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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

モニタリング

2024年2月26日(月)

ある件で、ある財閥系企業の関連会社の女性営業担当者と面談した。
パソコンでもスマホでも使える、あるアプリについての説明を受けたのだが、たいへんわかりやすく、
話しかたとか、全体の印象もよかった。
いちばんすごいと感じたのは、この方からは、できる営業パーソンのオーラが出ていないことだ。
数日後、私はこの製品のパンフレットに書いてあることで質問があったので電話をしてみたのだが留守電になっていて、
急ぎではないからいいや、後日メールで訊くことにしようと思い、メッセージを残さずに切った。
そうしたら翌日、折り返し電話があり、返信などまったく期待していなかった私はそれだけでも驚いたのだけど、
質問への回答がまたたいへんわかりやすく明快で感嘆した。
私の知る限り、この件がかかわっている業界では、会社の規模の大小とか業績などに関係なく、
顧客に対応する部署の社員の説明や回答は、口頭でも文字でも5W1Hが溶けていて糢糊としており、
こちらで補って「つまりこういうことでしょうか?」と確認しないといけないのが珍しくなかったからです。
というのは、人員不足になりがちでみな忙しくオーバーワークになりがちだからだと思われます。
なぜ人員不足になりがちかというと、利益率が低いために人件費を投入できないからで、
利益率を高くしようとすると、意味不なサービスを付けたり、料金を意味不に値上げせねばならず、
営業や販売系の部署に意味不な目標を課す、と、そういうせちがらい方向に走りがちであり、
社員の方たちのロジックや言葉遣いはますます溶けていくのでした。

また別の日、別件で別業界の女性営業担当者にお会いしたら、
親切ながらも芯にしっかりとしたビジネスマインドがあり、
とはつまり顧客の事情に踏み込みすぎず距離感がほどよいという意味で、
やっぱり売ったろまい波動のない人だった。
話をうかがって、この案件はしばらく保留したほうがいいな、と思っていたところ、
その後、いくつかの要因によって今年の後半に条件などを再検討する流れになり、いい感じで決着した。

昨今、私にとってリアルで人に会うということは、非3次元シフトのチャンスと同義だった。
つまり、お会いする方はみな表現が溶けているか、被害妄想世界内の敵への怒りで配線がキレているかで、
スルーするか、呼応する心感覚があれば手放してゼロポイントフィールドに還すか反転させてポジティブ展開させる、
そういうのばっかりだったのでございます。
なので、ふたりの営業職の方に、それぞれ別の用件で会ったさいの談話のスムーズな運び、順風感は爽やかで、
ほとんど癒されたといっていいくらい(笑)。
ちなみに、ふたりとも宇宙系ではない、と思う。
宇宙系の周波数には独特のマヌケ感というか調子はずれ感があって、
マヌケで調子はずれな私のレーダーに掛かってくるから。

