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ソロ・パブリッシュ

ドリーム。

高い波動に慣れる(追記あり)

2022.8.8(月)

ひとつ前の記事(「“働かない”話」)に「地球の文明は波動が低い云々」とのコメントを頂戴し、
波動が低い、かぁ・・・そうだよなぁ、すごいよなぁ、と感慨にふけっておりました。

何がすごいって、「波動が低い」を自分が実感的に理解できるってことが。
むかしは、スピリチュアル界隈の疑似科学的な言い回しとしか思えなかったからさ。
天界や天使界では杖のひと振り、ひと言の呪文でなんでもできちゃう、
宇宙人たちは超高度な科学技術を駆使して億光年の距離を飛び、素粒子構造から造形自在、
それに比べると地球人たちは、自分の身体や寿命さえままならず、旧石器時代に暮らすも同然、
さらに無自覚にいたずらに輪廻転生を繰り返し、みたいなイメージもあり。
↑こういうのこそ「波動が低い」世界でのイメージの描きかたであり、まちがいともいえないけど、
相当ざっくりしたたとえ話です。
杖のひと振りでなんでもできるのは「思い」よりもさらに淡くかつ速い高次の世界で、
五感世界のように感覚がくっきりしていないから可能なわけ。
「口では大阪の城も建つ(言うだけなら大阪城も簡単に建てられる)」の高速版。
そういう「思い」をも超える世界も「現実」の一種。

既出の記事に書きましたが、
波動というのは、私の表現だと、五感のほか思いや感情も含めたさまざまな「感じ(感覚)」のことであり、
波動の低い高いはそうした感覚の粗密のことです。
なので、波動が低いというのは、感覚の頂点が鋭く、富士山よりもマッターホルン的、
そして山(快、喜び)と谷(不快、怒り、怖れ、悲しみ)の落差が大きいことです。
波動が高いというのは、山と谷の振幅が小さく中立で、多様で精細な感覚模様が繰り広げられる世界です。
中立といっても、ドン底のインパクトが強烈な低波動世界から見上げると、
「無風」「中庸」ではなくて「高め(ポジティブ)安定」です。
音楽に喩えると、2ビートで、音程の高低差が大きいのが低波動世界、
16ビートで、中高音メインで動いているのが高波動世界といっていいかな。
どっちがいいとかわるいとか、賢いとか愚かしいとかいうことはありませんが、
どっちが好きかと問われたら、私としては高波動世界のほうが好きです。居心地いいんで。

で、「地球」というのは、画像や映像でおなじみの球体をしたアレではなくて、
鋭く振幅の大きい感覚(低い波動)を可能にする場のこと。
宗教の教義や神話などでいう「地上」とか「人間界」みたいなものです。
球体のアレも、特定の角度で感じたとき(この場合は視覚)の感覚像であって、
アレが絶対客観事実というわけではありません。
感覚の振幅が大きいことは、感覚像に実体がある(感覚の向こうに物質のようなしっかりした実体があり、
物理法則のようなそれ自体の法則で動いている。自分の感覚もこの実体に由来していると説明される)
という想定に、圧倒的なリアリティ、本当らしさを与えます。
私が何度も書いている3次元とは、
感覚像に実体があると考えて、その想定実体ベースで我彼とか物でできた環境ができあがっていく世界のことです。
自分の感覚とは別に物理法則とか神の法とかがあって、そっちが正しいとされる、そういう想定の世界。
自分の感覚ではない、謎の実体xが現実を決定すると想定している他者軸世界といってもいいでしょう。
実体ベースの他者軸世界である3次元を立ち上げるのはマインド(5次元)なのですが、
この想定を絵に描いた餅で終わらせないでがっつり臨場感を感じるには、
ある程度、感覚を強く粗っぽく表出できる場が必要です。
「地球」というのは、3次元をリアルに、本当らしくする場の象徴的な呼びかたといっていいでしょう。
感覚が粗くなる(波動が低くなる)場を「地上」「人間界」とか「地球」と表現したのは天界人や天使や宇宙人ではなく、
ここに接した視点(意識)自身、つまり人間です。

粗い感覚(低い波動)を可能にする、というのは底が深いということであって、
同じ場で精細な感覚(高い波動)を表出できないわけではありません。
「地球」に居て、ぐんぐん波動を高くしていくこともできます。
底の深い部分(粗い感覚、低波動を許容する部分)は実体を想定した3次元構想の実現場なので、
波動が上がってこの深い部分から離脱すると、実体という想定も消えて、
いちばん低い波動域(感覚域)が実体なしの五感像世界になる。これが4次元の「地球」です。
4次元の五感像世界は、3次元とちがって物理法則とか神の法といった他者軸を参照しておらず、
一人称意識(統覚視点)が感じた高次の感覚(高い波動)がそのままマインド像を、
マインド像が五感像を喚起していった結果です。
同じ「地球」という場を使って、いわゆるハイヤーセルフ発の高い波動を五感像へと具体化していくこともできるのです。
自分はスターシードだから、その「地球」ってのが合わないんだよね、というんであれば、
高次から4次元(五感像)に至る途中のどこかで、自分にしっくりくる恒星なり惑星なりの波動(感覚)をはさめばいい。
星や銀河でなくても、天使界でも天界でもかまいません。
そうすると、たとえばアルクトゥルスをはさんだ場合、アルクトゥルス系の4次元「地球」となり、
プレーンの(?)4次元「地球」とは場の生地がちがってきます。
4次元を撤収して(死ぬこと)故郷に帰らなくても、居ながらにしておとり寄せ(?)できるようになったわけです。
よかったですね。

