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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

ディセンション期の物語は3次元の習慣の深さを象徴している

2020.11.16(月)

オカルト語でいうディセンション(次元下降)とは、3次元に入ること、
ディセンション期とは、3次元に入って定着するという方向をいいます。
飛行場に着陸しようとする飛行機のイメージでとらえて、この方向を角度と言ってもいいでしょう。
アセンションは反対に3次元から出ていくこと、
アセンション期は3次元から離陸する方向または角度のことです。

3次元というのは、認識とその対象(存在)を切り離し、
存在は認識とは関係なく存在固有の原理や法則によって存在する、
認識は存在の一部(身体)がもつ機能であり、
認識には存在固有の原理や法則を変える力はない、と想定した世界です。
すると、認識はその対象(存在)を創造することができなくなります(認識≠創造ないし存在)。
一般的な表現をすると、
自分が感じようと感じまいと物質はずっとある、存在している、
自分の感覚も自分という意識も物質の一部である身体から発生した機能で、
自分の感じかた、見かたによって自然科学の法則を超えて物質を動かすことはできない、
この自然科学の法則にもとづいて存在する物質が第一義的な究極の現実であり、
現実を変えるには、自然科学の法則とそれを基礎とする一般常識を探究し、
何世代もかけて蓄積されてきた探究結果を学んで、
法則や常識に沿って行動しなければならない、と、そのように想定した世界です。
3次元ではない世界(非3次元)では、
ある一人称の視点(統覚視点「私」)で感じたことはそのまま実現しますが(認識=創造)、
これは認識とは関係なく存在する客体X(物質、エネルギー、霊など)を想定していないからです。
3次元では、何をするにしてもしないにしても、認識に先立つ存在のルール(科学法則など)に
制約されるので、3次元は非3次元にはない制限を体験する世界であるといえます。

ですから、オカルト語を使わなければ、次のように言い表せます。
認識=存在(創造) → 認識≠存在 → 認識=存在(創造)
最初の矢印がディセンション、次の矢印がアセンションです。
感じたことがそのまま実現している世界から、感じたこととは別に対象(客体)がある世界へ、
そこから再び感じたことがそのまま実現している世界に戻る、という意味です。
認識とその対象がひとつである状態から、両者が分離し、また統合する、と言ってもいいです。
要は、認識とその対象との関係が変わることです(統合された状態「=」から分離状態「≠」へ、
そこからまた統合状態「=」へと戻る)。

ただそれだけのことが、なぜ、銀河の歳差運動とか、太古の文明とか、他の恒星・惑星文明とか、
何度も転生を繰り返し、とか、そんな大仰なお話を絡めて語られるのでしょうか。
ひとつは、上述のような想定(「=」か「≠」か)は習慣に深く埋め込まれていて、
そっか、じゃこっちにするわ、と、簡単に乗り換えられるものではないからです。
言語などに表われてこない潜在意識の潮流が決めているといってもいいでしょう。
そもそも宇宙のありようは想定次第だとか、
想定の根幹は「=」か「≠」の二択だとかいうこと自体、
二番目の矢印の「戻り」のときにならないと浮上してきません。
もうひとつは、「=」から「≠」へ、そしてまた「=」に戻るというただそれだけのことが、
「私」という一人称のパースペクティブで開く宇宙にとって、
銀河とか文明といった表現に相当するほど広大無辺な規模の変転であるからです。
なので、銀河とか文明、転生といったお話は、
認識から独立させた存在(客体)を想定し、その連続的広がり、変化を前提にした3次元世界の
訳語を使って、非3次元の一人称宇宙の深さと広さを表しているといえます。

今日中に調査票の回答を書いてしまおう、気の進まない用事はとっととすませるのだ、
思わぬ出費があったから、しばらく食費を節約しないと、それにしても野菜が高い、
リビングの掃除がすんだら次は廊下、それから玄関、おっと洗濯物をとり入れて、
腰痛がぶり返しそうでイヤだな、とりあえずサポーターをしておいて、整体の予約を入れるか、
もうこんな時間だ、寝なければ・・・等々、
あれをして、これをして、と、私たちが「現実」に対処しようとしているとき、
自分は究極には物質が支えている「現実」に働きかけてうまく運営しようとしているのだ、
などとは思っていません。
物質が認識(感覚)の向こう側に想定した仮想存在だと気づいている場合でも、
自分は想定に振り回されている、などとは思いません。
「現実」への対処行動、
厳密にいえば、いろんな行動を「現実」のやりくりタスクとしてとらえる対処思考は、
とっさに、習慣的に、ほとんど考えずに出てくる「型」、パターンです。
少し時間があって、
あのとき会社を辞めなければよかったとか、あのオファーを辞退して正解だったとか、
過去の対処の不適切さ、適切さを反省しているときでもそう。
「型」にしたがった結果を、現在も継続している「型」にあてはめて判断しているだけで、
「型」に乗っかっていることには気づいていません。
この「型」というのが、これまで何度か書きましたが、<反応フローチャート>です。
<客体(物質)-1次反応→物理感覚-2次反応→思考、感情、気分>という、
「あらゆる感覚は究極には客体(物質)への反応である」とみる構図
のこと。
一般的な表現をすると、
「外でこれこれのことが起きた→だからこういう状況になった」(1次反応)
「今、こういう状況にある(または過去形)→だからこう考える、こういう気持ちになる」(2次反応)
という、原因から結果に至る流れのことです。
要約すれば「外が原因でこうなった」と見ること。
したがって、結果を動かすには原因となった外に働きかけなければならない。それが対処です。
しかし「外が原因でこうなった」と考えることは考えるまでもないほど自明なので、
<反応フローチャート>という観念(思考を動かす思考)は意識に上らず、
自覚できるのは、それにもとづく対処思考、対処行動だけです。

私は、「本当のこと、事実は全部、物でできている。だから物の動きによく注意していなさい」とか、
「いつもと変わったことがあったらちゃんと調べて、なるべく早いうちに手当てしなさい」とか、
「そうしないと場合によっては命にかかわる。命も物なんだから、扱いをまちがえると失くしてしまうよ」
などというふうに教わってはいません。
そうではなくて、これは(食べ物)口に入れてもいいけどそれ(食べ物ではないもの)はだめだとか、
外に出てもいいけど道路で遊んではいけないとか、
場面場面の対処のしかたを学習して、
無数の場面がケーススタディとなって、
「どんな状況も外に原因がある」「だから状況を動かすには外に働きかけなくてはならない」
という原則を、言葉ではなく振付やフォームのようなものとして、
ほぼ習性のように、考えずに出てくるようになるまで習得していったのです。
親や年長者から言葉や身振りなどで指示されることはほんの一部で、
ほとんどの対処思考、対処行動は見よう見まね、さらにはサブリミナルに習得されていきます。
遭難してまったく未知の土地に漂着し、土地の言語や習俗を手探りで覚えていくのに近いかも
しれません。
振付、フォームは<反応フローチャート>という「型」に沿っており、
さらには、<反応フローチャート>の第一原因である「外(物質)」は想定された客体Xなのですが、
これは、私がふだんしゃべるときにいちいち日本語の文法を意識していないように、
場面場面で何か対処をするつど意識に上ってくるわけではありません。
ただ、無数に繰り返してきたことを無自覚にまた繰り返すつど、
この「型」に嵌り、「≠」の世界である3次元をやっていることになります。
それが習慣に埋め込まれている、癖になっているということです。

