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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

4次元の地球

2020.5.24(日)

2020.5.17の記事「地面を変える」では、いろんなイメージワークを促進するツールとして、
自分が立っている床や地面のイメージを、別の惑星や異界の土地、なじみを感じるパワースポット
などに変えてしまうこと、
まずこの床、この地面を居心地のいい、くつろげる場所にしてしまうことを紹介しました。
自分のホームといえばここだ、という鉄板の場所でもいいし、
そのときによってちがうのでもかまいません。
https://solopub.blog.fc2.com/blog-entry-911.html

これ、やってみるとすごくいい感じです。しっくりきます。
ゼロポとつながる、「私」を統覚視点まで後退させる、合わない感覚(周波数)をゼロポに還す、
といった感覚(波動、周波数)一元宇宙への回帰ワークがやりやすくなる、のみならず、
これだけでごちゃごちゃした対処思考がなくなってすっきりし、くつろいでいられます。
ほかのワークと切り離してこれだけでも使えるので、
私はしょっちゅう地面を変えています。
用事にとりかかる前、用事の合間、寝る直前、起床時、瞑想の前後、などなど。
「宇宙船のなか」というのもやってみました。
宇宙船のなかというと、3次元で考えると壁、床、天井、操縦席などがあったりしますが、
私のイメージでは360°オーロラふうの幕ないし膜みたいなフィールドで、
上下前後左右とか広さ、大きさといった概念もなく、惑星や異界とはまた別の居心地よさが。

前回の記事を書きながら、地面を変えるというこのやりかたは、
アンフィニ主宰の関野あやこさんが動画で「光の磁場」とおっしゃっているそれと、
本質的に同じではないかと感じました。
別の惑星、異界の土地、宇宙船のなか、などは、その「光の磁場」を少し具体的にしたもの、
具体的でわかりやすくなっているぶん、周波数は「光の磁場」よりはやや低いのですが、
3次元をつくるマインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム)の操作を受けない
自由なマインドで描くスペースなので、かなり周波数は高いです。
そこは「光の磁場」的な高次の感覚と、五感的な感覚をつなぐ中継スペースです。
五感的な感覚というのは、五感化する意識帯域(エーテル帯域)で
統覚視点「私」の認識即創造(感じると同時に創りだすこと)が起きたときの感覚で、
マインドや高次よりも濃厚で段差がはっきりしていますが、
物や身体が客体として実在することを前提とした物理感覚とはちがいます。
「物理感覚という周波数」が3次元の地球だとすると、
「五感的な感覚という周波数」は4次元の地球。
地面を変えた場所は、
高次のスペースから4次元の地球に降りる、もしくは4次元の地球から高次に上がるときの、
階段の踊り場みたいなところといっていいでしょう。

そこはマインドで開くアストラルスペース(イメージ空間)なのですが、
マインド自体が、高次(6次元以上)と五感(4次元)をつなぐ中継ゾーン(5次元)です。

この件について、ウニキス@アルデバランと交信しているので、
そのチャネリ談を掲載しておきます。

みけ 私のチャージフィールド(地面を変えた場所)の鉄板はテオドールというシリウス系の場
なんですが、これをツールとして使えるきっかけになったのは、これとは別の、アルデバラン系の
場が出てきたことでした。その節はお世話になりました。ありがとう。
ウニキス どういたしましてー。どんどんいらしてくださいねー。
みけ 地球暦の2020年5月に私の宇宙で会議があったんだよね。
テーマは、「統覚視点(本来の自分)が感じて創造する波動一元宇宙(本来の宇宙)を知った
各視点(個々人)が3次元に再帰するという現象に対して、どうフォローするか」でした。
正確には、こういう「問題」が持ち上がったんじゃなくて、
「3次元のこの引力の強さ、なんだこれ?」っていう興味からミーティングになったんだけどね。
覚醒またはアセンションすると決めて、マインドシステムをはずせるようになって、
「問題に対処しない(問題をつくらない)」ということができるようになったあたり、
いくらか余裕ができたころに、不意に「3次元のなりゆきを見張る」ってことをやりだし、
マインドシステムを再起動させて、3次元に戻っちゃうってやつ。
ウニキス マインドに、経験則っていう形で出力される感覚データのまとまりがあって、
これが条件反射的に3次元に注意を向かわせるんですよ。3次元にフォーカスさせる。
みけ 3次元を出たばかりだと、経験則の内容は消えていても、 
しばらくはその大枠というかフォーマットが残ってるんだよね。
バレーボールのレシーブのポーズとか、野球の守備のポーズで固定されてるみたいに。
そのポーズが解ける前にコートのようすに注意を向ける、と、ボールが飛んできて、
またゲームがはじまる。
ウニキス それって、3次元は物質(客体)と意識に分離して別々になってるからなんですね。
だから、物質(客体)の側から、いつ、どんな難題が降ってくるかわからないぞ、
見張って、備えておかなくちゃ、っていう構えができるんです。戦闘モードです。
みけ 物質(客体)と意識に分離しているって、いい表現だね。
波動一元宇宙だと、意識という媒質に波が起きて、それが感覚を感じて創りだすことになるから、
意識イコール感覚像なんだけど、
3次元は認識する対象(物質)と認識する側(意識)は別で、しくみも別々だから。
おまけに、意識も身体という物質に基礎づけられているから、自分の身体だって信用できないの。
八方敵だらけ。バレーボールや野球というより、
ボールを二つとか三つとか使うドッヂボールみたいなものかもしれない。
ウニキスってすぐボールに当たりそうw
ウニキス はい、逃げ切る自信はないですw
なので、まずコートを出る、ボールのない環境に移るといいんです。
それが「地面を変える」ってことです。
みけ 地面を別の惑星、異界の土地、懐かしのパワースポットとかにしてみると、
環境が客体として、得体の知れない外側として迫ってくる感じが消失します。
試験もノルマもなく、成果やメンテも求められない、
自分が無条件に受け入れられ、迎え入れられている感じ。
足元から自己肯定感が上がってくる感じ。
すごく環境と親密で、相互に信頼があって、これが当たり前だったんだって得心します。
で、あのドッヂボール時空間が特殊、例外だったんだって、すごくよくわかる。
欠乏とか、見返りを想定したギブとかが、逆にウルトラ斬新でクリエイティブに思える。
ウニキス アセンションにコミットしていろんなワークとかやってる人だったら、
そこは想像とか妄想じゃなくて、マインドの周波数、マインドの感覚でつくってる現実なんだって、
すぐ腑に落ちると思います。
ほどけるみたいにして統覚視点の「私」に戻れるし、そこから高次も五感もパッと一瞬で開いてくるし、
なので四六時中、居てOKです。
みけ 過去に訪れた神社、お寺、教会、山とか森林とかを設定する場合であっても、
それはマインドの周波数帯にある、マインドの感覚であって、
訪れているか、いないかも、ほんとは関係ないんだよね。
ウニキス です。時代を移すのもありですよ。古代のエジプト、インドの神殿でも、
親しみ、懐かしさ、信頼といった親和性、迎えられてる感があるところならどこでも。
3次元の地球は規格が決まっていて、ひとつで、そこにたくさんの人や動植物が
ひしめいている、っていう構図ですけど、
4次元の地球(五感的感覚の世界)は統覚視点の角度(個々人)によってちがいます。
で、4次元の地球は、マインドにある親和性のある場所と連繋しているので、
親しみや信頼感もリレー(中継)されてるんですよ。分離がありません。

