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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

引き寄せを超えて

2022.11.22(火)

前回、リクエストにお応えして、意図したことの実現確率を上げるコツについて書きました。
書いている途中で、「んー、ここで終わりじゃないんだけどなぁ」という感じが湧き上がってきたので、
今回は、いわゆる引き寄せの法則が当たり前に感じられるステージについて書きます。

統覚意識(セルフ意識)が感じることによって出現させている(認識即存在または創造)世界は、
①高次(心を超える直感や閃きの世界。瞑想、ヨーガなどではここに滞在している感じがすることもある)
②マインド(心の世界。想像、イメージ、思い、ロジカルな思考、感情などといった五感ではない感覚が生じる)
③五感(色、形、音、匂い、味、触感などメリハリがはっきりした世界)
という3つの層に大別されます。
それぞれの層ではその層の性質(媒質)に合った感覚(波動)が起きます。
高次の媒質は真空的で精妙、直射的、マインドの媒質は気体的、放散的、五感の媒質は流体的、ジェル的です。
一般的には五感的な感覚だけを「感覚」と呼びますが、
筆者はどの層で起きる波も、つまり直感も思いも五感もすべて一元的に「感覚」としています。
②(心、マインド)は①(超マインド)に、③(五感)は②に連動します。いわば上の層につられて動くのです。
感覚が波であるというのは、そういう連動現象、つられ現象を起こすということです。
ただし、①②③は層の性質(媒質)がちがうので、リレーでバトンを渡すようにではなく、
①の部屋で起きた振動が、離れた②の部屋で①の振動に合ったパターンを喚起し、
②のパターンが、離れた③の部屋で②のパターンに合った形を喚起する、というように、
飛び飛びに(量子跳躍的に)伝播します。
仮に、①が現代、②が昭和時代、③が江戸時代だとします。
すると、①で発信したメッセージやメールは、②では電話、③では手紙として実現します。
「ある感覚(波動)がそれと似た感覚(波動)を引き寄せる」とはそういうことです。

いわゆる引き寄せの法則というのは、
①の部屋 → ②の部屋 → ③の部屋
この「→」の連動作用をいうのであって、「願ったことがかなう」ことではありません。
願おうと願うまいと、欲していてもいなくても、
①の感覚(波動)は②の感覚(波動)を、②の感覚(波動)は③の感覚(波動)を喚起します。
「→」は常に起きているのです。

何かを「願う」ときには、②のマインドの層で「そうなる」と「そうならない」が葛藤しています。
白色(なる)と黒色(ならない)がせめぎ合っているようなものです。
というか、だいたい「お願い」に走るときは常識では起きえない奇蹟や一発逆転を期待しているので、
「お願い」した時点ですでに常識まみれであり、初手から黒(ならない)優位です。
ここで、駄目もとの「お願い」から宿泊先の予約のような「予定」に切り替えれば、
白優位になって白(なる)が③の五感の部屋に現れます。
でも「お願い」のままだと、初期の黒優位がつづいて、黒(ならない)が③に現れます。
どちらにしても「→」は起きています。
どちらにしても、マインドで現実となったことが五感でも現実となっています。

「→」の連動作用が当たり前になると、フローの状態に入ります。フローとは、
①の部屋(高次) → ②の部屋(マインド) → ③の部屋(五感)
という流れ、さらには、
ゼロポイントフィールド → ① → ② → ③ → ゼロポイントフィールド
という循環が常に起きているのを感じている状態です。

統覚意識(セルフ意識)が全部の層を感じて、多次元になっている状態といってもいいでしょう。
これはとくに神秘的なことではなくて、なんかさらさら、ぐるぐる流れていっているなぁ、という感じ。

「→」が当たり前になるというのは、
たとえば、目の前にいる人の言動が気に障ったとすると、
その人の言動が原因でムカムカッとした、のではなく、
自分の心のなか(②の部屋)にムカムカ系の不快さに結集していく思いとか気分といった感覚(周波数)があって、
それがこの場面(③の部屋)を喚起したんだな、
という解釈が瞬間的にできているということです。
「その人の言動ゆえに不快になった」と思う習慣が、
「不快に至るような思いや気分(周波数)がそれに見合う場面を呼んだ」と思う習慣に変わっているということ。
物の世界(②で想定した物質でできた環境)で何かが起きて、それへの反応として知覚や気持ちが動くのではなく、
マインドで起きたことが「→」によって五感を喚起する、
それがいちいち考えなくてもわかる。
不快さにまとまる思いや気分は、自分のマインド世界に合わないただの変調感覚で、
それ自体がネガティブというわけじゃないということもわかります。
マインドの落ち込みやイライラでも五感の痛みでも、不快な感覚はズレている、合わないことを示しているにすぎません。
86ヘルツで聞ける放送が、ちょっとラジオの周波数がズレてノイズが入ってしまっている、というのといっしょ。
なので、ズレた感覚(周波数)を手放して、②の部屋を本来の状態に回復させることができる。
そうすると、「→」の作用によって、相手の言動はまったく気にならなくなるし、
何かトラブルが起きていれば、解消する流れができます。

というように、「→」前提で生活しているのがフロー状態です。
フローになると、思ったことが五感世界で実現するという意味での引き寄せへの関心は薄まります。
それは実現する(「→」)ということへの心配がなくなるからです。
「→」が働くのは、投げたボールが地面に落ちるのと同じように当たり前なので、
本当にこのボールは落ちるのか? などと心配しないように、実現するかしないかを気にかけたりはしません。
それよりも、心の景色、マインドスケープを鑑賞することがおもしろくなります。
②の部屋全体がよく見渡せるようになり、
言葉やイメージにならない思い、気配、雰囲気のような感覚(波動)もキャッチできるし、
「うれしい」と言い表せる感覚(波動)にも幾つものヴァリエーションがあるとわかります。
かつて「悲しみ」とか「寂しさ」と感じられていた感覚(波動)に再会して、
それが「優しさ」「懐かしさ」といった調和的な(ポジティブな)感覚(波動)として感じられるのに新鮮さを覚えることもあります。
「記憶」は過去の事実ではなく、そのときの心の情景に既知感が重なったものだとわかります。
ロジカルな思考は、構図感や流れ図感をともなって現れます。
③の部屋(五感)に働きかけずに、②(マインド)で自然消滅していく感覚(波動)もたくさんあります。
思い、想像、イメージ、記憶、感情、気分、といったマインドの感覚は、①の高次の層の感覚が具体化したものですが、
半ば具体的、半ば素材的、現れたり形を変えたり消えたりという速度が総じて③よりとても速く、
ダイナミックでヴァリエーションも豊富、①~③のなかでは最もアミューズ度の高い層かもしれません。
ともかく、心の景色とその様変わりは、銀河や銀河団規模の映画のように広大無窮です。
そのときどき前景に出てくるのは、そのほんのほんの一片ですけど。この一片がまたすばらしいんだよね。