というように、「地球」に居ても波動は上げられるんですが、
粗い感覚(低い波動)を可能にする場のキャパシティはそのままです。
「自分の思いどおりにならない世界(他者軸世界)ってのを一丁体験してみよう」という視点(人)が稀になり、
閑古鳥状態になって寂れることはありえますが、場のキャパ自体が縮小することはない。
なので、油断するとすぐずるずるっと波動が下がり(感覚が粗くなり)、3次元に再突入します。
再突入しても、気がつけば高い波動(精細な感覚)に立ち返って低い波動(粗大な感覚)を手放し、立て直せますが、
気がつかないと、何時間も3次元世界でウンウン格闘することになります。
とくに非3次元(他者軸がなくなった、自分軸だけの世界)に慣れていないうちは、
ほんのちょっとしたことで滑落します。
<例>
みけ そのHDMI端子の差込口って、USBの差込口っぽい四角いやつのことですか?
・・・えっと、ご指示のとおりにはずして再度、差し込んでみました、が、直らないんですけど。
オペ そうしますと、テレビとレコーダーのどちらに不具合が起きているのかわかりかねます。
みけ え? それは、どういうことですか?
オペ ですから、テレビとレコーダーの(上と同じ文言)。
みけ (そっちでわかりかねるんなら、こっちは素人なんだから、もっとわかりかねるよ)
とすると、ここからどうすればいいんですか?
オペ ですので、(上と同じ文言)。
みけ (質問に答えとらんやないか。この女、マニュアルしか見とらんからループしとるんだわ)
つまり、買い替えるしかないということでしょうか?
オペ テレビとレコーダーのどちらに不具合が起きているかわからない以上、その判断もできかねます。
みけ (こいつ、いっぺんコールサックに落ちろ!)
・・・えー・・・では・・・そう、その判断についてご相談できる窓口はありますか?
オペ はい、0120・・・。
みけ (それ先に言えよ)ちょっと、待ってください、メモしますので。はい、0120・・・。
※案内してもらった窓口で製品知識の豊富なオペレーターに当たり、このトラブルは数十秒で解決した。
なお、コールサック(石炭袋)は南十字星の南東にある暗黒星雲のこと。

というようなやりとりでもあれば、あれよあれよという間に、滑り台を滑るように波動が落ちて(感覚が粗くなって)
3次元に沈みます。
なおこのあと、波動を立て直す(精細な感覚に戻す)には、
①心のなかでやりとりを反芻しない。よかったこともわるかったことも再現しない。
②近くにいる人に愚痴を言わない。夕餉の肴にしたりもしない。
③ごちゃごちゃした感想一切を手放す。
私の場合は、まず合掌してゼロポイントフィールドとつながり、感想感(感想の波動)をまとめてゼロポに還す。
というようにします。

近くにいる人の機嫌を推し量って、ほんのちょっと気合を入れてお愛想を言う、
来週の予定を気にして、10秒くらい心配したり思案をめぐらす、
いくつかのむかしの失敗に1分間くらい浸る、
その程度のことでも波動は落ちます。
そこで気がつかないと、ずずず、と滑り台を滑りはじめるわけで、
そういうとき、滑っている間は、自分の言動は「ふつう」「いつもどおり」「当たり前」と感じています。
マインドの感覚が粗くなっていく流れに慣れちゃってて、「感覚が粗い(波動が低い)」と感じない、
おかしい、ヘンだと感じられない、違和感がないので、気がつけないんですね。

粗いマインド感覚(低い波動)の特徴は、ごちゃごちゃしていることです。
3次元のおおもとである他者軸(物理法則とか神の法とかにもとづく常識)を参照しはじめていて、
自分の正当性だの、あの手の過ちはどうやったら防げたかとか、段どりとかを組み立てようとしているので、
たとえ秒速で考えつくこと、瞬時に湧いた感情でも、ごちゃっとしています。
同じ思考、感情でも、高次の直感から開くものはきれいに射し込んでくるような一択感があり、
理屈が付いている場合でも、フラットな設計図のように一気に展開します。
低い波動(粗大な感覚)の複雑なごちゃつき具合に違和感を覚えるには、
高い波動(精細な感覚)に慣れることです。
瞑想、座禅、呼吸法、ヨガ、イメージワーク、ヒーリング、なんでもいいので、
自分に合う波動アゲメソッドをいくつか使って、そのときの感覚(高い波動)を「ふつう」にしていく。
高低どちらにしても、実感を重ねて慣れたほうが「ふつう」になるので。

2022年8月9日(火)

5分前の場面、今の場面、5分後の場面、という実体(物)ベースの3次元の時空間の流れ図にあてはめて、
問題が解決したとか、希望どおりに行ったとかいうことにフォーカスしないこと、
3次元BOXに出てくる結果はフル無視することが、高め安定波動キープのコツです。
意図を保持しつつ、なりゆきは気にしない。
 意図:高め安定波動(精細な感覚)に慣れる、こっちを習慣にする
 なりゆき:3次元をあてはめたときの現実


5分前の場面、今の場面、5分後の場面、と、3次元の時空間の流れ図にあてはめるのは、
心のなか(マインド)でやっていることです。
問題が解決したとか、希望どおりに行ったというのも心のなか(マインド)の判断。
どうせ心のなかを気にかけるのであれば、3次元の枠をはめないで、
自由か、窮屈か、
すっきりしているか、ザワザワ、モヤモヤ、ドンヨリしているか、
軽いと感じるか、重たいと感じるか、
どこまでも伸びていく感じ? それともドン詰まりな感じ?
といった、5次元全体(心全体)をモニタリングするようにします。

なお、3次元なしに感じられる五感的感覚像(4次元)には「今」しかありませんが、
前後に思考(過去は記憶、未来は予測)をつないだ3次元に「今」は存在せず、
3次元で「今」と言っているのは直近の過去(現在完了)です。
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  1. 2022/08/08(月) 13:10:40|
  2. 次元上昇
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「働かない」話

2022.7.30(土)

2003年にヴォイス社から刊行された『働かないって、ワクワクしない?』(アーニー・J・ゼリンスキー著)
という本のこのタイトルに、当時震えた。
原題は“THE JOY OF NOT WORKING”で、これもいいけど、チャーミングで挑発的な名訳と思う。

もっとも本の主旨は「自由時間を充実させよう」ということで、
24時間-(睡眠時間+食事や入浴やトイレの時間+家事の時間+仕事の時間)=自由時間、ではなくて、
自由時間をメインにしてほかの活動の時間配分を構築しようぜ、という内容である。
自由時間イコール余暇じゃない、こっちがメインなんだ、という発想転換はすばらしいし、
魅力的な提案だと思う。
でも、まだ働くことの必要性(という思い込み)から完全に脱しているとはいえなくて、
あまり働かないほうがいい、ときどき働けば十分だ、というところに着地している。
ハナから働きたくない人としては、「なんだよ。少しは働かなくちゃいけないのか」とがっかりする。
「人はパンだけで生きるのではない」という言葉から「パンも必要だ」という結論が引き出せるように。
(↑しかし不食を実践できる人が出てきたんだからすごいよな。托鉢すら不要にするスゴ技。
不食って、教皇庁とか仏教の総本山とかでじっくり研究したほうがよくない?)