みけ むかし、スピリチュアル系の本や講演なんかで「3次元は分離の世界です」的なことを聞いても、
「分離? は? なんすかそれ?」って感じだったんだけど、
まずマインドの現実で分離していない世界を体験すると、
分離がどういうことなのか、実感的によくわかる。
環境と自分との間に敵意があるというか、相互排除的なんだよね。優しくない。
隙があると速攻ボールが飛んでくる(笑)。3次元ってきびしいんだって、まじ再発見しました。

ウニキス ところでですね、宇宙会議で「チャージフィールドのアクティベート(地面を変える)」を
提案したのはマーリンですけど、原型はアリョーシャ(みけ)がまとめた記事なんですよ。
みけ 議事録を見ると、そうみたいね。
でも、この原型は私の発案じゃなく、土星評議会のメッセージをまとめただけだよ。 
何年か前に、自分のルーツの星の周波数を頭頂から身体の中心軸に通して、
いったん地球の内部に落としてまた引き上げて、ハートから広げて、そこにグラウンディングする、
ってことを記事にしたけど、当時は自分がまだマインドシステムを使っていたから、
そんなことで「物」が変わるとはとても思えなかった。
ただ、3次元の世界にある地球っていうイメージに無理にチューニングしなくていい、ってことに
なったから、グラウンディングは相当ラクになった。
当時はまだ「郷(地球)に入りては郷にしたがえ」みたいな圧がすごかったからさ。
土星評議会のマスターは総じて「自然解凍」推しだから、
このメッセージも、そろそろ非3次元の、異界やら別の星やらの周波数が漏出してくるな、
っていう頃合だったから出したんで、積極的推奨ってわけではないんだよね。
宇宙連合とかアセンション支援会議とか、集まりによっても関心や推奨度合がちがうから、
そのへんはいろいろある。
先の会議では、その土星評議会とマーリンとの間で丁々発止いろいろあって、
「あなたがただって、月だ、太陽だ、金星だシリウスだって、イメージワークに使ってたじゃん。
それと本質的には同じで、ちょっとカジュアルにしただけでしょ。便利で何がいけないの?」
ってマーリンが反駁して、マーリンの案が通ってる。
ウニキス そういえば「チャージフィールドのアクティベート」っていうやりかたを、
地球寄りに「地面を変える」って訳すと魔法使いっぽいです(笑)。
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  1. 2020/05/24(日) 15:45:32|
  2. 次元上昇
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地面を変える

2020.5.17(日)

ここしばらくの間に何人かの読者さんからいただいたメール等のなかに、
「ときどき、どうしても3次元への反映を期待してしまう」という主旨の記述がありました。
いいこと引き寄せ鯛、あるある。
3次元は心や頭で描いている虚構なんですが、臨場感がめっちゃ強いので、
ここで当たりが出るとテンション上がるんですよねー。
なので、「問題に対処しない(問題をつくらない)」というネガの扱いかたに慣れてきても、
ポジの当たりや引きの押し寄せが起きることを期待するのはありがちと思います。
テンションが上がるといっても、非3次元の総波動感覚に比べると、
かなり解像度を落とした複製画ふうというか、たいしたことはないんですが、
なんでしょうねえ、ときどき無性にジャンクフードが食べたくなる的なアレでしょうか。

3次元は、
①物質(客体)
②身体
③身体に由来する主観(一部は言語などで表せる)
という構成になっていて、
①と②が外側、③が内側になります。
外側というのは、客体(物質)固有の法則で動いていて、
内側の好きなように変えたりできない、そういう側だということで、
「本物の現実」とか「客観世界」と了解されています。
ところが、3次元を認識する「私」は②③とイコールだと思い込んでいるので、
②が外側に属すことは、ふだんは(健康なとき)あまり意識されません。
つまり、身体というのは、「私」の構成要素であり、主観の起原でありながらも、
思いどおりになるとは限らない、
いつ「私」を裏切るかわからない両義的な位置にあります。
で、このからくり全体が心や頭のなかにある思い込みです。
臨場感が強いということは、一度、思い込みに気がついても、
思い込みだということを忘れてしまうくらい、
3次元スタジオセットのなかの人物になりきって没頭してしまうということです。
でも我に返る(統覚視点の「私」に戻る)手がかりはあって、
3次元は上述のように内外に分離していて、外側が主導権を握っています。
なので、外から何かせり出してきている、クローズアップになっている、外からの圧力を感じる、
といった「外感」が3次元のイントロダクション、序奏です。
つまり、外からトラブルが持ち込まれたり、外からラッキーが訪れた感じがして、
人や組織や制度のせいにしたり、それらのおかげと感じだしているということ。
せり出してきた外に対して、主観(内側)が何やかやとつぶやきはじめたら、
3次元へのフェイドイン完了です。

なので、3次元に入り込んでいるか、いないかは、
自分の感覚すなわち波動、周波数をチェックする基準として使えばいい
と思います。
3次元に入り込んだらダメとか赤点ってことじゃなく。
ネタがポジでもネガでも、
いきなり外感がせり出してきたとか、クローズアップになってるとか、
それに対して内側がざわつきはじめているとか、
あるいは内外併せて自分軸がズレているという被操作感として感じるとしたら、
マインドの感覚(波動、周波数)が変調しているしるしなので、
その外感とか内外分離感、被操作感をゼロポに還して、本来のマインドに戻す好機です。
マインドがコントロールから抜けると、高次と五感は自ずと開くので、
全体としてもとの自分、もとの宇宙に戻れます。

