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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

欲求を「意図」にする

2021.4.7(水)

ハーイ、ミルコメダ部(笑)からのお知らせです。引き寄せ技のシェアだよ。
統覚視点まで下がって、マインドにある自分に合わない感覚(周波数)をゼロポに還す、手放す、
これがある程度まで進んで、問題を作出して悩むパタンが終わった人向けです。

①床に足を組んで座るか、椅子に座るかします。
「自分」意識が統覚視点まで下がっていることを確認します。

②自分が望んでいること(複数可)を声に出して言い、
頭のうえの空間に、望んだこと(複数可)がすでにかなっている世界を、光の球体として召喚します。
光球は無数にあるパラレワールドのひとつです。

③息を吸って、吐く息とともに、光球から光を降ろします。頭のてっぺんからまっすぐ降ろして、床下まで貫通させます。
次に、息を吸いながら、光を床下から汲み上げて、胸のまんなかあたりまでもってきます。
そして、胸の中央から周囲360°に、息を吐きながら光をあふれさせていきます。


何年か前に、3次元の天体としての地球にグラウンディングするのではなく、
出身星や銀河核からの光を降ろして、その光と共振する地面にグラウンディングする、という方法を
紹介したことがあります。この引き寄せテクは、それと同じ原理を使っています。
これをやると、高次とマインドですでに実現している世界と五感的な感覚の間にコヒーレンス(一貫性)ができ、
五感的な感覚ゾーンが未実現という空隙を埋めるべく動きだします。
光は何色だとか、呼吸のしかた(呼気や吸気の頂点で止める、止めないで折り返す、秒数など)、
目は開けておくのか閉じるのか半眼か、何回やればいいのか、
そういった細かいことは自分で工夫して、しっくりくるやりかたに仕上げていってください。
アレンジしてもいいです。
合わないとか関係ないと感じたらスルーしてください。
セルフアセンションでは、提示されてくるメソッド、ツールは基本的に自分用です。
公開されている情報を参考にしたり、取り入れたりすることはできますが、
誰かのやりかたに倣っていればうまくいくとか、
集団で名所を訪問、移動していくパッケージツアーみたいなのはありません。

引き寄せネタがないときは「いつもワクワクしていて楽しい」というような大枠的な指定をしてもいいし、
逆に「新幹線の通路側の席が買える」といった、みょーに細かくて具体的な内容でもかまいません。
チャネリング、ヒーリングとかのオカルト能力開発系でもいいし、
すでにとりかかっていること(アート、スポーツ、料理など)の上達を目標にするのでもいいでしょう。

五感ゾーンに光球の磁力(引き寄せ力)が働きはじめる、とは、
「(ないからこそ)欲しい」「(そうじゃないからこそ)そうなりたい」という、
カッコのなかのような欠落ベース、未到達ベースだった欲求が予定化する、
すでに仕上がっている世界に向けて動きだすということです。
これが意図するということ。
意図したことは到来します。
道を渡ろうと決めれば、「うまく渡れるだろうか」とか「時速何キロで歩けばいいか」などと考えたりせず、
ほぼ反射的に、習慣的に、左右の足、体幹、視覚など全身の感覚を使って歩いていけますが、
ちょうどそのように、高次とマインドの意図は、五感ゾーンで実現する予定に組み込まれます。
道を渡ろうと決めればサッサと渡れるのは、考えるまでもなく渡れて当たり前だから。
つまり渡った先の地点に自分がいることを許容できているからです。
ただし、これが雪道だったり、道じゃなく吊り橋を渡るとかだったりすると、
最初のうちは、渡れて当たり前マインドにはなれないかもしれません。
意図するということも、何回か繰り返して、「意図したことは到来する」と実感できれば、
到来して当たり前の許容マインドになります。
そういえば、「感覚の向こうに物質が実在する。これが本物の現実で、すべては物の法則次第だから、
意図したことがそのとおりになるとは限らない」という3次元世界の取り扱いかただって、
いろんなケースで幾度となく、さんざん練習して習得したのでした。
意図すると、実現に向けて宇宙が動きだし道が敷かれるのですが、
慣れないうちは、引き寄せ自体が信用できなかったり、
「学費を稼ぐ→勉強→資格をとる」みたいな直線思考からはずれるワクワク感にとまどったり、
ときどき、3次元では現実的とされる妄想的な情報に引っかかって現状をチェックしたときなどに、
できない、ありえない、スキルが、時間が、お金がない、ほかの人はさておき自分にはむり、
これでだめなら後がないから保険をかけておかないと、などなどのマインドがぶり返してきたりします。
そういうのを気づき次第、手放していくと、許容マインド、当たり前感が出てきます。
とにかく、ブロックが出てきたら、いちいちそれに嵌り込んで欠落感や過去の失敗記憶を味わったりせず、
「あ、これちがう」と感じた段階で統覚視点まで下がって手放していきます。
欲求を意図にすると到達度や進捗は気にならなくなるので、
あとは非3次元マインドで、その場その場でやりたいことをしたり休んだりしてればいいだけ。

「感覚の向こうに物質が実在する。これが本物の現実で、この現実は物の法則ベースの常識で決まる」
という想定にもとづく3次元の考え、3次元の感情、3次元の気分が終わっても、
誰かが修了証とか覚醒者ナンバー付きカードとかを発行してくれるわけではありません。
じゃ、どうしてそれがわかるのかというと、
マインドの通常設定がポジティブになり、「できる」「わかる」が当たり前になるからです。
3次元の「ピンチ」は非3次元の「チャンス」です。
なぜそんな能天気でいられるかというと、
高次、マインド、五感のコヒーレンス(一貫性)が回復して、
「右」「左」「ターンして」「休憩、チャージ」というようなことが直感でわかり、すぐ動きにつながるからです。
行為は、家に入るのにドアを開けるとか、電灯を点けるのにスイッチを押すみたいにスムーズで、
いちいち「行動しなくちゃ」などと考えたりしません。
どうすれば、何をしたらいいだろう、と悩み煩うことがないのでコスパもよく、
3次元では慣れっこの疲れ、ダルみもありません。
マインドが自由になるので、高次の閃きが「右」「左」「ターン」「チャージ」といったマインド語(考え、イメージ、
感情、気分など)に即変換され、
磁力(引き寄せ力)も全開になるので、マインド語は五感に即つながります。

