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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

演奏会

2023.10.1(日)

地元の市民吹奏楽団の定期演奏会を聴きに行った。
昨年はコロナ感染症騒動でお休みだったのが、復活したんである。
いまふり返ると奇妙な感じがするけど、2020年と21年は開催されたんですよ、定演。
流行の谷間期だったのか。
2020年は吹奏楽コンクールも海外のショパンコンクールも中止されたのに。
そういえば私は、21年に延期になったショパンコンクールでは何かが起きる、というお告げをイルカのヒーミルから受けていて、
周りの人は誰も興味を持ってないから相手にされなかったけど、
反田恭平氏が2位になったのだよね。で、今年だったか、4位入賞の小林愛実氏と結婚してどうのこうの。
日本人が2位に入賞したのは1970年の内田光子氏以来ひさびさだったみたい。

それはそれとして、前から思っていたのだが、プロアマ問わず、演奏会に「定期」のジを付けなくていいんじゃない?
実態は毎年同じような時期に開催しているとしても、で、いつもの会場を予約し、相応の準備をして進めているとしても、
「定期に開催されるとは限らない、来年もあると思うなよ演奏会~一期一会」
「春のコンサート~気が向いたら秋にも開催するかも」とか。
なんとなく、流れで、ノリで、気がついたらイベントになってました、みたいな。あくまで私の好みだけど。
なぜ定期なの? 楽団員のモチベ維持のため? 
あるいは「定期」のジがあるのとないのとでは補助金の額が云々といった大人の事情?
それとも演奏会は楽団の集団無意識的には祭事なのか? 三社祭とか葵祭とかと同じで?

あと、幼稚園保育園や小中学校に出向いての教育啓発コンサートなどでなければ、
ポピュラーミュージック以外には関心が薄いことを前提にした、聴衆に配慮した曲目も入れなくていいと思ふ。
今流行りのポップスとか、幅広い世代で親しまれているアニソンとか、有名な交響曲の第一楽章だけとか、そういうの。
ダンスとか、緩いギャグを交じえたトークなんかも、敢えて演出として入れなくてもよい。
内発的な企画意図があったり、
アドリブでダンスやギャグが溢れちゃって滑ろうがなんだろうがどうにも止まらない場合は別として。
もうね、その楽団なりバンドなりが演奏したい曲を演奏すればいいと思ふの、全力で。
といっても、メンバーによって好き嫌いとかこんな高い音出ねーよとかいろいろあるだろうから、
そのへんは内部の企画委員会で調整するとして。
何をどう工夫しても、途中で寝るお客は寝るし、泣く子どもは泣くんだから。

聴衆の、観客の、読者の、視聴者の、ユーザーの裾野が広がるというのは結果であって、
そういうことが起きるべき時機に起きるのであり、
それを「裾野を広げる」というふうに仕掛けていくと波動が下がって不完全燃焼でモヤモヤしてつまんなくなるんですよ。
それをやっていいのは仕掛けることそのものに喜びを覚える仕掛け大好き受容体があるオリオン星人だけ。
放っといたら来ない人は呼ぶ必要ないし、
放っといても来る人は、わざわざ寄せていかなくてもその人なりに勝手に燃焼してくれる。
自分がお客のときにそう思うのだが、
未知の演目でも親しみが湧かなくても、奏者、演者のガチってけっこう伝播しちゃうもので、
へんに忖度されたエンタメよりそっちのほうが印象に残る。
かつて「中国の不思議な役人」(バルトーク)の吹奏楽版をAIかと聴き紛うばかりに正確無比に演奏した**学園とかさ、
そういうバンドは、努力してポップスとかジャズめの曲とかやることないよ。
「ブリュッセル・レクイエム」「宇宙の音楽」「アルメニアン・ダンスPARTⅡよりロリの歌」みたいな大曲をふたつみっつ、
愛想なしアンコールもなし、即撤収して楽器搬出、そういうゼータ星人ぽいのでよい。
それで脳波がθになるお客は、δまで突き落として熟睡させてあげよう。
今思いついたのだけど、「アスペルガー序曲」って吹奏楽にありそうなタイトルだな。ムズかしそう。
裾野が広がるとしても、もうまっさらなフロンティアなどなく、オタクがクロスオーバーするだけである。
人口は減るし、亀裂ははっきりするし、分断された人びとは袖も擦り合わせることなく、言葉も通じない。
だったら、わざとらしく共感波を広げて予定調和に陥るのではなく、好きなことを好きなようにやればいいんじゃなくて?

