、私と編集者あるいは編集を統括している方との相性がよくなかったのです。
双方のセンスが合っていれば、加工修正は協働関係と融合し、問題にはならないでしょう。
じつはこうしたことは出版業界あるあるのひとつです。

以下はデムパ話。
本当のところ、私には、最初の原稿を送る前から、なんかキナくさいな、とわかっていました。
ひとつは、とくに根拠のない直感からですが、
もうひとつの理由は、昨年の11月21日(!)に、指導教官から予告されていたからです。
それは「ヘンゼルとグレーテルがパンくずをまいてどうのこうの~」とかいう、
例によってポエムかよ! なお告げでしたが、
波動を感じれば、だいたいどんなことが起こりそうかわかりましたし、
「スターピープルWEB」誌への掲載のお話をいただいたときに、
あ、これはあのときに予告されたことだとピンと来ました。
にもかかわらずお受けしたのは、
ガイドスピリッツが示していた次のことを自身で明確にするためです。

情報の発信、制作物のリリース、ライブ活動、品物の製造や流通、サービスの提供、
どんな活動にしても、
「私」という視点を軸とした宇宙として存在している人にとって、
名前が知られているとかいないとか、メジャーだとかマイナーだとか、ブランドのあるなしとか、
客体‐空間‐時間思考システムに支えられた社会のなかの認知度は、
もはやまったく関係ないのです。
ブランドがあるからすばらしいというわけではないし、
ブランドがあるから通俗的で創造性がないというわけでもない。
もうそういうステージではないのです。
周波数が合えば、宇宙はどんな像も呼び出し動員し、縦横無尽に活用していきます。


最後に、ブログの記事や電子書籍などの拙文の真意を理解し、
掲載にご尽力くださった窓口担当者の方に深く感謝申し上げます。
ごく短期間ではありましたが、ありがとうございました。
そして生温かく静観してくださった読者のみなさま、ありがとう☆

2月19日(火)

18日(月)、「スターピープルWEB」編集ご担当の方から、
「身をおく」の一連の文章について、私から依頼した訂正は、
作業はしていたのだけれども、なぜかリセットされていて反映されなかった、
とのお詫びのメールをいただきました。
アップロード画面を確認しなかったのでしょうか。
だとすると、少なくとも土日の2日間は誤入力を含む未訂正の記事が掲載されてしまうのだから、
私の記事でなくても、これはまずいと思います。
実務態勢が改善されることを願います。

今回の記事の未訂正が意図してなされたのではなく事故で起きたことだとしても、
第1~2回の記事が著者への事前の打診なしに修正され、
その結果、日本語が崩れてしまっている箇所について私が訂正を求めるなど、
問題は潜伏していました。

こういうややこしい事態になるということは、
やはり著者と編集者のセンスが合わなかったのだと思います。
私の書くものを読んでくださっている方は、
「すごくわかりやすい」
「意味のわからないところはあるが波動で読めるから気にしない」
と言ってくださる方が多いのですが、
「はじめのうちは全然わからなかった」「何度も読み返して理解できた」
というご感想をいただいたこともあるので、
編集担当の方にとっては、たぶん読みづらかったのでしょう。
私はそのことはべつに気にしていません。
波長の合う著者とめぐり合われることを祈ります。


以下に、掲載終了に至った経緯の詳細を述べておきます。
文字系コンテンツを制作するうえで、何らかの参考になればさいわいです。

①原文
人間型、動植物型の宇宙は、直に物質を体験することはできません。
氷の世界みたいに凝結してしまうからです。
なので、マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない、
喩えると水とかジェルのようなエーテル帯域に物質波を写し、
エーテル帯域まで下りて具体化した像にナマナマしい質感を与えて、
「もし、この像が物質だったら」という仮想物質世界として体験しています。
これが物理像です。

②最初に提示された修正案(2019.2.14 16:39)
「人間型」「動植物型」の宇宙は、直に物質を体験することはできません。
氷の世界みたいに凝結してしまうからです。
なので、マインドほど拡散してはいないが、
物質のように固まってはいない世界に身をおいています。
(修正の理由:原文ではワンセンテンスが長く、わかりづらい)

