fc2ブログ

ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

ゼロポイント瞑想(熟練者向け)

2023年11月30日(木)

今秋から透明な光をイメージする瞑想というのをやっていて、臨床試験が終わった感があるのでシェアします。
私の場合、日に一、二回は瞑想することにしているので、そこに新しいやりかたを組み入れて実験してきました。
通称「ゼロポイント瞑想」といいます。
やりかたは下記①~⑧のとおり。記事の最後に簡単な概念図を記しました。

宇宙を整える、てっぺんから地面まで全感覚現象を最適化するのであれば、
ゼロポイントフィールドとつながるか、統合ワークだけでOKです。
ただ私は瞑想が習慣になっているので、
以前からゼロポワークと瞑想を合体させる実験をガイドスピリッツとともにあれこれやっていて、
先日それがまとまったのでシェアすることにしたのでした。
したがってこれは、定期的に瞑想していて、独りで瞑想の全プロセスをコントロールできる人向けです。
それと、自分に合った方法、量の運動を心がけ、ある程度、五感(身体)のめぐりがよくなっていることが前提。
フォーカスポイントをクラウンチャクラよりも上に固定し、
イメージのなかで地球の重力設定もはずしてしまうので、
とくにグラウンディングがきちんとできることが必須条件です。

魔境に入りやすいとか、幽体離脱しやすい方にはお勧めしません。
自分の瞑想方法が確立している方にも、何かヒントになる部分があればさいわいです。アレンジも可。

21世紀になって公開されるメソッドやツールは副作用がないか少ない、
つまり効かなかったとしても「なんも変化なかったさ」ですむものが多く、これもそうだと思うのですが、
私の実感では垂直飛距離がけっこう大きいので、
最初は何段階かに分けてひとつずつ実践するとか、短時間でやめておくとかして、
少しずつ慣らしていくのがいいと思います。

<方法>
①天井くらいの高さに適当な大きさの太陽をイメージする。太陽系の太陽でなくてもよい。
 出身恒星がわかっていればそれでもいいし、セントラルサンでもいい。名称不明でもとにかくイメージできればよい。

②天井と頭頂の間くらいの高さにテニスボール大くらいの宇宙船をイメージする。形や色はどのようなものでもよい。
※好みにより、宇宙船の代わりに神殿、寺社の本殿などをイメージしてもよい。

③床下の①と等距離くらいの深さの位置に、①と同じ太陽をイメージする。

④同じく床下の②と等距離くらいの深さの位置に、②と同じ宇宙船(または神殿など)をイメージする。

⑤天井の太陽から床下の太陽まで身体を突き抜けてまっすぐ光を通し、
 同じく床下の太陽から天井の太陽までまっすぐ光を通す。

⑥頭蓋全体(首から上)→首→肩→肩甲骨→腕→手、手の指が透明になっていくのをイメージする。
 たとえば柔らかい水晶のようなイメージ(この透明性のイメージは各自好きなように)。
 次に体幹の前面→背面→腰→足→足指が透明になっていくのをイメージする。

⑦全身透明のイメージを保ったまま瞑想する。意識は②の宇宙船にフォーカスすること。

⑧瞑想を終えるときにもう一度、上下に光を通して(⑤と同じ)終了する。
※ふだんの瞑想でグラウンディングなどの終了手順がある人は、⑧のあとにそれを行ってください。

<効能>
・実体(物)を想定し、実体(物)の存在感がリアルな世界すなわち3次元から、
実体(物)を想定せず、感覚現象だけの感覚(波動、周波数)世界へのシフトを促す。
それにより高次(超心)→マインド(心)→五感に感覚(波動)が伝播し、全感覚現象が最適化する。整う。
・五感光景から物の実在感が抜ける。
・いくつかの思念が複合化したり、増幅したりして強度が上がる前のマインド周波数がわかるようになり、
顕在意識と潜在意識が統合される(「潜在」する意識領域がなくなる)。
・高次の感覚のリアリティが増す。

<応用>
・不適合感覚(不快な感覚、記憶、イメージ、感情など)を手放すさい、その感覚対象に透明な膜を被せ、
透明な光あるいは透明な空間のなかに溶かして送り出す(不適合感覚はゼロポに還ってリサイクルされる)。
・心身のヒーリング、環境の浄化に使える。
ヒーリング、浄化したい箇所を透明にする。必要に応じて青や緑のレイ(光)、レイキ、氣などを充填する。

最初は太陽と宇宙船は設定せず、⑥の透明化のプロセスだけ、あるいはいきなり全身ではなく首、肩、肩甲骨だけとか、
上方向の太陽と宇宙船だけを設定して瞑想してみるのもありと思います。
私も部分的透明人間化からはじめました。クリスタルスカルになってみたり。
首、肩、肩甲骨を透明化すると、意外なほどの解放感、爽快感があり、
ふだん首、肩、肩甲骨のへんが滞りがちな意識の使いかたをしていることがわかりました。 

透明な光、透明な膜など、透明さというのはゼロポイントフィールド、あるいはそれが動態化したゼロポイントエネルギーの象徴です。
以前、私はゼロポエネルギーを銀色の光としてとらえていましたが、なんかすぐ色が抜けたんですね。
透明なヒカリ!? なんだそれ膜ならともかくヒカリだったら透明じゃないし、と突っ込みたくなりますが、
可視光線じゃない光線(エックス線とか)みたいなものと思えばいいでしょう。
光だの磁場だの、そのへん雰囲気だよね。いわく言いがたいやつをムリくりに言語化してるわけだから、
擬似科学っぽい言い回しになるのはしかたないかな。「エーテル」なんていう19世紀語が残っていたり。
非3次元にも3次元にも、何次元だろうと、ゼロポイントエネルギーはどこにも浸透しており、
またどこでもゼロポイントフィールドなのです。透明であるとはそういうこと。
空即是色、色即是空ですからね。
ただ意識が3次元に没入している間はそういうのはないことになっている、見ないようにしているだけ。
ないことにしておかないと、それ固有の法則をもっている実体(物)という想定が崩れてしまうからです。

今から思えば、私は2014年か15年くらいに、
シリウスのソファイアという宇宙存在から、この瞑想法の原型となる方法を教わっていました。
でもそのときは何がなんだかまったくわかってなかったので、「なんも変化なかったさ」で自然消滅してしまいました。
その後、ゼロポイントフィールドのことがわかって、自分のメタフィジクス(宇宙のしくみ。構造と力学)ができあがって
いったので、このたびリニューアル再伝授となった次第です。