だいいち、演奏する人はお客のことなんか考えていない、と、私は確信している。
インタビューなどでは「お客様のことを考えて」「ファンのために」的なことをしゃべるとしても、
それは潜在意識に刷り込まれた様式に則って自動的に発声してるだけで、本番でも練習でもお客のことは念頭にない。
作曲家は作品のことを考えているし、
指揮者はもちろん作曲家の意図など考えておらず譜面を音として響かせることに専心しており、
ともにお客は視界に入っていない。
指揮者やコンサートマスターやソリストが会場の一階のここ、二階のかしこでの聴こえかたをチェックしているとしても、
それはこれから演奏する曲のためであって、お客のためではない。
これは音楽に限らないけど、形になって現れるものにはそれ自体に何か力があって、
奏者や演者の心身は、上手い下手に関係なく、その圧倒的な臨場力に占拠されており、
お客とか評価とかお金とかに注意を割く余地はない。

これはアートの神様降臨神話とかそういう類の話ではない。
ただの事実。
学芸会でも忘年会でも披露宴の余興でもなんでもいい、そういうのを何かやったことがある方なら思い当たると思う。
本番の最中でも練習のときでも、お客様のことを思い浮かべて注意を向けましたか?
本番や練習の前後ではなく、本番の最中や練習しているそのときにですよ?
ことは音楽、演劇、芸事に限らず。プロでもアマチュアでも関係なく。
文章を書く人は読者のことを考えていないし、絵を描く人、写真を撮る人は見る人のことを考えていない。
料理をする人は(自分を含め)食べる人のことを考えていないし、
掃除をする人は(同上)そこを使う人のことを考えていない。
形になるものが何であれ、臨場のときにそんなヒマはない。

完成形は心のなかという外部にある。
それを五感の世界で形にする人は、その完成形が五感に伝播してくること(臨場力)を妨げなければいいだけ。
練習や鍛錬は、無自覚にやっている妨害に気づいてそれを除いていくこと。引き算。

ちなみにチャクラや経絡、脳や内臓や骨や筋肉だって、心のなかという外部で設計された内部です。

クラリネット奏者がB(ベー)の音を鳴らして、ほかの楽器が合流し、壮大なBの星雲ができる。
管弦楽ではオーボエのA(アー)の音でチューニングするんだけど、吹奏楽だとBなのです。
Bとはピアノの鍵盤だとシのフラットの音、Aはラの音です。
ズシン、と足裏に来るようなすごい音圧。振動。
音だけでなく、色も形も、香りや味も、思いもイメージも振動しているのだと感じる。
世界は精細に振動している。
しばらくするとBの倍音のFが聴こえてきます。
これだけでワクワクするね。
この日、いちばんハートをワシ掴まれたのはじつはこの冒頭のチューニングなんだけど、
感想を書くカミは「よかった曲にマル」する方式だったからそのことは書かず、
指示どおりマルしたうえに、低音パートのここがよかったとかシンコペーションがっもっさりしているとか、
思いつくまま小姑っぽいネチネチした感想を書きました。
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  1. 2023/10/01(日) 14:38:09|
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生オケ聴いた☆

2023.2.21(火)

19日の日曜日、ラジオのクラシック音楽番組の公開収録に行った。
毎週日曜19:20~20:20NHK・FMで放送されている「ブラボー!オーケストラ」という番組である。
電波メディアの公開収録というものに立ち会ったのははじめて。
とはいえ、今回はふつうのコンサートとあんまり変わらなかった。
曲目は、
・交響詩「悲しみの夜に」 リリ・ブーランジェ
・ピアノ協奏曲イ短調(作品7) クララ・シューマン
・組曲「カルメン」1番・2番 ビゼー・作曲/ホフマン・編曲
放送予定日は3月6日(日)と12日(日)で、
3月8日の国際女性デーに合わせて、女性作曲家の曲や、女性を題材にした作品を選曲したとのこと。
それで、指揮者(齋藤友香理さん)もピアニスト(伊藤恵さん。「恵」は「けい」と読む)も女性なんですと。
オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団です。
アンコールは、ピアノのほうはロベルト・シューマンの『子どもの情景』から「トロイメライ」、
オケは、組曲「アルルの女」(ビゼー・作曲/ギロー・編曲)から「メヌエット」と「ファランドール」でした。
「ファランドール」大好き♪ オーケストラに1曲だけリクエストできるとすれば、これを選ぶというくらい。
じつは生で聴いたのはこれがはじめてで、無人だったら立って踊りたいくらいでした。