二、三日、これらの出来事の余韻がつづいていたとき、私のガイドスピリッツのひとりであるモナ@アルクトゥルスから、
こういうときに「~な人に出会えてよかった」というのじゃなく、
「この明快さ、わかりやすさはすばらしい」「このほどよい温かさと距離感が心地よい」という感じかたになっているのは、
あなたの非3次元シフトが順調に運んでいる徴です、という主旨の通信があった。
モナ たとえポジティブな出会いであっても、「~な人」という感覚は、
身体を単位とする私がいて誰彼がいて、っていう3次元(実体すなわち物質を想定している世界)のリアリティだからね。
物質(身体)ベースで私、誰、彼って分かれてるわけ。
そのリアリティが気に入っているならそれでいいし、シフトしたいなら気がつき次第、手放せばいいんだけど。
みけ どちらの方にしても、私の感覚模様(波動構成体)宇宙の一部だからね。
「~な人」っていうのをやってると、その交流がポジティブでも、なんかずっしり重いんだよね。
ただ、実体(物質)ベースで認識しているか感覚(波動)ベースかっていうのは、習慣づけられた感じかたで、
どちらにせよリアリティなので、気をつけていれば修正できるってものではないから、
シフトにコミットしているのなら、日々、心(マインド)に注意を向けて整えていくことで変えていけるんだけど。
あと、心(マインド)に注意を向ける、その視線を育てるために瞑想し、質のいい瞑想をするために運動するとか。
モナ 目の前にいる人が落ち込んでたり調子わるそうなときに、「どうしたの?」とか「だいじょうぶ?」って突撃していくと、
速攻、「誰」「彼」「私」に身体単位で分離してる3次元への扉が開くよ。ようこそ、お帰り~♪って。
みけ それ、親切げだけど、じつは相手の不快なようすによって乱れた自分の心の環境を整えたくて言っている
エゴイズムなんだって、もう何千回もやって思い知ったよ。
だったらまず自分がゼロポとつながり、乱気流をゼロポに還して手放し、自分自身を整えないとね。
だけどその結果、どうなるかはケースバイケース。
相手が話しはじめて、それを傾聴するだけのこともあれば、フル放置もあるし、自分でもびっくりするくらいキツい言葉が
出てくることもある。そのときどき、最適の言動が出てくる。
モナ 手放しとか反転とかって、時間と空間がくっついて膨らんだ3次元の現実を上手に回したり、人に優しく接するために
やるんじゃないのよ。
みけ 身近に自分の平安を乱す五感像があるって、自分の心に乱気流があるって気がつくチャンス、で、
非3次元シフトを進めるチャンス。
モナ それ、メディアを通して入ってくる情報でも同じだからね。
どこかの有名人が、政治家がこう言った、どこそこで何が起きた、何が流行ってる、とか、そういうやつ。
みけ 私は社会への帰属感が弱いんで、ネットも含めメディアから入ってくる情報に一喜一憂することってないんだけど、
なんかザワっとくることについては、やっぱり手放したり反転したりしてる。
その結果がさまざまなのも五感像をともなうときと同じ。
スルーで終わることもあれば、化学変化みたいなことが起きて何かのヒントになることもある。
モナ 帰属感もひとつの感覚でありヴァイブレーションだよ。
みけ だよね。あと、リアルで会う人もメディアといっていいと思う。口コミってやつ。
自分がメディアの情報に動揺しやすい状態にある場合、
音声、動画、文字などのうしろに実体(物質)のある現場があるというリアリティ、臨場感が強烈だからだよね。
あるいは背後に物があるんじゃなくて、映像なり音声なり文字なりに心騒ぐのであっても、
その映像や音声や文字が先ず在って、映像その他への反応で心騒ぐと感じられるのなら、
先ず実体(環境)があって、それに対して実体の一部(身体)に由来する心が反応するという構図なんだから、
「全現象は実体の動静で決まる」という3次元に下りているという点で、背後に物を想定しているのと変わらない。
要は映像や音声や文字が実体化しているわけ。こういう絵や音がつらいんだ、って、絵や音のせいになってる。
それって3次元でしょ。
モナ そうね。同じ絵や音を見ても、非3次元だったら、
心のなかで無自覚に(自動的に)起動している感覚(波動)束のうち、波立ってる束があって、
その荒波にふさわしい五感像(絵や音)が現れた、と感じるわけだから。
だから心の領域の不適合感(荒波)をはずすチャンスになる。
「感じる」というのは瞬間のことだから、次元がどうとか考えるまでもなく、「あ、ちがう。還そう」または「反転」となる。
みけ 一族とか何かの団体とか、国家、民族とか、人類とか、何にせよ何かの集団、集合体への帰属感の強さって、
実体(物質)のリアリティの強度と比例しているんじゃないかな。
っていうのは、実体のリアリティって理屈で理解して落とし込んでいくんじゃなくて、
周りからの刷り込みで感性的に、運動神経的にできあがっていくからさ。
五感的感覚は身体の扱いかたを習得するっていう形で身体という概念に重なっていくし、
そのうち、その身体概念の構造とか機能にもとづいて、あなたは女子だとか男子だとか突拍子もないこと言いはじめるし。
モナ 突拍子もないwww たしかに。
みけ 起居、食事、環境への処しかたを一挙手一投足習得する過程で、 
環境に対してこちらから働きかけていかないといけない、放っておくとどんどんカオスになり、最悪生きられなくなることや、
「私」「誰」「彼」「物」と実体(物質)ベースで分かれていることが刷り込まれていくし、
性別とか集団のなかの立ち位置だけじゃなく、もういろんな概念を、シャワーのように浴びるから、
そのうちそんなもんだろうって受け入れて、考えなくても実体があるという感じが当たり前になる。
だから集合体への帰属感は実体(物質)へのリアリティをつくり、強化する鍵になってると思う。
実体の中身が物じゃなく神とか祖霊とかであってもメカニズムは同じだと思う。
モナ 帰属感という感覚(波動)は実体を想定する(3次元に入る)ためのツールなのよ。
3次元の見かたをすると、ある環境に生まれて周りの人から教わったり、周りを模倣したり、非言語的に刷り込まれて、
実体への処しかたを習得するという実践を通して実体のリアリティをつくり、固めていくんだけど、
同じことを非3次元で見ると、集団より先に帰属感という感覚(波動)があって、
感じ手意識(自分)がこの感覚(波動)を励起させると、五感世界に伝播して、その感覚(波動)にふさわしい集団環境が
アクティベートされることになる。
つまり、3次元では集団に加わることによって帰属感が生じるんだけど、
非3次元だと帰属感から自分が集団の一員になっているという状況が生じる。
みけ その帰属感って、
感じ手意識(自分)が「私(ゼロポではない)」という意識でありつつ「非私ゼロポである)」であることによって、
高次、マインド、五感のあらゆる感覚(波動)を認識し創造する主体者でありながら、
半分は認識の対象そのものみたいに共振している状態とはちがうよね。
そんな淡っちょろいやつじゃなく、
災難や衰亡や敵に立ち向かうためにバラバラなメンバーが結束する、その一翼を担うっていう感情。
危機とサヴァイヴァルが前提だから、張り詰めてて重たい。家族や親族も原型はサヴァイヴァル目的の集団だし。
あと、集団やその一員としての自分の役割に愛着がある場合だけじゃなく、
その集団が大嫌いだったり、離れたあとも憎んだり恨んだりしてるっていうのも、波動ベースだと帰属感でしょ。
強度が50だとすると、仕込みかたが+50じゃなく-50なだけ。
モナ 角度が真逆なだけで、的になってる点では同じよね。
嫌い、憎い、許せないって、非3次元視角だと熱烈な求愛で、その心の感覚(波動)を手放さない限り、
対象が人であれ国とか社会とか思想とかであれ、ご縁がつづいていくよ。
忘れられない、手放すなんてむり、っていうんなら、それはまだ込み入ったドラマを体験し足りていないってことで、
それはそれでかまわない。時機がくれば自然に醒める。
みけ 地球の3次元ライフって波動ベースで読むとミケランジェロの絵みたいで、濃ゆくてすごい。
好き嫌い、アゲサゲはもちろん、虚しいとか退屈っていう感覚(波動)すらコッテリしてる。
自分じゃないもの(実体)に運命を委ねてるからすごいドラマチックに仕上がるんだな。
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  1. 2024/02/26(月) 14:23:40|
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非3次元の「私」の目的

2024.2.16(金)

非3次元世界に原則はない。
ただ直感が冴え渡るので、冴え渡る直感のままに動く、あるいは止まる。

自分からは何もしないほうがいい場合がある。
ネットで情報を探さない。調べものも、確認もしない。メールも電話もしない。誰にも相談しない。
静かなること林の如く、動かざること山の如し。
この場合、自分からは動かないことによって環境のほうが変化し、用件がまとまってかたづいていく。

