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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

選択について~志願した憶えがないのに地球に来ているのはなぜなのか

2023.9.21(木)

親を選んで生まれてきたという人がいる。
これは、現在の自分と存命のまたは亡くなった親との関係から、感性的にそう確信できるということで、
生まれる前に両親と話し合って決めたということではないだろう。
「選んだ」とは必然感覚の象徴的表現で、選択と必然は対立する概念だけれども、
確信しているとは、この矛盾が「選んだことが必然だった」という僥倖によって融解することだ。
もし生前にいくつものリストを見て検討したとか、候補に挙がった人たちとアストラル面談をしたとかいう記憶があったとしても、
それは必然感覚という波動(感覚)を表現しているお話だと思う。
記憶というのは、それが5分前の出来事の記憶であっても、
5次元の感覚(マインドの感覚)でつくりあげたお話なのだから。
その証拠に、5分前の出来事などというものはどこにも存在していない。って、ちょっと一休さんみたいだけど。

親との関係が良好だから必然感覚が持てる、というものでもない。
サイアクの毒々ペアレンツだったといった場合でも、
恨んではいないがとくに感謝することもないといった薄い関係でさえ、
自分の意識曼荼羅全体から見て、なるほどこの配置しかないね、といった必然感覚を感じることもある。
縁感覚といってもいいかな。

それとまったく同じ意味で、
自分は、地球と呼ばれるこの3次元世界と縁があったのだな、と思うようになった。今年の8月半ばくらいから。
3次元世界とは、何度も書いてきたように、
見えるとか聞こえるとかの五感の向こうに何らかの実体(物質)がある、
自分というこの意識もその実体(物質)の一部である身体に由来する、と想定して、
一切がその想定した実体(物質)の法則で動いていくことを既定のキマリとして立ち上がる世界のことだ。
自分の意識もまた実体(物質)の法則にしたがうので、
自分の意識の作用は実体(物質)の法則で動く実体(物質)を動かせない、
思いや想像がそれと似た、あるいは同じ物質世界を引き寄せるなんてむりむり、ばか言ってんじゃないよ、と、
そういう世界である。
この3次元世界を3次元にフェイドインしていない非3次元感覚で実感的に表現するとすれば、
つまり直感、予感(高次)が思いや想像(マインド)に、思いや想像が五感に波動(感覚)として伝播し、
より精妙な感覚がより明確な感覚を引き寄せるのが当たり前の世界から眺めるとすると、
なんかテコでも動かない、すごく固い世界ということになる。
このソリッドさ(固体性)は、非3次元側から見るとすこぶる奇妙である。
感覚(波動)が伝播しないって? え、なんで? それどういうこと?
全然別の原理を持った宇宙と接しているみたいな?
身体? 脳? 何それ? 意識がそこに局限される? まじ?
身体に局限された意識は、いつもその別宇宙とぶつかり合ってる(→←)って? どういうのそれ想像超えるんですけど。
とか。

背後から声をかけられて、あれ、ここには誰もいないはず、てことは例のうわさの幽霊ですか?
と思ったら、返事をしたりふり返ったりしてはいけない、という説がある。
同じ要領で、宇宙人から、あるいは天使とか龍とかから、
こんな不思議な世界があるよ、ヘンでしょ、ありえなくない? でもあるんだよ、
でね、帰りの旅がまたアドヴェンチャーなんだよ、ていうか帰りでカラクリが全部見えるのね、てな話を聞いて、
ふーん、へー、ほー、 と相づちを打つくらいはいいけど、
で、賢い子はさらっと右から左へ聞き流してゼロポイントフィールドへ放すんだけど、
何それもっと知りたい光線とか、やばい(ゾクゾク)波動とか出しちゃったらアウト。
その瞬間、あなたの固有周波数(名前のようなもの)は地球に派遣されるスターシード名簿に登載されます。
あとで、ネタを振ってきたその存在が宇宙連合のリクルーターだったって知ったところであとの祭り。
地球の会社なんかでも、営業部員のことをコミュニケーターと呼んだり、現場作業員のことをクルーと言ったりするって、
あるじゃないですか。あのデンだから、一見してリクルーターだってわからなかったりするんだわこれが。

地球って宇宙都市伝説じゃないんです、ほんとにあるんですガチの秘境です、じゃなくて、
あなたじゃないとできないお仕事です、とか、何某も誰某も完遂できなかった超絶むずかしい任務です、とか、
そっちで落ちる人もいるかもしれない。
あるいは修行にうってつけの惑星あります、スキル爆上がりですよ、が刺さるとか。
いずれにしても新奇性満々で、前代未聞の体験を約束されているわけであり、
ときめいちゃったら一丁あがり、了解いただきましたぁ、てなことになる。

自分で想定した別宇宙(法[ダルマ]が異なる宇宙=実体すなわち物質)の制約を受けない非3次元では、
何かを選ぶとはそういうこと。興味を示す、関心を向けるということなのだ。
自分の適性や経験にもとづいて職種や勤務先を選ぶとか、
メーカーも仕様もさまざまな品物のなかでどれをポチろうかしら、とか、
霊道がある部屋と目の前に鉄塔がある部屋、どっちも家賃は安いけどさてどうしよう、とか、
条件を吟味、検討し、将来を予測し、複数の選択肢からひとつに絞る、
そういう3次元世界における選択とはちがうんですよ。
「同意」もそうだけどね。相づち以上(50%超)の興味を示したら即同意になります。
感覚(波動)の方向や強弱で場面が決まっていくってそういうことです。

3次元の世界だと、何かひとつの決断を下すのに、
予算とか経験、専門家やユーザーの評価、タイミング、体調、人間関係などなど、いろんな条件を検討しないといけない。
これらの条件とはつまり、別宇宙の法である物理法則を基礎とした常識に沿わせることを目的としている。
3次元世界で何がどう実現していくかということは、自分の思いや感じかたではなく、
自分が想定した実体(物質)の法則にもとづく常識によって決まる。
その法則は自分の思いや感じかたと関係ない別宇宙(実体すなわち物質)の法なので、
日々刻々、別宇宙について学習し、知識や情報を集めなければならない。
そこから、今ここで必要な意思決定に関係する情報をチョイスし、検討する。
なので、意思決定するための情報処理がすごく複雑になる。
そして、その意思決定の結果は予測したとおりにはならないかもしれない。
なにせ別宇宙のことだから、がんばって情報収集してもハズれることはあるのです。
さらに、予測どおりになったとしても、結果に満足できるとは限らない。
なぜなら、そもそも意思決定するにあたって最優先される前提条件が、
別宇宙の法(物理法則にもとづく常識)に適っていること、一般的な言葉でいうと「現実的であること」なので、
現実的でないこと、たとえばお金はないけど高額な品物が手に入るだの、未経験の分野の仕事で大成功するの、
といった妄想、妄念の類ははじめから排除されているからです。
まず妄想を除いて、選択肢を「現実的な」範囲に絞り、そのなかで最も有利だったり好もしいものを選ぶ、
というのが「合理的な」意思決定です。
3次元世界では、本音と合理的な意思決定が乖離するのは珍しいことではありません。てかそれがふつうかも。

