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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

風の時代――ヒーミル@シリウス系イルカとのチャネ談

2020.12.27(日)

風の時代――ボブ・ディラン?
という感じで、デムパ巷間に浮沈するこの種の用語にはあまりピンとこないのであるが、
2020年の12月21日(月)の夜になって、いきなり私のイメージワールドのイルカたちが
「風の時代」を連呼しはじめ、この件に言及することになった。
詳しいことは何も知らんけど、
2020年の12月21日、240年間つづいた地の時代が終わり、翌22日から風の時代になったんだって。
2012年のマヤ暦騒動、「2016年の秋にすべてが一変する」騒動の空振りのあとでは、
もううんざり、微動だにしないというか、何年かに一度、この種のことが景気づけに言われるのかなぁ、
くらいにしか私には感じられないんだけど、
3次元であれ非3次元であれ、すべての出来事は個人に(非3次元なら統覚視点が開く宇宙に)
起きるので、報道やドキュメンタリーが描くような客観的なまとめ視点での体験などない。
あれらは事件直前までの過去の思考を観念に嵌めて紡いだ考察である。
私のかつての上司で1999年に亡くなった人がいるが、衰滅をポジネガどちらでとるかはさておき、
この人にとってはノストラダムスの予言が当たったという見かたもできる。
ノストラダムスやエドガー・ケイシーの1998年日本破滅説(というのもあったような気がする)以上に
個人的に衝撃を受けたのは、97~98年くらいに、経済分野の専門家がその著書で警鐘を鳴らしていた
世界金融大恐慌説が空振りしたこと。私はこの人の著書を仕事の資料として読んだのだけど、
全資産を金(きん)に換えて恐慌に備えよ的な、すごい勢いで危機感を煽る内容だったんですよ。
これはビジネス系の経済予測本で、オカルトじゃありません。
2011年にハイパーインフレが起きる説もあったね。これもスカりました。
予言にせよ予測にせよ、ハズれてもとくに責任は問われず、忘れられてしまいますな。
たとえそのとき歴史が動いた的な現場に居合わせたとしても、
体験するのは歴史ではなく個人に起きる出来事なのです。
とすれば、いつだろうとどこにいようと、通時空的に「自分の時代」といえる。
ということを踏まえて、ミルヒー@シリウス系イルカとのチャネ談です。
文中では愛称の「ヒーミル」で表記しています。

ヒーミル 風の時代だよ。風ってのは、マインドのことだよ。
風は感じられるけど見えないよね?
だから、非五感的だけど自覚はしやすいマインドの感覚(思考、感情、気分など)の象徴なのさ。
みけ 風の前の地の時代のはじまりが240年前だそうだけど、240年前って1780年なんだよね(※)。
日本は江戸時代の後期で、翌年に安永から天明に改元されて、飢饉とか起きてめっちゃたいへん。
およそ5年後から寛政の改革がはじまります。明治維新まで残りだいたい90年。
中国は乾隆帝の時代で、清朝の隆盛にそろそろ翳りが出てくる。
ヨーロッパはフランス革命前夜で啓蒙の時代、イギリスは産業革命、アメリカで独立戦争。
ここから先の19、20世紀が動乱、激動って感じなんだけど。
欧米が膨張していく形で歴史がグローバルになっていくし。
「地」の時代って、なんか安定した落ち着いた雰囲気かと思いきや、全然そうじゃない。烈しい。
※ちなみに計算してみたら、ひとつ前の風の時代は1060年~1300年、ふたつ前は340~580年、
3つ前は紀元前620~380年。日本の場合、ひとつ前の風の時代は平安末期、陸奥の阿部氏の乱(前九年の役)のあたりで、
武士の時代のはじまりと一致する。そして1780~2020年の地の時代の早々に武家政権は終わる。