人の数だけメソッドがあるといってもいいくらい、デムパ界隈にはいろんな流派のいろんな技法があって、
十把一からげにしてアストラルソフトオフに出したいくらいかもしれませんが、
自分に合うのでなければブランドや師弟関係その他のしがらみにとらわれずフルスルーしていいと思います。
ここでシェアしたコンテンツも、ざっと斜読して刺さる要素がなければなかったことにしていただいてかまいません。
どんな技法にせよ、その核は、思考を観察するとか、特定のイメージを描くといった心の操作です。
何らかの思考感覚、観念感覚を手放すというのも引き算のイメージワークです。
自分回帰が進んでくると(うしろ向きに進むというか戻るというか)、
心のなかで何をしているか、していないかということが宇宙の構成要素として非常に重要だと実感でわかってくるので、
心のなかのようすをマインドの現実として「現実的に」とらえるようになります。
ただの想像や妄想だから現実には影響しない、関係ないや、ではなく、
精神の世界と物質の世界は別もので、それぞれの法則にしたがうダブルスタンダード、
たとえば家ではスピリチュアルで外ではビジネス、というのでもなくなります。
超心(高次)は心に、心は五感に伝播するということがリアルになってくる。
自分に合う技法を使い込んでいくとその妙味がわかってくると思います。

【ゼロポイント瞑想の概念図】
ゼロポイント瞑想(図)
スポンサーサイト



  1. 2023/11/30(木) 14:10:03|
  2. デムパなメソッド
  3. | トラックバック:0

「波動」の実感&逆グラウンディングでグラウンディング

2023年11月8日(水)

ゴミを捨てに外に出て、ゴミを置いて帰ろうとした、そのとき、
自分の身体も含めて周りの景色の感触が、たぶん秒以下の速さでくるくる変わるのに気づいた。
テンション、心持ちも、くるくる変わる。
左足を踏み出したときはちょっと明るく乾いていて、
右前方を見上げたときは少し翳って柔らかい、というような。
左足を踏み出したときと、右前方を見上げたときとでは、その景色の感触がまるごとちがう。
周囲の景色が固定していて身体が動いているのではなく、
左足を踏み出したときの場面と、右前方を見上げたときの場面とでは、心持ちも含めて環境ごとまるごと別世界なのだ。
周波数成分がちがっている。
そうやって渡っていく世界のひとつひとつに穴を開けて糸を通し、数珠のように繋いだとすると、
その糸が数珠世界の感じ手意識すなわち「私」である。
船から下りたばかりのときは、地面がまだゆらゆら揺れている感じがするけど、
このときの体験は、実感的には下船直後のゆらゆらに似ている。
あのゆらゆらが、言語化未満のテンションや心持ちも含めて起きているような。
ちなみに全然関係ないけど、ある用事で国内のある離島に出かけたことがあって、
あのときは船のゆらゆらより帰りのプロペラ機のゆらゆらのほうが怖かった。

ドアを開けて、階段を下りて、道路に出て、ゴミを置き、といった動線は、
一般的に、途切れることなく連続していると考えられている。
空間は玄関から階段へ、道路へと延びていて、数秒数分の単位ではふつうは大きな変化はない、
そこをゴミを手にした人間が移動していき、その人間の目には移動にともなって景色が変わっていくように映る、
時間は8時5分15秒から16、17、18・・・8時6分0秒、1秒と過ぎていくが、
8時6分のときの人間、建物、道路は、1分前の8時6分のときの人間、建物、道路と同じである、というように。
1分前の世界も1分後の世界も、どこを探したって見つからないし、
いったん時空の連続を前提にすると、現在だって固まった直近の過去あるいは現在完了となり、現在ではなくなる。
五感の向こうに実体(物)があると想定した3次元の「ありのまま」とは、
常に直近過去または現在完了で、固まっていて、取り返しがつかない、そういう世界である。
この凝固した「ありのまま」は本当はまだありのままではなく、物だとか連続した時空だとかの観念が、
習慣的な(無自覚な)見かたとして被さっている。
過去や未来を削ぎ落としたありのままが直近過去世界、とはいえ物や物の連続的な広がり、変化という観念に支えられているので、
凍りついた直近過去世界を溶かすには、その物とか連続時空とかの観念をも削ぐ必要がある。
でも一般的にはその「準ありのまま」にだって気づいておらず、
直近過去に前後の記憶という想念をくっつけて、これをざっくりと「現在」とし、
過去、ざっくり現在、未来と変化していくハコ(空間)を鉄板の現実だと決めている。
ざっくり現在に紛れ込んでいる直近過去場面以外は全部頭のなかの想定なのに。
さらに、このハコには、いくらかはリアリティのある記憶に加えて、知識、情報、物語などが詰め込まれていて、
人の思いでパンパンに膨らんでいる。
なお記憶とは、既知感や再来感といった思考が載ったイメージ情景のことをいう。

そういう思考の産物を、一般的には動かしがたいカッチリとした現実だということにして、
カッチリを前提に予定を組んだり作業を進めたりしているのだから、ヘンといえばヘン。
物が徐々に広がり変化していくという見方の現実が観念構成体だということは、
そっちじゃない見方の現実を何度か体験してみると、リアリティのある実感になる。
部屋のなかにいると建物全体の外観が見られないというのに似て、
観念構成体にもとづく現実に没入していると、それが思考の産物だと気づかない。
その観念構成体ではない、思考の産物ではない現実というのが、冒頭に書いたゆらゆらとした周波数構成体。
くるくると変わる(思いや気分なども含めた)感覚を、なぜ波動とか周波数と呼ぶのかというと、
物とその推移という観念構成体から解かれた(思いや気分なども含めた)感覚は伝播するからです。
観念構成体のなかでは伝播しない(物はそれ自身の法則によって動き、心の影響を受けない)ことが前提になっているのだけど、
物が観念に還って(物が観念だと気づいて)観念構成体の絶対性が崩れると、その前提も崩れるので。
たとえば閃きや直感(高次)はイメージ(マインド)に、イメージは五感に、と、より具体化する形で伝わります。
要は引き寄せが利くということ。
「緑」とか「四角」とか、「“回転”“つながる”という考え」とか、「怒り」とか「モヤっとした気分」など、
五感にしても思いにしても、あらゆる感覚は、言葉というラベルをはずすと何らかの作用をするエネルギーみたいな「感じ」に
すぎないので、波動とか周波数という価値判断を込めない物理用語を充てるのは適切といえるかもしれません。

