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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

独りで文明を変える話

2023.9.9(土)

現代物理学がその辺境でオカルトと接しているように、
政治学、経済学、歴史学、21世紀の哲学、国際関係論などなど、
人文・社会系サイエンスの辺境には陰謀論と重なる部分がある。
陰謀論は学際的なのだ。知らんけど。
陰謀論とは、地球規模の政治経済は政治家や官僚や王族が動かしているのではなく、
ひと握りの途方もない資産家たちが仕切っている、とする論である。
政治家や官僚など表に出ている人は、彼らの計画の執行役にすぎないとされる。
地球の政治は、メディアで周知される表の政策、施策ではなく、メディアに載らない裏の合議、画策によって回っている、
でも裏で画策しているのはマフィアとかの反社系組織ではなく、兆単位(円換算)の資産を持つスーパーお金持ちだという。
お金も兆単位となると、お金の実感を想像できないな。
そのお金をうちが出そうとか、あんたとこには出さんとか引っ込めるとかってことで行使される権利、
その行使先の多さや範囲の広さ、影響力によって事実上の権力になっている、という感じか。
だから昨今では、そのお金持ちサークルをDeep Stateと呼ぶのかな。
イルミナティとかフリーメーソンとかの秘密結社系とはケタちがいの実行力、実効力がありそう。

近年、とくに2020年代に入ってから、そのお金持ちサークルが地球の人口削減計画を目論んでいる、
けしからん、阻止すべし、ということが、陰謀論界隈で言われるようになった。
どうやって減らすのかというと、バイオテクを用いたワクチンや薬によって、老衰、不妊、病気の進行を加速させたり、
飲食料に同様の作用をするバイオものを仕込んだりして、同様の効果をねらうのであるらしい。
ワクチンの添加物や飲食料等に、人体をコントロールできる微粒子を組み込んでいるとの説もある。
いずれにしても、爆弾や銃ではなく、バイオテクやナノテクで静かに進行させるのである。
ふむ。お金持ちサークルの前世はボルジア家の人たちからしらん。
2021年から実際に使われたバイオテクを用いたコロナワクチンでは、
実際に死亡や後遺症といった被害が生じ、それが前例のない件数に上り、効果のほうも期待されたほどではなく、
政府も大メディアも挙動不審なので、
人口削減計画の存在を裏づけているかのように思える。
でも、製薬企業との約束を守れなかったときの莫大な違約金と人心の混乱を怖れて場当たり的な収拾策をとっている
だけかもしれず、どのようにでも読める。
たぶん、誰もが納得するような答は出ず、陰で地球を回すサークルは公的機関にはならずサークルでありつづけ、
21世紀は過ぎていくのではないかな。それがお金持ちサークルの戦略かもしれないし。

人口削減説が成立するには、次のようなことが前提としてなくてはならない。
・地球上に棲む人間の数は多すぎ、エネルギーや飲食料を摂取することで地球全体の環境に負荷をかけすぎている。
・どんなイノベーション(技術革新)をもってしても、地球の人間扶養力が限界に達するほうが速い。現在、限界間近。

統計上の地球人口(2022年時点で約80億人)が正しいとして、
・地球の扶養力にまだ余力がある
・月や火星、宇宙船などで生活できる技術が速い速度で進み、移住が実現する
・飲食料やエネルギーに関するイノベーションが速い速度で進む
・科学技術あるいは自然の進化によって人間のエネルギー摂取量、使用量が大きく減る
・テクノロジーなしに一部地域の人口急増が収まり、地球全体が少子化に向かう
といったような要因があって、これらが複合すれば、性急な人口削減計画など必要ないかもしれない。
ちなみに「昆虫食の勧め」より「一日一食の勧め」のほうがまだしも実践しやすく健康効果も高いように思うのだが、
少食方向に進まないのは食品関連産業に不都合で、
かつ飲食料の需給バランスをいじって人心を(怖れによって)操作できなくなるゆえか? 知らんけどな。

とはいえ前者の人口削減不可避説の前提のほうが本当っぽく、
後者のなんとかなる説のほうが現実逃避、もしくはありえるとしても時間がかかると思えるのは、
1970年代くらいからずっと人口やばい、食糧も資源もやばいよ、と言われつづけていて、
自分でたしかめたわけでもないのにリアリティがあるからだろうな。
人口は倍々で増えるが食糧は徐々にしか増えないからやばい、
というマルサスの通称『人口論』が出版されたのは1798年だけど、生産技術が向上してやばみが減ったので、
20世紀後半になるまで地球の人口問題は大々的な問題にはならなかった。
なぜなら「地球」という発想がなかったからだ。
20世紀の半ば、第二次大戦くらいまで、人は自分と自分が属する集団の利害のことしか考えていなかった。
生きるとは自分と自分の属する集団ができるだけ快適に延命できることで、
病気や天災、人災への対抗手段もすごく限られていたから、なるべく快適な延命で一杯一杯だった。
「地球」という発想が芽生えたのは、核兵器が出てきて、いくつかの集団が自分と仲間内の延命のためにこれを使うと、
惑星規模で生命がやばいとわかったからである。
共倒れ、というか全倒れ。
それで、核兵器というのは脅しには使えても実際に使用するのはやばいな、という共通理解が概ねできあがった。
けど人口増問題と環境問題については、先進国と途上国とで利害が相反することも絡んで、対策が進まなかった。
個人も集団も、仲間内の快適な延命をめざしてバク進しつづけたの。
それは、人口とか環境とか惑星規模の広がりを持つ問題が、チラチラッと頭の隅に上ることはあっても、
核兵器のように「共倒れ、全倒れ」の絵が描けるほどには切迫していなかったからである。