ヒーミル 3次元が(地の時代以前に)行き着くところまで行って、どん詰まりになって、壊れはじめたのさ。
みけ ざっくり全体として、身分制が崩壊していくという流れがあるよね。
ある家系に生まれたら、一族、先祖の網の目のなかでその人のポジションが決まって、
それはもう永劫に、死んでも変更不可能って感じだとか、
ある階層に生まれたら、どういう生活を送るか、一生にわたって、おおむね決まるとか、
そういうふうに、集団単位で運命がだいたい決まっているというか、
赤血球、白血球、肝臓の細胞、脳細胞、みたいにはっきり役割が分かれている、
人間がそういう機能分化した集合的な存在ではなくなっていく。
で、原子みたいにひとりひとりスペックは同じで、全体でひとつの種を形成しているっていう、
「人類」というカテゴリーが出てくる。
「人類」だって、それに「集合意識」も、どっちも個人のマインドにある概念なんだけど、
集団単位で役割が決まり運命が決まるよりは、「人類の一員」のほうがはるかに自由だと思う。
ヒーミル きみは集団のセル(細胞)にはなれないよ。そういう角度(統覚視点が固有の宇宙を
開くときの角度。この角度によって個性が異なる)をもってないからね。
どっちが優れているとか劣っているとかじゃなくて、角度がちがう、だから意識がちがうんだ。
集団を構成するセルになって、王様だとか、戦士だとか、農奴だとかをエンジョイする角度もありなんだよ。
王様が非人道的で農奴が気の毒っていうのは、地の時代以降の感性なんだ。
みけ 今でもセル波長の人いるよ。でも「人間」や「人類」をベースとしたうえで演じているっていう
「仮」感が拭えなくて、徹しきれてないけど。
「仮」だってバレちゃってるからこそ、そういう人は集団の不文律に従わない異分子がいると排撃するの。
異分子がいると封印している「仮」性を意識させられちゃうから。
ヒーミル ガチでセルになりきれる角度は地の時代の前で終わりさ。
でも「あなたも私も彼も彼女も人類の一員」っていう、そういう原子みたいな存在モデルも、
3次元のまぼろしだけどね。
みけ 認識する前からそこに認識の対象(客体。一般的には物質)がそこにある、
あらかじめ対象があるから認識することができるっていう、そういう想定が(マインドに)あるから、
客体化した身体単位の私やあなたや彼や彼女がいる、それが当たり前と思えるってことね。
ヒーミル 全部が逆さになる(認識によってその対象が存在する、もしくは創造される、のではなく、
対象が先に存在するからこそ認識できる、と転倒していること)ゴーグル(水中眼鏡)をつけてるようなものさ。
それをはずしちゃうと、きみがいろんな色や形や考えや気持ちを感じて現している、
きみの、一人称の宇宙があるだけだよ。
風の時代には、それがはっきりするよ。
地の時代に集合体が壊れてバラバラになっていったときには、だいたい野蛮なやりかただったよね。
戦争とか暴力とか、暴力をバックにした強制措置とか。
それは自分の外(客体)を変えないと良くならないっていう思い込みがあったからさ。
そういうのは、もういらないんだ。
みけ 3次元の最終手段はずっと、通時的に暴力だよ。
瞬殺で、大量に、って方向に、だんだん効率化されていくけど。
法律とかの規則も、交渉も、最後の最後、暴力っていう担保があるから機能してる。
ヒーミル キリがないよ。むださ。
完成像はマインドで(イメージや発想、それに伴う感情などとして)できるんだ。
個人的で、一人称の世界なんだよ。どんなことでもね。
マインドが要なんだ。それがはっきりするよ。
マインドで完成像ができたら、あとは放置さ。
世の中とか地球とか銀河とか宇宙とか、それはきみだよ。きみのことさ。
きみの感じたことがそのまま感覚像に、現実になるんだ。

自分とは別に世の中とか地球とかがあるって想定してれば、そのとおりになるしね。
みけ 3次元で「行動」といわれてることは、物質でできた身体とか環境に働きかけることだけど、
自分の認識とは別に物質が存在するっていう想定も、
その想定物質に働きかけるっていう意図も、両方ともマインドでしていることだよね?
それで、マインドで描いた完成像はまったくの主観像で、
それとは別に物質が存在するから、そっちに働きかけないと、っていう行動指針をマインドでつくる
わけなんだけど、この行動指針に従うと、
「働きかけた物質環境からの刺激→物理感覚という反応→思考や感情の動きという反応」
という手応え(反応)があったっていう判断をマインドがするわけなんだけど、
その手応え像が完成像への一歩になる、それで完成像に近づくとは限らないでしょ?
ヒーミル クプクプクプ・・・プププ(笑)。だから、それが地の時代のやりかたなんだよ。
結果はランダムになるね。籤を引くみたいな感じだね。
行動指針が完成像に嵌ることもあるし、完成像から逸れてあさってのほうに行っちゃうこともあるし。
でも、うまくいってもいかなくても、すごくストレスがかかるよ。
自分とは別に存在してる環境から情報を集めたり、研究しなくちゃならないからね。
4次元、五感像っていうのは放っておいていいのさ。実りのゾーン(帯域)なんだから。
五感像が動くときは、自動的に、勝手に動いていくんだ。
僕だって、こうやって泳ぐときに、さぁ体重移動しなくちゃとか、考えてるわけじゃないよ。
そんなこと考えてたら泳げないよ。僕は泳ぎたいときに、泳ぎたいほうへ動くのさ。
みけ ヒーミルは行き先のイメージとか浮かぶことはあるの?
ヒーミル あるよ。僕は5次元ベースだから、きみよりもっと、うんと高速だよ(※)。
それは浮かんだときにもう完成してる(到着している)んだ。それは気にしないね。
泳ぎたいほうへ泳ぐよ。
※人間が考えたり感情を抱いたりするマインドの周波数帯で、最終的な具体像である五感的な感覚が開くこと。
したがって人間が考えたりイメージしたりする速度で五感化が起きる。
次元が上がるとは波動の媒質が軽くなることなので、次元が上がるほど高次、マインド、五感の具体化速度が上がる。
エーテルゾーンとかアストラルゾーンなどというのは媒質のちがい(周波数、振動数の差)をさす。

