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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

「行動」という思考について(追記あり)

2021.4.19(月)

オカルト界が「スピリチュアル」ではなく「ニューエイジ」とか「精神世界」と呼ばれていたころには、
現状よりポジティブな状況への変化を呼び込む決め手は「行動」だとされていたように思う。
前世紀のニューエイジ、精神世界ブームは、一瞬マスメディアに注目されたけれども、
ネットが普及し、生活全般に浸透していくという目に見える変化の波に押されて、
社会現象にならずに萎み、もとのオタクなジャンルに返った。
バシャールの訪日にゾクゾクしていた自分も、使っていたワープロ専用機をパソコンに切り換えたあたりから
関心を失っていった。
ネットにはそんなにときめいてはいなかったし、ネットを介して世界中とつながっているという実感はなかったが、
とにかく使えるようにしないと仕事ができないという実用的事情があり、そっちに目が向いていた。
これは個人的な印象だけれども、当時のニューエイジや精神世界は「行動」を超えられなかったと思う。
つまり「最終的な決め手は行動である」という点では、世の常識と何ら変わらないのである。
どちらも、五感的な感覚の向こうに物質(客体X)がある、と想定していて、これが究極の現実、
だから物質に働きかけないと(行動しないと)いけないという見解をとっている。
自分の感覚(認識)以外の、それ固有の法則(客体Xが物質なら物理法則)で動く客体Xが現実を決定すると
みなされる想定世界を私は3次元と呼んでいるのだけれども、この3次元の枠組内にとどまるとしても、
ニューエイジ思想には、高次からのサジェスチョンによって、
・行動の選択肢が絞られる。理想的には1つに絞られる。
・モチベーションが上がる。
というメリットがあった。
でも、行動を思いついたときに、これは本当に高次からのサジェスチョンなのか、そうではないのか、
ということは、自分で判断しなければならない。
その判断能力を上げるために修練したり情報収集したり、その道の先生からアドバイスしてもらったり、
したとしても、当たるも八卦的な、確率のぼやけた部分は残る。
それでも行動しないと何も変わらないのである。
そこで一般常識とクロスするので、私的には醒めるというかテンションが落ちるわけ。
ロングトーンなしで上達できるという触込みの管楽器教室に行って、
「音を伸ばしてみようか。ちょっとだけ、2拍、ただ伸ばすだけだよ。ハイ、さん、しっ!」と言われ、
2拍伸ばす。と、それが次回に4拍になり、その次には8拍になり・・・みたいな。ロングトーンじゃんそれ、みたいな。

今年の3月くらいだったか、「行動」はマインドで起きる思考、
それも外部(物質世界)に働きかけることを前提とした3次元の思考であって、
五感的な感覚像としての行為でないということに気づいた。
つまり「~しよう」「~しなくちゃ」と考えているそれが「行動」であって、
実際にやっていることではない。
実際にやっているときには、もう行動のイメージ図はないし、行動について考えてもいない。
「あー排水溝の掃除。いやだいやだめんどくさい」と考えているうちは大儀だが、
とりかかってしまえばとくにどうということなく終わる。
この前半の思考が「行動」なのである。
自分の感覚(認識)とは関係ない、それ自身の法則をもつ世界(物質世界)、
すなわち他人軸世界に働きかけてそれを操作することを前提とした思考だから、
それはかなり重い。パフォーマンスが大きくて、決意もいる。「せーの!」みたいなタメがある。
というわけで私は、頭のなかで「行動」をやっていたら、これをゼロポに還して手放すことにしました。
ただ作文の都合上、何らかの行為を表すのに「行動」という言葉を使うことはあると思います。
3次元的ではない手順のフローチャートが浮かぶこともあるけど、
こっちは目の前の空中に「かんたん操作ガイド」が広がっている感じで、全然軽い。
両者のちがいは重量感の有無。
ストレスのあるなしといってもいい。
私のガイドentitiesのひとり、モナ@アルクトゥルスは、もっと簡潔で露骨な言いかたをしていて、
「外出する前にトイレに行っとかなくちゃ、ってのが行動、尿意を覚えてトイレに行ったらそれは行為」だと。

高次、マインド、五感がコヒーレントになって(一貫、整合して)、
高次がマインドを喚起し、マインドが五感を喚起し、と、磁力(引き寄せ力)が働くとき、
五感的な感覚の統覚像としての行為は、
高次、マインド、五感からなる宇宙全体の構図の一部として、全体の構図にかなうように隆起してくる。
「行動」思考する余地なく、歩いているそこが道になる。
高次、マインド、五感、いずれの現実でも、何かを実現させるコツがあるとすれば、
あるタイミングで起きてくることに逆らわない、尿意を我慢しない、ということだけなのでした。