対処の習慣が形成されていくのは、3次元の世界で一般的にいわれるところの幼少期です。
この幼少期というのも、3次元という枠をはずすと「かつて実際にあった時期」ではなくて、
実際にあったと感じられるくらいリアリティの強いイメージ情景(記憶)、
すなわちマインドの感覚(非五感的だが自覚できる思考、感情、気分など)のひとつ
です。
そのように、幼少期の情景を実際にあったことではなくマインドの感覚ととらえたとき、
対処の習慣と、そこに埋め込まれた<反応フローチャート>、その大前提の想定された客体Xは、
3次元で定義された数年から十数年くらいの幼少期の歳月ではとてもカバーできないような
重たさと根深さをもっています。
それは見よう見まねとかサブリミナルという、言語化できない、感覚的な方法が、
3次元よりも3次元ではない(非3次元)世界と親和性があるからです。
その幼少期の歳月を超える重たさ、根深さが、
幾度も繰り返された転生とか、銀河の歳差運動などの「大きな物語」として表現されています。
個人の過去世や来世、先祖、民族、人類、異界の存在たち、等々は、
3次元からこぼれていく感覚を象徴的に説明するターム(術語)であり概念像です。
どのようなお話、概念像がしっくりくるかは統覚視点の角度によって(人によって)ちがいます。
いずれもディセンションすなわち「≠」の世界に入る感覚的プロセスを象徴する物語であり概念像なので、
アセンションすなわち「=」に戻るときにはあまり気にする必要はありません。
戻りのプロセスでは、3次元では無視していた高次の感覚(閃き、直感、直知、ゾーン感覚、
イメージを伴わずに一瞬で思いや気分を転換させてしまうような「感じ」、行為に直結し気がついたら
作業が終わっていた、という場合など)が開いてきます。
それらはダイレクトに感じることもあるし、
銀河や異界の光景とかむかしの賢人の姿などで表されることもあり、どちらでもよいです。

しょっちゅう統覚視点に下がって違和感のある感覚を手放していると、
<反応>の作為性がわかるようになり、<反応>による対処は終わっていきますが、
その途上で、まだ無自覚の対処思考・行動があっても、高次の感覚は感じられるようになっていきます。
こちら(高次)をどんどん使うことによっても、習慣は薄まります。
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  1. 2020/11/16(月) 16:13:56|
  2. アセンションについて
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覚醒のメインステージはマインド

2020.7.31(金)

ソファイア@シリウス、ソフィア@シリウスとのチャネリ対話を掲載します。
後半で一瞬、リラ爺も登場します。

1.いろいろな視角

みけ 3次元という観念世界に入るのは、統覚視点(私)が、そこから出るプロセスを知りたいからだ、
って、ソフィア@シリウスやモナ@アルクトゥルスから聞きました。
ハイエストセルフ(モナド)‐ハイヤーセルフがフィードバックしてほしい周波数(感覚)は、
どうやって3次元にフェイドインし、定着するか、3次元の不自由さとはどういうものか、ではなく、
3次元が観念だって気がついて、テイクオフして出て行くプロセスだって。
ソファイア そうよ。出て行くにはいったん入らないといけないからね。
テイクオフというよりタッチアンドゴー(着陸してすぐ離陸すること)じゃないの。
みけ だって、私の周りには「現実(この場合は3次元)にしっかり向き合え!」っていう人がいっぱい
いたし、そういう情報もいっぱいあったし、3次元という他人軸の観念世界のなかで「自分vs環境」に
分かれて葛藤する物語もいっぱいあったよ?
ソファイア それ着陸時の管制塔情報だよ。離陸に転じたら興味なくなったでしょ?
みけ あ、なるほど。
ソファイア 離陸が知りたいことのメインで、着陸方向はその準備だから、
「私たちは3次元の制限を通して成長し~」とか「長い間お世話になった3次元のツールを、感謝して
手放しましょう」とかいうお話を聞いてもピンと来ないかもしれない。それは気にしなくていい。
しっかり着陸した覚えはないとか、トランジットしただけ、空港から出なかったっていう人も多い。
アストラルスペース(マインド)で、3次元化して見る地球での転生記憶や先祖系のコネクション(縁)
という形で3次元とのつながりをつくって磁性化しておくと、
その磁場に助けられて3次元がしのぎやすくなるんだ。要はなじみができる。
でも、3次元暦の21世紀現在、それさえやってない人もいる。あなたもやってない。
ちなみに、こうこうこういう「人」ってのは、統覚視点(私)がどういう視角で宇宙を認識し創造するか、
その角度のことね。
みけ 転生記憶の情景とか一族の物語を思い出せなくても、それは機能するの?
ソファイア する。マインドの感覚(周波数)だから、モヤっとそれっぽい磁場ができるだけでいい。
みけ 現地ですごすための荷物は一切持たず、着いたら速攻離陸なのかぁ。
ソファイア 3次元に入るディセンションの角度と、3次元を出るアセンションの角度とでは、
楽しみかたがちがうんだよ。
ディセンションの角度は、他人軸(客体世界)の掌中で自分と環境に分かれて(3次元では自分も
環境もともに他人軸であるという意味)、他人軸に制限された「人生」や「生活」を送るという、
いわばテーマパークで遊ぶみたいな楽しみかたになる。
この角度だと、愚痴や文句を言いつつも、根本的には満喫してる。モチベーションがあるんだから。
制限を通して成長するとか学ぶってのはこっちの角度。
一方、アセンションの角度だと、3次元の仕掛けやしくみがわかるってことが楽しみになる。
たとえば、先のことが心配だっていう感覚(周波数)を手放すとき、
将来起こりそうなことの想像の内容が問題なんじゃなくて、
未来そのものが観念なんだって気がつく。
この観念を使ったとき、客体の連続的時間展開に沿って栄枯盛衰していく構図が見え、
それに対抗するテトリスゲーム的な対処行動の構えができる。
きっちり言語化してなくても、こういうスコープ(視野)が「感じ(周波数)」としてとらえられる。
みけ ディセンションするときには、仕掛けやしくみは知らなくていいわけ?
ソファイア それを知ってると、「仮に他人軸で動いてみてるだけだ」ってなって没入できない。
むしろ、3次元は観念なんかじゃなく究極の本当の現実だと思い込んでいたほうが楽しめる。
アセンションの角度から見ると、これは「本来の自分、本来の宇宙を忘却している」ことになるけど、
それは3次元から出て行く向きになって出てくる発想なんだわ。
みけ 仕掛けやしくみを知るって、引っ越しするために家のかたづけをしていて、
動線をじゃましていた家具のレイアウトや建具の構造に、そこではじめて気がついたり、
しまいこんで忘れていたものが出てくるっていうのに、ちょっと似てるかもしれないな。
あと、会社を辞めるって決めると、組織や人が、それまでとはちがって見えたりするし。
ソファイア アセンションの角度では、3次元という観念世界の構造や力学を知ることがテーマだから、
制限世界を探検して体験してみようというモチベーションがない。
だから、滞在が浅かったり、タッチアンドゴーで出て行く角度だと、
3次元に入るときから「ここはなんかおかしい」っていう違和感がある。
家庭にも学校にも社会にもなじめない、居場所がない、幼少期に幸福な思い出がない、とか。
非3次元を封印し切らずに残しているからそうなる。
みけ それね。恨みつらみじゃないんだよね。
恨みつらみは、3次元というテーマパークでは楽しみかたのひとつだから。
じゃなくて、関係が薄い、縁が薄いって感じ。
「関係ない」ってのも関係のありかたのひとつなんだけど、
密なのが関係だと思っている人が多いから「冷たい」って言われる。
ソファイア その違和感は着陸時にはキツいかもしれないけど、離陸に転じるとフル活用できる。
最初から離陸メインの設計なんだから。
みけ 滞在時間の長短は関係なく、角度のちがいね?
ソファイア そう、寿命が短くてもディセンションの角度なら3次元を満喫するし、
3次元尺で百年かけて着陸即離陸をやるケースもある。
また、兄弟姉妹とか、同じ環境で何年もいっしょにすごした人同士でも、角度がちがうこともある。
みけ 3次元にいる間は、視角の異なる情報が混在するから、
自分に合わない情報でもキャッチできちゃうのかな。
ソファイア そう。大別すると、
①3次元を満喫する
②十分に3次元を満喫したから、この3次元(今世)で出る
 a. 3次元から5次元ベースに移行(死後にアセンション)
 b. 3次元から4次元ベースに移行(存命中にアセンション)
③1回だけ3次元をやってみる(上記a.b.のパタンがあるのは同じ)
④3次元から出るためにいったん3次元に入る(上記b.パタンのみ)
といった角度があって、
①「制限を知る」「制限を通して学ぶ、成長する」といったディセンション方向のテーマ
②a.は①と同じテーマ、b.はディセンションとアセンション両方向のテーマ
③②と同じ
④3次元から出る過程でわかってくる「3次元のしくみを知る」というアセンション方向のテーマ
というふうに、テーマが異なる。
さらに、それぞれのテーマ探究のためにどういうツールを使うかによって、
宇宙系とか天使系とかアセンデッドマスター系とかに分かれる。
厳密に見ていくと、統覚視点ごとに(ひとりひとり)全部ちがう。
これらのちがいは、マインドすなわちアストラル媒質で起きる感覚(周波数)のちがいとなって
表れるのであって、
3次元の時空軸を使って「何度も生まれ変わった結果、②に至る」とか、
「生まれる前は何々星にいて、今世は地球で③をやる」ということじゃないんだ。わかるよね?
みけ 「何度も転生してる」というのは、異なる個人史感覚(周波数)をアクティベートしている
っていうことだよね。実際にこれこれの時代を生きた、ということじゃなく。
そもそも3人称的、客観的な歴史自体が3次元の合意観念で、
そんなものを生きられる人なんていないんだから。
視野を3次元に限定しても、「私はこれこれの場面を生きた」とは言えても、
「私は平安時代末期を生きた」とは言えない。そこに生きる人にとってはいつでも「現代」だから。
で、「これこれの場面を生きた」という記憶も、マインドで起きてる感覚(周波数)のひとつ。
だから、何度も地球で転生した人、よその星や異界にいた人、未来の記憶がある人、
みんな同一線上に並んでいて、頭や心のなかで想起している内容がちがうと考えたほうがいい。
もちろん、「その種の記憶がない」という角度(人)もありだし。

