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「愛のモヤモヤ相談室」感想

2023.10.24(火)

同居人の豹専務が、ときどき思い出したように録画している『愛のモヤモヤ相談室』の先月(9月29日)の回を見た。
この番組のことは、前も記事にとりあげたことがある。
NHK・Eテレで月に1回、最終金曜日の22:00~22:25に放送されており、
スタジオにいる相談者の悩みに美輪明宏さんが助言していくというもの。
進行役は高瀬耕造アナウンサー。
毎回、相談者は前半1名、後半1名の計2名で、相談の内容は文字どおりモヤモヤしており、
行政機関のサイトから書類をダウンロードして書くとか病院のどこそこ科を受診するとかいったようにハッキリ決着する
ものではなく、考えがまとまらなかったり、気持ちが揺れていたりするケースである。
行動する、しない以前に、心のなかがぐるぐる待機画面になってるやつ。

今回、前半の相談者(男性・既婚)の悩みは、近距離で別居している実母が認知症になったので不安、
でも距離が近すぎると関係が険悪になるので同居はむり、というもので、わりとわかりやすかった。
次いで後半の女性からの相談、これが傍からは漠としてとらえがたい内容だった。
幼少期の家庭の事情で両親にあまり手をかけてもらえず、何でも自分でやる、他人の分も引き受ける、
という行動パタンができ、いつしか自分のことはあと回し、他人を優先する癖がついてしまった、
周りからは「もっと自分のことを考えたら」と言われるが、どうしていいかわからない、といった話である。
どうしていいかわからないというのは、他人の都合や希望を第一に考える習慣になっているので、
まず自分の都合や希望をはっきりさせ、余力で他人の手伝いをするとか、
都合や希望が他人とぶつかったら交渉して調整するとかいったように、
自分中心に状況を判断し、行動を組み立てていく心がまえが瞬時にできない、
気がつくといつもの損な役回りに落ちついている、ということだろうか。
あまり考えたことがなくやったこともないので、
反射的に、運動神経で「自分を優先する」ことができないのだと思う。
損な役回りがコンフォートゾーンになっているというか。
でも他人を優先することに自分が納得していれば問題はないわけで、
準運動神経的に他人を優先した結果、あとでモヤモヤっとしているんだろうなぁ、きっと。
にしても、なんか焦点が絞りきれてないというか、聞き手があれこれ推測しないと見えにくい話である。
これはアレか、相談ごとによくある、聞いてもらうことが主目的みたいなやつか。
こないだ職場でAチームとBチームの二手に分かれて仕事をするということがあって、
自分はAチームに入りたかったんだけど、Bチームの人数が足りなくてリーダーが困ってて、
それでつい自分がBに行くって言ってしまった、みたいな具体例があるとわかりやすいんだけどなぁ。
などと思いつつ、私は漫然と視聴していた。

この方の相談に対する美輪さんの第一声が、
「偉いわね。(他人を優先するのは)なかなかできないことですよ」である。
なんだそれ。
で、そこから、話を聞いているとあなたはマイナス思考だとか、
もっと自分が受け取っていること、恩恵(たとえば恋人の存在)に意識を向けてはどうよ、といった方向に進んでいくのだが、
相談者の琴線に響いて、相談してよかったと感謝の気持ちを湧き上がらせたのは、最初の言葉なのだ。

偉いわね。
そうなのか?
この人が利他即利己の菩薩ならともかく、菩薩じゃないから葛藤があるんでしょ?
何か我慢をしたり、納得できないのに他人を優先する行動をとるというのは、
その他人もしくは周囲の人に嫌われたくないという保身マインドや、
内面化された親やグルに認められたいという承認欲求、
それか自分の正義観とか良識観を守りたいというこだわり、などからであって、
煎じ詰めれば自分に益があるからである。
どれもべつにわるいことではないけど、よいことでもない。偉くはない。
ただ話を聞いていると、健全な自分中心マインドを思い出して回復させたい、というのがこの方の着地点かといったら、
そうでないような気もするし。
といって、オレはわるくない、人は二の次、自分自分自分、っていう世の中のほうがおかしいだろイカレてるだろ、
っていう他責あるいは世直し志向でもないし。
ツボはどこなんだ?
と、録画を見たあと、私のほうがモヤモヤしてきてしまった。