時代は変わったのじゃ。すごいぞ。
私は、こないだまで、図書館で借りた『「感謝」で思考は現実になる』(パム・グラウト・著/桜田直美・訳/
サンマーク出版/2017年3月刊行)という本を読んでいたのですが、
この本、感謝がどうとかよりイカレた事例が多くておもろかった。
著者はもとからオカルト畑の人ではなく、旅行作家なので、文章にも「引き」がある。
とくに出色なのは100ページ目に出てくるキャサリン・ビーハンという女性の例。
この方は恋愛系アプリとか相談とかを仕事にしていて、お兄さんから、
「いつまでそんなチャラいことやっとんねん! まともな仕事せい!」と言われどおしだったらしい。
が、「宇宙がわしを好いとって、幸せになってほしいと願っとるゆうんがもし本当やったら、
わしはただ幸せでおればよく、細かいことは全部宇宙に丸投げでだいじょうぶなはずや」
という仮説を立てて、犬といっしょにビーチに行ったり、海を眺めたり、
そういう好きなことしかしない生活をやってみたという。
「こうなったら素敵」的なことを書いた日記もつけていた。
最初のうちは、「破産するで」とか「働くのは大人の義務やで」といった3次元マインドのツッコミが
うるさかったが、「美しいものだけに集中し、やりたいことしかやらないようにした」結果、
頭のなかの声が止んだ。
すると、気球に乗るイベントや無料クルーズに招待されるとか、遺産でまとまったお金が入るとか、
ワークショップに参加するためのメキシコ行きとか、チャンスが向こうから来るようになった。
日記に書いていたことが、薄気味わるいくらいそのとおりに実現していったそうな。

これ、海なし県に住んでいても、インドア大好き引きこもり派でもできると思う。
ただ、頭のなかの「行動」思考に針(ラジオや計器の針のイメージ)を合わせていたら、
こうはならないだろうな。
むかし、似たようなことをやってスッテンテンになってしまった人の話を本で読んだことがあるし、
オカルトセミナーに何百万円もつぎ込んで得るところなく貧乏になった人の実話も知っている。
この人たちの場合、頭のなかが幸せではなかった。
幸せというのはマインドの状態であり、五感的な感覚ではない。
環境を変えたらとか仕事を辞めたらとか、関係ないのだ。

同日の追記

セミナーに何百万もつぎ込んだ人の件は、
ご本人的に武勇伝になってる観ありで、深刻なエピソードではない。
最短ルートをエクスプレスで行ってもいいし、寄り道も乙。
自分で決めればよろし。
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  1. 2021/04/19(月) 15:12:21|
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引き寄せや波動アゲのテクニックとしての感謝について

2021.4.13(火)

いわゆる引き寄せの法則というのは、
高次の世界→マインドの世界→五感の世界と、感覚の質と濃さが異なる世界を貫いて、
垂直に磁力(引き寄せ力)が利くということです。
たとえば、高次の「涼感」がマインドで「アイスクリームのイメージ」として具体化し、
さらにそれが「ハーゲンダッツ」とか「爽」とかの五感像として具体化する、など、
非五感的な認識(感覚)が、それに似た、より具体的な認識(感覚)を喚起すること。
この似た感覚を喚起する力が磁力、引き寄せ力です。
実現の場が「マインドの現実」であれ「五感的な現実」であれ、
喚起することは、実現している場に飛ぶことでもあります。
無数のパラレルワールドのなかを、場から場へ、磁力にしたがって移っていっているといってもいいでしょう。

最も具体的ではっきりしている「五感的な現実」は、
自分を感じ手(認識者であり同時に創造者である統覚視点、宇宙の軸としての自分)とする創造が完結する
最終局面です。
これが、色とか触感とか、自分の感じているいろんな感覚をまとめた統覚“像”であれば、
磁力が作用しますが、
感覚の向こうに、感覚の対象として「物質」があると考えていると、磁力は利きません。
磁力は感覚(認識)が帯びている喚起力、波及力ですが、
物質はエネルギー保存の法則とかアボガドロの法則とか、それ自身の法則で動いていて、
自分の感じかたによって物質のふるまいを左右することはできないからです。
自分の認識(感じかた)とは関係なく物質が存在する(認識≠存在)と考えると、
想定したとおりに自分の感じかたと物質は別々に切り離され、磁力の利かない世界になります。
なので、「物質は物理法則で動くから“引き寄せ”などない」と想定することによって、
そのとおりに引き寄せのない世界が出力されているわけですが、
ともかく、物質が究極の現実で、考えも感情も物質(身体)に帰着させられると想定していると、
磁力は停止し、引き寄せは起きません。

そんな想定をした覚えがなくても、
外側に物でできた世界が広がっている、これが本当の現実だ、という感じがリアルであれば、
習慣的に「感覚の向こうに物質がある」という想定が刷り込まれているということです。
「外側」というのは、自分の感覚(認識)と感覚の対象(存在)が分断されているときの感じかたで、
自分の感じかたとは別の規準(物理法則)をもつ何かがそこにあるということ。
習慣になっているとは、「(想定である)物の世界からの刺激に反応して物の世界に対処する」
行動パタンを幾度も反復して、
理屈ではなくオンザジョブトレーニング的に、考えなくても反射的に動けるくらいに、
「物がある」想定世界でのふるまいかたを習得しているということ。
意識しなくても物イコール現実として考え、動ける状態が、筆者のいう3次元です。
「感覚の向こうに物質がある」という想定がはずれて、
自分の感じかたをそのまま高次やマインドや五感の現実としてとらえるようになる、
そっちが習慣になると、3次元ではなくなる、つまり非3次元です。