反対に、自分からグイグイ押していったほうがいいこともある。
ネットで検索し、サイト名、URL、会社概要もコピペする。
メールには、何日の何時までに返信してほしい、それまでに確答が出なければ経過報告を入れてほしいと依頼する。
話をしたほうが短時間ですむなら通話。留守なら折り返し連絡を依頼。
そのとき思いついたことはすべて実行する。
疾きこと風の如く、掠めること火の如し。
この場合、連絡する人や機関の建物の外観像が目の前に不意に浮かんだり、
日用品の買い出しに出かけると、店内でアポを取りたかった人に会う、といったようなことが起きる。
外出先でフォルダーに吊るされた新聞を手に取ったら一面に欲しかった情報が載っていたとか、
郵便受けに入っていたチラシにヒントがあった、といったようなことが起きることもある。
動くことがオーダーになり、動くことで磁力が発揮される。

心のなかであれが欲しいこれがしたいとオーダーしたり、他人のために祈ったりしないほうがいいときがある。
たとえ何かが、誰かが思い浮かんでも、心のカートに入れておくくらいのことはしても、それ以上は何もせず、
具体的な行動も起こさない。
欲を出したことを反省したり、他人を気にかける気持ちに邪心がないか精査したりすることも、もちろんしない。
そうすると、まさかというときにまさかのルートで、カートに入れておいたものが届き決済まで完了してしまう。
気にかけていた人のことを祈らなくてよかったのだとわかる。

同じ心況で、意図的な引き寄せのテクニックを思いつく限り駆使するほうがいいこともある。
紙に書く、アファメーションにイメトレ、断捨離、パワースポットに行ったり、先に目標を達成した人の動画を見たりとか。
祈りたい人に光やヒーリングエネルギーを送信するとか。
この場合、考えるまでもなくやってみたいことが湧き上がってくるので、湧き上がるままにやるだけなんですけどね。

昨年後半から今年にかけて、なんだかんだとけっこう波乱に富んでいて、上述の全部のパタンが出揃った。
自分から動く、動かない、心のなかでオーダーする、しない、と、はっきり分かれるパタンだけではなく、その中間もある。
いろんなアプローチ、ふるまいかたがあるのだけど、
3次元体験真っ盛りのときとちがうのは、迷うとか疑念を晴らすとか念押しするといったタメがないことだ。
見えないマニュアルやレシピがあって、それにしたがっているだけ、という感じ。
常識で考えればそのときの懸案にまったく関係ない外出や作業をすることもあれば、
ベタベタにオーソドックックスな手順を踏むこともある。
常識で考えたら人に対して不親切ではないかと思える言動をすることもあれば、その反対のこともある。
見えないマニュアルやレシピの内容が朝令暮改的に書き換わってしまっていることもある。
さらには、ときに検討や長考、頓挫や中断すらマニュアルやレシピに含まれていることもある。
この場合、3日後とか1か月後とか、ふさわしいタイミングで、検討や頓挫などがプロセス上不可欠だったことがわかる。
それと、気力体力も最適調整されるので、奔走して動き回ることになったとしても疲れない。
ムダがないからストレスも溜まらない。

非3次元とは、考えや感情や想像なども含めた諸感覚の向こうに実体(物質)を想定しない世界で、
感じ手意識、統覚意識、「自分」という一人称意識が感じたことが即創造され存在する。
そうなると、
超心(高次)―伝播→心(マインド)―伝播→五感
と、より精細な感覚(波動)がより具体的な感覚(波動)に伝わり、
つまり超心の感覚が心の感覚を、心の感覚が五感的感覚を引き寄せ、
あれやこれや流れるようにスムーズに、ときにダンサブルに実現していく
のでした。
超心(高次)にせよ、心(マインド)にせよ、五感にせよ、どの層(次元)で実現する感覚にもピタッとピントが合っている、
ジャストフィット、これ一択、ぴったり、すっきり、といった「適合感」があります。
冴え渡る直感とは、この適合感の別名です。

3次元の直感は衝動と区別しにくく、バクチみたいなものだけど、
非3次元シフトすると衝動には違和感を覚えるので、両者ははっきり識別できます。

冒頭に書いたように、その直感、適合感には原則がなく、
宇宙は最適ルートであらゆる手を打ってくるので、
次元上昇とは、覚醒とはこういうもの、というような先入観はないほうがいいと思います。
こんなにウルサイのは非3次元じゃないとか、逆に地味すぎてちがうとか、
何々先生がおっしゃっていることとちがうとか、本にはそんなこと書いてないとか。
矛盾があるとか、矛盾がないのはおかしいとか。

しかし、非3次元世界では、超心(高次)から五感まで流れるように、ときに踊るようにさまざまなことが感覚化していくのですが、
形になることそのものはキモではありません。
それは息をするように当たり前なことだから。自然現象だから。

そうではなくて、超心(高次)、心(マインド)、五感までの感覚(波動)の「適合感」を感じて即創造することが、
感じ手意識である「私」の目的です。それがゼロポイントフィールドの一ヴァリエーションとしての宇宙を表現することです。

で、ゼロポの一ヴァリエであるセルフヴァースを操縦するにあたって大切なのは、「適合感」からブレないこと。
それが「波動(感覚)を整える」ということです。違和感を手放したり、反転させたりしてね。
とくに心(マインド)をよくモニタリングして、変な感覚(波動)のまま韋駄天ダッシュしないように、
変な波形はゼロポとつながって統覚視点に戻るとか統合するとか、自分なりの方法で適合感を回復させておきます。
心のモニタリングが重要なのは、「実体(物質)がある」「実体(物質)が全現象の基礎である」という想定は、
ロジックではなくリアリティ(臨場感)として心の領域で仕込まれるからです。
いったん実体(物質)のリアリティが立ち上がると、
超心(高次)領域は実体(物質)にもとづかない非科学的なお話としてなかったことにされ、
五感領域は実体(物質)に対する反応として、実体(物質)に支えられることになります。

