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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

4次元の地球

2020.5.24(日)

2020.5.17の記事「地面を変える」では、いろんなイメージワークを促進するツールとして、
自分が立っている床や地面のイメージを、別の惑星や異界の土地、なじみを感じるパワースポット
などに変えてしまうこと、
まずこの床、この地面を居心地のいい、くつろげる場所にしてしまうことを紹介しました。
自分のホームといえばここだ、という鉄板の場所でもいいし、
そのときによってちがうのでもかまいません。
https://solopub.blog.fc2.com/blog-entry-911.html

これ、やってみるとすごくいい感じです。しっくりきます。
ゼロポとつながる、「私」を統覚視点まで後退させる、合わない感覚(周波数)をゼロポに還す、
といった感覚(波動、周波数)一元宇宙への回帰ワークがやりやすくなる、のみならず、
これだけでごちゃごちゃした対処思考がなくなってすっきりし、くつろいでいられます。
ほかのワークと切り離してこれだけでも使えるので、
私はしょっちゅう地面を変えています。
用事にとりかかる前、用事の合間、寝る直前、起床時、瞑想の前後、などなど。
「宇宙船のなか」というのもやってみました。
宇宙船のなかというと、3次元で考えると壁、床、天井、操縦席などがあったりしますが、
私のイメージでは360°オーロラふうの幕ないし膜みたいなフィールドで、
上下前後左右とか広さ、大きさといった概念もなく、惑星や異界とはまた別の居心地よさが。

前回の記事を書きながら、地面を変えるというこのやりかたは、
アンフィニ主宰の関野あやこさんが動画で「光の磁場」とおっしゃっているそれと、
本質的に同じではないかと感じました。
別の惑星、異界の土地、宇宙船のなか、などは、その「光の磁場」を少し具体的にしたもの、
具体的でわかりやすくなっているぶん、周波数は「光の磁場」よりはやや低いのですが、
3次元をつくるマインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム)の操作を受けない
自由なマインドで描くスペースなので、かなり周波数は高いです。
そこは「光の磁場」的な高次の感覚と、五感的な感覚をつなぐ中継スペースです。
五感的な感覚というのは、五感化する意識帯域(エーテル帯域)で
統覚視点「私」の認識即創造(感じると同時に創りだすこと)が起きたときの感覚で、
マインドや高次よりも濃厚で段差がはっきりしていますが、
物や身体が客体として実在することを前提とした物理感覚とはちがいます。
「物理感覚という周波数」が3次元の地球だとすると、
「五感的な感覚という周波数」は4次元の地球。
地面を変えた場所は、
高次のスペースから4次元の地球に降りる、もしくは4次元の地球から高次に上がるときの、
階段の踊り場みたいなところといっていいでしょう。

そこはマインドで開くアストラルスペース(イメージ空間)なのですが、
マインド自体が、高次(6次元以上)と五感(4次元)をつなぐ中継ゾーン(5次元)です。

この件について、ウニキス@アルデバランと交信しているので、
そのチャネリ談を掲載しておきます。

みけ 私のチャージフィールド(地面を変えた場所)の鉄板はテオドールというシリウス系の場
なんですが、これをツールとして使えるきっかけになったのは、これとは別の、アルデバラン系の
場が出てきたことでした。その節はお世話になりました。ありがとう。
ウニキス どういたしましてー。どんどんいらしてくださいねー。
みけ 地球暦の2020年5月に私の宇宙で会議があったんだよね。
テーマは、「統覚視点(本来の自分)が感じて創造する波動一元宇宙(本来の宇宙)を知った
各視点(個々人)が3次元に再帰するという現象に対して、どうフォローするか」でした。
正確には、こういう「問題」が持ち上がったんじゃなくて、
「3次元のこの引力の強さ、なんだこれ?」っていう興味からミーティングになったんだけどね。
覚醒またはアセンションすると決めて、マインドシステムをはずせるようになって、
「問題に対処しない(問題をつくらない)」ということができるようになったあたり、
いくらか余裕ができたころに、不意に「3次元のなりゆきを見張る」ってことをやりだし、
マインドシステムを再起動させて、3次元に戻っちゃうってやつ。
ウニキス マインドに、経験則っていう形で出力される感覚データのまとまりがあって、
これが条件反射的に3次元に注意を向かわせるんですよ。3次元にフォーカスさせる。
みけ 3次元を出たばかりだと、経験則の内容は消えていても、 
しばらくはその大枠というかフォーマットが残ってるんだよね。
バレーボールのレシーブのポーズとか、野球の守備のポーズで固定されてるみたいに。
そのポーズが解ける前にコートのようすに注意を向ける、と、ボールが飛んできて、
またゲームがはじまる。
ウニキス それって、3次元は物質(客体)と意識に分離して別々になってるからなんですね。
だから、物質(客体)の側から、いつ、どんな難題が降ってくるかわからないぞ、
見張って、備えておかなくちゃ、っていう構えができるんです。戦闘モードです。
みけ 物質(客体)と意識に分離しているって、いい表現だね。
波動一元宇宙だと、意識という媒質に波が起きて、それが感覚を感じて創りだすことになるから、
意識イコール感覚像なんだけど、
3次元は認識する対象(物質)と認識する側(意識)は別で、しくみも別々だから。
おまけに、意識も身体という物質に基礎づけられているから、自分の身体だって信用できないの。
八方敵だらけ。バレーボールや野球というより、
ボールを二つとか三つとか使うドッヂボールみたいなものかもしれない。
ウニキスってすぐボールに当たりそうw
ウニキス はい、逃げ切る自信はないですw
なので、まずコートを出る、ボールのない環境に移るといいんです。
それが「地面を変える」ってことです。
みけ 地面を別の惑星、異界の土地、懐かしのパワースポットとかにしてみると、
環境が客体として、得体の知れない外側として迫ってくる感じが消失します。
試験もノルマもなく、成果やメンテも求められない、
自分が無条件に受け入れられ、迎え入れられている感じ。
足元から自己肯定感が上がってくる感じ。
すごく環境と親密で、相互に信頼があって、これが当たり前だったんだって得心します。
で、あのドッヂボール時空間が特殊、例外だったんだって、すごくよくわかる。
欠乏とか、見返りを想定したギブとかが、逆にウルトラ斬新でクリエイティブに思える。
ウニキス アセンションにコミットしていろんなワークとかやってる人だったら、
そこは想像とか妄想じゃなくて、マインドの周波数、マインドの感覚でつくってる現実なんだって、
すぐ腑に落ちると思います。
ほどけるみたいにして統覚視点の「私」に戻れるし、そこから高次も五感もパッと一瞬で開いてくるし、
なので四六時中、居てOKです。
みけ 過去に訪れた神社、お寺、教会、山とか森林とかを設定する場合であっても、
それはマインドの周波数帯にある、マインドの感覚であって、
訪れているか、いないかも、ほんとは関係ないんだよね。
ウニキス です。時代を移すのもありですよ。古代のエジプト、インドの神殿でも、
親しみ、懐かしさ、信頼といった親和性、迎えられてる感があるところならどこでも。
3次元の地球は規格が決まっていて、ひとつで、そこにたくさんの人や動植物が
ひしめいている、っていう構図ですけど、
4次元の地球(五感的感覚の世界)は統覚視点の角度(個々人)によってちがいます。
で、4次元の地球は、マインドにある親和性のある場所と連繋しているので、
親しみや信頼感もリレー(中継)されてるんですよ。分離がありません。

みけ むかし、スピリチュアル系の本や講演なんかで「3次元は分離の世界です」的なことを聞いても、
「分離? は? なんすかそれ?」って感じだったんだけど、
まずマインドの現実で分離していない世界を体験すると、
分離がどういうことなのか、実感的によくわかる。
環境と自分との間に敵意があるというか、相互排除的なんだよね。優しくない。
隙があると速攻ボールが飛んでくる(笑)。3次元ってきびしいんだって、まじ再発見しました。

