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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

「物」から「波動」へシフトした人のリアリティ

2023.11.22(水)

精神世界でいう波動とか周波数というのは、私の見かただと、次の三つの感覚をいいます。
①五感
②心の感覚(思考、イメージ、想像、感情、気分など)
③超心の感覚(直感、予感など高次の感覚)
つまり感じ手意識(自分)が感じ、感じるとともに創造している全感覚を「波動」とか「周波数」と呼んでいます。
一般的に「感覚」というと①の五感だけをさしますが、
私は考えでも気持ちでも直感でも、とにかく感じ手意識が感じる感じは全部「感覚」という言葉で括っています。
五感は最も具体的ではっきりしており、高次の感覚は淡くて精妙、マインドの感覚はその中間です。
罫線に喩えると、━が五感、─がマインド感覚、・・・が高次感覚、というような。
なので、宇宙はそうした濃淡さまざまな感覚で織りなされる周波数構成体です。

五感の向こうに実体(物)があることを想定している3次元の場合、
というか一般常識的には物の実在は考えるまでもなく当たり前とされているので「常識的には」「ふつうは」といってもいいのですが、
五感とマインドの感覚は身体に由来するとされています。
身体は物の世界に属するので、つまりは五感もマインド感覚も物に由来するということです。
で、高次の感覚はないことになっている。高次はオカルト、都市伝説枠です。

3次元の世界すなわち一般社会では、物に由来する知覚や、知覚への反応とされる心の作用は「波動」とは言わないし、
実際「波動」ではありません。
それは、心の連想作用とか、痒さが広がる、熱感をもつといったような水平の伝播はあっても、
心の作用が物に変化をもたらすという垂直の伝播は起きないことになっているからです。
心の作用が物に由来するとは、物が原因で心の作用が起きるということだから、
心(結果)が物(原因)を動かすことはないわけです。
引き寄せなんてのは気のせいだとか、超常現象は偶然か、でなければインチキだというのはそういうことです。

物が実在し、物の法則がすべてを決める3次元の世界から、
濃淡さまざまな感覚が行き交っているだけで、最も濃い五感の向こうに実体(物)があるわけではない非3次元に移るのは、
マニュアルや実用書を読んで「なるほど、このボタンを長押しすればいいんだな」というように、
すぐ実行できることではありません。
物があるという想定は習慣に根づいた観念なので、身体の癖を直したり、身体的技能を習得するときのように、
意識的に変更していかなければならないのです。
そのために瞑想とか統合ワークとか意図的な引き寄せの実践とか、さまざまなメソッド、ツールがあります。
物の世界(3次元)に着地するときだって、べつに理屈を教わったわけではなく、
そのときどきの環境にいる経験者(年長者)や権威者の誘導にしたがいながら感性的に落とし込んでいって、
「子どものころからこう育てられて成長してこうなってああなって大人になった」と、
物でできた3次元時空の変化を事実ととらえた「記憶」をともなってマスターしたのです。
反転して3次元から出るときは、日々の練習という連続時空が前提になったやりかたではじめて、
徐々に感覚(波動)世界に移り、物の仮想性に気づいていくという道筋をたどります。
持ち物を断捨離、整理して、要るものだけを少しずつ新居に移していくのと似ているかもしれません。

実体(物)前提の3次元の実感は、3次元にどっぷり浸っているうちは当たり前すぎてなかなか気づけないのですが、
ひと言でいうと「現実が固い」という感触です。
心と五感が、軽い感覚(心)とはっきりした感覚(五感)というように一元になっておらず、
外ではない側すなわち内側(主観)と外側(物)にかっぱり分かれて(分離して)います。
つまり考えることと物はまったく別ものです。
一元じゃないので、心から五感へという伝播(引き寄せ)も起きません。
つまり考えることは物に影響しません。
なので、外界を変えたければ、自分が外界に働きかけるしかない。
その自分も、外界に属する身体のなかにある脳の作用に負うので、思いどおりになるとは限らないし、
そもそもその思い自体が適正なのかどうかもわかりません。
コンサル職に就きたかったけど、やってみたら自分に合わない仕事だった、というように、
最初の方向づけがまちがっていたということもあります。
また、外界に働きかける方法や手順がわからず、情報収集や情報の判別からはじめないといけないこともあります。
さらに、「能力がない」「お金がない」「時間がない」「(非常識だから)むり」といった制限を無自覚にかけているので、
方向づけのさいの選択肢や情報を知らず知らず狭めています。
固い、狭い、めんどくさい。

