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ドリーム。

「現実」の多次元性を確認する

2024.4.27(土)

近ごろ、謎に多用だったり、多忙になったりする。拍子やテンポが急変する音楽みたいに。
この豹変ぶりを、実体(物質)を装いながらじつは全部想定で成り立っている3次元世界に乗らず入り込まず、
多次元の「現実」を確認する練習に活用している。
というか、多次元の「現実」にコミットメントし、その確認の練習をしているからこそ訪れる変化が「謎」なのかもしれない。

心のなかにせよ、頭のなかにせよ、とにかく五感的感覚ではなくマインドで、
思考、感情、イメージ情景、既体験感を載せた「記憶」と呼ばれる場面などを使って構成された景色は、
5分前とか昨日とかに実際に起きたことだという確信があっても、
実際に起きたことにもとづく推測、推察であっても、
心(マインド)の「現実」、マインドスケープであって、触感や形や色、音、匂いや味などからなる五感的「現実」ではない。
五感の「現実」が心のなかで実際に起きたこととして再上映されるのは、
五感の向こうに実体(物質)を想定し、その実体を五感の「原因」に想定した場合だけ。.
それが3次元です。
はじまりは「五感の向こうに実体(物質)がある」という想定であり、マインドスケープであっても、
その実体がすべての原因とこれまた想定で決めているから、めっちゃ堅固で確実に思える。

心の「現実」と五感の「現実」は、
空間の位置関係や時間の前後関係を通じて水平に連続してつながっているわけではない。
心の「現実」と五感の「現実」は別の世界、別の次元。
私の場合、心の「現実」は5次元、五感の「現実」は4次元ということになっているのだけど、
どんな感覚が何次元という定義はどうでもよく、要するに別の世界だということ。
だって心の「現実」と五感の「現実」では、感覚の強さとか、濃さとか、実現の速度とか、「現実」の質感がちがうでしょ。
だから海と陸みたいに別の世界なのです。
で、3次元は想像、想定という心の世界の素材を使ってつくりだした4次元(五感世界)よりも固い実体(物)の世界。
ただ、まず物(実体)の世界で何かが起きて、それが身体器官でとらえられ、脳でどうなってこうなって感覚が生じ、
そうした感覚への反応として思考や感情が生まれる、という思い込みが強烈で、常識として定着しているので、
思い描いたとおり、物から心へという向きで出力されていると感じられ、
物(実体)にも、物から心へという流れにも、これが本当だ、本物だというリアリティがあります。
物(実体)が想定ではなく実体として実在しているという感じ、臨在感、臨場感がありありとしていて強い。

こんなにはっきり、しっかりしているんだから、これ(物)はあるに決まっているというリアリティにもとづいて、、
前回の結果はこうだったから今度はこうなるとか、物理環境条件を同じにしたらどうなるとか、
心の「現実」を五感の「現実」と結びつけて、心のなかでああだこうだと思案するわけですが、
思案の内容がどうであれ、またどのように思索を進めても、
そこで思いつけることは、実体(物質)の原理や法則に則った発想、着想から出ません。
最初に実体(物質)を想定し、実体(物質)の原理や法則の範囲内で答を探します、と枠づけしているからです。
思ってもみなかった意外な方法、こんなやりかたがあったのか、という手が見えてきたとか、
偶然やタイミングに助けられるとか、
隣人や通りすがりの人が協力してくれたとか、
何もしていないのにいつのまにか問題のあの件が消えてしまった、何だったんだ、とか、
どんなパターンにせよ、まさかの角度の神展開って、
心のなかの3次元枠内であれこれ考えまくるというのを止めないと出現してきません。

ゼロポイントフィールドとつながる、あるいはゼロポに還すにせよ、-30を+30にポジ転させるにせよ、
統合ワークの一環として手放すにせよ、
心のなかの3次元映像を閉じて、まったく関係ない映像に切り換えるにせよ。
お店で欲しい品物を探すとか、誰かにポジティブなアドバイスを求めるとか、
ちょっとした小さなテーマを使って、自分に合った方法で実験を重ねて、
超心、心、五感のそれぞれの世界の質感のちがい、別々感に慣れていけばいいと思います。

最初のうち、手放しとかポジ転とかがうまくいかなかったり、できたのかどうかいまいち確信がもてなくても、
「考えていること、浮かんでくる光景は全部想像、または妄想」と見切るだけでも選択肢が変わってきます。
想像、妄想と見切れるということは、その想像、妄想場面が五感世界とは別世界だと感覚的にわかったということだから。