それでも、ここはまだフローの完成形ではありません。
②の部屋(マインド) → ③の部屋(五感)
という流れもしくは循環の後半が当たり前になると、マインドスケープの鑑賞が楽しくなるのですが、
①の部屋(高次) → ②の部屋(マインド)
という前半の流れのリアリティが増すと、
その鑑賞が同時に創造だという実感が出てきます。
鑑賞者かつクリエイターです。銀河団規模の映画の。
だとすると、忙しくて(?)「例の引き寄せ案件」のストーカーなんかしていられません。

フローになって、欲がなくなる人もいれば、なくならない人もいるでしょう。
欲というマインド感覚(波動)を使って高次の種子が開き、
欲の裏面の欠乏感を手放して「予定」にするというやりかたで五感で実現していくケースもあるかもしれないし、
手放しを必要とする回路がめんどくさいから「漠然とした予定(予感)からはっきりした予定へ」というルートだけに
なるかもしれない。
欲を使うと、「手に入らないはずのものが手に入った」という創造感3割増し的なイェイ♪なマインド感になるのですが、
これがうるさいという人もいるだろうし、そのへんは個々人の趣味です。
どっちでもいい。自分の欲にも他人の欲にも、ジャッジは起きません。

心の現実は五感の現実を喚起する、ということはむかしから言われていて、
その情報の要は「→」を習慣化することです。
「例の案件」にピンポイントで作用するのではなく、全方位「→」で、それが当たり前になること。
夢がかなうよ、お金持ちになれるよ、といったことは「→」を使えばできるという、
「→」を納得してもらうための一種の誘い文句というか。
「→」の習慣化とは、脱3次元、非3次元化とまったく同じことなんですが、
「3次元やめましょう」では広報訴求力ありませんからね。
夢をかなえたり、お金持ちになることは、べつに必須課題ではないのです。
そこは履修しないでいきなりフローになる人もいるし、
一見、真逆に見える修行コースをたどってフローになる人もいるでしょう。
もちろん仕事、資産、健康、パートナー、子宝、人気、などなど総取りをめざしてもかまいません。
あと、午前中は創造主だったのに、午後に3次元返りして問題対処に追われまくり、とかもあるある。
そうなっても上述の習慣化ができていれば、
習慣で考えている部分すなわち潜在意識が3から非3に反転しているわけだから、すぐ立て直せます。
何にせよプロセスを楽しもう☆
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  1. 2022/11/22(火) 15:22:24|
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「現実」を柔らかくする

2022.11.14(月)

私は自分の流れと呼応しない限り、いただいたコメントへの返信はしないし、質問にも答えない、
メールにも返信したりしなかったりする、ものぐさ管理人ですが、
今回は、ある方からのリクエストにお応えする形で書きます。
テーマは「現実化の当たり率をアゲるには」です。
俗に言う「引き寄せ上手になるには」というのと同じと考えていいと思います。
結論から先に書くと、コツは「放置」です。

「現実化」というのは、私の言葉にすると、
「マインドの現実」が「五感の現実」を引き寄せることです。
マインドの感覚(波動)が、それと似た五感の感覚(波動)に飛ぶ(量子跳躍する)といってもいいでしょう。
マインドの現実とは、心のなかの思い、想像、イメージなどのことです。
一般的には、心のなかの思いなどは現実とは呼びません、が、
五感的な感覚よりもメリハリが弱い、はっきりしていないというだけで、
感じ手である自分が「感じている」感覚であるという点では同じ。
心のなかで思うことは五感よりも淡いけれども、実際に起きている、自分に感じられている現実です。
もしマインドの感覚を非現実とするなら、五感的な感覚も非現実です。
ちなみにスピリチュアル界では、「五感世界は幻想である」とか、
どちらかというと全感覚を非現実という観点で説明することが多いようです。
たぶん、メリハリが強烈な五感世界を相対化するためでしょう。
とにかく、高次の一瞬の閃きも、マインドで思うことも、五感の世界も、全部現実ととらえることができます。
なので、心のなかで思ったことはその時点でもう現実化しています。
JR中野駅から徒歩10分圏内の持ち家に住みたいと思っている人が、その条件の家を手に入れたら、
もうそのことは考えませんよね。
それと同じで、すでに現実化した案件について考える必要はありません。
というか自然に興味がなくなるはずです。

マインドの現実(心のなかの思い、想像)が五感の現実になるのは、
どちらも何らかの「感じ(波動)」であり、マインドの感覚(波動)が五感的感覚(波動)に伝わるからです。
マインドの波の媒質は気体っぽく、五感の波の媒質はジェルっぽいので、
海の波のように連続して伝わるというより、
Aの部屋(マインド)で一定のリズムの振動が起きると、Aとは離れたBの部屋(五感)で、もっと大きい振動が起きる、
という感じです。
マインド層から五感層に感覚(波動)が伝わる現象は、一般的な言葉にすると「予定化される」ということです。
これは、東京に住んでいる人が何月何日に名古屋に行くという予定を立てたらそのとおりに実行するように、
トーストを食べようと思ったら、オーブントースターに食パンを入れて焼き、バターを塗ってトーストを口にするように、
ごく当たり前のなりゆきです。
引き寄せの法則が普遍といわれるのは、引き寄せられてくることのポジネガを問わず(Aのマインドの部屋で起きる
振動がどんなパターンであっても)、旅行や食事の予定が実現するように日常的に起きるからです。
では、なぜ現実化が頓挫するケースが起きるのかというと、この「予定化」ができていないからです。
何月何日に東京から名古屋へ行く、はずなのに、それまでにキャンセルせざるをえなくなるような別の予定を
ガンガン入れ込んでしまう、
トーストを食べたい、なのに、オーブントースターに食パンを入れてタイマーをセットしたのはいいけれど、
その間に洗濯用洗剤の詰め替えをして洗濯をはじめたり、ついでにお風呂の掃除をしだしたりして、
トーストがすっかり冷めてしまう。
頓挫するときは、そういうゴチャゴチャしたことを「心のなかで」たくさんしています。