オーケストラの生演奏って、もうすごくすごく久しぶりだったので、
そろった音程の音が塊で迫ってくるのってすばらしいなぁ、と、痺れた。
ラジオ局の人の説明によると、録音の調整という目的もあって、
リハーサル段階からホールのいくつかの位置での響きを入念にチェックしたうえでの本番だったとのことで、
市の多目的ホールの音とは思えない全開サウンド。
私の席は1階中央ややうしろだったのに、「カルメン」組曲の前奏曲では、
フルートソロ奏者のブレスの音が聴こえてびっくり。
ちなみにフルートの息量ってパネくてチューバ並み(ちょっと実奏経験あり)、
中学高校の吹部オケ部などではお嬢様然とした女子高生が奏していることもあるが、ナメるとひどいよ。
私の偏見では、フルートのパイセンは怖い怖いと云われるクラのパイセンより野生的だからね。

野生的といえば、2020年代くらいから、西本智実さんがオーケストラから引き出してくる野生サウンドに
魅力を感じるようになった。むかしはこの土のついた野菜、または種あり葡萄みたいな音がつらかったんだけど。
「村でいちばんのヴィルトゥオーゾ(名人)」が集まって演奏しているみたいで、
洗練されていないモソモソしたくぐもりから農民一揆とかステンカ・ラージンの乱みたいな炎のような力強さが
湧き上がってくるのが爽快。
ユーチューブで聴いたチャイコフスキー5番(ロシア国立交響楽団)など、負け戦と凶作で目を開ける気力もない
鬱の極みみたいな出だしから、厳しい冬を耐えて、春の訪れとともに朗報が来て、村祭りの大団円めでたし、
といった感じの流れで、こんな民話チックなチャイ子もありなのね、と新鮮だった。
かつては、技術もこだわりも一流のそれぞれの奏者をとにかく統率し、意思の貫徹した、明確な音を創れるのが
マエストロという敬称にふさわしい指揮者だとされていた、と思う。チェリビダッケとか、ムラヴィンスキーとか。
私はクラシック界に詳しいわけではないので知らんけど、今は部活の顧問みたいな人が多いような気がする。
チェリビダッケが部活の顧問だったらヤだな。合奏中に廊下に追い出される人続出しそう。

ここ20年くらいの間に、女性の指揮者、金管奏者が増えた。まだ少数ではあるが、珍しくはないくらいに。
あと女性の落語家も。
私はトランスジェンダーで宇宙人で、もとよりジェンダーとかそのへんの仕切りがないので、
歌劇の女性の役をソプラニスタの男性や自称女性が演じてもべつにどうとも思わないし、その逆があってもいいと思う。
亡くなった中村勘三郎さん(18代目)なら「カルメン? 俺がやるわ」と言い出しかねない。

客席ではマスクをしていた人が多かった。私も豹専務もマスクをしていた。
戸外では土埃、花粉、排気ガスの遮断とか、屋内ではシェディングの予防とか、マスクが役に立つこともある。
ちなみにシェディングとは、新型コロナ感染症ワクチンを接種していると、一定期間、
呼気や汗などから化学物質(?)のようなものが排出され、
近くに未接種者がいると、その影響で体調不良になることがある、といわれている現象。
医学的にはまだ調査研究中で、
反ワクチン派が捏造したガセ情報で気のせいだ、という説もある。
私はさほど気にしてはいなかったが、ある用事で街中へ出向いたとき、
金属のにおいと柔軟剤のにおいが混じったような異様な空気に包まれ、
帰ってからもめまいがしてセルフヒーリングしまくりだったので、一応気をつけることにした。
マスクをするとかしないとか、個々人で好きにすればいいことだと思う。
  1. 2023/02/21(火) 15:01:53|
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きっといる、こういう人

2021.7.19(月)

先日、図書館のデムパ棚でパラパラとスタンドリーディングしていたさい、
全私が吃驚したネタを拾った。
なお「立ち読みする」の正しい英語は、辞書によればbrowse[brauz]というらしい。
はてどこかで聞いたような、と思ったら、ネットを見るブラウザ(browser)のモトですよ、知らなんだ。

そのデムパ本とは、精神科医の越智啓子先生の著書『自分リセット! 無限のゼロパワー』(青春出版社
/2020年6月15日発行/1,450円+税)です。
その本に出ていた、海苔漁師ピアニスト、徳永義昭さんの話。
テレビ番組で取り上げられたりしたそうだから、ご存知の方もいらっしゃると思う。