みけ マインドで完成像ができたら放置って、引き寄せの法則っぽいけど、
マインドと五感って別素材(別媒質)だから、色合いとか調子はそろうけど、本来は別ものだよね?
たとえば、イメージの餃子には五感の餃子には含まれていない感覚が織り込まれてるし、
反対に五感の餃子にはイメージの餃子にはない感覚が入ってるし(ヒーミルは餃子の皮が好き)。
そもそも順序や手順(時間)とか、構造や構成(空間)ってマインドでできる概念で、
五感的な感覚に時間や空間の要素はないでしょ。
でも3次元で考えてると、マインドのイメージ像が時空をへて横すべりで実現するって思えるんだよね。
だから、不安になったり、期待して待ったり、予兆を探したりして、
どんどん波動が下がっていく(ネガティブな気分になる)わけ。
何回も再生させてるとイメージ像の鮮度も落ちていくし。
マインドで完成像ができて、放置してると、まさに放置してる間に「実現を待つ」態度ができたり、
いい予感がする数字を見たり電気製品が壊れたりすると「実現間近のシルシか?」と思ったり、
「やっぱりないよな」とか「採用はムリでも最終選考には残りたいなぁ」とか考えたりして、
みるみる実現確率を下げていくの。私も何回もやったもん、そういう的中率崩壊。
ヒーミル 逆だね。僕が泳ぎたいほうへ泳いでいって、どこかでイメージ像が戻ってきたときに、
「これは知ってる」って思い出すんだ。正夢とかデジャヴュみたいにさ。
形は同じだけど色がちがうとか、香りが足されているとか、細かいちがいはどうでもよくて、
そこは気にならないんだ。全体的な雰囲気が同じ、コヒーレント(一貫している)なんだよ。
みけ そういえばアセンション、覚醒、非3次元化(どれも同じ)が進むと、
既知感覚が増えて知ってることだらけになるってソフィア@シリウスが言ってたなぁ。
ヒーミル そういうことさ。
3次元のゴーグルをはずすとね、自由になったマインドがアクティベート(賦活)されて、
わくわくする、愉快なフィーリング、イメージがたくさん湧いてくるよ。
マインドの感覚像は、3次元だと頼りない想像とか妄想で、物の世界を変えるヒントになるもの以外は
どうでもいいって思われてるけど、非3次元ではそうじゃないよ。
マインドの像は五感像とは別の周波数帯の現実なんだ。
それがね、はっきりするよ。
マインドの現実は同じ雰囲気の、同じ調性の五感像の現実を喚起する。
それもはっきりするよ。もう風の時代だからね。
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  1. 2020/12/27(日) 15:44:53|
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生存という思考

2018.5.25(金)

前にもちらっと書いたことだけど、
パワハラモラハラセクハラアルハラ、さまざまなハラスメントが渦巻くブラック環境の
実状が疑問視され、「問題」として明るみに出てきたのはよいことと思う。
いまや、昭和生まれの人にとっての明治になろうとしている昭和のむかしには、
部活も職場もブラックなのが当たり前で、
上司や指導者や先輩からのハラスメントはハラスメントと感じられておらず、
「世のなかとはそういうもの」なのだから、
適応できないほうがたるんでいるとか非常識とかされていたのだからな。
いじめも動物の虐待も「あるある」で、きほん黙認されていた。
集団でも個人でも、問題の発覚は、意識されていないことへの気づきかたのひとつで、
一種の整体なのである。

個人も集団も、なぜ黒ずんでいくかといえば、根本的には、
生存競争とか生存の維持とかの定式思考で想像される生存の幻想性に気づけず、
そのようなマインドでこね上げられた生存がきわめて深刻に受けとめられ、
そういう仮想の生存に、ストレスまみれになって駆り立てられるからである。
「うちも資本主義だから」「競争がなくなるとモチベーションが下がる」
といった、紋切り型の、マインドレベルでもあまり真剣に思考されてなさげな文言を、
私はさまざまな場面で聞かされ、その場では適当に相槌を打って流したが、
ハラの底では、そういう文言にごまかしを感じていた。
相手の声や表情までリーディングすれば、
「あ、この人も自転車漕がされてて考えてないんだな」ということがありありである。
そういう人はたいてい、人格的には円満だった。

実際には、物体や物体の動きとして現れた出来事(体性感覚を通して構成された
物理像)は、知覚されると同時に直近過去として完了しているのであり、
そこがどん詰まりの終わりで、過去にも未来にもつながっていない。
あとは虚空(Zero Point Field)に還るだけ。
物体や出来事(物理像)として実現する流れは、
①まったく知覚できないゾーン
     ↓
②いくらか知覚できるけど③からの類推では測れない、わけがわからないゾーン
     ↓
③知覚できるゾーン(物体や出来事:物理像)
     ↓
④①に還る
と、垂直に降りて、ひとつの場を構成しているんであって、
過去の出来事―人々の工夫や努力→現在の出来事―人々の工夫や努力→未来の出来事
というように、水平方向には行かないのだ。
この水平の時空の流れは、大部分が記憶、あとは記憶への反射的思考や感情で織られた
まぼろしである。
過去の出来事(実際には記憶)が累積していって現在を形成し、両者の合算が未来に影響する
という、思考された時間(時間思考)である。
「現在」すら、思考である過去や思考である未来とつながる思考としての現在で、
直近過去として終わっていることが認識されておらず、
つまり、まだ事態をどうにかできる段階だと考えられていて、まったく「現実」的ではない。