本が出版された当時、私版の世のなかでは、働くことの必要性はあまり疑われていなかった。
好きなことを仕事にするか、好きじゃないことでも生活のためにその仕事に就くかの二択って感じ。
一般的には好きなことが仕事になるのはとてもラッキーなことと思われていたけど、
私はバシャールのワクワク教に納得していたので、
そのときどきにワクワクすることを追っていけば収入がついてくる、というのは、誰にでもできることなんじゃないか、
と考えはじめていた。
でも働くこと自体は必須で、「なんかヘン」という違和感を覚えつつも、
働くこと自体をOFFにする(はずす)ところまでは行ってなかった。

働かなくてはならない理由は、
①自分の生存のため
 生きるには物資やサービスが必要→物資やサービスを得るにはお金が必要→お金を稼ぐには働く必要がある。
 また、不測の病気やケガに備えるための貯蓄も必要である。
②社会を機能させるため
 物資やサービスは多数の人の分業で生産されるので、その生産活動に個々人が参加する必要がある。
 社会がちゃんと機能していることは、①の個人の生存につながる。
③集団のなかで自分の役割を確保し、他者とのつながりを確認して、精神的に満足するため
といったところ。
でも③は「人は群れをつくる動物だ」「人が精神的に充たされるには他者が必要だ」という見解にもとづいていて、
本当はそうではないんじゃないか、少なくとも自分はそうじゃない気がする、と疑っていた。
③は②を維持するために自然発生(?)したお話ではないかと思った。
なので、私としては①と②が「働くことが必要な理由」だった。
で、①②というのは煎じ詰めればサヴァイヴァルである。

今にして思えば、
人や集団が生き延びるために働かなくてはならない(①②)というのはウソくさい。
とりわけ、個々人の生存のためには集団の維持延命が不可欠だ(②)というのはたいへんにウソくさい。
先に②の集団の維持延命システムをつくり、
そのために尽力するメンバー確保のために①の個々人の生存プログラムをつくり、
個々人の集団への依存を助長するために③の神話を付加したんじゃないの。
あたかも群れることが生得行動であるかのように、いろんな心理操作手法で植えつけていって擬似本能にしたと。
レヴィ=ストロースのエッセイによると、
人が集団で食糧を生産しはじめる以前には、食べられる植物を5千種類も知っていて、飢えることはなかった、
なのに、計画的に食糧を生産するようになったら、そうした知識は全部失われてしまったというじゃないの。
私欲満々の権力者の号令でそうなったのではなく、魚群が進む方向を変えるように、全体として、
「資源は有限だから働いて獲得しないといけない」という前提にもとづくシステムにシフトしたのですよ。
(↑宇宙人目線でいうと、制限、シバリがある世界を体験するために。)
さらに、生きるということ自体、そんなに一生懸命やらなくちゃいけないことなのか、
死んだことがある人はひとりもいないのに、死が怖かったり痛ましいことだったりするのはどうしてなのか、
「生きる」と「死ぬ」の区別そのものがうさんくさい、②前提のお話ではないのか・・・とか、いろいろある。
働くことが自明の当たり前でなく、そこに疑問符がつきはじめると、
お金、贈与と負債の概念、生老病死、生殖、マインドコントロール・・・などなど、疑いはいろんな分野に波及し、
問いが炸裂スパークするよね。

働くことが②をコアとする回路で回るシステムに乗っかることだとすれば、当然、そこから降りることもできる。
で、②というのは「資源は有限ってことにしよう」「有限だから他者や他生物と競争して獲得しないといけない」
という想定にもとづくサヴァイヴァルを目的とするシステムであり、
前提となる想定も、目的も、しくみ(システム)も、頭や心のなかで組み立てられた考えなので、
これらが思考であることに気づいて、そう考えるのを止めれば、即、降りられる。
一般的には、働くことを止めるには、働かないでも生活できる方法を考えてそれを実行しないといけないんですが、
本当は順序が逆で、
まず心のなかすなわちマインドすなわち5次元で、働くというマインドシステムをはずすのが先です。
そうすると、自分にふさわしいやりかた、速度、タイミングで、「働かない世界」にシフトしていきます。
手段はあと。
働かないで生活する方法には、
・まずはごく穏健に、今の働きかたを見直して、余計な仕事や、人に気を遣って背負っている仕事を省いていく
・「働いている」感じがしないくらい夢中になれることを仕事にする
・10年くらい鬼働きして稼ぎまくり、早期リタイアする
・投資や副業を研究、実践する
・「本当に」必要なお金だけに絞って(関心のないことやしがらみには一切出費しない)生涯に必要なお金を概算し、
できるだけ働かないライフスタイルを確立する
・万一の事態に備えて働く時間を、健康向上のために使う(運動、瞑想など)
・懸賞や公募で当てる
・自給自足を研究、実践する
・不食を研究、実践する
・引き寄せマスターになる
などなどいろいろあって、どんな方法が適切なのかは人によるし場合によります。
これがベストだという環境も、欲求の種類や大小も、好ましい速度も、人によりときによりちがうので。
まさかの臨時収入、臨時ギフトなど、事前に計上できない要素も入ってきます。