ともかく、3次元世界を動かしているのは別宇宙の法(物理法則にもとづく常識)なので、
ときには選択だの意思決定だのを差し挟む余地なく、圧倒的に別宇宙の法だけで状況が決まってしまうこともあります。
その典型が親とか、出生地、人種、性別、遺伝、世代(年齢)など、生まれたときに決まってしまう要素です。
むかしは身分もそうだったし、職業とか家督がどうのこうのとか、もっといろいろ既定事項が多かった。
3次元世界のキモは「自分というこの意識が別宇宙に制限される」ことなので、
選択や意思決定の余地があることのほうが例外的といっていいかもしれません。

ただ、別宇宙も制限も自分で想定していることで、
自分で想定していなければ、自分を制約してくる別宇宙(物質)もその法則も存在できません。
想定するとは、心のなかでゼロから想像や思考を積み重ねていくことではなくて、
すでに心のなかに存在している数多のパラレルワールドのなかから3次元を選んでアクティベートするということです。
その動機が、先に書いた興味、関心です。

でも、物の世界こそ究極の本当の現実だという感じかたが、わざわざ考えるまでもないくらい当たり前になると、
地球に来ることを選んだとか、生育環境を選んだとかいうお話は信じられなくなります。
そんなの科学的じゃないし、わざわざキツい環境を選んだりはしないとか、言葉にすればあれこれ反駁の理由はありますが、
それは、「選ぶ」「選択する」という概念が、もう3次元仕様に書き換わっているからです。
物理法則にもとづく常識に照らし合わせて各選択肢を吟味、検討し、最も現実的で合理的な選択肢に決める、
というのが「選ぶ」「選択する」ということなのだから、
非現実的(科学的ではない)な選択はそもそも不可能、
もし可能だとしても、もっと合理的な(ユルい環境)選択をしたはずだと。
さらに、いわゆるスターシードの場合、例外もあるかと思いますが、たいていは、
非現実的とか不合理とかいう以前のもっと深いところで、「いや、私は選んでないし」という絶大な違和感があります。
生まれ変わっても着ない服を着たり、再来世でも住まない家になぜか住んでいるようなこの感じ。

それは、非3次元で感じたあのトキメキ、ゾクゾクの反転形です。
3次元に入ると、統覚意識(自分という意識)が別宇宙(実体)の制約を受けて大きくブレる(身体という概念と同一化する)
結果、適合感のある感覚(波動)を感じられず、適合感自体もよくわからなくなる。
これが「波動が下がる」という現象です。
波動が下がる結果、あの興味、関心が、ネガティブ反転して「違和感」になるわけ。
人により場合により、(地球世界全般への)恐怖心、忌避感、厭世感として表現されることもありますが、
このネガ周波数の基本形は「とにかくちがう」という違和感です。
なんだかわからないけどとにかくちがうからこそ行ってみたいと感じたわけだけど、
今度はネガ転してるから、とにかくちがうこの世界から出たい、ここではないどこかへ脱出したいと。
セルフアセンションが進むと、この違和感ベースのネガ波はポジ転して、当初の興味、関心が戻ってくるので、
自分の意識曼荼羅全体から見て、なるほどこの配置しかないね、という形で納得することができます。
スターシード云々というのは、この配置しかないという縁感覚を3次元語で説明した物語です。

ちなみに、地球派遣を了解したからといって、キャンセルできないわけではありません。
やっぱりなんかちがう気がするからやめるわ、となったら、興味、関心の感覚(波動)を手放してゼロポに還せばいいの。
私の場合、「おもしろそう」「やっぱりやめるわ危なそう」の間を揺れて二転三転してます(笑)。

五感の世界でどういう体験をするか決めるのは、心の世界での注目量です。
興味、関心というのはおおむねポジティブな方向で使われることが多い言葉だと思いますが、
その興味や関心が好奇心や心惹かれる気持ちではなく、心配や不安や恐怖という表現をとっていても、
感覚(波動)力学的には「興味がある」「関心がある」ということになります。

で、3次元世界では「物質の状態や動きが本当の現実を決めている」「自分を含めてすべては物質でできている」
「引き寄せとかインチキ、せいぜい気休めだ」という思いがいちばん強烈で、
意識はずっとそこに張り付いて注目しつづけているので、そのとおりの世界が実現しているのでした。
非3次元には統覚意識(自分)を制約してくる別宇宙とかそういうめんどくさいことは一切なく、
適合感、順風感ベースで動いているので、たとえば「30」といったらそれは+30のことです。
でも、パラレルワールドの選択つまり実現の決め手になるのは「30」という量であって、プラスマイナスは関係ありません。
30という量に見合う実現効果が現れる点は、ポジでもネガでも同じです。
キャンセルするんだったら、-でも+でもこの「30」をゼロポに還して手放せばいいし、
-を+に、+を-に反転させることもできます。
キャンセルした場合は、注目先(移行先、目的地)が変更になります。
なので、問題を解決するには問題にするのをやめること、
願いをかなえるには願うのをやめることが最速の道です。

すでに解決したことは問題にはならないし、すでにかなったことをまた願ったりはしないからです。
問題の解決方法をずっと思案していたり、願いごとをずっと願いつづけていると、
問題が問題として存在したり、願いがかなわず願いとして存在している状態に注目している、興味があることになります。
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  1. 2023/09/21(木) 13:57:38|
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思考の癖を変える

2022.12.28(水)

現在の私は、マインドの感覚(波動)が高めポジティブで安定しているので(これは非3次元では中立)、
以下に書くのは自分ごとではないんだけど、
問題がかたづいて、心や頭のなかに空隙ができると、ネガティブなことを考えだす癖のある人はけっこういるみたい。
つまりヒマになるとネガティブなことを考える。
放っとくとネガティブなことを考えている。
マインドがネガティブな思考波、感情波で満ちており、低めネガティブ不安定で安定している。
ときに沈み、「何もしたくない」とか「生きていてもつまらない」とか言う。

で、冬至の前日、これをぐるっとフル反転すれば高めポジ安定になるなぁ、と気がついたのです。
高めポジ安定マインドって、これを反転した状態にすぎない。で、反転のイメージ動画が出てきた。
放っておくとポジティブなことを考えている、というのはそういう癖。
ネガポジどっちにしても、ただの癖、習慣にすぎません。