生存競争とか生存の維持って、こういう時間思考に絡めとられていて、
「現実」的じゃないんですよ。
私がそういう言葉を聞いて違和感を覚えたのは(そのときは言語化できなかったけど)、
「現実」的じゃないからです。
個人や会社の生存が第一とか、競争がないと向上しないとか、すごくもっともらしいけど、
アタマで考えた、というか誰かの説、メディアの情報をコピペして出した結論であって、
「現実」をまともに観察して出てきた答ではありません。

知覚できないゾーンが知覚できなくても、
物体や出来事(物理像)が、ハッと意識されたときにはもう完成品だということは、
サイキッカーじゃなくても誰にでもわかることです。けど、
世間一般に暗黙に了解されている思考ベースの常識によって、
赤裸々な「現実」が見えなくなってしまっている。

どうも、記憶とか思考とかに引っ張られがちで、
マインドのハイパフォーマンスで疲れるなー、というとき、
視覚や聴覚や触覚などを通して実現している物体や出来事の像に、
意識的に注意を集中させてみると、
それはもう1ミクロンも動かせない終了場面だということが、直覚的に、
説明抜きにダイレクトにわかる。
スピリチュアル業界用語でいう「サレンダー(明け渡す、降伏する)」ってやつ。
と、どういうからくりでか、次の場がちゃんと見える。
次が見えるというか、流れが来てるのがわかってそこに乗れる、という感じですが。

ところで、
『響け! ユーフォニアム』(武田 綾乃/宝島社文庫)という吹奏楽部小説シリーズを読んで
愕然としたのは、
部内人間関係のシチメンドウくささが20世紀と全然変わってないことでした。
私は、こういう大所帯部活の人間関係のゴッタゴタは、時代、地域限定の、
特定時空現象だと思っていたんだけど・・・通時的、広域的だったのね。
でも、この小説に出てくる北宇治高校吹奏楽部は、
下級生がかなり思いのままに意見や心情を述べられる雰囲気ができていて、
というのは辞めずに残った先輩たちに、自身の非や弱さを認める強さがあるからですが、
ブラックではありません。
ブラックじゃないということは、問題が封印されず、すぐ発覚するということで、
そうすると次々問題が発生しても、予定調和じゃない解決への道が開かれます。

それと、
トランペット担当の高坂麗奈やコントラバス担当の川島緑輝(「エメラルド」じゃなく、なぜか
「サファイア」と読むのだが、本人的には抵抗があり、「緑(みどり)」と呼ぶように主張)が、
なぜダントツに巧いのかというと、
究極、この人たちはコンクールの「ために」演奏技術を磨いているわけではないからだ。
コンクールというのは、音楽という形でフォース(またの名を愛w)がヴァイブレーション化して
現れる機会のひとつにすぎず、
それはとくに音楽活動でなくてもよい。
存在すること、居ることそのものがフォース(=愛w)の現れだから。

もっとも高坂さんの場合は、「特別になりたい!」とか「滝先生(顧問)ラブ!」とか、
承認欲求の嵐が烈風で吹き荒れていて、
なぜトランペットを吹いているのか、本人が自覚してないみたいだけど、
魂では知っていると思う。
もし彼女が「特別でいたい、滝先生にとっての特別な存在になりたい、音大行きたい、
全国大会ゴールド金賞! うぉぉぉぉーーー!」てなことで破裂しそうになっていたら、
冷静な中川夏紀先輩あたりが、
「あんた、そんなこと“考えて”吹いてんだ?www」
と突っ込んであげたら、この人、賢いからすぐ気がつくんじゃないかな。
しかし、「なんでかわかんないけど、そういうことのためじゃない」と気がつくには、
まずは承認欲求が全部承認されている必要がある。

「競争がないと退廃する」のは、
生存を脅かされるというネガティブなバネがないと退廃してしまうくらい生存思考に囚われていて、
ワクワクしないからです。
だからハラハラに走る。ハラハラってワクワクのネガ転波動だから。
  1. 2018/05/25(金) 13:52:14|
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政治と第4密度

2017.5.9(火)

第4密度にイッちゃった人は、
身体がありながら(物理帯域に降りていながら)「私」と「私でないもの(誰か、
人間以外の生物、無機物)」との分離が対立しておらず、共存関係にあります。
この人は、「非私」によって「私」の輪郭を確認せずにはおれない、自己承認の永久運動に
ハマっている壊れた自我構造体に閉じ込められてはおらず、
世界そのもの、宇宙そのものである意識体、すなわち魂宇宙であり、
虚空(ゼロポイントフィールド)の表現体です。
同時に、その魂宇宙が「私」と「非私」に分かれて感じられる面では、
一切が連携していることを感じて知っています。
だからときどきサイフやケータイデンワなんかとも交信して、
人目につかないところで彼らのハンズオンクリアリングをしたりしてるわけよ。

こういう人には、「私」と「非私(=環境)」が対立抗争している第3密度の偉い人からの
「私を支持してくれれば、あなたのニーズを充たしますよ」
という誘いが利きません。ていうか届かない。
だって、ニーズ(欠乏)なんてどこにもないんだもの。
何であれ必要だったら必要なときにもたらされるし、
私や非私のどんな活動も、どこかに響いて必要なところに届いて、
そういうのが循環して全体が潤うから。