私は、人類には集合意識とか集合無意識とか、本当のところないと考えている。
集合意識が存在したら、7千以上の言語(うち40%が絶滅しそう。23の言語で人口の半数以上を占める)とか
数千の民族とか190余りの国に分かれたりはしないだろうし、
全倒れを招く兵器なんか開発しないだろうし、
人口問題や環境問題なども、危険な臨界域に入るもっと手前で抑えられるはずと思うからである。
人間がリアリティを持てる「人類」とは、情感的に自分の延長と感じられる仲間内、
すなわち家族、一族とか、会社とか、階級、国、民族とかのことで、それも人によってバラバラで、
仲間に数えられない人間型生命体は異人、夷狄(いてき)、バルバロイなのであり、怖れの対象か敵なのである。
集合意識があるとすれば、
個々人が「集合意識はある」と想定して、個々人の感性にしたがって思い描いた形で存在するだけだと思う。
なので、「地球」とか「人類」とか、仲間じゃない人を含む概念では魂は震えないのであり、本気になれないわけ。
仲間意識の異なる集団がまとまるのは、「黒船が攻めてくる」みたいな共通の敵を設定できたときである。
黒船は外国人でも宇宙人でも病原体でも、要は外圧ならなんでもいい。
そうすると「黒船ではない私たち」という形でアイデンティティの輪郭ができ、
輪郭のなかに収まる出自の異なる集団に仲間意識が生まれる。

しかし、21世紀になって、「地球」や「人類」を仲間内の視野に入れられる人たちが出てきた。
それがお金持ちサークルのお歴々である。
人間が自分と自分が属する集団の利益(できるだけ快適に延命できること)を営々と追求した結果、
企業活動、資本、金融、資源などが国境を越えて流通するグローバルな網目ができあがった。
なので、兆単位の資産の幾許かをどこにどのくらい振り向けるかを決定することによって、
この網目を流れていく物資、エネルギーを掌握している人たちは、地球や人類を気にかけなくてはならなくなったのである。
資本主義、共産主義がどうとか、国が、宗教が、民族がどうとか、そういう歴史的に形成されてきた旧来の集団枠に
こだわっていると、地球経済の流れが滞り、場合によっては地球規模のリスクが生じかねない。
そのリスクは当然、自分が所有している財産に及んでくる。

惑星を経営するほどのお金(もはや権力)を持っているって、たいへんなことだなぁ、と思う。
資産は日々刻々増えていく。人口爆発ならぬ財産爆発。
放っておくと増えていくそのお金をどこにいくら配分するか、ひとつ判断を誤ると、国が潰れるとか産業が潰れるとか
広域飢饉につながるとか、とんでもないことになりかねない。
もうこんな生活はヤだ、と引きこもると、その引きこもりが地球経済のどこかを停滞させる。
金持ちが天国の門をくぐるのがラクダが針の穴を通るよりむずかしいのは、気苦労が多いせいではないのか?
欲の皮が突っ張っているからではなく。
お金持ちサークルのメンバーにとって、「地球」や「人類」はふわふわした概念ではなくリアルなのだわ。知らんけどね。

さて、では人口削減計画などといものが存在しなければ、
それ以前に**財団とか**家とかの連合体みたいなものが存在しなければ、
または、両方とも存在するとしても、彼らの表向きはリベラルだったりヘルシーだったりする諸策に乗らず、
彼らとつながらない政党や政治家を見きわめ、そちらを支持したりして、
彼らの「地球」に巻き込まれず独立が保てれば万々歳なのか。
そういう人もおられるでしょう。
が、私としてはそうではない。
だって「独立」のポイントはそこじゃないからさ。
私が降りたいのは、3次元的には有史以前から連綿とそうだった、
非3次元的には「有史以前から連綿と」というフレーズで象徴できるほどの深さと濃さがある、
自分と自分の属する集団の快適な延命をめざす、という方向なのである。
だって、自分はいろんな思いや五感を感じている意識であり、どこにも属していないし、
快適とはそういう自分、意識の自分にとっての最適すなわち感覚(波動)が調っているってことであって、
旧来の快適とはズレがある、たぶん脳的にいえば神経伝達物質のバランスも分泌のきっかけもちがうし、
死んですべてがご破算になるほど意識の宇宙は甘くないから延命は意味なし。
どこかの集団のトップが「うちらの仲間になるなら5万ポイントプレゼント」って言ってきても、
そのポイント集めてなかったらもらってもしょうがない。そういうハズレかたなんですよ。

誰が、どういうグループが統治しようと、
自分と自分の属する集団の快適な延命をめざす、という有史以前からの基本方針は変わらず、そこは共通しており、
私にとってのセルフアセンションとは、この違和感満載の基本方針からはずれることなのです。
自分。
仲間。
快適。
その快適さができるだけ長くつづくこと(延命)。
そういうのって、社会という幻想環境によって定義されていて、レールも敷かれていて、
こうなると快適、こうなったら不快、
この状況はうれしい(はず)、こうなら悲しい(はず)、こういう場面では怒る(べき)、といったように、
脳内反応ごと感情ごとコントロールされています。
って、社会という幻想環境を想定しているのは自分だから、結局はセルフマインドコントロールなんですが。
だから、セルフアセンションにコミットしている人は、
自分とか仲間とか快適とか延命とかそういうの全部、セルフ禅問答みたく問い直したほうがいいかもね。
正直に問いかけていくと(3次元的には)けっこう怖い答が出てきたりすることもあるんですが、それもまた乙。
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  1. 2023/09/09(土) 13:48:56|
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しあわせの表現形(追記あり)

2021.6.11(金)

前世紀に出版された引き寄せ本を図書館で借りて読んでみた。
まだ「引き寄せ(attraction)」という言葉も使ってなくて、「成功法則」「願望達成法」とか書いてあるやつ。
潜在意識を活用すると、常識では思いつけないような手段で目標に誘導されていく、
というその主旨は、文体や事例が古風でも、大筋で妥当と思う。というか、
今の自分だからこそ、古風な文体や事例に紛れて奥に隠れてしまっているキモがリーディングできるので、
ほんとはそういうことが言いたいんだな、ということがわかり、趣き深い。
そのキモとは、「自分というこの当事者に起きる出来事はみんな自作自演なのだから、
不本意な状況にも磁力が働いていることに気づきなさい(自作自演)、
ちがう場面に移りたかったら、自分の想定を書き換えればいい(いきなり書き換えられなければ、
その想定を手放せば、望む想定に誘導される)」ということ。