そういう動かしがたい、固い現実が、感覚(波動)一元になるにつれ、柔らかくなります。
時間をかけて思案しなくても、行きたい場所ややりたいことがパッと浮かんだり、他人がヒントを持ってきてくれたり、
そうしていったん方向が決定すると、環境のほうから資源や情報を運んできてくれる。
問題は、問題にするのをやめれば消えるし、トラブルに見えたことは倍速好調方向に転んでいく。
何にせよスムーズに、シンプルになる。
柔らかい。変わりやすい。
それが物(3次元)ではなく、波動(非3次元)状態のときの実感です。
現実が柔らかく、変わりやすいのは、感覚(波動)一元になって高次→マインド→五感という感覚の伝播(引き寄せ)が
働いているから。
ただこのとき、五感世界のありさまを感じではいても、その行く末のことは気にかけていません。
現実をうまく運営したいというのは、現実が外界であり、働きかけないと動かない3次元のときの発想です。
といって無欲になるわけでもありません。
ときに何かを望む、欲するということはあります。
欲しいとか、こうなりたいといったマインドの感覚(波動)が生じる。
物ベースの3次元の欲求感覚は裏に欠乏感覚が張り付いていて、「無いから欲しい」「かなわないからこそ望む」
という構造になっており、裏の打ち消し作用によって実現確率が下がって成就しないことが多いのですが、
また実現してもまた裏マインドが盛り返してくるので今度は喪失を怖れるようになるのですが、
波動状態ではそんなふうにこじれてはおらず、
五感への伝播が決定している思いがちょっと強め、テンション上がり目に感じられているというだけです。
予定(五感化が決定していること)に二重丸が付いているみたいな感じ。
なぜ強めマインドで現れるのかというと、望む対象または実現パタンに新奇性があるからです。
クルマを買うのははじめてだとか、どこそこに行くのは3回目だけど船旅は未経験だとか。
はじめて、つまり新たなパラレルワールドをアクティベートするわけで、
はじめてだから欲求を感じた時点では「無い」のですが、
この空っぽ(無い)は3次元だとと「欠乏」としてネガティブに表れるけど、
波動世界では未知へのワクワク感としてポジで出てくるので、
「欲しい/無い」とペアになったときの裏マインド「無い」は、むしろ五感化を促進します。
アンドロメダ人やリラ人は、この「欲しい/無い(未知へのワクワク)」による加速を好みますが、
シリウス、ベガ、アルタイル人はこれをダサい「回り道」としてとらえるので、欲求を介さず予感として感じる傾向があります。
何にせよ、感覚一元の波動の世界だと、思いというマインドの「現実」が五感の「現実」に伝播するのは自然現象です。
なので、柔らか波動状態のときは、思いが五感化するかどうかなんて気にかけないし、
実現した五感的感覚が連続的に変化していったらどうなるか? という後追い(未来予測)もしません。
水を入れた薬缶を火にかけてお湯が沸くかどうかを気にしたり、
沸いたお湯の用途で悩んだり、急激に冷めたり変質したらどうしようなどと心配したりしないように。

波動状態のとき、全感覚の感じ手意識(自分)の関心は五感ではなく、心と超心(高次)に向いています。
心も超心も五感的感覚のようにはっきりくっきりとはしていませんが、
同じ非五感的感覚でも、通常は心の感覚のほうが相対的にはっきりしていて自覚しやすいので、
おおむね心の感覚、マインドの感覚を注視しているといっていいと思います。
今年の10月17日の記事「反転して分離、再反転して統合」や、11月8日「波動を実感した日」に書いた、
「意識の関心が意識自身に向いている」とはそういうことです。
3次元語でいう「内側」に関心が向いているということ。
3次元をやっているとき、意識は放っておくと「外側」のパトロールや対処に駆け出していきますが、
それと同じくらい反射的に、自然に「内側」を観察しているということです。
「内側行き」が既定設定なので、
言語化されたり、水平の引き寄せ作用で「思考+イメージ情景+感情」のような複合体になって雪だるま式に膨らみ
増幅していく以前の感覚、いわばヴァイブス、テンション、テイスト、フィーリング、氣、空気、雰囲気、調子といった言葉で
表現したほうがいいような感覚(波動)がとらえられます。
舞台に喩えると、主な人物のセリフと所作だけじゃなく、通行人の挙動、音響、照明、美術などにも注意が向くというような。
結果、自覚できないマインド感覚つまり無意識とか潜在意識といわれている領域がなくなります。
「無意識がなくなる」ということはバシャール本のどこかに書いてあって、
私はむかし、そんなのむり、と思ったんだけど、ほんとになくなるっぽい。
「内側」がヴァイブス的な周波数でとらえられるようになると、
超心(高次)と連動していない違和感のある感覚(波動)は速攻わかるので、
増幅して無力感とか不快感とか怖れとか怒りとかに固まる前に気づくことができ、早めに手放して、
さらに感覚(波動)一元化を進める(統合する)ことができます。

感じ手意識(自分)の関心は「内側」に向いているのに、「外側」がうまく回るようになるんですね。
それが柔らかさです。
それはマインドと五感がじつは「内/外」に分断されておらずバンド(周波数帯)がちがうだけで伝播する
(引き寄せが働く)から当たり前なんです、が、非3次元化(物世界から感覚一元の波動世界への移行)のキモは
そこじゃないんです。
キモは、あの都市伝説だった超心の、高次の世界が、感覚として、周波数として直覚できるようになることです。
(チャネリング+ヒーリング+超能力)×100倍みたいな。
このへんの予告編を知りたい人は、『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ/SRF=Self-Realization Fellowship)
『超人生のススメ』(ボブ・フィックス/ナチュラルスピリット)といった類の本を読んでみてください。
ただ、高次の感覚、周波数が能力として解除されるその目的は、
五感世界の運営のためでも、人助け、世直し、人類の向上のためでもありません。
単純に高次の動態を感じるためです。

むかしの人はそれをロマンチックに「神を知る」とか「神との合一」と言っていました。
音楽を聴くのは聴くためである、みたいなことです。
それにヒーリング効果や集中力向上効果があるとすれば副産物。
それと同じように、五感世界に波及したり人助けになったりするのは副産物。
なので、超能力が使えても敢えて使わない、
ずっと若く健康で300歳くらいまで生きられるのに敢えて老化して亡くなる人もいると。
そのへんは趣味。個人差(=宇宙差)がある。
実際、ガチでなんでもできるんだったら、どっちでもいいわ、いらんわ、っていうジャンルも出てくるよね。