心のなかの思いや想像(マインドの感覚)が、それに相似した五感を呼びだす、
Aの部屋(マインド)で振動が起きると、Aとは離れたBの部屋(五感)で、もっと大きい振動が起きる、
マインド層の「現実」が五感層の「現実」として具体化する。
これは単純な流れですが、一般的に了解されている常識ではありません。
親から教わることはまずありません。学校でも習いません。
メディアのコンテンツでもメインストリームではありません。
しかし、私たちの思考習慣や、習慣的な感情反応は、親から聞いたり学校で教わったこと、
メディアで大量に流れる主流の情報でできています。

つまり習慣の束である潜在意識には、
引き寄せだのなんだのを相手にしない、「予定化」を受け付けない常識がしっかりと根づいています。

加えて、自己評価低め設定のほうが生きやすいとか、私欲まるだしは恥ずかしいとか、
いろんな枝葉心が絡まって、もうグチャグチャびっしり。
なので、常識に沿うという意味で優秀であればあるほど、頓挫する確率は高くなります。
なんと、一般常識では、旅行をキャンセルせざるをえないような予定を詰め込んだり、
トーストをだめにする用事をたくさん詰め込むほうが「当たり前」なんだから。

心で描いただけで「よっしゃ、できた」として放置できるようになるには、
「予定化」が当たり前になっていなければならない。
これは、体得してしまえば簡単なことなんですが、
ああそういうことか、と実感的リアリティがもてるようになるまではなかなか至難です。
いろんな引き寄せのテクニックは、
心のなかで単純に「予定化」ができるようにもっていくためのものです。
手放し系のワークも、それ自体は引き寄せ練達を目的としてはいませんが、
グチャグチャびっしりの習慣の束(潜在意識)がきれいにかたづくので、結果的に「予定化」が上手くなります。

というわけで、以下は私の実験から得たまったくの私見ですが、
心のなかで思い描いて、マインドで「現実化」が成ったあとは、
自分なりのスピリチュアルなワークに「心のなかで」ウエイトを置いて生活する
ことを推奨します。
時間は5分でも3分でも、1日おきでもかまいません。
手放し系のワーク、瞑想、ヨーガ、座禅、歩いたり運動したりしながらの瞑想、呼吸法、内容はなんでもけっこうです。
日替わりでやることを変えてもいいです。
これに一生を捧げるとか、このために生きているといっても過言ではないくらい、
「心のなかで」その活動を意識し、時間は短くても、毎日じゃなくても、その活動を中心に置いて1日を回していきます。
「仕事が終わったあとの一杯のビール」をスピ活に置き換えるみたいな。
目的は、物でできている(と思っている)カッチカチの現実を、自分の感じかた次第で変わる五感の現実に戻すこと、
つまり現実を柔らかくすることです。
さらに、心のなかに描いたその案件とは関係なく、オタク熱を注げるような活動があればなおよし。
筋トレ、読書、映画を見まくる、手芸工芸系、野外活動系などなど、サブブログ、サブチャンネル的な何か。
興味がくるくる変わっても、ニワカでもかまいません。
サブ的抽斗があると、「例のあの案件」から遠ざかり、「心のなかで」わざわざその案件をいじる暇がなくなるからですが、
むりに開拓する必要はありません。
以上のようにしていると、ちょっとしたシンクロニシティが頻発するようになります。
ふと、あるお菓子のパッケージが頭に浮かんだ、そうしたら10秒後にそのお菓子のCMが流れた、
ある人の顔が思い浮かんだ、その直後にその人から連絡がきた、とか、そういうやつ。
この取引先との商談は難航しているけど、しまいにいい形でまとまるな、とか、
逆にスムーズに進んでるけど、この話はナシになるわ、といった、ちょっと先のことがわかる的な勘も働くようになります。
あと、まさかそうくるとは、みたいなアクシデントが起きたとき、
反射的に「波動アゲるチャンス、キタ!」「ここからおもしろ展開!」と感じるようになります。
スピリチュアル界の定説だからとかいう理屈ではなく、直覚で動物的にゾクゾクするのよね。
そんなこんなのうちに、
心で思い描いたことが五感の世界に現れるというのは、「例のあの案件」に限らず当たり前になります。
言い換えると、「あの案件」に限らず、24時間いつでもどこでも引き寄せの法則が働いていると経験的にわかる、
引き寄せ前提で生活するようになるということです。
なので、自分の心の状態に注意が向くようになり、本音が聞き取れるようになります。

あと、「現実はすごく柔らかくて、私の思いどおりに変えられます」的なアファメーションをつくって、
寝る前とかに唱えるのもよいですね。
百発一中の「お願いごと」を百発百中の「予定」にするには、
5次元(心のなか)で3次元(心と連動しない「物」を想定した世界)に入り込んで右往左往しないことがキモなので。
アファメーションってなんかとってもうさんくさげですけど、ヘビロテするとまじでリアリティが変わります。
鍵は「回数」です。

余談ですが、
アンドロメダ星人が引き寄せ上手なのは、「重たい五感」に慣れているからです。
地球というか天の川全域、五感化ゾーン(4次元)は本来、ジェルっぽい媒質なんですが、
アンドロメダ銀河ではそのジェルの粘りが強いハードジェルなのです。
このへんの事情は『Starry Souls』という電子書籍に書きました。
ハードジェルだと、五感の振幅は大きくなり、物理知覚(物質という実体を想定したとき、
その想定物質製の想定身体が感知する感覚)とほぼ同じ値になります。
それで、優しい波動に慣れている天の川の子は、感覚(波動)が強烈になると
「この感じはおかしい。向こうに何か(実体)があるんじゃないか」と異状を感じて、
感覚(認識)と存在が分断された(まず物があって、物でできた身体が物環境から刺激を受けて感覚が生じる)
3次元になじみやすいんですが、
アンドロメダ星人にしてみれば「は? ふつうですけど? 五感ゾーンってこんなもんでしょ」って感じなんですね。
たとえ重くても、そんなの心で動かせて当たり前ですから、
親から学校からメディアから3次元の常識を浴びても沁みないというか、本心ではマに受けてないのです。
しかし3次元を出たら、この差にあまり意味はありません。
  1. 2022/11/14(月) 13:35:14|
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「働かない」話