物イコール現実という感覚が生々しい3次元意識だと、
自分の認識とは関係なく、物はそれ固有の法則で動いているので、
物の法則に合わせていかない限り現実は変えられず、思考や感情が帯びている磁力は利きません。
しかし、認識とその対象(存在)の関係など考えてみたこともなく、習慣的に3次元意識のままでも、
何かかなえたいお願いごとがあったりする場合、
磁力をアクティベートする裏技はあります。
それは、磁力が利かない世界(3次元)を実行中にもかかわらず、
目の前に広がるものごと、起こっている出来事を、物の法則ではなく磁力の結果だと認めてしまうこと。
物の法則をベースとする過去の経緯とか世の中の情勢とかではなく、
自分の考えや感情(マインド)が引き寄せ力(磁力)を発揮したからこうなった、と認めてしまうこと。
つまり、磁力はある、引き寄せは起きている、と、いきなり肯定してしまう。
これから起きること(願いをかなえる)によって証明し納得するのじゃなく、
すでに起きたこと(そのとき体験していること)をその証拠だとしてしまう。
なら証拠はすでに挙がっているのだから、これから起きることにだって磁力は作用する、
引き寄せは起きる、当然、願いもかなう。
そうやって、何度も何度も磁力を確認していると、もう物の法則とか過去とか世の中とかは意識しなくなり、
逆オンザジョブトレーニングによって非3次元に移行してしまいます。

まず現状を磁力のせいだと決めつける、このやりかたは、
引き寄せ本などでは、「すでに得ているものに感謝する」として紹介されています。
住んでいる家、飲食物、衣服、家具、家電、財布とそこに入っているお金、
身近にいる人、職場の人、宅配の人、コンビニやスーパーのレジの人、ペット、植物、などなどに、
「ありがとう」と言ったり、感謝の念を送る、飛ばす。
その程度ではありません。
朝、起きて目に入る天井、目覚まし時計、床、自分の手足、空気、水道、鏡、歯ブラシ、歯磨き剤、タオル。
その程度ではありません。
広告メール、開けないファイル、税金の納付書、なんか記入して提出しろという紙、人から聞かされる愚痴、
あてこすり、低評価ボタン、挨拶を返してこない近所の人、窓際を横走りしながら自分に吠えかかる小型犬、
頭痛に感謝しながらバファリンにも「ありがとう」って矛盾してないか? とツッコミつつ「ありがとう」。
・・・と、ことの大小を区別せず、ポジネガの差別なく、見境なく、バカのひとつ覚えみたく、感謝せよ、と。
すでに磁力はある、作用していると認める、
つまり(外側に想定した物の法則じゃなく)自分のマインドの磁力がこれらのことを起こした、
と全面肯定するなら、これは些細なことだとか、これは嫌なことだとか、差別していてはだめなのです。
このオールシーズン大感謝祭りは、たしかに効果があります。
しばらくつづけていると、頭のなかの雑音や、雑念の雲がなくなる。
澄み晴れ渡った、オカルト語でいう「高波動」マインドになります。
と、ネガティブなことが少なくなり、ポジティブなことが増えていくし、
トラブルが起きても、なぜか自然に解決してしまう。
そして「感謝している(磁力を認めている)」心理状態が恒常的になると、
3冊の引き寄せ本の著者、パム・グラウト氏が言うところの「感謝の周波数に乗った」状態になり、
これは磁力全開状態、
できる、わかるが当たり前の「通常ポジティブ」なマインド、じつはもう非3次元です。

ただ、このやりかたには、無理をすると、ダブルバインド(矛盾した指令を受けることによる二重拘束)に
陥って、表向き否定された3次元思考の圧力が増すという難点があります。
本音は「チッ」「全然ありがたくねえわ」「めんどくせーわ」と“感じて”いるのに、
口先だけで「ありがとう」とやっていると、
表層的には善い人になった感、向上した感がありますが、
いずれ恨みが爆発します。
なので、実際嫌なものは嫌なんだからポジネガ無差別ってのはむり、とか、
ありがとう教なー、バカっぽいわ、やっとるやつおるけど貧乏やで、というのが本音なら、
まず自分に合わない(ネガティブな)感覚を3次元の想定ごと手放すことからはじめたほうがよいと思います。