さまざまな感覚模様として実現していく現象のなかでも、伝播の最終過程であり最も具体的な五感的感覚に注目していると、
たちまち心のなかで空間と時間という思考の幅ができて、3次元に戻るということが起きがちです。
そのときの五感的感覚への何らかの違和感が心で無自覚に起きているズレに気づかせてくれることはありますが、
最終過程を凝視していると3次元返りを起こしやすいので、
何かを告げてくれるという意味でオラクルカードならぬオラクルビューとして見ておくくらいの注視度がいいと思います。
非3次元へのシフトが進み、非3次元のほうが3次元よりリアルになっていくにつれ、
五感的感覚には焦点が当たらなくなり、心(マインド)の現実のほうが優位になります。


非3次元シフトは二、三日で一気に起きるのではなく、
ふたつの世界を行きつ戻りつしながら次第に非3次元にウエイトが移っていくという感じになります。
なので、まだ現在地は3次元だけど、そこで非3次元シフトにコミットメントして運動や瞑想などのワークをはじめたとき、
また行きつ戻りつの移行がはじまったときにも、
なるべくフットワークを軽くして、サッと動ける、またはサッと止まれるように心がけるとよいかと思います。
なぜかというと、すでに書いたように、宇宙はあらゆるルートを使い、定石も奇策も関係なく提示してくるので、
すぐ動く、またはすぐ止まる習慣ができていると、シフトの速度が上がるからです。
ピッと閃いたときに3次元で測ったときの正解(実体ベースの常識で予測する未来)を求めて考え込んでいると、
ぐるぐる待機マークみたいな状態になって、そこでシフトが止まります。
むろん停滞に気づけばぐるぐるは解けるのですが、何か閃くたびに停まっていると、なかなか離陸できません。
またこの閃きというのは、シフトが進むにつれ、どんどん大げさなものではなくなり、さりげなくなっていきます。
回数も増えるし、日常的なことになってくるので、その衝撃度合はとくに閃きとはいえない思いつきと変わりません。
というか思いつきと区別がつかなくなって、すべて閃き化してしまうといったほうがいいかも。
これはただの思いつきじゃないか、気のせいじゃないか、まちがいだったらどうする、うまくいったらどうする、
過去にも期待して空振りしたことがあった、誰それと同じ轍は踏みたくない、等々、
思案しているうちに理屈や言い訳が膨らみ、心(マインド)感覚はズブズブ重たくなっていきます。
ことの成否ではなく、このズブズブ感覚(波動)が鬼門。
なので、3次元にいるうちから決断や切り替えを早くする練習をしておいたほうがいいですね。
3分、5分の隙を使って運動とか瞑想とかワクワク活動をする練習もそのひとつ。
もちろん、動く場合だけでなく、止まる場合も、保留してようす見するのも決断です。
  1. 2024/02/16(金) 15:17:53|
  2. 次元上昇
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開かれた「私」(統覚意識)の実感

2024年1月27日(土)

ゼロポイントフィールドとつながることや光の磁場をワークを繰り返すことで何度も体験したり、
瞑想や坐禅を継続することで、
余計なものが剥がれていくように、石から彫刻が現れてくるように、立ち現れてくる感じ手意識、「私」意識は、
フラットで厚みがなく、それが感じて創造している光景全方位に向けて開かれている。
体積がなく塊ではない、それでもなお、認識の対象ではなく主体であるという「私」感がある。
それはゼロポイントフィールドを「これではない」と対象化して「ゼロポではない側」としてできあがった意識である。
周りにいるあの人この人でもないという識別から自我ができるように。
内側はまず外側とか他者を対象化することから生じるのであり、外側や他者のいないところには生じない。
ただし、フラットで厚みがなく開かれている「私」意識は、「外側(ゼロポ)ではない側=私」としてそこで凝固せず、
「ではない」という対象化作用を自身にも及ぼして、「ゼロポではない側(=私)ではない側(=ゼロポ)」となって、
ゼロポに還る。
時間的に表現すれば、「私」という一人称意識が生じて即時に消えるのであり、
即時に消えるのになぜ「私」意識がありつづけるのかといえば、その生滅が常に起きているからで、
空間的に表現すれば、一方で「私」でありながら他方で「私」ではない(ゼロポである)、
半分「私」で、半分「私」ではない(ゼロポである)となる。
「ゼロポである」とは、すべてであり、かつ何ものでもないということだから、
一方で「私」という意識でありつつ、他方ですべてかつ何ものでもないということになる。
一方で感覚を創造する感じ手意識でありつつ、
他方でその感じ手意識がいない、したがって何も感じず認識しないということだ。

本来の、本当の自分というのは、この一方で「私」という意識でありながら他方でその「私」意識がない状態をいう。
そして「私」という一人称意識以外には認識する(感じる)術はないので、
他方の側の「私」意識がない状態とは、つまり意識がないということである。
意識がありつつ、意識がない。
右手で水を汲みながら、左手でその水をどんどん捨てている、
でも水は絶えず流れているので尽きることはない、というような。

そのように、片方の目を開け、もう片方の目を閉じているような「私」のとき、
開けたほうの目で感じて即創りだしている感覚像、波動像は、調和がとれており、
心(マインド)の層で「望み」「欲求」として現れる思いがすべて五感層で実現しても、争いや葛藤を起こさない。
望み、欲するという心感覚が現れ、五感層まで伝播する(引き寄せが起きる)ことは、
ある角度(一個の「私」意識)から超心(高次)‐心(マインド)‐五感という形でゼロポを表現する宇宙創造において、
予定されているからである。
自分がかなえたことは自分によってかなうように設計されていたのであり、
それはオーダーメイドの製品のようなものなので、自分のほかに使う人はいない。
自分がいらないと感じて手放したものが誰か(別の角度の宇宙)によって活用されたり、
逆に誰かが手放したものが自分にめぐってくることもある。

私のメタフィジクスによる講釈はここまで。
高次、マインド、五感の各層の感覚模様を貫く統覚意識、
それはたぶんスピ界隈でエゴではなくエゴとは区別して「本当の自分」とか「本来の自分」と呼ばれている感覚なのだと思うが、
この「私感」を講釈ではなく感じとして、実感的に言い表せないものか、という課題が頭の隅にあった。
うまい言葉が見つからないとすれば、それは自分自身がまだわかってないからじゃないの? とも思えたんだけど、
ついこの間、その表現が見つかった。
「淡い私」。
というのが統覚意識の「私」感です。