ただ、この種の成功本の文体や事例は、この種の情報に接した前世紀の私にとっても十分古めかしく、
前世紀のビジネス書の文体(おおむね会社の男性上司が男性の部下を激励するときの口調)や、
「出世」「いいクルマ」「幸福な結婚」「マイホーム」「名声」等々のキーワードにまったく魅力を感じられず、
潜在意識がどうとかっていう部分は気になるけど、
自分には関係ない気がして、当時はカスっただけでスルーした。
こういうむかしの成功本は、
私のマインドにある著者像が、その著者像が思い描く一般の人々に向けて書いているらしいのだが、
その一般の人々というのが、出世とか大邸宅とか、社会的に推奨される望みを抱くことすら
「自分にはむり」と考えて自分に許可できないでいるような、制限のキツい人たちみたいなのだ。
書店で偶然目に留めたり、人から薦められてその本を手にとった、
どうせ自分なんて、という自己卑下周波数が恒常マインドになっているのに気づいていない人たちに、
「出世やいい暮らしを望んだっていいんですよ。試しにやってみれば?」と誘いかけている、そんな感じ。
あと、成功事例が19世紀、20世紀の事業家や技術開発者だったりして、
寝る間も惜しんで長時間労働したり勉強したりしているので、
本人的には意識がゾーンやフローの状態に入ってるからヘッチャラだとしても、
ゾーン未体験の読者からすると、なんだやっぱすごい努力家なんじゃんできねーよ、となってしまう。
むかしの情報なので、潜在意識活用効果が自力本願のスタンスで説かれており、
「ラクにことが運ぶ」より「エネルギーの量が増える」ほうにウエイトがかかっていて、
こんなにすごいことができますよ、と力説されると、
それは「(エネルギーの量が増えるから)もっとがんばれるよ」と翻訳されて伝わってしまい、
成功事例に挙がっている人たちが特別な人に思えてしまって、読み手の気持ちは醒めていく。
それに、自分の感覚とは別にそれ自身の法則をもつ客体X(物質)がある、これが現実を決定する、
という3次元の想定ははずれていないので、
潜在意識を使って順風満帆でイケるフェーズと、
客体X(物質)の世界から難題が降りかかってきて対処を迫られるフェーズとがあって、
成功事例といえどもかなり波瀾万丈なんである。
とはいえ、「想像できるものはすべて実現する。想像できないものを生み出すことはできない」とか、
今だからこそ得心できることも書いてあって、
そうそうこういうフレーズ、想像した段階でその像は「マインドの現実」だということがわかるまでは、
そうかもしれないけどそうじゃないかもしれない、みたいに微妙だったんだよなぁ、と思うと感慨深い。

今世紀に入っても、2010年代くらいまでは、
私版の世間に流布する引き寄せ情報には、成功本の時代と基本的には大差ない事例が、
でもビジネス書ヴァイブスは払拭されて洗練された形で紹介されていたように思う。
ホワイト企業に勤めて、自分の適性に合った職種に就くとか、
フリーランスならミリオンセラーを出して有名になる、
X年後に収入を何倍にする、結婚して家族をつくる、友人に恵まれる、
国内外あちこちを旅行するとか、気に入ったクルマに乗っているとか、
いろいろ、そういうの。
で、相変わらず自分的にはそれらの事例に魅力は感じなかった。
私が引き寄せたいのはこういうやつではない。
2020年代に入った現在も、こういう望みは、たぶんまだイキなのだろうと思うが、
しかし、昨年後半くらいからようやく、「働く」「稼ぐ」「仕事で能力を発揮」といった前提がはずれ、
「パートナーはいてもいなくてもよい。独りでもOK」「お金のあるなし関係ない」という流れになってきて、
衣食住やお金や健康を必須条件として、まずマストアイテムを満たしてすべてはそれから、
という枠が緩んできた。
個人的な感覚では、2020年と2021年以降はなんだか全然ちがう。
2019年となるともう前世のよう。
だから前世紀の成功本云々というのは、自分の年代感では江戸時代初期くらいの感じになっている。
もはや史料です。
筆者の宇宙にはもう「人類」なる存在は存在していなくて、
「人類」の着ぐるみを着て3次元ゲームをやっている人と、
「非人類」がムキダシになって好き勝手やっている人しかいない。
着ぐるみを着ている人からもETオーラやUMAオーラが漏れ出ており、
着ぐるみのファスナーがちらっと見えてしまっている。
というか、私にとっては「人類」がUMAなのかな。定義としてしか存在しないという意味で。

喜び、しあわせという感覚にもいろいろヴァリエーションがあるし、
その表現形となれば統覚視点が創る宇宙(個々人)ごとに全部ちがう。
この表現形が引き寄せ目標になったり、ワクワク対象になったりする。