ウニキス ところでですね、宇宙会議で「チャージフィールドのアクティベート(地面を変える)」を
提案したのはマーリンですけど、原型はアリョーシャ(みけ)がまとめた記事なんですよ。
みけ 議事録を見ると、そうみたいね。
でも、この原型は私の発案じゃなく、土星評議会のメッセージをまとめただけだよ。 
何年か前に、自分のルーツの星の周波数を頭頂から身体の中心軸に通して、
いったん地球の内部に落としてまた引き上げて、ハートから広げて、そこにグラウンディングする、
ってことを記事にしたけど、当時は自分がまだマインドシステムを使っていたから、
そんなことで「物」が変わるとはとても思えなかった。
ただ、3次元の世界にある地球っていうイメージに無理にチューニングしなくていい、ってことに
なったから、グラウンディングは相当ラクになった。
当時はまだ「郷(地球)に入りては郷にしたがえ」みたいな圧がすごかったからさ。
土星評議会のマスターは総じて「自然解凍」推しだから、
このメッセージも、そろそろ非3次元の、異界やら別の星やらの周波数が漏出してくるな、
っていう頃合だったから出したんで、積極的推奨ってわけではないんだよね。
宇宙連合とかアセンション支援会議とか、集まりによっても関心や推奨度合がちがうから、
そのへんはいろいろある。
先の会議では、その土星評議会とマーリンとの間で丁々発止いろいろあって、
「あなたがただって、月だ、太陽だ、金星だシリウスだって、イメージワークに使ってたじゃん。
それと本質的には同じで、ちょっとカジュアルにしただけでしょ。便利で何がいけないの?」
ってマーリンが反駁して、マーリンの案が通ってる。
ウニキス そういえば「チャージフィールドのアクティベート」っていうやりかたを、
地球寄りに「地面を変える」って訳すと魔法使いっぽいです(笑)。
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  1. 2020/05/24(日) 15:45:32|
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グリッド

2020.4.26(日)

私は花に見入る人ではなかった。
風景や、写真を前に立ち止まる人でもなかった。
巧い絵とは、そこに実物があるように描かれている絵だと思っていた。
詩は退屈だったし、筋立てがはっきりしない小説や映画は苦手だったし、
長かったりサビがない音楽にはすぐに飽きた。
アートのセンスはなかったと思う。
かといって実際的なわけでもなく、実際的に立ち回ろうにも、
家庭も学校も職場も、世のなか全体が謎だらけだった。
『愛すべき音大生の生態』(辛酸なめ子/PHP)という本の一節を読んで、
アストラル時計が何周も左回転したので、
過去を思い出すというのではなく、
物理的な感覚や思考や感情を発生させていた構造のようなものが再帰してきて、
かつて自分が使っていたその構造体は、ずいぶんと升目が粗かったのだと思った。
升目をつくっている構造体を、スピリチュアル用語ではグリッドと呼ぶ。
即物的な私は、グリッドとかマカバといった言葉が入ったフレーズを読み聞きしても、
実感できない。「目に見えない構造はこうなっています」「魂とはこういうものです」
等々の説明に対して、「そういうものか」「だから?」といった反応が起きるだけだ。
言葉が腑に落ちるためには、
実際に感覚が変化しなければならない(私にとっては思考や感情も感覚のひとつ)。
「1+1が5になることもあります」と言われても、
そのような体験をしない限り、なんだかありきたりな比喩だなぁ、としか思えないのである。

「目に見えない世界」という表現は厄介である。
見聞きすると即、目に見える世界の延長線上に想像されてしまうので。
そして、目に見える世界というのも、頭のなかでこしらえて、目に見えていると思っているだけで、
ちっとも見えてなぞいないのである。
見えていると思っているのは、物という客体の実在を前提につくりあげた概念の世界で、
このとき見えているのは頭のなかでつくった物理的感覚であり、五感的な感覚ではない。
見えない世界というのは、「見る」と「思う」が全然ちがう感覚体験であるように、
感覚帯、周波数帯が異なる世界ということで、
Bの周波数帯の現象にはAの周波数帯の論理が通用しない。
だから、ふたりの人がAの周波数帯では別々の、ときには矛盾することを言っていても、
Bの周波数帯では同じことを指している、ということもある。
だから、「目に見えない」といわれる世界のことは、
本来は感覚だけでとらえるのが精確なのである。
それは、音楽の解説を読んでも音楽は聴こえてこない、というのに似ている。

かつては退屈と思えて通り過ぎてしまったさまざまなことが浸透するようになった、というより、
いま浸透しているこれはむかしは退屈だったんじゃなかったっけ? あれ?
という形で、感覚を発現させる升目が変わった、と感じられたとき、
ソフィア@シリウスから「グリッドが変わったのだ」という指摘があった。