観念構成体の世界すなわち3次元から、周波数構成体すなわち非3次元に切り換わるのは、
今年10月17日の記事に書いた「反転」によってです。
何が反転するのかというと、統覚意識(「私」という感じ手意識)の関心の向き。
意識の関心が認識対象に向いていると、その感覚の激しさに対する「これは何か別宇宙なんじゃないか」
という違和感から「別宇宙=それ自身の法則をもつ実体(物)」が想定され、物の世界すなわち3次元に入る。
統覚意識(「私」という感じ手意識)も身体という観念に重ねられて「物」の一部になる。
一方、意識の関心が意識自身に向いていると、別宇宙感はないので、
高次、マインド、五感、それぞれの感覚が適切に感じられて感覚模様(周波数構成体)の世界になる。
ざっくり3次元語で表すと、関心が内側に向いているときは世界は周波数構成体(非3次元)として、
外側に向いているときは観念構成体(3次元)として現れるということです。
内側というのは、まず別宇宙として外側(物)が想像されてから、外側(物)ではない側として成立するので、
はじめに外側ができていないと出てこない3次元の概念なんですけどね。
さらに、3次元に定着するうちに内側は外側(物)由来の生理反応(主観)とされていくので、
本来の創造力(引き寄せ力)を失います。

3次元から非3次元への移行期には、この反転を何度か繰り返して3次元から離陸していく。
意識の関心の向きが、内側を向いたり外側を向いたりしながら、
最終的には内側に振り切って、内外の区別のない感覚模様(周波数構成体)になる。
なぜ一発で決まらずにコロンコロンと反転を繰り返すのかというと、
訓練によって外に関心を向けるのが習慣になっているから。
訓練という時間の堆積で説明しない非3次元の表現をとると、
外側への関心の強さ、粘度、執着が強いということ。
速攻、反射的に外界を探るような心がまえができているという。
意識の関心の向きが内側を指していると、
引き寄せがうまくいったり、シンクロニシティが頻発したり、不思議な現象が起きたりします。
それが安定しないのは、慣れているほうに向かおうとするこのコロンコロン、3次元と非3次元の往復があるためです。

最後に、この往復プロセスを短縮し、セルフアセンションを爆速化する方法をご紹介します。
メソッドじゃなく、スピリチュアルハックみたいな小ワザ。
とはいえ、それなりに荒技なので、試すのなら自己責任でお願いしますね。
それは、ガチやばピンチのとき、敢えてすぐ対処せず、
ゼロポンイントフィールドとつながるとか、統合ワークとか、光の磁場を広げるとか正八面体のなかに入るとか、
それぞれのやりかたで、内側へ退却してしまうことです。

アンガーマネジメントで、怒りが湧いたら6秒待つというのがありますが、そんな要領で。
あるいは、問いを投げられたら道端でもどこでも坐禅を組むアニメの一休さんのように。
私は、今年の10月は理不尽に思えるくらい忙しかったので、
自分が足を組んで瞑想するイメージ(正面図)のアイコンを想像でつくって、
バタバタしだしたときにこのアイコンを呼び出して即「ただいま瞑想中」モードに入ってました。
次から次へと雲霞のごとく湧いてくる用事(じつは頭のなかで湧いているのですが)をいったん全部手放して、
くつろげる部屋に引き下がるようなイメージ。
そうすると、頭のなかでつくった物世界が解(ほど)けて、
ゼロポ→統覚視点→高次→マインド→五感→ゼロポ、と軸の通った波動世界になるので、
感覚(波動)がすべてあるべきところに収まる自動整理作用が働いて、
「ボールが止まって見える」的に難なく落ち着いてかたづけていくことができます。
やらなくていいこと、余計なパフォーマンス消えていくし。
ガイドスピリッツや天使の指示も格段に聴き取りやすくなります。
これができるようになると、何かというとすぐ「外側」に飛び出していく癖が治まり、
波動世界を操縦していくコツが感性的、運動神経的につかめてきます。

マルチタスクの真っ最中とか、やらかして心が折れた、詰んだとか、
やばければやばいほど効果も高く、波動爆アゲのチャンスなのですが、けっこう勇気がいるので、
最初は3次元に呑まれて撃沈してもどうにかリカバリできる小さなことで試してみるといいかもですね。
いわば逆グラウンディングみたいなことだけど、逆グラがグラウンディングになるというふしぎ。
  1. 2023/11/08(水) 13:53:12|
  2. デムパなメソッド
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

「丸投げ」は最終極意

2023.6.6(火)

悟る、覚醒する、セルフアセンションする、3次元を出る、非3次元化する、
4次元の地球に移る(五感ゾーンが柔らかくなる、固体的感覚が流体的感覚になる)、
5次元に移る(心、マインドから実体である物質を想定した3次元の原理、法則をはずし、もとの5次元に戻る。
五感ゾーンが4次元であるのに対し、心、マインドは5次元なので)。
これらは全部、同じことを言っています。

統覚視点あるいは統覚意識に帰る、ハイヤーセルフとつながりハイヤーセルフとして生きる、
真我に目覚める、ブッダとしてあるいは神として生きる、エゴ(身体に閉じ込められたセルフ意識)を手放す、
自分を知る、自分を愛する。
これらも全部、同じことを言っています。

後者は宇宙の認識主体かつ創造主体の表現、
前者は、その認識者かつ創造者の認識かつ創造行為と、認識かつ創造された宇宙の様相についての表現です。
自分(認識即創造の主体、感じ手意識)が感じたこと(行為)が様相として現れる(創造される)。
感じること(認識)と現れること(創造)は同時に起きます。
感じたこと即創造されたことは、高次、マインド、五感と、各層に適した形に変換されて伝わり、具体的になっていくので、
伝播するという意味で、感じることは波動が起きることでもあります。
そして、波動が伝わるとは、引き寄せの法則が働くということでもあります。

言葉で説明すると長いけど、感性的にとらえればピッ、シュッ、パッ、みたいなことです。
そのピッ、シュッ、パッ、を得心するために、もういろんな流派の、いろんなメソッドがあります。諸子百家みたいな。

しかし、こないだふと気づいたのですが、
宇宙を信頼していれば、ほんとはどんなメソッドのどんなワークもやらなくていいのです。
「宇宙」が「ハイヤーセルフ」や「神」といった表現になることもあるでしょう。
俗語でいえば「何があろうとどうにかなる」という安心心地です。
瞑想も坐禅もマインドフルネスも統合ワークもヨーガもアファメーションもビジュアライゼーションも感謝もせず、
仕事や人間関係や人のケアやオタ活や財テクその他にのめり込んだり、野心を抱いたり、嫉妬したり、失望したり、
喜怒哀楽に振り回されたり、息を吐くように愚痴や不平をこぼしまくったり、人を責めたり自分を責めたり、
何十年たっても誰かを許せなかったり、世の中を恨んでいたり、思想や流行に反発したり、
もうメタメタに地を這うように3次元を満喫していても、
ちょっとスピ活してたちまち還俗してまた回心して還俗して、みたいにブレまくっても、
スピオタになって流派の比較と批判、ときに折伏に奔走しても、
宇宙を信頼してさえいれば、宇宙はみごとに辻褄を合わせて覚醒にもっていってくれるでしょう。
時間はかかるかもしれないし、ことによると来世になるかもしれないけど、
時間がかかるとか来世とかそんなのは3次元の尺だからどうでもいいのです。
ことによると、あれこれのワークをやっている人より早く上がるかもしれません。