そういう流れは、がっつり3次元をやっていたときにもあったし、3次元から非3次元への移行期間にも
ありました。すべては、ブロック(3次元世界を立ち上げている想定にもとづく考え、感情など)がはずれて、
もとに戻るだけです。
フルで3次元をやっていると、マインドは3次元をつくっている想定に囚われているので、
高次の感覚は無視しますが、
3次元をやめる(もとに戻る)と決めて、移行(回帰)しはじめると、
高次の感覚をマインド語に変換できるようになってきます。
この期に及んで、筆者の宇宙が、オカルト界では古典風味のある引き寄せを推奨してくるポイントはここ。
高次の感覚をマインドで意図にして、五感につなげて使っていく、それに慣れる練習です。
同時に、まだ残っている3次元想念を手放していく。
3次元から非3次元へと移行(回帰)するさいには、
外(想定した物質世界)に反応して働きかけるパタンに慣れているので、
ああ、このパタンに沿って考えてるから「問題」が起きていると見えるんだな、というふうに、
自分と合わないマインド感覚に気づくことや、それを手放すことには、わりと抵抗がありません。
が、高次の感覚にはまだ疑いやビビりがあって、
せっかくマインド語になっても、「ないわ」「インチキくさ」「気のせい」とかって、
スルーないし保留してしまうことがある。
それをアクティベートするのです。
もちろん、「マインドの現実」で完結すること、何度も聴いた曲がまるで初めて聴く音のようだったとか、
本を読んでいたら文章とは関係なく未知の風景が浮かんできたとかいうこともありますが、
そういう感性的な広がりや深まりは、五感全体のポジ化に波及します。

非3次元優勢になると、意図すること、予定化することは、非常に重要な意味をもつようになります。
物質を想定していた3次元では、最終的な実現の鍵を握っているのは、物質環境に働きかける行為であり、
さあ行為に踏み切るぞ、という思考である「行動」でした(行動は行為ではなく、行為をめぐる思考です)。
たとえば、企画書を作成して売り込みをかけるとか、当たって砕けたら学習して再起するとか、
さあ断捨離だ、どっこいしょ、と立ち上がって整理整頓をはじめるとか、そういうやつ。
でも非3次元では、磁力(引き寄せ力)を停止させていた「物質という想定」がなくなるので、
高次からマインド、五感へと具体化していくプロセスは、まんなかのマインドのところでほぼ固まります。
五感の動きである行為は意識しないくらい軽く速くなるので、ここで問題が起きることはありません。
行為が軽く速くなるのは、五感“像”は自分の感じかたそのものであって、物ではないからです。
つまり、「五感の現実」は意図することでほぼ決定します。
オカルト巷間でいわれている「風の時代」とはそういうことなのでした。
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  1. 2021/04/07(水) 15:47:51|
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人間磁石化計画

2021.2.7(日)

意図的な引き寄せが楽しくて、何度も使っていると、どんどん波動が上がって、
ついには人間磁石になるという。
逆に、自分に合わない周波数(違和感を覚える感覚)を、見つけ次第、手放していくと、
高次の感覚がマインドで、マインドの感覚が五感で実現するようになり、
やっぱり人間磁石になるという。

バシャール本舗の「(そのときどき)ワクワクすることをしよう」は、
欲しい、なりたいというゴールよりも方向にウエイトを置いたやりかたで、
これもそのつどワクワクする方向へと舵を切っていると、波動が上がって、ついには人間磁石になる。

アセンション、覚醒、非3次元化、自分軸宇宙へのに回帰、どれも同じことを言っているのだけども、
煎じ詰めれば人間磁石になるということなんだな。

引き寄せの法則、the law of attractionのattractionとは引きつける力、引力、磁力のことです。
この引力、磁力は、統覚意識「私」の認識に拠っており、
「自分の感じたことが実現する(認識がそのまま存在である。認識=存在または創造)」のだから、
いつでもどこでも作用している。
「自分が思ってることと現実は別。究極、現実は物質でできてるし、物質が組み合わさった環境だし、
それって自分の考えとか気持ちとかでどうにかなるもんじゃない」
「そもそも自分っていう統覚意識だって、身体のしくみ、脳のしくみからできる、生理学ベースの心理現象
でしょう。そういう脳になるのは、DNAとかアミノ酸とかの作用によるんで、おおもとは物質なんだよ」
「“必ずできる”“なんとでもなる”って思い込めば、ネガティブな記憶や情報から解放されるから、
今までとはちがう発想ができるようになったり、行動しやすくなるけど、
それって現実への対応力が上がるってことで、現実が物質であることには変わりないわけで、
物理学や化学の法則を超えられるわけじゃないよ」
「セロトニンとかエンドルフィンとか、そういうシルの分泌具合が変わるだけ」
「量子力学って電子とか素粒子とかのミクロの世界の力学だから、生活には関係ない。
クォンタムジャンプとかワープとかないない、アニメじゃなんだから」
・・・というように、先ず認識の対象があるからこそ認識できる(そこに物があるから感覚器官で感じ、
脳で情報処理して認識できる)、認識が何かをつくりだすなどということはない(認識≠存在)、
と想定していれば、そのとおりの、思いや気持ちでは現実は動かせない世界を出力します。
実際には、自分の五感的な感覚の向こうに物質なりエネルギーなりの何か(客体X)が存在すると
証明できる人は誰ひとりおらず、
不特定多数の誰かが客体Xとしてそこかしこに実在すると証明することもできません。
確実なのは、自分が色とか音とか味とかの感覚を感じているということだけ。
しかし逆にそれらの感覚の向こうには何もないと証明することもできません。
これは科学が発達すればいずれ決着するという問題ではなく、原理的に証明できないことです。
したがって、客体Xは「ある」としても「ない」としてもよく、
「ある」と想定すれば3次元、「ない」と想定すれば非3次元の世界が出力されます。
もっとも、どちらを選んでいるかは、
全思考、全行動を「ある」前提で組み立てているか、「ない」前提で組み立てているかという習慣によって
決まってくるので、家庭や学校で座学的に教わるわけではありません。
ともかく、3次元では、「思いや気持ちは(物質としての)現実を動かさない」つまり「引き寄せはない」と
想定していて、それが当たり前だと確信されているので、そのとおりに実現している、
引き寄せが利かない世界を引き寄せているのでした。