適合感のある場面A → 適合感のある場面B →適合感のある場面C・・・
と、ポンポンポンと飛んでいくのって、
超心(高次)から心(マインド)へ、心(マインド)から五感への感覚の伝播、つまり引き寄せ効果で起きる非3次元の流れで、
それは物とか空間、時間がどうなってこうなって、という3次元世界の動きではないんですよ。

体験しないとなかなか納得できないかもしれないけど、
実際に3次元思索を止めてこういう飛びかたを体験してみると、「あ、こんなもん。そんな大げさなことじゃないな」
と、あっさり腑に落ちてしまいます。意外とふつうだった、みたいな。

そして、心(マインド)の世界は、実体(物)への対処や対策思考でゴチャゴチャさせず、
3次元で見たときの来し方行く末がどう見えようとも、
光度をキープし、風通しよくしておくことがコツです。
その明るさ、見晴らしのよさ、清々しさから直感の示唆や非3次元展開が開きます。
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  1. 2024/04/27(土) 15:25:30|
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心(マインド)をシンプルにする

2024年4月16日(火)

温感、触感、ぼやっと煙った色彩、甘み、香り、リキッド感、何度か繰り返される音型、エコー、モフモフ感、などなど、
五つには収まらないさまざまな五感的感覚は、別の場所へとつづいていってはおらず、別の感覚に変化することもない。
それらは、統覚意識、感じ手意識に感じられることによって創造されて完了する。
私が感じている感覚光景(周波数構成体)は、どこともつながっておらず、来し方も行く末もない。
それは一分前のつづきではないし、今夜をへて明日につづいていくわけでもない。
五感的感覚のこの空間的、時間的去来のない完結性を実感的、直観的に納得すると、
何をするにしてもしないしても悩んだり迷ったりしなくなる。
悩みや迷い、また期待や不安も、五感的感覚とは別の現実、別の次元だとはっきりわかるので。
いくつかの選択肢のイメージが浮かび、どこかで見聞きした教訓の断片や寓話の場面がよぎるかもしれない、けど、
「これはかつて起きた事実」と仕分けして「記憶」という名前をつけた情景集であれ、伝聞であれ、
これらは例の、自分がよく使っているお話だとすぐ気づき、
その物語の森に入り込んでいって参照比較して消耗しないので、悩まず迷わない。

私のメタフィジクスでは、五感的感覚は4次元、
思念、想像、感情、気分といった心(マインド)の感覚は5次元、
本来は5次元である心(マインド)の世界で、「五感的感覚の向こうには実体(物質)がある」と想定して、
その実体(物質)があらゆる現象の原因であると定義した世界が3次元。
なぜ実体を想定した世界が3次元なのかというと、ソリッド(固体的)で、実体固有の原理や法則で動き、
実体自身以外のもの、たとえば思念とか想像とかの影響は受けないと想定されているから。
要するにがっしり、しっかりしていて固いことになっているから。
対して、この3次元の想定をはずしたときに顕わになる五感的感覚世界は、液体的で柔らかく、
心(マインド)の世界である5次元や、5次元を超える超心の世界(高次)の感覚が伝播する(引き寄せが働く)。
つまり、3より柔らかいから4次元。
で、4よりさらに変わりやすい心(マインド)は5次元。エア(気体的)な世界。
そして、超心(高次)は瞬速の光の世界。
「次元」とは感触の異なるそれぞれの「現実」のこと、「感じ」をとらえる感性の階梯で、数学や物理とは関係ない。
その「次元」が上昇するとは、感覚(波動)が軽く、速く、変わりやすくなっていくことをいう。

私の宇宙に私が想定し構成した3次元世界つまり一般常識的には、
五感的感覚の向こうに存在していて、広がったり内部に閉じたり経過的に変化していく実体(物質)を「現実」と呼び、
これだけが本物の紛れもない「現実」ということになっているけど、
「五感の向こうに何か実体がある」というのがすでに想定で、
観測機器を使ったとしても、データを読むには感覚が必要で、感覚を介さずに確認することはできないので、
全然「現実」じゃありません。
というかこの想定した実体を「現実」と呼ぶのなら、想像とかイメージなど、仮想実体以外の心の産物も「現実」になる。
想像やイメージが所詮絵空事なら、想定した実体も同じく絵空事です。