皮膚を境界とする身体を基地として、太い輪郭線で他者や環境に対立する濃厚な「私」ではなく、
他者や環境と交感しながら「私」という一人称の立脚点からブレない「私」。そういう意識。
なぜ薄め、淡めでいいのかといえば、上述したように、感じて即創りだしている像全体が調和しているから。
一方、感覚の向こう側に実体(物質)を想定している3次元では、実体側からの侵襲に備えて、
常に気を張って輪郭を太くし、「私」を頑丈にしておかないといけないわけです。
乱世宇宙では「私」をしっかり、平和な宇宙では「私」は淡め、と、どっちにしてもトータルでバランスはとれています。

私が昨秋から行っているゼロポイント瞑想には、
頭上と床下に宇宙船をイメージする(好みにより神殿などでも可)というプロセスがある。
瞑想している間はずっとこの宇宙船に意識を向けつづけ、
思いや感情や想像を追いかけていってしまったときはこの宇宙船を帰り点にする。
一般的な瞑想では丹田や呼吸を集中ポイントにし、また帰り点にするのだけど、
ゼロポイント瞑想ではそのポイントを身体の外に置く。
瞑想中、意識と宇宙船とは交感、相互浸透状態にあり、
「私の半分は宇宙船で、もう半分が私という意識である」という感じになる。
この「半分の私」というのが「淡い私」なのである。
半分とは半身ではなく量的な半分、つまり濃度が薄いということ。

説明を煩瑣にしないため記事には書いていないが、
宇宙船をイメージしたあと、
その宇宙船を座っている自分の身体に重ねて、身体を宇宙船化させ、「(座っている)この自分が宇宙船だ」
という感覚をつくる。つまり「宇宙船になる」ということをやる。
そこから頭上あるいは床下という本来の位置にある宇宙船に意識を向けると、
「私の半分は宇宙船で、もう半分が私という意識」になる。
この半々感覚のとき、「私」という意識と宇宙船とは同期というか共振状態にある。
要は、いったん宇宙船になりきって、頭上か床下に向けて宇宙船を解放するわけ。
ハグして離れる、握手して手を離すみたいに。
「私の半分は宇宙船で、もう半分が私という意識」という共振心地は、
宇宙船のみならず全感覚模様(3次元語の「外界」)に向けて開かれた「私」の雛型となる。

淡い私、薄い私を体験実感するにはゼロポイント瞑想をしなければならないということはまったくなく、
たぶんいろんな折にわかるのだと思う。瞑想、坐禅、ヨーガ、ダンス、などなど。
どんな方法によるにしても、ワーク以外の生活時間のなかで、
「そうか、これが淡い“私”なのか」「統覚意識ってこれなのか」などと確認されることはありません。
そうではなく、シンクロニシティだの引き寄せだの、例の不思議風が吹き出して、ザ・現実がとても柔らかくなり、
反発、抵抗、軋轢、ぶつかり合いが激減し、
あれこれ忙しい時期でもなぜか疲れておらず不思議と元気だったり、
気づくこと、理解できることが増え、
特別なことがなくても心地よく楽しく過ごせる、といった形で証明されます。
それは「波動が高い」といわれる状態でもあります。
かつて3次元時代に「外界」と呼ばれた五感光景も「内側」と呼ばれたマインドスケイプも、どちらも感覚模様として、
「私」という意識の濃淡を知るフィードバック装置になる
のでした。

ところで、淡い私、フラットで厚みのない私というのを3次元語でひと言で表すとすると、
あくまで近似値ですが、「余」「予」「朕」といった類の一人称代名詞です。
日本語だと君臨ヴァイブスが強くて本質がかえってわかりにくいんだけど、
英語のいわゆるRoyal weで、君主の公式一人称は複数形なのです。
感じて即創造する意識であり、感覚模様宇宙の発信源であり、
その感覚模様の共振関係、ハーモニーがwe、our、usという複数形で表されるわけ。
そういえば昭和の宇宙人の一人称って「ワレワレ」だったよね。
  1. 2024/01/27(土) 15:12:09|
  2. 平面世界(4次元)
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脱力または中道

2024年1月17日(水)

イベントの抽選で食器セットが当たったんだけど、使わないんだよね、某サイトに出品しようかな、
という話を会社でしたら、それぜひ欲しいという人がいたのでただであげることにした。
第一志望の会社に就職できなかったけど、第四希望くらいでしぶしぶ就職した会社に新たな事業部ができ、
希望する職種に就くことができた。
動画で見よう見まねでヨーガをやっていて、興味が深まったころに自宅から徒歩5分の場所に教室ができた。
しかも動画で見ていた先生のお弟子さんが教えてくれるという。
という具合に、よろずのことがトントン拍子に進んでいったら楽だよね。
こういうのが特段ラッキーでも奇蹟でもなく当たり前になるのが非3次元の生活です。毎日24時間トントン拍子。
そうなるのは、前の記事「3次元の自然体」で書いたように、
超心(高次)―伝播→心(マインド)―伝播→五感
と、より精細な感覚(波動)がより具体的な感覚(波動)に伝わり、
つまり超心の感覚が心の感覚を、心の感覚が五感的感覚を引き寄せ、
あれやこれや流れるようにスムーズに、ときにダンサブルに実現していく
からです。
でも、感覚の向こうに実体(物質)があると想定して、完全には読みきれない実体(物質)の動きに備えて
情報収集し、検討し、ときに悩み、実行してみて結果を評価し、
ときに思いどおりにならず自分や他人や環境を責めて落ち込み、再検討してやり直し、
どうにか修正してなんとかいけそうだと思ったら別の問題が勃発、
という山あり谷あり試行錯誤、常に実体(物質)の動静を見張る癖がついている状態すなわち3次元から、
いきなりこのスイスイな世界すなわち非3次元には移れませんよ、
現在地が3次元なんだから、その現在地のやりかたで自動的に回っている3次元の世界に切れ目を入れる必要がある、
という話を前回の記事に書いたのでした。
現在地すなわち3次元の方式とは、意識的に取り組むとか、スモールステップで継続するとか、工夫するとかいうことです。
要は意志とか努力とか根気とか。
意識的に取り組むことの内容は人それぞれだけど、非3次元シフトをめざすのであれば、
一般的には五感の調整(運動、睡眠や食事などの改善)と瞑想その他のスピ活です。
もうね、くたびれてるし、めんどくさいし、早く何か食べてネット見てシャワーすませたら読書して寝たい、
という欲求に抗って、ズルズル行こうとするのを切断し、10分間運動とストレッチをし5分間瞑想するというような。