2022.7.30(土)

2003年にヴォイス社から刊行された『働かないって、ワクワクしない?』(アーニー・J・ゼリンスキー著)
という本のこのタイトルに、当時震えた。
原題は“THE JOY OF NOT WORKING”で、これもいいけど、チャーミングで挑発的な名訳と思う。

もっとも本の主旨は「自由時間を充実させよう」ということで、
24時間-(睡眠時間+食事や入浴やトイレの時間+家事の時間+仕事の時間)=自由時間、ではなくて、
自由時間をメインにしてほかの活動の時間配分を構築しようぜ、という内容である。
自由時間イコール余暇じゃない、こっちがメインなんだ、という発想転換はすばらしいし、
魅力的な提案だと思う。
でも、まだ働くことの必要性(という思い込み)から完全に脱しているとはいえなくて、
あまり働かないほうがいい、ときどき働けば十分だ、というところに着地している。
ハナから働きたくない人としては、「なんだよ。少しは働かなくちゃいけないのか」とがっかりする。
「人はパンだけで生きるのではない」という言葉から「パンも必要だ」という結論が引き出せるように。
(↑しかし不食を実践できる人が出てきたんだからすごいよな。托鉢すら不要にするスゴ技。
不食って、教皇庁とか仏教の総本山とかでじっくり研究したほうがよくない?)

本が出版された当時、私版の世のなかでは、働くことの必要性はあまり疑われていなかった。
好きなことを仕事にするか、好きじゃないことでも生活のためにその仕事に就くかの二択って感じ。
一般的には好きなことが仕事になるのはとてもラッキーなことと思われていたけど、
私はバシャールのワクワク教に納得していたので、
そのときどきにワクワクすることを追っていけば収入がついてくる、というのは、誰にでもできることなんじゃないか、
と考えはじめていた。
でも働くこと自体は必須で、「なんかヘン」という違和感を覚えつつも、
働くこと自体をOFFにする(はずす)ところまでは行ってなかった。

働かなくてはならない理由は、
①自分の生存のため
 生きるには物資やサービスが必要→物資やサービスを得るにはお金が必要→お金を稼ぐには働く必要がある。
 また、不測の病気やケガに備えるための貯蓄も必要である。
②社会を機能させるため
 物資やサービスは多数の人の分業で生産されるので、その生産活動に個々人が参加する必要がある。
 社会がちゃんと機能していることは、①の個人の生存につながる。
③集団のなかで自分の役割を確保し、他者とのつながりを確認して、精神的に満足するため
といったところ。
でも③は「人は群れをつくる動物だ」「人が精神的に充たされるには他者が必要だ」という見解にもとづいていて、
本当はそうではないんじゃないか、少なくとも自分はそうじゃない気がする、と疑っていた。
③は②を維持するために自然発生(?)したお話ではないかと思った。
なので、私としては①と②が「働くことが必要な理由」だった。
で、①②というのは煎じ詰めればサヴァイヴァルである。

今にして思えば、
人や集団が生き延びるために働かなくてはならない(①②)というのはウソくさい。
とりわけ、個々人の生存のためには集団の維持延命が不可欠だ(②)というのはたいへんにウソくさい。
先に②の集団の維持延命システムをつくり、
そのために尽力するメンバー確保のために①の個々人の生存プログラムをつくり、
個々人の集団への依存を助長するために③の神話を付加したんじゃないの。
あたかも群れることが生得行動であるかのように、いろんな心理操作手法で植えつけていって擬似本能にしたと。
レヴィ=ストロースのエッセイによると、
人が集団で食糧を生産しはじめる以前には、食べられる植物を5千種類も知っていて、飢えることはなかった、
なのに、計画的に食糧を生産するようになったら、そうした知識は全部失われてしまったというじゃないの。
私欲満々の権力者の号令でそうなったのではなく、魚群が進む方向を変えるように、全体として、
「資源は有限だから働いて獲得しないといけない」という前提にもとづくシステムにシフトしたのですよ。
(↑宇宙人目線でいうと、制限、シバリがある世界を体験するために。)
さらに、生きるということ自体、そんなに一生懸命やらなくちゃいけないことなのか、
死んだことがある人はひとりもいないのに、死が怖かったり痛ましいことだったりするのはどうしてなのか、
「生きる」と「死ぬ」の区別そのものがうさんくさい、②前提のお話ではないのか・・・とか、いろいろある。
働くことが自明の当たり前でなく、そこに疑問符がつきはじめると、
お金、贈与と負債の概念、生老病死、生殖、マインドコントロール・・・などなど、疑いはいろんな分野に波及し、
問いが炸裂スパークするよね。

働くことが②をコアとする回路で回るシステムに乗っかることだとすれば、当然、そこから降りることもできる。
で、②というのは「資源は有限ってことにしよう」「有限だから他者や他生物と競争して獲得しないといけない」
という想定にもとづくサヴァイヴァルを目的とするシステムであり、
前提となる想定も、目的も、しくみ(システム)も、頭や心のなかで組み立てられた考えなので、
これらが思考であることに気づいて、そう考えるのを止めれば、即、降りられる。
一般的には、働くことを止めるには、働かないでも生活できる方法を考えてそれを実行しないといけないんですが、
本当は順序が逆で、
まず心のなかすなわちマインドすなわち5次元で、働くというマインドシステムをはずすのが先です。
そうすると、自分にふさわしいやりかた、速度、タイミングで、「働かない世界」にシフトしていきます。
手段はあと。
働かないで生活する方法には、
・まずはごく穏健に、今の働きかたを見直して、余計な仕事や、人に気を遣って背負っている仕事を省いていく
・「働いている」感じがしないくらい夢中になれることを仕事にする
・10年くらい鬼働きして稼ぎまくり、早期リタイアする
・投資や副業を研究、実践する
・「本当に」必要なお金だけに絞って(関心のないことやしがらみには一切出費しない)生涯に必要なお金を概算し、
できるだけ働かないライフスタイルを確立する
・万一の事態に備えて働く時間を、健康向上のために使う(運動、瞑想など)
・懸賞や公募で当てる
・自給自足を研究、実践する
・不食を研究、実践する
・引き寄せマスターになる
などなどいろいろあって、どんな方法が適切なのかは人によるし場合によります。
これがベストだという環境も、欲求の種類や大小も、好ましい速度も、人によりときによりちがうので。
まさかの臨時収入、臨時ギフトなど、事前に計上できない要素も入ってきます。