光の世界もエアの世界もリキッドないしジェルの世界も感触の軽重や変わりやすさがちがうだけ、
それぞれ「現実」またはそれぞれ「夢」「まぼろし」「絵空事」で、
「現実」とした場合も「夢」「まぼろし」「絵空事」とした場合も多次元です。
それぞれ別の「現実」や「夢」なのだという多次元性が実感的に腑に落ちると、
3次元特有の実体(物質)に働きかけてどうにかしなくちゃ、という対処反応が止み、
全次元が吹き抜けになり、光からエアへ、エアからリキッドへの伝播(引き寄せ)が利くようになります。

とはいえ、五感の向こうには実体(物質)がある、これだけがガチ現実、たいへんだ、という思い込みはけっこう強烈です。
なんといっても実体はあらゆる現象の原因であり、3次元現実の全権を握っているやばいやつ(という想定)なので、
全力で見張ってないといけない。
さらに、いろんな危機一髪体験とか失敗体験を何度も何度もリピートしたという記憶をつくり、
きみもそうでしょ? ユーも? だよね、と、自分の宇宙にいる人間型周波数構成体(他者)と確認し合い、
いろいろ強化工作をしてるから。
この強さを、転生による経験の蓄積とか、ある時期に経験したことの影響がどうのこうの、と表現したりするんだけど、
本質は(感覚、周波数でとらえたときには)単にしつこい、それだけ。
3次元は5次元の一画に仕掛けた特殊なアトラクションコーナーで、もともとはエア質だから、
なんかしつこくなるような工夫をしないと臨場感が出ないんですね。

自分で仕掛けたこのしつこさ、くどさ、粘りに欺かれず、時空で幅がついて膨らんだお話に振り回されないためには、
心のなか(5次元)の3次元小部屋で展開している悩み、迷い、考えごとより感覚強度の強い活動に集中するとよいです。
それが運動とかダンスとか作業とか、3次元語でいうところの身体を使う活動です。
身体活動は感覚のインパクトが強く、どんなにもっともらしくても元来エアである3次元ネタを指向する隙がなくなるので。
3次元世界と距離をとって、3次元のフィクション性を見据えることが目的なら、
なんかクヨクヨのヴァイブレーションを感じたときに5分、3分といった短時間行うだけでもかまいません。
身体を動かす、とくに筋肉骨格系に働きかけること(五感でいうと触覚メイン)は、
手放しや瞑想に入る前の入り口といっていいかな。
クヨクヨ、グルグルに入り込む隙がなくなるから、動くことは心の浄化になるといわれています。ハタヨーガとかもそう。
手放しや瞑想などの心に働きかけるワークは非3次元シフトするうえでの本道ですが、
しかし、それだけだと3次元リアリティのしつこさをなかなか振り切れず、
生活の用事や仕事をしているうちに、たちまちいつもの実体(物質)妄想にフェイドインしてしまいます。
なので、エア(想)より強い感覚に振り向けるわけです。

五感、心、超心と、それぞれ質の異なる「現実」なのだという多次元性がわかってくると、
そもそもリキッドないしジェル次元で五感世界を開いていること、つまり存在していることが十分運動であり、
動く瞑想であることも、なぜか実感理解できてきます。

液体的といったって、気体に比べたら段差がくっきりしているし、重量感がありますからね。
そして、これは何々のワーク、実用的な活動、これは瞑想、という区別は表層的になり、意味が揮発していき、
統覚意識(自分という一人称意識)が感じて創造していることに溶け込んでいきます。
  1. 2024/04/16(火) 15:12:49|
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心(マインド)を3次元の枠から解放する

2024年4月8日(月)

近ごろ、自分は(常識と)ズレているのだな、と自覚するようになった。ようやく、というか。
それまでは、周囲の人、自分と接する人が何と言おうと、それはその人たちの意見であって、自分とは関係ない、
自分は自然にしているだけ、なのであんまり気にしていなかったのです。
「みけっちって変わってるよね」
「そう?」または「ふうん」あるいは曖昧に口角を上げ、心のなかでは「それは**さんの評価だよね」といったコメントをして、
秒で忘れてしまうというような。

(常識と)ズレているとはどういうことか。
それは、私、みけの統覚意識が開く宇宙の五感世界に、人間型の感覚模様をした周波数構成体が10体ある、
つまり10人の人がいるとすると、このうちの8人から9人、要はほとんどが同じような角度のところに集住しており、
対して私の意識はその集住ゾーンから90度とか110度とか、かなりズレたところに向いているということ、
心(マインド)の領域でそのように設計している、想定しているということです。
自分の心(マインド)の領域で、自分でズレをつくりだしているわけです。
ほとんどの人間型周波数構成体がCメジャーのスケール(音階)に合わせている、
でも自分の意識が自然と感じるのはGメジャーだとかAマイナーだとかっていう感じ。
そういう調整法で、「違和感を覚える奇妙な世界にドボンと飛び込んだ」という体験をつくりだしている。
こういうズレをつくっている意識のことを宇宙系とかスターシードとか異界ソウルとかなんとか呼ぶのですが、
名称は何でもよく、どうでもよく、現象として起きていることはズレがある、ズレを感じているということ。
宇宙系云々とは、心(マインド)で起きているズレ感覚を言語化した象徴的表現です。本質はズレ感覚。