みけ グリッド?
ソフィア あなたの言いたいのは、あるジャンルの曲を好きになったとか、輪郭や色をよく見るように
なったとかいうことではなくて、感受性全体が変わってしまったということだよね?
それは本来のグリッドが顕わになったということです。
みけ グリッドって何?
ソフィア ゼロポイントフィールド目線からすると、ある感覚が発現するときの角度、入射角の総合。
これを統合的に総体として感じ、創造しているのが統覚視点(私)です。
みけ ある色をある視点から見ると「赤」で、別の視点から見ると「オレンジ」だったりする、
そういうふうに、赤とかオレンジとして現れる見えかた(角度、入射角)の総合体ということですか?
ソフィア そうです。だから宇宙の設計図といってもいい。
五感的感覚、マインドの感覚、高次の感覚からなる感覚(波動、周波数)一元宇宙が内包する設計図。
みけ 統覚視点(私)との関係は?
「私」の感じたことがそのまま創造されるのなら、なぜ設計図が必要なんですか?
ソフィア 統覚視点(私)の選択はグリッドの入射角と一致する。両者はイコールです。
認識するものが存在し、存在するものが認識されている、
つまり「感じる」と「ある」が同じであるように、表裏の関係にある。
みけ グリッドとか、何次元の図形とか、マスタープランとか、
そういうのがわからないといけないのかな、と思って、いくらか努力してみたこともあったんだけど、
どうしてもピンと来ないんだよね。
ソフィア 地球のスピリチュアリズムは、いわゆる古代世界の伝統を汲んでいて、
古代の知識探究は存在論ベースだから、
「こういうものがある」「こういうしくみになっている」というふうに存在論的なんだけど、
腑に落ちなければ気にしなくていい。
認識論的には、グリッドはいろんな感覚の感じかたの土台のことです。
「赤」と「オレンジ」のちがい(色のちがい)、
「赤」と「柔らかい」のちがい(視覚と触覚)、
「柔らかい」と「うれしい」のちがい(五感的感覚とマインドの感覚である感情)、
そうした感覚同士の段差がつくる輪郭をまとめたもの。
感性とか感受性といってもいい。
人が立って歩けるようになると、視界とか、動ける範囲が変わるよね?
この場合、立って歩けるようになることが土台の変化です。
みけ グリッドが変わるのと、ブロックがはずれることとは、どうちがうんですか?
ソフィア ブロックがはずれるというのは局所的な現象です。
特定の感覚、あるいは思考、感情の発現を妨げている原因が除去されること。
存在論的な言葉を使えば、その原因は「目に見えないブロック」であり、
認識論的に言えばトラウマなどの「自覚されない潜在記憶」です。
それでもブロックがはずれれば全体に波及するし、
ブロックをはずすことによって、グリッドの変化がもたらされるということはあります。
みけ 本来のグリッドが顕わになるって、マインドシステム(※)がはずれるってこと?
つまり心や頭のなかでつくっている3次元から出るってことですか?
ソフィア そうです。
マインドシステムすなわち「物があって、それが連続的に広がり、変化する」という観念は、
ブロックじゃなくて、グリッド全体を封じるグリッド、アンチグリッドなんですよ。
「“私(という視点)”があって世界が出現する(=世界があるところには必ず“私”がある)」
という本来のありようを、「世界があって、そのなかに“私(という身体や心)”がいる」と、
統覚視点と世界、創造主と被造物像の関係を逆転させ、
統覚視点を身体と身体に由来する心に限定することによって、グリッドの機能を阻んでいる。
つまり「私」の感じかたがマインドシステムに沿うように制限されているわけだから、
発現してくる感覚も制限されたり歪曲されたりしているわけです。
みけ +3に-3を足してゼロにする、みたいな。
ソフィア いや、+3なら-4以下の数を加えると指定して、結果をマイナスにするシステム。
マインドシステムに沿うようにするとはそういうことです。
「(心や頭のなかで設定した)事物こそが本物の現実」として、
そっちに主導権を持たせているんだから。
みけ ああ、最後は物が勝つ、みんな物の法則にしたがう、と。
だから総じてネガティブで、「3次元のポジティブは非3次元では中立」ってことになるんですね。
ソフィア どの統覚視点からみても(誰にとっても)アンチグリッドの原理は同じで、 
その原理が客体‐空間‐時間思考です。
みけ グリッドの模様や升目の大きさなんかは視点(人)によってちがうから、
アンチグリッドのデザインも視点(人)によってちがう、けど、
どのアンチグリッドも客体‐空間‐時間思考という同じプログラムを使っていて、
そのアンチグリッドを通す結果、全部のデータがネガ転すると。
ソフィア そういうことは全部、心や頭のなか、すなわちマインドで起きていて、
自身の心、頭のなかを、顔のない他者に乗っ取られていて、
自分のものではない感性(アンチグリッド)にしたがっている状態になっています。
「物(客体)がある」という概念からアウトプットした物理感覚も含めて。
みけ 顔のない他者の正体がマインドシステムという「システム」ですね。
「今日はこれをやって、明日はこれだ」みたいに、頭でつくった3次元で用事処理をしていると、
実際、身体によって環境と区切られている自分と同じスペックの他人が大勢いると思えるし、
裏のとれない不特定多数の経験則が妥当だと思えるし、
裏がとれないのは技術的な問題ゆえじゃなくて原理的にとれない(誰しも「私」という当事者
意識から出られず、純粋な第三者はいないということ)ということまで考えないし、
「何国人」とか「人類」っていうカテゴリーにしても、
共通項をもつ人の集まりという実体があるように思えます。
ほんとに共通してるのか、これも裏はとれないんですが。
よく精神世界では「本来の自分に戻る」というようなことが言われるけど、
3次元で「生活」や「人生」を送るのって、自分ではなく、顔のない他者の宇宙をやってるって
ことになるのかな。
※マインドシステムとは、マインド(心のなか、頭のなか)でつくられている客体‐空間‐時間思考システムのこと。
「私」という感じ手の感覚の向こうに感覚の対象となる客体があり、その客体が連続的に広がり、変化する、という観念。
客体は一般的には物、物質とされるが、客体Xの中身を霊、神、エネルギーなどとしても原理は同じ。
感じ手の有無にかかわりなく、まず物があり、それが広がり、変化するという思考上の設定は、
感じ手(私)の「感じ」を主観、事物を客観として別カテゴリーに分離し、
事物こそが本物の現実であるとする客観優位の二元宇宙を導出する。
客観優位になるのは、本来は統覚視点である「私」が物の一部(身体)と設定され、物化する結果、
物固有の法則(物理学など)にしたがうことになるため。
これがあらゆる一般常識の土台となっている。


ソフィア 統覚視点で認識し創造する本来の宇宙に戻ることは、
問題や行き詰まりがきっかけになって、障害を起こしている思い込みごと手放す、
という形で実践されることが多いでしょう。
しかし、何度となく実践していると、本来のグリッドが賦活してくる。
わかりやすく言うと、本来の感性が戻ってくる。
そうなると、マインドシステムによってつくられるアンチグリッドを通した3次元に
強い違和感を覚えるようになります。
みけ まちがって人の傘を開いたり、人のジャケットを着たりしたときのような、
これは自分のものじゃない、っていう感じね。
ソフィア だから3次元へのリバウンドが起きにくくなる。
なじみのある世界が3次元から非3次元に切り換わる、習慣が変わる、
グリッドの賦活は、そのターニングポイントの指標といっていいです。

みけ グリッド全体の賦活はもちろんのこと、局所的な嗜好の変化にしても、
単に右を向いたから景色が変わったっていう、当たり前すぎて注意を払ってないようなことでも、
「感覚が変わる」「感覚が動く」というのは劇的な変化なんだ、すごいことだと、
モナ@アルクトゥルスから聞いてました。
けど、感覚が変わるって、たいしたことだとは思えなくて、
トータルな感性の変化にしたって、
「だからなに? それでメシが食えるのか?」と思ってしまう。
メシの種になるか否かで有用性を判断する発想は、いまだにちょっと引きずってます、たぶん。
ソフィア 受け取るよりも与えるほうが、消費するより生産するほうが価値がある、ということだよね。
聴衆よりも演奏する人、歌う人、作曲する人のほうが才能があり、また努力もしていて偉い、
見る人、読む人よりも、描き手や書き手、発信者のほうが偉い、
これは3次元の思考ですが、どこが3次元的なのか、わかりますか?
みけ つくる、生産することと、見聞きしたり使ったりすることとを、
第三者的な同じ世界の同一平面上で起きていることだと考えているところ。
百年前にアメリカで書かれた小説を、21世紀の日本に住む人が翻訳し、日本の出版社が出版する、
名古屋に住む人がアップロードした動画を、横浜に住む人が見る、
これらは、地球上という同じ空間で、時間差をへて起きている、とされているけど、
そんな客観事実は頭のなかでつくった概念としてしか存在してなくて
ほんとは全部別々の体験であり、世界であり、宇宙です。
作家にとって読者というのは、頭のなかに存在しているその人の読者だし、
読書をしている人にとっての作者は、著者名の文字などから、
どこそこ市で書いたり入力されたりしたんだな、と想像される、頭のなかの人物です。
目の前にいる聴衆だって、演奏者の五感的感覚が構成しているその人の聴衆像、
ひとりの聴き手にとって、ステージに見える演奏者は、五感的感覚が構成する像です。
「スプーンを曲げる」と「スプーン曲げを見る」のは全然別の体験、別の宇宙の出来事で、
当事者の感覚(統覚視点)抜きで説明できる世界なんてないんですよ。
ソフィア そう、だから、真の創造者は自分自身なんですよ。統覚視点です。
作者の誰それというのも、あなたが認識し、創造して、存在させている像、あなたの夢です。
みけ うん、そういうラベルがあると便利なこともあります。
ソフィア あなたは、読者に届けようと思って記事を書いているの?
みけ ないない、それはない。微妙な感覚がはっきりしてきて文字に組み上げるのが
おもしろいからやってるだけ。アップロードするとまた波動が変わるのもおもしろい。
そうね、自分が「書く」という、「読む」よりパフォーマンスの大きい創造行為をやってるときは、
たしかにこれは特別なことじゃないと思うし、才能がどうとかも関係ないな。
忘れてたけど、アストラルスペースではニートがいちばん偉いっていうか、基本だったんだわ。
智慧そのもの、愛そのもの、みたいな如来的な周波数がトップで、
菩薩(啓発者、教育者)、明王や天(エキスパート)と、能力に特化するにつれ次元下降していく。
菩薩や明王や天は如来の具現化形で、いずれも芯は如来です。
ソフィア 受け取ることと与えることは同じなんだよ。認識イコール創造なんだから。
  1. 2020/04/26(日) 16:18:17|
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3次元でアホっぽく思えることがほんとはすごい

2020.4.10(金)