感謝の表現が日本語でも外国語でも、
3次元地球語の感謝って、じつはかなり重いです。
「感覚の向こうに、それ固有の法則をもつ客体X(ふつうは物質)がある」ことを想定した3次元ワールドでは、
自分の認識イコール創造次第で資源を無尽蔵にできるわけではないので、
あらゆる資源、機会が有限です。
人や自然界から何か受け取るとすると、偶然にせよ必然にせよ、文字どおりそれは「有り難い」わけで、
これがアストラル波動(マインドの感覚)的にズシッ、と重たいのです。
3次元実行中の人から発せられる心からの感謝も、
合意現実が形成する集団道徳や社交マナーとして奨励される感謝も、
この「有り難い」前提の重量が常識です。
この重たさのまま「有り難う」を連発、大盤振る舞いしていたら、そりゃめんどくさいし疲れるし、
10個もの添付ファイル中5個を開けない形式で送ってくるやつに感謝なんかできないに決まっとる。
磁力の利く世界、非3次元の感謝の周波数はもっと軽く、速く、いうなればチャラチャラしておって、
会社の同僚の出張土産が自分のフェイバリットスイーツだったときの「うぽっ☆あざす」みたいなのが、
バスケットボールのパスとかクリックくらいの速度で回ってる感じ。
だからといって決して機械的ではないし、社交辞令もありません。
ポジが通常設定の世界なんで、感謝という認印、受け取りサインにも、必ずうれしいという気持ちが乗っています。
地球語で近い表現はフレンドリー、明治大正ふうの日本語だと「きみぼく」っていう感じかな。
手放しがある程度進んでいると、このへんの塩梅が直覚でわかると思います。
  1. 2021/04/13(火) 16:38:04|
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欲求を「意図」にする

2021.4.7(水)

ハーイ、ミルコメダ部(笑)からのお知らせです。引き寄せ技のシェアだよ。
統覚視点まで下がって、マインドにある自分に合わない感覚(周波数)をゼロポに還す、手放す、
これがある程度まで進んで、問題を作出して悩むパタンが終わった人向けです。

①床に足を組んで座るか、椅子に座るかします。
「自分」意識が統覚視点まで下がっていることを確認します。

②自分が望んでいること(複数可)を声に出して言い、
頭のうえの空間に、望んだこと(複数可)がすでにかなっている世界を、光の球体として召喚します。
光球は無数にあるパラレワールドのひとつです。

③息を吸って、吐く息とともに、光球から光を降ろします。頭のてっぺんからまっすぐ降ろして、床下まで貫通させます。
次に、息を吸いながら、光を床下から汲み上げて、胸のまんなかあたりまでもってきます。
そして、胸の中央から周囲360°に、息を吐きながら光をあふれさせていきます。


何年か前に、3次元の天体としての地球にグラウンディングするのではなく、
出身星や銀河核からの光を降ろして、その光と共振する地面にグラウンディングする、という方法を
紹介したことがあります。この引き寄せテクは、それと同じ原理を使っています。
これをやると、高次とマインドですでに実現している世界と五感的な感覚の間にコヒーレンス(一貫性)ができ、
五感的な感覚ゾーンが未実現という空隙を埋めるべく動きだします。
光は何色だとか、呼吸のしかた(呼気や吸気の頂点で止める、止めないで折り返す、秒数など)、
目は開けておくのか閉じるのか半眼か、何回やればいいのか、
そういった細かいことは自分で工夫して、しっくりくるやりかたに仕上げていってください。
アレンジしてもいいです。
合わないとか関係ないと感じたらスルーしてください。
セルフアセンションでは、提示されてくるメソッド、ツールは基本的に自分用です。
公開されている情報を参考にしたり、取り入れたりすることはできますが、
誰かのやりかたに倣っていればうまくいくとか、
集団で名所を訪問、移動していくパッケージツアーみたいなのはありません。

引き寄せネタがないときは「いつもワクワクしていて楽しい」というような大枠的な指定をしてもいいし、
逆に「新幹線の通路側の席が買える」といった、みょーに細かくて具体的な内容でもかまいません。
チャネリング、ヒーリングとかのオカルト能力開発系でもいいし、
すでにとりかかっていること(アート、スポーツ、料理など)の上達を目標にするのでもいいでしょう。