はじめは取りかかる直前までためらいや抵抗があるけど、取りかかってしまえばどうってことないし、
ルーティンができるとシャワーや歯磨きよりめんどくさくないです。
以前、「カットイン」という記事に書いたように、電子レンジで食べ物を温めている間にスクワット、
パソコンを再起動している間にファイヤーブレス(速い腹式呼吸)というのもいいですね。
運動とスピ活を少しずつでも毎日継続していると、エネルギーロスがなくなり、エネルギーを効率的に使えるようになって、
スキマ時間を発見して有効活用できるだけの元気が貯まってきます。
元気が充ちてくると、決断と行動が早くなるので、一日のうちに意外とたくさんのことができるようになります。
しばらくするとシンクロニシティとか引き寄せとかの不思議追い風が吹いているのにも気がつき、
さらにエネルギー効率がよくなっていき、さらに元気に溢れてきます。

さて、超心の感覚が心の感覚を、心の感覚が五感的感覚を引き寄せ、
あれこれ流れるようにスムーズに、ときにダンサブルに実現していく非3次元世界は、
超心にせよ心にせよ五感にせよ、どの感覚層でも、最小限の力で実現していく世界です。
いらない食器セットの話をしたその場に欲しいという人がいたとか、
転職せずにやりたかった仕事に就けるとか、習いたい場が近所に出現してしまうとか。
超心、心、五感の感じ手意識、統覚意識(自分)であるその人が脱力状態を許容していないと、こういうことは起きません。
というか、非3次元にシフトすると、自分というこの感じ手意識、統覚意識は脱力するんですね。
脱力とは、無力(力不足)でも強力(力過剰)でもなく、ちょうどぴったり最適の力が出せるということです。
感じ手意識の感じる度合が弱すぎも強すぎもせず最適になるから、感じた対象の出現のしかたも最適になる。

私のガイドスピリッツからの受け売りですが、お釈迦様はこの脱力状態を「中道」と表現したのですと。

3次元にいると、この最適エコ燃費の脱力状態にはなれないんだよね。
というのは、想定した実体(物質)の動静を常に見張り、実体(物質)の変化に備えていないといけないので、
緊張を強いられるからです。
ふたつ前の記事「地球民がハマっているプレイ」で、地球人(3次元実行中の意識)の情動のベースは「恐怖」であり、
ベース情動「恐怖」への反応から生じる通常のかまえが「警戒」だと書きましたが、
それは平穏無事な平時でも解けない緊張を支えている心性です。
仕事、家事、子どもや手助けを必要とする家族のケア、その家族も含めた人とのコミュニケーションなど、
ほとんどの活動の底に緊張があり、さらにその下で恐怖というビートが刻まれ警戒のベースが響いており、
頭のなか心のなか、すなわちマインドは、見張りと備えに莫大なエネルギーを費やしています。
3次元科学でいうとコルチゾルとかノルアドレナリンとかのストレスホルモンが優位の状態です。
だから、その日の用事が一応かたづいた一日の終わりとか、休日とかにはとことん弛むかパーッと発散したいわけで、
そこで運動だの瞑想だの自分ノルマみたいなのを押し込むなんてムリ! となるわけです。
運動も瞑想も時間をかけて穏やかに三昧境に誘導していきますが、そんなめんどうな手順を踏んでられないし待てない、
もっとガツンとジカにエンドルフィン大量放出するような楽しみに浸り、そのまま寝オチして朝はギリギリまで寝ていたい、
明日やることがなければ午前中いっぱいくらいまでトロトロ眠りを貪りたい。
というように、緊張→解放→緊張→解放、と、緊緩の往復がつづいていくのが3次元生活で、
発散や弛緩による解放も次の緊張に備えるためであり、根本の見張りと備えの姿勢は解けていません。
活動時の緊張状態のときに、マインドに不安、心配の種をドバっとバラ蒔いて育てるので、すごくエルルギーを消尽するし、
解放に走るときはすっかり充電切れ、なので、エネルギー効率がたいへんよろしくない、
脱力状態あるいは中道がないわけです。
ちなみに、これまたガイドスピリッツの受け売りですが、この緊緩の往復が「輪廻」の本質だと。
生まれ変わりを3次元科学で証明できるか、形而上的に説明できるかは、その人の想定次第なのでどっちでもいいのですが、
肝心なのは3次元の一生を終えたくらいでは3次元は終わらない、
極楽に行こうが地獄に落ちようが転生しようが、悟る(非3次元シフトする)までは3次元のままだということです。
でもそれはべつに愚かしいことではなく、実体を想定することによって思いどおりにならない世界を体験する、
思い(認識)と現象(存在)が分離する(認識≠存在)世界を探究することは、
数多の角度を持つ統覚意識つまりそれぞれの自分にとってのプレイなのだから、出られない子はアホというわけではない。
むしろ、実体のリアリティの強さ、痛みとかの不快な感覚だけでなく甘みなどの快感の強烈さにも耐えられる
強靭な角度(人)じゃないと入ってこられない。選ばれた角度(人)にしかできないことなのです。
3次元の快不快喜怒哀楽煩悩に振り回されてまったく目覚める気配のない人は世界選手権級のトップアスリート、
哲学心理学形而上学現代物理学の術語や理論を駆使して愚痴や自己否定を修飾している人は難易度の高いヒネリ技を
研究している高段位保持者です。皮肉でなく非3次元視角だとほんとにそう。
それに比べたら3次元への潜りかたが浅いスターシードだのライトワーカーだの、部活のレギュラーにもなれない素人レベル。