頭とか心、すなわちマインドが、マインドでこしらえた3次元に閉じこもっているときには、
マインドを超えた高次の徴(しるし)に驚きを覚える。
超常現象とか奇蹟とか、予知夢、亡くなった人やペットとの再会、メタルベンディング、などなど。
それらは、3次元を制御する客体固有の法則(一般的には自然科学の法則と、それにもとづく
常識)に合わないからです。
実際、そういうことは3次元の隙というか、破れ目から現れます。
3次元というのは、感覚の対象である客体(一般的には物)が、感じようと感じまいとまず存在し、
それが連続的に広がり、奥行きや内部をつくる、また徐々に線的に変化していく、
という観念(客体‐空間‐時間思考システム)にもとづいて、マインドで設定している世界なので、
頭や心に隙ができると超常現象等が現れます。
こうした隙、破れ目は3次元をつくっているマインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム)
にとってはバグですが、
変性意識に入って一時的にマインドシステムを無効にすると、意図的にバグをつくることができます。
変性意識に慣れているサイキック体質ならぬ心質な人にとっては、
逆に3次元という特殊設定の世界にアンカリング(錨を下ろす、固定する)しているといったほうが、
実感に沿うかもしれません。
いずれにせよ、サイキック心質でもそうでなくても、マインドで3次元をつくっていれば、
第一義的な現実は事物、
事物への身体(これも物の一部)の反応を抽象化したのが頭とか心のマインドの世界で、
これも場合によっては二義的な現実といってもよい、
それ以外はイレギュラーな特異現象です。
一義的、二義的な現実は当たり前、というか考えてみるという発想すらされないくらい自明で、
何ら驚きを含みません。
「そうか、これこれの部品が磨耗して不具合が起きていたのか」
「あ、誰それはそういう心づもりであんなことを言ったのか」
といったからくりがわかって、経験知が広がったり深まったりする感じがすることはあっても、
現象やからくりを支えている根本的な常識は揺らがないからです。
わざわざ言及したり、省みることがないくらい不動です。

ところが、このマインドシステムをはずして、頭や心が3次元という設定から自由になると、
刷新されたマインドと、
事物ではなく、眠っている間に見る夢のような五感的感覚像が、驚異の世界になります。
五感的感覚像とは、高次のデータがマインドで開き、
そのマインドのデータが濃くて段差のはっきりしたコンテンツとして開いた感覚像で、
いわばスクリーンに映った映像みたいなものです。
粒子からなる事物を感覚器官や脳で処理して知覚しているのではなく、
記憶という名前が付いているデータが夢として出力されてくるように、
それは目を開けて見ている夢です。
客体‐空間‐時間思考という3次元縛りのない、広大無辺なマインドに、
論理構造をスケルトンにした思考、朗々と歌われる感情、充溢しこぼれていく気分が現れ、
五感的感覚は、それぞれ固有の傾きや強さや速度をもって響きます。
「何が起きるかわからないぞ、きっと来る~♪ 見張れ、備えよ!」というあの警鐘がなくなると、
頭も心も五感も3次元比で穏やかでクールですが、凪ではありません。
3次元語でいちばん近い表現をすると「エレガントにポジティブ」といったところでしょうか。
3次元から覗くと、「今ここ」が凝結しているような印象を受けますが、
これは3次元語で非3次元を表すぎりぎりの近似表現であって、
「今」も「ここ」も3次元にしか出力されない仮想のゼッタイ現実時空なので、
本当は「今ここ」ですらありません。

特殊設定ではない本来の宇宙、本来の世界、こっちが本当は当たり前。
そこには、失われるデータ、感覚像はひとつもありません。
失われるというのは、事物があり、それが広がって動いて・・・という観念を使った3次元世界で、
悲しみとか淋しさといった名前の付いた色調、音色のマインド感覚を総動員して、
わざわざ体験していることです。
実際には、本来の宇宙を一人称で体験する「私(統覚視点)」が、感じかた、創造のしかたを変え、
あらかじめ全部そろっているデータの開きかたや組み合わせを変えて、
夢の場面景色を変えている、ということが起きているだけです。
たとえば、「じゃあ、またね」と言って、誰かが、何かが去っていく。
それは卒業したり、退職したりした先輩かもしれないし、亡くなったペットかもしれないし、
どこかで失くしたクリスタルかもしれない。
それらは、五感的な感覚でつくられる夢の一部として姿形や声を伴って現れていたのですが、
姿形や声になろうがなるまいが、それらはあるのです。
3次元世界の時空間に当てはめて表すと、
それらの夢を構成する記憶(データ)は五感的な感覚になる前からあったし、その後もあるし、
もう、しつこくしつこく、どこまでもありつづけるの。
宇宙存在とか天使とかのスピリッツであろうと、人間、動植物、鉱物であろうと、
また何かのスキルであろうと、
縁のある(「私」がコミットメントしている)波動、感覚の居座りかたといったら、鶴は千年、亀は万年、
みたいなもので、五感的な感覚世界に現れるかどうかなんて、
愛猫の誰ちゃんが昼寝の場所を変えた、くらいのことで、たいしたことではありません。
もしその居座り周波数が「強引で嫌な先輩の思い出」みたいに自分の宇宙と合わない感覚だったら、
ゼロポに還してしまえばいいです。
そうすると、その周波数はゼロポに還元されてそのままか、
自分の宇宙に合うようにリメイクされます。
リメイクされるのは、もともと自分の宇宙にあるべき周波数、感覚なのだけれど、
3次元実行中のさいに歪んでしまったもので、
たとえば、「強引で嫌な先輩」のメモリーが「健全な自信」とか「率直さ」といったように、
ポジ転したエッセンスになります。

しかしこの、下にある感覚(周波数)は上にも(その素が)ある、
というか上には、万一これらが全部降臨したらバクハツして収拾がつかなくなる、
というくらいに数多の感覚(周波数)がある、ということは、
3次元で身体や心と一体化して悲喜こもごもしている「私」から、ただの統覚視点まで後退しないと
わかりません。
お、なんか波動高いじゃん、来たれり創造主のオレ☆と感じていても、
税金の通知がくるとか、家人がネガティブな声を発するとかなんとか、
何かの拍子にハッと我を忘れてしまう(我に返るのではなく)と、
頭のなかは用事の予定、心のなかは漠とした近未来の心配とか自他の評価、
目の前には対処を待つ事物の世界が広がっている、という具合になり、
あの無窮のマインド、無機物までが生きて呼吸しているかのような五感的感覚は露と消え、
「話のタネにはなるけど、生活には関係ねーわ」
「周波数とか、なんだそりゃ妄想だよ」
「ゼロポに還すとかって、ちょっと気分が切り換わってリセットされるだけじゃん」
となっています。はい、おやすみなさい、オレ。
覚醒とかアセンションと呼ばれていることのキモはマインドの変化(マインドのコヒーレンス回復)
ですが、
身体を動かし、物を動かし、電車やバスやクルマで移動する、
日々が過ぎ、週末、月末になり、春が来て夏が来てその次は秋、そして一年、二年、三年たつ、
といった3次元の高燃費で大きなパフォーマンス感からすると、
マインドの変化なんて、すぅごくチャチな気休めに思えてしまいます。
これがすごい大転回だということも、3次元をやめてみないと実感できません。