2.アセンション(覚醒)はマインドで起きる

みけ ところで、3次元のプログラム(客体‐空間‐時間思考システム)に載ったデータをひとつ
手放したら、また3次元に戻ってる気がする、っていうの、どうしたらいいの?
ソフィア どういうこと?
みけ 何か問題があってゼロポ還しのワークをやるときは、周波数(感覚)が整って、
「これ、べつに問題じゃないわ」ってなって問題は消失し、
放置しといていいとか、解決策がわかるとか、そういう動きがあるのね。
でも、私はとくに問題がなくても、瞑想のついでとかにゼロポ還しをやったりしてるんだ。
その場合は、「3次元の制限をすべてゼロポに還す」っていうアファメを使うんだけど。
そうすると、ワークが終わってもとくに変化はないっていうか、
景色はもとのままだし、4次元に移ったっていう実感がない・・・そう、実感がないの。
ソフィア マインドの感覚(周波数)をモニタリングしてください、できる限り常に。
軽いか、シンプルか、明快か、わくわくするか、脱力できているか。
「さあ、4次元はどんなふうなんだろう?」と五感的な感覚(周波数)を凝視するんじゃなく。
五感的な感覚(4次元ベースではエーテル媒質に起きる感覚のこと)というのは、
収穫、結実の周波数帯域(感覚)であって、感じて(受け取って)いればよく、
操作するところではありません。
凝視という行為は、景色という五感的な統覚像を外側(客体)と定義してしまい、
自由になったマインドを3次元に戻してしまいます。
同時に、統覚像は五感的ではなくなり、客体(物)への反応と定義された物理感覚に戻る。
みけ そう言われてみると、「これは問題じゃない」という気づきもマインドで起きてるんであって、
事件や出来事じゃないよね。
ソフィア 誤解を受けそうな言いかたではありますが、敢えて言うなら、
覚醒、アセンションとは、心のなか、頭のなかで考えること、感じることが変わることです。
みけ ああ、その誤解を受けそうなフレーズを使うために周波数が変わったんだ
(ソファイアからソフィアに交替したこと。ソファイアは主に基礎、ソフィアは主に臨床を担当)。
そうだね、3次元自体、心のなか、頭のなかでつくっている世界なんだから、
そこから出るのは心や頭のなかが変わるってことだよね。
で、本当は心も頭もなく、身体にもとづかない主観が宇宙をつくってるんでした。
ラァル@リラ爺 うまいっ、座布団一枚!
みけ お世話になっております。
ラァル どうもー。
ソフィア いいですか、外側に「物」があり、内側が「心」なのではない、
3次元は一面「心」で、そこで「物」とか「身体」という観念をつくっているんだ。
それをはずすというのは、だから、「心」、マインドで起きることです。
みけ すばらしい、明快です。
ソフィア マインドで3次元という観念がはずれると、
マインドは観念から自由になり、広がり、高次とつながり、五感を開きます。
だから「上(高次)」と「下(五感)」は気にしなくていい。マインドをチェックしてください。
言葉や想像の内容はどうでもいい、
軽いか、シンプルか、明快か、わくわくするか、脱力できているか、
つまり自分に合う感覚(周波数)であるかどうか。
みけ 重たい、絡まっている、堂々巡り、めんどうくさい、へこんでる・・・とか、
自分に合わない感覚(周波数)だったらゼロポに還す、手放す。
できる限り常にマインドをモニタリングして感覚(周波数)をチェックする、ってことは、
ゼロポに還すとか手放しのワークというのは儀式みたいな特別なことじゃなくて、
食事の前やトイレのあとに手を洗うとかシャワーみたいなことだと考えたほうがよさそうだね。
ソフィア 3次元をやっているときは、ほぼ四六時中、物(客体)をモニタリングしてるでしょう?
そのカメラの向きを、物という観念に絞らず、マインド全体に広げるということです。
みけ わかりました。
ただ、3次元では「怒りが湧いたらこうしなさい」「焦ってるときはこうして」とか
思考や感情に対処する方法についてはマニュアルがあるけど、
マインドの「感じ(周波数)」をモニタリングするなんて、誰からも教わらないんだよね。
対処は物(という観念)の世界に働きかけることだから重視されるけど、
「何を、どう感じているか」なんて、3次元ではどうでもよくて、ないがしろにされてるんだよ。
対処の方法ですら、親とか周りの大人が心理に関心があって配慮する人だったり、
本を読むとか、自分で情報収集するんじゃないとわからない。
自然のままだと、これこれの状況では我慢しろとか、集中しろとか、
すごく大雑把な、それも対処のしかたしか教わらないの。
だから、最初のうちは、その「カメラの向き」をかなり意識している必要があると思います。
  1. 2020/07/31(金) 16:45:59|
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3次元に入る理由