*修正可否の問いに対する私の回答(2019.2.14 22:50)
②は元原稿のままでお願いします。
ここは物理像の基礎がエーテル像で、
物質波によってそのエーテル像に物質っぽいリアリティが与えられていることを
説明している非常に重要な部分だからです。
「世界に身をおいています」では、まったく内容がちがってしまいます。
「世界」はエーテル帯域をさすと読めるとしても、「身」とは何でしょうか?
私はこの記事でも次回の記事でもまたブログでも、
「身」などというものはない(何もかも像である)
ということを言っている
のですが。
センテンスが長くても、日本語としてきちんと文意が通るように構成しているので、
ロジックを丁寧にたどっていけば理解できると思います。

③2019.2.15(金)にアップロードされた記事
「人間型」「動植物型」の宇宙は、直に物質を体験することはできません。
氷の世界みたいに凝結してしまうからです。
なので、マインドほど拡散してはいなくても、物質のように固まってはいない
世界に身をおいています。
(1行アキ)
なので、マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない、
たとえると水とかジェルのようなエーテル帯域に物質波を写し、
エーテル帯域まで下りて具体化した像にナマナマしい質感を与えて、
「もし、この像が物質だったら」という仮想物質世界として体験しています。これが物理像です。

修正された文章だと、
「なので、マインドほど拡散してはいなくても、物質のように固まってはいない」
(1行アキ)
「なので、マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない、たとえると~」
と、同じフレーズが不自然に繰り返されており、
日本語の文章として、いっそうわかりづらくなっています。
もしこのように修正するのであれば、1行アキのあとの「なので」は不要、
「なので、マインドほど拡散してはいなくても、物質のように固まってはいない世界に身をおいています。
(1行アキ)
マインドほど拡散してはいないが物質のように固まってはいない世界とは、
たとえると水とかジェルのようなエーテル帯域のことです。
このエーテル帯域に物質波を写し、
エーテル帯域まで下りて具体化した像にナマナマしい質感を与えて、
「もし、この像が物質だったら」という仮想物質世界として体験しています。」
とすべきでしょう。

いずれにしても「身をおいている」という表現は、
この寄稿記事に限らす、私の書いているもの全部と矛盾します。

編集者からの修正依頼として、
「ワンセンテンスが長いので詰めてほしい」という要望はよくあるパタンですが、
多くの場合、文字数の制限を超えていたり、レイアウト設定とズレてしまうというのが
その理由です。
わかりやすく、読みやすくするという目的なら文を短くまとめるのが最良策とは限らず、
短く切った文を並べることによって、前後の関係がわかりにくくなったり、
全体の印象がぼやけてしまう場合もあります。
簡潔にするにしても、内容が変わってしまったり、全体の流れと矛盾していたり、
著者が書いている世界のコアを壊してしまうようでは、修正する意味がありません。
また、「長い文=読みにくい」というのは思い込みで、
接続詞や助詞、読点の打ちかた、改行のしかた、などによって、
的を射るようなタイトな流れができれば、音的にも視覚的にも印象に残る文になります。

さらに、これは一般常識とかけ離れているのでライティングの参考にはなりませんが、
わかりやすい文章が(波動で)リーディングしやすいとは限らないのです。
  1. 2019/02/17(日) 22:02:53|
  2. 三毛猫亭日乗
  3. | トラックバック:0

ローズクォーツ・マジック

2018.4.12(木)

先週、髪を切りにいったときのこと。
店には、カットの最中のお客さんがふたり、そのほかに待っている人が2人いた。
男性スタッフふたりのうち、ひとりはずっとお客さんと会話しており、
もうひとりは黙々と仕事をしている。
私は、寡黙なほうの人に当たればいいな、と思いながら待っていたのだが、
その人は、そのとき担当していたお客さんのカットが終わると、昼食休憩に入ってしまった。

しゃべるスタッフさんのほうもお客さんが替わり、次の客とも延々と話をしている。
会社の営業がどうのこうの、接待がうんたらかんたら。
私は待っている間、軽く目を閉じて瞑想していた。周りには眠っているように見えたと思う。
スタッフとお客の会話は日本語なので、意味がそのニュアンスごと聞きとれてしまい、
ときどき気が散る。何回か、つい目を開けて作業の進行を確認してしまうこともあった。
それでも、瞑想に集中しよう! という意図は働かせず、
注意が会話に向いたら向いたまま、気が散ったら散ったままにしておく。
目が開いたら、また閉じる。
そうしている間に、どんどん“私”(輪郭だけのエゴ)は研ぎ澄まされていった。