ではなぜ、この浄土教的、他力本願的ルートをとらないのでしょうか。
なぜ、こんなにも多くの思想が、体系が、メソッドが、渦巻いているのでせう。
それは、宇宙を信頼できないからです。
信頼できないから信頼してない。それだけです。
ていうか、むしろ宇宙は災難や試練をもたらします。
そいつをなんとか切り抜けて、成長感を味わったり、かと思うと次の試練がやってきて、
今度は切り抜けられずに病気になったり貧乏になったりして凹んだり。
「何があろうとどうにかなる」どころじゃないすね。むしろ「何もなくても気をつけてなくちゃ」でしょ。
少なくとも私はそうでした。
ちなみに、なぜ宇宙が災難や試練の原因になるのかというと、
心のなかで「五感の向こうには五感の原因となる実体(物質)がある」と想定して、
この想定にもとづいて立ち上がってくる世界(3次元世界)を体験しているからです。
3次元には、「物質の侵蝕から(物質でできた身体である)自分を防御する→←物質の侵蝕」という
ぶつかり合う波形「→←」が織り込まれていて、ぶつかってくる「←」が災難や試練にあたります。
ぶつかってくる災難や試練「←」は(想定した)物質世界からやってきます。
実体(物質)を想定した3次元の世界では、宇宙とは物質世界のことですから、だから宇宙は信頼できないのです。
また物質の原理や法則というのは、ある程度は知られていますが、
専門家でもすべては網羅できないくらい専門分化されているし、ひとつの現象にもいくつもの法則が絡まっていて複雑だし、
未解明なことも山ほどある、というか未解明のことのほうが多いし、
一生懸命に情報収集しても、妥当な解に至るのは困難です。
で、その妥当な解も、最終的には「多くの人が合意している一般常識」とか「どの専門家の言うことを信用するか」
で決着します。

というわけでそもそも、宇宙を信頼なんて冗談じゃないよ、ぼんやりしてたらむしろ宇宙に潰されちゃうぜ、
という実感リアリティがある世界にいるんだから、宇宙を信頼するのはむりなのでした。
でも、宇宙に潰されないようにがんばっているうちに、
なんか、がんばる方向じゃないやりかたがあるらしい(意図的に引き寄せの法則を使う、ワクワク感にしたがう、など)とか、
がんばらなくていい世界があるらしい(非二元、非3次元、4次元、5次元など)とか、
毛色のちがった情報があるのにふと気がつき、
そっちに心惹かれれば、実験してみようという気になります。
人によっては、ヘヴィーな出来事でどん底まで落とされて、がんばる方向が八方塞りになり、
がんばらない方向に舵を切るしかなくなる、というケースもあるでしょう。
あとは超能力や霊能力で苦労するとか。臨死体験とか。
何にせよ、自分に合う理論や方法を使って、ひとつずつ実験していって、
「あれ、宇宙って思ってたよりイイ奴じゃん」とかってたしかめていくしかないんですね。
本を読んだり動画を見たり、瞑想やヨーガをやったり、ときにセミナーや個人セッションを受けたり、とかしつつ。

ところで、今年の2月、心のなか(マインド)で感じた違和感を適合感に反転させるというワザを紹介しました。
違和感はネガティブな感覚のもと、適合感はポジティブな感覚のもとになるやつです。
ここでいうポジティブは適合感(自分に合っている、しっくりくる)ですから、ほんとは中立(ニュートラル)なのですが、
ネガティブ(違和感)が当たり前になっている3次元から見ると相対的にポジティブです。
以下、その紹介文を要約して再掲します。
-30が+30に転じる反転を起こすには、
-30のやばい、まずい、怖い、やらかした、どうなっちゃうの、等々を抑えたりごまかしたりしてはだめ。
すでにキャッチした感覚(波動)にフタをすると偽ポジティブシンキングや偽引き寄せになって、
偽ポジや偽引きは建前(願望)と本音(フタをしたネガティブな予想、不安。こっちが強い)に分裂するから、うまくいきません。
この萎縮感覚、急落感覚、ギュッと凍りつく感覚、それらの振動数をしっかり感じたうえで、
そこに、心の記憶庫にある「チャンス!」「おもしろくなってきた!」「シンクロニシティ!」の感覚をもってきて、接続します。
他人の経験やフィクションでもかまいません。
と、萎縮、急落、凍りつきは、「30」という程度はそのままで、符号だけが「-」から「+」に反転します。
萎縮、急落、凍りつきの振動数は、ゾクゾク、あふれる、扉が開く、といったようなポジの振動数になります。
そうすると、同じ状況の裏にあるポジ面が見え、むしろギフトになります。

このテクニックを使うことに慣れると、いちいち接続を意識しなくても、
思いもよらないことが起きたとき、即、「あ、なんかおもしろくなってきた」と反転させることができるようになります。
で、どんな状況でもポジ転させられることから、宇宙への信頼感がグッと高まっていきます。
逆も真で、宇宙への信頼度が上がってくると、反転のテクニックがうまく使えるようになります。

宇宙を信頼できるようになると、どうなるのでしょうか。
スピリチュアル界では、よく「宇宙を信頼しておまかせすれば、何もしなくていい」といったことがいわれます。
でもその一方で「行動しなさい。いくら直感が冴えていても行動に移せなければ何も変わらない」ともいわれるんですね。
この矛盾した定説をアウフヘーベン(統一)すると、「余計なことはしなくていい」となります。
3次元をやっていると、物質世界からの襲撃に備えて、行動強迫であれこれいろんな対処をします。
その強迫がとれるということです。
だから「何もしなくていい」は「何も企画する必要はない」という意味です。
宇宙を信頼していると、波動が調う、すなわち高次、マインド、五感の感覚が全部適合して伝わる、流れる、
という方向に動くので、思考も行為も環境の変化も最適のタイミングで起きます。
もしドロドロに3次元まみれになっていても、宇宙を信頼することが可能なら(3次元まみれだとふつうは宇宙への
不信感でいっぱいですが)、波動が調う方向に動いていきます。
「行動しなさい」は、そうやって最適のタイミングで吹いてきた順風に逆らうな、という意味です。