人間磁石化のポイントは、3次元を出力している「attraction(磁力)利かない設定」をはずすことで、
方法は意図的引き寄せでもワクワクでも自分じゃない周波数(感覚)の手放しでもいい。
修行、千本ノック、極限状況へのバンジージャンプでもはずれると思います。
ほかにもあるかもしれません。
習慣になっている現状維持志向を振り切れることならなんでもいい。
現状維持志向とは、心配、不安、警戒として現れる「3次元への関心」の総称です。
自分のやりたい方法、楽しい、乗れる、しっくりくる方法でやればいいし、
複数のやりかたを組み合わせても、アレンジしてもいい。
たぶん、いろいろやってるうちに、自分なりの、セルフアセンションプログラムができていくんではないか。

ワクワクとか引き寄せとか、まだ3次元人間のうちに抱く欲求をテコにして波動を上げることを繰り返し、
非3次元意識に慣れさせていくやりかたについては、
3次元時空の世間一般では通時的に冷笑されており、まともに扱われていないので問題はありませんが、
むしろ精神世界的なことに関心をもつ人たちの間で、
自己中心的だとか、自分さえよければいいのか、といった意見が、
前世紀のニューエイジブームのころ(1980~90年代)にはあったように思います。
もしかすると今でもあるかもしれません。
結局、3次元時空での自己実現をめざしているだけではないか、とか、
身体や心に限定された「私」(オカルト界一般でいうところの「エゴ」)を助長する、とか、
お金とか適職とかパートナーとか、引き寄せで設定するゴールがむしろ3次元ど嵌り志向ではないか、とか、
深みも広がりもなく、「3つコードを押さえられればこれだけの曲が弾けます」的な初心者臭がする、
といった意見もあるみたいです。
私自身にはそうした疑念、批判は全然なく、
やりたければやればいいし、自分だってやりたければやるよ、と思っています。
瞑想したり、何かの拍子にふと無限至福感的たっかい感覚が射してきて、
えも言われぬところに連れてかれてしまうと、え、これがあればいいじゃんあとどうでもいいじゃん何もいらん、
という気になるので、引き寄せ?wwプッ、というのもわからなくはない、ですが、
これって端的に方法の問題で、自重筋トレにするか器具やマシンを使うかのちがいみたいなもので、
どれが本物とか優劣とかないんです。
でも、こうした自分版の匿名オカルト掲示板がざわざわと小地味にうるさくてうっとうしい、
とすれば、自分のマインドに、自分と異なる意見に対して論駁しようという3次元了見がまだあるということ。
心のなかでごちゃごちゃ論駁するというのは自作自演の他人軸が稼動しているのであり、
腑に落ちなければフルシカトすればよいわけです。
というわけで、ざわざわしてるやつはこないだ全部ゼロポイントフィールドに還しました。

何度か書いてることですけど、拙文を読んでなんじゃこの珍講釈は、けしからん、と思われたら、
その憤激をこそゼロポに還されることをお勧めします。すればユーの波動は上がります。

自分と合わない周波数(感覚)を手放すことができるようになってから意図的な引き寄せをやってみると、
かなりおもしろいです。
というのは、何か引き寄せたいターゲットを設定すると、
ありえないとか、だって前に一度やったけどだめだったし、とか、
こんな願望はダサいとかバカっぽいとか、いいトシの大人が考えることじゃないとか、
自己承認欲求まるだしで恥ずかしいとか、こんな自分は嫌いだとか、
職場の人や家族への配慮に欠けた単なるわがままなんじゃないかとか、
自分ひとりでどうにかできることじゃないとか、
自分が本当に望んでることなのかどうか微妙だとか、
実現確率を下げている「波動サゲ要因」がはっきりくっきりクリアに、どんどん出てくるからです。
意図したとたんに気分が重くなったとか、
イメージしたらテンション下がったとか、紙に書いてみたらウンザリしたとか、
動画で見たテクニックを試してみてたちまちめんどうくさくなったとか、
気持ちが翳る、重たくなる方向に振れるので、波動が下がるのは速攻わかります。
そしたらそのサゲ感覚をまとめてゼロポに還す、手放す。
そうして波動が上がってすっきりしたところで、継続したければそのまま設定しておけばいいし、
路線変更したくなったら変えればいいし、興味がなくなったらやめればいい。
もちろん、とくに引き寄せたいことがなければやらなくていいんだけど、
もしやりたいことがない、自分が何を望んでいるのかわからないということでヘコむんだったら、
そのヘコみを還せばいいです。

これは本願ではなくて、本願をかなえるにはこれが必要だと思い込んでいる条件(たとえばお金)
ではないか、執着があるんじゃないか、ただの自己承認欲求じゃないか、
みたいなことにとらわれず、
最初は深く考えないほうがいいです。
ごちゃごちゃしたことは手放しネタとしてあとでどんどん出てくるので。

ゼロポ還し、手放しによって3次元をはずしていくやりかたは、ある程度進むと、
たしかに問題はない、イレギュラーなことが起きても自分が「問題」ととらえなければ勝手に解決していく、
けどドライブ感がない、飽きてきたぞ、みたいになることがあります。
平穏無事だけど、とくにわくわくしたりときめいたりすることってないなぁ、みたいな。
この静かな±0感は一見中立ですが、非3次元基準ではまだまだネガティブです。
うっすらマンネリが蔓延していて、でも一方ではここから落ちたくないという現状キープマインドもある。
マンネリ感に気がついたら、その感じ(周波数)をゼロポに還せばいいのですが、
もしそのときに、あっ、これいいな、という引き寄せネタに出合ったり、ふと思いついたりしたら、
アクセルを踏み込む感じで意図的引き寄せを実行してみるのもひとつの方法です。
まだこんなのが残ってたのか、という驚きの自縛記憶、ベタな常識縛りがざくざく出てきます。