徳永さんは佐賀市の海苔漁師で50代の男性。
パチンコで70万円も負けてしまってがっくり落ち込んでいたとき、
フジコ・ヘミングの弾く「ラ・カンパネラ」を聴いて感動し、「この曲を弾きたい」と思ったという。
で、ピアノ教師をなさっている奥さんに「w無理w」といわれながら、奥さんのピアノを借りて練習をはじめた。
奥さんがピアノの先生でも、義昭さんご自身はクラシック音楽には親しんでこなかったそう。
たまたまフジコ・ヘミングの演奏動画をネットで見て、「すごくいい。弾いてみたい」それだけ。
どういうふうに練習していったかというと、
演奏動画をちょっと見て、止めて、指使いをなぞっていく、これを延々と繰り返すわけです。
そうやって、一日数時間、ときには12時間くらい取り組んで、
3か月でどうにか指使いを覚え、7年かけて「ラ・カンパネラ」が弾けるようになった。
独学独習で楽器をマスターした往年のジャズミュージシャンみたいだよね。
後日、徳永さんには、リアルフジコさんの前でこの曲を演奏する機会もめぐってきます。

21.6.26(土)の記事に『ピアノを弾く哲学者』(フランソワ・ヌーデルマン著/太田出版/2014年発行)
という本について書きましたが、この本に出てくる哲学者のひとり、ロラン・バルトが喜びそうな話だと思いました。
バルトは音楽に関しては熟練技を好まなかったそうだから。
ピアノを習ったことがなくても、もし徳永さんがクラオタだったり、クラシックについていくらか知識があったら、
演奏動画を見たことから「ラ・カンパネラを弾こう」などという発想は、おそらく出てこなかったでしょう。
ピアニスト業界は天才の産出畑、練習は年齢ひとケタ前半からはじまるとか、
あのリストやぞ、パガニーニによる大練習曲第3番嬰ト短調(「ラ・カンパネラ」は通称)、「大」やぞ「大」、
15度の跳躍がどうの、ほとんどイヤガラセ的な薬指と小指のトリルがあるらしいとか、
堆積していく知識、経験、常識が守りの姿勢をつくり、突飛な発想を止める壁になるので。
無自覚に(潜在意識で)、こういう曲を弾くなんて才能のある人がやることで、
一般人にとっては弾く曲じゃなく鑑賞する曲なのだ、みたいな思い込みができ、
それは言語化されることすらなく、鉄壁の制限になっていきます。
演奏動画を見ながら少しずつ耳コピしていくというロック少年少女みたいなやりかたも思いつけないでしょうね。
奥さんに習うとか、ピアノの先生について基礎から、という切り口から入ったら、
「あの“ラ・カンパネラ”の音」はかえって遠ざかっていってしまったかもしれません。

フジコ・ヘミングの演奏とも感性的に共振するものがあった、波長が合ったのでしょう。
フジコさんがヘタウマだからコピーしやすそうに聴こえたというんじゃなく。
ヘタウマというのはディスりではなくて、そういうタイプの演奏家という意味です。
私の聴いた範囲では、ヴィルヘルム・ケンプもサンソン・フランソワもヘタウマです。
CDでケンプの「エリーゼのために」を聴いたときは「うわ、子どもの発表会?」だったし、
サンソン・フランソワのショパンものも「ジャズかよ」って感じ、でもどっちもよかったよ。
ああ、そうなんだ、って、何がそうなんだか形容しがたいけど、音楽の深みにふれた感じ。
こないだ、NHK・FMの「クラシック・カフェ」で、リヒテルのグリーグ「叙情小曲集」の演奏をたまたま聴きましたが、
えっ、スヴャトスラフよ、おまえもか、この人、もしかして勢いのあるヘタウマ? 疑惑が生じてしまいました。
俺流のルバート(テンポ揺らぎ)もミスタッチや音飛ばしすらも「演奏」にしてしまうヘタウマの妙味は、
研鑽を積むと、聴こえてはいても響かなくなってしまうかもです。
ただね、「ラ・カンパネラ」って、じつは私も、「わしでもちょっと(←?)がんばれば弾けるかもしれん」と
思ってしまった曲ではあるの。なんでだろ。
旋律が印象的、キャッチーで、重厚重音感(音がいくつも重なってる感じ)がないからかしらん。