3次元にリアリティがある、つまり物や身体や、自分とは別の身体をもった他人の存在感が濃厚だと、
「何もしない」というフレーズからは、
寝ていたり、座っていたり、何の予定も立てずにネットサーフィンなどに興じている、といった図が浮かぶかと思います。
こういう図があまりいいことだと思えないのは、現実逃避のイメージがあるからです。
頭のなかはやらなくてはいけないこと、解決しないといけない問題がいっぱい、なのに寝そべっていると。
やらなくてはいけないことや問題は「頭のなか」にあるのに、それが「現実」なんですよ。ヘンだよね。
「宇宙を信頼しておまかせ」しているときの「何もしない」はこういうのではありません。
努力感とか、ストレスホルモン感とか、気合、根性とか、そういった「抵抗」がひとつもないということです。
なので、傍目には分単位のスケジュールで動いているように見えるときでも、
自分の実感としては「何もしていない」に近いことがあります。
「近い」というのは、何か終えるつど達成感があることはあるんだけど、たちまち揮発するという感じかな。
反対に、文字どおり何もしていないのになんだか忙しい感じだったりすることも。
たぶん、ダンス瞑想とか、歩く瞑想とかをやっているのと同じで、瞑想周波数で生活動作をしているのでしょう。
  1. 2023/06/06(火) 13:45:39|
  2. デムパなメソッド
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

弱い感覚に気づく

2023.5.12(金)

思いや考え、気持ち、気分、想像、イメージなどの織り模様、あるいはそれらが行き交う場のことを、
人は内側とか内面と呼ぶ。
それに対し、五感的な感覚が織りなす世界のことは外側と呼ぶ。
内側と外側と言うと、外側が内側に影響することはあってもその逆はない、
外側は内側の主張なんか受け付けないガチの現実、というイメージを引きずるので、
私はなるべく内側、外側という言葉を使わないようにしている。
でも敢えて使うとすると、
内側とは弱い外側のことである。で、外側とは強い内側のこと。

五感的な感覚も、思いや考えなども、何らかの感覚であり、
どちらも「感じることによって認識する」ということが起きている点で同じ。
視覚や聴覚や触覚などと同じく、思いは思覚、感情は情覚、気分は気覚といえる。
このように、全部○○覚と呼べるような感覚で、強弱の差しかないとして一元化すると、
五感も、マインドも、どちらも「波動」という言葉で言い表せます。
とりあえず物理学とは関係ないし、スピの人がこの意味で「波動」と言っているのかどうかはわかりませんが、
私的には視覚も思覚も「波動」です。
なぜ「波動」なのかというと、
思覚や情覚や気覚は、五感の強さに変換されて視覚や聴覚や触覚などとして現れる、つまり伝播するからです。
変換されるというのは、水蒸気が水になるように、
強度が相対的に弱くて速い、気体的な思覚や情覚や気覚は、
強くて遅い、流体的な視覚や触覚などの五感となって現れるということです。
たとえば、漠然とした「連絡」「返事」「通信」のイメージが、メッセージやメールや電話や人からの伝言になるように。
マインドの感覚と五感的な感覚では強度や速度がちがう、
水蒸気の世界と水の世界がちがうように、世界まるごとの性質がちがうので(私は波を伝える「媒質」がちがうという
言いかたをしています)、
思覚や情覚などの弱くて速いマインドの感覚は、視覚や触覚などの強くて遅い性質に合うように変えられて伝わるのです。
また「波動」という言葉を使うと、視覚や聴覚や触覚などの五感、思覚や情覚などのマインド感覚、
さらに思いや感情を超える高次の感覚も、一元的にまとめてすべて力学的な現象として扱えます。
「どんな波動も、それと似た周波数の波動を引き寄せる」引き寄せの法則というのは、
より弱くて速い感覚が、より強くて遅い感覚として伝わるという力学的現象を言い表しています。

音楽でいうと、思覚や情覚などのマインド感覚と、視覚や触覚などの五感的感覚には、pとfの差があるだけということ。
思覚や情覚はメゾピアノやピアノだけど、視覚は触覚はフォルテやフォルティッシモの強さで感じられる。
ただ思覚や情覚などのマインドの感覚は一オクターブ上で、オクターブ下の五感とまったく同じ音ではない、
というようなイメージです。

しかし一般的には、思いや考え、気持ち、気分、想像、イメージなどは五感的感覚に変換されて伝播する、
などとは考えられていません。
五感的な感覚の向こうにはその対象である物質がある、
五感的感覚とは、その物質を、同じく物質である身体が知覚した結果であり、
思考や感情や気分などはその知覚に対する反応(言語化、イメージ化できないモヤモヤも含む)である、
と考えるのが常識です。
つまり、あらゆる現象の原因は物質であるとする。
これを物質還元主義、唯物論、自然主義、どう呼ぶにせよ、とにかく決め手は物質だという物質一元論です。
ただしその物質からなる世界は、「身体または身体を基盤とする自分意識vs.身体または自分意識を囲む物質環境」
がぶつかり合う相克として認識されるので(これが以前の記事に書いたぶつかり合う波動「→←」です)、
見かけ上は「内側と外側」とか「主観と客観」といった二元論になります。
でも「内側と外側」「主観と客観」という二元視角を支えているのは、
「外側から内側が生じる」「客観世界から主観世界が生じる」という物質一元思考です。
物質一元世界が「内側と外側」「主観と客観」というように、ふたつに分かれて対立しているかに見える、
ふたつの世界の対立として認識される
ということです。
ひとつの世界がふたつの世界の対立として見える眼鏡をかけているようなものです。
この常識思考が定着し習慣化していると、マインド感覚から五感への伝播は起きません。
あらゆる現象の最終決定権は五感の向こうに実在する物質にあって、
この物質を直接操作しない限り世界は変わらない、だって物質の世界なんだから、
物質(身体)から生じた内側や主観に直に物質を変える力はない、と考えて決めているからです。
伝播は起きないという思覚が伝播しているわけ。
引き寄せは起きないという考えが、その考えどおりに引き寄せの起きない世界を引き寄せているのでした。

物の存在は直覚できないのに(五感の向こう側はわからない。向こう側があるのかどうかも不明)、
物の実在に強いリアリティがあり、
「内側と外側」とか「主観世界と客観世界」(じつはどちらも二元化した物質一元論)にリアリティがある、
つまり実感は変わらないまま、
内側を観察したり操作したりしても、引き寄せなどの「波動伝播現象」は起きません。
リアリティ、実感が波動(感覚)一元ではないからです。
物質一元世界で「内側」にできることは、せいぜい「外側」で起きていることの解釈を変えることくらい。