私の場合、「ハイB(ベー)を越えて『宝島』のDへ」(←何の暗号?)を設定。
いやあああムリムリムリ絶対ない! と否定感満載だったのが、
時間がかかるだの、素質がどうの体力がどうのといった観念をはずしたら、
ここ一週間くらいでひょっとすると・・・という感触が出てきましたよ♪
暗号がわかる方のなかには、
「あらやだ、なんて慎ましい目標なの。あたしだったら速射砲タンギングも込みで3オクターブ半自由自在、
すべてを手に入れるわ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
私はよろず「ここをこうしたらできた」ってのをいちいちたしかめたい、のったり亀人間なんで、
とりあえずこれで行ってみます。
あ、「今更こんなことやって何になるの一文の得にもならないし」ってのもはずしましたね。
  1. 2021/02/07(日) 13:37:55|
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おやすみタイムの活用

2020.12.20(日)

どうも寝ている間がもったいないので(笑)、
「眠りと夢とを通して、
3次元という制限と“私”ではない周波数をすべてゼロポイントフィールドに還してください」
と、寝る前にハイヤーセルフにお願いしている。
ハイヤーセルフって、高次の精妙な感覚ゾーンの自分軸(感じ手かつ創造者)で、
自分と別に存在する高尚で立派な私のことじゃないから、
「~還します」というアファメーションでもいいと思う。
これをはじめたのって、今年の夏くらいからだったかな?
それに加えて、一週間くらい前から、
目を閉じたまま、地面のイメージを異界に変え(私の場合はとある惑星)、
さらにそこから、「**(惑星の名前)から光の磁場へ」と心のなかで唱えて、
光の磁場に仰向けに寝たまま入眠することにしている。
朝、目覚めたときには、いきなりパチッと目を開けないで、
やはり異界の地面をイメージして、そこから光の磁場に飛んで起床する。
この就寝・起床時のマインド感覚ワークはすごくいい。
「私」が身体でも身体にもとづく心でもない、ただの統覚視点ないし高次、マインド、五感の統覚軸に
戻るのを促進してくれて、非3次元のリアリティが増し増し、3次元がぐんぐん遠くなっていく。
「スピリチュアルマッスル」という表現があるけど、「自分(統覚視点)マッスル」が強化されていく感じ。
しかし効果がどうのこうの以前に入眠と目覚めが快適です。

私は寝る前には15~20分くらい瞑想しているので、
眠る態勢になってからネガティブな思考やら感情やらの反芻に襲われることはないのですが、
目覚めてしばらくぼんやりしているときの波動が低い、つまりネガティブな気分に陥りやすい
という問題がありました。
3次元科学でいうところのシータ波状態は、
人によっては高次の感覚を感じやすくなったり、発想が柔軟になったりするみたいですが、
私はあのトロンとしたシータ波状態が苦手で、
むかしの職場での諍いとか、まったく楽しくない殺伐とした仕事の情景とか、
本で知ったり、映像やニュースで見た嫌な光景など、いずれにしろロクでもないイメージが、
順不同で脈絡なく再生されてきがちだったのでした。
でも、惑星**や光の磁場に飛ぶようにしたら、こういうズルズル波動下落はなくなったのだ☆イェイ

「光の磁場」という言葉はこれ、関野あやこさんのセミナー動画からの借用です。
関野さんが提唱されたオリジナル用語なのかどうかは知らないけど、
私は関野さんの動画を拝見して知りました。
最初のうちは何のことやらとんとわかりませんでしたが、
私は何につけ全体的に納得できていれば細かいことは気にしないので、
ふうん、そんなもん、ととらえて、動画を見ているときは誘導されるままに適当にイメージしていました。
と、あるとき、自分なりの覚醒ワーク(統覚視点に戻るワーク)をやっていたときに、
目の前に光の磁場の感覚が開けて、あーこれがそうなのか、とわかったんだよね。
で、いきなり光の磁場に飛べなくても、
自分にとって居心地のいい環境(私の場合は惑星**)を描けば、
そこが光の磁場につながっているという発見がありました。
私の場合、惑星**と光の磁場が二重映しになることもあるし、
光の磁場だけになって、そこから惑星**に戻ってくることもあります。
光の磁場とか、そこにつながる居心地のいい環境の感覚がわかると、
統覚視点あるいは統覚軸だけの自分に戻るのがめっちゃ楽です。ていうか自ずとそうなっちゃう。
そこに現れている光景は全部、自分が感じて創り出している(認識即創造)と直覚でき、
3次元のお約束だった「外部(客体)」という想定がないから。
実感的にいうと、環境と相思相愛で、対処しないといけない、備えておかないといけない「何か」がある
という感覚がフル消失しているから。
この「何か」というのが、想定されていた外部(客体)です。
で、内側というのは、上述のような外側を想定したときに「外側ではない側」として自動想定されるので、
内側もありません。
3次元だと客観と主観が分かれていて、ときに対立する、それが当たり前なのですが、
客観がない以上、主観もないのです。すがすがしー。

「磁場」とは、感じ手であり創り手である自分(認識即創造の主体)を、特定の傾き、
つまり特徴とか個性へと誘引する誘導力(磁性)を帯びた場のことです。
誘導力(磁性)とは、その傾き、角度をつくる力ないし性質のことで、
「私」の認識によって認識の対象が創造されるとき、認識作用が特定の方角へ向かうよう促します。
風変わりな生物学者ルパート・シェルドレイクが提唱した形態場(ある形態に特徴的な構造や
行動パターンを組織化する場)のようなもので、
磁性が働く磁場によって、「私」が認識し創造する感覚像には特定の統一的な個性ができます。
文系的にいうと、磁性(誘導力)はドラマやアニメなどの作品世界を成立させる設定やお約束のようなもの
といっていいかもしれません。
たとえば、『ドラえもん』に出てくる空き地とか、わかりやすいガキ大将とか、
『サザエさん』の磯野フネ(設定年齢48歳!?)がたいてい着物と割烹着姿であることとか、
ライトノベルで登場人物の心理描写が改行なしに延々何十行もつづくことはないとか、
落語に高学歴の与太郎は出てこないとか、
演目の選択や内容にも影響する宝塚歌劇団の「すみれコード」とか、
ホラー映画で「このまま黙って死ぬつもりか? 俺は戦うぜ!」と息巻くマッチョな人物は、
早々にモンスターの餌食になってしまう、とかとか。
そんなふうに、特定の世界が統一的なまとまりをもって見られる、読まれるために、
言わずもがなで織り込まれている不文律が磁性です。
そういえばオカルトとは(きっと)無縁な蓮實重彦氏も、
文芸作品や映画を牽引する物語を批評するのに「説話論的磁場」という言葉を使っておられました。
私の憶えている限り「説話論磁場とは何か」という説明は抜きだったような。
「コード(規則)」よりも微妙で、面的な広がりをもつ空気圏みたいなことが言いたいのかなぁ、
と思っていたのだけど、「磁場」と言ってしまうとユングの「元型」と同じフォルダに入ってオカルティックに
なるなぁ、という気がしてました。