翌日(遅)、私はその美輪さんのコメントのすごさに気づく。
この人は、自分の保身マインドや内面化した親から認められたい気持ちや自分なりに育ててきた良識観へのこだわりに、
うっすらと、半意識的に気づいている。
そして、そういう保身マインドやら何やらを醜いと感じている。
こんなヨドミのない、清らかな、晴れ晴れとした、きれいな自分でありたい。
きれいな自分とは、単純に自分の本心が出せる自分。
だから「もっと自分のことを考えたら」と言う人が現れる、
言語化されづらい思いを他人の口を借りて自分に聞かせているのである。
けど自分のことを醜いと感じながらきれいな自分に量子跳躍することはできないから、
まずその醜いというセルフジャッジを蹴飛ばす必要があったのだ。
「偉いわね」は、今のこの人にジャストフィットする音声だったのよ。
以下二行は筆者のオカルト節だけど、
蹴飛ばすには、美輪さんのオーラ、姿、声をした美輪さんが最適だった。
だから数ある相談案件のなかから、この方の相談ごとが選ばれたのだ。

それにしても、スピリチュアルでもスピリチュアルでなくても、
よろずカウセリングをする人というのは、相談者の現在地が読めて、
現在地に適したアドバイスができないといけないわけで、
限られた時間に話されたことだけで現在地がわかるというのは、すごいリーディング力だと思う。
同じような相談内容でも、「偉いわね」ではなく、
最初に「あなた、人を優先できる自分を謙虚で偉いと思ってるでしょ。それはちがいますよ」と言ったほうがいい場合もあるし、
「気にしなさんな。残りものには福がある」的な話にもっていったほうがいいこともあるかもしれないし、
「(幼少期)つらかったのね」から入って「虐待やネグレクトはいけないけど、あなたの場合はそこまでじゃないよね?
逆に放ったらかしでよかったこと、プラス面は何だったと思う?」とか、生育環境に言及するのがよいこともあるだろう。
最適解もアプローチもひとつふたつではなく、相談者の現在地や状況で変わる。

そして現在地がどこであろうと、優劣はない。
日々、瞑想や坐禅を実践していたり、インナーチャイルドが癒されていたり、統合が進んでいる人が優れていて、
そうでない人がだめなわけではない。
仕事や家事や家族の世話でフル回転している人が立派で、
非正規雇用なのに将来を考えずオカルトにかぶれている輩は愚かしいというのでもない。
会社や役所を辞めて起業するのがすばらしく、社畜は嘆かわしいわけでもない。
波動が高いことが正しく、低いことがまちがっているのでもない。
それぞれがそれぞれの世界を体験しているだけなのである。

でも、自分にとっての最適解はあっても公式の正解はないとか、
体験に優劣はないということは、
体験を俯瞰する視点(身体に制限されない自分意識)ができないと実感できないけど。
むろん俯瞰できることが俯瞰できない人や俯瞰できなかった過去の自分より優れているわけではないんだけど、
どれもこれも単に体験なんだとわかると「失敗」がなくなるので、
失敗してはいけないという強迫が溶けて楽になります。

話をモヤモヤ相談に戻しますが、
個人的にちょっと驚いたのは、二番目の相談者の人は、中高6年間吹奏楽部にいたとのことで、
担当楽器がバスクラリネットだったそうで。
私も中高吹奏楽部だったので、その点「ほほぅ」でした。
で、私の偏見というか吹奏楽偏見あるあるかもなんですけど、
その人のルックス、服のセンス、声、話しかた、相談内容、いかにもバスクラ! って感じだったんだよね。
あーこういう人、バスクラにいた、そうそうそう、という。
女声のコントラルトのような低くてまろやかな癒し系の音色。
バリトンサックスとともに木管の低音部担当で、伸ばしとか刻みとか和音のアルペジオとか、ほとんど伴奏専業、
ただときどきシーンとした箇所でソロがあったり、なのに指揮者に忘れられることしばしば。
美輪さんは、せっかく音楽をやっていたのだから楽器の練習を再開してはいかがかと勧めていらしたし、
ご本人もそうしたいと望んでおられた。
自分にひとつわがままを許し、自己表現への突破口にするという意味でも、再開はよい案だと思う。
ネオコロナウイルス人工製作説論文をリリースしたせいで追い詰められてる宮沢孝幸先生も、
追い詰められてるのに一日30分ピアノを練習されてるとのこと。
バスクラじゃなくほかの楽器でもいいし、歌でもいいし。
歌でも楽器の演奏でも、なにげに全身がかかわってくるヨーガなんだよね。
ほんとは生活動作でもなんでも一挙手一投足ヨーガなんだけど、
音楽関係ってかなりヨーガ感を意識しやすい気がする。
自分がトランペット練習しててそう思う。
ちなみに美輪さんに担当していただきたいパートは、私のイメージだとアルトサックスかな。
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  1. 2023/10/24(火) 14:21:09|
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演奏会

2023.10.1(日)