このズレ、自分の意識と他の人間型周波数構成体とのちがいに対し、
「自分はポンコツだ。ダメだ」という自責的評価をする人もいれば、
反対に「あの人たちはおかしい。どうかしている」という他責的評価をする人もいる。
私の場合、ズレに対し、どんな評価もしてこなかった、
というのは、自分が開く宇宙を去来する人間型周波数構成体から下される評価に興味がなく、
つまり他人が自分をどう見ているかに興味がなかったからで、
ズレていることそのものや、周囲の「変わってるよね」等の発言が気にならなかった、とはそういうことです。
私は自分基準では十分常識的で標準仕様なのです。
それは傍からすれば神取忍さんが「私は中肉中背」と言ってるようなもので、「はい?」と返したくなるかもしれないけど、
そこはどうでもいい(神取さんの中肉中背発言は『プロレス少女伝説』だったか、他のインタビュー本だったか忘れたけど、
とにかく取材にもとづく本で読みました。自分の身体感覚で中肉中背という意味だと思います)。

そんな私が一般基準、いわば世間軸の常識とのズレを自覚したのは、
2020年代に入ったくらいから、いろんな場面で、ズレのない人間型周波数構成体の方たちと話す機会が増えたからだと思います。
深い話をしたわけではなく、書類がどうした、お金はいくら、日時はいつで場所はどこ、といった用事トークだけなのですが、
先方の提案や意見の前提には「世の中的には」「通説では」「ビジネスなんだから」「われわれ庶民の感覚では」等々の
世間軸の常識があって、語彙や語調や身振りにそれが表れてくるので、
ズレのない人が考えている「ふつう」「ふつうじゃない」とはこういうものか、ということがわかり、
このものさしを持っていない私はだから「変」と評価されるわけね、ということがわかったのでした。
私が接したズレのない方たちのなかには医師とか法律家のような専門家もいましたが、
専門知識、技術のあるなしやその多少と、一般基準の常識の浸透、定着度合は関係ありませんでした。
専門家間で意見が食いちがうこともありますが、周波数(感覚、ヴァイブス)に還元すれば一般基準の常識の範囲に収まるので同じです。
たとえば、不快な感覚や生活動作の不具合があって、その原因についてA先生とB先生で意見が異なるとしても、
身体の何らかの器官や機能に問題があるとしている点ではどちらの先生も同じということです。

だからといって、ズレのない人が愚かでズレてる私が賢いわけではなく、その逆でもなく、
また波動が高いとか低いとかいうのも、実体(物)にリアリティがあるかないかというだけのことであり、
感じかたにちがいがあるというだけで、
どっちが賢いとか偉いとかいうものではない。
しかし、ズレのない人にとってたやすいことがズレてる私にはムズい、ということがあるように、
私にはたやすいことがズレのない人にはそうではない、ということがあるらしい。
自分が心(マインド)の領域で人間型周波数構成体とのズレを設計しているのを自覚すると、
そういう得手不得手があることも見えてきました。
自分の不得手分野は、もはやがんばって克服しようとは思っておらず、
いったん手放して、得意とはいわないまでもできるレベルまで宇宙にアレンジしてもらう、
もしくは得意な人に回すなど、わざわざ不得手な自分がやらなくてもすむようにしてもらうので、気にしていませんが。