自分に合ったスピリチュアル的な技法を生活のなかに取り入れて実践していると、
「物でできた世界のなかで、物である身体を基礎としつつさまざまな思いを抱いて暮らしている」
という実感から、
「強さや速度のちがう感覚(波動)を多層的に感じている」
という実感に、リアリティが変わっていきます。

その実感の変化が非3次元化であり、覚醒であり、セルフアセンションといっていいと思います。
私は自分で開発した「統覚視点回帰ワーク」という方法を使っていますが、
統合ワークでもいいと思うし、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスもいいかもしれません。
動画を見て自分で試してみたところ、ヨーガ(呼吸法を中心としたやりかた)もよさそう。
引き寄せや問題解決、運気好転などをねらうさまざまなスピ技法も、現世利益的な部分は入り口で、
じつのところ波動(感覚)一元化することを真のねらいとしている気がします。

で、スピ的なことをやっていないとき、仕事や家事、いろんな用事をしているときには、
弱いほうの感覚(波動)に注意を向けておくといいです。波動(感覚)一元化が加速します。
弱いほうの感覚(波動)とは、弱い外側であり弱い内側である思覚や情覚や気覚などのこと。
対して五感的な感覚は、強い内側であり強い外側です。
内とか外とかより、強度を基準にして、とにかく弱い感覚(波動)に注意を払うのです。
<例>
たとえば、ある件についての添付ファイルつきメールが受信トレイに届きます。
未開封のそのメールの件名を見た私は「うわ」「めんどくさ」みたいな、言葉にすればそんな情覚を感じます。
そして中身と添付ファイルを見て、「げろげろげろ」「知らねーよ」「ここんとこまちがってるし」と拒否情覚を強め、
「自分のしくじりを全部自然災害みたいにして書いてあるなぁ」といったジャッジ情覚も加味されます。
一方、そんな情覚模様にはおかまいなく、返信の主旨や要点という思覚はスラスラと湧いてきます。
スラスラ湧いてこないこともあるけど、この場合はスラスラでした。
しかし情覚模様がウダウダして私心が荒れはじめている、
つまり弱い感覚(波動)が行き交うマインドに、自分に合わない、違和感のある感覚(波動)がわさっと交じり込んで、
ノイズがひどいラジオ放送のように乱調になっているので、
すぐには返信を書かないで、
①ゼロポイントフィールドにつながる、②統覚視点に戻る、③自分に合わない感覚(波動)をゼロポに還す、
ということをやります。これが統覚視点回帰ワーク。①から③まで数秒くらいです。
慣れると、②までできれば③は自動で起きるので、1秒もかかりません。
そのあと返信を書きはじめるのですが、
内容をチラ見した同居人の豹専務が放ったコメントでピカッ、と閃覚(高次の感覚)が走り、
自分が本当に伝えたいことは、スラスラ出てきた細かいこと以前に、
「この件の進捗は急がないほうがいい。もっとゆっくりテンポで」ということがわかったので、
その旨を文末に加えました。
なお、場合によっては荒れた私心をそのままポジに反転させるやりかたをとることもあります。
①~③のようにして手放すか、ポジ転させるかは、そのとき次第。

こういう場合、一般常識では、適切な解決(この場合は適切な返信)に至れたという成果が重要視されます。
しかし、「内外に二元化した物世界」から「多次元的感覚(波動)一元世界」に実感がシフトするという視点で見ると、
大事なのは結果ではなく、
「めんどくさ」「げろげろげろ」「責任逃れだろ」といった拒否やジャッジの情覚、
スラスラ湧いた返信イメージの思覚、
ポジティブでもネガティブでも、そうした弱い感覚(思覚、情覚、気覚など)に気がついていることです。
結果にフォーカスしない、とはそういうことです。

結果よりも心のザワザワのほうが大切。ザワザワ至宝。
結果は強い感覚(波動)である五感的感覚に変換されて現れるのですが、
そっちは最終的に仕上がった製品なので、いじる必要はありません。
やばい、この結果を修正しなければ、という思覚を感じたとすると、「物世界」のリアリティが戻りかけている兆候で、
でもその思覚に気づいていれば、統覚視点に戻る、または統合などの方法で、ズレを戻すことができます。
弱いほうに気づいているだけでも実感が変わってきます。
あと、弱いほうに気づけるようになると、閃覚や直感覚といった高次の感覚(波動)もとらえやすくなります。
  1. 2023/05/12(金) 13:54:51|
  2. デムパなメソッド
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

発想の反転~さりげなく神回(追記あり)

2023.2.16(木)

兆単位の資産を有する巨大富豪にとってのお金は、もはや負債を祓う道具などではなく、
グローバル企業や国の政策、資源の再配分を決定する権利を表す証券になっているのではないか。
お金がデジタル化すれば、その証券もデジタル証券になる。
億単位を自由に動かせるあたりから、お金は証券化するのかもしれない。
自分とその周囲が、政治政策や経済動向を左右する証券化した資金の所有者の掌のうえにいることを、
私は前世紀のバブル崩壊のころから動物的に実感していた。
劇団やロックバンドに勢いがなくなり、ライブハウスやミニシアターに翳りが見え、雑誌がリニューアルして変になり、
ああ、こういうのに出資していた企業にお金がなくなったんだな、と感じた。
もっともS系のデパートやライブハウスなど、トイレの構造とかトイレットペーパーとか洗面所の水量とか、
チマチマしたところでセコく節約していて、魂がないのはバレバレだったけど。
国境を越える巨大企業、巨大富豪とかは、何にお金を出すか、出さないか、そうした投資行動を、
もっと広範囲に、衣食住や健康や安全に波及するくらい大規模に、行っているのだと思う。
衣食住や健康や安全は地球の資源や貿易に支えられているので、
個人の生命と生活は、原料や輸送といった基礎部分で、巨人たちの意思とクロスしている。
限度額のないクレカを持っていたり、国際会議の席上で穏やかな声で拒否権を発動したりする人たちに、
私の生活は生存レベルから握られているのかもしれない。

資本主義って「主義」なの?ってとこでクエスチョンなんだけど、とにかく、そうしたいわゆるグローバル資本主義は、
ごく一部のイノベーター(世襲もあり)が、貨幣経済のしくみを使って、
制度とか政治や経済の慣習とか国境とか宗教とかさまざまな障壁を超えていった結果だと思う。
野心や欲だけでは為せることに限界があり、そこを超えるには、貧困をなくすとか平和とか、何か公益への献身に
昇華させなければならない。
たぶん、グローバル富豪連は、戦争を起こしてでも戦争をなくすという類の骨太の方針で動いている。
田中角栄氏の日本列島改造論みたいなものを地球規模にした構想をもっているのかもしれない。知らんけど。