しかし、私が思うに、本当に肝心なのは、実際どうしたら働かないで生活できるか、などということではなく、
仕事に当てていた時間をどう使うか、働かないのはいいとして何すんの? ということだ。
そもそも、働くか、働かないかの区別は、②のコアとするシステムに乗っているときの考えかたで、
頭のなかからカッパリこのシステムをはずしてしまうと、「活動する」ということしかなくなる。
さらに何らかの行為をするしないにこだわらなければ「居る(存在する)」ということだけ。
 働く ⊂ 活動する ⊂ 居る(存在する)
と、「働く」は「活動する」に、「活動する」は「居る(存在する)」に含まれるので、
右に行くほど統合されており、次元が高い。
したがって、常にどんな心もちで居るか(存在するか)が決まれば、
その細部として活動のありようが、さらに活動のありようとして働きかたのありようが、自ずと決まってくる。

どんな心もちで存在するのがベストかがわかって、そのベストの心もちで居られれば、
活動や働きかたはあれこれ思案してひねり出さなくても自然に思いつくし、状況も動いていくということです。

「居る(存在する)」というのは、いろいろ活動しているときの芯にある瞑想、深々とした沈黙であり、
この芯と活動の重なり、連動を経験していれば「ああ、あれね」とわかると思う。
もう少し次元を下って具体的になると、寛ぎとか、豊かさとか、ワクワクとか、ムクムク湧き上がる幸福感とか、
意味不明の可笑し嬉しさとか、爽やかさとか、慈しみ感とかになるアレ。
それはべつに高邁な境地でもなんでもないんだけど、
未経験、というよりは思い出せなくて「はて、なんのことやら?」の人には、
精神世界の極みみたいに思えてしまうかもしれない。
なので、「居る(存在する)」ができるんだったらそれが最強なんだけど、
少なくとも「活動する」次元まではイメージしといたほうが離陸は楽だよ、と言いたい。
ここで冒頭の「自由時間どうするよ」の件とリンクするわけです。
ただいま鬼働き真っ最中でも、とくに「働かない」ことを意識していなくても、
365日×24時間自由に使えるなら(「働く/働かない」という概念のない世界に跳んだら)どうすごすか、
5次元で(心のなかで)何の制約もかけずにのびのび想像してみるとよいと思う。
今の仕事は気に入ってるけど、この「活動」に当てるのは月水金の午前中だけにして、
上司はこれこれこういうキャラの人と交替してもらう・・・というようなのもアリと思います。

むかし、定年退職した人が時間をもて余してドンヨリしてしまうとか、
統計によると何パーセントの人が数年以内に病気になったりメンタルヘルスをわるくするとか、
そういう話を本で読んだり人から聞いたりしても、私は信じられませんでした。
なんで? もういいかげん好きにすればいいじゃん、って。
やることがないんで、自分の健康とか将来の出費とか家族がらみの心配とか結局悩みを創出して、
ネットで情報収集してモンモンモンとするとかさ。
しかし、マインドが解放されないと、制約や不自由のネタが交替していくだけだとわかった今、
さもありなんと思えます。
自由な生活を享受できる人は、自由な生活を想像できる人です。
  1. 2022/07/30(土) 14:40:49|
  2. 実現のメタフィジクス
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和ものキタ

2022.7.21(木)

今年の春、集合住宅の資源ゴミ置き場にまとめ置かれていた本を勝手にリサイクルさせていただいた、
という話を、今年のGW中の記事に書いた。
そのなかに、瀬戸内寂聴さん訳の『源氏物語』(講談社文庫)の巻四と巻六があって、四を読みはじめたら、
なんじゃこれ、どないなっとるねん、となって、図書館で巻一から借りて読んでみることにした。

ムーミンシリーズ、宮沢賢治の詩集や評伝、『ソフィーの世界』上下巻、池内紀『モーツァルト考』(講談社学術文庫)、
夏目漱石の後期のいくつかの小説、そして『源氏物語』四巻と六巻、ほかにもいろいろ何冊か、
全部ビニール紐でくくられて捨ててあったんだぜ。
資源ゴミに出した人には無用だったんだろうけど、結果的にワシには宝の山やった。
結果的に、というのは、前から読みたかった本が含まれていたわけではなく、読んでみたら当たり! だったからだ。
『モーツァルト考』なんて、旅行用の携帯トイレの写真付きやぞ。
携帯トイレの中身は道端とか着いたホテルの窓からとか、てきとーに捨てる。
歩いてると空から降ってくる怖れがあるんで、当時はそれ用の傘があったとか。
日本でも、平安時代の貴族のトイレはポータブル、民は野天だったそうな。

自分は古文、漢文に親しみがもてなくて苦手だったし、
平安という時代にも、平将門や藤原純友が暴れた件を除いてさして興味はなく、
およそ400年もつづいたということすらこないだ気がついたくらいだし、
深窓のお姫様やら若君やらの世界の周波数もまるで圏外、なので、
現代語訳であっても日本の古典ものを読むなんてことは一生涯あるまいと決め込んでいた。
竹宮惠子先生の描かれた漫画の『吾妻鏡』がギリ一杯一杯(おもしろかった)。
この記事を読まれても、ふーん、へー、だから?って感じでわからんと思うけど、
そんな自分が『源氏物語』だなんて、個人的には革命ですよ。5次元革命。
5次元とは何かってことは既出記事のあちこちで書いているのでここでは説明しませんが。
すると、文庫本で四巻を読みはじめたころだったか、2024年の大河ドラマで紫式部を取り上げるとの発表が。シンクロキタ。