要するに磁場とは、何らかの個性、特徴をもつ、ひとつの完結した世界をつくるフィールドです。
非五感的な、マインド感覚で描かれる惑星**も、統一的な個性をもった世界であり、
惑星**的な磁場をもっています。
3次元の世界は、「認識と存在が分離している(存在は認識の有無やしかたとは関係なく、
それ独自の法則をもって実在する。存在は一般的には物質のこと)」というお約束のもとで
成り立っており、これもそういう磁性(お約束)をもった磁場のうえに展開する世界です。
3次元をつくっているのは「それ独自の法則をもつ存在(客体)が連続的に広がり、変化していく
(客体‐空間‐時間思考システム)」という観念ですが、これは言葉で言い表したときの表現で、
この観念は、実際には言語を習得するはるか以前に、感覚的、感性的に会得されていくので、
この観念を会得し、自明になっていくプロセスに言及するときには、
「認識と存在は別という磁性が働く磁場に降りた」と考えるとしっくりくると思います。
何らかの感覚つまり認識が宇宙を創るというのは、言葉で理解して実行するのではなく、
実際には運動神経的、技芸の勘所的なことなのですから。

じゃ「光の磁場」って何なのか。
これは、マインドの感覚(イメージ情景など)や五感的な感覚として具体化する世界の磁場を
すべてシード(種)として内包している、いわば磁場の磁場、
高次の統覚軸であるハイヤーセルフが認識即創造している世界の「地面」です。

これを感じるには、私の場合、「光の磁場へ」と心のなかで、もしくは発声して唱えるのですが、
最初のうちは居心地のいい空間(惑星**)に飛んでから唱えていました。
関野さん動画の誘導フレーズ、「東西南北に広がるなんとかかんとか~」というのを使ってもいいと思う。
「光の磁場」という用語がしっくりこないなら、
自分で造語するとか、図形や数字などの表象を使ってもいいでしょう。

光の磁場は、イメージ空間の地面ですが、自分の認識即創造対象として、
思考や感情やイメージ情景などの非五感的マインド感覚のように、
またそれより強い感触や温度感覚や色や形、音などの五感的な感覚のように、
感覚像としてその場に出現します。
私の場合、筋肉や関節が緩む、体幹が前後に揺れるといったふうに、五感レベルへも伝播します。
で、これはいわく言いがたいのですが、
身体の「中身」が抜けていく、身体に「中身がある」という感じがなくなって、
電磁気体的な集まりがそこにあるだけ、
その集まりが、感覚(周波数)を変えながら床とか壁、窓などの光景になっている、という感じになる。
感覚すなわち波動の広がり、響きが直覚できます。
光の磁場に立っても、マインドの感覚や五感的な感覚と切り離されるわけではありません。
生活動作や会話には何の支障もないし、用事の手順も、読んだ本のあらすじも憶えています。
これはどういうことかというと、
光の磁場に立つと自動的にグラウンディングできてしまうということです。
さらに、統覚軸化した自分に合わない感覚(周波数)がマインドの感覚帯域にあれば、
白い碁石の集まりのなかに黒い碁石が混じっているみたいに変だと一発でわかるので、
ゼロポイントフィールドに還すのもたやすい。
なお、感覚(周波数)のひずみは必ずマインドで生じます。3次元世界を立ち上げる観念も、
その観念にもとづく<反応>という転倒(※)もマインドでできあがるからです。
※「存在(物質)に反応して物理感覚が、物理感覚に反応して思考や感情などが生じる」という考えかた。
認識が認識対象を創造するのではなく、認識対象(認識から独立した存在)から認識が生じる、というように転倒している。
<反応>という考えかたが自明なくらい習慣化していると、何かあるつど存在(物質)に遡って問題解決を図ることになり、
「認識と存在は別(認識≠存在)」という3次元の想定枠から出られない。


というわけで、覚醒して非3次元人間になると決めている方には、
3次元に着地するのではなく、光の磁場からのオートグラウンディングを推奨します。
  1. 2020/12/20(日) 16:01:01|
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「(3次元の)現実に対処する」習慣を波にして還す

2020.11.25(水)

前回、2020.11.16(月)の記事で、
オカルト語でディセンション(次元下降)とかアセンション(次元上昇)と呼ばれているプロセスが
じつのところ何なのか、できうる限り簡潔に、E=mc2的に切り詰めて表現してみました。

 認識=存在(または創造) → 認識≠存在 → 認識=存在(または創造)

最初の矢印がディセンション(下降)、二番目の矢印がアセンション(上昇)です。
どこへ下降し、どこから上昇するのかというと、それは3次元で、
「認識≠存在」が3次元、「認識=存在(または創造)」が非3次元の世界です。

認識=存在(または創造)とは、
認識つまり感じた感覚がそのまま即実現していること、
認識とその対象である存在が切り離されていない状態です。
感じた感覚がそのまま実現状態だということです。
感じることは即その実現状態を創りだすことでもあるので、「認識=創造」でもあります。
感じられる感覚は、色形、音などの五感的な感覚だけではなく、
非五感的だけども自覚しやすいマインドの感覚(思考、感情、気分など)、
非五感的でマインドの感覚より精妙な高次の感覚(直感、直知、ゾーン感覚など)も
同様に感覚であり認識です。
感覚を感じているのは(感じ手)、「私」という一人称意識です。
この一人称意識が、一個の視点(統覚視点)で感じた感覚が、そのまま実現された状態です。
直感や直知、思考や感情、色や形などは、
統覚視点を中心とするパースペクティブ(透視図法で描かれた展望図のような相)になります。