しかし、私が思うに、本当に肝心なのは、実際どうしたら働かないで生活できるか、などということではなく、
仕事に当てていた時間をどう使うか、働かないのはいいとして何すんの? ということだ。
そもそも、働くか、働かないかの区別は、②のコアとするシステムに乗っているときの考えかたで、
頭のなかからカッパリこのシステムをはずしてしまうと、「活動する」ということしかなくなる。
さらに何らかの行為をするしないにこだわらなければ「居る(存在する)」ということだけ。
 働く ⊂ 活動する ⊂ 居る(存在する)
と、「働く」は「活動する」に、「活動する」は「居る(存在する)」に含まれるので、
右に行くほど統合されており、次元が高い。
したがって、常にどんな心もちで居るか(存在するか)が決まれば、
その細部として活動のありようが、さらに活動のありようとして働きかたのありようが、自ずと決まってくる。

どんな心もちで存在するのがベストかがわかって、そのベストの心もちで居られれば、
活動や働きかたはあれこれ思案してひねり出さなくても自然に思いつくし、状況も動いていくということです。

「居る(存在する)」というのは、いろいろ活動しているときの芯にある瞑想、深々とした沈黙であり、
この芯と活動の重なり、連動を経験していれば「ああ、あれね」とわかると思う。
もう少し次元を下って具体的になると、寛ぎとか、豊かさとか、ワクワクとか、ムクムク湧き上がる幸福感とか、
意味不明の可笑し嬉しさとか、爽やかさとか、慈しみ感とかになるアレ。
それはべつに高邁な境地でもなんでもないんだけど、
未経験、というよりは思い出せなくて「はて、なんのことやら?」の人には、
精神世界の極みみたいに思えてしまうかもしれない。
なので、「居る(存在する)」ができるんだったらそれが最強なんだけど、
少なくとも「活動する」次元まではイメージしといたほうが離陸は楽だよ、と言いたい。
ここで冒頭の「自由時間どうするよ」の件とリンクするわけです。
ただいま鬼働き真っ最中でも、とくに「働かない」ことを意識していなくても、
365日×24時間自由に使えるなら(「働く/働かない」という概念のない世界に跳んだら)どうすごすか、
5次元で(心のなかで)何の制約もかけずにのびのび想像してみるとよいと思う。
今の仕事は気に入ってるけど、この「活動」に当てるのは月水金の午前中だけにして、
上司はこれこれこういうキャラの人と交替してもらう・・・というようなのもアリと思います。

むかし、定年退職した人が時間をもて余してドンヨリしてしまうとか、
統計によると何パーセントの人が数年以内に病気になったりメンタルヘルスをわるくするとか、
そういう話を本で読んだり人から聞いたりしても、私は信じられませんでした。
なんで? もういいかげん好きにすればいいじゃん、って。
やることがないんで、自分の健康とか将来の出費とか家族がらみの心配とか結局悩みを創出して、
ネットで情報収集してモンモンモンとするとかさ。
しかし、マインドが解放されないと、制約や不自由のネタが交替していくだけだとわかった今、
さもありなんと思えます。
自由な生活を享受できる人は、自由な生活を想像できる人です。
  1. 2022/07/30(土) 14:40:49|
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「できる」「できない」とかのペア思考

2022.3.9(水)

ここ何週間かマインド的にソフトフォーカスだったというか、
なーんか煙幕がかかってモヤついていたんだけども、
2022年3月4日(金)の夜、視界が横(右方向)にぐらっ、とズレるという現象が起きて、
そこからピントがもとに戻って、靄がとれた。なんだったのか。
自分流の手放しワークと座禅をしていなかったら、
もっと3次元に近づいて揺らいでいたと思う。

座禅といえば、約一年前から壁に向かって目を開けて瞑想すること(これが要は座禅)をはじめてから、
結跏趺坐(両下肢を反対側の腿に載せて足を組むこと)で座れるようになった。とくに練習もせず。
それまで、結跏趺坐だと数分で足が痛くなるので、半跏趺坐(片方の下肢だけ反対側の腿に載せる)にしていた。
それまでできなかったことが、あるときを機になぜできるようになったのか、わからない。

突如できるようになったことといえば、個人的に今もって不思議なのが水泳である。
私は小学校低学年のころ小児結核で入院し、退院してからは主治医の指示で体育を見学していたので、
泳げなかった。中学に進んでからも、紫外線がよくないとかで水泳だけは参加を止められていたので、
やっぱり泳げなかった。
子ども会の遠足で温泉地の室内プールに行ったとき、試してみたけど泳げなった、というか浮けなかったし、
こっそり独りで市営プールに行ってみたさいにも、浮き輪を使って遊んだ。
水泳の練習はしたことがないし、畳水練的なフォーム模写すらしたことがない。
ところが、それから十年以上たって、さる外国の島に旅行に行ったとき、
ホテルのプールでも、海でも、私は、むかしから慣れてましたよ、みたいなふうにいきなり平泳ぎで泳げていた。
水のなかで目を開けたり、潜ったりするのも平気だった。
旅行の間はこの件について考えなかったが、あとから省みればこれは妙だった。
プールで泳ぐ夢を何度か見ていたけども、実際に練習したことはないからだ。
とくに泳げるようになりたいと思ってはおらず、泳げないのを気にしてもいなかったせいか、奇蹟感もなかった。
そんなことってあるんだな、みたいな平熱の感慨しかなかった。とはいえ不思議ではある。なんだったのか。
今でも、ヘノヘノな平泳ぎでならたぶん泳げるような気がする。