ではズレのない人が不得手なこととは何か。
それは、形になっていないものや、感覚の向こうに実体(物質)があると想定した3次元の世界には存在しないものを想像することです。
想像力が実体(物質)ベースの3次元の事象に限界づけられていて、その枠内にない感覚景色を描けない。
たとえば、涼しい太陽とか太陽光、温かい氷、山とか森の空気のような軽さ、瑞々しさをもつ真水を湛えた海、
重力を自在に設定できる空間(壁や天井や空中を歩くことができる)、オウムやインコのように人間言語を学習する植物、
自分という意識はあるけど五感的感覚(身体)はない、でも人間型周波数構成体(他の人)との意思疎通はできている世界、
地中に地上と似た、しかし微妙にちがう景色が広がる世界、そして地中の人にとっては地上が地中とされている、などなど。
あと、死後世界も過去世も未来世もなく、自分という一人称意識がどこかの場面にフェイドイン、
たとえば小学校低学年の教室で机を前に座っている、と、それ以前の記憶がなんやかや全部できあがっている、とか。
自分は女子だから男子の自分を想像したことがない、想像できないとか(まして両性体とか無性体など完全圏外)、
今とちがう環境にいる(たとえば外国で生まれ育っていた場合など)自分は考えられないという人すらいらっしゃいました。
想像力が3次元の原理や法則で枠づけされていると、
その枠を超える発想が出てこないし、枠から出られません。

3次元の原理や法則で枠づけされている、枠外、圏外の「感じ」が描けないというのは、
心(マインド)の「現実」の広さや深さがそこまで制限されている、つまり心(マインド)の現実が固いということなので、
「あかん、八方塞がりだ」と思ってしまうと、八方以外の方向の開いているルートが見えないし、
またちょっとした行き詰まりで八方塞がりになりやすいんですね。
引き寄せも起きにくいし、「これ塞がりじゃなくて垂直にアゲられるやつ」といったポジ転発想も出てきにくいし、
経験知を超える直感も感じにくい。
そもそも3次元世界では引き寄せだのポジ転だのはありえないことになっているし、直感はあてにならないしね。
で、枠づけされていると、枠からはみ出すような構想や仮説には否定的オチをつけがちなんですね。
永遠に生きられたら退屈して不幸になるだろうとか、世代交代がないと文化や文明が更新されず閉塞してしまうとか、
困難やストレスがなかったら成長しないとか、そういう寓話っぽいやつ。それ、それが枠なんですってば。
そもそもすでに永遠に生きている(自分という意識が認識しかつ存在している)かもしれないのに。

もっとも涼しい太陽だのしゃべる植物だのフェイドインだの、漫画や小説のネタにするのならともかく生活には関係ないし、
引き寄せだのポジ転だの、その種のオカルトはいらない、私は当たり前の人生を当たり前に生きていきます、というのなら、
それで全然OKだし、それは愚かなことでも賢いことでもなくそういう方針だというだけです。
ズレてない人と交流してわかったのは、彼女ら彼らは感じ手意識(統覚意識)としての自分がどうの、
宇宙が、次元がどうした、などということにはてんで興味がなく、
実体(物質)の状況や変化にどう対処するかということが、怖れと警戒をベースとした最大の関心事だということ、
生老病死や不本意な境遇を諦めて受け入れつつ、なるべく楽しく快適に暮らそうと努力しているということです。
なので、私はこの方たちに自分のデムパ講釈を開陳するつもりはありません。
興味がなくてもいいし、羽化や開花のように時機がくればその種のコンテンツと出合うかもしれないし。

ところで、心(マインド)を3次元の原理や法則にもとづく枠から解放するのに有効なのは、
瞑想と、アートに親しむことです。
私の経験では、瞑想をベースにしてアートに親しむのがいいと思います。
なぜ瞑想をベースにするのかというと、瞑想は、瞑想の最中に何か神秘体験みたいなことがなくても、
つづけているうちに徐々に枠が弛み、はずれていき、あるとき超心の領域(高次)へと吹き抜けて無窮になる、
そのプロセスが無理なく徐々に進むから。
そして琴線に触れるアートのジャンルやレパートリーが広がるから。
アートはビジュアルでも音楽でも文芸でも工芸でもファッションでも何でもいいんですが、
これぞ自分の鉄板と思っているものって案外3次元の実体(物質)発想に絡めとられた感じかたをしている
(と、枠がはずれると気づく)ことがあります。
それが瞑想によって解(ほど)かれると、感じかたが変わったり、組み換えや再構成が起きたりして、
琴線の振動数が上がるわけ。
そのうち、アートとかサイエンスとか実用ものとかの仕切りもどうでもよくなり、
一般的にはスルーされるもの、向かいの家の煤けた屋根瓦とか、自宅の玄関のドアノブとか、
ゴミ置き場のゴミの積まれかた、人の話し声や生活音とかに感興を覚えたりも。
未だ形や言葉にならない感覚すなわち瞑想がベースにあると、
何でもいい、どうでもいいという構えは諦念ではなく、創造の基礎になります。ワクワクのもと。
  1. 2024/04/08(月) 15:35:56|
  2. 三毛猫亭日乗
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宇宙船