だから、史料に載ってるような古式ゆかしい成功スタイルを追究してみたければそれもいいし、
それとは全然ちがう発想角度の世界を拓いてもいい。
昨年から今年にかけて、私はトルストイの本をたくさん読んだ。
トルストイの小説や随筆には、権勢や色恋や名声、贅沢、安逸の空しさを悟り、断捨離し、謙虚になると、
たとえ貧乏になったり病気になったりしても、本当のしあわせ感覚、充たされ感覚がわかる、
というダウンサイジング志向がある。
これはおそらく、トルストイが貴族階級に生まれて、その豊かな暮らしに満足できなかった、
オレが欲しいのはコレじゃない、という根深い違和感からきた志向で、著者の宇宙の個性である。
でも断捨離した、謙虚になった、貧乏になった、病気になった、「だから」しあわせを知った、わけではないのだ。
まずしあわせ感覚、ないしその予感が先にあって、それを正直に追究していった結果、
貧乏とか病気とか、傍から見たら不幸でしかない境遇も関係なくなった、
幸福にマストアイテムなどないとわかった、というだけである。
追究の動機は「ちがう、自分の知っている喜び、しあわせとはこんな程度のもんじゃない。
もっとワクワク、もっと萌え萌え、無条件無制限なやつだ」という魂の確信だから、
この人は無欲なのではない、むしろ貪欲なのだ。ヤバイのだ。
トルストイを人道主義者の善い人だと思ってると、その欲深さ、ジタバタが読めない。
伊達にロシア正教会から破門されてるわけじゃないんである(21世紀現在も破門継続中)。
ともかく、それは創造のしかたのひとつであり、宇宙芸術作品のひとつ。
いま、たまたま私のそばには、郵便受けに投函されていた学習塾のチラシがあって、
キャッチコピーに「ぐんぐん成績アップ!!」と書いてあるんだけども、
逆にぐんぐん何かがアップするという昇り志向のしあわせ表現パタンがあっても全然いいですよ。

先日、偶然、「映画『ボヘミアン・ラプソディー』を137回見た」というオペラ歌手の中丸三千繪さんの話を
動画で見ました(ソースはテレビ番組「アウト×デラックス」)。
この方は、気に入った映画(DVD、ブルーレイなど)は200回以上ローテーションするとのことで、
見るたびに発見があり、感動も新たになるのだそう。
同じ服を何着も、同じ靴を何足も持っていて、衣生活は決まったアイテムだけですごせればよし。
なるべく毎日、同じ時間に同じことをする、その繰り返し、ルーティンが心地よいと。
これ、これよ。
基本的に同じことの繰り返し、その繰り返しを楽しむ、
繰り返しの一回一回に「あ」という発見、驚きがあり、それも含めて味わう、かみしめる。
これは自分のしあわせ表現形にかなり近いと感じました。ハッピールーティン♪
瞑想するとか、楽器の練習するとか、こうやって作文するとかね、いろいろ。
最初は仕事や家事の隙間時間を使うつもりだったのが、
どっちが、何が隙間なんだか何なんだかわからなくなってしまった。
何をしてても委細かまわずチャネリングが入るときは入るし。
で、中丸さんの場合はどうだか知りませんが、私の場合、
そこに進歩とか、成長とか、経験の蓄積といった感覚は一切なく、
ルーティンといってもそのつど一期一会な感じ。
完成したり、形になったりすることなく一時間後に死んじゃったとしてもOKです。
突如、やることが差し替わってもかまいません。
やってないこと(たとえば旅行、SNS、リアルな人づきあいなど)もいっぱいありますが、
やっていないのは興味がないからなので気になりません。
知らないことも山ほどあるけど、それも気にならない。
こういうのって自分的にはたまらなくウッキッキーなんですが、
3次元語で人に説明しづらいし、
事業を立ち上げて年商何億円みたいなのや、旅費を引き寄せて海外のパワースポットに行った的なやつが
ないと、オカルト文書いても訴求力ないんじゃないか、という引け目感がどこかにあったのですが、
中丸さんの動画でルーティン習性を全肯定できるようになり、呪いが解けました。
というか、137回読んだ、聴いたものって自分には(たぶん)まだないので、
もっといける、先が楽しみ、と思った。

6月12日(土)

しばらく前にわかったことですが、
私のルーティンパタンは、高次の感覚で感じられるレース編みのような幾何学模様の具体化です。
  1. 2021/06/11(金) 16:05:18|
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風の時代――ヒーミル@シリウス系イルカとのチャネ談

2020.12.27(日)

風の時代――ボブ・ディラン?
という感じで、デムパ巷間に浮沈するこの種の用語にはあまりピンとこないのであるが、
2020年の12月21日(月)の夜になって、いきなり私のイメージワールドのイルカたちが
「風の時代」を連呼しはじめ、この件に言及することになった。
詳しいことは何も知らんけど、
2020年の12月21日、240年間つづいた地の時代が終わり、翌22日から風の時代になったんだって。
2012年のマヤ暦騒動、「2016年の秋にすべてが一変する」騒動の空振りのあとでは、
もううんざり、微動だにしないというか、何年かに一度、この種のことが景気づけに言われるのかなぁ、
くらいにしか私には感じられないんだけど、
3次元であれ非3次元であれ、すべての出来事は個人に(非3次元なら統覚視点が開く宇宙に)
起きるので、報道やドキュメンタリーが描くような客観的なまとめ視点での体験などない。
あれらは事件直前までの過去の思考を観念に嵌めて紡いだ考察である。
私のかつての上司で1999年に亡くなった人がいるが、衰滅をポジネガどちらでとるかはさておき、
この人にとってはノストラダムスの予言が当たったという見かたもできる。
ノストラダムスやエドガー・ケイシーの1998年日本破滅説(というのもあったような気がする)以上に
個人的に衝撃を受けたのは、97~98年くらいに、経済分野の専門家がその著書で警鐘を鳴らしていた
世界金融大恐慌説が空振りしたこと。私はこの人の著書を仕事の資料として読んだのだけど、
全資産を金(きん)に換えて恐慌に備えよ的な、すごい勢いで危機感を煽る内容だったんですよ。
これはビジネス系の経済予測本で、オカルトじゃありません。
2011年にハイパーインフレが起きる説もあったね。これもスカりました。
予言にせよ予測にせよ、ハズれてもとくに責任は問われず、忘れられてしまいますな。
たとえそのとき歴史が動いた的な現場に居合わせたとしても、
体験するのは歴史ではなく個人に起きる出来事なのです。
とすれば、いつだろうとどこにいようと、通時空的に「自分の時代」といえる。
ということを踏まえて、ミルヒー@シリウス系イルカとのチャネ談です。
文中では愛称の「ヒーミル」で表記しています。