五感ゾーンに光球の磁力(引き寄せ力)が働きはじめる、とは、
「(ないからこそ)欲しい」「(そうじゃないからこそ)そうなりたい」という、
カッコのなかのような欠落ベース、未到達ベースだった欲求が予定化する、
すでに仕上がっている世界に向けて動きだすということです。
これが意図するということ。
意図したことは到来します。
道を渡ろうと決めれば、「うまく渡れるだろうか」とか「時速何キロで歩けばいいか」などと考えたりせず、
ほぼ反射的に、習慣的に、左右の足、体幹、視覚など全身の感覚を使って歩いていけますが、
ちょうどそのように、高次とマインドの意図は、五感ゾーンで実現する予定に組み込まれます。
道を渡ろうと決めればサッサと渡れるのは、考えるまでもなく渡れて当たり前だから。
つまり渡った先の地点に自分がいることを許容できているからです。
ただし、これが雪道だったり、道じゃなく吊り橋を渡るとかだったりすると、
最初のうちは、渡れて当たり前マインドにはなれないかもしれません。
意図するということも、何回か繰り返して、「意図したことは到来する」と実感できれば、
到来して当たり前の許容マインドになります。
そういえば、「感覚の向こうに物質が実在する。これが本物の現実で、すべては物の法則次第だから、
意図したことがそのとおりになるとは限らない」という3次元世界の取り扱いかただって、
いろんなケースで幾度となく、さんざん練習して習得したのでした。
意図すると、実現に向けて宇宙が動きだし道が敷かれるのですが、
慣れないうちは、引き寄せ自体が信用できなかったり、
「学費を稼ぐ→勉強→資格をとる」みたいな直線思考からはずれるワクワク感にとまどったり、
ときどき、3次元では現実的とされる妄想的な情報に引っかかって現状をチェックしたときなどに、
できない、ありえない、スキルが、時間が、お金がない、ほかの人はさておき自分にはむり、
これでだめなら後がないから保険をかけておかないと、などなどのマインドがぶり返してきたりします。
そういうのを気づき次第、手放していくと、許容マインド、当たり前感が出てきます。
とにかく、ブロックが出てきたら、いちいちそれに嵌り込んで欠落感や過去の失敗記憶を味わったりせず、
「あ、これちがう」と感じた段階で統覚視点まで下がって手放していきます。
欲求を意図にすると到達度や進捗は気にならなくなるので、
あとは非3次元マインドで、その場その場でやりたいことをしたり休んだりしてればいいだけ。

「感覚の向こうに物質が実在する。これが本物の現実で、この現実は物の法則ベースの常識で決まる」
という想定にもとづく3次元の考え、3次元の感情、3次元の気分が終わっても、
誰かが修了証とか覚醒者ナンバー付きカードとかを発行してくれるわけではありません。
じゃ、どうしてそれがわかるのかというと、
マインドの通常設定がポジティブになり、「できる」「わかる」が当たり前になるからです。
3次元の「ピンチ」は非3次元の「チャンス」です。
なぜそんな能天気でいられるかというと、
高次、マインド、五感のコヒーレンス(一貫性)が回復して、
「右」「左」「ターンして」「休憩、チャージ」というようなことが直感でわかり、すぐ動きにつながるからです。
行為は、家に入るのにドアを開けるとか、電灯を点けるのにスイッチを押すみたいにスムーズで、
いちいち「行動しなくちゃ」などと考えたりしません。
どうすれば、何をしたらいいだろう、と悩み煩うことがないのでコスパもよく、
3次元では慣れっこの疲れ、ダルみもありません。
マインドが自由になるので、高次の閃きが「右」「左」「ターン」「チャージ」といったマインド語(考え、イメージ、
感情、気分など)に即変換され、
磁力(引き寄せ力)も全開になるので、マインド語は五感に即つながります。

そういう流れは、がっつり3次元をやっていたときにもあったし、3次元から非3次元への移行期間にも
ありました。すべては、ブロック(3次元世界を立ち上げている想定にもとづく考え、感情など)がはずれて、
もとに戻るだけです。
フルで3次元をやっていると、マインドは3次元をつくっている想定に囚われているので、
高次の感覚は無視しますが、
3次元をやめる(もとに戻る)と決めて、移行(回帰)しはじめると、
高次の感覚をマインド語に変換できるようになってきます。
この期に及んで、筆者の宇宙が、オカルト界では古典風味のある引き寄せを推奨してくるポイントはここ。
高次の感覚をマインドで意図にして、五感につなげて使っていく、それに慣れる練習です。
同時に、まだ残っている3次元想念を手放していく。
3次元から非3次元へと移行(回帰)するさいには、
外(想定した物質世界)に反応して働きかけるパタンに慣れているので、
ああ、このパタンに沿って考えてるから「問題」が起きていると見えるんだな、というふうに、
自分と合わないマインド感覚に気づくことや、それを手放すことには、わりと抵抗がありません。
が、高次の感覚にはまだ疑いやビビりがあって、
せっかくマインド語になっても、「ないわ」「インチキくさ」「気のせい」とかって、
スルーないし保留してしまうことがある。
それをアクティベートするのです。
もちろん、「マインドの現実」で完結すること、何度も聴いた曲がまるで初めて聴く音のようだったとか、
本を読んでいたら文章とは関係なく未知の風景が浮かんできたとかいうこともありますが、
そういう感性的な広がりや深まりは、五感全体のポジ化に波及します。

非3次元優勢になると、意図すること、予定化することは、非常に重要な意味をもつようになります。
物質を想定していた3次元では、最終的な実現の鍵を握っているのは、物質環境に働きかける行為であり、
さあ行為に踏み切るぞ、という思考である「行動」でした(行動は行為ではなく、行為をめぐる思考です)。
たとえば、企画書を作成して売り込みをかけるとか、当たって砕けたら学習して再起するとか、
さあ断捨離だ、どっこいしょ、と立ち上がって整理整頓をはじめるとか、そういうやつ。
でも非3次元では、磁力(引き寄せ力)を停止させていた「物質という想定」がなくなるので、
高次からマインド、五感へと具体化していくプロセスは、まんなかのマインドのところでほぼ固まります。
五感の動きである行為は意識しないくらい軽く速くなるので、ここで問題が起きることはありません。
行為が軽く速くなるのは、五感“像”は自分の感じかたそのものであって、物ではないからです。
つまり、「五感の現実」は意図することでほぼ決定します。
オカルト巷間でいわれている「風の時代」とはそういうことなのでした。
  1. 2021/04/07(水) 15:47:51|
  2. デムパなメソッド
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春の大掃除