2024.3.28(木)

3月は瞬きするような速度で過ぎていった。
こないだまで、豹専務(同居人)と「冬は早朝(つとめて)ってまじか寒すぎ。寝殿造って夏向きの住宅じゃなかったっけ?」
と話していたのに、いつのまにか「春はあけぼの」だよ。
私は昨春から集合住宅の会計担当になったので、
瞬きの間、エクセルファイルを開いたり、電卓をいじったり、現金を数えたりしてすごしていた。
いろいろとしくみが変わる移行期なので、前任者よりもやることは増えている。
世間様でいうところの年度末とはこういうものか。
期末ギリで領収書がドアポストに投函されているなんてのもあるあるなんだろうね。
久々に「仕事が終わらない」という感覚を堪能したよ。
それでも、適宜、作業を中断して、筋トレしたり、銀行まで小走りジョギングしたり、瞑想したりしている。
運動と瞑想の習慣、ルーティンに組み込めないときはカットイン(思いついたときに数十秒から数分だけやる)で行う練習が、
メンタルヘルスにほんと役立っている。ありがとう自分。

そんななか、これまた久々に宇宙船ぽい飛行体を見た。
夕方、外に出たら、暮れていく空に目視で500円玉大くらいのオレンジ色の丸いものが浮かんでいる。
ひとところに止まっているけれど、星にしてはでかいし、月は別の位置にあるし、あれは火球というやつかしら?
と思って眺めていたら、ずんずんと動きだし、一瞬消えて、目視で5メートルくらい先のところに現れた。
そして建物の向こうへ移動していった。

この飛行体が宇宙船なのかそうでないのかは私としてはどちらでもいいのだけど仮に宇宙船だとして、
宇宙船、地上を走る自動車、バス、自転車、電車、船舶、航空機などなどに共通するのは、
ある場と別の場の間であるという点だ。
ということは、いかなる場でもない。
いかなる場でもないのだから、どんな場にもなりうる。
もっとも宇宙船以外の移動体は、連続的に広がる地面、水面、空間を漸次移動していくと考えるのが3次元の常識なので、
どんな場でもなければあらゆる場となりうる、などというのは宇宙船にだけ適用できる定義なのかもしれないけど。

宇宙船の定義は人によるかと思うが(人体の人ではなく個々の統覚意識、感じ手意識という意味)、
私にとっての宇宙船とは、垂直に動くエレベーターが横に動いているかのように見える「スペース」であり
ドアが開いて外に出るかのように見えて、そのドアの開閉とかは「ダブを切り換える」みたいな手つづきにすぎず、
実際はその場の景色が(船内から外に出たかのように)変わっているのです。

だから、私の視界から一瞬消えて、というかじつは消えたかどうかも定かではなく、「消えた」というのは3次元的表現なのだけど、、
目視で5メートル先に現れた、などというのはとくに不思議でもないわけよ。
私のほかに路上にはふたりの人がいて、
私は空を見上げたりしてあきらかに挙動不審だったのに、
そのふたりは飛行体に気づいていないようだった、というほうがむしろ不思議。
しかもふたりのうちひとりは知人で、挨拶もしているのに、「どうかしたの?」とかなんとか訊いてもこなかった。
もしかしたら、私にしか見えていなかったのかも。
幽霊とか異界存在といっしょで、それもあるある。
だとしても、私が特別というわけではない。
彼らには見え、感じられていて、私には見えず感じられない感覚(波動、周波数)というのもきっと多々ある。

飛行体を見た日の翌日に、「ピアノ奏者の指が鍵盤から瞬時離れている」という映像がふと見え、
この指が離れている瞬間も場と場の間であり宇宙船的だなぁ、と考えていたら、
二日後にピアニストのマウリツィオ・ポリーニ氏が亡くなった(2024年3月23日。享年82歳)とのニュースをネットで知った。
ポリーニ氏に限らず、私が3次元の習慣にしたがって音楽家とか演奏家などと呼んでいた感覚束(周波数構成体)は、
そのようにして音楽から解放され、未だ鳴らずまたすでに消えた、結晶以前あるいは虚空に散った光の音楽に迎えられる。
  1. 2024/03/28(木) 15:41:15|
  2. 三毛猫亭日乗
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心のクンバカ(息止め)~「止め」の重要性

2024年3月18日(月)