地元の市民吹奏楽団の定期演奏会を聴きに行った。
昨年はコロナ感染症騒動でお休みだったのが、復活したんである。
いまふり返ると奇妙な感じがするけど、2020年と21年は開催されたんですよ、定演。
流行の谷間期だったのか。
2020年は吹奏楽コンクールも海外のショパンコンクールも中止されたのに。
そういえば私は、21年に延期になったショパンコンクールでは何かが起きる、というお告げをイルカのヒーミルから受けていて、
周りの人は誰も興味を持ってないから相手にされなかったけど、
反田恭平氏が2位になったのだよね。で、今年だったか、4位入賞の小林愛実氏と結婚してどうのこうの。
日本人が2位に入賞したのは1970年の内田光子氏以来ひさびさだったみたい。

それはそれとして、前から思っていたのだが、プロアマ問わず、演奏会に「定期」のジを付けなくていいんじゃない?
実態は毎年同じような時期に開催しているとしても、で、いつもの会場を予約し、相応の準備をして進めているとしても、
「定期に開催されるとは限らない、来年もあると思うなよ演奏会~一期一会」
「春のコンサート~気が向いたら秋にも開催するかも」とか。
なんとなく、流れで、ノリで、気がついたらイベントになってました、みたいな。あくまで私の好みだけど。
なぜ定期なの? 楽団員のモチベ維持のため? 
あるいは「定期」のジがあるのとないのとでは補助金の額が云々といった大人の事情?
それとも演奏会は楽団の集団無意識的には祭事なのか? 三社祭とか葵祭とかと同じで?

あと、幼稚園保育園や小中学校に出向いての教育啓発コンサートなどでなければ、
ポピュラーミュージック以外には関心が薄いことを前提にした、聴衆に配慮した曲目も入れなくていいと思ふ。
今流行りのポップスとか、幅広い世代で親しまれているアニソンとか、有名な交響曲の第一楽章だけとか、そういうの。
ダンスとか、緩いギャグを交じえたトークなんかも、敢えて演出として入れなくてもよい。
内発的な企画意図があったり、
アドリブでダンスやギャグが溢れちゃって滑ろうがなんだろうがどうにも止まらない場合は別として。
もうね、その楽団なりバンドなりが演奏したい曲を演奏すればいいと思ふの、全力で。
といっても、メンバーによって好き嫌いとかこんな高い音出ねーよとかいろいろあるだろうから、
そのへんは内部の企画委員会で調整するとして。
何をどう工夫しても、途中で寝るお客は寝るし、泣く子どもは泣くんだから。

聴衆の、観客の、読者の、視聴者の、ユーザーの裾野が広がるというのは結果であって、
そういうことが起きるべき時機に起きるのであり、
それを「裾野を広げる」というふうに仕掛けていくと波動が下がって不完全燃焼でモヤモヤしてつまんなくなるんですよ。
それをやっていいのは仕掛けることそのものに喜びを覚える仕掛け大好き受容体があるオリオン星人だけ。
放っといたら来ない人は呼ぶ必要ないし、
放っといても来る人は、わざわざ寄せていかなくてもその人なりに勝手に燃焼してくれる。
自分がお客のときにそう思うのだが、
未知の演目でも親しみが湧かなくても、奏者、演者のガチってけっこう伝播しちゃうもので、
へんに忖度されたエンタメよりそっちのほうが印象に残る。
かつて「中国の不思議な役人」(バルトーク)の吹奏楽版をAIかと聴き紛うばかりに正確無比に演奏した**学園とかさ、
そういうバンドは、努力してポップスとかジャズめの曲とかやることないよ。
「ブリュッセル・レクイエム」「宇宙の音楽」「アルメニアン・ダンスPARTⅡよりロリの歌」みたいな大曲をふたつみっつ、
愛想なしアンコールもなし、即撤収して楽器搬出、そういうゼータ星人ぽいのでよい。
それで脳波がθになるお客は、δまで突き落として熟睡させてあげよう。
今思いついたのだけど、「アスペルガー序曲」って吹奏楽にありそうなタイトルだな。ムズかしそう。
裾野が広がるとしても、もうまっさらなフロンティアなどなく、オタクがクロスオーバーするだけである。
人口は減るし、亀裂ははっきりするし、分断された人びとは袖も擦り合わせることなく、言葉も通じない。
だったら、わざとらしく共感波を広げて予定調和に陥るのではなく、好きなことを好きなようにやればいいんじゃなくて?