もとの自分、もとの宇宙に戻る過程では、いろんなイメージを使います(※)。
もとの自分とは、身体とか心といった嵩(かさ)がなく、
「私」という一人称視点でいろんな感覚(周波数)を感じて創りだす統覚視点のこと。
もとの宇宙とは、高次、マインド、五感と、濃淡や質感の異なる感覚が重なった、
その全体をいいます。
これらの感覚は「(それぞれ周波数のちがう)波動」と言い表すこともできます。
※筆者の方法は2020.3.25「メソッドのまとめとか」文末付録を参照してください。
https://solopub.blog.fc2.com/blog-entry-903.html

イメージワークがメインになるのは、上述のように、変調がマインドで起きているからです。
「物質でできた世界が究極、本物の現実」というのも、
「この身体と、身体に由来するいろんな思い(主観)が私」というのも、
コントロールされたマインドで思い込んでいる現実観であり自己像です。
物理感覚も、
「統覚視点“私”が五感的な感覚を感じて創りだす」
   ↓
「物(客体)が物の一部である身体に感覚を起こさせる」
という転倒から出力されるマインドの感覚です。
スピ用語を使うと、五感的な感覚というのはエーテル感覚ですが、
物理感覚は、じつは低次アストラル感覚です。
3次元にいるというのは、そのように、
高次も五感もオフにしてコントロールされたマインドだけに閉じこもるということです。
なので、3次元をつくっている思い込み(客体‐空間‐時間思考システム)と同じ層から
アプローチする、つまりマインドの感覚であるイメージを使って、思い込みを解いていくわけ。
3次元的に考えると、イメトレとかイメージ療法などは間接的手法と思えますが、
アセンション、覚醒の方法としては最も直でダイレクトなのです。

ちょっとたいへんなのは、
「覚醒する(3次元をはずしてもとの自分、もとの宇宙に戻る)」と決めていても、
そう決めた時点ではまだ3次元をやっているので、
内(主観)外(物)が分離しており、外(物)に主導権があって、
内(主観)に属するイメージ全般がまことに頼りなく思えることです。
「こんなのしょせん主観的なイメージ。本当の現実は外にある事物」
と本人が思い込んでいることによって、イメージというツールの効果が下がってしまう。
これは自分で自分に仕掛けていることなので、
自覚していない学習記憶の積み重なりが薄くなる(習慣が変わる)まで
イメージワークをつづけていくしかありません。
ただ、何回か3次元をはずしていると、マインドの縛りが弛んでくるので、
「つづける」という観念が希薄になるし、
イメージ自体も表出しやすくなっていきます。
また、直感的な閃きも起きやすくなります。

イメージが表出しやすくなるイメージというのもあって。
それは、自分が立っている地面や床を、なじみのある惑星の表面とか、異界の土地とか、
自分にとって帰着感、安心感のある場所に変えてしまうことです。

むかし訪れたことのある神社、お寺とか、
幼少時に遊んだ庭とか、
写真や画像でしか見たことのないパワースポットでもかまいません。
とにかく、ここにいれば絶対安心、くつろげるというパワーフィールド。
このイメージを最初に設定しておくと、
イメージワークやアファメーションなどが非常にやりやすくなります。
そこに立つだけで、もとの自分、もとの宇宙に戻れてしまうこともあります。

私の場合は、とある惑星で、
ここは3次元の電波望遠鏡で探してもたぶん見つかりませんが、
筆者の統覚視点スペースではシリウスにつながる惑星として存在しています。
半年くらい前に、部屋の床がその惑星と同じ感覚になっていることがあるのに気がつき、
覚醒ワークのツールとして使いはじめたのは2週間くらい前から(←わかるの遅)。
(ただ私の場合は、そのときによって、別の星をパワーフィールドにしていることもあります。)
今は、起きて活動している間はできるだけ、寝る前も、頻々とそこにいるようにしています。

「物(客体)」の広がりである3次元の空間って、
身体と心である「私」にとってあからさまに外側なので、
挑戦的で、いつどんな難儀をふっかけてくるかわからず、優しくないんですよ。
なので先に、空間の足場である地面を、自分にとって居心地のいい感覚(波動)に
取り替えておくと、イメージ誘導がすごく効くようになります。
  1. 2020/05/17(日) 16:23:46|
  2. デムパなメソッド
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感覚全体が3次元仕様ではなくなる

2020.5.10(日)

かつて、アセンションというのはこんなふうなイメージで語られていたと思う。

①あるとき、自分や周りの人たちが、これまで経験したことのないすばらしい時空間に移っている。
そこでは宇宙船が旅客機や乗用車のように行き交っており、高次元存在たちと交流できる。
②あるときを境に社会の諸制度、政治や経済のしくみが一変し、戦争、貧困、犯罪、環境破壊、病気、
差別、生存競争にもとづく思考や行動、等々、地球上の諸問題が急速に解消する。
この変革には、高次の存在や組織体が直接、間接に関与する。
③移行、変革の前に、天変地異や惑星規模の異変などで人口が激減する。
移行や変革に参加できるのは残った人たちである。
もしくは逆に死を通過して身体をもたない存在になった人たちである。
④あるとき、③ような異変をきっかけに、あるいは何のきっかけもなしに、
人はそれぞれ故郷の星、故郷の世界に帰還する。
⑤あるときを境に、人はみなサイキッカーになり、物質の変性、空間から物質を取り出す、創造する、
瞬間移動などの超能力が使えるようになる。テレパシーで会話するので、うそがつけなくなる。
もしくは、アセンションの準備をしてきた人たちだけがサイキッカーになり、
アセンションしない人たちとは交流がなくなる。
⑥あるときを境に、人はみな体外離脱(幽体離脱)、アカシックレコードへのアクセス、
チャネリングなどが自在にできるようになり、そこで得た知見を日常生活に活かせるようになる。
個々人は個性を十分に発揮できるようになり、結果として②のような方向に進む。