またお客さんが替わる。
次は4月から中学生になったとおぼしい男児で、連れてきた母親が、そばで椅子に座って
待つ態勢。
新しいクラス、先生、小学校時代の友人、入部した部活の話などがはじまる。
スタッフ「やっぱり運動部だと、丸刈りとか、短くしないといけないんだ?」
子「いや・・・」
母「別にキマリはないんですけど、みんなだいたいそんな感じなので」
今度は母親も交えて3人! トリオ! でも実質はお母さんとスタッフさんの雑談。

お客さんが替わっても人数が増えても、ずっと一貫しているのは、
スタッフさんにもお客さんにも、雑談にタマシイがないということである。
どちらも間をもたせるためにだけ音声を発している。
「カットの間じゅう黙りっ放しなのも愛想がないから」お互い発声しているだけで、
本当のところ相手の話なんぞ聞いちゃいないんだよね。
そういうことって(波動で)わかるじゃん。私じゃなくても、誰にでも。

私はそういう会話が嫌いだ。やろうと思えばできないことはないが、
滑らないようにとか、あれこれ臨機応変にいたずらに工夫してしまい、
本心では「間をもたせる」ことだけが目的の人にそれをやると、あとでドッと疲れるので、
なるべく乗らないようにしている。
私が美容院じゃなく理髪店でカットしているのは、
理容師のほうがカットが巧い人が多いという理由が第一にあるけど、
話をしなくても放置しておいてくれるケースが多いという理由も大きい。
本当にホスピタリティのある接客サービス業の人は、
「いいお天気ですね」てなどうってことない言葉をかけるんでも“氣”が通っており、
そういう人がじつはそのへんのよくあるチェーンストアにいる場合もある。すごいことである。

そんなこんなで、自分の順番がくる直前になっても、待望の寡黙なスタッフさんは帰ってこず、
瞑想モードの“私”の輪郭のなかを、
「なるべく先方が気をわるくしないような言いかたで“トークはナシで頼んます”とお願いしよう」
という思考が駆け抜けていった。
ところがよ。
私が席につくと、さっきまで途切れずしゃべりっ放しだったスタッフさんが、
ぴたっと口を閉じたのだ。その人が口をきいたのは、
どんなスタイルにするかとか、髪のボリュームの調整とか、私の希望を訊ねたときだけ。
あとは終始だんまり。サウンドオブサイレンス。きゃー理想の状態キタ!

私は、一見したところ話しかけづらい人ではない。
むしろ逆に、この人なら話しかけてもOK~なオーラを全身で放っているらしく、
道を訊かれたりとか、「ウスターソースはどこに置いてありますか?」とか店の人ではないのに
訊かれたりとか、「ハーゲンダッツの新製品おいしいの?」といった商品レビューを求められるなど、
知らない人から話しかけられることがけっこう多い。
だからこそ、美容院でも整体院でも、私を担当する人はノンストップトークで対応し、
一度それに応えてしまうと断りづらくなるという輪廻に陥っていたのである。
それに、待ち時間には瞑想していて、考えることや感じることは受け身で観察していたので、
「どうか話しかけずに仕事してくれ!」と念を送っていたわけでもない。
なのにこの、テレパシーが通じたかのような豹変ぶりはどうしたことか。
ともかく、私はカットしてもらっている間、快適な時を過ごせたのである。らん♪

と、帰宅して、服を外出着からスウェット上下に着替えようとしたとき、
ジーンズのポケットからローズクォーツ(石)が出てきた。
すっかり忘れはてていたけど、これ、出かける前に「持って行きんさい」というお告げがあって、
ポケットに入れたのだった。テレパシーを仲介してくれたのはこの子か?
  1. 2018/04/12(木) 18:41:24|
  2. 三毛猫亭日乗
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アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
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原則としてレスはつけません。
※パブー(電子出版サイト)のリニューアルにつき、出版案内は休止中です。

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