で、思考の内容が何であれ、言葉やイメージになっていない思いや気分でも、
ネガティブなことを思っているというのは、自分に合わない、不適合感覚(波動)を感じている、
ポジティブなことを思っているというのは、自分に合う、適合感覚(波動)を感じている、ということです。
五感は目に見え、思いは目に見えないけれど何らかの「感じ(感覚)」であり、
「感じ」を五感層やマインド層に起きる波としてとらえたとき、
自分とズレた、アンフィットな感覚は「低い」波動、
自分と合う、フィットする感覚は「高い」波動と表現します。
低いとダメで高いと立派というのではなく、
低い波とか高い波とか擬似物理的で量的な表現ができるような、ただの現象であるということです。
なので、グラフ(図)を逆さにすれば、ネガはポジに、ポジはネガに反転します。

ネガとポジは-3と+3のような反転対称感覚(波動)であり、どちらも癖なのに、
なぜかネガのほうに親しみがあり、ナチュラルにしているとネガに傾く。
というのは、心のなかで立ち上げる3次元世界すなわち、
五感の対象が物質として実在していると想定し、その物質が森羅万象を取り仕切っていると想定した世界では、
あらゆる変化を想定した物質の法則にしたがって解釈し、
放っておくと古くなって機能低下する、壊れる、病気になる、老いる、死ぬ、といった末路をたどることになるので、
この下り速度を緩めるべく対処しなければならないからです。
結末がアンハッピーエンドと決まった脚本みたいなもので、下りがデフォルト(既定の設定)なのです。
3次元は、この下り感を体験するための下りテーマパークなので、
ナチュラルにしているとネガティブなことを考えているのは当たり前。

これをつづけたければ、いつまでつづけてもかまわないのだけど、
やめようと思えばいつでもやめられます。
しかし、意識せず習慣的にそうしている思考癖を変えるのは、姿勢や動きの癖を直すのと同じく、
最初はその切り替えに意識的に取り組まないといけないし、ある程度練習を継続する必要があります。
でも、好きで手芸をやっている人にとって、その作業が苦ではなくむしろ楽しみであるように、
思考癖の反転も好きでやっていると時間がかかっても楽しいですけどね。気がつくことがいっぱいあるし。
心のなかがポジ優位になると、引き寄せや問題解決も上手くなります。

心のネガ癖をポジ癖に変える方法は、いろいろあります。
今回の記事では、その方法について詳述はしません。
関野あやこさんや並木良和さんなどが提唱しておられる統合ワークでもいいし、
私が提唱したセルフ(統覚視点)回帰ワークでもいいし、
ヨーガや呼吸法や瞑想などを使ってもいいでしょう。
いくつかの方法を組み合わせたりアレンジしたりして、自分流にするのももちろんいいと思います。
最近の私だと、思考癖反転に直接関係するワークは「ゼロポイントフィールドとつながる」だけですが(そうすると
自動的に統覚視点に戻れて、手放したほうがいい感覚は自動的に剥離してゼロポに還るので)、
趣味で瞑想や呼吸法を中心としたヨーガを加えている感じです。
セロトニンを増やす、テストステロンを増やす、
ワーキングメモリ(頭のなかの作業机)をきれいにすべく余計な思考を一掃する(メモして保留にするかスルーする)、
といった、3次元自然科学や社会科学で説明できる方法を補助ツールとして使うのもアリでしょう。
3次元という想定世界を脱しつつ、そうした3次元サイエンスの方法を採用するのは矛盾と思えるかもしれませんが、
脳とか自律神経とかをチャクラだのスシュムナー管だの経絡だのと同列とすれば、
ケースによっては使えます。なので、道具箱に入れておけばよいと思います。

なお、身体という概念や、「私の思い」「私の生育史(記憶)」といった主観が剥離していって、
ただの感じ手(統覚意識)に戻るという体験を何度も重ねると、
ポジでもネガでも、言葉やイメージになったその内容がどうであろうと、
収縮感とか沈殿感とかイガイガとかモヤモヤといった「感じ(これを周波数という)」であり、
感じ手の自分に適合していればフィット感(ポジ)、不適合なら違和感(ネガ)があるとわかります。
よく聞くのは、ネガティブな思いを手放すということをやりだすと、そのネタの尽きなさ加減、同じネタのループに圧倒され、
「自分はなんてダメ人間なんだ」という自分責めに入ってしまうというパターンです。
が、おなじみのネタであろうが、自分責めだろうと他人責めだろうと、
何らかの「感じ」であることには変わりないので、合わないと感じたら手放せばいいのです。
ネタの内容は関係ありません。
統覚意識が定位置になると、ネタの内容を吟味、深堀りすることなく整理が進みます。
ちなみに、私の場合、「収縮感」はネガティブな感覚ですが、ポジ転すると「凝縮感」になります。
「沈殿感」は「定着感」、イガイガはパチパチ、
というように、ネガティブというのはマイナスの傾きをもつ表れかたなので、
ポジ転するとプラスの座標で似たような「感じ」になります。

あと、心の癖反転を加速させるには、
何か困ったことや心配ごとが勃発したときに手放しワークをやる、のではなくて、
年がら年中、ネタがなくても、統合ワークなりセルフ回帰ワークなり何なり、隙があり暇があればやることですね。
まず朝とか夜寝る前とかに3分でも5分でも、じっくりしっかり、
それと電車を待ちながら、電車での移動中に、歩きながら、電子レンジを使っている間とか、ちょっと手隙のときに。