だいいち、演奏する人はお客のことなんか考えていない、と、私は確信している。
インタビューなどでは「お客様のことを考えて」「ファンのために」的なことをしゃべるとしても、
それは潜在意識に刷り込まれた様式に則って自動的に発声してるだけで、本番でも練習でもお客のことは念頭にない。
作曲家は作品のことを考えているし、
指揮者はもちろん作曲家の意図など考えておらず譜面を音として響かせることに専心しており、
ともにお客は視界に入っていない。
指揮者やコンサートマスターやソリストが会場の一階のここ、二階のかしこでの聴こえかたをチェックしているとしても、
それはこれから演奏する曲のためであって、お客のためではない。
これは音楽に限らないけど、形になって現れるものにはそれ自体に何か力があって、
奏者や演者の心身は、上手い下手に関係なく、その圧倒的な臨場力に占拠されており、
お客とか評価とかお金とかに注意を割く余地はない。

これはアートの神様降臨神話とかそういう類の話ではない。
ただの事実。
学芸会でも忘年会でも披露宴の余興でもなんでもいい、そういうのを何かやったことがある方なら思い当たると思う。
本番の最中でも練習のときでも、お客様のことを思い浮かべて注意を向けましたか?
本番や練習の前後ではなく、本番の最中や練習しているそのときにですよ?
ことは音楽、演劇、芸事に限らず。プロでもアマチュアでも関係なく。
文章を書く人は読者のことを考えていないし、絵を描く人、写真を撮る人は見る人のことを考えていない。
料理をする人は(自分を含め)食べる人のことを考えていないし、
掃除をする人は(同上)そこを使う人のことを考えていない。
形になるものが何であれ、臨場のときにそんなヒマはない。

完成形は心のなかという外部にある。
それを五感の世界で形にする人は、その完成形が五感に伝播してくること(臨場力)を妨げなければいいだけ。
練習や鍛錬は、無自覚にやっている妨害に気づいてそれを除いていくこと。引き算。

ちなみにチャクラや経絡、脳や内臓や骨や筋肉だって、心のなかという外部で設計された内部です。

クラリネット奏者がB(ベー)の音を鳴らして、ほかの楽器が合流し、壮大なBの星雲ができる。
管弦楽ではオーボエのA(アー)の音でチューニングするんだけど、吹奏楽だとBなのです。
Bとはピアノの鍵盤だとシのフラットの音、Aはラの音です。
ズシン、と足裏に来るようなすごい音圧。振動。
音だけでなく、色も形も、香りや味も、思いもイメージも振動しているのだと感じる。
世界は精細に振動している。
しばらくするとBの倍音のFが聴こえてきます。
これだけでワクワクするね。
この日、いちばんハートをワシ掴まれたのはじつはこの冒頭のチューニングなんだけど、
感想を書くカミは「よかった曲にマル」する方式だったからそのことは書かず、
指示どおりマルしたうえに、低音パートのここがよかったとかシンコペーションがっもっさりしているとか、
思いつくまま小姑っぽいネチネチした感想を書きました。
  1. 2023/10/01(日) 14:38:09|
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『アウト・オン・ア・リム』再読

2023.7.9(日)

近所のBOOK OFFが知らない間に撤退閉店していたことに気づいたのは昨年だったか一昨年だったか、
しかし、いろんな行きがかりから、電車でふたつめの駅から徒歩10分くらいのところに同店の中型店舗があると知り、
先だって同居人の豹専務とともに訪ねてみた。
そしたら、かつての近隣店をしのぐ品揃えで、グレン・グールドの『ゴールドベルク変奏曲』(1955年録音版)と
『アンド・セレニティ』が買えて、半日くらい心のなかで小躍りした。
まさか自分がピアノ音楽を好むようになるとはなー。近隣店が閉店した2010年代の終わりには予想できなかったことだ。
あと、山川紘矢さんと山川亜希子さんの「スピリチュアル学校」(つべ動画)で文庫化されていると知ってから、
頭のなかのカートに入れておいた『アウト・オン・ア・リム』(シャーリー・マクレーン/山川紘矢・山川亜希子訳/
角川文庫)も税込110円というキュートなお値段で買えてすばらしかったわ。
初版は1986(昭和61)年、地湧社発行の単行本だった。
それを、株式会社KADOKAWAが、1999(平成11)年に文庫で再版したと。
私が入手したのは2020(令和2)年の35版めのもの。
35版・・・太い。いや、少部数で版を重ねて売れ行き好調に見せるという作戦もあるから、
実売がわからないと太いと決めつけられないが、びじねすのやりかたがエグいな、さすが。
つっても出版社のびじねすなんて、M社とかA社とかIT系御大の握力に比べたら泡沫みたいなもんだけどな。
それはさておき、むかし単行本で読んだときより、かなり読むのに時間かかったわ。
というのも、著者のマクレーン氏が、エピソードや考察やとにかく内容をぎっしりピッチピチに詰め込んでるからだ。
テンションも最初から最後まで同じハイめで弛みがなく、橘家円蔵(月の家円鏡)さんの「火焔太鼓」みたいだ。
フィクションでもノンフィクションでも、一般的に文字ものというのは、イントロがあって作品の世界に入って佳境がきて、
おしまいが近づくと、はいラストオーダーですみたいになって、イスや道具をかたづけて引いていく、みたいな感じになる、が、
マクレーン氏は最後まで容赦せずMAXテンションのままで話がピッチピチなのだ。
なので、読者は「あと十何ページ、そろそろ終わりか」というちょっと寂しめの感慨には至れず、
最後まで「ん、ん、それでどうなるんだ?」って気を張ってなくちゃいけないわけよ。
私はこういう本好きだけどね。
フィクションでもノンフィクションでもジャンルを問わず、昨今の本って、
ふだん本を読まない読者にも読みやすくわかりやすくして販売部数を伸ばそうとしているせいなのかなんなのか、
編集者の手が入りすぎてて、あるいは著者がわかりやすさに配慮しすぎていて、スッカスカなんだもん。
思い返せば、この本の単行本が出た20世紀後半のむかしには、
分厚くてセンテンスが長くて読んでるうちに息切れしたり筋を見失いそうになる本がいっぱいあった。
棚の前に立って背表紙の字を読んでるだけでもアタマがよくなれたような気がするっていうか。気がするだけだけどな。
まあ時空がどうあれ、私は私の趣味にかなうものに出合えればいいんで、関係ないけどさ。