ヒーミル 風の時代だよ。風ってのは、マインドのことだよ。
風は感じられるけど見えないよね?
だから、非五感的だけど自覚はしやすいマインドの感覚(思考、感情、気分など)の象徴なのさ。
みけ 風の前の地の時代のはじまりが240年前だそうだけど、240年前って1780年なんだよね(※)。
日本は江戸時代の後期で、翌年に安永から天明に改元されて、飢饉とか起きてめっちゃたいへん。
およそ5年後から寛政の改革がはじまります。明治維新まで残りだいたい90年。
中国は乾隆帝の時代で、清朝の隆盛にそろそろ翳りが出てくる。
ヨーロッパはフランス革命前夜で啓蒙の時代、イギリスは産業革命、アメリカで独立戦争。
ここから先の19、20世紀が動乱、激動って感じなんだけど。
欧米が膨張していく形で歴史がグローバルになっていくし。
「地」の時代って、なんか安定した落ち着いた雰囲気かと思いきや、全然そうじゃない。烈しい。
※ちなみに計算してみたら、ひとつ前の風の時代は1060年~1300年、ふたつ前は340~580年、
3つ前は紀元前620~380年。日本の場合、ひとつ前の風の時代は平安末期、陸奥の阿部氏の乱(前九年の役)のあたりで、
武士の時代のはじまりと一致する。そして1780~2020年の地の時代の早々に武家政権は終わる。

ヒーミル 3次元が(地の時代以前に)行き着くところまで行って、どん詰まりになって、壊れはじめたのさ。
みけ ざっくり全体として、身分制が崩壊していくという流れがあるよね。
ある家系に生まれたら、一族、先祖の網の目のなかでその人のポジションが決まって、
それはもう永劫に、死んでも変更不可能って感じだとか、
ある階層に生まれたら、どういう生活を送るか、一生にわたって、おおむね決まるとか、
そういうふうに、集団単位で運命がだいたい決まっているというか、
赤血球、白血球、肝臓の細胞、脳細胞、みたいにはっきり役割が分かれている、
人間がそういう機能分化した集合的な存在ではなくなっていく。
で、原子みたいにひとりひとりスペックは同じで、全体でひとつの種を形成しているっていう、
「人類」というカテゴリーが出てくる。
「人類」だって、それに「集合意識」も、どっちも個人のマインドにある概念なんだけど、
集団単位で役割が決まり運命が決まるよりは、「人類の一員」のほうがはるかに自由だと思う。
ヒーミル きみは集団のセル(細胞)にはなれないよ。そういう角度(統覚視点が固有の宇宙を
開くときの角度。この角度によって個性が異なる)をもってないからね。
どっちが優れているとか劣っているとかじゃなくて、角度がちがう、だから意識がちがうんだ。
集団を構成するセルになって、王様だとか、戦士だとか、農奴だとかをエンジョイする角度もありなんだよ。
王様が非人道的で農奴が気の毒っていうのは、地の時代以降の感性なんだ。
みけ 今でもセル波長の人いるよ。でも「人間」や「人類」をベースとしたうえで演じているっていう
「仮」感が拭えなくて、徹しきれてないけど。
「仮」だってバレちゃってるからこそ、そういう人は集団の不文律に従わない異分子がいると排撃するの。
異分子がいると封印している「仮」性を意識させられちゃうから。
ヒーミル ガチでセルになりきれる角度は地の時代の前で終わりさ。
でも「あなたも私も彼も彼女も人類の一員」っていう、そういう原子みたいな存在モデルも、
3次元のまぼろしだけどね。
みけ 認識する前からそこに認識の対象(客体。一般的には物質)がそこにある、
あらかじめ対象があるから認識することができるっていう、そういう想定が(マインドに)あるから、
客体化した身体単位の私やあなたや彼や彼女がいる、それが当たり前と思えるってことね。
ヒーミル 全部が逆さになる(認識によってその対象が存在する、もしくは創造される、のではなく、
対象が先に存在するからこそ認識できる、と転倒していること)ゴーグル(水中眼鏡)をつけてるようなものさ。
それをはずしちゃうと、きみがいろんな色や形や考えや気持ちを感じて現している、
きみの、一人称の宇宙があるだけだよ。
風の時代には、それがはっきりするよ。
地の時代に集合体が壊れてバラバラになっていったときには、だいたい野蛮なやりかただったよね。
戦争とか暴力とか、暴力をバックにした強制措置とか。
それは自分の外(客体)を変えないと良くならないっていう思い込みがあったからさ。
そういうのは、もういらないんだ。
みけ 3次元の最終手段はずっと、通時的に暴力だよ。
瞬殺で、大量に、って方向に、だんだん効率化されていくけど。
法律とかの規則も、交渉も、最後の最後、暴力っていう担保があるから機能してる。
ヒーミル キリがないよ。むださ。
完成像はマインドで(イメージや発想、それに伴う感情などとして)できるんだ。
個人的で、一人称の世界なんだよ。どんなことでもね。
マインドが要なんだ。それがはっきりするよ。
マインドで完成像ができたら、あとは放置さ。
世の中とか地球とか銀河とか宇宙とか、それはきみだよ。きみのことさ。
きみの感じたことがそのまま感覚像に、現実になるんだ。

自分とは別に世の中とか地球とかがあるって想定してれば、そのとおりになるしね。
みけ 3次元で「行動」といわれてることは、物質でできた身体とか環境に働きかけることだけど、
自分の認識とは別に物質が存在するっていう想定も、
その想定物質に働きかけるっていう意図も、両方ともマインドでしていることだよね?
それで、マインドで描いた完成像はまったくの主観像で、
それとは別に物質が存在するから、そっちに働きかけないと、っていう行動指針をマインドでつくる
わけなんだけど、この行動指針に従うと、
「働きかけた物質環境からの刺激→物理感覚という反応→思考や感情の動きという反応」
という手応え(反応)があったっていう判断をマインドがするわけなんだけど、
その手応え像が完成像への一歩になる、それで完成像に近づくとは限らないでしょ?
ヒーミル クプクプクプ・・・プププ(笑)。だから、それが地の時代のやりかたなんだよ。
結果はランダムになるね。籤を引くみたいな感じだね。
行動指針が完成像に嵌ることもあるし、完成像から逸れてあさってのほうに行っちゃうこともあるし。
でも、うまくいってもいかなくても、すごくストレスがかかるよ。
自分とは別に存在してる環境から情報を集めたり、研究しなくちゃならないからね。
4次元、五感像っていうのは放っておいていいのさ。実りのゾーン(帯域)なんだから。
五感像が動くときは、自動的に、勝手に動いていくんだ。
僕だって、こうやって泳ぐときに、さぁ体重移動しなくちゃとか、考えてるわけじゃないよ。
そんなこと考えてたら泳げないよ。僕は泳ぎたいときに、泳ぎたいほうへ動くのさ。
みけ ヒーミルは行き先のイメージとか浮かぶことはあるの?
ヒーミル あるよ。僕は5次元ベースだから、きみよりもっと、うんと高速だよ(※)。
それは浮かんだときにもう完成してる(到着している)んだ。それは気にしないね。
泳ぎたいほうへ泳ぐよ。
※人間が考えたり感情を抱いたりするマインドの周波数帯で、最終的な具体像である五感的な感覚が開くこと。
したがって人間が考えたりイメージしたりする速度で五感化が起きる。
次元が上がるとは波動の媒質が軽くなることなので、次元が上がるほど高次、マインド、五感の具体化速度が上がる。
エーテルゾーンとかアストラルゾーンなどというのは媒質のちがい(周波数、振動数の差)をさす。

みけ マインドで完成像ができたら放置って、引き寄せの法則っぽいけど、
マインドと五感って別素材(別媒質)だから、色合いとか調子はそろうけど、本来は別ものだよね?
たとえば、イメージの餃子には五感の餃子には含まれていない感覚が織り込まれてるし、
反対に五感の餃子にはイメージの餃子にはない感覚が入ってるし(ヒーミルは餃子の皮が好き)。
そもそも順序や手順(時間)とか、構造や構成(空間)ってマインドでできる概念で、
五感的な感覚に時間や空間の要素はないでしょ。
でも3次元で考えてると、マインドのイメージ像が時空をへて横すべりで実現するって思えるんだよね。
だから、不安になったり、期待して待ったり、予兆を探したりして、
どんどん波動が下がっていく(ネガティブな気分になる)わけ。
何回も再生させてるとイメージ像の鮮度も落ちていくし。
マインドで完成像ができて、放置してると、まさに放置してる間に「実現を待つ」態度ができたり、
いい予感がする数字を見たり電気製品が壊れたりすると「実現間近のシルシか?」と思ったり、
「やっぱりないよな」とか「採用はムリでも最終選考には残りたいなぁ」とか考えたりして、
みるみる実現確率を下げていくの。私も何回もやったもん、そういう的中率崩壊。
ヒーミル 逆だね。僕が泳ぎたいほうへ泳いでいって、どこかでイメージ像が戻ってきたときに、
「これは知ってる」って思い出すんだ。正夢とかデジャヴュみたいにさ。
形は同じだけど色がちがうとか、香りが足されているとか、細かいちがいはどうでもよくて、
そこは気にならないんだ。全体的な雰囲気が同じ、コヒーレント(一貫している)なんだよ。
みけ そういえばアセンション、覚醒、非3次元化(どれも同じ)が進むと、
既知感覚が増えて知ってることだらけになるってソフィア@シリウスが言ってたなぁ。
ヒーミル そういうことさ。
3次元のゴーグルをはずすとね、自由になったマインドがアクティベート(賦活)されて、
わくわくする、愉快なフィーリング、イメージがたくさん湧いてくるよ。
マインドの感覚像は、3次元だと頼りない想像とか妄想で、物の世界を変えるヒントになるもの以外は
どうでもいいって思われてるけど、非3次元ではそうじゃないよ。
マインドの像は五感像とは別の周波数帯の現実なんだ。
それがね、はっきりするよ。
マインドの現実は同じ雰囲気の、同じ調性の五感像の現実を喚起する。
それもはっきりするよ。もう風の時代だからね。
  1. 2020/12/27(日) 15:44:53|
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生存という思考

2018.5.25(金)

前にもちらっと書いたことだけど、
パワハラモラハラセクハラアルハラ、さまざまなハラスメントが渦巻くブラック環境の
実状が疑問視され、「問題」として明るみに出てきたのはよいことと思う。
いまや、昭和生まれの人にとっての明治になろうとしている昭和のむかしには、
部活も職場もブラックなのが当たり前で、
上司や指導者や先輩からのハラスメントはハラスメントと感じられておらず、
「世のなかとはそういうもの」なのだから、
適応できないほうがたるんでいるとか非常識とかされていたのだからな。
いじめも動物の虐待も「あるある」で、きほん黙認されていた。
集団でも個人でも、問題の発覚は、意識されていないことへの気づきかたのひとつで、
一種の整体なのである。

個人も集団も、なぜ黒ずんでいくかといえば、根本的には、
生存競争とか生存の維持とかの定式思考で想像される生存の幻想性に気づけず、
そのようなマインドでこね上げられた生存がきわめて深刻に受けとめられ、
そういう仮想の生存に、ストレスまみれになって駆り立てられるからである。
「うちも資本主義だから」「競争がなくなるとモチベーションが下がる」
といった、紋切り型の、マインドレベルでもあまり真剣に思考されてなさげな文言を、
私はさまざまな場面で聞かされ、その場では適当に相槌を打って流したが、
ハラの底では、そういう文言にごまかしを感じていた。
相手の声や表情までリーディングすれば、
「あ、この人も自転車漕がされてて考えてないんだな」ということがありありである。
そういう人はたいてい、人格的には円満だった。

実際には、物体や物体の動きとして現れた出来事(体性感覚を通して構成された
物理像)は、知覚されると同時に直近過去として完了しているのであり、
そこがどん詰まりの終わりで、過去にも未来にもつながっていない。
あとは虚空(Zero Point Field)に還るだけ。
物体や出来事(物理像)として実現する流れは、
①まったく知覚できないゾーン
     ↓
②いくらか知覚できるけど③からの類推では測れない、わけがわからないゾーン
     ↓
③知覚できるゾーン(物体や出来事:物理像)
     ↓
④①に還る
と、垂直に降りて、ひとつの場を構成しているんであって、
過去の出来事―人々の工夫や努力→現在の出来事―人々の工夫や努力→未来の出来事
というように、水平方向には行かないのだ。
この水平の時空の流れは、大部分が記憶、あとは記憶への反射的思考や感情で織られた
まぼろしである。
過去の出来事(実際には記憶)が累積していって現在を形成し、両者の合算が未来に影響する
という、思考された時間(時間思考)である。
「現在」すら、思考である過去や思考である未来とつながる思考としての現在で、
直近過去として終わっていることが認識されておらず、
つまり、まだ事態をどうにかできる段階だと考えられていて、まったく「現実」的ではない。

生存競争とか生存の維持って、こういう時間思考に絡めとられていて、
「現実」的じゃないんですよ。
私がそういう言葉を聞いて違和感を覚えたのは(そのときは言語化できなかったけど)、
「現実」的じゃないからです。
個人や会社の生存が第一とか、競争がないと向上しないとか、すごくもっともらしいけど、
アタマで考えた、というか誰かの説、メディアの情報をコピペして出した結論であって、
「現実」をまともに観察して出てきた答ではありません。

知覚できないゾーンが知覚できなくても、
物体や出来事(物理像)が、ハッと意識されたときにはもう完成品だということは、
サイキッカーじゃなくても誰にでもわかることです。けど、
世間一般に暗黙に了解されている思考ベースの常識によって、
赤裸々な「現実」が見えなくなってしまっている。

どうも、記憶とか思考とかに引っ張られがちで、
マインドのハイパフォーマンスで疲れるなー、というとき、
視覚や聴覚や触覚などを通して実現している物体や出来事の像に、
意識的に注意を集中させてみると、
それはもう1ミクロンも動かせない終了場面だということが、直覚的に、
説明抜きにダイレクトにわかる。
スピリチュアル業界用語でいう「サレンダー(明け渡す、降伏する)」ってやつ。
と、どういうからくりでか、次の場がちゃんと見える。
次が見えるというか、流れが来てるのがわかってそこに乗れる、という感じですが。

ところで、
『響け! ユーフォニアム』(武田 綾乃/宝島社文庫)という吹奏楽部小説シリーズを読んで
愕然としたのは、
部内人間関係のシチメンドウくささが20世紀と全然変わってないことでした。
私は、こういう大所帯部活の人間関係のゴッタゴタは、時代、地域限定の、
特定時空現象だと思っていたんだけど・・・通時的、広域的だったのね。
でも、この小説に出てくる北宇治高校吹奏楽部は、
下級生がかなり思いのままに意見や心情を述べられる雰囲気ができていて、
というのは辞めずに残った先輩たちに、自身の非や弱さを認める強さがあるからですが、
ブラックではありません。
ブラックじゃないということは、問題が封印されず、すぐ発覚するということで、
そうすると次々問題が発生しても、予定調和じゃない解決への道が開かれます。

それと、
トランペット担当の高坂麗奈やコントラバス担当の川島緑輝(「エメラルド」じゃなく、なぜか
「サファイア」と読むのだが、本人的には抵抗があり、「緑(みどり)」と呼ぶように主張)が、
なぜダントツに巧いのかというと、
究極、この人たちはコンクールの「ために」演奏技術を磨いているわけではないからだ。
コンクールというのは、音楽という形でフォース(またの名を愛w)がヴァイブレーション化して
現れる機会のひとつにすぎず、
それはとくに音楽活動でなくてもよい。
存在すること、居ることそのものがフォース(=愛w)の現れだから。

もっとも高坂さんの場合は、「特別になりたい!」とか「滝先生(顧問)ラブ!」とか、
承認欲求の嵐が烈風で吹き荒れていて、
なぜトランペットを吹いているのか、本人が自覚してないみたいだけど、
魂では知っていると思う。
もし彼女が「特別でいたい、滝先生にとっての特別な存在になりたい、音大行きたい、
全国大会ゴールド金賞! うぉぉぉぉーーー!」てなことで破裂しそうになっていたら、
冷静な中川夏紀先輩あたりが、
「あんた、そんなこと“考えて”吹いてんだ?www」
と突っ込んであげたら、この人、賢いからすぐ気がつくんじゃないかな。
しかし、「なんでかわかんないけど、そういうことのためじゃない」と気がつくには、
まずは承認欲求が全部承認されている必要がある。

「競争がないと退廃する」のは、
生存を脅かされるというネガティブなバネがないと退廃してしまうくらい生存思考に囚われていて、
ワクワクしないからです。
だからハラハラに走る。ハラハラってワクワクのネガ転波動だから。
  1. 2018/05/25(金) 13:52:14|
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政治と第4密度

2017.5.9(火)

第4密度にイッちゃった人は、
身体がありながら(物理帯域に降りていながら)「私」と「私でないもの(誰か、
人間以外の生物、無機物)」との分離が対立しておらず、共存関係にあります。
この人は、「非私」によって「私」の輪郭を確認せずにはおれない、自己承認の永久運動に
ハマっている壊れた自我構造体に閉じ込められてはおらず、
世界そのもの、宇宙そのものである意識体、すなわち魂宇宙であり、
虚空(ゼロポイントフィールド)の表現体です。
同時に、その魂宇宙が「私」と「非私」に分かれて感じられる面では、
一切が連携していることを感じて知っています。
だからときどきサイフやケータイデンワなんかとも交信して、
人目につかないところで彼らのハンズオンクリアリングをしたりしてるわけよ。