2020.7.23(木)

ソフィア@シリウス、モナ@アルクトゥルスとのチャネリング対話です。
長いので見出しをつけています。

1.ゼロポイントフィールドと「私」

みけ 知りうることの全部、あらゆる結果というのはすでにあって、
それと同時に、というか、それゆえに、というか、何もないんです。
全部完成しているというのは、何もしていないのと同じなんです。
全部知っていて、何も知らない。それがゼロポイントフィールド。虚空です。
ソフィア そうです。
みけ 「私」という統覚視点は、これが虚空だと認識することによって虚空を創造し、
虚空ではない側が「私」である、という視角を据えますが、同時に、
「虚空ではない(=私)」という命題そのものを覆して、
「“虚空ではない”ではない(私ではない)」となって虚空に還っています。
右手で「私」としてさまざまな感覚(周波数)を認識かつ創造しながら、
左手で全部をご破算にしてもとの虚空に還る、というような。
この両義性から、「私」が認識かつ創造した宇宙は、
高次であれマインドであれ五感の世界であれ、どの感覚(周波数)帯域も、夢に喩えられる。
ソフィア そう。もっと詳しくいうと、それぞれの感覚は、
エーテル帯域、アストラル帯域、メンタル帯域等々と称される媒質上に起きる波です。
媒質は高次、マインド、五感の感覚のいわば裏面で、
虚空すなわちゼロポイントフィールドが各層の感覚を映す密度になった状態です。
つまりゼロポが各層の夢を映すスクリーンになったものが媒質と思えばいい。
みけ いろんな感覚(周波数)があるのは、統覚視点(私)がスイッチをオンにして「知っている」
にしたり、オフにして「知らない」にしたり、オンからオフにしてまたオンにしたり、
ということを、それぞれの媒質上でやっているからだよね。
オンでもオフでもなくオンでもオフでもある虚空でありつつ、そういうことをやっている。
ソフィア そうです。
みけ 私の統覚視点がそういうオンオフをやっている宇宙には、
以上の説明とは全然ちがうメタフィジクスがいくつもあるんだけど、どれが正解というんではなく、
ゼロポに対する統覚視点の入射角が異なるんだと考えていいですか。
お好み焼きを切るときに、升目に切るかピザみたいに放射状に切るかのちがい、みたいな。
ソフィア あなたの宇宙ではそれでいいです。
厳密にいえば、あなたのメタフィジクスにしたがうと、
自分以外の統覚視点があるかどうかもわからないことになりますが、
あなたは無数の統覚視点があると想定しているから、
入射角のちがいが感覚のちがいとして具体化すると考えていい。
角度がちがっても、統覚視点「私」という一人称視点の認識即創造形式を使っている点では同じ、
それぞれが「私」であるという点においてワンネスである、それでいい。
自分と異なる見解に接したとき、感覚的に(周波数が)合うと感じた部分は使えばいいし、
合わない部分は気にしなくていいです。
情報源のネームバリューや、高次存在であるか否か、秘教的伝統や古典にもとづいているか否か、
等々は関係ありません。

2.情報を感覚(周波数)としてとらえる

みけ 私の宇宙に、自分のメタフィジクスとは異なる情報があるのはどうしてなんだろう。
ソフィア アセンションないし覚醒は3次元にいるうちにスタートするからですよ。
3次元を脱する時機が近づいてゲートが開いたときには、
Aさん、Bさん、Cさん・・・のそれぞれが分離して実在するという観念はまだ継続しているので、
本やネットを通じて、それぞれ異なる情報が入ってくる。
最初は3次元の常識から逸脱した思考や情報に慣れることが大事で、
それから、どの情報のどの部分が腑に落ちるかを探って取捨選択する作業がはじまります。
というか、あなたが納得できなかったのは、輪廻転生とか、3次元とは実在する物質世界のことで、
その「上」にエーテル界やアストラル界などの見えない世界があるとか、
その3次元を経験することで魂が成長していくとか、
3次元の常識の延長でしかない話が多くて、
じつはリアルと思えるこの3次元、物と、それが連続的に広がる空間、連続的に変化していく時間
こそが観念であり、心や頭のなかに建設されていることに肉迫していない、
それだと「物は目の前にあるし、一年前はどこそこにいた、今日の次に明日がくる」という、
素朴にして強靭なリアリティが崩れないということなんじゃないの。
みけ うん。3次元が観念で、マインドでつくっている、つまりアストラル帯域の世界なんだ、
五感はエーテル帯域の感覚で、3次元の「上」じゃなくむしろ「下」にある、
ということに気づくのはもっとうんとあとのことだけど、
初期段階で取捨選択しようにも、腑に落ちる情報が非常に少なかったということ。
これじゃない、これは自分の疑問の答じゃない、という感覚は直感的、実感的なもので、
理詰めでわかったことじゃないんです。
なので、最初にゲートが開いた1990年代にはコミットメント(覚醒すると決めること)せず、
96年くらいにはゲートは閉じたと思う。
ハイヤーセルフという言葉も、見えない世界に立派な自分がいる、みたいに、
人格的なイメージでしかとらえられなかったから、
そういう存在がいてもいいけど、どうでもいいや、ってことになった。
結局、過去世や来世が誰であろうと、見えない世界のしくみがどうなっていようと、
「今の人生を一生懸命に生き切りましょう」という結論になるわけよ。
この結論に客体‐空間‐時間思考システムという制限のしくみが仕込まれているのにさ。
3次元から自由になるには、死ぬまで待つしかないの。
そんなのヤだし、輪廻転生しながら成長していくのもヤ。今すぐ自由になりたい。
ちなみに、「物は目の前にあるし~」っていうリアリティは、素朴で強靭だけど直覚じゃないから、
直覚をごまかさなければ直覚が突破口になると思います。
ソフィア まだ3次元にいる間にもたらされるメタフィジカルな情報の多くが3次元的なのは、
ご自身がまだ3次元にいるからです。
みけ あ、そっか。
ソフィア 「今の人生を~」という結論にこそ疑義がある、というのは、3次元への疑義です。
あなたの場合には、そこが突破口になった。
みけ それだとわくわくしないんだよね。
ソフィア だけどね、3次元の常識の延長でしかない情報がそう見えるのは、
言語上の意味とか文脈に拠って読むからであって、
感覚(周波数)に戻してリーディングした場合、
その文体、音列、文字の形、字体、紙の質感、背景の色、イラスト、
音声情報であれば声、外見や動作の印象、等々によって、むしろそれらがテコになって、
直感的、実感的に3次元が剥離し、3次元の観念性がわかってくることもある。
そういうアプローチをする人もいます。
極端にいえば情報の内容は関係なく、非3次元に回帰するという的に当たればいいんだ。
みけ ああ、結局は波動(感覚)だから。
そういえばこないだ、ある本で「エゴの言いなりにならず自分軸で生きよう」といった表現に
出合って、吃驚したんですよ。
私にとって統覚視点とは本来のエゴ、自我のことであり、
それが身体や身体に由来する主観といった範囲に限られている状態が特殊なんですが、
ペロンとこういう使い分けをする大雑把さがポジティブな意味で新鮮でした。