何かの拍子に3次元を再開させるのは、
重い物は無意識のうちに必ず左手でもっているとか、
一日に何十回も「~しなくちゃ」と心のなかでつぶやいているというのと同じで、癖、習慣なので、
最初のうちは何回も何回も非3次元に戻す練習が必要です。
(私の場合のメソッドは2020.3.25の記事「メソッドのまとめとか」文末を参照してください。
https://solopub.blog.fc2.com/blog-entry-903.html
昨今の私は、ちょっとでも用事感が出てきたら、
まず心のなかで目の前の事物世界と距離をとってロングショットにし(身体を引くイメージ)、
「私」というこの当事者意識が点(統覚視点)に後退するまで手をつけません。
点まで下がった結果、手をつけないこともあるし、あと回しにすることもあるし。
じつはどんな用事であっても、非3次元に戻って、全感覚の連動にまかせると、
用事感ゼロでかたづいてしまうし、疲れないので、むちゃくちゃラクです。
3次元で、やだなやりたくねーでもしょーがねーか、って重い腰をやっと上げ、みたいなことでも、
最低でも「期待してなかった映画が意外にもおもしろかった」程度には上がる。
むろんそれは結果的に手をつける場合であり、やらなくてすむこともあります。
3次元をやってるのはおバカさん、というわけでは決してなく、
覚醒、アセンションしてもしなくてもどっちでもいいんだけど、
刷新されたマインドと開けてくる五感的感覚、その新鮮さと懐かしさを知ってしまうと、
私としてはもう3次元には戻りたくない。しんどいし。
電動アシスト付き自転車に慣れちゃうと、もうふつうのチャリには戻れない的なアレです。

非3次元でいると3次元のことは気にならないし、どうでもいいけど、
この状態を3次元視角で見られたら、きっとスムーズに流れているんでしょうね。
でも皮肉なことに、3次元にいると3次元のことはスムーズにならないの。
3次元は客体(物)由来のシバリ、制限を体験するマインド世界だから。
  1. 2020/04/10(金) 14:12:08|
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「全体験が正夢」とはどういうことか

2020.4.2(木)

閃きや思いが意識であるように、五感も意識である。
また、五感が感覚であるように、思いも閃きも感覚である。
つまり、高次の感覚-マインドの感覚-五感的な感覚は、同時に、
高次の意識-マインドの意識-五感的な意識である。
「意識」とは「感覚(波動、周波数)」の媒質です。
水が波を、空気が音波を伝えるように、意識が感覚を伝える媒質であり、
その究極がゼロポイントフィールドです。
なので、全帯域がゼロポイントフィールドからできていて、
感覚の濃淡(波の振動数や波長)と並行して、ゼロポが媒質化していくといってもいい。

閃きや思いや五感が感覚であり意識であるとは、全現象が夢である、像であるということです。
だって、水や空気のような媒質が波を伝えているだけですからね。
喩えるなら、意識はスクリーン、感覚はそこに映る映像といっていいでしょう。
夢見手は、全現象の感覚を感じ、同時に創造している一個の視点(統覚視点)である「私」です。

閃きや思いは色や形をもたず、味も香りもしないので、
像であるとか一種の夢であるといっても納得しやすい。
とくにマインド、頭や心のなかに描かれるイメージは夢と親近性があります。
でも、五感的な感覚は、はたして夢なのか?
五感的な感覚は、高次やマインドの感覚に比べて、強烈で明確でコントラストがくっきりしています。
なので、この強い感覚の向こうには、感覚が生じる原因となる物(客体)がある、と、
考えてみるまでもなく思い込みやすい。
かつて、無自覚に物(客体)の実在を前提にしていた私は、
物の世界(客体世界)と精神世界はどのように連関しているか、という発想で考えていました。
仮に「思考は現実になる」というのが本当なら、いかにしてそうなるのか、
見えないものが見えるものへと、どうやって変容するのか。
2018年くらいまではそうだったように思います。
量子力学とか素粒子論とかの物理学方面に探りを入れ、数学力不足で匙を投げたり。

その間、引き寄せリミッター解除、思考はばんばん現実に・・・などということにはなりませんでした。
なぜなら、「現実」こそが客体‐空間‐時間思考にもとづく思考だから。
「現実は思考じゃなく物でできている」という思考が大前提にあって、
私自身がそれに無自覚であり、
「物は思考の影響を受けない、考えを変えても物は変わらない、というのが一般常識、
でも思考を変えることによって物が変わったらおもしろいな」
と、イレギュラーを想定しているからです。
イレギュラーなんだから、レギュラーで起きるわけがない。
どうでもいいこと、忘れていたような願いごとがかなって、
これぞという願いごとがかなわないのは、イレギュラー度が高いからです。
これぞという願いの強さは限界突破期待であり、ありえなさ、実現確率の低さを表しています。
物とか、あるいはエネルギーでも霊でも神でもいいけれども、客体Xを設定するということは、
「自分にはどうにもできないこと(客体X固有の原理や法則)がある」というルールをつくって、
自分の認識/創造力に制限をかけることです。
そもそも3次元マインドで「“現実”がこうなったらいいな」という欲求、願望を抱くとき、
客体‐空間‐時間思考と、それにもとづく一般常識の枠内のことしか思いつけなくなっています。

一方、実感的には、五感世界の物々しさは希薄になっていきました。
というか、あるとき突如として希薄になったのだけども、
「物があり、それが連続的に広がり、変化する(客体‐空間‐時間思考)」という3次元思考をしていた
私が、実感を理解に落とし込めずに試行錯誤していたといったほうがいいでしょう。
ともかく周りが全部、コンピュータグラフィックのようにつくりものっぽい。
色、形、音のほか、味も匂いも温度もあり、ときに痛みなどもあり、固さや柔らかさも感じる、
どれもリアルで、とくに調整されている感じはしないのですが、
物がある、という感じがしない。
とりわけ視覚情報の奥行き、立体感というのがウソくさく、お約束っぽい。
音は音源との距離感が曖昧になったし、ときに音源の方向も曖昧になる。
痛みなどの過剰に強い感覚とは少し距離があって、言い表しにくいのですが、
当該部位から2~3センチ離れたところで起きている感があります。
物があって、自分の感覚器官がそれをとらえて、そこで生じる電気・化学信号が脳に伝わり、
脳のしくみで知覚情報化する、という流れではなく、
身体からやや離れたところに「現場」があり、そこでいきなり感覚化している感じがする。
私の実感では、全部がほんのり電気的で、膜に電気が通っている、
五感のちがいや強さは、その電位差とかオン/オフの速度とかである、というような感触です。
そのように突如として変化したときというのは、2012年12月21日の朝です。
起床して、なんか景色が夢っぽいなー、と思ったけれども、それだけで、
ほとんど気のせいといってもいいようなことでした。
私はチャネリで「<悲報(?)>一斉アセンションありません。セルフ方式に切り換わりました」
と聞いていたので、派手なイベントが何もなくてもがっかりはしなかったけど、
何かあったら楽しいかも的な期待はあったので、
日にちが経過しても本当に何も起きないことに、テンションは下がりましたね。
宇宙系entitiesに「地味すぎてモチベーション下がる」と文句も言いました。

眠っている間に見る夢は、3次元の自然科学の見地からすると、記憶から合成されているらしい。
映画やテレビ番組の映像の断片、雑誌で見た写真、憶えていない光景なども含めて。
そういう説明を、むかし、自然科学系の解説本で読んだことがあります。
だとしても、脳の生化学反応がなぜ特定の記憶情景を選び、合成するのか、
光子や音などの感覚器官からの入力はごくわずかなのに、なぜ非常にリアルに再現されるのか、
不思議ではあります。
まず「物(客体)がある」ことを前提に理論を立て、
実験や観測で検証していくのが3次元の自然科学の手つづきなので、
夢のような主観的な体験と物とのつながりを追究していくと、
どうしても説明しきれないミッシングリンクができてしまうのかもしれない。
では、物(客体)‐空間‐時間という(思考上の)設定をはずして、
夢は記憶から合成されるという定義を活かしたらどうなるでしょうか。