第4密度の人も、政治とか、職場や地域など何らかの集合体の方針決定にかかわります。
でも、決断を迫られることはありません。
政治方面だけでなく、万事、流れに乗るだけだから。
たとえば投票するかしないか、投票するなら誰に、あるいはどの案にするか、
決めるにあたって必要な情報があれば、情報のほうからこちらへやってくるし、
何か自分が積極的に動く必要があるのならそうするし、
すべて宇宙の流れのなかで行われるので、
「私」がウンウン考えたり悩んだりして答をひねりだすんじゃないんです。
第4密度にいる誰かがA案を支持し、別の人はB案を支持する、と、
意見が分かれることもあります。
第4密度においてはどちらも正しい。または正解なしと言ってもいい。

第3密度の偉い人たちは、上記のような人を、
「必要なものが必要なときにもたらされるぅ? ウチュウの流れぇ???
はは、バッカじゃないの。忖度するまでもなくスピリチュアルかぶれの現実逃避だね」
と、口にする以前に、ハナで嗤う価値もなしとばかり、相手にしないでしょう(その一方で、
高名な占い師やサイキッカーに託宣を仰いでいるかもしれないけど)。
しかし仮に、「先生も、お望みならアッチ側に移れますよ」と呼びかけられても、
おそらく先生がたは現状に留まりつづけるでしょう。
先生がたは、第3密度の対立抗争モードに上手に適応できた人たちであり、
だからこそ偉くなれたのだから。
「私」が「私でないもの」と格闘し、成功しても失敗しても、
外環境を克服せんとする努力によって成長し、「私」を練磨していく、
ときめきビルドゥングス(成長)RPGのオペレーティングシステムである対立抗争が
なくなってしまったら、
(線形時空間に刻まれた)わが偉業も、この先の栄誉の機会も失ってしまう。
ならば、むしろ対立抗争がなくならないほうがいい。
「私」と「私でないもの」との対立抗争は、人が生物である以上、不可避である、
こればっかりはどうにもならない、これが“現実”なんだ、
対立を受け入れたうえで調整していくしかないんだ、
ということにしておいたほうがいいのです。
第4密度の意識が既得権益をはるかに凌駕するとしても、
「私」を失うくらいなら現状維持がいい。

わが家、わが町わが村、わが社、わが国・・・と、「私」は外へと拡張していくこともできます。
このとき、わが家はわが家でない家々と、
わが町わが村はわが町わが村でない町や村と、
わが社はわが社でない会社と、
わが国はわが国でない国々と、対立する関係になり、
「私」が「私でないもの(外環境)」と繰り広げる闘争、和約、駆け引き、共闘、相互不可侵などが、
集団自我同士の間でも起こります。
どこまで広げても、たとえ投影対象が惑星や銀河系や銀河団まで広がろうとも、
根もとで「私」が「私でないもの」を操作して克服しようとしている以上、
投影対象は「私」の延長で、
延長された私ではない他家や他町村や他社や他国と対立します。
「無私のこころで家族に、町や村に、会社に、国に尽くす」と、
ご本人が本気で思っているとしても、無くさなければならない「私」がいるのなら、
そのこころは投影対象に対する萌えであり、尽くす行いはプレイです。
投影対象が「弱者」とか「貧しい人たち」といったように横断的になっても同じ。
本当に偉い先生は、無私のこころが萌えで、尽くすのがプレイだと自覚しているので
(第3密度に留まっていてもその程度には冷静になれる)、
自分の萌えとプレイを「私でない人たち」に強要したりしません。

「私」と「私でないもの」との分断から覚めてはじめて、
「私」も「私でないもの」も私であるとわかり、
分かれて感じられる存在すべてがつながっているとわかります。
たとえば与党の党首にとって、揚げ足とりとしか思えぬ質問をしてくる野党議員も、
脇が甘くて苛々させられる閣僚も、
生活防衛で汲々の民草も、被害者意識が強くてうんざりさせられる民草も、
なぜ選ばれたのか解せない白い家の公方様も、
いつまでも昔のことを根にもってあれこれ要求してくる隣国の人たちも、
全部その人自身、その人の宇宙であって、
ねじ伏せて改心させなければならない「私でないもの」ではありません。

以下はデムパゆんゆんのつぶやき。

私、家庭、職場や会社、町村、国・・・と、外へ拡張されていくアイデンティファイ運動が、
国とか、エクステンションしてもせいぜい東洋あたりで止まってしまうのはどうして?
同調圧力の限界?
外圧がないから? 宇宙人が黒宇宙船で攻めてくれば「惑星」まで拡張し、
ナショナリズムに替わってプラネタリズムが新フレームになるのか?
それはそれとしてインドや中東はどっち? 別枠?
ああユーラシア大陸+沿岸諸島が全部EUに視える・・・
だってどこも同じアトランティスのむじななんだもの。

テランの集合意識ラインは東西じゃなく南北で引かれる。
北米沿岸と東アジア沿岸、とりわけコードネーム「豊葦原」が
地政学ならぬ霊政学的にw重要だとすれば、
まったりレムリア&ムーと、イケイケのアトランティスとの習合地域だから。
  1. 2017/05/09(火) 15:08:38|
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政治とアストラルエネルギー

2017.5.4(木)