3.自分軸に戻るということ

みけ 自分軸と他人軸という言いかたがあるけど、3次元は他人軸の世界なんだよね。
「客体(物)がある」という定義で、すべては客体固有の法則(一般的には自然科学)で回っていく、
と他人軸を立てるから。
そのなかで、物(客体)と主観の拮抗が生じるけど、主観の土台である身体だって物なんだから、
結局、どっちも他人軸なんです。
自分の都合を優先しても、他人に譲っても、自分と他人が投げ込まれている物質世界が前提で、
どっちに転んでも物質固有の法則が主導権を握ってるんだから、どっちも他人軸。
ここから、主観の「私」という認識形式をテコにして、
自分だろうと他人だろうと、無機物だろうと、また主観も他人の思惑も社会通念も、一切合切、
「私」という形式を通していること、すべては「私」を視点とするパースペクティブのなかで起きて
いること、全部の「感じ(周波数)」の感じ手が「私」であること、
それに気づくことが、ただの統覚視点である「私」に戻るということで、それが覚醒です。
ソフィア そう。他人軸の世界には自分軸はないし、自分軸の世界には他人軸はない。
両者は排他的で、どっちかしかない。
ただ、他人軸の世界である3次元を体験していても、
「私」という一人称の認識形式は継承していて、それが自意識とか主観に限定されながらも
機能しているから、他人軸世界のなかで「自分vs.環境」という二元世界をつくる。
客体(物)が主導権を握っていても、それに違和感や不快感を感じることができる、
完全な他人軸存在にはなり切れない。ここに非常に重要なヒントがあります。
逆説的に聞こえるかもしれないが、「エゴを手放す」と言われていることは、
「自分は誰か、何者であるか」という問いが止まって、「自分」という形式に気づくことです。
みけ 身もふたもない言いかたをすれば、コンテンツ探しをやめてプログラムを見るってことね。
モナ ちょっと待った! あなた方、そこんところ、さらっと流したけど、
「自分は誰か、何者か」という問いかけも超必要ですから。
それをやらないと、ハコ(身体と主観)付きの自分の好き嫌い、快不快もボンヤリしていて、
ハコの輪郭が浮上してこないから、「“自分“という形式」になんかとても行き着けないわよ。
好き嫌い、快不快に正直にならないと、無自覚にジャッジしていることにも気づけない。
身体や主観という観念と同一化して眠ってはいるけど、統覚視点(私)の在り処はそこなんだから、
ハコ付きの「私」でもまずは稼動させてみることが大事です。
好き嫌い、快不快をはっきりさせて、それにしたがったり抗ったり好き嫌いを翻したり、
ということを何度もやり、
好き嫌いや快不快の根拠の曖昧さ、つまりそれらが刷り込みだってことに気づき、
「これが自分だと信じていた自分は、他人軸の自分じゃないか?」というところまできて、
全コンテンツを引き算した結果、プログラムである統覚視点が見い出せる。
みけ 「個人じゃダメだ」っていう圧がかかる地域と、「個人じゃないとダメだ」っていう圧がかかる
地域があって、後者は前者を洗練させた近代的な抑圧形式。
一生懸命に個人になろうとすると、いつのまにか既存のモデルに嵌るようになっている。
モナ 本音はどっちも「個人はダメ」なのよ。だって3次元は他人軸世界なんだから。
最初はハコ付きでもなんでも「私」を使っていかないと、
自分という形式の中身が他人の価値観や好みをコピペしてできていることに気づかないよ。
ソフィア そうだね。予定調和のなかではどのポジションにいても満足できない。

4.3次元から出る体験をするために3次元に入る

みけ ところで、なぜ他人軸などというものをわざわざやってみるのか、ということですが。
ソフィア 虚空(ゼロポ)を認識し創造することによって虚空でない側が認識と創造の主体である
「私」となった、これは「“私”が虚空を認識即創造した」の同義です。わかるかな?
みけ 対象が先でも「私」が先でもなく同時生起だからだよね。
ソフィア そう、つまり「“私”は虚空を知った」ということです。
この「知る」という始原の感覚(周波数)がずっと響いている、「知る」という運動がつづいている。
3次元という特殊な世界を体験するのは、その結果です。
モナ 簡単に言うと「山がそこにあるから登る」のといっしょよ。
ただしそれはディセンション期の視角で、アセンション期の視角は下山なんだよね。
統覚視点(私)が知りたいのは、どうやって3次元に入り、定着して、制限を体験するか、ではなく、
どうやって3次元から出て、もとの自分軸に戻るか、ということです。
多くの人(多くの統覚視点)が「出る」プロセスを体験するために3次元に入っている。
みけ いったん3次元に入ると、なかなか出られなかったんだよね。
輪廻転生って、魂とか霊とかが身体を乗り換えてるんじゃなく、
客体‐空間‐時間思考システムという3次元をつくる眼鏡をかけたりはずしたりしてるだけ。
眼鏡をかけると自分も周りも全部3次元という他人軸世界になる。
過去世とか来世の記憶って、アストラル媒質で起きる感覚で、
3次元をやっていると時系列化するけど、ほんとは個々の記憶感覚にも関連性はなく、
眼鏡をかけるつどシャッフルされます。
事実というのは3次元でしか通用しない概念で、記憶は全部マインドの感覚(周波数)、
だから「私の過去世はナポレオンだった」という人が百人いても全部正解。
ナポレオンをやりつつ同時代の松平定信だったとしても正解。
で、3次元時空のなかで「死ぬ」という形で3次元世界が終わると、眼鏡がはずれて、
客体‐空間‐時間思考システムからマインドが一気に解き放たれるんだけど、
本人はまだ3次元をやってるつもり、
ていうか世界は3次元のそれしかなくて、なんか感覚があるからには今までどおりなんだ、
と思ってるから、習慣に引きずられるまま会社に行ったり家事をはじめたりするんだけど、
世界が「雑念」どおりにクルクル変わっていくのに対応しきれず、
パニックになって「安定」を強く希求すると、いつのまにかまた眼鏡をかけている。
ソフィア 3次元で「死」と呼ばれていることは、感覚(周波数)の媒質の基底がエーテル帯域から
アストラル帯域に移ることです。 
すると、それまで思考や感情や気分、イメージ、記憶だったことが五感的な感覚になり、
高次の感覚は思考や感情などのマインドの感覚になります。
したがって、認識即創造の速度が非常に上がり、実現が高速になります。