2021.3.31(水)

大弓を引き絞る的な引き寄せ企画により、
思考ないし観念というマインド感覚の組み換えがだいぶ進んだ。
つまり、自分に合わない感覚(周波数)の手放し、ゼロポ還しが進んで、かなりすっきりしました。

どういうことかというと、

①引き寄せ目標を設定する。
        ↓
②「むり」「できない」などの不可能感、過去の失敗記憶、「何様?」といった自分へのツッコミ、
「ベタベタに現世利益じゃん、ダサくね?」といったジャッジ、ハズしたときの言い訳、などなど、
ネガティブな考え、感情、気分が湧出してくる。
        ↓
③②を、気がつくつど、ゼロポイントフィールドに還す(手放す)。

ということをやっていたわけです。
引き寄せ(磁力、引き寄せ力のアクティベート)と、手放し(マインドを整えることによる磁力のリリース)を
併用して波動を上げていくやりかたです。
波動を上げるというのは、マインドが、マインドを超える高次の帯域とコヒーレントな状態(一貫した状態)
になって、五感的な感覚を喚起するという、すっきり単純な形になることです。
実感的には、晴れやか、のびのび、視野が広がって遠くまで見渡せる感じ。
ワクワク、ウキウキした感覚もとらえやすく、思いついたことを実行するのに躊躇がなくなります。
視覚や触覚などの向こうに物質(客体X)がある、それが本物の現実だと想定して、
自分の感じた感覚(認識)と物(客体X)の法則とがせめぎ合うゴタゴタ(これが3次元の世界)は
全部マインドで起きているので、
おおもとの「物がある」という観念ごとゴタゴタを手放して、
二重規準を解消し自分の感覚(認識)に一本化すれば、本来の瑞々しいマインドに戻るのでした。
いわゆる他人軸というのは物(客体X)の法則をベースとする常識一般のこと、
自分軸は自分の感覚(認識)のことなので、軸を一本化するといってもいいです。

③は、ネットで紹介されている関野あやこさんや並木良和さんなどの「統合メソッド」を使ってもできますし、
アレンジも含めて、自分オリジナルの方法が閃いたらそれが最適と思います。

もうね、すごかった。
わしはこんなにゴミ屋敷やったんか!? みたいな。
「(可能性が)ない」「できない」「やっぱりヤダ」の常套思考はもちろん、
目標設定がまちがっているんじゃないの疑惑、
準備不足、下調べ不足への懸念、
年齢がどうの適性がどうの、
マーケットとか企業論理とか世の中のいろいろへの不信、
ふだんは忘れている、過去に出会った人たちからの忠告、
失敗してがっかり、という失望感を緩和するための失望感の先取り、
成功したあとになんとも嫌な展開になるという想像、
それって誰ルール? と問いたくなる縛りがいっぱい。
そして、4番、サード、「時間がない」くん。
やあ、久しぶりだね、ていうかスタメンに返り咲いてる?
「時間がない」は消えたと思ってたから、まさかの再会にはまじ感動した。
3次元の舞台は物質ではなく、物質を想定することを含めてマインドなので、
一度ゼロポに還した感覚でも、また自分が3次元をはじめると再構成されて戻ってくることがあります。
ただし自分の波動が上がってて、リバウンドしてもガチ3次元じゃないので、リアリティは薄まっています。
「時間がない」くんのスイングにも、むかしみたいなキレはありません。

おもしろかったですね。楽しめました。
楽しめたのは、私が「統覚視点の自分」の位置からマインドを俯瞰していたからです。
①のような引き寄せ目標を設定したとき、あるいは何か心ときめく発想があったとき、
「ちょっと待って、でもさ・・・」という、世間的には現実的思考とされている妄想が動きだすと、
ついずるずるっ、と、「物がある。物の法則ベースの常識がすべてを決定する」3次元の想定世界に入り込んで、
ああだこうだと検討をはじめそうになります、が、
そこで暖簾をくぐらずに、暖簾の前からうしろに下がるのです。
それは瞑想したときに、雑念に入り込まずに雑念を通過させている瞑想者の位置であり、
人の話とか会議の場での議論を、距離をもって醒めて聞いていることがありますが、アレの徹底したやつです。
この位置にいると、諸々のネガティブな感覚は、何かのまちがい、勘ちがい、郵便や宅配の誤配みたいな、
フィットしないミスマッチな感覚としてとらえられます。
長いこと怒りを感じていなくて、久々に怒りが起きると、
胃のあたりや喉のあたりが突然ズシッ、と重たくなったり、そこから何かがニュッ、と出てくる感じがしたりして、
「なんじゃこりゃ!?」となりますが、そのときの重石感や異物感みたいなものです。
この位置にいないと、3次元をつくる観念とくっついた「時間がない」の全容は見えず、
自分が「時間がない人」になってしまいます。
マインドのゴタゴタ現場に参入して、分析、計算したり、騒いだり安堵したりして、
「ネガティブな人」になっていると、ネガティブな感覚を手放すことはできません。