資本のメカニズムは金持ちをいっそう富ませ、貧乏人をブラック環境に固定しまうが、
お金で物資やサービスや情報や権利を売買できるというその基本的なしくみは、悪いことではない。
もし貨幣経済が発達していなかったら、人は身分や血筋といった幻想から解放されなかっただろう。
債務は借金を返済していけば終わるが、身分や血筋は墓まで憑いて回る。
狭く老朽化した賃貸住宅に住む非セレブの人でも、欲しいと思ってお金を注ぎ込めば、
非セレブにふさわしくないクルマや宝飾品を入手できる。それは、クルマや宝飾品がお金と替えられるからである。
親が貧乏だと子どもの将来の選択肢は狭くなる、が、身分社会だったら選択の機会すらないのである。

何ごとにつけ、悪いことばっかりでも、いいことばっかりでもない。
悪い面があるとすれば、裏によい面が潜伏しているからで、逆も然り。
本来、「よい(+)」とか「悪い(-)」といった傾きはないのだ。
関野あやこさんのおっしゃるごとく、現実は中立であり、マインドの周波数(感覚)を変えれば、その光景は一変する。

では、新型コロナ感染症のワクチンについてはどうだろうか。
2023年2月半ば現在、ワクチンの学術検証が進んだことと、ワクチンによる死亡例や後遺症例などにより、
その有害性や、期待されたほどの効果がないことがあきらかになりつつある。
医学研究者から厚生労働省に対し情報公開を求める訴訟も起きた。
通常なら国会で取り上げられてもおかしくない状況なのに、今のところ議会も政府も沈黙、
そしてなぜかテレビや新聞では報道されないのだが、
ネットのサイトやブログ、ニコニコ動画などでは、医師など医療関係者の提供した情報が見られるし、書籍も出ている。
23年に入ってからは、『週刊新潮』など一部の週刊誌がこのテーマの記事を掲載している。
私はワクチンは接種していないが、
仮に、2021~22年の間に4回とか5回とか接種していたとする。
そして23年になって、何かのきっかけで上述のような情報を得たとする。
自分はどう感じるか。
将来、発症するかもしれない病気に怯えたり、開発企業や、これを推進した政府に怒りを覚えたり、
未来はないと絶望したりするだろうか。
それとも、そういうこと(有害事象)もあるかもしれないけど、とりあえず今の健康状態が良好なら、
とりあえず自分には関係ないと思うだろうか。
いやいやいやいや。私は心のなかで「チャンス!」と叫ぶよ。ゾクゾクするね。

もし、実際にワクチンで病気になった方や、亡くなられた方のご遺族がこの作文をご覧になったら、
どういうつもりかとお怒りになるかもしれない。
ご不快だったら、ここで速やかにブラウザを閉じるか、ほかのサイトに飛ぶかしていただきたくお願い申し上げます。
私はスピとかオカルトとか、カテゴリー的にはそっち枠の輩であり、
「567(コロナ)は弥勒菩薩の下生(56億7千万年後)を象徴していて、オミクロンは“弥勒ON(オン)”のアナグラムだ」
などということを真顔で独りごちたりする輩です。
以下も読まれる方は、その点をご了解お願いいたします。

ワクチンを4回とか5回接種して、そのあとで有害性があると知る。
そんな状況に光明なんかあるのか。
ある。
そうなったら、私は、寿命とか余命といった概念から自分を解放することができる。
明日も元気で働くため、家族を扶養したりケアしたり家族に心配をかけないために健康でいる、というような、
しがらみだらけで自分本位でない健康の概念からも解放できる。
ワシはむかしから気づいておったが、一般社会で推奨される健康とは、
働いたり家事をしたりして生産力の向上に寄与できる心身にするという意味であって、
本人が心地よくいることをめざすものではない。
寿命、余命、健康、頭のなかにしかないそういう概念から出るというのは、
幼少期があって成長して就職して結婚して家族をつくって子どもを育てて引退して衰弱して死ぬ、みたいな、
あるいは必ずしもそのとおりでなくても、何歳までの自分はこうで幾つになったらこうなって、という
盛衰プロットにもとづくそれ的な台本から降りるということである。
この台本も、「これがふつうで、みんなそうしているんだから、これにしたがっていればまちがいなし」という評価とともに、
つながり強迫でつながった人間関係網やメディアを通じて仕入れた思考である。
慣れちゃっていてリアリティがあるので思考だと気づかないだけ。

ワクチンをまったく打たなかったからといって、健康に長生きできるとは限らない。
健康や長生きが概念であるのも、ワクチンを打った場合と変わらない。
でもワクゼロの私には、健康とか長生きとか、そういう幻想の台本に沿える余地があるが、
ワク4の私にそんな余地はない。
その台本の先には、免疫力が弱ってどうのこうのとか、気落ちするような波動が下がるようなことしか書いてないのだから。
自分がワクチン接種に至った判断の下にある寿命幻想、健康幻想を、強迫感情や損得感情とともにまとめて手放すぞ。
死への恐怖も手放す。
死については、別の記事で書こうと思っているのでここでは詳述しないが、
誰も死んだことがないのに、他人や動物が動かなくなったのを見て(それすら実見する機会は少ない)、
こうなったら終わりだ、無感覚になってしまうのだ、無だ、と決め込んで怯えているのである。
仮に無感覚になるのだとしても、だからなに? 無感覚なんだから痛くも苦しくもなく、熟睡しているようなものである。
生まれる前だって無感覚っていうか意識がないでしょ。
そんなのべつに怖くないじゃん。
ワク4の私は退路を断たれている。3次元には戻れない。一路アセンションするしかないんだよ。
このキレキレ感のすごさ、わかるかい?