とにかく、現在地が3次元なら、最初は実体(物質)世界から情報をとり、実体(物質)世界に働きかけるという
3次元のやりかたで助走をつける必要があるのでした。
追い込まれてゾーンに入る、競技や演技の本番で何かが降りる、セミナーやリトリートで高揚する、といったことは
一時的あるいは短期の非3次元旅行なので、
それらのインパクトを活かせるかどうかはシラフに返ってからの取り組みかた次第です。
といったって、野山を駆けめぐったり、洞窟にこもったり、グルに帰依したりしないといけないわけじゃなく、
情報もツールも山盛りにあり、クリック、タップひとつで無料のノウハウ動画が見られ、
ブックマークや検索ワードの抜き打ち調査があって連行されるわけでもなく、
ヒーリングミュージックを訝しんだ隣家の人に通報されるわけでもない、そういうユルユル時空なので、
あとは関心や好奇心が情熱まで煮詰まるかどうか次第ではないでしょうか。

あーめんどくさい、ぽぽーんとガイドとつながって、ガイドが全部お膳立てしてくれないかなぁ、みたいな了見でいると、
ガイドのキビしさ、課題のキツさにびっくりするよ。
鞭はないけど警策(坐禅のとき肩とかを打つアレ)はあるし、飴は3次元舌だと無糖に近い微糖だし。
  1. 2024/01/17(水) 15:07:46|
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3次元の自然体

2024年1月8日(月)

昭和の自己啓発界では、やる気、努力、気くばりなどが推奨されていたように思う。
自己啓発とオカルトの連繋(マーフィー、ナポレオン・ヒルなど)はマイナーで、一部の人にしか知られていなかった。
セミナーなどはまだ少なく、ビジネス書を通して喧伝され、会社の集合研修や朝礼などのお話ネタになっていた。
財産の増大、モテ、出世といった欲をガソリンにして、向上心というエンジンを回す。
ふり返れば、昭和人のマインドって何がなんでも生き抜くぞというサヴァイヴァル志向が強かった。闘争心も強かった。
大本営を信じて、勝つまで欲しがらないぞと耐え忍んでがんばったのに負けちゃったからリミッター解除、
戦地で、空襲で、大勢の人間が死んだけど、オレはアタシは生き残ったんだから握力全開でとことん行かなくちゃ、ってことなのか。
私から見ると、昭和の前半はその潜在システムが江戸時代だったと思えるし、後半はずっと幕末だった。
幕末とは、江戸時代の潜在システムのうえに非常時体制が載っているという意味。平時も非常時体制はそのまま。

今日、自己啓発とオカルトあるいはスピリチュアルが緩やかに習合した界隈の先生方は、
やる気、努力、気くばりとかを強調したりはしない。
今日びの顧客は生命への執着が薄く闘争心もなく、微風のスパルタ風でもすぐ心が折れてしまう。
そもそも啓発スピ界隈は、やる気、努力、気くばりとか、そういうしんどい体験を避けて幸せになりたいという
お客様が集まってくるところ。
それってべつにわるいことではない。
しんどい体験必須というそれまでの常識、既成の方法を外せないかという発想は創発につながる。
というわけで、今日この界隈を席巻している宗旨は、
やりたいことをやりなさい、直感にしたがいなさい、リラックスしましょう、心地よさを大事にしましょう、
人と比較することはない、あなたはあなたのままでよい、短所は長所の裏返しだから長所を伸ばそう、
引き寄せたいことをイメージできるのならそれはもうかなっているのだから、かなった体(てい)で過ごしましょう、など、
総じて当たりが優しくて楽である。
これがうまくいって得心できると、昭和のアレはああいうプレイだったんだな、とわかる。

楽でもイケてしまうのは、
超心(高次)―伝播→心(マインド)―伝播→五感
と、より精細な感覚(波動)がより具体的な感覚(波動)に伝わり、
つまり超心の感覚が心の感覚を、心の感覚が五感的感覚を引き寄せ、
あれやこれや流れるようにスムーズに、ときにダンサブルに実現していく
からなのでした。

でも、本を読了したり、動画を見終わったら即そうなれるわけではありませんのだ。
それは、この種の知識や情報を探っているとき、探っている人は3次元にいるからです。
感覚(波動)が伝播して流れるようにスムーズに実現していくのは非3次元の世界であり、
3次元から非3次元にシフトする必要があります。
そして、シフトする前は3次元にいるのだから、シフト(変更)は3次元の方法で行うことになります。
バイクに乗るには、まず教習所で運転のしかたを習わなければならず、
教習所には公共交通機関や徒歩で通わなければならない、みたいなことです。
はじめからバイクは使えません。
つまり、手放しワークにせよ瞑想にせよ意図的な引き寄せにせよ、どんな方法を使うのでも、
最初はいくらかやる気とか努力とか(自分への)気くばりとか3次元のアプローチが必要になるということ。

3次元とは、何度も書いてきましたが、そこで感じている感覚の向こうに実体(物質)がある、
それらの感覚を感じられるのは、実体(物質)でできた身体が皮膚の内外の実体(物質でできた環境)に反応しているからだ、
と想定した世界です。
実体を想定しないと、または実体はないと想定すると、感じたことがそのまま現れているだけで、実体はありません。
五感だけでなく、思いや想像、直感なども(五感より淡い)感覚です。
現実とは、そうした濃淡さまざまな感覚からなる模様(周波数の構成体)ととらえられます。
要は実体(物質)あり、実体(物質)なし、どちらの想定をデフォルト(既定)にしているかのちがい。
どちらにせよ、思いや想像などからなる感覚層(マインド)で想定して世界感というリアリティとしてアウトプットされているのですが、
実体を想定した3次元世界に没入していると、物(実体)の存在にすごくリアリティがあって本当にあるっぽいし、
ちょっとしたことでもなんでも無自覚に物前提で考えているので、その仮想性になかなか気づけません。