2000年代の私は、どっぷり3次元の人で、
ときどき「どうしたらしあわせになれるかなぁ」とか「どうしたらワクワクすることが見つかるかなぁ」とか言ってました。
といって、とりたてて不遇、不幸だったわけではなく、
過去のことをいろいろふり返って、「あのときもっとなんとかならなかったかなぁ」とか、別の選択ができたのではないか、
と考えてしまうことが多かったからだと思います。もうよく憶えていないんだけど、たぶんそう。
でも私の場合、「あのとき別の選択が」と考えはじめると、「生まれてきたのがまちがいのもと」
というところまで行ってしまうんですね。
なにしろスターシードwwwなので、幼少期まで遡っても黄金時代はないんです。
だから「どうしたら」というボヤキになるんですが、盆からこぼれた水はもとには戻せないんで、
なんとか最後までやり過ごすしかないなぁ、というのが通奏低音でした。
ただ、自然体の私を「変だ」と言うのなら、その「変だ」と言っている人が変だと思う程度の、
つまり自分は優れた選ばれた人間だというのではなく、べつに劣ったハズレ人間ではないという程度の、
根拠不明の自己肯定感があったので、メンタルヘルスはそこそこ良好でした。
で、「頭のなかを静かにしておく時間がほしい」という動機から、自己流で瞑想をはじめます。
2010年代に入って、チャネリングがはじまったり、左右でちがう周波数の宇宙音が聴こえるようになったり、
いろいろあって、3次元時空の「人生」とか「生命」に限定されていた私の世界観というか宇宙観は
どっかんガラガラと崩壊していきますが、
まだまだ、放っておくとネガティブなことを考えはじめる人でした。
と、数日前にふと気がついたんだけど、
いろいろあった2011年時点では放っておくとネガティブ、15年くらいでもネガティブ、17年あたりでも変わらず、
19年、20年でもまだそう。って、あれ、いったいいつポジ転したんだよ!?
と、思わず自分で突っ込んでしまいましたが、
21年後半から自分のなかでポールシフト(軸反転)が起きた感があり、ようやく2022年の春くらいからなのでした。
げ、ついこないだじゃん。
こんなに各駅停車進行なのは、癖反転へのコミットメント(発心、決心)を遅らせていたから、
というか、最初から東海道新幹線でいうと「のぞみ」じゃなく「こだま」のチケットを買っていたんですよ。
ネットなどで見かける、推奨商品や推奨サービスについてのアンケートに喩えると、
「申し込みたい」「もっと情報収集して検討したい」「申し込みたくない」の三択があるとして、
ずっと「検討したい」のチェックボックスにチェックを入れていたわけ。
それは、本音では「申し込みたくない」んだけど、相手企業に気を遣って「検討したい」にするんじゃなく、
文字どおり「もっと情報収集」が目当てでした。
私は3次元のしくみとか、3次元へのフェインドインのメカニズム、何が3次元離脱のきっかけになるのか(答は、
「私は何者なのか」ではなく「私」という主語、この一人称意識に関心が向くこと)、
自分で望んだ覚えはないのになぜ3次元に降りているのか(答は、知っていることを体験として確認しようとする
宇宙にとって、3次元は最後の未体験ゾーンだから。望んだ覚えがないという欠落記憶は、不自由や制限といった
ネガティブなマインドをテーマとする3次元へのフェイドインが成功していることを意味する)、
そういう七面倒くさいことを知りたい星人だったのです。
なので「リクツがわかったら次のフェーズに進む(正確には、次に進むと同時にリクツはイッキに解けるので、
リクツを解凍できる状態になるまで次に進まないこと)」ように調整していたのでした。
リクツに興味がなければ、とっととコミットして反転シフトを進めていくことをお勧めします。
「放っとくとポジティブ」がナチュラルな非3次元でも、順序とか筋道とか構造はありますが、
これは実技で腑に落としていく世界だから、譜面が読めなくて耳コピで演奏するみたいなのでも全然OKです。
このやりかたでいいのか? という検証は、フィット感があるか? 心地いいか? リアリティある?
という実感で確認していけばいい。
自分のマインドを変えること、意識を広げることに興味がある、というのがもちろん前提ですが、
アイデアにしても情報にしても物資にしても、推進力を呼び込む鍵はこうすると決心すること、コミットメントです。
  1. 2022/12/28(水) 14:40:03|
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3次元を「出る」角度からわかること

2020.10.24(土)

前回につづいて、セルジィ@金星とのチャネ談です。
途中で別のentityも出てきます。

みけ 何かあったときに、他人や社会のせいにするのも自分の責任だと考えるのも、
どっちも好きじゃないなぁ。どっちにも違和感があるし、責任っていう概念が重いよ。
軽やかさがないんだよね。
他人とか物とか社会とか、「外側」のせいにすると、自分では変えられないことになるから、
自分の責任と考えたほうがましなのかもしれないけど、
事態が打開できないと、今度は無能とか怠惰ってことで自分を責めて萎縮するじゃん。
セルジィ だから、そういう自分も「外側」も、両方とも「外側」なんだって。
他人や物や社会は、最終的に思考上で想定された物質に行き着く、
物質は「誰彼の感じかたとは関係なく客観的に存在する」と定義した客体X(ほかには
神、霊、エネルギーなど)の一種だから「外側」、
自分も、身体と身体にもとづく心からなると考えるんだったら、
これも最終的には思考上で想定された物質に行き着くから「外側」でしょ。
だから、自分のせいにしても他者のせいにしても、客体を想定していれば、
客体固有の法則(客体が物質なら自然科学とそれにもとづく経験則)が全部を動かしてるから、
どのみち「自分ではどうにもできないこと」が出てきてドツボるよ。
自分の身体だってどうにもできないんだから。客体なんだから。
客体を想定するってそういうことだもの。制限ビシビシ。
あなた、わかって言ってるよね?
みけ うん。責任ていう言葉が好きじゃないの。今、国語辞典を引いたら、
「人や団体が、なすべき務めとして、みずからに引き受けなければならないもの」だって。
うぇー、わくわくしないなぁ。
ルクレツィア@アルデバラン そういう「義務を負う」的なニュアンスじゃなくて、
「決定権」とか、著作権みたいな権利の概念としてとらえたらどう?
セルジィ あ、ルッツィー、久しぶり、元気?
ルクレツィア 相変わらず、てか会うたび綺麗さ増してるよね。
セルジィ まじすか!? うれP! ルッツィーもちょいロリめの周波数が超クールよ、素敵。