また、アセンションとは別に、覚醒については、
⑦自己承認欲求と、承認欲求にもとづく依存的な生理欲求がなくなり、小欲になる。
日々を穏やかにすごせるようになり、感情の振幅が小さくなる。
というようなイメージがあったように思う。

ちなみに私の抱いていたイメージは⑥でした。

①~⑦とも、「3次元がどう変わっていくか」という発想で語られており、
3次元が、心や頭のなか、すなわちマインドで、
「まず物がある。私(の身体)も物である。私のほかにも私と同じ仕様の他人が大勢いる。
物は連続的に広がり、連続的に変化し、私の生前も死後もずっと存在している。
これが紛うことなき本物の現実だ」
と定義することによって見えてくる思考世界であること、
ちっとも現実ではなくて、型にはまったマインドの、低次アストラル帯域の産物であることには
言及されていません。
言及されていないのは、これらの説に3次元への気づきが欠けているからです。
「物というまとまりで見ているこれが本当に現実なのか?」という3次元への問いがなく、
「物というまとまりでみているこれ」が自明になっているからです。
⑥のようなイメージを抱いていた私もそうでした。
こうして列挙してみると、いずれも、アセンション云々より、
いかに3次元の制限がキツいかを表現している気がします。

マインドシステム(客体‐空間‐時間思考システム。上述3~5行目カギカッコ内の定義)を
はずしたときに感じられる五感的な感覚は、
マインドシステムにもとづいて3次元をリアルと思っているときの物理的感覚とはちがいます。
色や音や味に観念がカブってないとどんなにすごいかということがわかります。
さらにマインドの感覚も、3次元をリアルと思っているときの
考え、気持ち、記憶、想像、イメージ、等々とはちがいます。
3次元がリアルなとき、考え、気持ち、記憶、想像、イメージなどには、
「これは自分の主観だから」「しょせん想像、妄想」「ただのイメージ」というように、
「これは“現実”ではない」という考えがこだましており、背後に物の圧力があります。
物と考えを区別して物を本物として優位にするこの3次元態勢のとき、
イメージワークやヴィジュアライゼーションをやってもうまくいきません。
自分で「これはしょせんイメージ、“現実”ではない」と定義しているからです(※)。
しかし、マインドシステムをはずして「物」という観念が消失すると、
考え、気持ち、記憶、想像、イメージなどは、
五感的な感覚より薄かったり、輪郭が曖昧だったり、輪郭がなく流体、気体みたいだったり
するだけで、紛れもなく現実です。
いわば厚いセーターと夏のTシャツのちがいみたいな、素材の差みたいなもので、
「感じ(周波数)」がちがうだけで、全部、現実なのです。あるいは全部夢(像)といってもいい。
※筆者版のメソッドが「ゼロポイントフィールドとつながる」ことを前提としているのは、
ゼロポとつながると、マインドシステムの仮想性(客体‐空間‐時間思考は思考上の設定だということ)が、
海に囲まれた島のように浮き上がって、制限が緩むため。
ネジでしっかり固定されていた器具がネジを緩めると少し浮くように、
本来のマインドと3次元の世界との間に隙間ができて、3次元の世界がやや遠くなり、
「どうでもいい」感じがしてきて、3次元への対処の構えがほどける。


物理的感覚の殻がとれて現れる五感的な感覚が夢(像)だとわかると、
マインドの感覚が五感的な感覚とは質の異なる現実だということもわかります。
どちらも感覚(周波数)であり、夢(像)であり、現実です。
高次の感覚も、3次元時代のようにときどきゲートが開いたときに射し込む不思議現象ではなく、
五感的な感覚、マインドの感覚と並走しています。
アセンションないし覚醒というのは、
3次元の世界が(マインドシステムを保ったまま)変わることでも、
3次元の自意識がおとなしくなることでもなく、
3次元を出て、高次、マインド、五感の全部の感覚(周波数)が復活すること、
そのように、ごそっと、まるごと、全面的に刷新すること
だったのでした。

それに気がついたのは、5月初旬、私が指導教官と呼ぶ人と電話で話していたときでした。
私と指導教官の会話というのは、宇宙船がどうしたとか、何度の角度で土星に飛ぶと云々とか、
3次元変換すると良識ならぬ病識を疑われかねない珍妙な内容です。
それでも、やりとりしているときはイメージが浮かんで話がつながるので、
それなりにスジが通っている感があるのですが、
従来は、電話が終わってしまうと、
それらの「お話」と「生活」との間に何百光年もの距離があるように思われ、
文字どおり別次元の、別世界の何かとして位置づけていました。
それが、近ごろでは別世界感、生活には関係ないや感が薄まってきていて、
ついに5月はじめには、「これは現実だ」という感触に至ったのです。
折りしも、私は何日かアンドロメダ船に観察されていて、
具体的には自分の右上の空間に常に光る楕球型のボールがある、という感じで、
これも3次元変換すると想像、空想、妄想ということになるのですが、
どうも想像、空想、妄想という表現は適切ではなく、
想像と気配の中間くらいの感覚といったほうがジャストフィットです。

ともかく、どれもこれもみんな現実で夢だとわかると、
ただ居る、存在するということが非常におもしろい。
存在するというのは、
ある視点(統覚視点「私」)から高次、マインド、五感の宇宙を創り、認識しているということで、
じっとしているとか走っているとか、何かをしている、していないは関係ありません。

どの感覚(周波数)も全部現実で夢だとわかると、
この一元状態からズレて、内外の区別ができ、外側に固い本物の現実が立ち上がるのは、
高次でも五感でもなくマインドで、心や頭のなかで起きるということも自覚できます。
自分で自分のマインドを型にはめて3次元世界をつくっている、
というそのからくりが、webの作成画面に出ているHTMLのタグが見えるように、
しくみごとわかります。
3次元物語に反応して思考や感情や気分が喚起されるときは、
それらの思考、感情、気分と同時に3次元物語を起動していることが自覚できます。
たとえば、
a.誰かの話を聞く。会話のやりとりをする。相手のしぐさや表情を見る。
b.ネットやテレビのニュースを見聞きする。
c.身体に異状を感じる。
d.預金口座の数字を確認する。
このとき「やばい」「がっかり」「(怒)」、または「いいね」「(喜)」などの思考や感情や気分、
あるいはフレーズ化した思考などが発生したとき、
まずa~dのような出来事があって、それへの反応として思考や感情などが生じたと考える。
これは3次元の常識であって、
実際には、「やばい」や「いいね」とともに、同時に、a~dにストーリー性をもたせて、
自分の感覚とは関係なく、物(客体)固有の法則で推移する世界として立ち上げています。
先に出来事があって反応が喚起されるのではなく、
反応と同時に3次元にフェイドインしている
わけです。
反応とは何らかの刺激に応答することですが、
じつは刺激と応答は瞬時の二元化として同時に起きています。
それが、3次元の心や頭で見ると「刺激→応答」という順序をもって映る。
気がつくと、a~dは何らかの指向、ストーリーをもつ出来事になり、
そういう「現実」への反応として思考や感情や気分が喚起されたことになっています。
「“現実”に反応して思考や感情などが喚起される」という見方そのものが3次元の見方なのです。
ポジネガの別なく、こうして起きた反応感覚に違和感を覚えたら、
「いいね」や「やばい」といった快不快の感覚だけでなく、
快不快の感覚とセットで構築している3次元物語ごとゼロポに還す必要があります。