反対に、できていたことが不意にできなくなったこともある。
ゼロ年代半ば、縄跳びに凝っていたことがあったのだけど、半年くらい休んで再トライしたら、
同じ長さの縄を使ったのに、二、三回で引っかかってしまい、何度やり直してもその体でアゼンとした。
二重跳びや交差跳びができないとかじゃなく、ふっつーの両足跳びなのに。
FC2ブログの前に使っていたブログサイトでそのことを記事にしたら、
「跳べなさすぎ(笑)」というコメントをいただいた。

そんなこんなの連想から、モヤ期間中、私は「できる、できない」を問いとして宇宙に投げていた。
と、「できる」と「できない」は善悪とか勝敗などと同類の、二極分化した対思考であり、
「できる」があるから「できない」が、「できない」があるから「できる」がある、相補だと。
この対思考、ペア眼鏡がはずれていれば、
「泳げる(泳げない)」とか「縄跳びが跳べる(跳べない)」というのは、ひとつの場面、ある状況にすぎない。
外国の島で泳げた、というよりは泳いだときに、
それが観光したり食事をしたりするといった一連の場面の一コマになっていて、特別感がなかったのは、
泳げる、泳げないという対発想をまったくしていなかったからだ。

善が善であるためには、悪が不可欠。勝つためには、負ける側が必要。
それと同じ単純な理屈で、「できる」状態になるためには「できない」状態が必要になる。
どちらを理解するか経験するにしても、もう一方を理解するか経験していないといけない。
悪なしの善、敗者なしの勝者、不可能なしに成り立つ可能はないのである。逆にしても同じ。
ペア(対)になっているとはそういうことだ。

と、ここでポワズ@アンドロメダからの通信が入ったので、以下はチャネリ談にします。

ポワズ 対思考は、もともとひとつの場面を表と裏にしているから、表か裏かのどちらかでしかない。
表でありながら裏ということはありえないし、表と裏が六対四の割合で混じるということもない。
みけ 「ここまでできた」は「できる」であり、「ここまでしかできない」は「できない」になる?
ポワズ そう。「部分的に正しい」場合も、その部分は正しく、残りはまちがってるわけだから、
正しい部分で正誤が混じることはない。
ペア思考を使うには、表か裏かのどちらかを選ぶ、どちらかの当事者になる必要がある。
で、ペアだから、どちらを選んでも、選んでいないほうがシャドウ(影)として残るし、
選んだほうを強調すると、選んでいないほうも膨らむんだ。ペアだから。
シャドウとして残るってのは、言語化されなかったり、意識に上ってこない思いとして残るってこと。
みけ だけど、できるできる絶対できる、って思い込んでできたってことはあるし、
できない、むり、としか思えなくて、ほーらだめじゃん、ってこともあるよ?
ポワズ 言葉で説明すればそうなるだろうけど、言葉を抜いてマインドの動態を見てみてよ。
どっちにしても、本当に思い込んだときは、もうペア思考からはずれてるよ。
マインドに葛藤がない。
みけ あー。だけどそこで吹っ切れるわけじゃなくて、結果が出たあと、
またペア思考が復活するんだよね。「この前はうまくいったけど、今度はどうか」とか、
だめだったにしても、その件にこだわってる間は一縷でも望みがあるから、葛藤がつづく。
ポワズ たいていの場合は「できる」ほうを選んで、
「もしできなかったら」と、反対側の「できない」面を膨らませていくことが多いだろうから、
「できる」ほうを選択するということで話を進めると、
「できた場面」というのは、「泳ぐ」「(縄を回して)跳ぶ」といった特定の状況なんだから、
その状況を想定したら、マインドにある(想像している)その状況をもういじらないことだよ。
そうすれば思考は一極、もうペアじゃない。
これは意図的に引き寄せの法則を使うコツと同じ。
みけ 引き寄せのテクニックでよく言われる「執着を手放す」って、ペア思考をやめるってこと?
ポワズ そう。思考の視角を変えろってこと。
みけ 「執着を手放す」という字面だけ見てると「あきらめろ」って言われてる気がしちゃうんだよね。
そこに無欲が最善とか我執はよろしくないとかの道徳チックな連想周波数も絡んできて。
ポワズ じゃなくって、メタフィジカルな力学を使った工学技術の話なんだよ。
ペア思考をしているうちは、どちらを選んでも、どちらに寄せても、
シャドウ(選んでいないほう)が賦活して、葛藤が生じて、実現確率が下がる。
ペア思考、とくに「できる」「できない」は創造力を制限する典型的な3次元発想で、
そこにサヴァイヴァル(できないと生きられない)や自己承認(できない自分はだめ)が懸かっていく。
最初はペアのどちらかを選ぶことからはじまるとしても、
マインドで想像した絵を、わざわざペア視角、ペア眼鏡で見なければいいわけ。
みけ たとえば、頭のなかで自分がトランペットのハイBを鳴らしているのを想像したとして、
ふだんの練習ではどうしたらいいの?
ポワズ 練習していない時間も含めて、そのときの直感、ちょっとしたワクワク、なんとなく思考にしたがう。
マインド(五次元)の絵がブレていなければ、磁力が五感を調えてくれる。
ていうか磁力のじゃまをしないこと、と言ったほうがいいかな。
みけ さあ、ハイBが当たる(鳴る)かな? というペア思考モヤモヤがまずあって、 
一発目は当たったのに、アンブシュア(口格好)や息を仕切り直していくうちにドツボってく、って私あるある(笑)。
この音域は練習なしには楽に出せるようにはならないぞ、みたいな固定観念が習慣領域(潜在意識)にある。
ポワズ 地球の3次元のスキル習得って、たいがいボトムアップでしょ。
目標を設定して、トライしてみて、どこをどう改善したらいいか見直して、それで試してみて、っていう。
それって、5次元(マインド)で想像図ができたら速攻3次元に戻って、引き寄せをキャンセルするってことなの。
正確には引き寄せをキャンセルした状態を引き寄せる。
科学的分析をして細部を詰めていくってのは、想像図を成否のペア思考で「完成図」と見て、
未完成(そうなっていない)から完成(そうなっている)へと物質環境を引っ張っていくことだから。
身体を含めた物質環境、物質の連続的広がりや変化にしたがうプロセス、それって3次元だよね。
みけ がんばればがんばるほど、磁力(引き寄せ力)をキャンセルしまくることになる・・・。
ポワズ 具体的な段階や細部へは磁力が連れていってくれるわけ。
だから、マインドで「ある想像図」を描いたら、「それはそれ」としてあとは放っといていいんだ。
その想像図に関する行為を何もしない日が何日も、何か月もつづくかもしれないし、
朝から晩まで想像図に関する行為に没頭する日もあるかもしれない。そういうことは関係なくて、
心地よさに充たされた宇宙の一コマとして、あるとき想像図の五感像が出現する。
宇宙をどう体験するかって趣味の問題だから、ボトムアップが気に入っているんならそれでも全然いいんだけど、
もし、楽に、のびのびと創造したいのなら、トップダウンで行ったほうがいいよ。
みけ 「できる」で自己肯定する習慣がついていると、 
五感を受け身にするってことがなかなかできないんだよね。怖くて。何かやらなくちゃと思ってしまう。
ポワズ 五感像にせよマインドの像にせよ、ひとつの場面なんだから、
それを体験するのが偉い、スゴい、またはダメだ、ヒドい、ってのは見かた(視角)のちがい。
視角に傾きがあるってこと。
みけ どんな場面も中立だけど、
「できる」「できない」とか「正しい」「まちがってる」とか、対になったペア思考をすることで、
その場面が対の片割れに見えるんだね。
単に雨が降っている場面を「わるい天気」(自分が選択していない裏面が「よい天気」)と言うみたいに。
  1. 2022/03/09(水) 13:46:36|
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「反応」で出てくる思いとヴァイブレーションのちがい