昨秋から、瞑想はすべてゼロポイント瞑想という方法で行っている。
→記事 https://solopub.blog.fc2.com/blog-entry-1081.html
この方法では、瞑想の間、意識を頭上または床下にイメージした宇宙船に向けておく。
雑念を追ってしまったら宇宙船に戻る。宇宙船がHOMEという感じ。
HOMEは、人によっては神殿や寺院などでもよい。HOME感があれば何でも可。
ほかの瞑想法でも、丹田、チャクラとか、呼吸にに意識を向けたりすると思うが、
より積極的に、一途に、HOMEに集中するという感じがする。
これは、集中ポイントが身体イメージの外にあるせいかもしれない。

おそらくこのゼロポ瞑想の効用だと思うが、
セルフヴァース(感じ手意識=統覚意識を発振点とする万象を包摂する独我宇宙)からブレず、
超心(高次)、心(マインド)、五感の全域に渡り適合感のある感覚模様を感じかつ創造するには、
心(マインド)の向きをひとつ所に定めておくことがとても重要だとわかった。
そのひとつ所がすなわちHOMEなのである。

私の場合は宇宙船だのだけど、人によっては神殿であり寺院であり。
統合ワークをやっている人なら、自分とズレていない場所、
不適合感があれば反射神経で気づいて、3次元変換して不快感として感じる前に手放せる場所。
HOMEは超心(高次)の域につながり、アートマン(統覚意識、感じ手意識、ハイヤーセルフ)につながり、
ブラフマン(統覚意識の雛型、「私」という一人称の認識形式)につながり、さらにゼロポイントフィールドに突き抜ける。
HOMEは吹き抜けなのだ。

なので、しょっちゅう、頻繁に、このHOMEに関心を、注意を向け、
余裕があれば1分か2分、スマホやパソコンを起動したりする間などに、心(マインド)の向きをHOMEに定めていると、
高次から五感に至る全感覚(波動、周波数)が整います。
なぜならHOMEは吹き抜けだから。
心(マインド)の階にある、超心(高次)への扉、入り口といってもいいかな。
HOMEを通じて心(マインド)が整うと五感も整い、
心(高次)―伝播→心(マインド)―伝播→五感
と、より精細な感覚(波動)がより具体的な感覚(波動)に伝わり、
つまり超心の感覚が心の感覚を、心の感覚が五感的感覚を引き寄せ、
あれやこれや流れるようにスムーズに、ときにダンサブルに実現していくと。
このスムーズさ、ダンサブル感からハズれた感覚(不適合感)があればすぐ気がつくし。
たとえばHOME感を感じる場が宇宙船だったら、その外観とか内部のようすとかを頻繁に思い描く、イメージする。
ときに同じ宇宙船の別の部屋だったり、いくらかデザインがちがっていたりしてもかまいません。
要はHOMEと感じられるような親近感、くつろぎ感、勝手知ったる感があればいいのです。

波動(感覚)を整える方法はいくつもあるし、そのなかで自分に合う方法を使えばいい。
私が公開した「ゼロポイントフィールドとつながる(両掌や左右の指など、面と面をくっつけて“融けている”感を感じる)」
というやりかたもそのひとつ。
これは五感がゼロポに還っていく流れを触覚でとらえるやりかたで、簡単だし、慣れれば1秒もかからないし、
ゼロポとつながると統覚意識の雛型から五感まで全部整うのでとっても便利☆
ただ簡単すぎて、コミットメントが弱いとすぐ飽きてしまい、継続できない。
継続できないと結局3次元から出られない。
なので、HOMEのイメージに1~2分集中する方法をサブツールとして使うか、
もしくはHOMEのイメージに集中するのをメインにして、ゼロポとつながるのをサブにするとよいと思う。
効果はどちらも同じです。
筋トレに喩えると、ゼロポとつながるのは腹筋などを振動させるベルト、
HOMEに集中もしくは統合、瞑想その他のいろいろな流派の方法は自体重トレーニング、
グッズや器具、機器を使うのはマシントレーニングといえるかも。