五感的な感覚、五感的な意識が夢ならば、
それは記憶から合成されている、かつてどこかで起きたことの再現ということになる。
ただし、物(客体)‐空間‐時間という設定はないので、
この「かつて」は時空間上の時や場所ではありません。
五感的な感覚より淡い感覚として現れるマインド、さらに淡い高次の感覚世界です。
つまり五感的な感覚として現れる色や形や音や匂いや味や感触などはマインドで起きたことの、
マインドで起きたことは高次で起きたことの、タイムラグなしの再現である。
「記憶」という言葉は、過去どこかの場所で起きたというイメージを伴うので、
データとかファイルと言ったほうが適切かもしれません。
パソコンや携帯端末で何かコンテンツを見聞きしたり、作成しているとき、
その裏側では、いくつものプログラムやデータが稼動しています。
コンテンツとして起きていることは、同時に動いているプログラムやデータとしてすでにある、
という意味で、それは再現です。
動画サイトでも、アップロードされていない(プログラムやデータがない)動画は見られません。
つまり、五感的な感覚はソース(源泉、情報源)の再現であり、
ソースとはより淡い感覚(マインドや高次)のことです。
で、五感的な感覚がソース(マインドや高次)の再現だということは、
「私」が全体を見わたせる位置(統覚視点)まで後退していないとわかりません。

私は、ずいぶん前に、ソフィア@シリウスから、
「(高次から五感まで)体験されることはすべて既知である」という言葉で、
何もかも正夢なのだ、と言われていました。
どこかで夢見られたことの再現である、という意味です。
それはスピリチュアルポエムとしては美しいけど、実際には全然そんな気しないし、
ってことで、保留BOXに投げ入れておいたのですが、
それは、五感はマインドの、マインドは高次の、高次は「私(統覚視点)」の始原である0/1帯域の
見た夢を再現している、という意味だったのです(※)。
「体験されることはすべて既知」「全部正夢」とは、
身体という、物の一部を基地として、なんやかやともの思う3次元個体の自分から、
閃きも思いも五感的な感覚も、まとめ束ねて感じ創りだす統覚視点の「私」まで後退したとき、
閃き、思い、五感的な感覚には、
それらをソースから知っている、という思い出し感、懐かしさを伴う、という予告だったのでした。
※0/1帯域(ある[1]もしくはない[0])とは、ゼロポイントフィールド(あり、かつ、ない)を対象化して、
対象ではない(ゼロポイントフィールドではない)側からゼロポントフィールドを認識することによって同時に創造し、
認識と創造の主体である「私」を立ち上げた、全感覚(周波数)帯域のはじまりのこと。
全現象を一人称の当事者視点で感じて現す「私」という形式は0/1帯域にはじまり、
これがそれぞれに固有の宇宙を認識かつ創造する形式ともなっている。
したがって、高次、マインド、五感的な感覚はいずれも一人称(私)で感じられ現れる。


しかし、これでも私的にはまだポエムっぽいんだよね。
高次放送って、3次元で変換すると妙に高踏的だったりメルヘンチックだったりするの。
「ステキ~」「さすが高次の波動」「そうなったらいいな」っていう、
エレキギターで使うエフェクターみたいなのが自動的にかかっちゃうから。
で、エフェクター効果による陶酔が醒めると、
「そうは言ってもね・・・四六時中瞑想してるわけにはいかないし」
「X年後(どんどん先送り)にはそうなってるかもね」
「今はとりあえず生活をしっかり回していかないと」
・・・みたいな二度寝波動(3次元に着地させようとする傾き)が優勢になる。
なので、アンプもエフェクターもなしの即物的な爪弾きギター音に解凍してみました。

<ポエム>
「(高次から五感まで)体験されることはすべて既知、すべてが正夢である」
   ↓
<散文>
「五感的な感覚はマインドの、マインドは高次の再現であり、
あらゆる体験は“そうそう、これ”“これは知っている”といった思い出し感を伴う」
   ↓
<マニュアル>
「感覚(周波数)一元宇宙の運転に慣れる、なじむ。感覚一元が当たり前になる」

「物でできた環境」と「物の一部(身体)である私」が相克する3次元がリアルなとき、
目の前の用事を次々とかたづけていったり、「おっと、やばいやばい」「セーフ、間に合った」
といった対処マインドになじみがあり、その構えが無自覚なくらい当たり前になっています。
そっちが既知の感覚です。
それが、「(とくに理由がなくても)わくわくする」「(根拠がなくても)簡単、できる」
「(説明できなくても)すっきり明快」「(わけもなく)しあわせ」
といった一元マインドがふつうになる、こっちが無自覚に当たり前になるということ。
マインドが指標になるのは、
客体‐空間‐時間は思考をつくる思考であり、3次元はマインドの産物なので、
3次元を出て感覚一元宇宙に戻ると、マインドが自由になり、大きく変わるからです。
3次元比のポジティブが一元宇宙ではニュートラルで常態になります。
「既知」「知っている」感覚というのは、
放っておくとたいへんなことになる、備えておかなくちゃ、という緊張感がなく、
無尽蔵の信頼感、余裕がベースになっているということです。
  1. 2020/04/02(木) 13:39:47|
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うしろの正面~二極化の果て

2020.2.29(土)

シリウス系で天の川銀河核常駐のソファイア@シリウスとのチャネリ記録です。
ややコアな話で、長いので見出しをつけました。

1.トランスでは覚醒は起きないし、五感的感覚も蘇生しない

みけ 変性意識に入るって、マインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム)を
一時的にオフにすることですよね?
マインドシステムの枠内で「物がある」ことを前提としているときの物理感覚のボリュームを
うんと絞ると、マインドシステム全体が脆弱になって、高次の感覚の感応力が上がる。
ソファイア そうだよ。それがナチュラルに起きると入眠するから、
眠らずに感応周波数帯だけを切り換える(感覚のボリュームの大小を切り換える)訓練をする。
人によっては、最初から切り換え自在な場合もある。
寝オチぎりぎりまで絞るやりかた(フルトランス、体外離脱)もあれば、
いくらか余裕を残しておく(セミトランス、ハーフトランス)方法もある。
みけ 「物がある」ことを前提としている物理感覚と、五感的な感覚はちがうよね?
実感的にちがうと感じられるんですが。
ソファイア ちがいます。ソフィア@シリウスからも聞いてると思うけど、
物理感覚は、「物がある」というマインドの設定に合わせて、
輪郭とか固さとかの観念が先にあって、その観念に沿った五感的感覚だけを励起し、
さらにその反響を「物」という観念にはまるようにマインドで補正してる感覚だから。
物理感覚として感じられる輪郭、固さ、厚みとかはトリミング、加工されていて、
しかも加工の素材自体も生の五感的感覚ではなく、公約数的な要約周波数です。
みけ 要約周波数というのは、中間色や微妙な線をつくる画素を間引いて、解像度が粗くなった
画像みたいなもの?
ソファイア というか、コントラストだけを拾って線画にしたものといったほうがいいね。
五感的な感覚はインパクトが強いから反響が生じる。
それを拾って加工した感覚が物理感覚です。
マインドシステムと符合する五感的感覚だけを励起させても、
なお「物がある」という設定(客体思考)に合わない成分が混じってるから、
それをマインドシステムがはじいちゃうんだ。結果、反響周波数だけが残る。
みけ 客体思考に合わない成分って、エクスタシーにつながるような周波数ですよね?
スイーツから苦味や塩気や香りを引いて、砂糖の甘さだけにする、みたいな。
苦味や塩気や香りは、それだけではどうってことないけど、
全体として合わさるとエクスタシーを喚起するから、それらがはじかれる。
法悦感は「物」と認識の二元状態を融解させやすい・・・あ、わかった、
マインドシステムがはじく成分って、五感的感覚がゼロポに還っていくときの「融けてる感」
じゃないの?
ソファイア ご明察。
要約、加工してできた物理感覚は、客体‐空間‐時間思考を裏づけ、補強しているから、
マインドシステムによって立ち上がる3次元の燃料みたいになってる。
みけ 五感的な感覚って、物理感覚より、視界はフラット(平面的)だし、音はハイレゾっぽいし、
触覚とか味覚とかは当たりが柔らかくなってちょっと遠くなるというか。
全体的にマイルドだけど鮮度が高くて、夢のなかの光景に近い。
輪郭とか高低で分断してたのが「振動数のちがい」として一元的につながってくる。
エクスタシーが全方位に緩く放散している感じです。
漫画だったら、キラキラや点描オーブが飛んでる場面かな。
エクスタシーの正体が全五感的感覚がゼロポに還るときの融解感だとすると、
全五感的感覚に行き渡ってるのは当たり前だよね。
以前の記事に書いたことがあるけど、J・クリシュナムルティの描写していた光景が、
五感的な感覚だと思います。
惜しいことに、クリシュナムルティは「五感的な感覚ってすごいんだ! これに気がつけよ!」
ってとこで止まっちゃってるんだけど、逆にいえば、そこで止まってしまってもいいくらい、
本来の五感的な感覚はすごいってことです。
ソファイア ともかく3次元の物理感覚はマインドでつくっているものです。
この物理感覚のボリュームを絞ると、反対に高次の感覚のボリュームが上がるんだけど、
マインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム)そのものは維持されているし、
マインドシステムでつくった3次元にグラウンディングするわけだから、
変性意識に入ることではマインドのコヒーレンスは回復しないし、
五感的な感覚も開いてはきません。
マインドシステムをはずし、マインドのコヒーレンスを回復させて、五感、マインド、高次の
全感覚(周波数)を一元化するには、
マインドシステムの稼動下にいながら、客体(物)‐空間‐時間が思考上の設定だと気づき、
そこから出るとコミットメントしなければならない。