何年か前に、仕事をリタイアしてからバッティングセンターに通いだし、
それまで野球なんて全然やったことないのにバッティングがぐんぐん上達して、
ついにはどこかのプロ球団の二軍のコーチになった60代男性の話をテレビで見ました。
ブログの記事にも書いてるかもしれない。
こういう角度の人は増える、というか、じつはもういっぱいいるのではないか。
有名でもなければ、とくに変わった暮らしをしているとも思われない、市井の人たちのなかに、
スプーンを(力を使わずに)曲げられたり、(自分や周りの人に起きる)先のことがなんとなくわかったり、
「氣」を出して健康状態の診断や改善に使えたりする人や、引き寄せの達人や、
考えなくても瞬時に逆さ言葉が言えるみたいな変わった能力をもっている人がいたりするように。
どうやら私の宇宙では、年齢とか寿命とか経験とか、もはや関係ないみたいだ。
「(世間に認知されるような)結果を出す」ことも関係ないみたいだ。
それが不思議系の能力か、そうでないかという区別も、意味がないみたいだ。
常識を知らないと、常識からはずれるという意識すらなく、常識を超えていってしまう。
マインド(頭や心のなか)でどんな絵を描くかは直感通信が知らせてくるし、
マインドで瞬時に完成されるその絵に近づくには何をどうすればいいのかも直感通信が示唆してくる。
ワクワクやときめきや、考えるより先に手足が動きだしちゃうスイスイとして。
あるいは時を止めて、いくらでもそこに居座っていられるようなラリラリとして。
直感通信って、むかしは天才の専売特許だったけど、もう全方位に開かれている。


徳永義昭さんの演奏動画(約6分)2019年12月10日
https://www.youtube.com/watch?v=KRuJRj1HGNM
  1. 2021/07/19(月) 15:43:06|
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『ピアノを弾く哲学者』を読んで

2021.6.26(土)

ニーチェ、サルトル、ロラン・バルトは、ピアノが弾けたのだそうです。
ニーチェはかなり本気で、サルトルは視奏で(譜面を見ながら)ある程度まで、
バルトは視奏でどうにかヨタヨタと。
というのは、サルトルとバルトの先生はピアノの先生ではなく「ママン」だったみたい。
その3人が、どんな作曲家のどんな曲を好み、どんなふうに演奏していたか、
それが著作に書かれなかったこと、大学の授業などで話されなかったことを、はからずも表出させ、
その余談、余りみたいなことが、彼らが描いた世界にとって欠かせない何かだったのではないか、
というのが標題の本の要約。

ニーチェは鬱蒼としたドイツの森ではなく、イタリア、フランス、スペインの乾いた風に憧れ、
サルトルは重厚で生真面目な政治の議論から逃れ、
バルトは自分の目や腕や指、また音楽の嗜好が、記号学に収まりきらず、
思いどおりにならなかったり寄り道したりするのを喜ぶ。
ただニーチェの場合、音楽は哲学の「副科」ではなく、
相当点数の音楽作品を作曲しており、交響曲も書いているのだそうです。
本人的には哲学者ではなく音楽家として名を残したいと望んでいたとか。
ワーグナーの妻コジマを通じてワーグナー夫妻に自作の交響曲の譜面を送っていますが、
これが夫妻には大草原交響曲wwwであったらしく、
本人はテヘペロで引き下がったものの、この件を根に持なかったとは言い切れない。
作品の評価がせめて星3くらいだったら、ワーグナーとの関係(ニーチェは一時期ワーグナーに心酔
していたが、ワーグナー作品が宗教チックになっていくと興醒めして縁を切る)もいくらかはちがったものに
なっていたかもしれません。

ニーチェが好んで弾いていたのは、(私的には)意外にもショパンのピアノ曲。
ショパンの命を縮めた(?)ショルジュ・サンドは大嫌いで、「多産な牝牛」とディスっています。
サンド、バルザック、ユゴーみたく、
読者に受け受けでばんばん作品を産出しちゃうタイプの作家がヤだったようだ。
メディアにはシェーンベルクやジャズの評論を書いていたサルトルも、
おうちや宿泊先で弾いていたのはショパン。
バルトはニーチェがサイテーの烙印を押したシューマンが理屈抜きに大好き。
記号学でいじる前から、最初から脱構築されていて、
カラダを張って(自ら弾いて)接近するしかないような曲が好きなんですね。