自分自身を知る。
自分の内に宇宙がある。幸福があり、喜びがあり、すべての答がある。
自分自身が神である。
時空は変転しても、言われていることはずっと同じだな。
アトランティスに飛び、レムリアまで潜っても、きっと同じことが教えられているんだろう。
単行本版の『アウト・オン・ア・リム』を読んでから、私はバシャールを知り引き寄せを知りチャネリングが起き、
四六時中の宇宙音や微弱振動を感じるようになりゼロポイントフィールドがどうのこうの、いろいろあったけど、
結局、芯はこれですよ。
でも、言葉で読んだり聞いたりすると「ふうん」って、わかったような感じになり、
瞑想とかクリスタルを使うとかで「意識の肌理(きめ)」が変わるのを体験するとなおのことわかった気がするんだけど、
「そうだったのか!」と気づくまでにこれくらい灯台下暗しなことはないわけです。

自分を知るとは、性別、年齢、国籍などの属性データや、職業、役割、性格、得意なこと不得意なこと、
といった経歴的なことを棚卸ししてまとめることではもちろんありません。
魂だとか霊性だとか、なんかそっち方向なんだろうな、ということは、本書に関心がある人なら察せられるでせう。
しかし、仮の宿とされる身体が個々それぞれ有機物の塊とイメージされることから、
魂や霊も、身体ほど密ではないにせよ、個々それぞれ識別できるような何か弛い塊なんだろうと想像されます。
要は、身体も魂も霊も塊なのです。
塊であるということは、塊の内と外を分ける境界面があるということで、
境界面があるということは、内側で発生する意思すなわち自分の意思が境界面までしか届かないこと、
有限性を意味します。
ただし、魂や霊の意思到達範囲は身体よりは広いと思われます。
身体は物質の法則で動いている(と想定している)ので、意思に沿わないことも多々起きます。
というか、意思そのものが脳とか神経とか身体に依拠しているので、断然、物質の法則優勢です。
一方、魂や霊となると、そもそも物質ではないのだから、物質の法則には左右されないらしい。
その点では身体より自由らしい。
建物に遮られずに瞬間移動できるとか、過去世や未来世の経験内容を含んでいるとか。死なないとか。
とはいえ弛くても塊なんだから、誰の魂、彼の魂といったように識別でき、個体性があると思われる。
となると、それぞれの魂の特質とか、魂同士の関係性とかが問われ、
それが使命とか、前世来世や各世を貫く共通項とか、何星人とか、何々星での評議会での役割とか、ソウルメイトとか、
といった項目で表現され、これらは、性別、年齢、職業、性格等々がやや広がった概念すぎません。
何をどう表現しようと、自覚とスピ先生からのお墨付き以外に証明手段がなく言った者勝ちであるという点で
履歴経歴よりは自由度があり、現世時空の前後関係に制約されないので視点が高いのですが、
やっていることはやっぱり棚卸しなのでした。
棚卸しというのは、「私は~である」というときの述語の部分を吟味することです。
公務員であるとか、誰それの親である、子どもであるとか、どこ出身でどこに住んでいるとか、日本人だとか。
魂や霊を導入すると、この述語部分の範囲が広くなり、
「今は日本の公務員で女性だけど前世はカルタゴの商人で男性だった」というように入れ替えも出てくるので、
広がったコンテンツにリアリティがあれば、セルフイメージがグラグラと揺らいできます。
そして、天界とか何々星とかカルタゴとか日本とか、いろんなところにいていろんなことをやっているこいつの正体って?
という形で、問いが「~である」の述語じゃなく「私」という主語に向かうようになります。
「自分自身を知る」とは、述語ではなく主語の「自分」を知ることなので、
前世とか何星人とか述語のカバー範囲を広げることは、じつは不可欠ではありません。
なので、棚卸しは一切なしで本星の(主語の)「自分」を知ることもできます。
逆に、リアリティがなければ前世とか何星人とかいうのはただのネタですから、ネタのストックが増えるだけです。
それだと揺らぎも気づきもなく、そのうち飽きるので、
本当の自分探しがはじまる前に(しかも答は灯台下にあるのに)「自分探しは卒業した」とか言い出して、
ふりだしに戻ることになりがちです。