とにかく、意識の関心が意識自身に向いている(「内側」を向いている)というのは、
高次でもマインドでも五感でも、その感覚(波動)を感じる、認識即創造する、体験することを目的としていることで、
その感覚(波動)がどこに伝播し何を引き寄せるかは懸案事項ではないんです。放っとけばうまくいくから。
実際、マインドの動きがヴァイブス的な周波数として感じられるってすごいことで、
かつてはとくにネガティブとも思わず心のなかで流していた動画、トークが十分やばいとわかったり、
おなじみの、定番の対処ヴァイブスや澱みテンションが五感化に波及していると気づいたりします。
テレパシーで伝わってるとかさ。
今しがたつぶやいた「あー」っていう独り言がすごいネガティブ波だとわかってびっくりしたり、
クリック、タップする直前に翳りのフィーリングを感じていると発見したり。
そういう不適合感覚(波動)を手放すとかなんとかより、気づく、わかるというところにまず新鮮な感動が。
ちなみに3次元はネガティブベースの世界だから、無自覚で思っていることってほぼネガティブだし、
やっと中立と思ってもそこはまだネガティブなんだよね。

ところで、波動がどんどこ上がって能力があれこれ次々開いて天辺まできたら、どこに向かうのか。
じつは3次元です。
なんでもできるんだから、ここはひとつ「できない」ってのをやってみようと。
でも、「できない」ができるってのはもうわかったから、次のディセンション(次元下降)ではそれはやらなくて、
べつの脚本になるらしいです。知らんけど。
ともかく、制限や不自由、不適合って神人にとっての最後の秘境です。
とくに地球に来てる人ってみんなアスリートですよ。
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  1. 2023/11/22(水) 14:29:54|
  2. 次元上昇
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リサイクルフェアにて

2023年11月14日(火)

日曜日、地元の公共図書館で開催されたリサイクルフェアというイベントに出かけてみた。
図書館で保管し貸し出している本の一部を無償で譲渡するぜよ、という催しである。
混雑が予想されるため会場に入れる人数は制限し、並んでいる人から少しずつ室内に誘導するとのこと。
私と豹専務(同居人)は、自治体の広報誌で告知されたこの催しを半月くらい前から心に留めていて、
狩りに備えて爪とぎ、毛づくろいしていた。
にもかかわらず、当日なぜか眠くて早朝に起きられず出遅れてしまい、
もうめぼしいものは捌けてしまったかなぁ、と思いつつも散歩がてら図書館をめざした。
行列の最後尾に並び、自分の順番が来たら、係の人の案内にしたがって会場のなかに入る。
っと、そこでミラクルが起きたのよ。
部屋に入って、適当に本を平積みにしたワゴン棚にふっと目を落とした、
そこに『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ/SRF=Self-Realization Fellowship)があったのさ。
こんなことってあるのぉ!? って、あるんだね。
ちなみにこの本は2023年9月にキンドル版が出版されており、
出版社名はNPO法人ババジのクリヤヨーガ教育協会となっています。
また私が頂戴した本はペーパーバックですが、森北出版という出版社からハードカバー版が出ているようです。

内容は、著者パラマハンサ・ヨガナンダ氏の自伝を軸として、
師匠や師匠の師匠、さまざまなヨギ、聖者のエピソードを織り込んだ自伝&ヨギ列伝的なもの。
パラマハンサ・ヨガナンダ氏は、ネットで調べたところによると、マハーサマディーを成就したといわれている
20世紀のヨギです(1893年1月5日~1952年3月7日)。
マハーサマディ(大三昧)とは、瞑想しながら昇天し、二度と生まれない(輪廻しない)ことをいいます。
ヨガナンダ氏の場合、1952年3月7日、ロサンゼルスで、駐米インド大使のために晩餐会を催し、
挨拶をして去ったあと、マハーサマディに入ったという。
遺体安置所の所長によると、棺に蓋が被せられるまでの二十日間、遺体は腐敗せず、入滅直後と変わらなかったという。
そういえば『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)にも、立派な(ロシア正教の)長老の遺体は腐敗しない説
というのが出てきた。で、ゾシマ長老の遺体は腐敗しちゃったので、アリョーシャは動揺するんだよねたしか。
なんでマハーサマディ関連のことを調べたのかというと、
昨年読んだ成瀬雅春氏の『意識ヨーガ』(BABジャパン)という本にこのワードが出てきたから。
そうしたらヨーガ実践者のブログや動画で、現代でそれを成就したヨギとしてヨガナンダ氏のことが紹介されており、
参考図書として『あるヨギの自叙伝』が挙げられていたわけ。
当時は、へー、ふーん、すごいな、ってくらいで、読んでみようとまでは思いませんでしたが。
でも、マハーサマディーというワードの響きが、ニルヴァーナ、虚空蔵(漢字の並び)、愛の国ガンダーラみたいで
カッコいいと刺さってしまっていたことはたしか。
マハーサマディーとか即身仏とか復活とかって、お弟子さんや信徒さんや行者仲間のモチベ上げのために行う
利他即利己の菩薩行という気がするんですけどね。
私のガイドスピリッツは通常の移行(死)も本当はたいして変わらないって言うし、
むしろ予感や瞑想なしに突然飛ぶっていう設定の地球3次元方式が汎銀河的には稀有なんだそうだけど。
それでも地球にいる私としては、仕上げがマハーサマディーって細かいところまできれいに造作した芸術的職人仕事
という感じがしてブラヴォーと思います。

それからいくらか月日がたち、今年の夏あたりから、
『禅』(鈴木大拙/ちくま文庫)→『龍樹』(中村元/講談社学術文庫)→『般若心経・金剛般若経』
(中村元+紀野一義・訳注/岩波文庫)→『古代インドの神秘思想』(服部正明/講談社学術文庫)
という流れで、読書傾向があやかしめいていたので、
『あるヨギの自叙伝』との出合いはそのあやかし波の引き寄せだったのでせう。
2段組で550ページ以上もある分厚い本ですが、文章は非常に読みやすいです。
著者をはじめ、さまざまなヨギの写真も収録されていて楽しいよ。
今日までに50ページくらい読んでみたのですが、ムクンダ(僧団に入る前のヨガナンダ氏の本名)少年の周りは
超能力、不思議現象のオンパレードで、それがちょっと珍しい気象現象(虹とかオーロラとか)みたいなテンションで
当たり前のように描写されています。
かつての私だったら、こんなオカルト話、神様話のてんこ盛りには耐えられなったでしょうね。
けど今は、超常現象や神秘体験が「超」でも「神秘」でもなく頻出する周波数域があるんだな、というだけで、
とくにどうも思いません。いわば自分の知らない国の生活誌を読んでいるような感じです。

インドに限らずどこでも、そのような周波数域には、町内にひとりふたりくらいの割合でサイキッカーやヒーラーや覚者が
いるのでしょう。
なぜその力を国内外の社会問題や環境問題の解決に活かさないのか? という類の疑問はまったくの3次元発想で、
波動(感覚)がちがうと体験がまるごとちがうから、問題が発生する領域と覚醒領域は交わらないんですね。
当事者でも共感者でも、社会問題とはじつは個人に起こっている個人的問題であって、
問題を解決するなら、当事者や共感者が覚者の周波数域(五感のほか思いやイメージも含めた全感覚)に、
ラジオの周波数を合わせるように合わせていく、チューニングしていくしかないと思います。
てゆうか自分が覚者になるのがいちばん早いよね。
そういえばリサイクルフェアの前後に、私が「指導教官」と呼んでいる人から電話をいただき、
「個人差は宇宙差である」ということが話題になりました。
  1. 2023/11/14(火) 15:16:27|
  2. 三毛猫亭日乗
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「波動」の実感&逆グラウンディングでグラウンディング

2023年11月8日(水)

ゴミを捨てに外に出て、ゴミを置いて帰ろうとした、そのとき、
自分の身体も含めて周りの景色の感触が、たぶん秒以下の速さでくるくる変わるのに気づいた。
テンション、心持ちも、くるくる変わる。
左足を踏み出したときはちょっと明るく乾いていて、
右前方を見上げたときは少し翳って柔らかい、というような。
左足を踏み出したときと、右前方を見上げたときとでは、その景色の感触がまるごとちがう。
周囲の景色が固定していて身体が動いているのではなく、
左足を踏み出したときの場面と、右前方を見上げたときの場面とでは、心持ちも含めて環境ごとまるごと別世界なのだ。
周波数成分がちがっている。
そうやって渡っていく世界のひとつひとつに穴を開けて糸を通し、数珠のように繋いだとすると、
その糸が数珠世界の感じ手意識すなわち「私」である。
船から下りたばかりのときは、地面がまだゆらゆら揺れている感じがするけど、
このときの体験は、実感的には下船直後のゆらゆらに似ている。
あのゆらゆらが、言語化未満のテンションや心持ちも含めて起きているような。
ちなみに全然関係ないけど、ある用事で国内のある離島に出かけたことがあって、
あのときは船のゆらゆらより帰りのプロペラ機のゆらゆらのほうが怖かった。

ドアを開けて、階段を下りて、道路に出て、ゴミを置き、といった動線は、
一般的に、途切れることなく連続していると考えられている。
空間は玄関から階段へ、道路へと延びていて、数秒数分の単位ではふつうは大きな変化はない、
そこをゴミを手にした人間が移動していき、その人間の目には移動にともなって景色が変わっていくように映る、
時間は8時5分15秒から16、17、18・・・8時6分0秒、1秒と過ぎていくが、
8時6分のときの人間、建物、道路は、1分前の8時6分のときの人間、建物、道路と同じである、というように。
1分前の世界も1分後の世界も、どこを探したって見つからないし、
いったん時空の連続を前提にすると、現在だって固まった直近の過去あるいは現在完了となり、現在ではなくなる。
五感の向こうに実体(物)があると想定した3次元の「ありのまま」とは、
常に直近過去または現在完了で、固まっていて、取り返しがつかない、そういう世界である。
この凝固した「ありのまま」は本当はまだありのままではなく、物だとか連続した時空だとかの観念が、
習慣的な(無自覚な)見かたとして被さっている。
過去や未来を削ぎ落としたありのままが直近過去世界、とはいえ物や物の連続的な広がり、変化という観念に支えられているので、
凍りついた直近過去世界を溶かすには、その物とか連続時空とかの観念をも削ぐ必要がある。
でも一般的にはその「準ありのまま」にだって気づいておらず、
直近過去に前後の記憶という想念をくっつけて、これをざっくりと「現在」とし、
過去、ざっくり現在、未来と変化していくハコ(空間)を鉄板の現実だと決めている。
ざっくり現在に紛れ込んでいる直近過去場面以外は全部頭のなかの想定なのに。
さらに、このハコには、いくらかはリアリティのある記憶に加えて、知識、情報、物語などが詰め込まれていて、
人の思いでパンパンに膨らんでいる。
なお記憶とは、既知感や再来感といった思考が載ったイメージ情景のことをいう。

そういう思考の産物を、一般的には動かしがたいカッチリとした現実だということにして、
カッチリを前提に予定を組んだり作業を進めたりしているのだから、ヘンといえばヘン。
物が徐々に広がり変化していくという見方の現実が観念構成体だということは、
そっちじゃない見方の現実を何度か体験してみると、リアリティのある実感になる。
部屋のなかにいると建物全体の外観が見られないというのに似て、
観念構成体にもとづく現実に没入していると、それが思考の産物だと気づかない。
その観念構成体ではない、思考の産物ではない現実というのが、冒頭に書いたゆらゆらとした周波数構成体。
くるくると変わる(思いや気分なども含めた)感覚を、なぜ波動とか周波数と呼ぶのかというと、
物とその推移という観念構成体から解かれた(思いや気分なども含めた)感覚は伝播するからです。
観念構成体のなかでは伝播しない(物はそれ自身の法則によって動き、心の影響を受けない)ことが前提になっているのだけど、
物が観念に還って(物が観念だと気づいて)観念構成体の絶対性が崩れると、その前提も崩れるので。
たとえば閃きや直感(高次)はイメージ(マインド)に、イメージは五感に、と、より具体化する形で伝わります。
要は引き寄せが利くということ。
「緑」とか「四角」とか、「“回転”“つながる”という考え」とか、「怒り」とか「モヤっとした気分」など、
五感にしても思いにしても、あらゆる感覚は、言葉というラベルをはずすと何らかの作用をするエネルギーみたいな「感じ」に
すぎないので、波動とか周波数という価値判断を込めない物理用語を充てるのは適切といえるかもしれません。

観念構成体の世界すなわち3次元から、周波数構成体すなわち非3次元に切り換わるのは、
今年10月17日の記事に書いた「反転」によってです。
何が反転するのかというと、統覚意識(「私」という感じ手意識)の関心の向き。
意識の関心が認識対象に向いていると、その感覚の激しさに対する「これは何か別宇宙なんじゃないか」
という違和感から「別宇宙=それ自身の法則をもつ実体(物)」が想定され、物の世界すなわち3次元に入る。
統覚意識(「私」という感じ手意識)も身体という観念に重ねられて「物」の一部になる。
一方、意識の関心が意識自身に向いていると、別宇宙感はないので、
高次、マインド、五感、それぞれの感覚が適切に感じられて感覚模様(周波数構成体)の世界になる。
ざっくり3次元語で表すと、関心が内側に向いているときは世界は周波数構成体(非3次元)として、
外側に向いているときは観念構成体(3次元)として現れるということです。
内側というのは、まず別宇宙として外側(物)が想像されてから、外側(物)ではない側として成立するので、
はじめに外側ができていないと出てこない3次元の概念なんですけどね。
さらに、3次元に定着するうちに内側は外側(物)由来の生理反応(主観)とされていくので、
本来の創造力(引き寄せ力)を失います。

3次元から非3次元への移行期には、この反転を何度か繰り返して3次元から離陸していく。
意識の関心の向きが、内側を向いたり外側を向いたりしながら、
最終的には内側に振り切って、内外の区別のない感覚模様(周波数構成体)になる。
なぜ一発で決まらずにコロンコロンと反転を繰り返すのかというと、
訓練によって外に関心を向けるのが習慣になっているから。
訓練という時間の堆積で説明しない非3次元の表現をとると、
外側への関心の強さ、粘度、執着が強いということ。
速攻、反射的に外界を探るような心がまえができているという。
意識の関心の向きが内側を指していると、
引き寄せがうまくいったり、シンクロニシティが頻発したり、不思議な現象が起きたりします。
それが安定しないのは、慣れているほうに向かおうとするこのコロンコロン、3次元と非3次元の往復があるためです。

最後に、この往復プロセスを短縮し、セルフアセンションを爆速化する方法をご紹介します。
メソッドじゃなく、スピリチュアルハックみたいな小ワザ。
とはいえ、それなりに荒技なので、試すのなら自己責任でお願いしますね。
それは、ガチやばピンチのとき、敢えてすぐ対処せず、
ゼロポンイントフィールドとつながるとか、統合ワークとか、光の磁場を広げるとか正八面体のなかに入るとか、
それぞれのやりかたで、内側へ退却してしまうことです。

アンガーマネジメントで、怒りが湧いたら6秒待つというのがありますが、そんな要領で。
あるいは、問いを投げられたら道端でもどこでも坐禅を組むアニメの一休さんのように。
私は、今年の10月は理不尽に思えるくらい忙しかったので、
自分が足を組んで瞑想するイメージ(正面図)のアイコンを想像でつくって、
バタバタしだしたときにこのアイコンを呼び出して即「ただいま瞑想中」モードに入ってました。
次から次へと雲霞のごとく湧いてくる用事(じつは頭のなかで湧いているのですが)をいったん全部手放して、
くつろげる部屋に引き下がるようなイメージ。
そうすると、頭のなかでつくった物世界が解(ほど)けて、
ゼロポ→統覚視点→高次→マインド→五感→ゼロポ、と軸の通った波動世界になるので、
感覚(波動)がすべてあるべきところに収まる自動整理作用が働いて、
「ボールが止まって見える」的に難なく落ち着いてかたづけていくことができます。
やらなくていいこと、余計なパフォーマンス消えていくし。
ガイドスピリッツや天使の指示も格段に聴き取りやすくなります。
これができるようになると、何かというとすぐ「外側」に飛び出していく癖が治まり、
波動世界を操縦していくコツが感性的、運動神経的につかめてきます。

マルチタスクの真っ最中とか、やらかして心が折れた、詰んだとか、
やばければやばいほど効果も高く、波動爆アゲのチャンスなのですが、けっこう勇気がいるので、
最初は3次元に呑まれて撃沈してもどうにかリカバリできる小さなことで試してみるといいかもですね。
いわば逆グラウンディングみたいなことだけど、逆グラがグラウンディングになるというふしぎ。
  1. 2023/11/08(水) 13:53:12|
  2. デムパなメソッド
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アーシングやってみた

2023.10.30(月)

今月は猛烈に忙しかった。
パソコンやネットでソリティアやスパイダソリティアのようなトランプ系のゲームをやっていると、
ときに、いやしばしば、不自然なほど立てつづけに終わりそうにない札が配られることがあるけど、そんな感じ。
意図的に工夫しないとこんなふうにはならないんじゃないか、というような。
というのも一個一個の用件に関連性がないからだ。
5年分くらいの偶発事がひと月に凝縮された感じ。
とくに月半ばの週末、11月に行われるはずだったマンションの植栽(実質的には植えられている木の剪定)が明日になったから、
みけっち立ち会ってね、という旨のお知らせがメールで入ってきたときは、
翌日曜午前中に会議を控えていたので、あまりのタイトさにもはや笑うしかなかった。

しかし、その樹木剪定の日、業者さんが行う剪定の補助作業として木の周囲の草を取っていたとき、
なんというか、掌、足裏、目、前頭部のへんから、妙な表現だけども気化した液体が抜けていく感覚があって、
あ、これがもしかして世に言うアーシングってやつ? と思った。
終わったあと、すっきりして疲れもなかったので、この予定挿入はむしろ宇宙が指示したヒーリングだったのかもしれない。
気化しているなら液体ではなく気体なんだけども、それはつまり軽くて目に見えないという意味で、
たとえば喉をゼリーが通過していくような流動感があったのです。
ニュルニュルニュル、みたいな、異物感的な。
そんな感覚を感じたのは私がめったに土に触れないからで、
しょっちゅう土に親しんでいれば特別な感覚などなく、いつのまにかすっきりしている、というものなのかもしれない。
頻繁に部屋を掃除していれば集まる塵も少ないけど、
めったに掃除しないとゴミがどっさり、というのにも似て。

にしても、アーシングって言葉は聞いたことあるけどよく知らないので調べてみたら、
身体と大地が直につながることをいい、砂浜や公園で裸足になったり、掌で樹木や地面に触れるのですって。
すると身体に滞留した電気が放電され、血流がよくなり、痛みや疲労などが緩和されたりするのですって。
スマホやら無線やらWiFiやら知らんけど電磁波を浴びまくってる今どきの人によいらしい。
カリフォルニアが発祥地だとか。いかにもだね。
ネットで調べて私はもっとその気になり、近所の公園を裸足で歩いてみることにした。
足拭き用のタオルを持ってサンダル履きで出向き、スタート地点でサンダルを脱いで、
サンダルとタオルを手にがしがしと園内を歩く。
うぬ。砂利やら小石やら落ちた枝やらが足裏を刺激し、ちょっと、痛い。
家に帰ってから、放電が目的なら、なにも二拍子でエイエイと歩く必要はなかったんじゃないか、
木のそばなんかでしばらく素足で立っているだけでもよかったのでは、
ていうか木の許可をもらって(←ここはオカルト)木に触れているだけでもよかったのかも、と思ったが、
このときは実験マインドで高揚していて何も考えられず、ひたすら歩いた。
高揚ついでに遊具コーナーに行って運梯もやった。

結果、植栽からあまり日がたっていないせいか、ニュルニュルというほどのデトックス実感はなかった。
でも、これも変な表現だが、ミントなしのミント感、エアミントのような清涼感が全身全方位に広がり、
ぼやけていたピントがピタッと合ったような、
ノイズが消えて音声がクリアになったような感じですっきりした。
あと、なぜか滑舌がよくなった。

私は電磁波とか、あまり気にしてこなかったけど、
それでも、強い電磁波を発する設備、機器とかの近くにいると、なんというかサイケデリックな、幻覚的な圧迫感を感じる。
2010年代の一時期、通信会社の都合で固定電話を無線にせざるをえなかったことがあって、
このときは電話を置いてある部屋の空間が微妙に歪んだように感じた。
また空気も、長いこと換気されていないかのようにホコリっぽくなった。
現在は固定電話もパソコンも有線なので、そうした奇怪な空間感はないが、
強めの電磁波なんてあちこちに飛んでいるのだから、知らず知らず帯電しているのかもしれない。
直感的に違和感を感じたら、またアーシングってやつをやってみようと思う。
気になる人は電磁波除去グッズを使うという方法もあります。
あと、スマホの「設定」をタップして出てくる機能一覧から、使わない機能をオフにするだけでもかなり変わります。
私はスマホを持たないけど、豹専務が古いiphoneを持っているので、
「フィットネストラッキング」や「ゲームセンター」をオフにする実験をさせてもらったところ、変化を実感した。

公園には保護者と小児という組み合わせのペアが二、三組いただけで、人が少なかったせいもあってか、
土や木や草花の非常な静けさが感じとれて趣深かった。
むかし、午後遅くにその公園の脇を通ったとき、高木低木が立ち並ぶ景色を一瞥して、
ほんの一瞬だけど、吸い込まれるように深い瞑想に入ったことを思い出す。
思えば植物は、栄養摂取にしても成長にしても、その存在様式はたいへん受動的なわけで、
もしなんらかの植物を入射角として統覚意識を開いていたら(もし自分が植物だったら)、
起きることを体験し尽すという点で、人間はむろん動物よりも高踏だと思う。賢者である。
冬の寒さに耐え、とか、春になれば芽吹き、とか、季節のめぐりがなんちゃら、なんというのは、
人間尺の観念から湧いた情感からくる擬人化であり、
植物にしたら瞬きや呼吸のごときものにすぎない(これも擬人化かな?)。
植物のテリトリーがどうなっているのかは知らないが、その群体意識は途轍もなく巨(おお)きく、無窮である。
動かないからとか食えるからといってナメないほうがよくってよ。
まして石とか土とかになると、もはや遺伝子も持たず、生命ですらなく、完全に受動態なわけで、聖者である。

そういえば二、三か月前、科学ものの解説動画で、近年の睡眠研究の成果について紹介されたものを見た。
それによると、睡眠中の人体の動態は植物に近く、
もし植物が生命体として基礎型に近いものだとすると、
生命体としての人間の本来の姿は起きて活動しているときではなく睡眠中なのではないか、
つまり活動に備えて眠るのではなく、睡眠こそが「本番」なんじゃないか、という説があるのだそう。
だとすると、起きているときの活動は良質な睡眠に導くための準備なわけで、
活動するほうが「充電」ということになる。
生命体ですらない石や土などどういうことになるのかな。昼夜フルタイム活動中?
とにかく、この逆転発想すごくおもしろい。
  1. 2023/10/30(月) 13:48:40|
  2. 三毛猫亭日乗
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「愛のモヤモヤ相談室」感想

2023.10.24(火)

同居人の豹専務が、ときどき思い出したように録画している『愛のモヤモヤ相談室』の先月(9月29日)の回を見た。
この番組のことは、前も記事にとりあげたことがある。
NHK・Eテレで月に1回、最終金曜日の22:00~22:25に放送されており、
スタジオにいる相談者の悩みに美輪明宏さんが助言していくというもの。
進行役は高瀬耕造アナウンサー。
毎回、相談者は前半1名、後半1名の計2名で、相談の内容は文字どおりモヤモヤしており、
行政機関のサイトから書類をダウンロードして書くとか病院のどこそこ科を受診するとかいったようにハッキリ決着する
ものではなく、考えがまとまらなかったり、気持ちが揺れていたりするケースである。
行動する、しない以前に、心のなかがぐるぐる待機画面になってるやつ。

今回、前半の相談者(男性・既婚)の悩みは、近距離で別居している実母が認知症になったので不安、
でも距離が近すぎると関係が険悪になるので同居はむり、というもので、わりとわかりやすかった。
次いで後半の女性からの相談、これが傍からは漠としてとらえがたい内容だった。
幼少期の家庭の事情で両親にあまり手をかけてもらえず、何でも自分でやる、他人の分も引き受ける、
という行動パタンができ、いつしか自分のことはあと回し、他人を優先する癖がついてしまった、
周りからは「もっと自分のことを考えたら」と言われるが、どうしていいかわからない、といった話である。
どうしていいかわからないというのは、他人の都合や希望を第一に考える習慣になっているので、
まず自分の都合や希望をはっきりさせ、余力で他人の手伝いをするとか、
都合や希望が他人とぶつかったら交渉して調整するとかいったように、
自分中心に状況を判断し、行動を組み立てていく心がまえが瞬時にできない、
気がつくといつもの損な役回りに落ちついている、ということだろうか。
あまり考えたことがなくやったこともないので、
反射的に、運動神経で「自分を優先する」ことができないのだと思う。
損な役回りがコンフォートゾーンになっているというか。
でも他人を優先することに自分が納得していれば問題はないわけで、
準運動神経的に他人を優先した結果、あとでモヤモヤっとしているんだろうなぁ、きっと。
にしても、なんか焦点が絞りきれてないというか、聞き手があれこれ推測しないと見えにくい話である。
これはアレか、相談ごとによくある、聞いてもらうことが主目的みたいなやつか。
こないだ職場でAチームとBチームの二手に分かれて仕事をするということがあって、
自分はAチームに入りたかったんだけど、Bチームの人数が足りなくてリーダーが困ってて、
それでつい自分がBに行くって言ってしまった、みたいな具体例があるとわかりやすいんだけどなぁ。
などと思いつつ、私は漫然と視聴していた。

この方の相談に対する美輪さんの第一声が、
「偉いわね。(他人を優先するのは)なかなかできないことですよ」である。
なんだそれ。
で、そこから、話を聞いているとあなたはマイナス思考だとか、
もっと自分が受け取っていること、恩恵(たとえば恋人の存在)に意識を向けてはどうよ、といった方向に進んでいくのだが、
相談者の琴線に響いて、相談してよかったと感謝の気持ちを湧き上がらせたのは、最初の言葉なのだ。

偉いわね。
そうなのか?
この人が利他即利己の菩薩ならともかく、菩薩じゃないから葛藤があるんでしょ?
何か我慢をしたり、納得できないのに他人を優先する行動をとるというのは、
その他人もしくは周囲の人に嫌われたくないという保身マインドや、
内面化された親やグルに認められたいという承認欲求、
それか自分の正義観とか良識観を守りたいというこだわり、などからであって、
煎じ詰めれば自分に益があるからである。
どれもべつにわるいことではないけど、よいことでもない。偉くはない。
ただ話を聞いていると、健全な自分中心マインドを思い出して回復させたい、というのがこの方の着地点かといったら、
そうでないような気もするし。
といって、オレはわるくない、人は二の次、自分自分自分、っていう世の中のほうがおかしいだろイカレてるだろ、
っていう他責あるいは世直し志向でもないし。
ツボはどこなんだ?
と、録画を見たあと、私のほうがモヤモヤしてきてしまった。

翌日(遅)、私はその美輪さんのコメントのすごさに気づく。
この人は、自分の保身マインドや内面化した親から認められたい気持ちや自分なりに育ててきた良識観へのこだわりに、
うっすらと、半意識的に気づいている。
そして、そういう保身マインドやら何やらを醜いと感じている。
こんなヨドミのない、清らかな、晴れ晴れとした、きれいな自分でありたい。
きれいな自分とは、単純に自分の本心が出せる自分。
だから「もっと自分のことを考えたら」と言う人が現れる、
言語化されづらい思いを他人の口を借りて自分に聞かせているのである。
けど自分のことを醜いと感じながらきれいな自分に量子跳躍することはできないから、
まずその醜いというセルフジャッジを蹴飛ばす必要があったのだ。
「偉いわね」は、今のこの人にジャストフィットする音声だったのよ。
以下二行は筆者のオカルト節だけど、
蹴飛ばすには、美輪さんのオーラ、姿、声をした美輪さんが最適だった。
だから数ある相談案件のなかから、この方の相談ごとが選ばれたのだ。

それにしても、スピリチュアルでもスピリチュアルでなくても、
よろずカウセリングをする人というのは、相談者の現在地が読めて、
現在地に適したアドバイスができないといけないわけで、
限られた時間に話されたことだけで現在地がわかるというのは、すごいリーディング力だと思う。
同じような相談内容でも、「偉いわね」ではなく、
最初に「あなた、人を優先できる自分を謙虚で偉いと思ってるでしょ。それはちがいますよ」と言ったほうがいい場合もあるし、
「気にしなさんな。残りものには福がある」的な話にもっていったほうがいいこともあるかもしれないし、
「(幼少期)つらかったのね」から入って「虐待やネグレクトはいけないけど、あなたの場合はそこまでじゃないよね?
逆に放ったらかしでよかったこと、プラス面は何だったと思う?」とか、生育環境に言及するのがよいこともあるだろう。
最適解もアプローチもひとつふたつではなく、相談者の現在地や状況で変わる。

そして現在地がどこであろうと、優劣はない。
日々、瞑想や坐禅を実践していたり、インナーチャイルドが癒されていたり、統合が進んでいる人が優れていて、
そうでない人がだめなわけではない。
仕事や家事や家族の世話でフル回転している人が立派で、
非正規雇用なのに将来を考えずオカルトにかぶれている輩は愚かしいというのでもない。
会社や役所を辞めて起業するのがすばらしく、社畜は嘆かわしいわけでもない。
波動が高いことが正しく、低いことがまちがっているのでもない。
それぞれがそれぞれの世界を体験しているだけなのである。

でも、自分にとっての最適解はあっても公式の正解はないとか、
体験に優劣はないということは、
体験を俯瞰する視点(身体に制限されない自分意識)ができないと実感できないけど。
むろん俯瞰できることが俯瞰できない人や俯瞰できなかった過去の自分より優れているわけではないんだけど、
どれもこれも単に体験なんだとわかると「失敗」がなくなるので、
失敗してはいけないという強迫が溶けて楽になります。

話をモヤモヤ相談に戻しますが、
個人的にちょっと驚いたのは、二番目の相談者の人は、中高6年間吹奏楽部にいたとのことで、
担当楽器がバスクラリネットだったそうで。
私も中高吹奏楽部だったので、その点「ほほぅ」でした。
で、私の偏見というか吹奏楽偏見あるあるかもなんですけど、
その人のルックス、服のセンス、声、話しかた、相談内容、いかにもバスクラ! って感じだったんだよね。
あーこういう人、バスクラにいた、そうそうそう、という。
女声のコントラルトのような低くてまろやかな癒し系の音色。
バリトンサックスとともに木管の低音部担当で、伸ばしとか刻みとか和音のアルペジオとか、ほとんど伴奏専業、
ただときどきシーンとした箇所でソロがあったり、なのに指揮者に忘れられることしばしば。
美輪さんは、せっかく音楽をやっていたのだから楽器の練習を再開してはいかがかと勧めていらしたし、
ご本人もそうしたいと望んでおられた。
自分にひとつわがままを許し、自己表現への突破口にするという意味でも、再開はよい案だと思う。
ネオコロナウイルス人工製作説論文をリリースしたせいで追い詰められてる宮沢孝幸先生も、
追い詰められてるのに一日30分ピアノを練習されてるとのこと。
バスクラじゃなくほかの楽器でもいいし、歌でもいいし。
歌でも楽器の演奏でも、なにげに全身がかかわってくるヨーガなんだよね。
ほんとは生活動作でもなんでも一挙手一投足ヨーガなんだけど、
音楽関係ってかなりヨーガ感を意識しやすい気がする。
自分がトランペット練習しててそう思う。
ちなみに美輪さんに担当していただきたいパートは、私のイメージだとアルトサックスかな。
  1. 2023/10/24(火) 14:21:09|
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