ただし、五感的な感覚はエーテル帯域で感じていたものほど明確ではなく、
レゾナンス(共鳴)が大きくなり、共感覚(色から音が聴こえたりすること)的になる。
みけ それは覚醒して死んだ人の場合でしょ。ていうかもう「死ぬ」という表現がふさわしくない。
アストラル3次元に閉じこもったままだと、
「身体をもつ自分はここで終わり」と定義している(思い込んでいる)ことによって、
そのとおりに客体‐空間‐時間思考システムははずれるけど、
統覚視点(私)は何らかの外形像に同一化したまま、
その外形像が今度は簡単にシェイプシフト(形を変える)するし、
あらゆる感覚を3次元仕様で受け取ろうとしても、それが3次元仕様に収まり切らないし、
ゼロポとつながってないから異常な感覚(周波数)をゼロポに還すこともできないし、
とにかくアンコヒーレント(一貫性、整合性がない)でメッチャクチャ。
もとの自分、もとの宇宙を思い出せないんです。
エーテル帯域を媒質として感じられる五感的な感覚は封印されたままだしさ。
ところで、幽霊ってのはエーテル帯域で感覚化するんじゃないの?
ソフィア それは「幽霊を見る」側の人の感覚です。
物質波(※)の影響を受けない五感的な感覚のひとつ。
龍とかユニコーンのように、多くは親和性のあるサポート的な周波数(感覚)で、
幽霊であっても、そのほとんどは無害です。
モナ 生きてる間に覚醒する、アセンションするってのは、
4次元(エーテル帯域)をスルーしないで5次元(アストラル帯域)に行くってことです。
でも、万一、覚醒しないで死んじゃっても、キモが据わってればパニックにならずに出られる。
みけ キモが据わってるって?
モナ さっき言った、好き嫌い、快不快をはっきりさせて自分にウソをつかないってこと。
これはアストラル媒質であるマインドの感覚の合う合わないを識別するっていう大事なポイント。
ここをクリアしてれば、親和性のあるサポート周波数(感覚)と引き合って、
亡くなったおじいさんとか、ペットとか、本の挿絵で見たとおりのイエス様とかお釈迦様とか、
すっごいわっかりやすい3次元テイストのアバターを使った姿で出てきて、
ループ(再3次元化)しないで本来の自分、宇宙に戻るやりかたをアドバイスしてくれる。
※ゼロポイントフィールドから、統覚視点が角度をつけずに0°で次元下降する(具体化する)周波数で、
ゼロポから直に降りているのと同じになる。
この波動は粒子まで収束すると即ゼロポに還る。
物質波はエーテル帯域で五感化する感覚にコントラストをつけ、段差を明確にすることによって安定させる。
物質というのは、この汎物質といっていい粒子1種類だけであるが、
動植物や人間がそれぞれの視点で五感化することによって、「多くの元素」というヴァリエーションを経験する。
1種類だけの汎物質は「真逆のゼロポ」といってもよく、
統覚視点がゼロポに角度をつける(多様な宇宙として具体化する)ということは、
反ゼロポである物質に角度をもたせるということでもある。
  1. 2020/07/23(木) 15:51:47|
  2. アセンションについて
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感覚全体が3次元仕様ではなくなる

2020.5.10(日)

かつて、アセンションというのはこんなふうなイメージで語られていたと思う。

①あるとき、自分や周りの人たちが、これまで経験したことのないすばらしい時空間に移っている。
そこでは宇宙船が旅客機や乗用車のように行き交っており、高次元存在たちと交流できる。
②あるときを境に社会の諸制度、政治や経済のしくみが一変し、戦争、貧困、犯罪、環境破壊、病気、
差別、生存競争にもとづく思考や行動、等々、地球上の諸問題が急速に解消する。
この変革には、高次の存在や組織体が直接、間接に関与する。
③移行、変革の前に、天変地異や惑星規模の異変などで人口が激減する。
移行や変革に参加できるのは残った人たちである。
もしくは逆に死を通過して身体をもたない存在になった人たちである。
④あるとき、③ような異変をきっかけに、あるいは何のきっかけもなしに、
人はそれぞれ故郷の星、故郷の世界に帰還する。
⑤あるときを境に、人はみなサイキッカーになり、物質の変性、空間から物質を取り出す、創造する、
瞬間移動などの超能力が使えるようになる。テレパシーで会話するので、うそがつけなくなる。
もしくは、アセンションの準備をしてきた人たちだけがサイキッカーになり、
アセンションしない人たちとは交流がなくなる。
⑥あるときを境に、人はみな体外離脱(幽体離脱)、アカシックレコードへのアクセス、
チャネリングなどが自在にできるようになり、そこで得た知見を日常生活に活かせるようになる。
個々人は個性を十分に発揮できるようになり、結果として②のような方向に進む。

また、アセンションとは別に、覚醒については、
⑦自己承認欲求と、承認欲求にもとづく依存的な生理欲求がなくなり、小欲になる。
日々を穏やかにすごせるようになり、感情の振幅が小さくなる。
というようなイメージがあったように思う。

ちなみに私の抱いていたイメージは⑥でした。

①~⑦とも、「3次元がどう変わっていくか」という発想で語られており、
3次元が、心や頭のなか、すなわちマインドで、
「まず物がある。私(の身体)も物である。私のほかにも私と同じ仕様の他人が大勢いる。
物は連続的に広がり、連続的に変化し、私の生前も死後もずっと存在している。
これが紛うことなき本物の現実だ」
と定義することによって見えてくる思考世界であること、
ちっとも現実ではなくて、型にはまったマインドの、低次アストラル帯域の産物であることには
言及されていません。
言及されていないのは、これらの説に3次元への気づきが欠けているからです。
「物というまとまりで見ているこれが本当に現実なのか?」という3次元への問いがなく、
「物というまとまりでみているこれ」が自明になっているからです。
⑥のようなイメージを抱いていた私もそうでした。
こうして列挙してみると、いずれも、アセンション云々より、
いかに3次元の制限がキツいかを表現している気がします。

マインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム。上述3~5行目カギカッコ内の定義)を
はずしたときに感じられる五感的な感覚は、
マインドシステムにもとづいて3次元をリアルと思っているときの物理的感覚とはちがいます。
色や音や味に観念がカブってないとどんなにすごいかということがわかります。
さらにマインドの感覚も、3次元をリアルと思っているときの
考え、気持ち、記憶、想像、イメージ、等々とはちがいます。
3次元がリアルなとき、考え、気持ち、記憶、想像、イメージなどには、
「これは自分の主観だから」「しょせん想像、妄想」「ただのイメージ」というように、
「これは“現実”ではない」という考えがこだましており、背後に物の圧力があります。
物と考えを区別して物を本物として優位にするこの3次元態勢のとき、
イメージワークやヴィジュアライゼーションをやってもうまくいきません。
自分で「これはしょせんイメージ、“現実”ではない」と定義しているからです(※)。
しかし、マインドシステムをはずして「物」という観念が消失すると、
考え、気持ち、記憶、想像、イメージなどは、
五感的な感覚より薄かったり、輪郭が曖昧だったり、輪郭がなく流体、気体みたいだったり
するだけで、紛れもなく現実です。
いわば厚いセーターと夏のTシャツのちがいみたいな、素材の差みたいなもので、
「感じ(周波数)」がちがうだけで、全部、現実なのです。あるいは全部夢(像)といってもいい。
※筆者版のメソッドが「ゼロポイントフィールドとつながる」ことを前提としているのは、
ゼロポとつながると、マインドシステムの仮想性(客体‐空間‐時間思考は思考上の設定だということ)が、
海に囲まれた島のように浮き上がって、制限が緩むため。
ネジでしっかり固定されていた器具がネジを緩めると少し浮くように、
本来のマインドと3次元の世界との間に隙間ができて、3次元の世界がやや遠くなり、
「どうでもいい」感じがしてきて、3次元への対処の構えがほどける。