「私は~である」というときの主語の自分とは、適合感に貫かれた意識状態のことです。
直感、予感、思い、気持ち、想像図、五感と、てっぺんから五感的感覚までピントがピッタピタに合っている意識のこと。
別の言いかたをすると、波動が調っているときの意識状態。
そして「自分自身を知っている」とは、この適合感、ピントピタピタ状態がわかっていること。
見えている景色すなわち直感、予感、思い、想像図、五感の内容はすべて「~である」の述語に相当し、
どんなふうでも関係ありません。
景色全体あるいは景色の一部がぼやけていたり歪んでいたりすれば、
その感覚(波動)は自分に適合しない周波数であり、自分ではない。
でも、適合感がわかっていれば、つまり自分自身を知っていれば、復調させることができる。自分に戻ることができます。

バシャールの言う「ワクワクする」気持ちは、その適合感を示すサイン、信号のひとつです。
だから、そのときどき「ワクワクする」ことを考えたり想像したり行ったりしていれば、
述語のカバー範囲を広げるタイプのスピ活をしなくても自分でいられるし、そこからブレません。
なんて効率的! さすが元ゼータのエササニ星人!って感じですが、
いかんせん地球で3次元(※)をやっていると、ワクワクから程遠い時間があまりにも多く、
非3次元的にいうとマインド全体に占める非適合周波数が9割方で、そっちのほうが磁力が強いので、
もうちょっとしたことで、たちまち転げ落ちるように自分(適合感)を見失うんですね。
で、しょっちゅう年がら年中、ピントのずれた景色のなかへ、ズレをなんとかしようと駆り立てられて駆け込んでいくと。
なので、21世紀になって、その非適合周波数をはずして手放す、という手法が出てきたのですわ。
※筆者のいう3次元とは、心のなかで「五感の向こうに実体(物質)がある。この実体はそれ固有の法則をもっていて、
世界をつくり身体をつくり、意識を生じさせている」と想定したとき、その想定どおりに立ち上がる世界のこと。
五感の向こうに実体があるかどうかを五感を介さずにたしかめられる人はいないので、実体の有無は原理的にわからない。
しかし「ある」と想定することができるなら、「ない」と想定することもできるはずである。
「ある」と想定すれば3次元、「ない」と想定すれば非3次元の世界になる。
非3次元の場合、感じ手意識(自分)の感じた感覚がそのまま出現している(存在している)ことになる。
つまり「自分の与えたものが返ってくる(認識=存在)」ということ。

『アウト・オン・ア・リム』の終わりのほうには、
「(精神世界に興味を持っている人たちの)大部分の人が、(チャネリングや前世などの)こうした話を
精神世界をわかろうとしない人たちにするのは、ほとんど不可能だと感じていた。
時には、昔からの友人と話が合わなくなり、知性だけを信じている彼らとついに袂を分かってしまったという人もいた」
という文章があります。
が、この本の刊行から約40年たった今、
精神世界に興味を持っている人にも、精神世界の話ができるかどうかは微妙です。
「地球人」という惑星種族ができそうなのは、波動の低い3次元に焦点を合わせてるときだけで、
このときは仮想敵(共産主義者、資本主義者、独裁者、敵対的宇宙人とか)がいれば内側はまとまりますが、
でも仮想敵がつくれないと結局は内部分裂して揉めたり紛争になったり、または熱量が減って鎮静化します。
たとえばオタク界だと、応援しているアイドルなりアーティストなりがマイナーなうちはファンは結束しますが
(この場合、仮想敵は世間とかアンチ、センスのない批評家やインフルエンサーなど)、
推しが売れてくるとたちまち亀裂が走り、それぞれが気難しくなります。推しが「魂を売った」と解してアンチに回る人も。
3次元を抜けると、最初から個々バラバラです。
ひとりひとりは波動が調っていて、かつバラバラなのです。
で、精神世界の話であろうとなかろうと、どんな話題であれ、
お愛想や忖度や気遣いなしの、ナマナマしい本音の音声や文字を発するようになります。
というか、お愛想や忖度や気遣いでさえ、(そのときにそれが必要なら)直感で出てくるんだよね。
そういう時代です。
  1. 2023/07/09(日) 12:59:14|
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生オケ聴いた☆