・・・しばしガールズトーク。筆者には意味不。

セルジィ うん、「決定権」でいいんじゃなくて?
みけ 「責任」は決定の結果がネガティブな方向に行ったときに使われがちな言葉だよね。
責任能力、連帯責任、免責事項、責任をとらないと無責任。
セルジィ だから「責任」ってワードやめようよ。
それ、想定した物質(客体)に働きかけてコケて、後始末の担当者をはっきりさせよう的な、
客体ありきの3次元発想だからさ。
みけ この世に生まれた、あるいは地球に生まれたのは自分が選択したからだ、同意したんだ、
っていう言説があるよね。けど、どう顧みても、そんな決定をした憶えはないんだよね。
セルジィ 3次元をやってみたいとか、3次元体験を通して「成長」っていうストーリーを描いてみよう、
っていう角度だったら、「なぜここ(この世、地球)にいるのか?」っていう問いを投げてると、
自分で選んだ、同意した、っていう答に得心できると思う。
それがその人の一人称意識(統覚視点)の角度であり、その角度のパース(パースペクティブ、
見取り図)が出来上がるから。
でもあなたの場合、「3次元を出るということをやってみよう。そうすると3次元から出るときに
3次元のしくみがわかる」という角度だから、出る時機が来るまで目的は見えてこないんだよね。
この角度だと、最初から出るほうが目的だから、3次元には浅く浸かるだけで、
背後に物質を想定した状況に反応するにしても反応を抑えるにしても、とにかくドラマチックじゃないし、
幾多のドラマをへて成長しているという実感もない、
3次元の制限ゲームを楽しんでいない、エンジョイしていないの。
3次元に浅漬けされてる間は、ひたすら居心地がわるいだけ。
だから、選択肢を示されて自分がこれだと決定した憶えはない、
気がついたら放り込まれてた、ある種のフィッシング詐欺みたいなもんだ、ってなるのは当然。
あたしも(地球にいたときは)そうだったし。
みけ 「3次元を出るために、いったん3次元に入る」という角度には、今年(2020年)になってから、
つい最近気がついたんだけど、
それにしても、そのことがそんなにやりたいことなのか?
お金を稼いで衣食住を整えないと生きられないとか、病気になるかもしれないとか、
地域によっては戦争がある、というか惑星全体として治安がよくないとか、
そんなリスクを冒してまで? 
非3次元で悠々くつろいで、イルカと遊んで、ってほうが私には合ってますけど? って思うんだけど。
セルジィ だけどあなた、信じてることがひっくり返るのって大好きじゃない。
みけ ・・・。
セルジィ 衣食住がどうとか、病気とか、暴力沙汰に巻き込まれるとか、
「これが誰にとっても同じ現実なんだ。逃げられないんだ」っていったん思い込みかけて、
それ全部、物質(客体)という想定にもとづくものだってわかって、
くるっ、ポン、と180°反転するんだよ?
で、もれなく3次元の種明かしも付いてくるわけ。すごくない?
みけ ・・・やばいわ。駄菓子屋のおばさんに「1等はプラモデルだよ」って言われてるみたい。
スカだと粒ガムだけど。
だけど、自分が選択した、同意したっていう情景(「記憶」と呼ばれるマインドの感覚)は
欠けてるんだよ。お膳立てができてたとこまでしかわからない。
セルジィ マインドを超えたところ(高次)の決定って、ストーリーにならないこともあるよ。
憶えがなくても腑に落ちればOK。
みけ 非3次元のコミットメント(決定)って、いくつか選択肢を示されて「どれにしますか?」
っていうんじゃなく、自分の欲することイコールあらかじめ決まっていたこととして、
一択で決まるんだよね。「選ぶ」というより「わかる」って感じ。
それで、背中をグイグイ押されつつ自分の意思で歩いてる、みたいな感じになる。
セルジィ そもそも、生まれることを選択したとか同意したとかって、
ソフィア@シリウスふうに言えば「未知を既知に還す運動」を3次元のしくみに当てはめた意訳、
ほとんど超訳の意訳なんだよね。
その翻訳が合う角度もあるし、合わない角度もある(合うかどうかは人によるという意味)。
あたしだって地球人だったとき、その選択とか同意とかってオカルト話をどっかで聞いて、
ふざけんな、おととい来い、って思ったよ。
みけ そっか、「運動」なのか。
セルジィ そう。運動の主体は統覚視点の自分と、自分が感じて創りだした感覚像、
両方がセットで起こしてる自律的な運動。
知りたいことはすでに知ってることなんだけど、知らないことにして、知ってることを思い出そうっていう、
すでにできてる絵をピースに分割してジグソーパズルをやる的な。
3次元をがっつり体験するのも、成長っていうストーリーをやるのも、3次元から出るために入るのも、
それぞれジグソーパズルで、正解もまちがいもないの。
みけ そういえば、私の宇宙には「宇宙連合から地球に派遣されたスターシードが場の周波数を
上げる」っていうお話があるけど、
あれも、感じ手(統覚視点)と感じる対象を分断し(対象は物質などの客体でできており、
感じ手とは関係ない独立した法則で動くと想定すること)、
さらに対象をいろいろなカテゴリーで分断していくことによってできあがる「物質化(客体化)した他者」
を、物質(客体)という想定をはずして感じ手が感じる感覚像に戻すってことでしょ?
統覚視点から見たパースの感覚像だったら、それが誰であろうと何であろうと、
整っていて(コヒーレント)統合されてるに決まってるもの。そりゃ周波数は上がるよ。
セルジィ うん。スターシード云々っていうのは、
3次元をいくらか体験するにしても、浅漬けで出るにしても、あなたの角度は出る方向だよ、
ってことを示す寓話情報のひとつなんだよね。
もちろん、同じことを伝えている別の寓話情報もあるでしょうし。 
  1. 2020/10/24(土) 15:26:25|
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物質を想定するか、しないか

2020.10.10(金)

かつて、私は、精神世界で「アセンション」と呼ばれていることは、
見えたりさわれたりする世界から、見えたりさわれたりしない世界へと知覚が広がることだと
考えていました。
具体的には、見えない存在と対話したり、見えない場所で起きていることが感知できたりして、
その結果、見えない世界の全体像とかしくみがわかること。
見えない世界は見える世界をその一部として含む、と考えられたので、
見えない世界へと知覚が広がることは、知覚できる世界が大きく広がることを意味します。
これは意識できる世界が広がるということでもあるので、
アセンションとは意識が広がることである、というような言いかたをしていました。

左右の耳から周波数のちがう音が常に聴こえるとか、
身体が常に微弱に振動している(弱い電流が流れているような感じ)とか、
トランスせずにチャネリングが起きる、というような現象が、
私の場合は2011年の秋から起きるようになり、
そうしたことを知覚の広がり、意識の広がりの一種ととらえていたということです。

見えたりさわれたりしない世界が知覚できるようになったとしても、
見えたりさわれたりする世界は依然として存在しており、
そこでは、健康状態の変化とか、収支の増減とか、人とのやりとりがうまくいくとかいかないとか、
そのときどきによって、さまざまなことが起きます。
この見える、さわれる世界のことを、精神世界だけでなく一般的にも「現実」と呼びます。
私は、見えない世界へと知覚が広がったとしても、そこで感知した現象、知った情報などが、
その「現実」の運営に役立たなければ、ただのおもしろオカルト現象で、意味はないな、
と考えました。
それで、どうしたら見えない世界から得た情報を「現実」にうまく活用できるか? という方針で、
ずっとアプローチしていました。最終目標は「“現実”に変化をもたらすこと」です。
私にとっての「現実」とは、仕事を引き受けるとか断るとか、体調の回復とか金策とか、
ベタベタに生活的なことで、
生活に関係ない陰謀論とか宇宙サーガとかニュースの裏読みとかには興味がありませんでした。
このスタンスは2011年から19年半ばくらいまでつづきます。

今ならわかりますが、見えない世界で感知したこと、得た情報を「現実」に活用するというのは、
3次元に入ってそこに定着するとき、いわゆるディセンション(次元下降)期のやりかたです。
部族のシャーマンとか、古代の神官なども、それぞれの方法や「現実」の状況はちがっていても、
「見えない世界の情報を“現実”に活用する」という方向性は同じでした。
見えない世界を知覚して、そこで感知したことを言語化したり、情景化したりして、
自分なりに情報化できるようになると、「現実」に対処するのが上手くなります。
それまでとは思考の使いかたがちがってきて、
自分からアクションする(ネットや本で調べたり行動プランを立てたりする)前に、
「どうすればいい?」「こういう結果を出したいけど、そのために今何をしたらいい?」
という問いかけを、見えない世界に対してしておくと、
どんどんヒントが降りてきて、
自分だけで思案していたときには思いつけなかった方法が見つかるからです。
というか、見えない世界とつながりができることによって、
常に「?」という感じの探知波を出すようになって、
必要な情報があれば速攻集まってくるので、判断や決断が高速になるのです。