認識≠存在とは、
認識とその対象を切り離し(「=」ではなく「≠」とする)、
対象は認識の有無とは関係なく、それ固有の原理や法則をもって存在するということです。
つまり認識に先立ってその対象(客体)が存在すると想定し、
認識を存在の一部(身体)の機能ととらえることです。
客体Xは一般的には物、物質ですが、Xを霊とかエネルギーなどとしても同じです。
わかりやすくいうと、自分が感じていようがいまいがずっと物はある、
物からの刺激によって何らかの物理感覚、ひいては思考や感情が生じる、
「自分」という意識も物(身体)から派生している、ということ。
したがって、宇宙のありようは認識ではなくその対象側(客体)が決めており、
宇宙の動因はその対象側(客体)の原理や法則です。
認識は客体世界全体に対する一部の客体(身体)の<反応>にすぎず、
何かを認識するつど、客体世界を部分的に知ることはできても、創造する能力はありません。
つまり、究極の現実は物であり、
自分の感じかたとは関係なく現実は動いていく、
だから自分がどう感じようが、ともかく物でできた世界の実状を把握し、
物の原理や法則、それにもとづく一般常識を知らなければなりません。
物理や化学などの勉強をしたり、自然科学を基礎としつつ社会のしくみを勉強したり、
メディアや人から情報を集めたり。
そうしないと自分の感じかたとは無関係な現実の動きを読みそこなって、
現実に属している自分のメンテナンスができなくなってしまいます。
「現実に属している自分」とは、物(客体)である身体と、
皮膚の外側の物世界への<反応>として生じる自意識や主観のことです。
「メンテナンス」とは、一般的にいう「生活」で、
心身を健康に保つためにその資源(衣食住)を整える、
資源は集団(社会)への寄与の対価としてもたらされるのだから、
自分と直接かかわる人との関係を良好にすることを通じて、
集団とのつながりを大切にする、といったことになるでしょう。

「=」の世界(非3次元)は、一人称意識の感じた感覚が感じたように現れている、それだけで、
感覚の向こう側に物とかエネルギーとかはありません。単純です。
「≠」の世界(3次元)は、感じる感覚(認識)とその対象(物)が別々で、
むしろ対象(物)が先立って存在し、対象(物)への<反応>として認識が成り立っている
(外界からの刺激に身体が反応して物理感覚が生じ、物理感覚への反応から思考や感情などが
生じる)、
なので対象(物)についてたくさん勉強し、情報収集しなければなりません。
「≠」の世界が複雑なのは、認識の対象が認識と関係なく独自の原理や法則で動いているからです。
そして「=」も「≠」も、高次や五感ではなくマインドで、
思考や感情や気分をつくるメタ思考(観念)として想定されています。
両者のちがいは、マインドがどちらを採用しているかのちがいです。
ですから、覚醒、アセンションは心あるいは内側で起きる、
心(内側)が変われば現実が変わる、というのは本当なのですが、
その肝心の心で「認識≠存在」と想定していると、
まさに想定したとおり、複雑でめんどうくさくてしんどい「≠」の現実がつづいていきます。

しかし、E=mc2が物理現象を説明する公式にすぎないように、
「認識=存在(または創造)」「認識≠存在」も、
非五感的だけど自覚しやすいマインドの感覚現象のおおもとの想定を言葉で表したものにすぎず、
実際には、モヤモヤとかザワザワとかハッとかウィーンとかグワン、みたいに、
マインドの感覚(思考、感情、気分など)は、非五感的で自覚しやすい現象として動いています。
言葉になったりイメージ情景になるのはそのほんの一部、
しかも言葉や情景と実態がズレていることもあります。
マインドの現象の大部分は習慣によって決定づけられていて、
自動的にモヤっとした思考、ザワっとした気持ちが生じるようになっています。
いわば、モヤとかザワなどの動きのほぼ全部が「癖」なのです。
「習慣」や「癖」を「潜在意識」と言い換えてもいいです。
私は個人的に、「潜在意識を書き換える」みたいな表現だと何かたいへんな気がしてしまい、
ハードルが高くなるので、「習慣」「癖」といった表現をしていますが。
統覚視点に戻るワークとか、統合ワークなどは、この「癖」をリセットすると同時に「=」に戻していく、
いわば「脱“≠(3次元)”依存セラピー」みたいな方法なので、
1、2回やればすむというものではなく、スポーツとか音楽とか身体技能系の技術の練習みたいに、
何回も何回も繰り返す必要があるわけです。
どんな技能でも練習すれば上手くなるように、繰り返すうちに「=」のほうに習慣が変わっていくし、
自分なりのアレンジ、ショートカットなどもわかってきます。

以下、私が先日気がついたショートカットメソッドを紹介しておきます。

一週間くらい前、私は、一日の行動を支えている意思に敏感になっているときがあって、
起きてから寝るまで、一挙手一投足、全行為の裏にある意思が感じられていました。
たぶん、ヴィパッサナー瞑想をしている状態にあったと思われますが、
私はヴィパッサナー瞑想をやったことはありませんし、意図してこの状態をめざしたのではありません。
椅子から立とうとすると、その直前に「立とう」という感じがあるとわかり、
「立とう」という感じの少し先に、立ったあとに「(これこれのことを)しよう」という感じがあるとわかります。
「~しよう」は直近の意思である「立とう」よりも薄めで靄っています。
万事この調子で、
目を右上に動かす、電気のスイッチを押す、身体の向きを変える、左足をスリッパに入れる、
食器棚からゴミ箱に視線を移す、等々、何をするにしても、じっとしていても、
「意思」と呼ばれている「感じ」が隆起したり、靄ったり、心のなかのつぶやきや記憶とつながって、
そのつぶやきや記憶の「成分」が混じったり、
そうやって一日じゅう、ウネウネウネと動いているわけだ。
この「意思」の「感じ」の強度がもっと上がると「欲求」と呼んだほうがいい「感じ」に変わります。
「意思」から「欲求」に、「周波数(感じ)」が変わるわけです。
速度や滞留時間は「感じ」によってちがいます。

こういう「意思」ないし「欲求」の「感じ」には、ほとんど、その90%以上に、
自分に向かってくる、迫ってくるような方向性がある、反作用みたいな抵抗をともなっています。
自分の身体が1ミリ大くらいになって、大きな箱をよっこいしょと押して動かそうとしているような、
ひとつひとつは微細なのですが、ひとつひとつにそういう抵抗があるのです。
なので、印象としては「重たい」。
これが習慣化した対処思考の正体だったのです。

微視的に見ると、まず自分に向かってくる、迫ってくるようなマインドの感覚(感じ)があって、
これが認識と切り離した存在(物)の動きです。
認識と無関係な存在(物)は想定で、この動きだって想定なのですが、
認識と分離した存在(物)にはそれ独自の原理、法則があって、
放っておくとどんどん操縦できなくなっていく、
最悪、自意識や主観の土台である身体(認識と分離した存在の一部)まで侵蝕してくるぞ、
というシナリオになっている。
だから認識と分離した存在(物)というのは、存在(身体)に取り込まれてその機能になった
(身体にもとづく自意識や主観になった)自分にとって仮想敵のようなものです。
この仮想敵(物)への危機感、恐れが起動し、
次いで、なんとか調停したり克服したりしようとする「意思」が立ち上がる。
「意思」は、「だるい」とか「めんどくさい」といった別の「感じ」が勝って放置されると、
ボリュームを上げて「欲求」になります。
とどのつまり、「意思」とか「欲求」は、
認識と分離した存在(物)に対する危機感や恐れにもとづくリアクションなのでした。
仮にマインドを調べる顕微鏡みたいなものがあるとすれば、
その顕微鏡をとおして見るように、微視的にとらえるとそういうことが起きています。
リアクションを幾度となく繰り返して自動化、習慣化したのが対処思考です。
立つとか座るとか視線を動かすとか、ほとんど無自覚にやっている行為に、一挙手一投足に、
対処思考というリアクションパタンは張り付いています。


自分に向かってくる、迫ってくる「感じ」、
やらないといけないぞ、という備え感、義務感、責任感とともに、たえず用事が湧いてくる「感じ」、
「≠」によって立ち上がる3次元世界の波動、周波数、すなわち「感じ」の基調がネガティブだ、
というのは、そういうことです。
とくに不快なことがなくても、ときにホッとしたり楽しいことがあっても、
起きて活動している間はずっと、自分に向かってくる「感じ」にリアクションするということを、
習慣的に、自動的にやっているので、ベースはネガティブです。

「意思」の観察は三日間くらいつづいたのかな。
その最後の日、私は、ふと気がつくと、
自分に向かってくる、迫ってくる「感じ」を波のイメージでとらえていて、
その波が、向かってくるのではなく、沖へと去っていく引き潮のイメージに変わったのです。
ザザザザーッ、と、白い波が、彼方に去っていく。
と、「意思」や「欲求」の「感じ」、そのウネウネはなくなって、すっきり広々とした快晴感になりました。

つぶやきやら記憶やらがくっついている「意思」や「欲求」の連なりがなくなっても、
動作、行為は勝手につづいていきます。
「私」という意識は広々快晴のまま。
今、私の身体の状態はこうで、私の経験則ではこうで、といった、
境界面に囲まれた「私」はいなくて、
すべてが「他人ごと」と「自分ごと」の中間のような感じ。
そこに見えている手とか、イメージとしてもっている全身像に対しては相対的に「他人ごと」感が強くなり、
目の前にあるカップとかテーブルとかに対しては相対的に「自分ごと」感が上がります。
「自分が消える」のではなく、
「すべてが自分になる」のでもなく、
「自他の区別が緩む」ことによって、自他の区別が問題ではなくなる、焦点からはずれる、
そういう形で自他の区別が解消します。

以前、自分にとって居心地のいい環境をイメージすると(異界や宇宙船でもいい)統覚視点に戻りやすく
なるという記事を書きましたが、
居心地のいい、親和性のある環境にいると自他の区別は緩みます。それと同じ状態です。

地平線まで見渡せるかのような広さ、高く突き抜けている快晴の空、
これがベースになって、
ときどきそこに、わくわくとか、無上の幸福感とか、わかった感とか、慈しみ感とかが載る。
これらに根拠はありません。これらは特定の出来事への<反応>ではなくて、
もっと精妙な高次の感覚がマインドで具体化した感覚です。
この全体が非3次元の世界で、これが中立、当たり前、ふつうなのですが、
向かい波に侵蝕されないよう常時自動警戒態勢の3次元に比べると、断然ポジティブです。


わくわくや幸福感などが何につながるのか、どこに連れていってくれるのかは気になりません。
もう「(3次元の)現実がどうのこうの」という発想をしていないからです。
「引き寄せたい」「こうしたい」的な感情をともなって何かの場面が浮上することもありますが、
五感像として再現されるかどうかも気になりません。再現されても憶えていないかも。

その後も、引き潮のイメージは、ウネウネに気づいたときとか、
ウネウネがなくても、手洗い、うがいみたいなノリで、しょっちゅう使っています。
  1. 2020/11/25(水) 13:48:05|
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地面を変える

2020.5.17(日)

ここしばらくの間に何人かの読者さんからいただいたメール等のなかに、
「ときどき、どうしても3次元への反映を期待してしまう」という主旨の記述がありました。
いいこと引き寄せ鯛、あるある。
3次元は心や頭で描いている虚構なんですが、臨場感がめっちゃ強いので、
ここで当たりが出るとテンション上がるんですよねー。
なので、「問題に対処しない(問題をつくらない)」というネガの扱いかたに慣れてきても、
ポジの当たりや引きの押し寄せが起きることを期待するのはありがちと思います。
テンションが上がるといっても、非3次元の総波動感覚に比べると、
かなり解像度を落とした複製画ふうというか、たいしたことはないんですが、
なんでしょうねえ、ときどき無性にジャンクフードが食べたくなる的なアレでしょうか。