2023.2.21(火)

19日の日曜日、ラジオのクラシック音楽番組の公開収録に行った。
毎週日曜19:20~20:20NHK・FMで放送されている「ブラボー!オーケストラ」という番組である。
電波メディアの公開収録というものに立ち会ったのははじめて。
とはいえ、今回はふつうのコンサートとあんまり変わらなかった。
曲目は、
・交響詩「悲しみの夜に」 リリ・ブーランジェ
・ピアノ協奏曲イ短調(作品7) クララ・シューマン
・組曲「カルメン」1番・2番 ビゼー・作曲/ホフマン・編曲
放送予定日は3月6日(日)と12日(日)で、
3月8日の国際女性デーに合わせて、女性作曲家の曲や、女性を題材にした作品を選曲したとのこと。
それで、指揮者(齋藤友香理さん)もピアニスト(伊藤恵さん。「恵」は「けい」と読む)も女性なんですと。
オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団です。
アンコールは、ピアノのほうはロベルト・シューマンの『子どもの情景』から「トロイメライ」、
オケは、組曲「アルルの女」(ビゼー・作曲/ギロー・編曲)から「メヌエット」と「ファランドール」でした。
「ファランドール」大好き♪ オーケストラに1曲だけリクエストできるとすれば、これを選ぶというくらい。
じつは生で聴いたのはこれがはじめてで、無人だったら立って踊りたいくらいでした。

オーケストラの生演奏って、もうすごくすごく久しぶりだったので、
そろった音程の音が塊で迫ってくるのってすばらしいなぁ、と、痺れた。
ラジオ局の人の説明によると、録音の調整という目的もあって、
リハーサル段階からホールのいくつかの位置での響きを入念にチェックしたうえでの本番だったとのことで、
市の多目的ホールの音とは思えない全開サウンド。
私の席は1階中央ややうしろだったのに、「カルメン」組曲の前奏曲では、
フルートソロ奏者のブレスの音が聴こえてびっくり。
ちなみにフルートの息量ってパネくてチューバ並み(ちょっと実奏経験あり)、
中学高校の吹部オケ部などではお嬢様然とした女子高生が奏していることもあるが、ナメるとひどいよ。
私の偏見では、フルートのパイセンは怖い怖いと云われるクラのパイセンより野生的だからね。

野生的といえば、2020年代くらいから、西本智実さんがオーケストラから引き出してくる野生サウンドに
魅力を感じるようになった。むかしはこの土のついた野菜、または種あり葡萄みたいな音がつらかったんだけど。
「村でいちばんのヴィルトゥオーゾ(名人)」が集まって演奏しているみたいで、
洗練されていないモソモソしたくぐもりから農民一揆とかステンカ・ラージンの乱みたいな炎のような力強さが
湧き上がってくるのが爽快。
ユーチューブで聴いたチャイコフスキー5番(ロシア国立交響楽団)など、負け戦と凶作で目を開ける気力もない
鬱の極みみたいな出だしから、厳しい冬を耐えて、春の訪れとともに朗報が来て、村祭りの大団円めでたし、
といった感じの流れで、こんな民話チックなチャイ子もありなのね、と新鮮だった。
かつては、技術もこだわりも一流のそれぞれの奏者をとにかく統率し、意思の貫徹した、明確な音を創れるのが
マエストロという敬称にふさわしい指揮者だとされていた、と思う。チェリビダッケとか、ムラヴィンスキーとか。
私はクラシック界に詳しいわけではないので知らんけど、今は部活の顧問みたいな人が多いような気がする。
チェリビダッケが部活の顧問だったらヤだな。合奏中に廊下に追い出される人続出しそう。

ここ20年くらいの間に、女性の指揮者、金管奏者が増えた。まだ少数ではあるが、珍しくはないくらいに。
あと女性の落語家も。
私はトランスジェンダーで宇宙人で、もとよりジェンダーとかそのへんの仕切りがないので、
歌劇の女性の役をソプラニスタの男性や自称女性が演じてもべつにどうとも思わないし、その逆があってもいいと思う。
亡くなった中村勘三郎さん(18代目)なら「カルメン? 俺がやるわ」と言い出しかねない。