『「意地悪」化する日本』(内田樹×福島みずほ/岩波書店)という対談本を読んだ。
これは2年前の夏、安保関連法案への反対運動が広がっていたさなかに行われた
対談をまとめた本で、法案の成立状況やその背景が主なテーマとなっている。

私は平生、社会に関心がないのだけど、図書館でこの本を見たとき、
先の参院選のおり、豹専務が、とある駅の前で演説中だった「ナマ福島みずほさんミタ。
意外と小柄な人やった」と言っていたのを憶えていたこと、
ネットでLGBT関係の記事を検索していたら福島さんのブログがヒットし、
それがFC2ブログで、「へー。アメブロじゃないんだ」と思ったこと、
『うつヌケ』(田中圭一/角川書店)という、これは豹専務の本なんだけど、
うつ病を脱出した人たちを取材して漫画にした本のなかに内田樹さんが登場していたこと、
など、点々とした記憶が偶然に結びついたので、借りてみたのである。

2年前の状況について書き起こされた本なので、時事データは当時のものだし、
リアルタイムな政治状況を映してはいないが、大筋は変わっていない。
攘夷に萌える人が、なぜ白い家にいる外国(とつくに)の公方様に拠らねばならんのか、
というねじれのわけもよくわかった。
攘夷の志は敗け戦で果たせず、外国の施政に従わねばならなくなったが、消えたわけではなく、
むしろかの国の筆頭属州となることにより、将兵を動かす言質を確保し、
いずれ時が来たら、外国が介入した法は撤廃、平たい顔族の、平たい顔族による、
平たい顔族のための法を布いて、ふたたび攘夷を決行せん、
それが平たい顔族の長老たちに受け継がれてきた潜伏策であると。
しかし当代の長老連は攘夷ファンタジーがファナティックであるゆえか、
あるいはインナーチャイルドが癒されていないのか、
こらえ性がなく、早々に決起せんとしてなりふりかまわずになっているらしい。
本に書かれていることではないが、
攘夷の志の遠景には、関が原の合戦(西軍‐石田方)のリベンジも幻視できる。

外国との戦だの攘夷だの、まして関が原だの、暦のうえでは数十年~数百年も昔のことだが、
当世の人がそうした大過去の環境磁場を継承しているというのは、ありえないことではない。
環境磁場とは感情、情念、思いであり、感情、情念、思いに時制はないからである。
たとえ現場にいなくても、いずれかの視点で語られる物語を読んだり聞いたりして、
感情移入すれば、たちまちコピペできてしまう。過去世にすらできる。
というか過去世の本体は、こういう念磁場なのだ。

『大奥』(よしながふみ/白泉社)という漫画を読むとひしひしわかるんですが、
春日局にとって、自身が辛苦を味わった戦国乱世というのは、つい昨日のことなんです。
徳川政権が諸国の大名をきりきり縛りあげ、融通の利かないハードなシステムを
つくっていくのは、「なんとしても、あの非道い戦国乱世に戻さないため」です。
そのシステムのメンテナンスにお金がかかって財政が危なくなってきたとき、
八代将軍吉宗が登場するわけですが、
偉大すぎた母上(性別が逆転しているので吉宗は女性です)の霊は次代の将軍に
劣等感を植えつけ、それが治世にも影響する。さらに十代将軍の代になっても、
老中・田沼意次にとって「吉宗公のご意志」は精神的支柱です。
そして、「ノーモア乱世」フレームで想定していなかった黒船がやってきたとき、
「そもそもなんで徳川政権なわけ?」と、封印されていた関が原の怨念が噴出する。
そうやって、過去は情念によって受け継がれていく。
これらの背後で、すっかり忘れ去られていながら、中世の争乱や古代の氏族対立の念も、
無意識領域ではオンになっていて動いているかもしれない。
時代の新旧に関係なく、情念の強度がオン/オフを決めるからです。復活もありです。

政治というのは、
成文化されて制度になるまでの成立過程では感情や気分に支配されるが、
文言として確定するときには言語に拠らねばならない、
でもそれが実際に強制力となって制約をかけてくる現場では、
文言どおりにことが運ぶとは限らず、かかわる人たちの裁量にも左右される、
と、三段がまえになっている。
言葉に切実な注意が払われるのは確定するときと、
強制力行使の現場で、強制力の根拠を示さなければならなくなったときだけです。
全体の3分の2くらいを感情や気分という名指せないものが占めており、
感情や気分を気体とすれば、
その背後に流体またはジェル状の情念とか信念とかが渦巻いていて、
表出しておらず無意識領域に潜んでいる分を含めれば、
アストラルエネルギーの趨勢でことが決まるといってもいい。
古代の哲人政治プランが企画倒れに終わったり、
言語主導の政体(共産フレームなど)が失敗したのは、
たぶん、アストラルエネルギーを勘定に入れてないからでしょう。
「“現実”が見えていない」とは、物理像が見えていないのではなく、
むしろ物理化していないものが視界に入っていないことをいう。
逆に、天然でアストラルエネルギーを操れてしまうけれども、
操作そのものが目的化してしまっているのがデマゴーグ(煽動政治家)です。