2021.11.15(月)

☆やっほい♪という気分でいたら、翌日、キタコレやっほい♪な出来事があった。
具体的には、豹専務がまちがって買ったコーヒーを、ふと思いついて上の階に住んでいる人にあげたら、
予想外なくらい喜んでもらえて、翌日、その人からこじゃれたクッキーをいただいた。

★ぷすぷすぷす(燻)という気分でいたら、数十分後に物が壊れていることがわかり、
この物は3か月前に不具合があって交換してもらったばかりだったので、
怒りを通り越して10秒くらいヘナヘナと座り込んでしまったくらい落ち込んだ。
でも、「統覚視点に下がってこの★感覚全体をゼロポイントフィールドに還す」をやったあと、
すぐ業者と連絡がついて、近日中に別種の品物と交換できることになった。
店は休業日だったが、「コールセンターに電話せよ」というヒラメキ通信が入り、
コールセンターでも「翌日の営業日にならないと店には連絡できない」ということだったのに、
電話の記録をチェックした当該店舗担当の社員さんから折り返しの連絡があったのである。

私にとっては、☆の展開も意外だったけど、おや? という発見があったのはむしろ★のほうだった。
物が壊れていると知ってへたり込んだ、その3秒くらいあとに、
大きなカタマリがゴトッ、と動く「感じ(触覚+聴覚的)」があったので。
電話のやりとりなどが終わって、シリウス@ソフィアに訊いてみたところ、
ゴトッ、というそれは、私のマインドの習慣領域(潜在意識)に潜んでいた、
自分の宇宙(感覚模様世界)にはそぐわない周波数(感覚)が異物感となってはずれたときの感触音らしい。
じつは私はヘナヘナと座り込んだときに統覚視点寄りに気持ちが引けていて(冷静になっていて)、
そのために、異物感を覚えるような周波数(感覚)が自然剥離してはずれたのである。

ゴトッ、という感触音は、★の件を五感像として引き寄せた周波数(感覚)の一部が表現された音。
ポジティブであれネガティブであれ、マインドの感覚には五感像を呼び込む磁力がある。
磁力が働くとは、マインドの感覚(思い、考え、気持ち、気分、記憶など)が、
無数にある五感模様のパタンのなかから、そのマインド模様と相似の、
そのマインド模様のさらなる具体化であるような五感模様を呼び込むこと。
つまりマインドが五感を「引き寄せる」ことをいう。

みけ 磁力が作用したといっても、★の場合はネガティブな出来事として実現したんだけど。
ソフィア どんな出来事であれ、五感像はポジでもネガでもないよ。
みけ ああそうだった、そうですね。だから、物が壊れたとわかった、という五感模様でできた場面に対し、
3次元化していた私のマインドが、(想定している)物の世界で起きた損壊に「反応」して、
「受難キタ。金と手間がかかる」と受け止めて、一瞬凹んだんでした。
ソフィア 「ポジティブな感覚」とは高次の感覚と相似形で、高次の感覚がより具体的になったマインド感覚、
「ネガティブな感覚」は高次の感覚を承継しておらず、途切れてズレているマインドの感覚。
マインドで「物」を想定し、「物」固有の法則が宇宙を決めると定義しているとき、
そのルール(上記の想定、定義)で五感化する「物理」世界への「反応」が「ネガティブな感覚」です。
高次からマインドへ、マインドから五感へとリレーされている(コヒーレントな)感覚をポジティブ、
リレーが途切れている感覚をネガティブと呼んでいる
だけで、
ポジがよく、ネガがわるいということではありません。
だからといって、ポジもネガも受け容れなければならないというわけではなく、
ズレているマインド感覚(ネガティブな感覚)は五感化させないで手放す(ゼロポに還す)ことができます。
みけ そういうふうにリレーが途切れてズレる、ということが起きるのはマインドでだけだよね。
マインドに3次元(五感的な感覚の向こうに「物」があると想定した世界)がつくられるから。
ソフィア そう。高次は感覚模様の宇宙の始発場で、いわばもともとポジだけといってもいい、
五感像は受け取ったマインドの設計図を、それがどんな設計図であれ実現するだけだからズレは生じない、
だからどちらも中立で、ポジ(コヒーレント)とネガ(ズレ)が生じるのはマインドでだけです。
また、五感像には空間も時間もなく、五感の束はフラットだから、次にどうなるこうなるという予測も生じない。
予測して心配したり安心したりするのはマインドです。
みけ 高次の感覚とズレてると違和感、異物感、サイズに合わない靴を履いてるみたいなアンフィット感が
出てくるから、その「感じ」全体を手放せばいいんだけど、
この違和感って、統覚視点まで下がらないとわからないんだよね。
ソフィア 高次とズレているということは、
統覚視点からのパースペクティブとして開かれる感覚模様宇宙に合っていないということだからね。
そしてそこでズレたまま五感化するわけだけど、
五感ゾーンはズレた設計図にしたがっているだけだから、
ズレたマインド像(設計図)→ズレた五感像(「物理」世界)というように実現する。
みけ そして、そのズレた五感像(「物理」世界)を最終的に出力されるコンテンツではなく、
こっちがおおもとの原因で、こっちの法則(物理法則など)が働いて全部の出来事が起きるんだ、
と思い込んでいると、「まさか」とか「しまった」とか「やっぱりだめか」とか、いろんな「反応」が起きる。
(想定された)「物理」世界の動きに対する「反応」です。
そこではじめて違和感、異物感が「不快感」になる。
なんかね、違和感や異物感と、「反応」による不快感ってちがうんですよ。
違和感や異物感って快でも不快でもないんですよ。あれ、変だな?っていうだけ。
それが不快感になったら、それはすでに「反応」だから、3次元に突入してます。