2.ディセンションとアセンション

みけ ここからは私のマインドに「記憶」という感覚(周波数)で並んでいる3次元史の話ですが、
マインドシステムを一時的にオフにして高次の感応力を上げる、というやりかたは、
ディセンション期のテクニックだよね?
①マインドシステムを使って3次元を起動してそこに入っていくとき、安全に軟着陸するため、
高次と通信しながら段階的にタッチダウン(着陸)していった。
②連続的に広がり変化する物でできているという設定の3次元が、例外的に不連続に「進化」
するとき、変性意識に入って高次感覚との通信を開いた。
このふたつの目的で使われていたと思うんだけど。
ソファイア うん、よくできました。
みけ むかしのSF小説と、レヴィ=ストロースのエッセイを読んでるうちに倍速解凍したの。
統覚視点(私)がどういう視角で宇宙を認識し創造するかによって、要は人によって、
得手不得手はあるけど、変性意識に入って高次と通信するって特殊技能じゃないですよね。
でも、3次元をつくるマインドシステムに違和感を感じなくなりそれが自明になるにつれ、
シャーマンとか巫女とか、特別なイニシエーションや訓練を受けた人しかできなくなっちゃった。
その目的も、部族とか王様が統治する王国とかに訪れる危難を察知してそれを避けるとか、
気候や生産力の安定を図るとか、矮小化していって、本来の目的が忘れられていった。
ソファイア 生物の形態や機能の進化は単なる変化だけど、文明の進化は退化だからね。
集団を襲う危難を察知したり、気候や生産力の安定を図ったり、ってのは、
矮小化しなくちゃならないほど集団内の機能分化と個々人の能力の制限が進んで、
あれやこれやの問題をつくりだしたってことだから。
みけ 考古学の資料って、道具の断片とか環境に残る痕跡とかDNAとか、
物や物に依拠する情報で出てくる。
証拠に残らないことを想像で補うにしても、その想像が常識に制約されてて想像しづらい。
一方、人類学が対象にしてきた無文字社会とかは、それが人類の黎明期とイコールで
重なるわけではない(「未開」社会は人類の原始の姿というわけではない)。
だから、本に書かれた文字の響きという、まことに怪しげな根拠しかないんですが、
非常に高い文明って、火とか道具とか言語とか必要じゃないんですね。
最初は飲食も防寒断熱もいらないし、繁殖もしないし、
今世紀の3次元実行中マインドからすると何を楽しみに生きてんの、って感じかもしれないけど、
意識が全然ちがうから、活動のしかたもちがうんです。
もう、別の生物と思ったほうがいいのかもしれない。哺乳類の延長じゃない別綱別目の。
そこから飲食とか繁殖とかするようになって、集団をつくるようになっても、まだ道具は出てこない。
いろんな食品をバランスよく食べて、エアコンもないとだめ、っていう今はほぼどん底です。
底を打ったのは何世紀も前で、そこからは分離のしかた(「物」という観念を細分化、多角化する
こと)が洗練されていっただけだから、「どん底期」といったほうがいいのかな。
洗練されていく間に、表面的には人間の利己心がむきだしになっていくかに見えるんだけど、
じつはマインドシステムからの離脱の準備がはじまっている。
ソファイア アセンションするってのは、その退化史を逆にたどるってことではないんだよね。
ディセンションをだんだん浅くしていくということではない。ここはわかる?
みけ うん、ディセンド度合を徐々に浅くしていく、というのはディセンション期の発想。
「歴史を徐々にむかしに戻していく」という形で歴史が進むという考えだから、
物があって、それが広がって動いて、という3次元をつくっている観念の枠内での発想です。
じゃなくて、突如としてぐるんと反転するんです。
マインドシステムをはずして、マインドのコヒーレンスを回復させ、
高次、マインド、五感の感覚が連動する感覚(周波数)一元宇宙に戻るってことは、
3次元世界の開始時の「非常に高い文明」のさらに前までひとっ飛びで退くってことです。
3次元尺の技術文明とか文化の程度とか関係ないの。そっちはもう尺じゃないから。
エアコンがついてても、真冬にパンイチで平気でも、どっちでもいい。
3次元世界の行く末を見張っていようとすると、またマインドシステムの管理下に戻るから、
個人的なことでも社会的なことでも、
3次元の見かたでアウトプットされてきたことは追わないほうがいいですね。
一元状態が定着するのに、3次元尺だと数か月とか数年とか、いくらか時間がかかるけど、
反転そのものは瞬時の変化で、次世代とか転生先とかにリレーしていくことではありません。
アセンションは一代今世で起きることです。
そこで継承(という概念)も輪廻(という概念)も終わり。
ソファイア で、アセンションのために変性意識に入る、トランスする練習はしなくていいと、
こないだわかったみたいだね?
みけ それ! ある日の午後に突然、気がついたんだけど、すごい画期的だったの。
3次元に入っていくディセンション期には、いわば家からどんどん離れていくわけだから、
携帯電話とかで通信して連絡をとり合ったり、情報をやりとりする必要があったわけです。
けどアセンション期は、どこでもドアみたいなものでいっぺんに家に戻る、っていうか、
外に出て旅行するっていうゲームをやってました、と気がつくわけだから、
家にいるのに携帯電話でやりとりする必要ないじゃないですか。
家にいても、携帯電話をトランシーバーみたいに使って遊ぶとおもしろいな、とか、
趣味的にはありかもしれないけど。
私は瞑想していても、水晶玉とかキャンドルとかをじっと見つめていてもトランスしないし、
スピリチュアル的な図形とか符号を見ても全然ピンとこないし、
幽体離脱もできないし、明晰夢も見られないし、
サイキックな資質がないんだ、と思ってたんですが、
あ、そういうの、アセンションにはいらないわ、と、わかったんだ。
もちろんサイ能があることはマイナスにはならないけど、50メートルを6秒台で走れるとか、
そろばんの達人だとかっていうのといっしょで、不可欠ではないです。
サイ能があっても、ディセンション期と同じように、
マインドシステム前提で使ってたら覚醒しないと思うし。
ソファイア そう、繰り返しになるけど、アセンションないし覚醒に必要なのは、
3次元世界をマインドでつくっていると見抜いて、マインドをマインドシステムから自由にすること、
何かを獲得したり習得するのじゃなく、
マインドシステムを使って収集し蓄積した情報をフレームごと手放すこと、むしろ引き算です。
引くと、必要な資質なり資源なりがせり上がってくるわけ。引けば引くほど乗算されていく。