しかし、この「現実」に活用するというアプローチには限界があります。
それは「現実」の実体を物質だと想定していることによる限界で、
物質固有の法則(物理学や化学など)から逸脱する、
その法則にもとづく一般常識から逸脱するとなると、
そこでストップがかかり、空振りしたり、不発に終わったりします。
本人が自覚していない習慣的判断(潜在意識)が、
どのあたりで、何に対してストップをかけるかは人によるのですが、
特定の案件になると、「現実」の物質性が妙にクローズアップされてきて、
ありえない、ムリ、できない、といった思いが優勢になったり、
その思いがここを突破できないともうダメだ、という追い詰められ感になったりして、
絶対通したいオーダーだけは通らないとか、
いちばん助けてほしいときに見えない世界からのサポートが得られない、
といったことが起きます。
ここから先は物質固有の法則が動かす世界、常識が動かす世界だからタッチできない
という限界ラインがあり、
「現実」の実体である物質に主導権(「現実」の創造権)を委ねているということです。

しかし、オーダーが通らないとかサポートが来ないといったことは副次的なことで、
本当の限界は、このアプローチだと3次元を出られないということです。
物質が究極の「現実」で、それが広がっていたり、奥行きや内部をつくったり(空間)、
過去から現在、未来へと変化していく(時間)、
そういう世界で、物質でできた環境や物質でできた身体から絶えず繰り出されてくる問題を
クリアしていく、そうしたゲームみたいな営みが一生つづく。
もし転生を「あり」とするなら、これは一生では終わりません。
自分が認識する対象(物質)に主導権を与えていると、乗り越えても乗り越えても、
主導権を握っている側(物質)から何らかの問題が湧出してきます。
それでいいんだとか、人間とはそうしたものだと考えているとか、
まだまだそういうのを体験したいぞ、というのならそれでいいのですが、
私にとっては、これはゴールじゃない、という腑に落ちない感がありました。
アセンションって、見えない世界の現象や情報を使って「現実」を上手く回せるようになることか?
いやそこはオチじゃないだろ、という感じです。

ところが、あるとき(2018年の半ばくらい?)、私は、
これこれの色や形をしていて固い、冷たいといった物理感覚があるのはたしかだけども、
それらの感覚の向こうに物があるとは限らないと気がつきます。
物理感覚は直覚だけど、物質は直覚できないからです。
そして、物質はない→いや、ないともあるとも言い切れない、正解はない→正解がないのに
物質の存在が自明の常識になっているのだとすれば、これは想定だ。
だったら「物質はない」と想定してもいいはず、というプロセスをたどって、
私は「物質はない」ほうを選びます(コミットメント)。
「ない」ほうを選んだのは、その時点で、物理感覚の向こうに物がある感じがしなくなっていた、
物質のリアリティが希薄になっていたからです。
私の場合は、音源がないのに音が聴こえるとか、物理的な理由がないのに振動を感じるとか、
物質の作用からでは説明できない現象が起きていたことにもよりますが、
とくに不思議系の現象が起きていなくても、
何かその人なりの理由で「ない」を選ぶこともあるでしょう。
「物質はない」と想定することは、物質の全否定ではなくて、
物質や、その原理、法則は、究極の第一義的「現実」ではなく、
「物質があるとすれば」と仮定したときの「思考現実」
だということです。
なので、ある感覚を人に、もしくは自分で自分に説明するとき、
「筋肉を動かす」というような表現を使うこともあります。
筋肉は実在しないけれども、思考上にある筋肉という概念を使うと説明がショートカットできる
場合があるので。
そういうふうに、比喩とか補助線のようなものとして物質という概念を使うことがあります。

物質を構成する原子の組み換えを伴う変化(化学変化、化学反応)、
物体の位置、形状、大きさなどの変化(物理変化)が起きて、
それが生体を刺激して知覚されるのが、
色とか形とか温度、触感などの物理感覚だとされています。
しかし、自分の物理感覚の向こうに本当に物質が存在するのかどうか、
自分の物理感覚を離れて確認できる人はいません。
自分の物理感覚の向こうに、
自分の物理感覚の有無や感じかたとは関係なく、
しかし自分の物理感覚に作用する(反応を起こさせる)独立した客体として
物質が存在するのか、しないのかは、
科学がもっと発達すればわかるという問題ではなく、原理的に判定できないことなので、
「物質はある」としても「物質はない」としても、どちらも想定です。
「ある」とすれば「ある」を前提とした世界ができあがるし、
「ない」とすれば「ない」を前提とした世界ができあがります。
物理感覚を感じる=物質がある、ではなくて、
物質というのは、物理感覚の向こうに想定された客体なのです。
にもかかわらず、いったん物質を想定すると、
物質があることは考えてみるまでもなく当然になり、それが究極の現実とみなされます。
究極の現実である、とは、あらゆる事象の第一原因であり、
ここ(物質)が変わらないと根本的には変わらないということです。
物質は、物理感覚の向こう側に存在すると思考上で想定されたフィクションであり、
内側(主観)と外側(客観)に分けるとすると断然内側なのに、
いったん想定するとバリバリの外側とみなされるという、フシギな転倒が起きます。

色、形、温度、触感などを「物理感覚」とするのも、物理からくる感覚、
すなわち感覚の向こうに「物質がある」と想定していて、
物質が視覚や触覚などの原因であるととらえていることを意味します。
「物質はない」と想定すれば、色、形、温度、触感などは、端的な五感的感覚で、
それらは原因(物質)への反応ではありません。
「五感的感覚」という言いかたも身体(物質)の実在を前提としているニュアンスがありますが、
文章にするときは便利なので、この表現を使っています。
厳密には「最もはっきりしていて段差の大きい感覚」のことで、
人によっては「五感」ではなく六感とか四感かもしれないし、
特定の感覚が突出して敏感だったり繊細だったりするということもあるかもしれません。

物質があるから物理感覚が起きる、と考えると、
物理感覚は物質への一次反応、
さらにその物理感覚から思考、感情、気分などの二次反応が起きる、
という流れ図ができます。
「反応」とは、刺激にもとづいて起きる運動のことです。
刺激の発信源とされている物質を想定しなければ、一次反応も二次反応も起きません。
「物理」によらない五感的な感覚も、思考や感情や気分なども、反応ではなく、
ただそのように感じられている感覚である、
これが腑に落ちて当たり前になると、ものすごく清々しくなります。
原因を求めて物質に遡行していくという習慣、すなわち対処行動が止むからでしょう。