2019~20年くらいにプルーストやトルストイの大河長編小説を読んだのも、
自分は弾かないのにピアノ曲を聴くようになったのも、まさかの大想定外だったけど、
今度のは、ほぼありえないことが逆転して実現、七芒星って感じで、でかいわ。
といっても、ある日突然にシフトが起きたっていうわけではなくて、
昨年の後半あたりから、私の宇宙のアルデバラン文芸部は日本もの推しで誘導してきてました。
中原中也の詩とその解説、評伝、太宰治の中期の作品と評伝、大庭みな子さん訳の『枕草子』抜粋など。
その間、私は「そっち(日本もの)に行く気はないから」と抵抗してました。
日本語の文章、とくに昭和時代までの小説はなんか湿度が高くて、日本ものがつづくと息苦しくなるんですよ。
けど「波動が上がれば水分は光変換して笑えるようになるからだいじょうぶ」と言われたり、
京都旅行にからめたおもしろ都市ネタ、歴史ネタなんかでさっさと外堀を埋められて、
開かないはずだった平安期の扉を開けてしまいました。
アルデバラン文芸部というのは、私の読み書き全般を指導鞭撻してるっぽい宇宙系entitiesで、
ウニキス@アルデバランというentityほか数名が参加しています。
指導鞭撻といっても、ここの言葉遣いをこうしろとかって直に添削してくるのじゃなく、
私のワクワク射程に入る前に向こうからテキストをぼんぼん投げ込んでくる、3拍前に標識を示してくる、
そんな感じのやつです。
この部隊はよろずの情報そのものを扱う天の川銀河核本部と協働して動いています。
本部を内閣府とすると、文芸部は文科省ならびに文化庁みたいな。

文字や音、色、形などを使って、ある「感じ(波動、周波数)」を表した表現物は、
本にしても、絵、写真、映像、音楽、演劇、パフォーマンスにしても、
自分の想像力を動員して光景や筋道や意味を組み立てないといけないので、
スピリチュアルマッスルwのうちでも5次元マッスルwwwすなわちマインド筋を鍛えるのに最適です。
困窮とか病衰とか人間関係破滅とか、わるいことならいくらでも自由に豊かにのびのびと想像できる、
また危機や困りごとの選択肢ならどれだけでも思いつくのに、
ポジティブなほうはイメージ貧弱でさっぱり思い描けない、
よろよろ立ち上がっても背後のネガティブ大王の一喝で四散してしまう、
だとすれば、想像の域である5次元が3次元という「物」の怪に憑かれているせいでしょう。
「物の怪」は一般的には死霊や生霊、またはそのたたりのことですが、
ここでは、五感や思いの向こうにそれ自体の法則をもって存在すると想定している実体(物質)をいいます。
想定なので、その実体(物質)は観念であり、したがって「怪」(「気」とも書く)なのです。
(j実体として物があるという想定も想念だし、死霊生霊も別種の想念なので、
「怪」の中身が死霊生霊に差し換わることもあります。この場合、「物」は霊の輪郭をなす身体概念です。)
ネガ方向にしか想像が広がらないというのは、
想定した実体(物質)という物の怪が圧倒的な力をもっていて、それに逆らえないと想定していて、
その基本設定を逸脱しない範囲で想像力を使っているということです。
物の怪という観念がそのうえで展開する想像世界を支えている。
瞑想、座禅その他、マインドの感覚を精密にする(波動を上げる)ワークと並行して、
読書やアートに浸ってマインドマッスルを鍛錬していくと、
精密になったマインド感覚(上がった波動)が開くニュートラルの沃野をベースとしたポジ世界が見えてきます。
「きゃーっ(ポジ)」とか「ぎゃーっ(ネガ)」とか叫ぶ、起伏の烈しい3次元のポジではなく、
悠々闊達なポジビジョンが。
また、マインドに起きる感興、感動には、物の怪の力を弱めるデトックス作用があります。

さて、まだ途中ですけども、『源氏物語』は笑いどころ満載のエンタメです。
紫式部さんとしては「そこ、笑うとこじゃありません」と言いたいかもしれんけど、
シリアスに受けとるべきかもしれない場面でも、私には可笑しくてしかたありません。
たとえば葵の上の部下の煽り運転に心折れた六条御息所が無自覚に飛ばす生霊とか(生霊飛ばす人って
たいてい無自覚なんで、これはあるある)。
そもそも、ナンパが止まらない源氏の君というのが、
人間的にいうと、高度な感情を表現できるようになった人工知能搭載のワタルくん(リカちゃんのボーイフレンド人形)
みたいな存在なんですわ。
最初の読者が自分の周りの身内、同僚の女性たちであったせいもあってか、
ストライクゾーンがえらい広くて、いろんなタイプのお姫様、お方様と通じる、のみならず、
容姿的にも性格的にも珍しくて非モテ確定と思われている姫君や、
平安標準でシルバー年齢(五十代後期)になっても溌剌現役の女官にまで接近します。
一応、本命は設定してあるのですが、常に準本命やワンナイトの女性との関係が同時進行。
女性読者の反感対策か、一度でも関係した女性にはまめに手紙を送り、既読スルーなし、生活援助も欠かしません。
さらに、丁寧に読むと、ボーイズラブも織り込んであるとわかります。
水が方円の器にしたがうように、どんな相手にも合わせられる、その人の幻想に沿えるのです。
その場の言動は本気で、うそ偽りはありません、が、器が変わると中身も変わっちゃうんですね。
古代ギリシア人なら「エロースの神に憑かれたやつ」と呼ぶでしょう。
こういう阿弥陀仏的大盤振る舞いは宇宙人的、というか私の偏見にもとづいて言えばプレアデス人的です。
金星人も色恋の達人ですが、金星人の場合は、自分の後宮曼荼羅を統一コンセプトにもとづいてデザイニング
するほうに関心が注がれます。
方円の器にしたがう水、「あなた好みのボーイフレンド人形」になれる源氏の君は、
許容キャパが銀河大であるかわりに薄キャラ自我薄な主人公なのですが、
この薄い主人公の動きによって、かかわる女性たちや脇の人物たちのキャラクターが際立つ、
という仕掛けになっています。

男性が女性の魅力度を品定めする場面があるとか、
女性が口をはさむのはみっともないから政治のことは書きません、などと書いてあるからといって、
『源氏物語』を男優位の世界と読むのは甘いと思います。
著者の紫式部は、性自認は(たぶん)女性です。
ということは、殿方の頭の中身はおよそこんなもん、と、まるっとお見通しで執筆してるのです。怖ろしいですね。
後ろ盾のあるなしや大小でポジションが決まってしまう貴人の栄枯盛衰、
落魄した家からは男女の家来が自己都合や無断で退職していなくなってしまうこと、
ところどころ、土地や屋敷の所有権、財産、収穫高などナマナマしいことがらにも言及されており、
著者が政治経済に疎かったなどとはとても思えません。
ちなみにドナルド・キーン氏が読まれた往年の英語訳だと、『源氏物語』のタイトルはThe Tale of Genji、
著者名はLady Murasakiなんですね。レディ・ムラサキって、なんか偉人伝の「キュリー夫人」みたいだなぁ。