こういう人には、「私」と「非私(=環境)」が対立抗争している第3密度の偉い人からの
「私を支持してくれれば、あなたのニーズを充たしますよ」
という誘いが利きません。ていうか届かない。
だって、ニーズ(欠乏)なんてどこにもないんだもの。
何であれ必要だったら必要なときにもたらされるし、
私や非私のどんな活動も、どこかに響いて必要なところに届いて、
そういうのが循環して全体が潤うから。

第4密度の人も、政治とか、職場や地域など何らかの集合体の方針決定にかかわります。
でも、決断を迫られることはありません。
政治方面だけでなく、万事、流れに乗るだけだから。
たとえば投票するかしないか、投票するなら誰に、あるいはどの案にするか、
決めるにあたって必要な情報があれば、情報のほうからこちらへやってくるし、
何か自分が積極的に動く必要があるのならそうするし、
すべて宇宙の流れのなかで行われるので、
「私」がウンウン考えたり悩んだりして答をひねりだすんじゃないんです。
第4密度にいる誰かがA案を支持し、別の人はB案を支持する、と、
意見が分かれることもあります。
第4密度においてはどちらも正しい。または正解なしと言ってもいい。

第3密度の偉い人たちは、上記のような人を、
「必要なものが必要なときにもたらされるぅ? ウチュウの流れぇ???
はは、バッカじゃないの。忖度するまでもなくスピリチュアルかぶれの現実逃避だね」
と、口にする以前に、ハナで嗤う価値もなしとばかり、相手にしないでしょう(その一方で、
高名な占い師やサイキッカーに託宣を仰いでいるかもしれないけど)。
しかし仮に、「先生も、お望みならアッチ側に移れますよ」と呼びかけられても、
おそらく先生がたは現状に留まりつづけるでしょう。
先生がたは、第3密度の対立抗争モードに上手に適応できた人たちであり、
だからこそ偉くなれたのだから。
「私」が「私でないもの」と格闘し、成功しても失敗しても、
外環境を克服せんとする努力によって成長し、「私」を練磨していく、
ときめきビルドゥングス(成長)RPGのオペレーティングシステムである対立抗争が
なくなってしまったら、
(線形時空間に刻まれた)わが偉業も、この先の栄誉の機会も失ってしまう。
ならば、むしろ対立抗争がなくならないほうがいい。
「私」と「私でないもの」との対立抗争は、人が生物である以上、不可避である、
こればっかりはどうにもならない、これが“現実”なんだ、
対立を受け入れたうえで調整していくしかないんだ、
ということにしておいたほうがいいのです。
第4密度の意識が既得権益をはるかに凌駕するとしても、
「私」を失うくらいなら現状維持がいい。

わが家、わが町わが村、わが社、わが国・・・と、「私」は外へと拡張していくこともできます。
このとき、わが家はわが家でない家々と、
わが町わが村はわが町わが村でない町や村と、
わが社はわが社でない会社と、
わが国はわが国でない国々と、対立する関係になり、
「私」が「私でないもの(外環境)」と繰り広げる闘争、和約、駆け引き、共闘、相互不可侵などが、
集団自我同士の間でも起こります。
どこまで広げても、たとえ投影対象が惑星や銀河系や銀河団まで広がろうとも、
根もとで「私」が「私でないもの」を操作して克服しようとしている以上、
投影対象は「私」の延長で、
延長された私ではない他家や他町村や他社や他国と対立します。
「無私のこころで家族に、町や村に、会社に、国に尽くす」と、
ご本人が本気で思っているとしても、無くさなければならない「私」がいるのなら、
そのこころは投影対象に対する萌えであり、尽くす行いはプレイです。
投影対象が「弱者」とか「貧しい人たち」といったように横断的になっても同じ。
本当に偉い先生は、無私のこころが萌えで、尽くすのがプレイだと自覚しているので
(第3密度に留まっていてもその程度には冷静になれる)、
自分の萌えとプレイを「私でない人たち」に強要したりしません。

「私」と「私でないもの」との分断から覚めてはじめて、
「私」も「私でないもの」も私であるとわかり、
分かれて感じられる存在すべてがつながっているとわかります。
たとえば与党の党首にとって、揚げ足とりとしか思えぬ質問をしてくる野党議員も、
脇が甘くて苛々させられる閣僚も、
生活防衛で汲々の民草も、被害者意識が強くてうんざりさせられる民草も、
なぜ選ばれたのか解せない白い家の公方様も、
いつまでも昔のことを根にもってあれこれ要求してくる隣国の人たちも、
全部その人自身、その人の宇宙であって、
ねじ伏せて改心させなければならない「私でないもの」ではありません。

以下はデムパゆんゆんのつぶやき。

私、家庭、職場や会社、町村、国・・・と、外へ拡張されていくアイデンティファイ運動が、
国とか、エクステンションしてもせいぜい東洋あたりで止まってしまうのはどうして?
同調圧力の限界?
外圧がないから? 宇宙人が黒宇宙船で攻めてくれば「惑星」まで拡張し、
ナショナリズムに替わってプラネタリズムが新フレームになるのか?
それはそれとしてインドや中東はどっち? 別枠?
ああユーラシア大陸+沿岸諸島が全部EUに視える・・・
だってどこも同じアトランティスのむじななんだもの。

テランの集合意識ラインは東西じゃなく南北で引かれる。
北米沿岸と東アジア沿岸、とりわけコードネーム「豊葦原」が
地政学ならぬ霊政学的にw重要だとすれば、
まったりレムリア&ムーと、イケイケのアトランティスとの習合地域だから。
  1. 2017/05/09(火) 15:08:38|
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
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https://puboo.jp/book/76592 ブログ用Starry Souls表紙             キンドル版はこちら

出版案内3

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https://puboo.jp/book/134118 トランジット表紙jpg変換             キンドル版はこちら

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