3次元は制限を体験する世界で、基本はネガティブが当たり前、
つまり非3次元から見るとネガティブな感覚(周波数)で安定しているので、
ポジティブな反応はすぐに放散してしまい、放っておいても消失します。
しかし「いいね」「(喜)」であっても、なんかヘン、ズレていると感じたら、
手放しておいたほうがいいでしょう。
  1. 2020/05/10(日) 15:19:25|
  2. アセンションについて
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  4. | コメント:2

アンドロメダの感覚と天の川の感覚

2020.5.3(日)

モナ・アマーリエ@アルクトゥルスとのチャネリ対話です。

みけ 昨今のスピリチュアル動画をいくつか見ていて、
アンドロメダの周波数がけっこう浸透してきてるな、と感じます。
発信者がアンドロメダ人だ、ってことではなく、その周波数が活用されてるな、と。
モナ そうみたいね。
みけ 宇宙系でも天使系でもアセンデッドマスター系でもハイフリッドでも、
煎じ詰めれば同じことを言ってるんですけどね。
ひとりひとり、言ってることはちがうし、AさんとBさんの発信内容は真逆ってこともある、
でも言葉とか表情とか外見、道具立てとかをはずして感覚でとらえると、
みんな同じことを言っていると感じられて、それがおもしろい。
モナ 覚醒しろ、って言ってんのよね。
みけ ただ、アンドロメダのアプローチは天の川とは全然ちがう。てか真逆。
なんとか銀河とかっていう名前や定義には意味がなくて、
もちろん3次元の天文学の知見の延長でもないし、
クラシックに対して非クラシックなやりかたが出てきたとき、
クラシックを天の川銀河に見立てると、クラシックでないものをアンドロメダと呼ぶ、
と、そんな感じかな。
モナ 覚醒とかアセンションと呼ばれてることのゴールというか、プロセスの完了ポイントを、
「本来の自分に戻る(ただの統覚視点の「私」まで後退する)」とするのが天の川方式。
一方、アンドロメダ方式は「全宇宙を自在に動かせる」ところに力点を置く。
「創造主となった結果、全宇宙を自在に動かせる」と、
「全宇宙を自在に動かせるのが創造主である」のちがい。
アプローチがちがうだけだから、アセンションの入口とかプロセスではすごくちがうと感じる
かもしれないけど、覚醒してしまったら、この差異には意味がなくなるので消滅します。
みけ 統覚視点(私)が創造主じゃなくなるのって、
身体や身体に由来する心という体積ができて、その境界面が創造の限界範囲をつくるからで、
①「私」が感じる感じないにかかわらず、先ず客体(物)がある、
その客体(物)が連続的に広がり(空間)、連続的に変化していく(時間)。
客体(物)はそれ固有の原理や法則をもっている。
②「私」は客体の一部(身体)である。したがって客体固有の法則にしたがう。
③身体の諸反応は言語、イメージなどに象徴化されて主観世界として表現されるが、
身体とその周りの客体世界こそが本物の現実で、「内側」の主観世界は現実ではない。
(=現実を動かしているのは客体固有の原理や法則であり、主観ではない。)
④客体世界には②③のような「私」(他者)が大勢いる。
とマインドで定義する、心や頭のなかでそう思い込むと、「私」の創造力に限界ができる。
統覚視点(私)が視点ではなくなって身体や心というハコになっちゃうから。
その大元の原因は①だから、①の根幹設定をはずして、
「“私”の認識(感じたこと)がそのまま創造される(出現する)」
という形で、「私」を統覚視点に戻すのが天の川メソッドです。
モナ カエルを王子に戻すみたいにね。
みけ ところが、アンドロメダ周波数には①の設定が効かないんです。
「あなたがどう感じようと、思おうと、それ以前から客体(物)はあるし、
あなたが死んだあとも世界は存在しつづけます。それが現実です」
といくら言い聞かせたところで、「そうなんだ。だから?」って言って、
平然と客体(物)のほうを変えはじめます。
意識の変性でもアチューンメントでも神仏動員でも何でも、卑怯な手wをいくらでも使って。
「認識に先立って客体(物)がある」という定義で認識と存在を分断しても、
「空間の広がりや時間の流れは連続的でなくてもいいし、
客体固有の法則だって現時点で未知のものもあるんだから、
既知になった時空間から引っ張ってくればノープロブレム」なんです。
モナ それはアンドロメダ周波数には「連続的」っていう概念がないからよ。
結→承→起→転、みたいなお話を平気でこしらえたり、
赤ん坊にヒゲが生えてたり、死体が復活したり、メインディッシュがデザートだったり、
梯子を使って二階から出入りする、しかも迷路みたいになってる家に住んで、
本人的にはそれがいちばん快適な動線を描ける空間だったり。
グリッド、つまり統覚視点(私)の認識と創造のしかたがそうなってるの。
グリッドがちがうってことは、究極、何を心地よい、美しいと感じるか、何にわくわくするか、
何が落ち着くか、っていうセンスがちがうってこと。