ていうか。
心(マインド)の向きをひとつ所(HOME)に定めるって、
思いが惑い、散り、過去や未来や広がりや内部といった幅のついた想像界のなかを彷徨うのを止めるのに効くのよとても。
エイブラハムの表現だと「(3次元の)現実をフル無視する」のに役に立つのです。
3次元に入っている意識は感じ手意識(統覚意識)ではなく、一定の範囲や耐用年数がある物体(身体)になっていて、
そういう意識の特徴は、不安で揺れ動き彷徨いやすいということです。
3次元というのは、心のなか(マインド)で「感覚の向こうには何か実体(物質)がある」と想定し、
その実体(物質)の原理や法則が全現象を決定すると想定した世界です。
「自分」という一人称で開く意識ではなく、認識の対象が(実体化して)決定権をもっているので、
対象側(実体)の原理や法則を探り、その原理や法則に沿わなければならず、
情報収集をサボったり、対処が間に合わないと、不足とか劣化といった形で難儀に陥り、それがやがて生存の危機につながります。
しかも実体(物質)の法則は解明され尽くしているわけではなく、むしろわかっていない部分のほうが多いし、
研究室の外に出るといろんな要因が絡んで経緯、展開が複雑になるので、予測がむずかしい。
専門家の見解もバラバラだったり。
さらに、実体(物質)の法則による事象の変転はただの変化ではなく、必ず衰滅に向かうという解釈になっています。
なので3次元化した心(マインド)は、とても惑いやすく揺れ動きやすく彷徨いやすいのでした。
複数の情報に食いちがいがあれば、正解(実体の法則にもとづく正しい情報)を求めて悩むし、
思考のちがいを装った感情的なジャッジも起きるし。
スピ情報に対しても、当たりだハズレだ、信用できるできない、なんとかの書にはこう書いてある書いてない、
といった惑いやジャッジが発動します。これも人によって言ってることがちがうし。
ていうか、いろんな思いが湧いて揺れ惑っていたら「3次元に入っている」お知らせランプですね。
だからそしたら心(マインド)をHOMEに向けて、しばらくそこに集中する。
と、ゴチャっとした不適合な周波数(感覚)は抜けていきます。
ちなみに非3次元だと、自分の宇宙(セルフヴァース)の最適解はあるけど汎用の正解はありません。

なお、かのジーザス氏の言行録には、本記事と似たような記載があります。
マタイによるチャネリングまとめ6章25~34、ルカによるチャネリングまとめ12章22~34「生活の心配をするな」です。
ヒッピーの方たちに愛されたくだりですね。
「何を食べようかと命の心配をしたり、何を着ようとか身体の心配をしたりするな。
(中略)あなたたちはむしろ御国を求めよ。そうすればそうしたもの(食べ物や着るものなど)は付け足して与えられる」
みくに? なんすかそれ?って、ジーザス氏推しの人じゃないと刺さらない気がするんだけど、
リアルタイム時空で公開チャネリを聴いていた人たちにはHOME感を喚起するワードだっただろうし、
宗教化したあとでも、信徒の方たちには何らかのよいイメージにつながるのだと思います。
宇宙船。
実際には行ったことがないパワースポット。
光の磁場。
御国。
みたいに、HOME観は具体的に詰められない想像図でかまいません。
直感的に描ける以上に詳細にしようとすると絵が重たくなっていくし、
「御国では先生の次に偉いのは誰だろう?」みたいな脳内マウント取りが起きたりして3次元返りします。
重要なのは、心のコンパス(磁石盤)をそっちに向けることで波動(感覚)が上がって整うことです。
あと、想像というのは心(マインド)の領域の「現実」です。

心(マインド)の向きをひとつ所に定めるって、意図的な引き寄せのコツ中のコツでもあるんですが、
意図的な引き寄せがムズいのは、
本を読んだりネットのコンテンツを見たりして半日から一日くらいは変性意識でいられても、
意識の既定設定が3次元のままだと、いろんな用事をしているうちに慣れ親しんだ3次元意識に落ち着いてしまい、
引き寄せたい対象の想像図(心の現実図)がどんどん下方変形していくからです。
「オーダーしたら忘れてしまえ」というのは、この下方変形、下方修正を止める方法のひとつで、
具体的なイメージ絵図は3次元意識の突っ込み、ジャッジを受けやすいのでした。
五感の現実図という最終的な実現形態を決めるのは心(マインド)の領域なので、
心(マインド)の領域で3次元の盛者必衰トリックに囚われないこと、
当初の想像図の光度を保つことがカギになります。
心のクンバカみたいなものかな(クンバカはヨーガの息止めワーク)。
非3次元シフトしてしまうと、意図しなくてもふさわしい現象が引き寄せられてくるし、
意図が必要なときはオーダー推奨のメッセージとかサインが入るから、
非3次元シフトが遠回りのようで最速です。
欲しいと感じるものはじつはすでに与えられており、
どう表現するか(資源をふんだんに使うのかシンプルさを追究するか、テンポは、デザインはどうするか、などなど)が
創造の醍醐味なんだ、と実感的にわかるし、
とにかくノイズがないので見通しが利き風通しもよく、すっきり快適です。
  1. 2024/03/18(月) 14:30:39|
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