統覚視点の自分とは、身体とか身体由来の心といった範囲に囚われず、その範囲を超えて、
五感的な景色も、考えや感情の景色も、一人称宇宙の模様として感じられる自分のことです。
自分軸の宇宙を動かす「軸の自分」です。
私のやりかたは、
まず自分にとって居心地のいい場所を想像してそこに立ち(私の場合は某惑星)、
そこから金色の光が広がる「光の磁場」に飛んで、
頭のなか、できれば首から下も全部空洞にして、金色の光で満たす、というもの。
ほかにもいろいろあると思います。
この立ち位置が定着すると、そこからズレたときに早く自覚できるようになるし、
上述のようなワークを超高速で1秒以内に完了したり、
上半身をうしろに引くイメージだけで帰れたりするようになります。
実感的な感じとしては、とくに根拠はないのに余裕があること、リラックス感、
3次元的には緊迫した場面でも脱力していること、
全状況を無条件に肯定していてジャッジがない、自分へのダメ出しもない、居るだけでOK、といったところ。
ひと言でいうと、おおらかな自己肯定感があることです。
  1. 2021/03/31(水) 16:24:17|
  2. 三毛猫亭日乗
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喩え話

2021.3.22(月)

近所にある飲み物の自動販売機を見て、ふと思いついた喩え話。

認識の向こうに物質とそれ固有の法則(物理法則など)を想定していない非3次元の宇宙では、
硬貨を入れ、欲しい飲み物のボタンを押すと、その飲み物が出てきます。

一方、認識の向こうに認識の対象として物質があり、物質はそれ固有の法則で動いている、
と想定している3次元の宇宙では、
硬貨を入れ、欲しい飲み物のボタンを押すと、3回に2回は押したボタンとは別の飲み物が出てきます。
無糖の缶コーヒーを買おうとしたのにカフェオレが、とか、
それならまだしもドクターペッパーが、とか。
メニューにない飲み物が出てくるとか。
さらに10回に1回くらいは、どんな飲み物も出てこず、お金も戻ってこないことがあります。

どうしてこういうことになるかというと、
自分の認識とその対象(存在)が分離していて、対象(存在)はそれ固有の法則をもっている、
と想定しているからです。
つまり自販機はそれ独自のしくみで動いていて、買う人の意思は関係ない、
何回かに1回、思ったとおりの飲み物が出てくることがあっても、
それは自販機のしくみと買う人の意思が合致したからで、買う人の意思が通じたわけじゃない、
あくまでも自販機は自販機のしくみにしたがって作動しているだけ、と、そういう想定です。
そのように、買う人の意思と自販機のしくみが分離して、二重基準で回っているのが3次元世界です。
自販機で飲み物を買う人は、自販機のしくみ(存在固有の法則)を探って、
自分の買いたい飲み物を出すにはどうしたらいいか研究しなければなりません。
で、ボタンを早押しで3回連打すればいいとか、でも4回だと何も出てこず大スカだとか、
いや目当ての飲み物の隣りの飲み物のボタンを半押しして、3秒待って目当てのボタンを押せとか、
平日の午後3時から4時までの間だと何を押してもドクターペッパーになるとか、
いろんな情報が出回っているのですが、
それらの情報にしたがってうまくいくこともあるし、いかないこともある。
紅茶系を押すと必ずスポーツドリンクになるとか、温かい飲み物は温かい同士で入れ替わるとか、
法則が単純ならまだ対策も立てやすいのですが、
そのときの天候、気温、時刻、一定期間の実際の販売数なども反映され、
日時によってメニューも替わり、
また絶対に欲しい飲み物が出てこないというわけでもなく、結果はランダムなので、
法則は複雑であり、追究しだすとキリがありません。

もし、買いたい飲み物が必ず買える自販機を使いたければ、
買う人の意思と自販機のしくみは関係ない(認識≠存在)という上述の二重基準をはずせば、
押したボタンの飲み物が出てくる、シンプルな、ふつうの自販機に戻ります。
外からは見えない自販機の内側というのは考え、感情、気分など非五感的なマインドの象徴で、
「買う人の意思(認識)と自販機(存在)のしくみは関係ない(認識≠存在)」
「自分の買いたい飲み物のボタンを押せば、その飲み物が出てくる(認識=存在または創造)」
というのは、とちらもマインドで組まれたプログラムであり想定なので、
マインドのプログラムすなわち想定を入れ替えればいいのです。
ちなみに自販機独自のしくみ(存在固有の法則)というのはいわゆる「他人軸」のこと、
買う人の意思が通るとは限らないという状態は「制限」があることを意味しています。
もちろん、結果のランダムな自販機をおもしろいと感じ気に入っているなら、そのままでOKです。