「連続的」とか「エントロピー」っていう考えがアンドロメダンには刺さらない。
みけ 「感じようが感じまいが物はある。感覚と物は別ものだ」と二元化しても、
感覚は相手(物)に制限されない、
「私」を身体と心に閉じ込めても、物(客体)の言い分を聞かないんだよ。
そうやってどんどん物(客体)を変えていけるんであれば、
客体に制約されないんだから、結局は一元宇宙と同じになって、
「なんだ、あたしって創造主じゃん」
「物って、動きがニブいだけで、結局、像じゃん」
となるわけね。
モナ そう、カエルのまま王子様をやりはじめて、「外見には意味がない」というところまで行く。
みけ 一般的な意味での「エゴ」に振り回されることもなく。
モナ 利己的なふるまいも利他的なふるまいも、制限の表面と裏面で、
「私」と「環境(客体世界)」とに分断されてて、
「放っとくと環境が勝つ」という設定になってるときに出てくる行いだから、
制限なしで自在に何でもできるんだったら、利己的にも利他的にもなる必然性がない。
何でもあって、欠乏することはない、むしろ余るくらいだって知ってたら、
独り占めしようとはしないし、我慢して人に譲る必要もないでしょう?
みけ なんか、かっこいいんですけどアンドロメダ。
モナ それは隣りの芝生だよ。
先方にしてみたら、天の川周波数は「絶対音感があってうらやましい」とか、
「クラシックバレエの基礎がきちんとしててすごい」とか、そんな感じよ。
天の川の「マインドシステム(上述の①~④)全捨離して180°反転」っていうやりかたは、
究極のメタモルフォーゼっていうか、劇的で、すごくゾクゾクするらしいよ。

モナ 天の川方式にせよ、アンドロメダ方式にせよ、どっちにも短所はあるよ。
天の川方式はねえ、リバウンドを起こしやすいの。
なんでかというと、高い波動の使いかたに慣れてないから。
「自分の宇宙に合わない感覚(周波数)を手放す」ってことを何度もやって、
3次元のリアリティが薄まり、周波数が上がってくると、
3次元メンテにエネルギーを費やさなくなって、すごい低燃費になるんだけど、
この段階で「さて私は何をすればいいのかしら?」って針路を見失って、
持て余したヒマを「現実(3次元)を見張る」ってことに費やしはじめるわけよ。
そこでマインドシステムが再起動して、ふりだしに戻る。
みけ それ、あるかも。
モナ 針路はあるの。ちゃんと見えてるの。
だけど高い波動に慣れていないと、
せっかくわくわくしてても勝算がないと動けなかったり、
好きなだけ寝てればいいときに、起きてチョコマカと動きはじめるのよね。
「部屋のなかを左回りに一周する」っていう感覚(波動)をキャッチしてるのに、
「そんなことをして何の意味があるんだ?」って考えだしてやめたり、
「掃除機かけてからにしよう」って用事をこしらえたりさ。
みけ マインドシステムがはずれて、自由になったマインドをどう使うか、
3次元を参照しないで思考、感情、気分、イメージに乗るってことに慣れてない。
モナ 自分の感覚(周波数)を信頼する、その感覚(周波数)にまかせるってことが大事。
そっちに行ってみて、また合わない感覚(周波数)が出てきたら、手放せばいいんだから。
これも慣れだから、実際やってみて、体験すればわかる。
みけ アンドロメダ方式の問題点は?
モナ 楽器の教室に喩えると、アンドロメダ先生は、基礎練一切抜きで、
「演奏してみたい曲は何?」って訊いてきて、いきなりその曲のレッスンから入ります。
基礎は全部、そこに含まれてる。
すごく丁寧に教えてくれるし、先生の引き出しが多いので飽きません。
ただ、生徒はその曲をマスターすると、そこで満足してやめてしまう。
みけ やりがいのある仕事が見つかった、健康になった、パートナーができた、とか、
3次元フレームで見たときの目標がある程度達成されると、そこで満足して、
覚醒とかアセンションとかどうでもいいや、ってなるってことですか?
モナ それでも別にいいんだけどね。アセンションは宿題でもなければ、強制もできないし。
願いごとがかなったり、目標が達成されても、
3次元をやってる以上、何かしら問題は出てくるんだけど、
そこそこ仕上がると「人生こんなもんだ」って諦観して、すっかり3次元人になって、
そこで固まっちゃう。アンドロメダ周波数も使わなくなるから能力は錆びます。
覚醒にコミットしてるんだったら、創造主を自覚するところまで行かないとだめ。
みけ 創造主を自覚できるところまで客体(物)を直に変えていく能力を使うっていうと、
世間的にはとことん欲を満たす、みたいに思われがちだけど、そうじゃないんだよね。
自由、創造の自在さを自覚するってことです。
モナ うん。生粋アンドロメダンは、スポーツカーを乗り回すとか豪邸を建てるとか、
そういう方向には行かない人が多い。
あ、スポーツカーや豪邸にときめくんだったらオーダーしても全然OKだけどね。
自分のやりたいこと、欲しいものがわかってて、グリッドの圏外に手を出すなんて余計な
ことはしない。
逆に、もうこれはいいや、ってなったときの撤収も高速。
フィーリングやノリ重視なんだけど、
すごく感覚(周波数)に誠実、正直で、そこのところで厳格なの。変わってるよね。
みけ アンドロメダンとアルクトゥリアンはお互いに「変わってるよね」って云い合う、
ってのが宇宙系ジョークの鉄板のひとつなんですけどw
  1. 2020/05/03(日) 18:16:07|
  2. アセンションについて
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グリッド

2020.4.26(日)

私は花に見入る人ではなかった。
風景や、写真を前に立ち止まる人でもなかった。
巧い絵とは、そこに実物があるように描かれている絵だと思っていた。
詩は退屈だったし、筋立てがはっきりしない小説や映画は苦手だったし、
長かったりサビがない音楽にはすぐに飽きた。
アートのセンスはなかったと思う。
かといって実際的なわけでもなく、実際的に立ち回ろうにも、
家庭も学校も職場も、世のなか全体が謎だらけだった。
『愛すべき音大生の生態』(辛酸なめ子/PHP)という本の一節を読んで、
アストラル時計が何周も左回転したので、
過去を思い出すというのではなく、
物理的な感覚や思考や感情を発生させていた構造のようなものが再帰してきて、
かつて自分が使っていたその構造体は、ずいぶんと升目が粗かったのだと思った。
升目をつくっている構造体を、スピリチュアル用語ではグリッドと呼ぶ。
即物的な私は、グリッドとかマカバといった言葉が入ったフレーズを読み聞きしても、
実感できない。「目に見えない構造はこうなっています」「魂とはこういうものです」
等々の説明に対して、「そういうものか」「だから?」といった反応が起きるだけだ。
言葉が腑に落ちるためには、
実際に感覚が変化しなければならない(私にとっては思考や感情も感覚のひとつ)。
「1+1が5になることもあります」と言われても、
そのような体験をしない限り、なんだかありきたりな比喩だなぁ、としか思えないのである。