客席ではマスクをしていた人が多かった。私も豹専務もマスクをしていた。
戸外では土埃、花粉、排気ガスの遮断とか、屋内ではシェディングの予防とか、マスクが役に立つこともある。
ちなみにシェディングとは、新型コロナ感染症ワクチンを接種していると、一定期間、
呼気や汗などから化学物質(?)のようなものが排出され、
近くに未接種者がいると、その影響で体調不良になることがある、といわれている現象。
医学的にはまだ調査研究中で、
反ワクチン派が捏造したガセ情報で気のせいだ、という説もある。
私はさほど気にしてはいなかったが、ある用事で街中へ出向いたとき、
金属のにおいと柔軟剤のにおいが混じったような異様な空気に包まれ、
帰ってからもめまいがしてセルフヒーリングしまくりだったので、一応気をつけることにした。
マスクをするとかしないとか、個々人で好きにすればいいことだと思う。
  1. 2023/02/21(火) 15:01:53|
  2. 音楽
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ご質問への回答

2023.2.1(水)

本日2本目の記事です。
ある方からご質問をいただきました。
ご自身で解決できそうだったり、ネットや本など巷間にいくらでもヒントになる情報がありそうだったり、
回答するとそれに対する質問がきて往復問答になりそうな予感がしたり、
究極にはなんとなく答えないほうがいいような気がする、などの理由から、
私は原則としてご質問には答えないようにしておりますが、
同じ方からなのか別の方か、とにかく以前に同じ型のご質問を複数いただいているので、
今回は例外的に回答させていただきます。

直感や予感、思い、想像、五感といった全感覚現象が自分の想定によって起きるのなら、
親しい人や伴侶動物などの病状や死も想定によって変えられるのか、という主旨のご質問です。

全感覚現象が想定によって起きることにリアリティがあり、それを実感的に確信し、
リモコンでテレビのチャンネルを替えるように感覚像すなわち高次、マインド、五感それぞれの現実を替えられるならば、
それくらい各層の現実感が柔らかければ、
そのようなこともできます。
しかし、リモコンのボタンを押すくらいのたやすさで感覚像を変えられるときには、
親しい人や伴侶動物などの行く末をコントロールしたいという発想はしないでしょう。
快復するにせよしないにせよ、
親しい人や伴侶動物などの形をとった感覚の束が、最適の移行先に落ちつくのを助けようという発想になるでしょう。
想定が自在なとき、何をすればいいか、しないほうがいいか、自ずとわかります。
親しい人や伴侶動物とは誰なのか、
感じ手意識の自分が感じているそれら感覚の束、周波数の束と交流するとはどういうことなのか、
さらには「病気」とか「死」と呼ばれている状態は、むきだしの感覚に還元すればどういう感覚なのか、
あるいは不可知なのか、
よく掘り下げてみることをお勧めいたします。
自分が望んでいる形の決着(たとえば快復)を願う動機は自分の感情の安定です。
自分の感情の安定がくだらないのではなく、未覚醒から起きるその利己性に気づいていることが大事です。
未覚醒状態の、身体という概念に同一化された、環境操作に汲々とする自分が抱く利己的な願いだと気づいていれば、
藁にすがったり、自暴自棄になったりすることはないでしょうから。

もっとも、ご質問の文面を拝読する限り、
他者の行く末も自分の行く末も、究極には物質の法則やそれをベースとする一般常識が決定する、
常識的な方法ではかなわないからこそ何らかのスピリチュアル的な方法に賭けたい、
という雰囲気が感じられ、
全感覚現象が自分の想定によって起きるとは得心されていないように思われました。
つまり、どんな現象も物質の法則をはじめとする一般常識にしたがうと想定しておられるようです。
とすれば、何ごとであれ、物質の法則など一般常識に沿うように実現するでしょう。
こんなことが起きるとすれば奇蹟だ、と思えるときは、そのことは奇蹟の確率でしか起きません。
  1. 2023/02/01(水) 14:53:49|
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
いただいたコメントはすべて拝読しておりますが、原則としてレスはつけません。

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電子書籍をつくったり読んだりできるサイト「パブー」とアマゾン(キンドル)で『サウンド・オブ・ウインド』という本を出版しています。パブーの紹介ページ(下記URL)では、右上にある「みけ」という著者名を押すと、拙著の一覧を表示するページに飛びます。

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2016年に紙の本として刊行した『トランジット』を、2022年9月にパブーで電子書籍にしました。内容は一部改稿しています。

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