せっかく図書館に行ったので、原文のほうもこわごわのぞいてみました。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらいけるなかに」で幕を開けるその文章世界の音と文字並びは、
文句なく爆弾的に美しいです。
冒頭八文字だけで軽く太陽系の外まで飛ばされてしまい、
マルタ・アルゲリッチのショパン協奏曲2番を動画で見聴きしたとき、好きすぎてチッ息しそうになり、
数小節で停止ボタンを押してしまったことを思い出しました。
日本ものに限らず、深い(古い)時空の文章が美しく感じられるのは、
3次元のやりくり周波数にまみれてないからだと思います。
  1. 2022/07/21(木) 14:11:06|
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「波動」の高低

2022.7.13(水)

2022年の6月21日(夏至)に書いた「波動」ってなによ? という話のつづきです。
「波動」はもともと物理学用語で、私の家にあるシャープの電子辞書には、
「空間の一点に起こった状態変化が次々に有限の速さで周囲に伝わる現象のこと。波ともいう。
波動を伝えるものが媒質である」と書いてある。
オカルト界では、「物質は素粒子に、素粒子は振動に還元される」という物理理論にもとづいて、
万象はつまりは波動(振動)である、としているらしい。
で、私は物理学もオカルトもちゃんと勉強していなくて本当のところよくわからないので、
五感、思い、直感など、自分が感じているいろんな「感じ」を「波動」ととらえることにしました。
色や形、音、匂い、感触、味などの五感的な感覚だけでなく、
何かを思い浮かべたり思い出したりしているときの思考や、感情や、気分も、
ふと射してくる直感、閃きも、
何かを感じているという意味で全部「感覚」としています。
で、三つの層に大別できるそれらの感覚は、
 色や形、音、匂い、感触、味などの五感―媒質は流体的で「エーテル」と呼ぶ―4次元 
 思考、感情、気分―媒質は気体的で「アストラル」と呼ぶ―5次元 
  →3次元はこの5次元で「感覚の向こうに実体(物質)がある」と想定して立ち上げた世界
 直感、閃き―媒質は真空的で「超アストラル」と呼ぶ―超5次元
というように階層化されています。直感や閃きが伝わる高次の層は6、7、8次元・・・と細分化できるし、
神智学用語から借りて対応させた媒質名も「メンタル」「コーザル」「ブッディ」とかあるみたいですが、
私はそのへんの細かいことにはこだわらないので全部「超」でくくっています。
思考とか感情とかのマインド(心)の域を超えているという意味で「超」です。
三層のさまざまな感覚を「波動」と言っているのは、「伝播する」という性質があるためです。
匂いが味を喚起したり、どこかのツボを押すとどこかが弛んだり、
ある考えや記憶情景が特定の感情を呼び起こしたり、
というように、同じ層内で水平的に、ヨコに伝播するだけでなく、
直感が思考やイメージを、思考やイメージが五感を喚起する、というように、垂直に、タテにも伝播します。
オカルト界では、とくに後者のタテ伝播を「引き寄せ」と呼びますが、ヨコ伝播も同じく引き寄せ作用です。
「波動」という言葉は、淡い感覚(高次)から濃い感覚(五感)までの感覚の連続性と、
それらの感覚が水平、垂直に伝播することを表現するのに適しています。
つまり、形でも触感でもイメージ情景でも閃きでも、全部一元的に「感覚」としてとらえたとき、
五感と思いと閃きは分断されておらずつながっていて、
どこかで変化が生じれば別のどこかに伝播するので、とても波っぽいんですね。

で、「波動が高い」というのは、物理学では一定時間内の周期現象の回数が多い(周波数が高い)ことですが、
五感や思いや閃きなどの「感じ(感覚)」を「波動」と呼ぶ私の場合、
ビルの高い階の窓から景色を見渡すように、
五感、マインド、高次の全感覚が、どこかに集中することなく全体として、
感覚が織りなす宇宙模様として感じとれている状態です。
高次、マインド、五感の多次元性が実感できている状態といってもいいでしょう。
三つはかっぱり分かれているのではなく、濃淡のある一枚絵の感覚模様として、
全体として「こんな感じ(模様)」なんだな、とわかる。
生活の場面でいうと、何か目的のある動作や作業をしていて、
その最も濃い五感的感覚にともなって、もっと奥深いどこか、心のなか(マインド)や意識の芯(高次)が響いているな、
と感じられるときです。
五感的な感覚は濃くてコントラストも強いので、そこまでくっきりしているのはそこだけなんですが、
その五感的な感覚が振動している、震えている、響きをともなっているという感じ。
五感的な感覚がメロディーを演奏しているけど、うしろにすごいオーケストラがあるぞ、みたいな。
要は、自分が感じとっているのはどれもこれも全部感覚模様で、ひとつづきの波動なんだ、
とわかっているそのこと自体が「波動が高い」状態です。

全感覚模様を見渡すというと、光の模様も思考の模様も五感模様も、つぶさに把握していないといけないみたいですが、
つぶさに把握イコール理解というのは3次元の発想で、そんな聖徳太子の豊聡耳みたいなことはできなくてけっこう。
はっきりしているのは五感だけだけど、「響き」「含み」があると感じられればOKです。
視覚に喩えるとややソフトフォーカスめでコントラストが弛くてフラット、
聴覚に喩えると少しエコーがかかってる感、
触覚は遠め、当たりが柔らかめで、
味や香りは刺激がなく、ガツンとくるんじゃなくて、いろんな味や香りが混じっているようなブレンド感がある。
ひと言でいうとズームが引けている状態ですね。
全体が見渡せているので、細かい部分は気にならず、細かいことは放っといてもどうにかなるとわかっている。