「目に見えない世界」という表現は厄介である。
見聞きすると即、目に見える世界の延長線上に想像されてしまうので。
そして、目に見える世界というのも、頭のなかでこしらえて、目に見えていると思っているだけで、
ちっとも見えてなぞいないのである。
見えていると思っているのは、物という客体の実在を前提につくりあげた概念の世界で、
このとき見えているのは頭のなかでつくった物理的感覚であり、五感的な感覚ではない。
見えない世界というのは、「見る」と「思う」が全然ちがう感覚体験であるように、
感覚帯、周波数帯が異なる世界ということで、
Bの周波数帯の現象にはAの周波数帯の論理が通用しない。
だから、ふたりの人がAの周波数帯では別々の、ときには矛盾することを言っていても、
Bの周波数帯では同じことを指している、ということもある。
だから、「目に見えない」といわれる世界のことは、
本来は感覚だけでとらえるのが精確なのである。
それは、音楽の解説を読んでも音楽は聴こえてこない、というのに似ている。

かつては退屈と思えて通り過ぎてしまったさまざまなことが浸透するようになった、というより、
いま浸透しているこれはむかしは退屈だったんじゃなかったっけ? あれ?
という形で、感覚を発現させる升目が変わった、と感じられたとき、
ソフィア@シリウスから「グリッドが変わったのだ」という指摘があった。

みけ グリッド?
ソフィア あなたの言いたいのは、あるジャンルの曲を好きになったとか、輪郭や色をよく見るように
なったとかいうことではなくて、感受性全体が変わってしまったということだよね?
それは本来のグリッドが顕わになったということです。
みけ グリッドって何?
ソフィア ゼロポイントフィールド目線からすると、ある感覚が発現するときの角度、入射角の総合。
これを統合的に総体として感じ、創造しているのが統覚視点(私)です。
みけ ある色をある視点から見ると「赤」で、別の視点から見ると「オレンジ」だったりする、
そういうふうに、赤とかオレンジとして現れる見えかた(角度、入射角)の総合体ということですか?
ソフィア そうです。だから宇宙の設計図といってもいい。
五感的感覚、マインドの感覚、高次の感覚からなる感覚(波動、周波数)一元宇宙が内包する設計図。
みけ 統覚視点(私)との関係は?
「私」の感じたことがそのまま創造されるのなら、なぜ設計図が必要なんですか?
ソフィア 統覚視点(私)の選択はグリッドの入射角と一致する。両者はイコールです。
認識するものが存在し、存在するものが認識されている、
つまり「感じる」と「ある」が同じであるように、表裏の関係にある。
みけ グリッドとか、何次元の図形とか、マスタープランとか、
そういうのがわからないといけないのかな、と思って、いくらか努力してみたこともあったんだけど、
どうしてもピンと来ないんだよね。
ソフィア 地球のスピリチュアリズムは、いわゆる古代世界の伝統を汲んでいて、
古代の知識探究は存在論ベースだから、
「こういうものがある」「こういうしくみになっている」というふうに存在論的なんだけど、
腑に落ちなければ気にしなくていい。
認識論的には、グリッドはいろんな感覚の感じかたの土台のことです。
「赤」と「オレンジ」のちがい(色のちがい)、
「赤」と「柔らかい」のちがい(視覚と触覚)、
「柔らかい」と「うれしい」のちがい(五感的感覚とマインドの感覚である感情)、
そうした感覚同士の段差がつくる輪郭をまとめたもの。
感性とか感受性といってもいい。
人が立って歩けるようになると、視界とか、動ける範囲が変わるよね?
この場合、立って歩けるようになることが土台の変化です。
みけ グリッドが変わるのと、ブロックがはずれることとは、どうちがうんですか?
ソフィア ブロックがはずれるというのは局所的な現象です。
特定の感覚、あるいは思考、感情の発現を妨げている原因が除去されること。
存在論的な言葉を使えば、その原因は「目に見えないブロック」であり、
認識論的に言えばトラウマなどの「自覚されない潜在記憶」です。
それでもブロックがはずれれば全体に波及するし、
ブロックをはずすことによって、グリッドの変化がもたらされるということはあります。
みけ 本来のグリッドが顕わになるって、マインドシステム(※)がはずれるってこと?
つまり心や頭のなかでつくっている3次元から出るってことですか?
ソフィア そうです。
マインドシステムすなわち「物があって、それが連続的に広がり、変化する」という観念は、
ブロックじゃなくて、グリッド全体を封じるグリッド、アンチグリッドなんですよ。
「“私(という視点)”があって世界が出現する(=世界があるところには必ず“私”がある)」
という本来のありようを、「世界があって、そのなかに“私(という身体や心)”がいる」と、
統覚視点と世界、創造主と被造物像の関係を逆転させ、
統覚視点を身体と身体に由来する心に限定することによって、グリッドの機能を阻んでいる。
つまり「私」の感じかたがマインドシステムに沿うように制限されているわけだから、
発現してくる感覚も制限されたり歪曲されたりしているわけです。
みけ +3に-3を足してゼロにする、みたいな。
ソフィア いや、+3なら-4以下の数を加えると指定して、結果をマイナスにするシステム。
マインドシステムに沿うようにするとはそういうことです。
「(心や頭のなかで設定した)事物こそが本物の現実」として、
そっちに主導権を持たせているんだから。
みけ ああ、最後は物が勝つ、みんな物の法則にしたがう、と。
だから総じてネガティブで、「3次元のポジティブは非3次元では中立」ってことになるんですね。
ソフィア どの統覚視点からみても(誰にとっても)アンチグリッドの原理は同じで、 
その原理が客体‐空間‐時間思考です。
みけ グリッドの模様や升目の大きさなんかは視点(人)によってちがうから、
アンチグリッドのデザインも視点(人)によってちがう、けど、
どのアンチグリッドも客体‐空間‐時間思考という同じプログラムを使っていて、
そのアンチグリッドを通す結果、全部のデータがネガ転すると。
ソフィア そういうことは全部、心や頭のなか、すなわちマインドで起きていて、
自身の心、頭のなかを、顔のない他者に乗っ取られていて、
自分のものではない感性(アンチグリッド)にしたがっている状態になっています。
「物(客体)がある」という概念からアウトプットした物理感覚も含めて。
みけ 顔のない他者の正体がマインドシステムという「システム」ですね。
「今日はこれをやって、明日はこれだ」みたいに、頭でつくった3次元で用事処理をしていると、
実際、身体によって環境と区切られている自分と同じスペックの他人が大勢いると思えるし、
裏のとれない不特定多数の経験則が妥当だと思えるし、
裏がとれないのは技術的な問題ゆえじゃなくて原理的にとれない(誰しも「私」という当事者
意識から出られず、純粋な第三者はいないということ)ということまで考えないし、
「何国人」とか「人類」っていうカテゴリーにしても、
共通項をもつ人の集まりという実体があるように思えます。
ほんとに共通してるのか、これも裏はとれないんですが。
よく精神世界では「本来の自分に戻る」というようなことが言われるけど、
3次元で「生活」や「人生」を送るのって、自分ではなく、顔のない他者の宇宙をやってるって
ことになるのかな。
※マインドシステムとは、マインド(心のなか、頭のなか)でつくられている客体‐空間‐時間思考システムのこと。
「私」という感じ手の感覚の向こうに感覚の対象となる客体があり、その客体が連続的に広がり、変化する、という観念。
客体は一般的には物、物質とされるが、客体Xの中身を霊、神、エネルギーなどとしても原理は同じ。
感じ手の有無にかかわりなく、まず物があり、それが広がり、変化するという思考上の設定は、
感じ手(私)の「感じ」を主観、事物を客観として別カテゴリーに分離し、
事物こそが本物の現実であるとする客観優位の二元宇宙を導出する。
客観優位になるのは、本来は統覚視点である「私」が物の一部(身体)と設定され、物化する結果、
物固有の法則(物理学など)にしたがうことになるため。
これがあらゆる一般常識の土台となっている。