何かネガティブなこと(欲しくない飲み物が出る、何も出てこない)があるつど、
あるいはとくに問題がなくても「どうせ世の中(自販機)なんてそんなもの」といった気分になるつど、
そのネガティブなこと、気分を、それとセットになっている「存在固有の法則(自販機独自のしくみ)」ごと手放し、
分離(≠)を統合する(=)のが手放し方式です。
統合が進むと、自分の感じたこと(認識)がそのまま創造され存在する自分軸オンリーの世界になり、
高次の閃きがマインドを、マインドが五感を喚起する磁力(引き寄せ力)が回復するので、
自分の欲しい飲み物が買えるようになる、というか、
自販機には自分の欲しい飲み物しか並ばなくなります。
なので、一発必中でもそうでなくても、常にベストチョイスになります。

一方、自販機のしくみなぞ知ったことか、わしの押したボタンの飲み物が出て当たり前じゃ、と決めてかかり、
または、量子力学によると、わしの意思がブレなんだら自販機はわしの意思にしたがうらしいわ、知らんけど、
ということにして、意図したとおりの飲み物を入手するのが磁力(引き寄せ力)アクティベート方式。
このやりかたで何回も成功し、押すボタンと出てくる飲料の一致が当たり前になれば、
自販機独自のしくみはないも同然となり無効になるので、
結果的に、買いたい飲み物が買えるふつうの自販機に戻ります。

どちらにしても、共通するのは、二重基準が解消すること、
自販機を動かす原理が「買う人の意思」に一元化されること、自分軸オンリーになることです。
二重基準を「自販機独自のしくみ(存在固有の法則)」のほうで一元化することはできません。
なぜなら、「自販機独自のしくみ(存在固有の法則)」というのは買う人の想定だから。
本当は存在しない主人を想定して、自分は召使いになり、
自分の周囲に主人の指図を読み取って戦々恐々とする、というプレイをやっているようなもので、
自作自演であることを思い出してプレイをやめることはできますが、
存在していない主人を召喚することはできません。
「一休さん」の頓知話に出てくる屏風に描かれた虎みたいなものです。
とはいえ、「“自販機独自のしくみ(存在固有の法則)”がある」のは当たり前、と考えていると、
その想定は「当たり前(許容)」いう思いに相当する強烈な磁力(引き寄せ力)を放つので、
自販機は想定したとおり、ランダムに飲み物を出すようになります。

ところで、どなたかが紹介されている方法を参考にしたり、
自分で閃いた方法にもとづいて、覚醒とかアセンションとかいうことをやっていると、
ミネラルウォーターはよいけどドクターペッパーなんてバカみたい的なジャッジが入ることがあります。
許せるのは無糖の缶コーヒーまでだとか。
こういうジャッジは、自分がダメ出しした側(ドクペ)の実在性をむしろ強化し、
あっという間に他人軸ベースの世界に舞い戻らせてしまうので、
気づき次第、手放すのがよいと思います。
自分が飲みたくなければそのボタンを押さなければいいだけ。
気にしなければ、いずれその飲料はラインナップからはずれます。
もちろん、全部炭酸飲料でそろえて、自分は炭酸飲料で生きていく、という人がいても全然OKです。

つい先日、私は、金運に特化した占いのネット広告で、
それぞれちがうイブニングドレスを着て、髪型もメイクも異なる、けれどもいずれも弦楽器体型の
ラグジュアリアスなおねいさんが三人、「キャッツアイ」(漫画、アニメ)の来生三姉妹みたく並んでいるのを見、
草が生育しまくってwwwwwwwwしばらく壊れたように笑っておりました。
年齢性別を問わず、こういう豊かさをめざす人がいても全然よいと思います。
どうぞがんがん実現してください。遠隔応援します。
88LDKオーシャンヴューの自宅からオカルトセミナー会場へ、
運転手つきのリムジンで現れるなり、ご自身でフェラーリを運転するなり、どうぞ。
もし私の宇宙にこの種の五感化に向かう富裕ヴァイブスがあるなら、
そのポテンシャルは残らずその方たちにさしあげてよ。

~業務連絡~
108さんの「ザ・チケット」動画等をご紹介くださった読者さん、ありがとうございます。
さらっと拝見、オカルト界ウィトゲンシュタイン派って感じ?
ちょっぴりイデアな香りもしますけども、
私からすると、オカルト界でプラトニスト波のない人なんて(自分も含め)いませんしね。
  1. 2021/03/22(月) 16:07:00|
  2. 実現のメタフィジクス
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Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、
イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
いただいたコメントはすべて拝読しておりますが、
原則としてレスはつけません。
※パブー(電子出版サイト)のリニューアルにつき、出版案内は休止中です。

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