波動を高くすると開運するとよくいわれますが、
それは度外れたラッキーなことが次から次へと起こりまくるというんじゃなくて、 
調子、流れがよくなるということです。
源流(高次)から河口(五感)まで、波(感覚)が滞りなく伝播していって循環するので、
相応しいことが相応しいタイミングで起き、きれいに終わる。
波動が低いと、えらいたぃいへんに思えることが、なんでもなくかたづいていき、疲れない、消耗しない。
波動が低いとピンチに思えることは、流れ(軌道)が変わる転機にすぎず、それもわかっているので落ち着いていられる。
この「高め安定」状態が非3次元シフトするとふつうであり、ニュートラル(中立)です。

一方「波動が低い」というのは、「波動が高い」の逆なので、
どこかをクローズアップして調べたり、もっと細分化して調べたり(分析)している状態です。
ビルの低い階にいて、正面にある建物や近くの植え込みしか見えない、
その建物の内外や植え込みに目を凝らして、異状がないかチェックしている、みたいな。
じつは全感覚のうち、こういうクローズアップ操作ができるのはマインド(5次元)だけです。
高次域は光模様とか電気模様みたいなもので、まだ観念ができるほど具体的ではないし、
瞬速すぎて手に負えない、
五感域は具体化の最終工程、最終製品なので、それ以上どうにもならない、
よって、高次から伝播したもともと高い波動をわざわざ下げられるのは、中間のマインドでだけなのです。
では「低い」波動すなわち「低い」マインドの感覚とはどういうものかというと、
狭い範囲で感知していて全体が見えてないので、
そこでなんかちょっと異状があったといっては「ぎゃー(ネガ)」と騒ぎ、
異状が直ったといっては「きゃー(ポジ)」と騒ぐ、
そういう振幅のハゲしい心もちです。
クローズアップ操作自体が、実体(物質)をよく調べて異常に備えなくては、という3次元思考から来ているので、
低い波動(感覚)のベースは不快感でありネガティブなんですが、
ときには実体の法則(物理法則)にもとづく常識では考えられないラッキーに当たるという「異常」も起きます。
というか、低い波動(感覚)の世界は、見張る、備えるという態度からくる緊張感に満ち、ストレスが強いので、
ときどき「きゃー(ポジ)」祭りを仕込んでおかないともたないのです。
山あり谷あり、喜怒哀楽の起伏が大きく、山も谷も鋭角的で「響き」や「含み」はありません。
甘味のなかに苦さがある、というようなことはなくて、すっごく甘くて甘いだけ、辛味はひたすら辛いだけ、みたいなやつ。
そのかわり「たいへんだ」「キタ!」「昨日と同じ、つまんね」「これからどうなるの・・・」といった臨場感は強烈で、
感覚模様の向こうに何かしっかりした外世界(実体)があるかのように感じられます。

まとめてみると、
波動の高低は全感覚の粗密である、波動(感覚)が精密か粗いかのちがいである、といっていいかな。
どっちを選ぶかは好みによります。
波動の高低すなわち感覚の粗密は視点の遠近で決まるので、
「自分」という一人称の意識、全部を自分ごととして感じているこの当事者意識を、
高くしたければ、五感や思いを全体の景色の部分として観察できるところまでグィーンと引けばいいし、
低くしたければ、部分的な景色のなかにドボンと飛び込んで「自分」が景色の一部になればいい。
瞑想や座禅や、いろんなスピ系のワークというのは、前者の「ズームを引く」練習といっていいと思います。
瞑想とかしていないときでも、あるいはそうした類のことをしていない人にも、
なんにもしていない、うれしい予定があるわけでもない、根拠は何もないのにむやみに幸福心地、
みたいなときが訪れることがありますが、
1分でも30秒でも、その心地に居つづけるということをしてみるといいと思う。
それが波動の高い、感覚が精密なときの状態だから。

この無根拠の幸福心地がよくわからない場合には、
一日のうち5分でも3分でも、居心地のよい時空間を設けることからはじめます。
音楽を聴くとか、映像を見るとか、運動するとか、はじめはその居心地よさの理由や根拠が付いていてもかまわないので。
夜とか朝とか、仕事の休憩時間など、一日の流れを切断して、そこだけ非日常という時空間を敢えて設けるわけ。
切断しないと、ずるずるネットサーフィンするみたいに一日のルーティンに呑み込まれちゃうから。
このルーティンを断つということができるようになると、時間の使いかたも上手くなります。
そうやって、3分でも居心地のよい時空間を確保できるようになると、
そのうち、音楽や映像などのきっかけがなくてもその時空間と同じ心地に飛べるようになります。
  1. 2022/07/13(水) 12:54:49|
  2. 次元上昇
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2022.7.5(火)

豹専務(同居人)が「美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室」(Eテレ)という奇妙な番組を録画していて、
それをふたりで夕飯を食べながらぼんやりと視聴していた。
スタジオにいる一般の人(2名、ふたりとも女性)の相談に美輪さんが答える、
そのやりとりを司会の男性が補足しつつ進行させる、というような内容である。
相談者の話を聞いて、美輪さんは答えていかれるのだが、
その表情やたたずまいから、話から得られる情報以上の何かを聴きとり感じとり、
「リーディング」しておられるように見える。ずっと湛えられている微笑が、むしろ畏いブルブルッ。

相談する人は被り物で顔が見えないようにしてあるのだが、
その姿というか全体像には、通気孔のような穴が開いている、というよりは、
全体像自体が穴でできている感じがした。
穴には吸引力があって、外から見えない何か(エネルギー?)を吸いとろうとしている。
掃除機などのバキュームみたいに穴自体に吸い込む力があるのではなくて、
相談者とその周囲10cmくらいが、それ以外の景色とは雰囲気がちがっていて、
周波数の差のために構造的に吸いとり穴が生じている、そんな感じ。