そんなこんなで、『ピアノを弾く哲学者』はとてもおもしろい本でした、が、
いい気なもんだな、とも思った。
哲学者に対してでも著者に対してでもなく、なんだろう、ピアノを弾くという技術の体系に対して?
オーケストラに最も近い楽器(by著者)? ほーそうかね。
そりゃ打楽器ではメロディーはつくれんし、弦楽器では弾ける和音に限りがあるし、
管楽器ではドミソを同時に吹くってわけにはいかんからね。あと管弦の音域は相対的に狭いしさ。
しかしきみ(ピアノ)は微妙な音程の調整ができない平均律体質ではなかったのかねそんなにきみは偉いのかね?
みたいな。
いや、管弦打楽器、ピアノ、それぞれ構造や性質のちがう、求められることもちがう楽器なんであって、
音域だの重音がどうのといったことを基準にして比較はできない。
100m走の選手はマラソン選手に比べると走る距離が短くてラクとかってことではないように。
とはいえ、ポロンポロロン、おっと左手がもつれた、し、右手の小指が(めざす鍵に)届かんぞ、
みたいな素人芸にすら、言葉にならない何ごとかを語らせてしまうのは、ピアノならではだと思います。
アコースティックな楽器としての完成度が高いんだろうな。
「かえるの合唱」や「キラキラ星」をひととおり通せる(!)までにいくつもの山がある管弦楽器だと、
その素人芸の域に達するまでにかなり練習を要します。
打楽器は、音こそすぐに出せますが、素人芸の域ではノリを体感できないのでまず楽しめません。
首振り三年ころ八年(尺八)、ぽつぽつ三年波八年(これは日本画)・・・。
ロラン・バルトの言うところの「身体の調教」期間が長いわけです。
バルトはこの「調教」を嫌いました。
まぁたしかに、毎日30分ロングトーンをするロラン・バルトなんて想像できません。
ロングトーンとは、文字どおり音を4拍とか8拍とか長く伸ばす練習のこと。
はじめて手にとって吹いてもまず音そのものが出ない、フー、スカッ、この時点でオーララーとかって、
肩をすくめるガイジンの仕草をして終わりになりそうです。
でもミシェル・フーコーならやり遂げるかも。オーボエなんか似合うかも。

もちろん、単調な練習も、本人が楽しんでいれば「身体の調教」にはなりません。
ジョギングだってテニスの壁打ちだって、やりたくてやってる人には苦行じゃないように。
調教は、物質という想念でできた身体という想念を改変しようと目論む「行動」という想念のひとつで、
身体は化学や生物学で動いていて思いどおりにはならないと想定した想念だから、
にもかかわらず改変したいわけだから、
調教の現場では、常にふたつの想念(身体という想念と、改変したいという思い)が葛藤しています。
これは、この葛藤に悦びを見い出すというM的プレイにずれていかない限り、楽しくないですね。
でも、頭のなかで鳴っている音が何らかの五感的感覚を示唆してくる、
それを試してみながら、さらに頭のなかの音を追いかけていく、
そういう、問いかけとヒントの連鎖なら、練習と呼ばれる行為はクリエイティブな遊びです。
というか遊びでしかありません。
アンブシュア(口の形)がどうの、口のなかを狭くするの広くするの、息のスピードがどうの、
そうした「非日常的」な身体の使いかたの工夫は、楽器を鳴らすことにしか役に立たないから。
もっとも、日常の生活動作、行為だって、
「それって生存必需品?」とか、「生存って必須条件?」とか、
「そもそも生きてるってなんで言い切れるの? 証拠は? 全部夢かもしれないし、
じつはすでに死んでるかもしれないじゃん。死後の世界で大根刻んでるのかもじゃん」とか、
屁理屈全開の根源的な質問をド直球でぶつけてしまうと、
その動作、行為の必要不可欠性、深刻さは雪崩を打って崩壊してしまうのであり、
雪崩のあとには「みんなそうしてるから」という仮想合意の同調圧力しかなく、
それだって自作だと気づいてしまうと、地平線まで広がる光の磁場があるばかりで、
本当は遊びでないことなどないのですが。

私が練習しているのは管楽器、トランペットなんですが、
たとえばドの音を吹いているときと、ソの音を吹いているときでは、
全身の振動模様がちがいます。
B管楽器のドはピアノの鍵盤だとシ♭になりますが、そういうめんどくさい話は置いといて、
ドのときはドの周波数成分的な感じで振動するマッス(塊)感がある。
それはソのマッスとはちがいます。
音階で上がったり下がったりすると、そのマッスがエスカレーターみたいな構造になるというか、
上り下りの運動体みたいになります。
私が感じているそのマッスは、骨とか筋肉とか内臓器官とかの概念からなる身体ではありません。
振動している、何か塊的な範囲をもつ感触であり、
その範囲は、皮膚と呼ばれる視覚的境界面を越えています。
リキまずに高い音が出たときは、このマッス感がキューッ、とクラウンチャクラに収束していく感じで、
ビリケンぽくなっています。
トランペットは金管楽器のなかでは音域が高く、低音域は浅いので、
低音域が深いホルンやチューバだと、低音域で足裏を越えて地面に潜るマッスが出てくるかもしれない。
この振動体のマッスという、身体でない身体感覚がすぅごくおもしろい。
サイラス@ベガによれば、
もっと力が抜けてくると、振動体の範囲はさらに広がって、景色も巻き込み、
「ドの宇宙」「ソの宇宙」「Bドゥア(音階)の宇宙」みたいになるらしい。
うわー♪楽しみー♪ がんばろっと(←いや、がんばっちゃいかんだろ)。