ソフィア 統覚視点で認識し創造する本来の宇宙に戻ることは、
問題や行き詰まりがきっかけになって、障害を起こしている思い込みごと手放す、
という形で実践されることが多いでしょう。
しかし、何度となく実践していると、本来のグリッドが賦活してくる。
わかりやすく言うと、本来の感性が戻ってくる。
そうなると、マインドシステムによってつくられるアンチグリッドを通した3次元に
強い違和感を覚えるようになります。
みけ まちがって人の傘を開いたり、人のジャケットを着たりしたときのような、
これは自分のものじゃない、っていう感じね。
ソフィア だから3次元へのリバウンドが起きにくくなる。
なじみのある世界が3次元から非3次元に切り換わる、習慣が変わる、
グリッドの賦活は、そのターニングポイントの指標といっていいです。

みけ グリッド全体の賦活はもちろんのこと、局所的な嗜好の変化にしても、
単に右を向いたから景色が変わったっていう、当たり前すぎて注意を払ってないようなことでも、
「感覚が変わる」「感覚が動く」というのは劇的な変化なんだ、すごいことだと、
モナ@アルクトゥルスから聞いてました。
けど、感覚が変わるって、たいしたことだとは思えなくて、
トータルな感性の変化にしたって、
「だからなに? それでメシが食えるのか?」と思ってしまう。
メシの種になるか否かで有用性を判断する発想は、いまだにちょっと引きずってます、たぶん。
ソフィア 受け取るよりも与えるほうが、消費するより生産するほうが価値がある、ということだよね。
聴衆よりも演奏する人、歌う人、作曲する人のほうが才能があり、また努力もしていて偉い、
見る人、読む人よりも、描き手や書き手、発信者のほうが偉い、
これは3次元の思考ですが、どこが3次元的なのか、わかりますか?
みけ つくる、生産することと、見聞きしたり使ったりすることとを、
第三者的な同じ世界の同一平面上で起きていることだと考えているところ。
百年前にアメリカで書かれた小説を、21世紀の日本に住む人が翻訳し、日本の出版社が出版する、
名古屋に住む人がアップロードした動画を、横浜に住む人が見る、
これらは、地球上という同じ空間で、時間差をへて起きている、とされているけど、
そんな客観事実は頭のなかでつくった概念としてしか存在してなくて
ほんとは全部別々の体験であり、世界であり、宇宙です。
作家にとって読者というのは、頭のなかに存在しているその人の読者だし、
読書をしている人にとっての作者は、著者名の文字などから、
どこそこ市で書いたり入力されたりしたんだな、と想像される、頭のなかの人物です。
目の前にいる聴衆だって、演奏者の五感的感覚が構成しているその人の聴衆像、
ひとりの聴き手にとって、ステージに見える演奏者は、五感的感覚が構成する像です。
「スプーンを曲げる」と「スプーン曲げを見る」のは全然別の体験、別の宇宙の出来事で、
当事者の感覚(統覚視点)抜きで説明できる世界なんてないんですよ。
ソフィア そう、だから、真の創造者は自分自身なんですよ。統覚視点です。
作者の誰それというのも、あなたが認識し、創造して、存在させている像、あなたの夢です。
みけ うん、そういうラベルがあると便利なこともあります。
ソフィア あなたは、読者に届けようと思って記事を書いているの?
みけ ないない、それはない。微妙な感覚がはっきりしてきて文字に組み上げるのが
おもしろいからやってるだけ。アップロードするとまた波動が変わるのもおもしろい。
そうね、自分が「書く」という、「読む」よりパフォーマンスの大きい創造行為をやってるときは、
たしかにこれは特別なことじゃないと思うし、才能がどうとかも関係ないな。
忘れてたけど、アストラルスペースではニートがいちばん偉いっていうか、基本だったんだわ。
智慧そのもの、愛そのもの、みたいな如来的な周波数がトップで、
菩薩(啓発者、教育者)、明王や天(エキスパート)と、能力に特化するにつれ次元下降していく。
菩薩や明王や天は如来の具現化形で、いずれも芯は如来です。
ソフィア 受け取ることと与えることは同じなんだよ。認識イコール創造なんだから。
  1. 2020/04/26(日) 16:18:17|
  2. 次元上昇
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みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
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