今回の★の出来事でそこんとこがはっきりしました。
不快感を手放したり、ヒーリングしたりしても、それは3次元の敷地内で収拾をつけてるだけで、
「物」があるとか、「物」固有の法則にしたがうっていう土台も、
土台にもとづいた常識でゴチャゴチャ考えてることも、
まだ無自覚な習慣としてつづいていて、はずせていないから、また似たようなことが起きる。
なんかこれパタンがあるんじゃないか? とか、パタンのパタンがあるんじゃないか?って、
土台に突き当たって気づくまでつづいていくと思う。
ソフィア しかし不快感という「反応」が出てしまったらもうどうにもならないわけではなく、
そこで統覚視点まで下がって、ズレたマインド感覚像全体を手放せばいい。あなたがそうしたように。
すると、状況全体をズレのない非3次元の五感像に「飛ばす」ことができます。
統覚視点の位置から手放すということができると、いわゆる「手遅れ」というのがなくなる。
みけ ヘナヘナになったあと、その統覚視点からの手放しをやったら、
ゴトッ、というカタマリは異物感の全部じゃなかった。そのカタマリの鋳型みたいなのも出てきました。
☆と★を比べると、一見、★のほうが早く実現しているみたいだけど、
カタマリやその鋳型はもっと前から居座ってたやつだから、
★のほうが実現速度が遅いというか、動きが重たいです。
ソフィア 高次とズレて「物理」化した五感像を実現させるというのは、
本来のコヒーレントな宇宙にはない感覚像を、3次元というシステムからわざわざつくりあげるわけだから、
しくみが複雑で、非常に多くのステップを必要とする。
「物」の世界では瞬時に起きたように見えることでも、じつは相当に「時間」がかかっています。
過去世とか銀河系の周期云々というのは、その長大なステップ、複雑さ、重さの象徴的表現です。
みけ 3次元の感覚が高次とズレているとしても、統覚視点が許容していないと、
「“物”がある」という3次元の想定ができないよね?
ソフィア そう、だから一度は許可してGOサインを出すんだよ。
そして何度もトライアル・アンド・エラーを繰り返して、ディセンション(非3次元から3次元へ移ること。次元下降)
していく。で、3次元に着地すると、アセンション(3次元から非3次元へ移る、次元上昇)がはじまるまで
3次元のプログラムをループ(輪廻)させて定着させていく。
みけ 逆に、3次元から出ていくには、何かヒントが残っていないといけないよね?
自分は「物(身体)」ではなく統覚視点だと気がつけるような。
ソフィア ディセンションとループの期間を通じて残っているヒントは「私」という一人称意識です。
ゼロポイントフィールドを特定の角度、パースペクティブで体験する統覚視点は、
3次元に入って、ある部族とか、人類とか、3次元世界の合意現実の「合意」を支える集団を想定したとしても、
想定したその集団に同一化しきれずに必ず一人称意識という足跡を残す。
どんなに集団に同調していても、「私の見ている、感じている景色」という一人称のパースペクティブは消せない。
ゆえに、自分の性格とか適性とか、「私は何々である」というときの述語のほうではなく、
主語の「私」、「私」という一人称の認識形式に気づくことがループを解く鍵です。

<補足>
未実現のマインド感覚と、「反応」で出てくる思考や感情、気分とでは「質感」がちがいます。
出来事に「反応」して出てくる思いや気持ちというのは、
「“物”がある」という想定を基礎として、「“物”でできた世界でこういうことが起きた」ととらえた結果であり、
「反応」して喜怒哀楽等を感じたとき、何かの考えや記憶が浮かんだときには、
すでに3次元にフェイドインしています。
なので「反応」で出てきた思考や感情や気分には「物」でできた世界を動かす力(磁力、引き寄せ力)は
ありません。
むしろ、何かが起きてすっかり完了してしまったあとの出がらしというか。
「思考は現実になる」という類のフレーズを見聞きしたとき、「ないわ」と思えるのは、
思考などのマインドの感覚を「反応」として経験しているアレらのことだと思うからです。
磁力を帯びている本ボシのマインド感覚は、もっと奥(習慣化された領域すなわち潜在意識)にあって、
喜怒哀楽みたいなはっきりした「傾き」はありません。
なんとなくワクワクする、ビートがある、モヤっとしている、ゴチャゴチャ絡まっている、といった、
リズムパタンだけ、ヴァイブレーションだけ、みたいな感じ。
(喜怒哀楽なども感覚であり波動にはちがいないのですが、奥にある波動よりも振幅が大きく、
コントラストがはっきりしていて、ポジな感覚でも疲れてネガ転しやすい。)
なので、非3次元にシフトすると決めている人は、
「なんとなくおかしい」「なんとなくイケる」みたいな感触に気をつけているとよいと思います。
ここでは詳しくふれませんが、アファメーションとかビジュアライゼーション、イメージングなどは、
「反応」並にはっきりしている言葉やイメージでヴァイブレーションのほうを誘導していくやりかたです。
これも、ヴァイブレーションに的中し、ヴァイブレーションが動かないと効果がありません。
  1. 2021/11/15(月) 13:20:13|
  2. 実現のメタフィジクス
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
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