<本のデータ>
書名/ピアノを弾く哲学者 副題/サルトル、ニーチェ、バルト
著者/フランソワ・ヌーデルマン
訳者/橘 明美
発行所/株式会社 太田出版
発行年月日/2014年12月11日
価格/2,400円+税

<おまけ~YouTubeから>
【ネタ楽譜】放課後にピアノを練習していると、隣の部屋で練習を始める吹奏楽部【ピアノ協奏曲】
作曲・動画/松﨑 国生
https://www.youtube.com/watch?v=-zgXXtMunkQ
ケッ作。
  1. 2021/06/26(土) 17:24:06|
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高い音はほんとに高いのか

2021.2.12(金)

Youtubeでトランペットのレッスン動画を公開されている、ニイヤマッスルさんという方がいらっしゃいます。
記事を書くためにヤフーで検索したところ、ニイヤマッスルこと新山泰規さんは、
ジャズバンド等での演奏活動のほか、群馬県内でトランペットのレッスンをされているとのこと。
のみならず、トレーニングジムの広報、営業もなさっている、「筋肉トランペッター」なんだそうです。
私は昨秋くらいから、この方の動画をときどき拝見していました。

発想が革命的だったのです。
トランペットで高い音を出すには、最初に唇のテンションをMAXにしてなんかわからん謎音程のハイノートを出し、
そこから目標の音(ハイB)まで降りてくれば楽に出せますよ、
なんてことを、ぺろぺろんと言い放っておられるのじゃ。
は?(-д-)?
それって、跳び箱の8段が飛べれば6段は楽にイケますよ、って言ってるのといっしょじゃん、できねーよw
って、初は笑ってネタにしてたのですが、
何本か動画を見ているうちに、「高い音」という観念が壊れていって、
自分のなかでは、ハイFくらいまでの音はもう完全に「高い音」ではなくなり「そういう音程の音」に
なってしまいました。
そもそも私には、自分にはまだ吹けない音であっても、
高い高いといわれている音は本当に高いのか?
風(息)に押されてゲート(唇)がある振動幅で振動してそれが楽器に伝わって音になってるだけでしょ、
条件設定(息、唇)が変われば出力される音も変わる、それだけじゃん、
高い低いってのはマインドで起きてる、プレッシャーとセットになった心理評価じゃん、
というような思考があって、
自分が出せると思ってる音なら、いずれ条件設定がそろって出るはずだ、
という無根拠な確信にもとづいて練習してたのでした。
楽器をはじめたのも、自分の意志でというよりはチャネリング的、直感的なオカルト動機でした。
だからといってすぐできるわけではありません。
オカルト界には、ピカッと閃くと、まったく未経験のことであっても、
身体が勝手に動いてできてしまった、みたいな例もあるらしいですが、
私の場合は全然そうではありません。
当初は、顎が震える息がもれる姿勢が保てない酸欠でめまいを起こす・・・等々、
あれやこれやの問題がうず高く山積していました。
また、中高生のときホルンをやっていたので、
昭和の部活で培われた無理のあるアンブシュア(口格好)が潜在記憶に残っていて、
これをリセットすることからはじめたので、
たぶん、まったくの未経験ではじめた人よりも、とっかかりはたいへんでした。
でも私は、どうしたらこれを解決できるだろうか、などと煩悶したりはせず、
たまにおもしろそうな動画や文章を拾い見、拾い読みするだけで、
問題解決のためのリサーチはめんどくさいので一切せず、
そのうちなんとかなるべさ、と放っておいたら、
そういえばそんなことあったっけ、みたいに、問題は消えていました。
むかしの歯科治療の後遺症である左顎の麻痺と知覚過敏もいつのまにかなくなっていて、
これにはかなりびっくり。

トランペットの中音はチューニングB(ベー)である、
だから音出し(ウォーミングアップ)はチューニングBからするのがいい、
という説も画期的でした。
トランペットの公式音域は、
ファ# ソ ラ シ  レ ミ ファ ソ ラ シ  レ ミ ファ ソ ラ シ ド
の約2オクターブ半です(※)
ただ、ジャズやポップスだと、右端の(ハイB)よりも高い音を使うことがあって、
その非公式音域を含めると最大幅は3オクターブ半くらいです。
チューニングBとは、右端のドの一オクターブ下ののことなので、
こうして並べてみると、なるほど中音といってもいいかもしれません。
ローからハイまでの二オクターブを最も頻繁に使われる音域と考えれば、たしかにそうです。
しかし、ニイヤマッスル説で中音とされるチューニングBは、
トランペットをはじめてまもない人がパパパッパー、イェイ、とかって出せる音ではないんですね。
ど初っ端は音自体が出ないというケースもあるし、そもそも音らしい音が出るまでがひと苦労、
練習時間や回数などにより個人差はありますが、
チューニングBが出せるようになるまで、だいたい3か月くらいはかかるんじゃないかな。
チューニングBは、高いほうへ音域を広げていくときの最初のヤマ場みたいな感じに思えます。
するとだね、すでにチューニングBからして高い音であるという刷り込みができてしまうわけです。
ド、レ、ミ、ファ、ソ、と上がってチューBまできた、さぁ、ここから高音域に向かうぞ、
みたいな意識が形成されてしまう。
この「チューニングBは高音域のスタート地点」意識だと、その上のハイF(ソ)は富士山、
ハイB(右端のド)はマッターホルンか何かみたいに思えてしまいます。

このマインドを崩すには、ともかくチューニングBが吹けるようになった段階で、
音出しの一発目とまではいわなくても、ソ、ラ、シ、ド、とか、ソ、ラ、シ、ド、シ、ラ、ソ、みたいに、
口輪筋が元気なうちにチューニングBを出しておくのは有効と思います。
私自身、まだチューニングBが出せなかったころでも、
その日に出せるいちばん高い音から音出しをしていました。
「これはいろんな音のひとつで、高い音ではない。
高い音などというのは他人軸の定義で、私の宇宙に高い音なる音は存在しない」
という意識に誘導する、一種のイメトレです。
現在は、公式音域の音は出すだけなら全部出せるので、
音出しの一発目は二オクターブ目のソ(F)かミ(D)にしています。
※トランペットはピアノの鍵盤でいうとシ♭すなわちドイツ音名だとB(ベー)がドになる移調楽器なので、
トランペットでドの音を吹くと、ピアノの鍵盤だとシ♭の音が出ていることになる。
ピアノのド(C)がそのままトランペットのドになるC管トランペットというのもあり、主にオーケストラで使われている。


とはいえ私は、上記の音域の左半分、中低音を無視しているわけでは決してありません。
むしろ中低音のほうにウエイトをかけています。
中低音がきちんと出せるようにならないときれいな響きがつくれないだのなんだのって、
そんなの都市伝説かと思いきや、どうも一理あるっぽい。
ただ、低音の口からだんだん口を締めて上げていく、のではなくて、
高音の口をだんだん脱力させて低音に降りていく、というニイヤマッスル説のほうが、
練習の考えかたとして合理的なんですね。
自分でやってみてそう思いました。
左半分の音域がちゃんと出せるようになってから右半分にとりかかろう、というんじゃなく、
ニオクターブ目にも(倍音のリップスラーや音階などを使って)ばんばんトライするようにしたら、
左半分の音程が安定し、響きも向上したので。
アンブシュア(口格好)にせよ姿勢にせよメンタルにせよ、またおそらく楽器関係に限らず、
脱力が上手になると、適切な力の入れ加減が感覚的にわかるので、いろいろ上達すると思います。

人にはその人の宇宙があり、マインドも五感的感覚もちがうので、
ニイヤマッスルさんとはちがう角度のアプローチも多々あるでしょうが、
ドレミファソラシド(上り)ではなくドシラソファミレド(下り)指向のその発想は、私的には超目ウロコでした。
私の在籍していた当時の吹奏楽部で同じことを言ったら、
提唱者が下級生なら呼び出し、上級生なら顧問から呼び出されるかミーティングになっていたでしょう(笑)。


ニイヤマッスルさんの演奏動画「ルパン三世のテーマ」(約3分)
https://www.youtube.com/watch?v=Igv8xOfCeeQ

私的に心惹かれるトランペットの仕事は、
ホルストの「吹奏楽のための組曲一番」より「一楽章 シャコンヌ」で、
湧き上がるようなクラリネット隊の旋律につづいて「ンタタタ」と出てくるやつとか、
モーツァルトのピアノ協奏曲二十番三楽章の終盤で華を添える的にちょろっと出てくるのとか、
どちらかというと渋い裏仕事系ですが、
なんだこりゃフルートかよ、みたいなハイノートの快感も、なんとなく想像できます。

なお、森井奈緒さん、岩田恵子さん、宇野嘉紘さんほかのレッスン動画もいくつか拝見しています。
諸先生方、ありがとうございます。
つべのアカウントさえつくってない野良視聴者ですが。
  1. 2021/02/12(金) 19:35:49|
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