マインドでこしらえた「物」は、途切れずに連続的に広がり、途切れずに連続的に変化していきます。
これは「物」に内在する法則と想定されています。
実際には「物」に対しているときの実感にもとづく経験則なのですが、
「物」は圧倒的にリアリティのある実体なので、連続的に広がり変化していると見えるのは、
自分がそう感じているせいではなく、事実そうなのだろうと思え、
この連続的な広がり(空間)と変化(時間)は「物」に内在していることになるのです。
観測機器を使ってもっと細かく「物」を見ていくと、また別のふるまいが見えてきますが、
それは観測機器で観測できるようなミクロの世界の話であって、
ふだんの生活では実感できず、リアリティをつくり変えられないので、採用されません。
で、その連続的に広がり変化する「物」ベースの3次元には、じつは過去世界しかありません。
過去世界は、連続的に累積してきた出来事の総体です。
確認できるのはその一部だけで、あちこちに不明な箇所があり、解釈の余地が多々ありますが、
ともかく連続的な累積は前提とされています。
未来は文字どおりまだ来ていない。
予測できる未来は過去のデータにもとづくシミュレーションなので、過去の延長といっていいのですが、
ともかくまだ到来していない。
そして、現在というのは終わったばかりの過去(現在完了ないし直近過去)のことなので、過去です。
「たった今終わった」「今そっちへ行く」というように、便宜的に「今」という言葉を使うことはありますが、
前者は現在完了、後者は近未来です。
というわけで、3次元にいると、
非在の未来を照準にして直近過去を評価し、直近過去以前の過去から情報収集するという、
非在の未来と過去の往復をマインドで(頭のなか、心のなかで)営々繰り返すことになります。
その結果、充ちている、無窮の喜び、永遠の今、無条件の愛、といった感覚に触れることなく、
何やらいろいろ計画したり心配したり手当てしたりしているうちに日々が過ぎ、年数が経ち、ということになるわけ。
この往復は3次元の構造に由来するメカニズムなので、止めることはできません。
止めるのなら、マインドでつくり上げている思考施設そのものをはずさなければなりません。
それには、自然体とか、ありのままでいたらだめです。
未来と過去、過去と未来を往復するのが3次元の自然体だから。
その往復だって、少しずつ培うという表しかたで3次元の連続時空を使ってできるようになったこと、
だからもともとは不自然で作為的なのですが、慣れてしまえばそっちが自然です。
なので、自然体、ありのままでいたら3次元から出られません。
3次元をやっていて、その3次元から非3次元にシフトするには、
現在地である3次元の方式を使って、過去データの収集と未来への備えでぱんぱんになっているマインドに
切れ目を入れる必要があります。たとえば、
・寝る前に5分間瞑想する。眠くても疲れていても、背筋を伸ばして結跏趺坐か半跏趺坐で座るだけでもやる
・朝のルーティンに本で読んだヨーガの呼吸練習を入れる
・朝、晴れていたら太陽に向かって合掌し、ゼロポイントフィールドとつながる
・通勤のさい、自宅から大通りまでは歩幅の小さな小走りジョギング、大通りから駅までは速歩で行く
・日曜日の16時~18時は絶対に用事を入れず、ギターの練習をする(ギターがワクワク活動の場合の例)
・日曜日には連絡以外スマホやパソコン、タブレットを使わない
といったようなことですね。
どれもこれも作為的で不自然ですが、3次元の自然体を振り切るには、最初は仕掛けていく必要があります。
努力のいらない世界に行くには、努力の必要な世界のやりかたすなわち努力を使って離陸しなければなりません。
あと、しばらくつづけてみて、メニューを差し替えたり、実践する時間を変えたり、ハードルを上げたり下げたり、
といった実験、お試しも進めていく。行き詰まったら宇宙に質問を投げるという自問自答をやって工夫していく。
何かの勉強をするとか健康な身体をつくるとかいったこととノリはいっしょ。
はじめはいくらかめんどうくさくても、昭和から平成前期のキツさ、エグさに比べたら全然楽勝。
ただ、一般的な勉強や身体づくりなどとちがって、非3次元シフトの場合、
つづけているうちに3次元化したマインドのあちこちに風穴が開いて、
シンクロニシティとか引き寄せあるいは引き寄せられとか不運が幸運に反転とかお告げとかそのテの追い風が入り、
それらの活用法も体得できてくるし、
世界や現実の感触すなわちリアリティが変わってくるので、
当初の努力感、意識的に取り組んでる感は消失します。
やることを足すとか減らすというより、全体を組み替えていく感じ。
3次元が剥がれてくると、適切な時機に全体が組み替わっていくという実感になります。

最後に書き足しておきますが、
一般的に「運動」と呼ばれている、五感の解放活動(ふだんあまり使われていない感覚を敢えて使うという意味)は、
瞑想や手放し、ガイドスピリッツとの通信などスピ活全般の準備とクオリティ向上のためにとても重要です。
ヨーガの世界では、瞑想の前にアーサナ(ポーズ)構成を中心とするハタ・ヨーガを行ったり、
ハタ・ヨーガ派じゃなくてもなんらかの準備運動があったりしますが、
ボディワークから瞑想へというこの流れはとても合理的。よく考えたな、と感心する。
触覚・圧力系を中心に五感的感覚を動かすことによって、
疲れない姿勢(=正しい姿勢)がつくれるようになるし、凝り固まった3次元化マインドがほぐれるからです。
なので、これから非3次元シフトをねらうのであれば運動かダンスから入ることを個人的にはお勧めします。
  1. 2024/01/08(月) 14:18:16|
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
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