物理的感覚の殻がとれて現れる五感的な感覚が夢(像)だとわかると、
マインドの感覚が五感的な感覚とは質の異なる現実だということもわかります。
どちらも感覚(周波数)であり、夢(像)であり、現実です。
高次の感覚も、3次元時代のようにときどきゲートが開いたときに射し込む不思議現象ではなく、
五感的な感覚、マインドの感覚と並走しています。
アセンションないし覚醒というのは、
3次元の世界が(マインドシステムを保ったまま)変わることでも、
3次元の自意識がおとなしくなることでもなく、
3次元を出て、高次、マインド、五感の全部の感覚(周波数)が復活すること、
そのように、ごそっと、まるごと、全面的に刷新すること
だったのでした。

それに気がついたのは、5月初旬、私が指導教官と呼ぶ人と電話で話していたときでした。
私と指導教官の会話というのは、宇宙船がどうしたとか、何度の角度で土星に飛ぶと云々とか、
3次元変換すると良識ならぬ病識を疑われかねない珍妙な内容です。
それでも、やりとりしているときはイメージが浮かんで話がつながるので、
それなりにスジが通っている感があるのですが、
従来は、電話が終わってしまうと、
それらの「お話」と「生活」との間に何百光年もの距離があるように思われ、
文字どおり別次元の、別世界の何かとして位置づけていました。
それが、近ごろでは別世界感、生活には関係ないや感が薄まってきていて、
ついに5月はじめには、「これは現実だ」という感触に至ったのです。
折りしも、私は何日かアンドロメダ船に観察されていて、
具体的には自分の右上の空間に常に光る楕球型のボールがある、という感じで、
これも3次元変換すると想像、空想、妄想ということになるのですが、
どうも想像、空想、妄想という表現は適切ではなく、
想像と気配の中間くらいの感覚といったほうがジャストフィットです。

ともかく、どれもこれもみんな現実で夢だとわかると、
ただ居る、存在するということが非常におもしろい。
存在するというのは、
ある視点(統覚視点「私」)から高次、マインド、五感の宇宙を創り、認識しているということで、
じっとしているとか走っているとか、何かをしている、していないは関係ありません。

どの感覚(周波数)も全部現実で夢だとわかると、
この一元状態からズレて、内外の区別ができ、外側に固い本物の現実が立ち上がるのは、
高次でも五感でもなくマインドで、心や頭のなかで起きるということも自覚できます。
自分で自分のマインドを型にはめて3次元世界をつくっている、
というそのからくりが、webの作成画面に出ているHTMLのタグが見えるように、
しくみごとわかります。
3次元物語に反応して思考や感情や気分が喚起されるときは、
それらの思考、感情、気分と同時に3次元物語を起動していることが自覚できます。
たとえば、
a.誰かの話を聞く。会話のやりとりをする。相手のしぐさや表情を見る。
b.ネットやテレビのニュースを見聞きする。
c.身体に異状を感じる。
d.預金口座の数字を確認する。
このとき「やばい」「がっかり」「(怒)」、または「いいね」「(喜)」などの思考や感情や気分、
あるいはフレーズ化した思考などが発生したとき、
まずa~dのような出来事があって、それへの反応として思考や感情などが生じたと考える。
これは3次元の常識であって、
実際には、「やばい」や「いいね」とともに、同時に、a~dにストーリー性をもたせて、
自分の感覚とは関係なく、物(客体)固有の法則で推移する世界として立ち上げています。
先に出来事があって反応が喚起されるのではなく、
反応と同時に3次元にフェイドインしている
わけです。
反応とは何らかの刺激に応答することですが、
じつは刺激と応答は瞬時の二元化として同時に起きています。
それが、3次元の心や頭で見ると「刺激→応答」という順序をもって映る。
気がつくと、a~dは何らかの指向、ストーリーをもつ出来事になり、
そういう「現実」への反応として思考や感情や気分が喚起されたことになっています。
「“現実”に反応して思考や感情などが喚起される」という見方そのものが3次元の見方なのです。
ポジネガの別なく、こうして起きた反応感覚に違和感を覚えたら、
「いいね」や「やばい」といった快不快の感覚だけでなく、
快不快の感覚とセットで構築している3次元物語ごとゼロポに還す必要があります。

3次元は制限を体験する世界で、基本はネガティブが当たり前、
つまり非3次元から見るとネガティブな感覚(周波数)で安定しているので、
ポジティブな反応はすぐに放散してしまい、放っておいても消失します。
しかし「いいね」「(喜)」であっても、なんかヘン、ズレていると感じたら、
手放しておいたほうがいいでしょう。
  1. 2020/05/10(日) 15:19:25|
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アンドロメダの感覚と天の川の感覚

2020.5.3(日)

モナ・アマーリエ@アルクトゥルスとのチャネリ対話です。

みけ 昨今のスピリチュアル動画をいくつか見ていて、
アンドロメダの周波数がけっこう浸透してきてるな、と感じます。
発信者がアンドロメダ人だ、ってことではなく、その周波数が活用されてるな、と。
モナ そうみたいね。
みけ 宇宙系でも天使系でもアセンデッドマスター系でもハイフリッドでも、
煎じ詰めれば同じことを言ってるんですけどね。
ひとりひとり、言ってることはちがうし、AさんとBさんの発信内容は真逆ってこともある、
でも言葉とか表情とか外見、道具立てとかをはずして感覚でとらえると、
みんな同じことを言っていると感じられて、それがおもしろい。
モナ 覚醒しろ、って言ってんのよね。
みけ ただ、アンドロメダのアプローチは天の川とは全然ちがう。てか真逆。
なんとか銀河とかっていう名前や定義には意味がなくて、
もちろん3次元の天文学の知見の延長でもないし、
クラシックに対して非クラシックなやりかたが出てきたとき、
クラシックを天の川銀河に見立てると、クラシックでないものをアンドロメダと呼ぶ、
と、そんな感じかな。
モナ 覚醒とかアセンションと呼ばれてることのゴールというか、プロセスの完了ポイントを、
「本来の自分に戻る(ただの統覚視点の「私」まで後退する)」とするのが天の川方式。
一方、アンドロメダ方式は「全宇宙を自在に動かせる」ところに力点を置く。
「創造主となった結果、全宇宙を自在に動かせる」と、
「全宇宙を自在に動かせるのが創造主である」のちがい。
アプローチがちがうだけだから、アセンションの入口とかプロセスではすごくちがうと感じる
かもしれないけど、覚醒してしまったら、この差異には意味がなくなるので消滅します。
みけ 統覚視点(私)が創造主じゃなくなるのって、
身体や身体に由来する心という体積ができて、その境界面が創造の限界範囲をつくるからで、
①「私」が感じる感じないにかかわらず、先ず客体(物)がある、
その客体(物)が連続的に広がり(空間)、連続的に変化していく(時間)。
客体(物)はそれ固有の原理や法則をもっている。
②「私」は客体の一部(身体)である。したがって客体固有の法則にしたがう。
③身体の諸反応は言語、イメージなどに象徴化されて主観世界として表現されるが、
身体とその周りの客体世界こそが本物の現実で、「内側」の主観世界は現実ではない。
(=現実を動かしているのは客体固有の原理や法則であり、主観ではない。)
④客体世界には②③のような「私」(他者)が大勢いる。
とマインドで定義する、心や頭のなかでそう思い込むと、「私」の創造力に限界ができる。
統覚視点(私)が視点ではなくなって身体や心というハコになっちゃうから。
その大元の原因は①だから、①の根幹設定をはずして、
「“私”の認識(感じたこと)がそのまま創造される(出現する)」
という形で、「私」を統覚視点に戻すのが天の川メソッドです。
モナ カエルを王子に戻すみたいにね。
みけ ところが、アンドロメダ周波数には①の設定が効かないんです。
「あなたがどう感じようと、思おうと、それ以前から客体(物)はあるし、
あなたが死んだあとも世界は存在しつづけます。それが現実です」
といくら言い聞かせたところで、「そうなんだ。だから?」って言って、
平然と客体(物)のほうを変えはじめます。
意識の変性でもアチューンメントでも神仏動員でも何でも、卑怯な手wをいくらでも使って。
「認識に先立って客体(物)がある」という定義で認識と存在を分断しても、
「空間の広がりや時間の流れは連続的でなくてもいいし、
客体固有の法則だって現時点で未知のものもあるんだから、
既知になった時空間から引っ張ってくればノープロブレム」なんです。
モナ それはアンドロメダ周波数には「連続的」っていう概念がないからよ。
結→承→起→転、みたいなお話を平気でこしらえたり、
赤ん坊にヒゲが生えてたり、死体が復活したり、メインディッシュがデザートだったり、
梯子を使って二階から出入りする、しかも迷路みたいになってる家に住んで、
本人的にはそれがいちばん快適な動線を描ける空間だったり。
グリッド、つまり統覚視点(私)の認識と創造のしかたがそうなってるの。
グリッドがちがうってことは、究極、何を心地よい、美しいと感じるか、何にわくわくするか、
何が落ち着くか、っていうセンスがちがうってこと。