ということは、アストラルエネルギーの趨勢が変われば、
流れが変わるということです。

為政者は、過去や大過去の何らかの情念からエッセンスを抽出して
理想の政体像や共同体像を描きますが、
自分の欲求にふり回される民草がそんな高邁な話に乗ってこないことは
わかっているので、民草には自分の本心をあかしません。
民草向けには、あなたがたのニーズを充たしますよ、というもちかけかたをします。
そのかわり、密室合議では私らの理想国に向けてのリノベーションを
がんがん進めさせてもらいますよ、という非公開条件つきで。

民草の最優先ニーズはまず「安心」、
治安面、経済面、災害や疫病など不測の事態に対するリスクカバーといった
恒常性の維持が約束されること。
でも、安心というのは「落ちない」ための守りの方策で、
これだけだとショボい気持ちになってしまうので、
拡大、成長を示唆するというプラスアルファもつける必要があります。
結果を出せる出せないにかかわりなく、
安心+αが到来しそうだというイメージに説得力のあることが大切です。

為政のトップに立つ人は、当世では次のようなイメージを抱かせる人が
民草から支持されそうです。

・先端産業の企業のCEOふうのビジュアル(ブラックなニオイはNG)
・わかりやすいパフォーマンス(言論ではなく言動がわかりやすいこと)
・決断が迅速で、トップダウンで官吏を動かせる(=実行力がある)イメージを
 与えられること。このイメージに沿うなら朝令暮改ぜんぜんOK
<戦時>
・サッカーなどのチームスポーツで、贔屓チームがぐんぐん勝ち進んでいるときのような
 勢いを演出できること
・敗けても、動機の正しさや降伏の決断のタイミングなどでプラスの印象を残せること

先端産業に携わり、仕事が大好きで、リア充しており・・・といったような人は
民草のうちほんの一部、ですが、
誰しも自分のことをイケてないとかイタいとか思いたくないので、
エクステンション指向のセルフイメージを抱いている、というところがキモです。
むかし(ゼロ年代)、あるテレビ番組のキャッチフレーズに、
「時間もお金もないハッピーミセスのあなたに!」というのがあって、
なにそれぜんぜんハッピーじゃねーじゃん、と大笑いしたけど、
これは時短&節約企画とアッパーミドルイメージをムリくりに両立させようとした、
苦肉の珍フレーズです。
番組を見てもらおうとか、支持してもらおうとか、何か要求を受け入れてもらおうと
思ったら、相手がセルフイメージを盛れるようにしないといけない。

為政者サイドも民草サイドも、
ポジティブなアイデンティティが欲しい、という点で一致しています。

万にひとつ、
自己承認欲がなく、分かち合うことを怖れず、
「シャカ族はとっくに滅んでます@『聖☆おにいさん』のブッダ」みたいなことを
明るく言い放ち(←いかなる過去の情念にも囚われていない)、
おまけに少食ないし不食・・・といった人が増えたら、
為政者は嫌だろうねえ。
こういう人は自分で自己肯定できちゃうんで、外部操作が利かないから。
まあ、こういうのは、GDA(gross domestic awakeness=国内総覚醒w)などと
いったふうに数値化できないし、増えようと減ろうとどうでもいいですが。

<本のデータ>

書名/「意地悪」化する日本
著者/内田 樹(うちだ たつる)、福島 みずほ(ふくしま みずほ)
発行所/株式会社 岩波書店
発行年月日/2015年12月15日
価格/1,600円+税

正直、岩波書店からこんなソフトカバー+ナンパなタイトルの対談本が刊行されている
ことに驚いた。これなら、いっそカバーなし、昔の岩波文庫についていた悪名高い
あのブーブー紙で本体を包んだら、左翼インテリ全盛時代をレトロに彷彿とさせ、
「安保反対ですけど何か?」的な雰囲気を醸せてよいんじゃないか、と思った。
もちろんブーブー紙が破れても返品、交換はなし。
  1. 2017/05/04(木) 19:19:15|
  2. 社説
  3. | トラックバック:0

非フィボナッチ時空間

2017.4.29(土)

ソウル宇宙(魂)の本来現在=永遠。
この大仰な文字列が何を言わんとしているのか、突き詰めてみたい。

わかりやすく体感するために、じっとしていることにする。そして、
時間、空間という言葉は脇に置く。そんなの知らない、ということにする。
と、見ていたり、聞いていたり、さわっていたりする感覚が、
ばらばらにではなくまとまって起きている、何らかの景色だけがある。
景色というと視覚のイメージが強いから、何らかのクオリアと言おう。

じっとしていても、感覚は微細に変わるから、クオリアは一定していない。
揺れて、ざわめく。
歩くとか、ふり向くとか、動作をすれば、クオリアはもっと大きく揺れ動く。
グヮン、とか、ウィイーン、とか。
発声しても、クオリアは大きく揺れ動く。
母音、子音と母音、高低、強弱、ブレス。

何らかのクオリア。
前後のない現れ。
要するに、単純に、たったこれだけのことだ。

これを、幾万ものスピリチュアル言説は「今ここ」と呼ぶのだけど、
「今ここ」という言葉遣いそのものが、
過去の出来事という思考が積み重なったフィボナッチ時空間にもとづいた言い回しなので、
この言葉を聞いたり見たりして、「よし、では“今ここ”に居つづけよう」としても、
フィボナッチ時空間からは出られない(「居つづける」という発想からしてフィボナッチだし)。
かつて私もこの手の練習を試みたことがあるけど、
たとえば「10時までに掃除を終わらせて食事して外出する」という予定が、
「このスペースに掃除機をかける→次にあそこのスペースに掃除機→テーブルを拭く・・・」
といったように、細分化されたフローチャートとして意識に上るだけで、
次から次へと用事に追われるモードはまったく変わらなかった。
ただ、これをやったおかげで、「意識に上った今はもはや今ではなく過去だ」
と明白にわかりましたが。

こういうふうに積極的に「今ここ」を捕獲しようとするのではなく、
フィボナッチ時空間という思考に乗って流れる思考が止んだときに、
「!」みたいな形で、何らかのクオリアが、直に得心される。
思考が止むのは一瞬のこともあるけど一瞬とは限らず、
かなり長い映画を見ていた間ずっとそうだったとか、
食器を洗っていた間なぜかそうだった、
人と話していて、いつもなら絶えず考えがわいてくるのに、このときはなぜかそうだった、
ということもある。

それは特別なことではなく、実際、誰にも、
フィボナッチ時空間思考に乗った思考が途切れる、思考の空白は幾度も訪れるので、
そのさいに、「これがそれだ」と気づく。意識化される。
と、無意識~半意識的に、空白の到来に対して注意を向ける指向ができるので、
空白はいっそう意識化されやすくなり、
何度か意識化されているうちに、
ギアチェンジするような感じで、自分から空白にフェイドインできるようになります。

思考の空白=何らかのクオリアだけの状態は、
0=∞ → 0/1 → ソウル宇宙 → 物理界 → 0=∞
という循環の波が、屈折も迂回もなしに降りて、還っている状態です。
したがって、ゼロポイントフィールドとつながる、または瞑想状態に入ることによって、
空白を呼びだすこともできます。
(ゼロポイントフィールドについてはブログ右「出版案内3」を参照してください。)

フィボナッチ時空間の縛りが解けても、
今日が何月何日で、ここがどこなのかわからなくなる、などということはありません。
暦や時刻や場所、位置関係などが、
定規に刻まれている目盛りと同じように、ただの目盛りになるだけ。と、
それまで習慣的に(意識せずに)何千、何万回と繰り返されていた
「時間がない」「あと何分」「遠すぎる」といった思考時空間の追い立てが消えるので、
こういう思考によって生じていたプレッシャーがなくなります。
そうなってはじめて、
思考上のやりくりでどれだけエネルギーを費やしていたかがわかる、
といってもいいかもしれない。

そういうふうに、心理的な圧力が抜けてストレスが激減するというだけでも、
十分な現世利益といえますが、
言葉にならない「今ここ」が得心されることは、完成ではなく、基礎です。
ソウル宇宙(魂)のデザインが現れるための基礎。

ふっと答がわかったり、不意に道が開けたり、
いつのまにか必要な道具や人が集まっていて、
あとは自分がそこに乗るだけの状況ができあがっていたり、といったような、
フィボナッチ時空間世界から見たら幸運や奇蹟に見えるようなことも含めて、
ルーティンな用事のかたづけだったことも、
一切が波乗りになります。
「これは特別なイベント」「これは超常現象」「これはルーティン作業」といった区別なく。

さて、以下は私の事例ですが、私の場合は、
自分が巻き込まれている時空間の絶対性(どこへ移動して何をするかに追われる生活、
引いては生老病死の必然)への漠とした疑いが、そこからの脱出の契機になりました。
私から見ると、とくに問題があるとは思えない、むしろ順風満帆といっていい人が、
自分の将来をすごく悲観していたり、
今はいいけど、いつ来るかわからない経済&健康&諸々の破綻に備えておきたい的な
ことをウェブ日記や掲示板に書いていたり。
仕事の資料として経済とか社会情勢の将来予測記事を読んだときにも、
「X年後に破綻する!」みたいなことが堂々と、
各種の数値データにもとづいて、なるほどと思えるように書いてあったんだけども、
実際X年後になってみると全然そのとおりになってないじゃん! とか。
こういう、公私の憂いの共通プラットフォームとして古典力学的な生活時空間があるわけで、
これがなんとも、どうにも怪しい。
私自身も時間に追われる生活を送っていたんですが、
予定に急き立てられながらも、なんか騙されてる感が拭えなかった。
もし、そういった漠然とした疑いを、既成観念に照らして自粛してしまっていたら、
では過去という立体空間はどこにあるのか? 記憶している事実は立証できるのか?
今とはいつなのか?
目の前のここはすでに終わっている最新更新場面、つまりは過去ではないか?
未来はどこにもないのに、なぜやがて来ると思えるのか?
・・・といった問いも立ち上がってはこず、
フィボナッチ時空間が思考だと見抜けなかったでしょう。

何らかのクオリアなんていう最も単純で不思議から遠いことが、
当たり前と例外を引っくり返すのみならず、
不思議の累乗的広がりへの入り口になるのだから不思議です。
  1. 2017/04/29(土) 23:20:33|
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
いただいたコメントはすべて拝読しておりますが、
原則としてレスはつけません。
※パブー(電子出版サイト)のリニューアルにつき、出版案内は休止中です。

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