で、億、兆のお金を動かす巨人たちも、
「みんな」がインストールしている思考プログラムをアンインストールしてセルフヴァースの創造主になった人は
誘導できない。
行動履歴、脳、細胞、遺伝子のふるまいを追うことができたとしても、直感で動いている人間の「次」は予測できないので、
データを集めても、ビッグデータを参照しても役に立たないのである。
たまたま「あなたへのお勧め」に挙がっている商品をポチることはあるかもしれないけど、
その人はお勧めリストを見ていない。
自然科学的にはほとんど起きえないはずのことを当たり前に使っているかもしれないし、
余人にはまったくその楽しさがわからない活動で独り充足しているかもしれない。
マーケティングが利かないので、こういう人のデータを集めてもムダなのである。
しかし少数だし、影響力も仲間内止まりだし、追跡してもコストがかかるわりに益がないので、
彼らは変人のことはスルーしていく。
つまり棲み分けが成立する。

ワク4の私のマインドからは、老後に備えるとか、明日の一日を今日と大差なく過ごせるように準備するとかの
思考の癖がとれていく。たぶん、ワクゼロの私よりも鮮やかに。
結果的に備えや準備になることはあるかもしれないが、マインドはもう備えや準備といった発想角度ではない。
私の場合は、ワクゼロでもワク4でも生活のしかたはほぼ変わらないだろうけど、密度はワク4のほうが濃くなるだろう。
「やり残したことがないようにする」というのはまだ寿命幻想にもとづいている考えで、
私の場合はやりたいことリストもやり残しリストもつくったことはない。
けど、そういえばアレやっとこう、という案件をもし思い出したら、まず想像の世界で仕上げておく。
五感の世界は、想像の世界で完成させたことに引っ張られて動いていくので。

ことワクチン接種に限らず、やばい、まずい、と思われる状況には、
やばい、まずいと思われるからには、その裏に必ずチャンスがある。

やばければやばいほど、チャンスは大きい。
それまでの思考ではまったく見えなかった何か、抜け道、ショートカット、飛び級的展開。
統合ワークや自分回帰ワークをやりつけた人なら、このポジ反転は自然に起きるから、経験的にわかると思う。
で、事後に、災難を装ったあの出来事はこのためだったのか! と感心する。
しかし便宜上、ここでは統合や自分回帰のことは抜きにして、アンドロメダ周波数的なジカ反転で説明します。
-30が+30に転じる反転を起こすには、
-30のやばい、まずい、怖い、やらかした、どうなっちゃうの、等々を抑えたりごまかしたりしてはだめ。
すでにキャッチした感覚(波動)にフタをすると偽ポジティブシンキングや偽引き寄せになって、
偽ポジや偽引きは建前(願望)と本音(フタをしたネガティブな予想、不安。こっちが強い)に分裂するから、うまくいかない。
この萎縮感覚、急落感覚、ギュッと凍りつく感覚、それらの振動数をしっかり感じて、
そこに、心の記憶庫にある「チャンス!」「おもしろくなってきた!」「シンクロニシティ!」の感覚をもってきます。

難関の試験に合格したとき、
絶対に手遅れなはずの期限、刻限に間に合って、心のなかで「やればできる!」と叫んだとき、
勉強や仕事や家事や人間関係の難題に光が射し、コレで解けるとわかったとき、
まさかまさかのチケットの当選、
吹奏楽コンクールでゴールド金賞、キャーーー!!! などなど、ネタはなんでもかまいません。
固まって取れなくなったはずの排水口のフタがはずれたぜイェイ、といった小さなことでも全然けっこう。
どころかまっ赤な他人の経験、漫画やドラマの場面、デッチアゲでも使えます。
重要なのはネタの内容や大小や出所ではなく、その感覚、振動数です。
これを、萎縮、急落、凍りつき振動数に接続します。
と、萎縮、急落、凍りつきは、「30」という程度はそのままで、符号だけが「-」から「+」に反転するんですよ。
萎縮、急落、凍りつきの振動数は、ゾクゾク、あふれる、扉が開く、といったようなポジの振動数になります。
そうすると、同じ状況の裏にあるポジ面が見え、むしろギフトになります。

2月18日(土)

上述「反転法」で接続のときアファメーション的に言葉を使う場合には、
 ○ 「チャンス!」「おもしろくなってきた!」「ここからよくなる!」
 △ 「これには何か意味がある」「これには何か理由がある」
 × 「これも学びだ」「これでカルマが落ちた、消えた」

○が推奨、×がやめたほうがいいフレーズ、△は場合によりけりです。
ガイドやハイヤーの牽引(頭頂部を上に引っ張られる感じなど)を感じるときは、
△のフレーズで想定外リーチの大きな新境地が開けることもあります。
×のフレーズは、人によってはすっきりするかもしれませんが、
「今の状況を巻き込んで次を創造する」というダイナミズムのない点が残念ポイント。
でもリクツはどうでもよく、直感的に「これ!」と浮かんだワードやフレーズを使うとよいです。

反転法(天の川用語で「座標反転」、アンドロメダ語で「ベクトル返し」)は、
地球の日常生活でいうと、悲惨な映像にポジティブなBGMを被せるイメージです。
3次元ではBGMを替えたからといって映像は変わりませんが、
汎次元では映像がBGMの振動数、周波数に引っ張られて変わっていきます。
悲惨な軌道からはずれてポジティブな軌道に飛ぶので。
  1. 2023/02/16(木) 13:13:43|
  2. デムパなメソッド
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
次のページ

プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
いただいたコメントはすべて拝読しておりますが、原則としてレスはつけません。

出版案内1

電子書籍をつくったり読んだりできるサイト「パブー」とアマゾン(キンドル)で『サウンド・オブ・ウインド』という本を出版しています。パブーの紹介ページ(下記URL)では、右上にある「みけ」という著者名を押すと、拙著の一覧を表示するページに飛びます。

https://puboo.jp/book/133117 ブログ用表紙             キンドル版はこちら

出版案内2

電子書籍サイトのパブーで2013年に刊行、17年に改訂した『Starry Souls』を新パブーのエディタで編集し直し、内容も改めました(大筋は旧版と同じです)。22年3月よりアマゾンのキンドルでも販売。

https://puboo.jp/book/76592 ブログ用Starry Souls表紙             キンドル版はこちら

出版案内3

2016年に紙の本として刊行した『トランジット』を、2022年9月にパブーで電子書籍にしました。内容は一部改稿しています。

https://puboo.jp/book/134118 トランジット表紙jpg変換             キンドル版はこちら

最新記事

カテゴリ

三毛猫亭日乗 (42)
社説 (29)
ひみつの閉架書庫 (87)
デムパ話 (27)
超デムパ話 (9)
新世界への回帰 (128)
アセンションについて (23)
実現のメタフィジクス (29)
仮想集合システム (31)
コミットメント (14)
次元上昇 (79)
平面世界(4次元) (12)
デムパなメソッド (43)
ナチュラルトランス (14)
ナチュラルトランサーの特徴 (1)
フィロソフィア(愛知) (33)
この女(ひと)を見よ (8)
不思議なお店 (8)
RTLF (2)
未分類 (24)
ブログをご覧になる方へ (1)
音楽 (11)

最新コメント

ぞろ目が出るかな?

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: