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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

引き寄せ本の再読

2021.3.1(月)

このところattraction(磁力、引力)にattractされているので、
本棚の奥からゼロ年代に買った引き寄せ本を読み返してみている。
このころはまだそれほど巷間には知られていなくて、ヘンな本という印象だったような。

トルストイを中心にロシアの小説をいろいろ読んだ流れで、
『一冊でわかるロシア史』(関 眞興・著/河出書房新社)という本も、図書館で借りて読みました。
もうね、歴史以前に今さらながら国土の広さにびっくりよ。
ソ連がなくなって、関東圏のなかの東京都がロシア、みたいな印象だったのだが、逆よ。
23区以外はみなロシア、みたいな広さなのさ。おそ(恐)ロシア。
練馬区やら板橋区やら北区やらがバルト三国みたいな感じやね。
東はベーリング海峡まで延びているこの国を、はたしてヨーロッパと呼んでいいのか?
この国がうちは欧州やで、と言い張るなら、モンゴルも中国もOKな気がする。
なおロシアはEUには加盟していない。

さて、自分が何かを考えたり想像したりすることと、何らかの出来事が起きるということは別範疇で、
考えや想像では出来事を直接喚起することはできない、
という大常識(※)をひっくり返すことに本気で取り組むと、
この世界は、自分という統覚意識が感じる濃かったり(五感的な感覚)淡かったり(マインドや高次の感覚)
する感覚の模様である、という非3次元感のリアリティが強くなってくる。
物があって、やはり物である身体の感覚器官でそれをキャッチしている、のではなくて、
濃淡や速度や安定感(軽かったり重かったり)のちがう三つの感覚層で、
それぞれいろんな感覚が現れたり消えたりしている、
五感も、マインドも、高次も、どれも「現実」である、ここに存在している、という感じ。
色や形や触感も「現実」だし、考えや想像も「現実」だし、直感も閃きも「現実」。
※五感的な感覚の向こうには物がある、物はそれ固有の法則(物理法則など自然科学の法則)で動いている、
五感的な感覚というのは物の一部(身体)が物環境からの刺激に反応した物理感覚であり、
思考や感情や気分はその物理感覚への二次反応である、と想定すること。
筆者のいう3次元世界とは、このような想定によって出力される世界をいう。
3次元世界では自分の認識と認識の対象は分断されており(認識≠存在)、
しかも自分という統覚意識が「身体」として対象(物)に含まれるので、
全現象の動因が対象(物)固有の法則に帰せられ、
その法則を探究したり学習したりすることはできても、超える(法則を破る)ことはできない。
つまり、本当の現実とは物質のことであり、物質の法則がすべてを決定する、という世界が出現する。


そうやって、3次元じゃない世界って詭弁や絵空事じゃなくてほんとにあるんだな、
自分次第、視角次第なんだ、と実感つきで得心してから、あらためて引き寄せ本を読み返すと、
すごくよくわかる。腑に落ちるわ。
「考えは、それに似た考えや(水平方向)出来事(垂直方向)を引き寄せる」
って、そりゃそうだろう、高次もマインドも五感も、どの「現実」も自分が感覚化して束ねているんだから、
考えと無関係に何かが起きてたらむしろそっちがおかしい、となる。
この当たり前感は、自分的にとても新鮮。
最初に読んだときは、精神世界や哲学といった方向に惹かれていたとはいえ3次元人間だったから、
「考え」がどうやって「出来事」になるのかというところで悩んだ。
オカルト界には、ここに量子力学をもってきて突破を試みるという流派もあって、
私も一時そっち系の本をいろいろ読んだんだけれども、
量子力学って、ほんとに納得するまで理解したかったら、相当ムズい数学がわからないとだめで、
私は数学には疎いので、波動関数とか密度行列とかの式を見て、うえっ、となってやめました。
五感的な感覚の向こうに「物」があるという想定を前提として、
その仮想物質の法則を突き詰めていくと数式で表すしかなくなる、
物の実在性とは概念だということがあきらかになり、
あるかもしれない、ないかもしれないという潜在性は数学語でしか記述できなくなる、
という方向のアプローチは、数学大好きな人におまかせする。
量子力学によると、誰も見ていないときには月は明らかにそこにあるとはいえないが、
月がそこにない確率は完全に無視できるほど小さいという(『量子力学のふしぎな世界』町田 茂・著)。
としても、その確率はゼロではないし、
そもそも確率の小ささ、起こりえなさは、物からなる三人称的な客観世界を前提としたときであり、
たとえば月が月齢や天候などの理由で見えないはずの夜に自分には月が見えた、
という出来事がもしあったとすると、自分にとってその確率は100%なのである。
量子力学は、物が「ある」こと、それは誰にとっても同じだという客観性から出発して、
物の最小構成要素を追究していったときに、数学語でしか記述できない潜在性に達するという
サイエンスであって、オカルトではない。
だからオカルトをサイエンスで「証明」しようという切り口でよく流用されるのだけれども、
サイエンス自体がフィクションでありアートである、という視角をとったほうが、私にはおもしろいと思う。
物も客観性も想定だとすれば、数学語が必要になるのは敢えてそれらを想定したときだけになる。

引き寄せの法則というと、
欲しいものを入手したり、やりたい仕事に就く、収入を増やすなど、
何か望みをかなえるためのノウハウ、成功法というイメージがあるようで、
私もそういうイメージでとらえていたんだけど、じつはそうではないんだね。
それは、「どんな感覚もそれ自身と似た感覚を引き寄せる」、
ある考えはそれと似た考えや感情を呼び起こし(水平方向の作用)、
それと似た五感的な感覚を呼び起こす(垂直方向の作用)、という、
ただの法則なのでした。
言い換えると、感覚には磁力がある、
高次の感覚も、マインドの感覚も、五感的な感覚も、似た感覚は引き合う、
高次とマインド、マインドと五感、というように垂直方向にも引き合う、ということです。
ちなみに、五感的な感覚の水平方向の引き寄せは、
色や形や触感や音などからなる像の組織化を促します(コップがコップの像になり、机の像と混じったり
しないということ)。
似ているというのは、相性がいい、親和性がある、なじむ、つながりがある、というような感じ。

そして、何かを望んでも、望まなくても、望みがかなっても、かなわなくても、
どんな境遇、状況にあろうと、
引き寄せの法則とかないだろオカルトだろと思っていても、そんな諸々とは関係なく、
3次元の(「物」があると想定したときの)重力とか電磁気力とかの物理法則のように、
ただただそれは作用していると。

「引き寄せの法則などという法則はない」と想定して、
そんなの考えるまでもなく当たり前、そのくらいその想定を許容していれば、
ちゃんと引き寄せの利かない世界を引き寄せます。
「まず物が存在する。自分も物(身体)だし、自分が何かを感じるというのは物(外界)への反応だ。
考えや感情は物(外界)への反応(物理感覚)への反応だ。
物が本物の現実で、最終的には物の法則が現実を決定する」
と想定している、
その想定が、ふだんはいちいち意識しないくらい当たり前な習慣になっている、とはそういうことです。

私が持っている引き寄せ本には、
何であれそれ自身に似たものを引き寄せる、そういう磁力、attractionが、いつでもどこでも働いている、
ということが、最初のほうに書いてあるのですが、
その磁力自体を「ない」と想定することによって、磁力を無力化するカラクリについては書かれていません。

宇宙には引き寄せの法則っちゅう法則があってな、
ポジティブなことを考えれとばポジティブな出来事が、
ネガティブなことを考えとればネガティブな出来事が起きるんよ、
あんたの人生に嫌なことが多いんはネガティブな仮定や想像に思考を費やしとるからだわ、
その考えをポジティブなほうに向けてみ? となって、
そこから、「だめ」「むり」「ない」「できない」をどうやって消去するかというテクニカルな話に入って、
あんたにもできるはずや、成功を祈る、シーユーアゲイン、みたいな。

読者がよほどノリのいい人で、こういう誘導でおおもとの「考えと出来事は別」想定を超えられれば、
引き寄せたいことの実現に成功し、
また成功体験が重なると経験則が書き換わるので、実感的におおもとの想定がはずれていくんですが、
実践してみてうまくいかないと、なんや引き寄せの法則ってやっぱ嘘やん、となってしまう。
要は慣れの問題で、私もそうでしたけれども、
3次元人間は磁力の利く世界に不慣れなのです。
おおもとの想定のほうに慣れちゃってて、磁力を止めてることに気づいてないので。

「自分に合わない感覚を手放す」というタイプのメソッドは、
このおおもとの想定をはずす方向からアプローチするやりかたです。
磁力を無力化する想定をはずすということが、覚醒でありアセンションであり非3次元化です。
本来の宇宙とは、磁力が利く世界のことです。
感じたことがそのまま感じたように実現し(認識=存在または創造)、
その実現した感覚の持つ磁力が水平に働いて広がったり、
垂直に働いてさらに具体的になったり(閃きが考えに、考えが五感に、と具体化していくこと)。

前の記事にも書いたように、私は手放しメインだったのですが、
引き寄せ本に書いてあるような「意図的な引き寄せ」も、適宜、実行することにしました。
これは高次から降りてくる本当の欲求だろうか? などということは気にせず、
自分はこうするとか、これを手に入れるとか、思いつくまま深く考えずに意図します。
何か意図すると、磁力を止めている手放し材料がどんどん出てくるからです。
ということは、非3次元化を阻んでいる感覚が明確に浮上してくるということです。
「できない」「ありえない」「前にもやったけどだめだった」「もうあきらめるべき」といった、
自分の能力、適性への不信、磁力そのものへの不信だけでなく、
「こんな現世利益ベタベタの欲求はダサい、くだらない」「もっと大事なことがあるはずだ」
「虫がよすぎる」「幼稚」「こんな通俗的な欲求を残している自分が嫌」
といった価値判断系のウダウダが混じっていることもあります。

本当に不要な意図だったら、そのうち自然消滅するので気にしません。

「できる」とわかっている(これが「許容している」ということです)意図なら、
ふだんからばんばん発しています。
スーパーに行くとか、何を買うか決める、代金を支払う、帰り道を決める、歩く速度、
玄関のドアを開ける、電灯のスイッチを押す、などなど。
昨年、私は不意に3日間くらいヴィパッサナー瞑想入りっ放し状態になったことがあって、
そのとき、こういう自動反射みたいになっている習慣的な些細な行為も、
そのつど微細な意図にもとづいていて、
それぞれの意図に「めんどくさい」「ダルい」「暑い(寒い)」「(買い物代が)高!」「もう6時か」とか、
その他、言語化もされないいろんな抵抗感覚が絡みついていることがわかりました。
できるとわかっている(許容している)ことなら、この程度の対抗波動(抵抗感)で実現が阻まれることは
ありませんが、こういう感覚があるとマインド全体の波動が下がる(透明度、明晰度が落ちる)ので、
見つけ次第、ゼロポに還して手放すようにしています。
引き寄せターゲットを意図したときに湧出してくる対抗感覚に気づき、それを手放せるようになると、
こういう習慣に埋まっている(潜在している)低波動感覚も見つけやすくなると思います。

ともかく、引き寄せ本で最も大事な情報は、導入部でさらっとふれられることが多い、
「attraction(引力、磁力)は常時作用している」ということだと私は思います。
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  1. 2021/03/01(月) 15:50:06|
  2. ひみつの閉架書庫
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引き寄せ詳説~垂直方向の磁力について

2021.2.20(土)

何であれ、「それ自身に似たものを引き寄せる」というのがthe law of attraction、
一般に普及した日本語訳にすると引き寄せの法則です。
attraction、誘引力、引力、磁力だと? そんなものが本当にあるのか?
というところで引っかかりを覚える、眉唾くさい、ということはあると思います。

引き寄せの法則、それは簡単にいえば、
ポジティブなことを考えているとポジティブな出来事が起き、
ネガティブなことを考えているとネガティブな出来事が起きる、ということなんですが、
なんだそれ、「考え」と「出来事」はまるで別範疇ではないか、
嫌なことを考えているのにいいことが起きることはあるし、
楽しいことを考えているのに災難に巻き込まれることだってあるぞ、と。

だから、「“考え”と“出来事”はまるで別で、連動するとは限らない」と考えていると、
まさにそう考えているとおりになるわけで、
attractionはちゃんと働いているのですが、それはさておき。

ネガティブな考えからネガティブな連想を、ポジティブな考えからポジティブな連想をしやすい。
これなら、一般常識的、経験則的にいって、ほぼほぼ異論はないのではないでしょうか。
財布にあと二千円あると思っていたのに、財布を開いてみたら千円しかなかった、げっ!
と、そこから最近の無駄遣いを悔いたり、来月の税金の支払いやローンの引き落としのことを考えて
暗くなったり、急に公共料金や通信料金が高く思えたり、と、
ほんの数秒くらいの間に、とりあえずその場に関係ない件まで思考の触手が伸びて、どよ~ん、とか。
でも財布にあと五百円しかないと思い込んでいたら、なんと千円あった札があった、となると、
シャー! と心のなかでガッツポーズ、卵と野菜とパンを買ってもまだ余る、ポテチもイケる、と高揚し、
そういえば今日はすばらしくいい天気ではないか、と深呼吸してみたり。
この程度のことなら数分で雲散霧消してしまうかもしれませんが、
仕事のミスが家に帰っても忘れられないとか、人から投げつけられた嫌な言動を何度も反芻するなど、
ネガティブな考えを「引きずる」状態になると、
固定されてしまったその気分と同調する不快なニュースを拾ってしまったり、
陽気にしていたり大笑いしている人がいると気に障ったり、
食事がおいしく感じられないとか眠りが浅いとか、五感領域まで及ぶこともあります。
逆に、仕事や勉強がはかどって、調子がいい、うまく回っていると感じられると、
将来への明るい見通しが立ったり、やりたいことが出てきたりと、前向きな方向に考えが動きます。

考えが考えを呼ぶ。
ある考えや感情は、別の考えや感情を結びついて、同一フォルダに入る的なまとまりをつくる。
その考えや感情への関心(注目度)が強いと、
マインド全体がその考え、感情の色に染まり、広範囲に影響する。生活にも影響する。
これは、ある考えが、それと関連する考えを連想させて強くなったり膨張したりする、という、
水平方向の作用です。
では、この連動作用が水平方向だけでなく垂直方向にも働くとしたら?
その考えないし感情は、それと関連する色、形、音、味などの五感的感覚を喚起することになります。

マインドに連動して、それと似た五感的な感覚が呼び起こされる。
マインドでつくった「現実」が五感的な「現実」を引き寄せる。

いや、それはないでしょう、とストップがかかるとすれば、
垂直方向には、考えや感情には影響されない何かが存在している(と考えている)からです。
この何か(客体X)は、一般的には物、物質です。
物質があって、それが考えや感情の及ばないそれ固有の原理、法則(自然科学)で動いている、
とすれば、当然、物質は考えや感情には影響されず、垂直方向の連動作用は起きません。

何度か書いてきたように、五感的な感覚の向こうにたしかに物があるかどうか、
緑色で四角いという視覚、触覚の向こうに緑色の箱が存在しているかどうかは、わかりません。
たしかなのは緑色で四角いという感覚を感じているということだけで、
自分の感覚を離れて物のあるなしを確認できる人はひとりもいないので
(観測機器を使っても、機器を操作する人や結果を検証する人の感覚を介することになる)、
物が「ある」とすることもできるし、「ない」とすることもできる。どちらにしても想定です。

物が「ある」と想定し、
物は物理学とか化学とか物固有の法則で動いているとすると、
物は人間の考えだの感情だのとは関係なく存在していることになります(認識≠存在)。
のみならず、むしろ人間の考えとか感情とかは物固有の法則にしたがって生じる、
身体という物が、物でできた外界からの刺激に「反応」するという生理作用から考えや感情が生じる、
ということにもなります。
とすれば、物(身体)から派生する考えや感情に、それ自身の基盤である物を動かす力はありません。
ハードウェア(身体を含めた物質一般)はソフトウェア(考えや感情)を作動させることができても、
ソフトウェアではハードウェアを動かせないように。
これは、五感的な感覚の向こうに「本物の現実(物質)」が存在し、
「本物の現実(物質)」固有の法則(自然科学)が一切の出来事を決定する、
考えや感情はそれに制約され、
法則(自然科学)を研究したり、法則に沿った情報を集めたり、
「本物の現実(物質)」を解釈して一喜一憂したりはできるけれども、
「本物の現実(物質)」を変える力(垂直方向の連動作用)はない、と考えることです。
筆者が書いている「3次元の世界」とは、そのように、物が「ある」と想定したときの世界です。

引き寄せの法則などはインチキだ、本当の現実を直視できない弱い心がでっちあげた思い込みだ、
本当の現実の基礎は自然科学である、と考えれば、その考えどおりに、
物質があり、物質の法則(自然科学)が現実を左右する、引き寄せのない世界を出力します。
認識が、存在がどうのこうの、と深く考えなくても、即座にアヤしい、インチキくさいと感じられるのは、
考えや感情と物でできた現実は別だ、という観念が、
何度も反復して習得し、習慣になった行動、思考の前提になっていて、
いちいち意識しないくらい当たり前になっているからです。
だから、考えや感情と物でできた現実は別ということが暗黙の前提になっていると、
理屈より先にアラームが鳴る。

しかし色や形、触感などの向こうに物が「ない」と想定すると、
考えや感情の連想として水平方向に働いていた連動作用が、
垂直方向の作用を止める(というか「停止」指令として作用する)
物質とか物質固有の法則とかの想定に阻まれないので、ストレートに下に向かい、
考えが考えを呼ぶのと同じメカニズムで、
色や形、触感といった五感的感覚を喚起します。

物が存在していなければ、
五感的な感覚は、物(外界)からの刺激に物(身体)が「反応」して起きる物理感覚ではないし、
考えや感情は、物に反応した物理感覚への「二次反応」ではありません。
両方とも、自分が感じる(認識する)ことによって現れた感覚であり、その点で本質的には同じです。
ただ、五感的な感覚が濃くて段差(コントラスト)がはっきりしているのに対し、
考えや感情などは相対的に淡く、また相対的に移り変わる速度が速くて軽い、
というちがいがあるだけです。
考えや感情なども、色や形などと同じように、自分が感じた「感じ(感覚)」である。
考えや感情などはマインドの「感覚」といえます。
どちらも本質としては「感覚」なので、考えが考えを呼ぶという水平方向の作用と同じように、
ある考えが色や形などを呼ぶといった垂直方向の作用も起きるのです。
なお、物が存在していなければ、
「自分」というのも身体やその生理作用でできる心理現象のことではなくなります。
物を想定していないときの「自分」とは、
さまざまな感覚をまとめて感じている統覚視点ないし統覚意識のこと、
簡単にいえば感覚の感じ手のことです。
物を想定していなければ、感じ手が感じる(認識する)ことによってその感覚が創造される、
ということになります(認識=存在もしくは創造)。
感じ手なしに感覚だけがあるとか、感覚なしに感じ手だけがいるということは起きえません。

ただし、マインドの感覚(考えや感情など)の全部が連動作用するわけではありません。
考えが考えを呼ぶ水平方向の連想でも、考えという考え全部が連想に至るわけではなく、
パッと思い浮かんで消えてしまうものもたくさんあります。
あれこれ、次々と連想が広がるのは、
最初の考え、または途中で出てきた考えに、ポジネガどちらにせよ関心があって、
湧いてくる考えに注目している場合です。
垂直方向でも同じ。
何回も考える、感情や気分を伴って、ある程度まとまった「コンテンツ」みたいになっている、
というように、関心度合の強いマインドが五感的な感覚の喚起に向かう磁力(attraction)を持ちます。

ただし、マインドの感覚と五感的な感覚は、同じ感覚でもやや性質がちがいます。
マインドで思い描いたことは瞬速で実現します。修正も速攻でできます。
「だいたいこんな感じ」という、ぼやけたファジーな実現もありです。
感覚化(実現)のスピードが高速で、目盛りが細かい(軽い)のです。
対して、五感的な感覚は、考えや感情などのマインドの感覚よりも、濃くてはっきりしています。
相対的にいかついです。
相対的に感応度合が鈍いといってもいいかもしれません。
ここはいわば四捨五入の世界で、マインドの磁力が50%以下だと微動だにしない、
でもちょっとでも50%を超えると100%と同じになって連動が起きる、という感じです。
これが、ある軌道から別の軌道にジャンプするみたいな変化なので、
物理学用語になぞらえて量子変化とかクォンタムジャンプと言っているわけ。
20%や30%では動かないこの感応度合の鈍さが、
3次元の思考(物があると想定し、それが連続的に変化すると考えること)では「時間がかかる」
ととらえらえます。
たとえば、マインドでAのことを考えているとすると、
Aのない場面から別のAのない場面へ、また別のAのない場面へと次々ジャンプしていって、
確率50%を超えたときにポンとAのある場面に移っている、ということなのですが、
過去にはこれこれのことが実際にあった(こういう物環境だった)、それが現在までにこう変化し、
それが未来につづいていく、という連続時間進行を前提にすると「時間がかかる」ことになります。
(オカルト語を使うと、マインドの感覚は気体的なアストラル媒質に起きる波動、
五感的な感覚は液体的なエーテル媒質に起きる波動ということになります。)

考えが考えを呼ぶ、水平方向の引き寄せは、関心さえあればたちまち作用し、広がり、実現しますが、
考えが色や形などを喚起する垂直方向の引き寄せは、関心がある、興味があるくらいでは起きません。
といっても初発は関心や興味であり、
関心や興味によってマインドで感覚化(実現)していないことには垂直の連動も起きないのですが、
関心度合が強く、大きくなってMAX値まで来たとき、
関心は「許容」「受容」「承認」といった感覚に変わります。
感覚を波動だとすると、ここで周波数が変わるのです。
関心よりもずっと確定的で、安定していて、落ち着いた感覚です。
それが当然、当たり前、(奇蹟じゃなく)常識だよね、という感じ。
カドがとれてリリースされた感じ。
ここで、五感的な感覚は実現確率50%を超え、四捨から五入のほうに飛びます。

コーヒーを飲みたいと思っているときは、飲みたいという欲求の感覚がありますが、
目の前にコーヒーがあれば、もう飲めるに決まっているので、コーヒーを飲みたいとは思いません。
コーヒーを飲んでいるときも、コーヒーを飲みたいとは思いません。

関心がある、欲しい、知りたい、というのはマインドで何かが実現するとき、
つまりイメージしたり、リアリティのある感覚(記憶)を呼び起こしたり、
複数のイメージを関係づけたりするときのキー感覚です。
マインドの創造力のソースといってもいいでしょう。
マインドで意図し、その意図と似た五感的な感覚を喚起しようとするなら、関心は不可欠です、が、
それだけでは五感的な感覚を動かせません。
五感的な感覚で実現するときのキー感覚は「許容」です。
「関心」も「許容」も、ともにマインドで、心のなかで起きていることですが、
五感的な感覚が動くのは「関心」ではなく「許容」によってです。

五感的な感覚の世界には、積極的な関心はないのに五感化している感覚が多々あります。
玄関に敷かれた四角いタイルとか、ベランダの茶色い手すりとか、
べつに菱形でもグレーでもいいんだけど、みたいなやつ。
この種の五感的感覚は、意図せずに、つまり関心抜きで「許容」だけで実現している例です。

物が「ある」と想定すると、物質の法則や、それをベースにした常識にしたがう世界がちゃんと出現するのは、
考えと出来事は別だという考えを許容し、
物質の法則にしたがわない非常識なことが実現するのを許容していないからです。
  1. 2021/02/20(土) 16:26:26|
  2. 実現のメタフィジクス
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高い音はほんとに高いのか

2021.2.12(金)

Youtubeでトランペットのレッスン動画を公開されている、ニイヤマッスルさんという方がいらっしゃいます。
記事を書くためにヤフーで検索したところ、ニイヤマッスルこと新山泰規さんは、
ジャズバンド等での演奏活動のほか、群馬県内でトランペットのレッスンをされているとのこと。
のみならず、トレーニングジムの広報、営業もなさっている、「筋肉トランペッター」なんだそうです。
私は昨秋くらいから、この方の動画をときどき拝見していました。

発想が革命的だったのです。
トランペットで高い音を出すには、最初に唇のテンションをMAXにしてなんかわからん謎音程のハイノートを出し、
そこから目標の音(ハイB)まで降りてくれば楽に出せますよ、
なんてことを、ぺろぺろんと言い放っておられるのじゃ。
は?(-д-)?
それって、跳び箱の8段が飛べれば6段は楽にイケますよ、って言ってるのといっしょじゃん、できねーよw
って、初は笑ってネタにしてたのですが、
何本か動画を見ているうちに、「高い音」という観念が壊れていって、
自分のなかでは、ハイFくらいまでの音はもう完全に「高い音」ではなくなり「そういう音程の音」に
なってしまいました。
そもそも私には、自分にはまだ吹けない音であっても、
高い高いといわれている音は本当に高いのか?
風(息)に押されてゲート(唇)がある振動幅で振動してそれが楽器に伝わって音になってるだけでしょ、
条件設定(息、唇)が変われば出力される音も変わる、それだけじゃん、
高い低いってのはマインドで起きてる、プレッシャーとセットになった心理評価じゃん、
というような思考があって、
自分が出せると思ってる音なら、いずれ条件設定がそろって出るはずだ、
という無根拠な確信にもとづいて練習してたのでした。
楽器をはじめたのも、自分の意志でというよりはチャネリング的、直感的なオカルト動機でした。
だからといってすぐできるわけではありません。
オカルト界には、ピカッと閃くと、まったく未経験のことであっても、
身体が勝手に動いてできてしまった、みたいな例もあるらしいですが、
私の場合は全然そうではありません。
当初は、顎が震える息がもれる姿勢が保てない酸欠でめまいを起こす・・・等々、
あれやこれやの問題がうず高く山積していました。
また、中高生のときホルンをやっていたので、
昭和の部活で培われた無理のあるアンブシュア(口格好)が潜在記憶に残っていて、
これをリセットすることからはじめたので、
たぶん、まったくの未経験ではじめた人よりも、とっかかりはたいへんでした。
でも私は、どうしたらこれを解決できるだろうか、などと煩悶したりはせず、
たまにおもしろそうな動画や文章を拾い見、拾い読みするだけで、
問題解決のためのリサーチはめんどくさいので一切せず、
そのうちなんとかなるべさ、と放っておいたら、
そういえばそんなことあったっけ、みたいに、問題は消えていました。
むかしの歯科治療の後遺症である左顎の麻痺と知覚過敏もいつのまにかなくなっていて、
これにはかなりびっくり。

トランペットの中音はチューニングB(ベー)である、
だから音出し(ウォーミングアップ)はチューニングBからするのがいい、
という説も画期的でした。
トランペットの公式音域は、
ファ# ソ ラ シ  レ ミ ファ ソ ラ シ  レ ミ ファ ソ ラ シ ド
の約2オクターブ半です(※)
ただ、ジャズやポップスだと、右端の(ハイB)よりも高い音を使うことがあって、
その非公式音域を含めると最大幅は3オクターブ半くらいです。
チューニングBとは、右端のドの一オクターブ下ののことなので、
こうして並べてみると、なるほど中音といってもいいかもしれません。
ローからハイまでの二オクターブを最も頻繁に使われる音域と考えれば、たしかにそうです。
しかし、ニイヤマッスル説で中音とされるチューニングBは、
トランペットをはじめてまもない人がパパパッパー、イェイ、とかって出せる音ではないんですね。
ど初っ端は音自体が出ないというケースもあるし、そもそも音らしい音が出るまでがひと苦労、
練習時間や回数などにより個人差はありますが、
チューニングBが出せるようになるまで、だいたい3か月くらいはかかるんじゃないかな。
チューニングBは、高いほうへ音域を広げていくときの最初のヤマ場みたいな感じに思えます。
するとだね、すでにチューニングBからして高い音であるという刷り込みができてしまうわけです。
ド、レ、ミ、ファ、ソ、と上がってチューBまできた、さぁ、ここから高音域に向かうぞ、
みたいな意識が形成されてしまう。
この「チューニングBは高音域のスタート地点」意識だと、その上のハイF(ソ)は富士山、
ハイB(右端のド)はマッターホルンか何かみたいに思えてしまいます。

このマインドを崩すには、ともかくチューニングBが吹けるようになった段階で、
音出しの一発目とまではいわなくても、ソ、ラ、シ、ド、とか、ソ、ラ、シ、ド、シ、ラ、ソ、みたいに、
口輪筋が元気なうちにチューニングBを出しておくのは有効と思います。
私自身、まだチューニングBが出せなかったころでも、
その日に出せるいちばん高い音から音出しをしていました。
「これはいろんな音のひとつで、高い音ではない。
高い音などというのは他人軸の定義で、私の宇宙に高い音なる音は存在しない」
という意識に誘導する、一種のイメトレです。
現在は、公式音域の音は出すだけなら全部出せるので、
音出しの一発目は二オクターブ目のソ(F)かミ(D)にしています。
※トランペットはピアノの鍵盤でいうとシ♭すなわちドイツ音名だとB(ベー)がドになる移調楽器なので、
トランペットでドの音を吹くと、ピアノの鍵盤だとシ♭の音が出ていることになる。
ピアノのド(C)がそのままトランペットのドになるC管トランペットというのもあり、主にオーケストラで使われている。


とはいえ私は、上記の音域の左半分、中低音を無視しているわけでは決してありません。
むしろ中低音のほうにウエイトをかけています。
中低音がきちんと出せるようにならないときれいな響きがつくれないだのなんだのって、
そんなの都市伝説かと思いきや、どうも一理あるっぽい。
ただ、低音の口からだんだん口を締めて上げていく、のではなくて、
高音の口をだんだん脱力させて低音に降りていく、というニイヤマッスル説のほうが、
練習の考えかたとして合理的なんですね。
自分でやってみてそう思いました。
左半分の音域がちゃんと出せるようになってから右半分にとりかかろう、というんじゃなく、
ニオクターブ目にも(倍音のリップスラーや音階などを使って)ばんばんトライするようにしたら、
左半分の音程が安定し、響きも向上したので。
アンブシュア(口格好)にせよ姿勢にせよメンタルにせよ、またおそらく楽器関係に限らず、
脱力が上手になると、適切な力の入れ加減が感覚的にわかるので、いろいろ上達すると思います。

人にはその人の宇宙があり、マインドも五感的感覚もちがうので、
ニイヤマッスルさんとはちがう角度のアプローチも多々あるでしょうが、
ドレミファソラシド(上り)ではなくドシラソファミレド(下り)指向のその発想は、私的には超目ウロコでした。
私の在籍していた当時の吹奏楽部で同じことを言ったら、
提唱者が下級生なら呼び出し、上級生なら顧問から呼び出されるかミーティングになっていたでしょう(笑)。


ニイヤマッスルさんの演奏動画「ルパン三世のテーマ」(約3分)
https://www.youtube.com/watch?v=Igv8xOfCeeQ

私的に心惹かれるトランペットの仕事は、
ホルストの「吹奏楽のための組曲一番」より「一楽章 シャコンヌ」で、
湧き上がるようなクラリネット隊の旋律につづいて「ンタタタ」と出てくるやつとか、
モーツァルトのピアノ協奏曲二十番三楽章の終盤で華を添える的にちょろっと出てくるのとか、
どちらかというと渋い裏仕事系ですが、
なんだこりゃフルートかよ、みたいなハイノートの快感も、なんとなく想像できます。

なお、森井奈緒さん、岩田恵子さん、宇野嘉紘さんほかのレッスン動画もいくつか拝見しています。
諸先生方、ありがとうございます。
つべのアカウントさえつくってない野良視聴者ですが。
  1. 2021/02/12(金) 19:35:49|
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人間磁石化計画

2021.2.7(日)

意図的な引き寄せが楽しくて、何度も使っていると、どんどん波動が上がって、
ついには人間磁石になるという。
逆に、自分に合わない周波数(違和感を覚える感覚)を、見つけ次第、手放していくと、
高次の感覚がマインドで、マインドの感覚が五感で実現するようになり、
やっぱり人間磁石になるという。

バシャール本舗の「(そのときどき)ワクワクすることをしよう」は、
欲しい、なりたいというゴールよりも方向にウエイトを置いたやりかたで、
これもそのつどワクワクする方向へと舵を切っていると、波動が上がって、ついには人間磁石になる。

アセンション、覚醒、非3次元化、自分軸宇宙へのに回帰、どれも同じことを言っているのだけども、
煎じ詰めれば人間磁石になるということなんだな。

引き寄せの法則、the law of attractionのattractionとは引きつける力、引力、磁力のことです。
この引力、磁力は、統覚意識「私」の認識に拠っており、
「自分の感じたことが実現する(認識がそのまま存在である。認識=存在または創造)」のだから、
いつでもどこでも作用している。
「自分が思ってることと現実は別。究極、現実は物質でできてるし、物質が組み合わさった環境だし、
それって自分の考えとか気持ちとかでどうにかなるもんじゃない」
「そもそも自分っていう統覚意識だって、身体のしくみ、脳のしくみからできる、生理学ベースの心理現象
でしょう。そういう脳になるのは、DNAとかアミノ酸とかの作用によるんで、おおもとは物質なんだよ」
「“必ずできる”“なんとでもなる”って思い込めば、ネガティブな記憶や情報から解放されるから、
今までとはちがう発想ができるようになったり、行動しやすくなるけど、
それって現実への対応力が上がるってことで、現実が物質であることには変わりないわけで、
物理学や化学の法則を超えられるわけじゃないよ」
「セロトニンとかエンドルフィンとか、そういうシルの分泌具合が変わるだけ」
「量子力学って電子とか素粒子とかのミクロの世界の力学だから、生活には関係ない。
クォンタムジャンプとかワープとかないない、アニメじゃなんだから」
・・・というように、先ず認識の対象があるからこそ認識できる(そこに物があるから感覚器官で感じ、
脳で情報処理して認識できる)、認識が何かをつくりだすなどということはない(認識≠存在)、
と想定していれば、そのとおりの、思いや気持ちでは現実は動かせない世界を出力します。
実際には、自分の五感的な感覚の向こうに物質なりエネルギーなりの何か(客体X)が存在すると
証明できる人は誰ひとりおらず、
不特定多数の誰かが客体Xとしてそこかしこに実在すると証明することもできません。
確実なのは、自分が色とか音とか味とかの感覚を感じているということだけ。
しかし逆にそれらの感覚の向こうには何もないと証明することもできません。
これは科学が発達すればいずれ決着するという問題ではなく、原理的に証明できないことです。
したがって、客体Xは「ある」としても「ない」としてもよく、
「ある」と想定すれば3次元、「ない」と想定すれば非3次元の世界が出力されます。
もっとも、どちらを選んでいるかは、
全思考、全行動を「ある」前提で組み立てているか、「ない」前提で組み立てているかという習慣によって
決まってくるので、家庭や学校で座学的に教わるわけではありません。
ともかく、3次元では、「思いや気持ちは(物質としての)現実を動かさない」つまり「引き寄せはない」と
想定していて、それが当たり前だと確信されているので、そのとおりに実現している、
引き寄せが利かない世界を引き寄せているのでした。

人間磁石化のポイントは、3次元を出力している「attraction(磁力)利かない設定」をはずすことで、
方法は意図的引き寄せでもワクワクでも自分じゃない周波数(感覚)の手放しでもいい。
修行、千本ノック、極限状況へのバンジージャンプでもはずれると思います。
ほかにもあるかもしれません。
習慣になっている現状維持志向を振り切れることならなんでもいい。
現状維持志向とは、心配、不安、警戒として現れる「3次元への関心」の総称です。
自分のやりたい方法、楽しい、乗れる、しっくりくる方法でやればいいし、
複数のやりかたを組み合わせても、アレンジしてもいい。
たぶん、いろいろやってるうちに、自分なりの、セルフアセンションプログラムができていくんではないか。

ワクワクとか引き寄せとか、まだ3次元人間のうちに抱く欲求をテコにして波動を上げることを繰り返し、
非3次元意識に慣れさせていくやりかたについては、
3次元時空の世間一般では通時的に冷笑されており、まともに扱われていないので問題はありませんが、
むしろ精神世界的なことに関心をもつ人たちの間で、
自己中心的だとか、自分さえよければいいのか、といった意見が、
前世紀のニューエイジブームのころ(1980~90年代)にはあったように思います。
もしかすると今でもあるかもしれません。
結局、3次元時空での自己実現をめざしているだけではないか、とか、
身体や心に限定された「私」(オカルト界一般でいうところの「エゴ」)を助長する、とか、
お金とか適職とかパートナーとか、引き寄せで設定するゴールがむしろ3次元ど嵌り志向ではないか、とか、
深みも広がりもなく、「3つコードを押さえられればこれだけの曲が弾けます」的な初心者臭がする、
といった意見もあるみたいです。
私自身にはそうした疑念、批判は全然なく、
やりたければやればいいし、自分だってやりたければやるよ、と思っています。
瞑想したり、何かの拍子にふと無限至福感的たっかい感覚が射してきて、
えも言われぬところに連れてかれてしまうと、え、これがあればいいじゃんあとどうでもいいじゃん何もいらん、
という気になるので、引き寄せ?wwプッ、というのもわからなくはない、ですが、
これって端的に方法の問題で、自重筋トレにするか器具やマシンを使うかのちがいみたいなもので、
どれが本物とか優劣とかないんです。
でも、こうした自分版の匿名オカルト掲示板がざわざわと小地味にうるさくてうっとうしい、
とすれば、自分のマインドに、自分と異なる意見に対して論駁しようという3次元了見がまだあるということ。
心のなかでごちゃごちゃ論駁するというのは自作自演の他人軸が稼動しているのであり、
腑に落ちなければフルシカトすればよいわけです。
というわけで、ざわざわしてるやつはこないだ全部ゼロポイントフィールドに還しました。

何度か書いてることですけど、拙文を読んでなんじゃこの珍講釈は、けしからん、と思われたら、
その憤激をこそゼロポに還されることをお勧めします。すればユーの波動は上がります。

自分と合わない周波数(感覚)を手放すことができるようになってから意図的な引き寄せをやってみると、
かなりおもしろいです。
というのは、何か引き寄せたいターゲットを設定すると、
ありえないとか、だって前に一度やったけどだめだったし、とか、
こんな願望はダサいとかバカっぽいとか、いいトシの大人が考えることじゃないとか、
自己承認欲求まるだしで恥ずかしいとか、こんな自分は嫌いだとか、
職場の人や家族への配慮に欠けた単なるわがままなんじゃないかとか、
自分ひとりでどうにかできることじゃないとか、
自分が本当に望んでることなのかどうか微妙だとか、
実現確率を下げている「波動サゲ要因」がはっきりくっきりクリアに、どんどん出てくるからです。
意図したとたんに気分が重くなったとか、
イメージしたらテンション下がったとか、紙に書いてみたらウンザリしたとか、
動画で見たテクニックを試してみてたちまちめんどうくさくなったとか、
気持ちが翳る、重たくなる方向に振れるので、波動が下がるのは速攻わかります。
そしたらそのサゲ感覚をまとめてゼロポに還す、手放す。
そうして波動が上がってすっきりしたところで、継続したければそのまま設定しておけばいいし、
路線変更したくなったら変えればいいし、興味がなくなったらやめればいい。
もちろん、とくに引き寄せたいことがなければやらなくていいんだけど、
もしやりたいことがない、自分が何を望んでいるのかわからないということでヘコむんだったら、
そのヘコみを還せばいいです。

これは本願ではなくて、本願をかなえるにはこれが必要だと思い込んでいる条件(たとえばお金)
ではないか、執着があるんじゃないか、ただの自己承認欲求じゃないか、
みたいなことにとらわれず、
最初は深く考えないほうがいいです。
ごちゃごちゃしたことは手放しネタとしてあとでどんどん出てくるので。

ゼロポ還し、手放しによって3次元をはずしていくやりかたは、ある程度進むと、
たしかに問題はない、イレギュラーなことが起きても自分が「問題」ととらえなければ勝手に解決していく、
けどドライブ感がない、飽きてきたぞ、みたいになることがあります。
平穏無事だけど、とくにわくわくしたりときめいたりすることってないなぁ、みたいな。
この静かな±0感は一見中立ですが、非3次元基準ではまだまだネガティブです。
うっすらマンネリが蔓延していて、でも一方ではここから落ちたくないという現状キープマインドもある。
マンネリ感に気がついたら、その感じ(周波数)をゼロポに還せばいいのですが、
もしそのときに、あっ、これいいな、という引き寄せネタに出合ったり、ふと思いついたりしたら、
アクセルを踏み込む感じで意図的引き寄せを実行してみるのもひとつの方法です。
まだこんなのが残ってたのか、という驚きの自縛記憶、ベタな常識縛りがざくざく出てきます。

私の場合、「ハイB(ベー)を越えて『宝島』のDへ」(←何の暗号?)を設定。
いやあああムリムリムリ絶対ない! と否定感満載だったのが、
時間がかかるだの、素質がどうの体力がどうのといった観念をはずしたら、
ここ一週間くらいでひょっとすると・・・という感触が出てきましたよ♪
暗号がわかる方のなかには、
「あらやだ、なんて慎ましい目標なの。あたしだったら速射砲タンギングも込みで3オクターブ半自由自在、
すべてを手に入れるわ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
私はよろず「ここをこうしたらできた」ってのをいちいちたしかめたい、のったり亀人間なんで、
とりあえずこれで行ってみます。
あ、「今更こんなことやって何になるの一文の得にもならないし」ってのもはずしましたね。
  1. 2021/02/07(日) 13:37:55|
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引き寄せとアセンション

2021.1.29(金)

スピリチュアル界で「引き寄せ」と呼ばれていることは、
自分の望むこと、望むものを、意図的に「引き寄せの法則」を使ってかなえる、という方法です。
望むこととは、こういう仕事に就きたいとか、こういう家に住みたいとか、そうした願望。
「引き寄せの法則」とは、「それ自身に似たものを引き寄せる」という法則で、
「自分の与えるものが返ってくる(自分の感じたことが実現する。認識=存在または創造)」を、
何かの実現という現象に焦点を当てて説明したときの表現。
要は「自分の関心が実現する」ということです。
エクササイズマシンが置いてあって気軽に運動できる広々とした部屋の写真を見て、
あっ、いいなぁこういうの、と感じ、そういう方向の関心を持ちつづけていると、
何かの事情でそういう部屋に住むことになるとか、
そういうヘルシーで快適な環境で暮らすことになる(たとえば徒歩5分圏内にフィットネスクラブが
できて、オープン特典入会金0円でそこを利用するようになる)とか。
私は2021.1.3の記事で引き寄せに失敗した話を書いていますが、
グッズとか仕事のオファーもしくはキャンセルとか、うまくいった引き寄せも多々あります。
「自分の関心が実現する」をもう少し詳しく書くと、
高次の統覚視点「私」(ハイヤーセルフでもいい)が何かを認識(=存在もしくは創造)すると、
その認識はまだ具体化しきっていなくて余力があるので、
マインドで関心や興味になり、そこでもまだ具体化しきっていなくて余力があるので、
五感で色や形や音や味などになり、そこで力を使い切って完了する(同時にゼロポに還る)
というふうになる。シード(種)が垂直に降下して開いていく感じです。
これをソフィア@シリウスは「認識には磁力がある」と表現しました。
引き寄せの法則も、英語でthe law of attraction(引力、魅力の法則)としたほうが私的には
わかりやすいです。

こういうメタフィジカルな引力、磁力は、3次元も非3次元も関係なく普遍的に働いています。
非3次元だと上述のように、高次の関心対象がマインドの関心対象として具体化し、
マインドの関心対象が最終的に五感的な感覚として具体化する、というように作用するし、
3次元だと、「引き寄せる? そんなわけないじゃん」「自己暗示の一種じゃないの」
といった信念そのままに、
引き寄せなどありえない世界、自己暗示の範囲内でしか効果のない世界として実現します。
自然科学の法則、それにもとづいた常識、偶然の幸運や不運が世界の動因で、
結果を出そうと思ったら行動や努力や忍耐力を必要とする、ときに妥協や諦めもやむなしの世界です。
どちらにせよ、想定したことが想定どおりに出力されています。
自分の与えたものが返ってきているわけ。

では、引き寄せの法則を「意図的に」使うとはどのようなことか。
これは3次元にリアリティがある状態で、心のなかで描いたことを実現させるということです。
実現したことは、物があり、それが連続的に広がり(空間)、変化する(時間)という3次元の観念に沿って
解釈、判断されるので、「あのとき望んだことが実現した」と得心されます。
3次元というのは認識と存在が分断された世界で、
自分の認識(感じること、思うこと)とは関係なく客体X(一般的には物質)が存在し、
客体はそれ固有の法則で動いている、という想定なので、
通常は心のなかで描いたことが実現したりはしません。
正確には、絶対だめというわけではなく、計画を立てて努力してもだめなときもあるし、偶然できるときもある、
うまくいくこともあれば、いかないこともある、と、結果はランダムになります。
何が起きるにしても、自分以外の何か(客体)によって結果が左右されるという他人軸世界です。
しかし、引き寄せの法則を使ってみること自体をおもしろい、楽しいと感じ、わくわくしていて、
その楽しさ度合が、習慣になっているいつもの生活メンテ志向(3次元への関心)を超えていると、
一時的に3次元の常識から離れることができ、
関心が磁性(より具体化していこうとする向き)を帯びて、
3次元の常識を超える速度でお膳立てができてしまいます。
こういうときの「行動」は、考えて、決心して、勇気を出して飛び込む、という3次元のそれではなくて、
電話が鳴ったから出る、信号が青になったから渡る、みたいな感じで、自ずと起きてきます。
自然すぎて意識していないかもしれません。

この場合、3次元の常識を離れられるのは一時的なことです。
一時的なので「変性意識」と呼ぶのですが、変性が当たり前の非3次元人間になると、
むしろ3次元をやっているほうが「変性意識」です。

一時的なので、願いが実現すると、もとの3次元世界に戻り、
お金がないだの時間がないだの家族がどうのという他人軸環境への対処が再開します。
でも、これはうまくいったから今度はあれね、とか、
今回は70%達成だったから次は100%ねらっていこうとか、
しょっちゅう引き寄せの法則を使い、しょっちゅう変性していると、
変性意識すなわち非3次元でいるほうに慣れてしまって、
むしろそっちがホームになり、3次元がアウェイになります。
エイブラハムとか、引き寄せ推しのentitiesのねらいはここです。
「自分の認識とは関係なく客体(物質)があって、本当の現実はそっちだ。
自分も客体(物質)の一部(身体)で、身体の生理作用から“私”という意識ができている」、
つまり「認識≠存在」という3次元の観念は言葉や理屈で習得したのではなく、
親や年長者の指示、社会のルールや慣習など、自分版の合意現実を使って、
何度も反復して習慣に埋め込んできたのでした。
だったら、「自分の感じたことが実現する(認識=存在または創造)」という真逆のことを意図的にやり、
何度も反復すればそっちが習慣になる、
と。

ただし、「意図的に引き寄せの法則を使う」ことを繰り返して覚醒にもっていくやりかたには、
次のような難点があります。
まず覚醒がどうとか以前に、意図的な引き寄せを成功させるコツは「(マインドの)波動を上げる」ことです。
これは高次の直感的な認識がそのままマインドの関心や興味として具体化した状態、
他人軸を表象する経験則や常識、心のなかの偉い人、友人などからの批判、突っ込みに阻まれず、
自由に、軽やかに、晴れやかに、どこまでも広がっている、そんな感じの心理状態。
もう少し具体的だと、わくわくしたり、楽しかったり、うれしかったり、しあわせだったり、みたいな。
非3次元だと、これが通常であり、「中立」なのですが、3次元比だとポジティブな状態です。
逆に「(マインドの)波動が下がっている」というのは、
自分ではない何か(客体)の制限を受けている、窮屈で動きづらい状態で、
重たかったり暗かったり、圧力が溜まっていたり、マグマが渦巻いているような感じ。
不安や心配、不満、他者批判、自己批判、焦り、緊張などとして表現されます。
マインドの波動が高く、3次元比でポジティブだと、
 引き寄せ対象への関心が帯びている磁力 > 3次元への(ネガティブな)関心が帯びている磁力
となって、意図的な引き寄せはうまくいくのですが、
ときに意図的に引き寄せの法則を使おうとして、かえって波動が下がってしまうことがあるのです。

①意図した時点で波動が下がる
「足りない」「できない」前提で、欠落感から引き寄せをやろうとすると、
「足りない」「できない」に関心が向いてしまって成功しませんよ、と引き寄せ本には書いてあります、が、
3次元にいると、3次元式の目標達成方法に慣れているので、
計画的に努力してできるようなことなら迷わずとっととそうしているわけで、
3次元方式でできないからこそ引き寄せを、という発想をしがちです。
すると、何かが欲しいとか、こうしたい、こうなりたいと意図した時点で、
「意図したものがない」という欠落感がアクティベートされ、
意図していなかったときよりもむしろネガティブな気持ちになり、波動が下がります。

②失敗が重なると波動が下がる
「足りない」「できない」が動機になっていることに気づかずに意図的な引き寄せをやると、
にわか仕込みの成功イメージよりなじみのある欠落感への関心度合のほうが強いので、
ふりだしの「足りない」「できない」を引き寄せ、意図的な引き寄せには失敗します。
そうして「(できない、足りないからこそ)なんとかしたい」案件の引き寄せに二度、三度失敗すると、
客体(物)とその連続的な時空間展開を想定した3次元では、
「実際にあった」という強烈なリアリティをもった記憶としてマインドに載るので、
失敗した案件に関することでなくても、引き寄せを思い浮かべた時点で気持ちが翳ったり
抵抗を覚えたりして、波動が下がってしまいます。
こじれていると、この種の情報に接しただけで嫌な気分になります。

③実現を待っている間に3次元が再起動して波動が下がる
意図的な引き寄せを思いついた時点ではわくわくしても、
いつもどおり生活している間に、いつもの3次元の他人軸思考に埋もれてしまって、
次第に「ムリ」「ありえない」という思いが募っていきます。
懸賞、コンテスト、オーディション、仕事の面接など、結果の出る日時がある程度わかっている場合、
その日が近づくにつれ「ムリ」「ありえない」感が強まっていくこともあります。
不可能感は自分ではない何か(客体)に成否を左右されるという制限思考であり、
ネガティブな波動の低いマインドです。
この場合、引き寄せを意図したばっかりに、かえって波動を下げてしまったことになります。
こういうことを防ぐために、エイブラハムは、感情をナビゲーションに使って、
嫌な気持ちになったら、その嫌な気持ちにさせている思考やイメージを少しましなほうへ、
そこからまた少しましなほうへと徐々にポジ転させていくことを提唱しています。
これは前世紀末からゼロ年代のやりかたで、今ならゼロポに還してしまったほうが早いでしょう。
(ただエイブラハム方式には、マインドの観察力がつくというメリットがあります。)
しかし徐々にポジ転させるにせよゼロポに還すにせよ、ひとつ落とし穴があります。
それは、ふつうに生活していると、喜怒哀楽のどれにも傾かない平常心でいる時間がいちばん長い、
しかし3次元の平常心はじつは中立ではなくネガティブだということ。
3次元というのは、自分ではない何か(客体)が本当の現実をつくっていると想定した世界なので、
3次元をやっている限り、とくに困ったことが起きてなくても、
自分ではない何か(客体)の動きを読む、不測の事態に備えるというかまえが解けません。
だからいつもどおりに過ごしているつもりでもじつはネガティブで、恒常的に波動が低いのです。
でも「いつ何が起きるかわからない」のは3次元の当たり前ですから、
ふつうにしているつもりでもじつはネガティブなんだということに非常に気づきにくい。
感情をモニタリングしていても、気がつかなければチェックに引っかかってきません。
(ちなみに、恒常ネガティブを維持するために、たまにお祭り的な非日常イベントをこしらえたり、
強めの快感に浸って発散させることが、3次元では必要になります。)

というわけで、
自分ではない何か(客体)が本当の現実をつくっている(認識≠存在)と想定した3次元世界をやりながら、
意図して引き寄せの法則を使う、望む状態を実現させるのは、そうたやすいことではありません。
(無自覚な引き寄せは常に起きているが)意図的な引き寄せは利かないことを想定した世界で、
意図的な引き寄せをやろうというのは、「部屋に居たまま外出したい」というのと同じだからです。
意図的な引き寄せを成功させるには、波動を上げて、一時的にせよこの想定をはずす必要があります。
できるだけ、ただしストレスにならない程度に実現像を詳細にイメージする、
もう実現したものとして生活する、なりきる、
すでに得ているものに感謝する、
パワースポットや、夢をかなえた人が住んでいる場所に行ってみる、
等々の細かいテクニックは、この矛盾をクリアする(一時的に脱3次元する)ための方法です。
意図的な引き寄せと、そのための補助テクニックを使うことが楽しく、わくわくしていると、
楽しい(波動アゲ)→成功♪-波動アゲ→また成功♪♪-波動アゲアゲ→自由自在キタ☆
みたいな好循環ができて最終的に非3次元化(アセンション、覚醒)します。

一方、望みをかなえるのではなく、望んでいないこと(問題)を手放して非3次元化する、
というアプローチもあります。こちらは、
問題=自分に合わない感覚(波動、周波数)=3次元の想定にもとづく快/不快反応
というように、「問題」としてとらえられている心理現象(マインドの感覚)を大もとの想定まで還元し、
土台ごと手放して、
習慣によってリアルになった3次元のリアリティを薄めていく、
すると、同時に「自分の感じたことが実現する(認識=存在または創造)」シンプルなしくみが浮上してくるので、
その非3次元方式に慣れていくやりかたです。
私が実践している「身体や心という限界範囲のない一人称意識の“私”に戻る→“私”に合わない感覚
(周波数)をゼロポイントフィールドに還す」というのも、こっちのアプローチ方法です。

もちろん、両方やってもOKです。

意図的引き寄せ大好きな人が手放しテクを習得したら①②③の問題はポポンと解決、
波動アゲと成功の好循環ができやすくなります。
後者のやりかたの場合、3次元からの離脱=非3次元化が進むにつれ、
もともと「私」の認識が帯びている磁力(引き寄せ力)が3次元の想定に遮断されずに作用するようになる、
つまり人間磁石化するので、わざわざ意図して引き寄せる必要はなくなります。
むしろ意図して→引き寄せるという、この順序が逆転し、
ふつうに過ごしている間に、ときどき何かが起きるつど「これは意図したことだ、知っている、覚えがある」
という感覚(記憶)が載るようになり、正夢的な既知現象が増えます。
ときどき起きる「何か」は、非3次元では中立、3次元比でポジティブな出来事です。
でも、非3次元化、人間磁石化が進む過程で、つまり移行期の間に、
波動を上げるツールとして意図的な引き寄せを活用してもいっこうにかまいません。
3次元にいて意図的引き寄せをやるより実現確率は格段に上がっており、
成功すれば波動が上がるし、
引き寄せを思い立ったときに欠落感や過去の失敗記憶に気づいたらゼロポに還せば波動が上がる、
意図したとおりにならずにがっかりしたらゼロポに還せば波動が上がる、
どっちに転んでも波動は上がります。
  1. 2021/01/29(金) 14:36:13|
  2. 実現のメタフィジクス
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
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