3次元は、
①物質(客体)
②身体
③身体に由来する主観(一部は言語などで表せる)
という構成になっていて、
①と②が外側、③が内側になります。
外側というのは、客体(物質)固有の法則で動いていて、
内側の好きなように変えたりできない、そういう側だということで、
「本物の現実」とか「客観世界」と了解されています。
ところが、3次元を認識する「私」は②③とイコールだと思い込んでいるので、
②が外側に属すことは、ふだんは(健康なとき)あまり意識されません。
つまり、身体というのは、「私」の構成要素であり、主観の起原でありながらも、
思いどおりになるとは限らない、
いつ「私」を裏切るかわからない両義的な位置にあります。
で、このからくり全体が心や頭のなかにある思い込みです。
臨場感が強いということは、一度、思い込みに気がついても、
思い込みだということを忘れてしまうくらい、
3次元スタジオセットのなかの人物になりきって没頭してしまうということです。
でも我に返る(統覚視点の「私」に戻る)手がかりはあって、
3次元は上述のように内外に分離していて、外側が主導権を握っています。
なので、外から何かせり出してきている、クローズアップになっている、外からの圧力を感じる、
といった「外感」が3次元のイントロダクション、序奏です。
つまり、外からトラブルが持ち込まれたり、外からラッキーが訪れた感じがして、
人や組織や制度のせいにしたり、それらのおかげと感じだしているということ。
せり出してきた外に対して、主観(内側)が何やかやとつぶやきはじめたら、
3次元へのフェイドイン完了です。

なので、3次元に入り込んでいるか、いないかは、
自分の感覚すなわち波動、周波数をチェックする基準として使えばいい
と思います。
3次元に入り込んだらダメとか赤点ってことじゃなく。
ネタがポジでもネガでも、
いきなり外感がせり出してきたとか、クローズアップになってるとか、
それに対して内側がざわつきはじめているとか、
あるいは内外併せて自分軸がズレているという被操作感として感じるとしたら、
マインドの感覚(波動、周波数)が変調しているしるしなので、
その外感とか内外分離感、被操作感をゼロポに還して、本来のマインドに戻す好機です。
マインドがコントロールから抜けると、高次と五感は自ずと開くので、
全体としてもとの自分、もとの宇宙に戻れます。

もとの自分、もとの宇宙に戻る過程では、いろんなイメージを使います(※)。
もとの自分とは、身体とか心といった嵩(かさ)がなく、
「私」という一人称視点でいろんな感覚(周波数)を感じて創りだす統覚視点のこと。
もとの宇宙とは、高次、マインド、五感と、濃淡や質感の異なる感覚が重なった、
その全体をいいます。
これらの感覚は「(それぞれ周波数のちがう)波動」と言い表すこともできます。
※筆者の方法は2020.3.25「メソッドのまとめとか」文末付録を参照してください。
https://solopub.blog.fc2.com/blog-entry-903.html

イメージワークがメインになるのは、上述のように、変調がマインドで起きているからです。
「物質でできた世界が究極、本物の現実」というのも、
「この身体と、身体に由来するいろんな思い(主観)が私」というのも、
コントロールされたマインドで思い込んでいる現実観であり自己像です。
物理感覚も、
「統覚視点“私”が五感的な感覚を感じて創りだす」
   ↓
「物(客体)が物の一部である身体に感覚を起こさせる」
という転倒から出力されるマインドの感覚です。
スピ用語を使うと、五感的な感覚というのはエーテル感覚ですが、
物理感覚は、じつは低次アストラル感覚です。
3次元にいるというのは、そのように、
高次も五感もオフにしてコントロールされたマインドだけに閉じこもるということです。
なので、3次元をつくっている思い込み(客体‐空間‐時間思考システム)と同じ層から
アプローチする、つまりマインドの感覚であるイメージを使って、思い込みを解いていくわけ。
3次元的に考えると、イメトレとかイメージ療法などは間接的手法と思えますが、
アセンション、覚醒の方法としては最も直でダイレクトなのです。

ちょっとたいへんなのは、
「覚醒する(3次元をはずしてもとの自分、もとの宇宙に戻る)」と決めていても、
そう決めた時点ではまだ3次元をやっているので、
内(主観)外(物)が分離しており、外(物)に主導権があって、
内(主観)に属するイメージ全般がまことに頼りなく思えることです。
「こんなのしょせん主観的なイメージ。本当の現実は外にある事物」
と本人が思い込んでいることによって、イメージというツールの効果が下がってしまう。
これは自分で自分に仕掛けていることなので、
自覚していない学習記憶の積み重なりが薄くなる(習慣が変わる)まで
イメージワークをつづけていくしかありません。
ただ、何回か3次元をはずしていると、マインドの縛りが弛んでくるので、
「つづける」という観念が希薄になるし、
イメージ自体も表出しやすくなっていきます。
また、直感的な閃きも起きやすくなります。

イメージが表出しやすくなるイメージというのもあって。
それは、自分が立っている地面や床を、なじみのある惑星の表面とか、異界の土地とか、
自分にとって帰着感、安心感のある場所に変えてしまうことです。

むかし訪れたことのある神社、お寺とか、
幼少時に遊んだ庭とか、
写真や画像でしか見たことのないパワースポットでもかまいません。
とにかく、ここにいれば絶対安心、くつろげるというパワーフィールド。
このイメージを最初に設定しておくと、
イメージワークやアファメーションなどが非常にやりやすくなります。
そこに立つだけで、もとの自分、もとの宇宙に戻れてしまうこともあります。

私の場合は、とある惑星で、
ここは3次元の電波望遠鏡で探してもたぶん見つかりませんが、
筆者の統覚視点スペースではシリウスにつながる惑星として存在しています。
半年くらい前に、部屋の床がその惑星と同じ感覚になっていることがあるのに気がつき、
覚醒ワークのツールとして使いはじめたのは2週間くらい前から(←わかるの遅)。
(ただ私の場合は、そのときによって、別の星をパワーフィールドにしていることもあります。)
今は、起きて活動している間はできるだけ、寝る前も、頻々とそこにいるようにしています。

「物(客体)」の広がりである3次元の空間って、
身体と心である「私」にとってあからさまに外側なので、
挑戦的で、いつどんな難儀をふっかけてくるかわからず、優しくないんですよ。
なので先に、空間の足場である地面を、自分にとって居心地のいい感覚(波動)に
取り替えておくと、イメージ誘導がすごく効くようになります。
  1. 2020/05/17(日) 16:23:46|
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
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