五感的な感覚や、思考や感情や気分といったマインドの感覚が感じられるとき、
そのような感覚とともに、感じて認識している視点(統覚視点の「私」)があります。
この認識が物質への反応や物理感覚への反応ではないとすれば、
視点は認識すると同時にその感覚を創造していることになります。

五感的ではなく、思考や感情や気分でもない直感、直知、
メッセージやイメージの送受信感覚、ヒーリング感覚など、
この記事の前半に書いた「見えない世界へと広がった知覚(高次の感覚)」も、
そうした感覚が生じるとき、それらの感覚の視点が認識すると同時に創造しています。
「物質がある」と想定すると、こうした感覚は、
物質の組成のまちがい(脳の器質的障害、化学物質の過不足による神経の機能障害など)、
一次反応である物理感覚の誤作動(幻覚、錯覚など)、
二次反応である思考や感情などがこじれた心理現象(妄想など)とされ、
それで説明しきれない場合は、気のせいや偶然としてかたづけられるか、
未解決ファイルに入れられて忘れられるかするのですが、
「物質がない」のであれば、そうした原因もありません。
また、「物質がない」のであれば、物質の作用で説明できなくても、
ありえないことでも、奇蹟でもありません。
思考から物質という考えがなくなると(これは既出の記事で何度も書いてきた、
客体‐空間‐時間思考システムがはずれることを意味します)、
それまで物質固有の法則に反するイレギュラーな現象として遠ざけられたり抹消されたり
してきた高次の感覚は、これを阻止していた物質という思考がなくなるので、
思考や感情や気分といったマインドの感覚にスムーズに変換されるようになります。
したがって非常に直感的になったり、イメージが豊かに、鮮明になったり、
迷うという「物質の法則や一般常識と照合して検討する」時間なしに動いたり止まったり
できるようになります。
そしてそこから、マインドの感覚と相関する五感的感覚が感じられ創造されます。

高次の感覚も、マインドの感覚も、五感的な感覚も、
濃淡や質感がちがうだけで、どれも「私」という視点で感じられ創られている感覚であり、
どれも現実です。物質という考えに裏づけられていないという意味では、どれも像であり夢です。
「見えない世界へと広がった知覚(高次の感覚)」は、マインドの感覚を通じて、
絶えず「見える世界(五感的感覚)」に活かされているので、
わざわざ特定の場面を選んで活用する必要はありません。
超常現象は通常現象として常に起きている、両者は区別できない、という世界になります。

物質を想定した世界(3次元)から想定しない世界(非3次元)への移行、
覚醒、アセンション、次元上昇、等々と言われているそれは、思考の領域で起きます。
高次、マインド、五感の全部が感覚(波動、周波数)に一元化するのだけども、初発はマインド。
物質は思考として想定されているからです。
感覚オンリーの一元世界にリアリティがないとき、
「現実」は放っておいてもどうにでも変えられるなどとはとても思えないときには、
必ず物質という思考がマインドに返り咲いて復帰しています。
  1. 2020/10/10(土) 18:20:55|
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3次元も非3次元も想定、どちらを選んでもよい

2020.9.5(土)

宇宙を操縦するには二通りのやりかたがあります。
3次元と非3次元です。
宇宙とは、感じられるもの考えられるもの一切合切。
操縦するとは、具体的でない意図、デザインを具体的にすること。
3次元と非3次元では、宇宙のとらえかた、角度が180°ちがうので、
操縦方式も真逆になります。

一切を自分ごととして一人称で感じる「私」が何かを感じる以前に何らかの客体がある、
客体は「私」が感じようが感じまいがずっとある、と考えるのが3次元です。
「私」とは別に、独立した客体があって、
それは「私」の考えや気持ちとは関係のない独自の、固有の法則で動いている、
と仮定したとき、その仮定どおりに出力される世界が3次元です。
客体は感覚に先立って存在するという設定なので、
「私」という視点も客体に由来する自意識であるとされます。
客体Xは魂でも神仏でもエネルギーでも何でもいいのですが、一般的には物質です。
すべては物質でできていて、物質の法則にしたがうので、
「私」もまた物質(身体)に由来し、
物質(身体)の諸反応が言葉や言葉のような機能をもつ象徴記号で表現された、
「この身体と心」という自意識である、とされます。

一方、非3次元では客体を仮定しません。
なので、「私」が感じたその感じ、「私」が考えたその考え(これも「感じ」のひとつ)が
そのまま宇宙です。「私」とは何らかの「感じ」を感じる視点、感じ手のことです。
「私」が感じる、認識するとともに、その「感じ」が生まれる、創造される。
何の「感じ」もなければ(感じる対象がなければ)、感じ手もいないのだから「私」もいない。
いたってシンプルです。
自分が登場しない夢を見ていても、その夢を見ている視点(夢見手)は「私」です。
そもそも目覚めているときでも、3次元で定義する「私」(身体)は部分的にしか見えませんし。
残りの部分は全身という客体を想定したときの思考です。

3次元は客体を仮定した世界です。
非3次元は客体を仮定しないと仮定した世界です。
どちらも仮定、設定です。
なので、どっちが正しいとかまちがっている、とは言えません。
以下、わかりやすくするために客体Xを物質とすると、
青い色とか、すべすべした触感などの感覚が生じていることはたしかであっても、
そうした感覚の向こうに物質があることをたしかめられる人はいないからです。
観測機器を使っても、観測したデータは観測した人の感覚でとらえられます。
自分の感覚を介さずに物質があると確認できる人などいません。
同様に、物質がないと確認できる人もいません。
ということは、感覚の向こうには物質があるかもしれないし、ないかもしれない。
確認できないのだから、正解は出ません。
「ある」と設定すれば3次元、
「ない」と設定すれば非3次元です。
物理学ふうにいえば、「ある」と設定すれば粒子ベースに、「ない」とすれば波動ベースになる。
なお客体Xが魂やエネルギーなどであっても、感覚の向こうに設定されている点では物質と同じで、
そのあるなしは誰にも確認できません。

客体X(物質)のあるなしを誰もたしかめられない、世代交代してもたしかめられない、
つまり原理的に正解が出せない、ということは、
「この文章の文意を30字以内に要約しなさい」とか、
「この絵に描かれているリンゴは何を象徴しているか」といった類の解釈問題であり、
解釈の根拠は「~だとすると」という任意の設定だということです。
だから客体X(物質)が「ある」とするのも「ない」とするのも自由だけども、
いったん「ある」もしくは「ない」と設定すると、
その設定を前提に解釈が展開していく。

<非3次元>
客体X(物質)が「ない」とすると、
高次の感覚 → マインドの感覚 → 五感的な感覚
というように、だんだん感覚(波動、周波数)が具体的になっていきます。
「私」というのは全部の感覚(波動、周波数)を貫く感じ手です。
物質は「ない」ので、五感的な感覚は物質を物質(脳や感覚器官)が知覚して
(物質からの刺激に反応して)生じた物理感覚ではありません。
雲や蒸気のようなマインドの感覚が、よりはっきりと、具体的に感じられる感覚です。
マインドと五感の関係は、
たとえばマインドがCメジャー(ハ長調のド、ミ、ソが同時に鳴る響き)だとすると、
五感は「ド」「ミ」「ソ」のどれかにはっきり決まるという感じ。
「ド」「ミ」「ソ」のどれであっても、すっきりした、うまくいっている状態です。

<3次元>
物質が「ある」とすると、
物質 → 物理感覚 → マインド(思考、感情、気分)
と、物質に対して脳や感覚器官という物質(身体)が反応して物理感覚が生じ、
その物理感覚に反応して思考や感情などが生じる、という流れになります。
物理感覚を物質への一次反応とすると、マインドは二次反応で、
二次反応も物質の相互作用(脳の働き)に還元されます。
高次の感覚は物質固有の法則を逸脱するので「ない」ことになっており、
集積した経験則を無意識に活用したとか、空想、妄想と位置づけられ、
マインドの枠内に収められます。

非3次元も3次元も、客体Xを「ある」と考えるか「ない」と考えるかのちがいなので、
どっちを採用することもできますが、
「ある」を選ぶと宇宙のオペレーションが非常に複雑になり、
「ない」を選ぶと単純になります。

客体Xが物質だとして、
物質は「ない」とすると、
感じ手の「私」(統覚視点)が何かの感覚を感じると同時にその感覚が現れる。
それだけでオペレーションは終わり。
五感に限らずマインドの考えも高次の閃きも全部感覚(周波数)です。
濃淡がちがうだけ。

物質は「ある」とすると、
「私」は物質(身体)に由来する自意識と定義されます。
この自意識「私」が宇宙を操縦するには、
物理感覚とか思考や感情などの裏側で本当は何が起きているのか、
常に注意を向け、情報収集していなければなりません。
オペレーションの決定権を握っているのは本物の現実である物質(客体)であり、
物理感覚は物質への一次反応、思考や感情などは二次反応にすぎないからです。
起きた反応が思考や感情や気分であれば、どんな物理感覚への反応なのかを探り、
物理感覚は物質への反応だから、物理作用にさかのぼって原因を調べる。
さらにこれに空間(物質の広がり)や時間(物質の変化)という要因が加わり、
過去の一次、二次反応、未来に予測される一次、二次反応、
身体内部、細胞レベル、地域差、国際情勢、地球環境、等々も調査対象になります。
このように、客体(物質)を設定すると、
本当の現実(客体の動向)に到達するために感覚の裏側を探らなければならないので、
オペレーションがたいへん複雑になるのです。
客体(物質)はそれ固有の原理、法則(物理学などの自然科学の法則)で動いているので、
法則に合わないオペレーションは不可能です。
したがって、どんなにがんばって調査し、原因を追究しても、できることには限界があります。
そもそも「宇宙を操縦する、オペレーションする」というのは、
物質(客体)を想定していない非3次元ぽい言いかたで、
物質(客体)が「ある」のなら、「現実に対応する」と言ったほうが妥当でしょう。
現実とは最終的には物質(客体)のことであり、対応することはできても、
それ固有の法則による限界(たとえば寿命や耐用年数など)を超えることはできないからです。

私は前回の記事で「問題が起きたときに原因を追究すると3次元に戻る」と書きました。
それは、「どうしてこの問題が起きたのだろう?」という発想をしたとたん、
感覚を物質(客体)への一次または二次反応としてとらえることになり、
自動的に「物質(客体)あり」の世界になるからです。
客体Xを考えない非3次元では、感覚に裏はありません。
なので、非3次元に行くと決めている(コミットメントしている)のであれば、
「自分に合わない感覚(“私”のものではない感覚)」は裏を探らずに手放すほうが賢明です。

ともかく、どちらを選んでもよく、どちらに出入りするのも留まるのも自由で、
優劣もありません。
ただ、客体Xを想定した世界、ザ・3次元のしくみが体験学習的にわかるのは、
ここから出て行くときだけです。
非3次元に留まっていればガイドブックで知った外国みたいな感じでしかわからないし、
3次元に留まっていれば物質(客体)の存在にリアリティがあるので、
想定だの統覚視点だの絵空事吹いてんじゃねえよ基本は脳だよ塩基配列だよ分子だよ、
ということになって、思考の構造体としての3次元世界は見えません。
これは3次元がおバカな世界だからではなく、
「物質(客体)は実在する」ことが大前提のお約束だから。
3次元にリアリティがあると、
客体‐空間‐時間思考がうんたらかんたら・・・といった類の形而上話を見聞きして、
それがロジックとして理解できたとしても、
なんか、「三角形は頂点の周りの角を勘定に入れれば本当は六角形だ」とか、
「周りはひとつの平面だから周りの角はひとつとカウントする。そしたら四角形だ」とか、
落語の『時そば』の会計ゴマカシ話のようで、こじつけっぽく、腑に落ちないでしょう。
そして非3次元から3次元に入って、定着するときには、
非3次元の方法で、つまりきわめて直感的、感覚的に慣れていき、
「いつのまにか客体(物質)があるのが当たり前になっていた」、
さらには「客体(物質)がどうこうとか考えたこともない」ところまで行くので、
3次元の全体構造はわかりません。
「客体(物質)があると想定する」こと自体、
「軸をずらす(自分と対象を分離して対象のほうに決定権を譲る)」
「重たく混雑している方角に照準を合わせる」というように感覚的です。
つまり高い波動のやりかたで波動を下げていくので、いちいち考えてないのです。
でも3次元から出て行くときは、複雑さや困難さに慣れた状態から単純なほうに移るので、
高い波動のやりかたをとり戻しつつ波動を上げていく過程で、
「高い周波数の感覚と低い周波数の感覚を比較対照する」
という、高波動時代には思いつけなかった複雑なふるまいができるようになっており
(これは喩えるなら飛行しながら回転やヒネリを入れるようなワザです)、
「時間がかかると思い込んでいたんだ」とか、
「現実は思い通りにならないのが大前提だから実際思い通りにならなかったんだ。
てことは結局想定どおりじゃん」とか、いろんな形で3次元のからくりがわかるのでした。
  1. 2020/09/05(土) 15:17:47|
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
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電子書籍をつくったり読んだりできるサイト「パブー」とアマゾン(キンドル)で『サウンド・オブ・ウインド』という本を出版しています。パブーの紹介ページ(下記URL)では、右上にある「みけ」という著者名を押すと、拙著の一覧を表示するページに飛びます。

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出版案内3

2016年に紙の本として刊行した『トランジット』を、2022年9月にパブーで電子書籍にしました。内容は一部改稿しています。

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