3.3次元と非3次元のクロスポイント

みけ ところで、アセンションしないで3次元をがんばるぞ! という方向もありですよね。
自然環境や経済の問題でも、心理面や倫理の問題でも、
何か問題が発生したからといって、知見の追究が止まったためしはないんだから、
客体(物)固有の原理、法則の探究を中心に、人間の真理探しはつづいていくでしょう。
テクノロジーを動員して、人間はきっちりデザインされた人間を造りだすかもしれないし、
寿命の更新など時間設計も含めて人体全体のエンジニアリングを可能にするかもしれないし、
地球外の惑星や基地に移住するかもしれない。
環境条件も、他の生物と共存しつつコントロールできるようになるかもしれない。
あるいは、AI搭載のサイボーグと政権交代して、彼らが自己複製するか、
複製の必要がないほど高い再生機能をもって文明の担い手になるかもしれない。
そして私たちにとって電気や通信の利用がふつうのことであるように、
そうした技術もそう大げさなことではないと納得されるでしょう。
むろん個々人としては、一代では体験できないかもしれないし、政治的、経済的事情などで、
圏外の境遇にいて体験できないということもあるでしょう。
しかし、どんな分野、どんな方向に発展しようと、
いつかは非3次元とのクロスポイントが到来するはずです。
3次元は、客体(物)vs.客体に由来する自意識による認識、という形で二元化した世界、
つまり認識する側にとって常に外部が存在し、常に外部の一部しか認識できない世界で、
非3次元は、統覚視点(私)の認識したことがそのまま存在する一元世界、
前者は「世界があるから私がある」、後者は「私があるから世界がある」と、真逆ですけど、
どちらも「感じ(周波数)」である以上、無関係ではなくて、
メビウスの輪のようにつながる接点があるはずだから。
だから、主に「科学の先鋭化、精緻化」という形で3次元を突き詰めていくと、
これ以上、あと一歩でも進んだら、もう物なりエネルギーなり力なりの客体Xは実在しない、
客体Xは思考上の設定だと認めるしかないところまで行ってしまうんです。
客体X=0になって、客体X=0=∞と、無限大に拡散しちゃう。
「なんでもあり」だったらそれは設定でしかないから、設定だったら実体は0です。
ソファイア それは理論物理学みたいなもので、2XXX年のいついつがそうです、みたいな、
予言や未来予測では示せないけどね。理論上はそのとおりです。
でも、そのクロスポイントでの出合いはすでに起きていて、
統覚視点(私)が多角化すればするほど(覚醒する人が増えれば増えるほど)、
3次元世界の発展的解消を助けるんです。
具体的には、クロスポイントに向かう発展の途上で大規模な破壊やあと戻りが起きず、
スムーズな離陸を助けることになる。
覚醒した一元世界と、3次元をつづける人々はスプリット(分裂)するし、
「他者を客体化せず自身の宇宙の一部と見る(他人や状況に働きかけて変えようとせず、
自分の違和感を手放し、かかわるか否か、どのようにかかわるかは直感にまかせる)」
ことは覚醒のプロセスを進めるうえでの要でもあるんだけども、
それが裏側から遠隔的に3次元にいる人々を支援する。
いわば自分のことに専念すればするほど他者に寄与することになるわけです。
みけ どうしてそうなるの?
ソファイア 波動の干渉作用と考えてもらえればいい。 
統覚視点が多角化すると、それぞれの視点が3次元とのクロスポイントをもつ。
そこに至るルートも多角化しているけど、一元宇宙は中立(3次元尺ではポジティブ)だから、
極端な振幅はない(※)。
そうすると、この中立な波動と、マインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム)とに
波の干渉作用が起きて、マインドシステムが弛む。
弛むというのは、一時的なオフが起きやすくなるということ。
※3次元は制限を体験する世界なので、極端な振幅はネガティブに破壊として表現される。
波の中位を0、振幅の「量」を3とすると、この3は常に「-3」になる。
0から+3に向かい、+3から0に戻る、波の山部分がスキップされ「なかったことになる」と考えてもよい。

みけ ああ、変性意識に入りやすくなる?
ソファイア 3次元にいる人はたいてい無自覚だけどね。
マインドシステムを保持したまま意図的に変性意識に入ろうとすると、
潜在記憶感覚の障害作用でミスマッチな周波数の引き込み、
いわゆる低級霊的なものの憑依が起きやすくなるから、かえって無自覚なほうがいい。
こういう余計な周波数の引き込みを防止するにはプロテクトの訓練が必要です。
とくに睡眠や夢を通して接続した高次の感覚が活かせるようになるし、
閃きとかも起きやすくなる。
人はこうあるべき、家族は、社会はこうあるべき、といった一般常識感情も柔軟になる。
客体Xの中身が何であれ、客体を設定しているうちは分離も制限も解けないし、
絶えず何らかの問題は起きつづける、けれども、全体として力が抜けてくる。
みけ 眠っている間は誰でもマインドシステムがセーフモード状態になるよね?
目が覚めるとマインドシステムが自動的に起動するから、
目が覚めたときに夢を思い出すと、すっかり3次元動画になってるけど。
ソファイア そう。けど、マインドシステムの管理下で活動しているときのストレスは
本人が思ってるよりはるかに大きいから、
高次の感覚と接続しても、高次の感覚がもつポテンシャル(潜在力、可能性)は、
だいたいチャージと修正に費消されてしまう。
これが、クロスポイントからの波動の干渉作用によって、情報処理能力に「余り」が生じて、
活かせるようになるわけです。
それは、夢を啓示的に受け取ったり、深刻だった問題が目覚めたらどうでもよく思えたり、
活動時間中のリラックス度合が上がったり、気がついたらいつものパタンからはずれていた、
といったような、半意識的な行動や態度として現れることが多いでしょう。
みけ 時事的なトピックや流行とかを指標にしながら、社会の流れを調整する、
というタイプの、いわゆるライトワークをしている人たちがいますよね。
ソファイア そういう方たちも、まずご自身が覚醒、アセンションされることを推奨します。
そうすると、統覚視点(私)からの認識と創造が、その種のワークの効果と連係してくるから、
敢えてやらなくてもよいことが多いんだけど、
わくわくする、意欲的な確信としてその種のワークが浮上してきた場合には、
3次元とのクロスポイントと、時事的なトピックなり流行なりの個別ポイントとのツーポイントを
とって調整すると効率的だし、効果的だし、非常に簡単です。
マインドでクロスポイントと個別ポイントを意識すると、鍼の響きのような振動が生じるから、
それでOK。
3次元とのクロスポイントは、アセンションしないと感覚としてわからないし、
3次元の枠内で何か手当てをしても、確率が揺らいだり、的のほうからズレていったりして、
再修正が必要になったり、期間をおいて再修正の再修正が必要になったりと、効率がわるい。
みけ 効率がわるいのは制限があるからですか?
ソファイア そうです。客体Xを設定するというのは、
「二元化した相手(客体)のことは不可知だから統御できない」とあらかじめ決めておくのと同じ。
だから必ず当たるのでも必ずはずれるのでもなく、当たったりはずれたりと、
結果はランダムになる。
予言、予測に当たりはずれがあるのも、神様が気まぐれなのも同じ理由です。
みけ とくにそういうライトワークに関心がなければ、
3次元の未来とか、その果ての理論上のクロスポイントのこととかは考えなくていい?
ソファイア 考えなくていい。覚醒した統覚視点(私)がつくる宇宙は、
ある個性をもった宇宙である、というだけで、その種のこととは全部つながるから。
とくに五感的な感覚を開いて覚醒すると(いわゆる「身体を脱がずにアセンションする」こと)、
3次元の物理感覚が拾うのは五感的な感覚の一部だけど、
それでも同じ周波数帯だから、3次元にいる人たちへの波及効果は大きい。
みけ アセンションのびっくりポイントはその五感的感覚ですよ。それとマインドの広がり。
「身体と心」という狭く限定された形で知っているつもりだったところがいちばん変わります。
  1. 2020/02/29(土) 17:27:45|
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アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
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原則としてレスはつけません。
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