「連続的」とか「エントロピー」っていう考えがアンドロメダンには刺さらない。
みけ 「感じようが感じまいが物はある。感覚と物は別ものだ」と二元化しても、
感覚は相手(物)に制限されない、
「私」を身体と心に閉じ込めても、物(客体)の言い分を聞かないんだよ。
そうやってどんどん物(客体)を変えていけるんであれば、
客体に制約されないんだから、結局は一元宇宙と同じになって、
「なんだ、あたしって創造主じゃん」
「物って、動きがニブいだけで、結局、像じゃん」
となるわけね。
モナ そう、カエルのまま王子様をやりはじめて、「外見には意味がない」というところまで行く。
みけ 一般的な意味での「エゴ」に振り回されることもなく。
モナ 利己的なふるまいも利他的なふるまいも、制限の表面と裏面で、
「私」と「環境(客体世界)」とに分断されてて、
「放っとくと環境が勝つ」という設定になってるときに出てくる行いだから、
制限なしで自在に何でもできるんだったら、利己的にも利他的にもなる必然性がない。
何でもあって、欠乏することはない、むしろ余るくらいだって知ってたら、
独り占めしようとはしないし、我慢して人に譲る必要もないでしょう?
みけ なんか、かっこいいんですけどアンドロメダ。
モナ それは隣りの芝生だよ。
先方にしてみたら、天の川周波数は「絶対音感があってうらやましい」とか、
「クラシックバレエの基礎がきちんとしててすごい」とか、そんな感じよ。
天の川の「マインドシステム(上述の①~④)全捨離して180°反転」っていうやりかたは、
究極のメタモルフォーゼっていうか、劇的で、すごくゾクゾクするらしいよ。

モナ 天の川方式にせよ、アンドロメダ方式にせよ、どっちにも短所はあるよ。
天の川方式はねえ、リバウンドを起こしやすいの。
なんでかというと、高い波動の使いかたに慣れてないから。
「自分の宇宙に合わない感覚(周波数)を手放す」ってことを何度もやって、
3次元のリアリティが薄まり、周波数が上がってくると、
3次元メンテにエネルギーを費やさなくなって、すごい低燃費になるんだけど、
この段階で「さて私は何をすればいいのかしら?」って針路を見失って、
持て余したヒマを「現実(3次元)を見張る」ってことに費やしはじめるわけよ。
そこでマインドシステムが再起動して、ふりだしに戻る。
みけ それ、あるかも。
モナ 針路はあるの。ちゃんと見えてるの。
だけど高い波動に慣れていないと、
せっかくわくわくしてても勝算がないと動けなかったり、
好きなだけ寝てればいいときに、起きてチョコマカと動きはじめるのよね。
「部屋のなかを左回りに一周する」っていう感覚(波動)をキャッチしてるのに、
「そんなことをして何の意味があるんだ?」って考えだしてやめたり、
「掃除機かけてからにしよう」って用事をこしらえたりさ。
みけ マインドシステムがはずれて、自由になったマインドをどう使うか、
3次元を参照しないで思考、感情、気分、イメージに乗るってことに慣れてない。
モナ 自分の感覚(周波数)を信頼する、その感覚(周波数)にまかせるってことが大事。
そっちに行ってみて、また合わない感覚(周波数)が出てきたら、手放せばいいんだから。
これも慣れだから、実際やってみて、体験すればわかる。
みけ アンドロメダ方式の問題点は?
モナ 楽器の教室に喩えると、アンドロメダ先生は、基礎練一切抜きで、
「演奏してみたい曲は何?」って訊いてきて、いきなりその曲のレッスンから入ります。
基礎は全部、そこに含まれてる。
すごく丁寧に教えてくれるし、先生の引き出しが多いので飽きません。
ただ、生徒はその曲をマスターすると、そこで満足してやめてしまう。
みけ やりがいのある仕事が見つかった、健康になった、パートナーができた、とか、
3次元フレームで見たときの目標がある程度達成されると、そこで満足して、
覚醒とかアセンションとかどうでもいいや、ってなるってことですか?
モナ それでも別にいいんだけどね。アセンションは宿題でもなければ、強制もできないし。
願いごとがかなったり、目標が達成されても、
3次元をやってる以上、何かしら問題は出てくるんだけど、
そこそこ仕上がると「人生こんなもんだ」って諦観して、すっかり3次元人になって、
そこで固まっちゃう。アンドロメダ周波数も使わなくなるから能力は錆びます。
覚醒にコミットしてるんだったら、創造主を自覚するところまで行かないとだめ。
みけ 創造主を自覚できるところまで客体(物)を直に変えていく能力を使うっていうと、
世間的にはとことん欲を満たす、みたいに思われがちだけど、そうじゃないんだよね。
自由、創造の自在さを自覚するってことです。
モナ うん。生粋アンドロメダンは、スポーツカーを乗り回すとか豪邸を建てるとか、
そういう方向には行かない人が多い。
あ、スポーツカーや豪邸にときめくんだったらオーダーしても全然OKだけどね。
自分のやりたいこと、欲しいものがわかってて、グリッドの圏外に手を出すなんて余計な
ことはしない。
逆に、もうこれはいいや、ってなったときの撤収も高速。
フィーリングやノリ重視なんだけど、
すごく感覚(周波数)に誠実、正直で、そこのところで厳格なの。変わってるよね。
みけ アンドロメダンとアルクトゥリアンはお互いに「変わってるよね」って云い合う、
ってのが宇宙系ジョークの鉄板のひとつなんですけどw
  1. 2020/05/03(日) 18:16:07|
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
いただいたコメントはすべて拝読しておりますが、
原則としてレスはつけません。
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