この吸いとり穴は相談者ご本人ではない。
ご本人がまとっているヴァイブス(周波数)。あるいは本人に憑いているといってもいい。
「本人」というのは3次元的な表現で、これを私の宇宙景観として書くと、
テレビの画面中にある人物像が、その像本来の周波数+穴の周波数、と二重になっているということです。
芯に人物像(相談者)本来の「感じ(周波数)」があることは、私がうんとズームを引いていないとわかりません。

吸いとり穴ヴァイブスから脱するのは、手放し系のワークをやりつけている人なら簡単です。
光の磁場の広がりをイメージできるところ(統覚視点)まで心のズームを引いて、
全体とズレている穴ヴァイブスのその感じを固めるなりカプセルに入れるなりして手放せばいい。
手放すとは、ゼロポイントフィールドなり宇宙なりに還す(というイメージを描く)ことです。
自分の宇宙景観内にある他人像に憑いている穴ヴァイブスが気になってモヤモヤするなら、
「どうしたの、だいじょうぶ?」などとその人に近づいていったりしないで、
そのモヤモヤを固めるなりカプセルに入れるなりして手放す。
その人に声をかける行為が適切なら、手放したあとに自然にふさわしい言葉が出てきます。

今回の発見は、そこではない。
そこだけドヨンと窪んでいるような、バキューム付きの落とし穴のような、その穴の性質です。
ははぁ、こういうものか、という。
悩んでいる人はこういうふうに穴をまとっているように見えるのだな、というのは3次元的な表現で、
悩み煩いの正体は、こういう周波数のエアポケットみたいな穴なんだな、という。
視覚イメージでとらえたものを言葉で説明するとジャストフィットにはならないんですが、
この穴は底なしです。
「汲めども尽きぬ」の逆で、注いでも注いでも溜まらない、抜けていく、すぐ空っぽになる。
常に(エネルギーが?)足りていなくて、充電不足ランプが点きっ放し。
ただ、周囲を積極的に穴に引きずりこもうという勢いはありません。
この穴に、何かオプションの思念がくっつくと、吸引力が増幅して勢いがつくのかもしれませんが、
今回の相談者の方たちにはそういうのはありませんでした。

底なしのチャージ不足感は、不足「感」という、5次元(マインド、心のなか)で感じている感覚で、
だから上述のように心のなか(5次元)を変えるワークで手放してしまえば終わります。
でも、何かの事情で3次元のやりくりに突入してしまうと、
ゴタゴタの一切が不足「感」という感じにすぎないことに気がつくまで、穴周波数にとどまることになります。
3次元というのは、これまでの記事にも書いているように、
五感や思いの向こうに物質のような実体が存在すると想定し、
さらにその実体の原理や法則が現実を決定していると想定して、
(仮想の)実体である物や他人とのやりとりを体験する世界です。
3次元に突入すると、ゴタゴタの原因は自分の「感じ(周波数)」のミスマッチではなく、
実体でできた外環境に帰せられるので、外環境から情報収集したり外環境に働きかけたりと、
解決、解消するのにたいへんな努力を必要とします。
それが解決、解消しても、不足「感」という感じはそのままなので、
別ネタ、別バージョンで同じ煩悶を繰り返すことになります。

吸いとり穴を被っている人のトーク(その人が吸いとり穴周波数に変換して出してくる言葉)は、
これが欲しい、あれが足りないなど、要約すると「穴を埋めてほしい」という調子を帯びています。
外環境に穴解消の鍵を握っている人物がいると思われる場合は「誰それが何々をしてくれない」とか、
当該人物の気遣い、ケア、思いやり不足を責める内容になるし、
具体的な人物がいない場合は世のなかとか時勢のせいになります。
外来星人の場合は、たいてい「地球の文化風習がイカレてるせい」に帰着します(笑)。
もしくは、周りや世間一般が正しいとかふつうだとか、非がないように思える場合には、
責任追及の矛先が自分に向かい、自分の欠陥探しや、すでにおなじみの欠陥の確認反芻がはじまります。
外来星人なら「グラウンディングが足りない」「学びが足りない」とかってことになるのかな。
自分の身体、資質、生育歴、過去の特定の経験、それらを支える知識や情報なども、
じつは外環境に属しています。
外環境とは想定した実体(物質)がつくる世界全体のことで、
身体、資質、経験記憶、知識や情報等も(仮想の)実体とその法則(物理法則をベースとした常識)にもとづく概念なので。
しかし身体や身体に由来する内面としての自分が外環境に依拠しているなどということは、
病気などで「自分が自分の思い通りにならない」場面に至らない限りあまり意識しないので、
自分へのハラスメントにはなかなか気がつきません。
他人や世の中を責めるのも自分を責めるのも「外環境に穴解消のノウハウを求めている」点では同じです。
ちなみに、私とつながるあるリラ系星人は、地球人の自分へのパワハラ、モラハラの多さに驚いていました。
3次元という思念BOXのなかで身体と心を持った憑代(よりしろ)をつくり、
これがなぜか憑代自身を苛めていると見えるみたいです。
しかも状況によっては謙虚さを演出したり周りの人にケアを促すために行われることもあり、ややこしいな、と、
未来人が平安貴族の蹴鞠や歌合せをのぞいて「おもしろさのツボはどこ?」と言ってるような口ぶりでした。

あれが欲しいこれが足りない、あるいは何かが欲しい何かが足りない、
このヴァイブス(周波数)は、よいものでもわるいものでもありません。
この周波数をきっかけに、心のなか(5次元)で足りている世界を描けば引き寄せに使えるし、
この周波数を手放せば自身の波動アゲにも使えるでしょう。
オカルトに走るのがイヤなら、この周波数を機に哲学や心理学の方向を探ってみることもできるし、
その探究によって結果的にオカルトとの境界線を越えてしまうこともあるかもしれません。
本当のところ、3次元の実体世界が絶対確実なのではなく、
3次元の実体世界も含めて全部心のなかで創造している5次元現実なので、
心の扱いかた次第でどうにでもなるのです。


吸いとり穴を被っている人のなかには、この穴を活用して穴を脱ぐ人もいます。
一方、つらい、しんどいと言いながら、同じ状況にいる仲間と励まし合ったり、
外環境へのチャレンジと克服を通じて自分の「成長」を確認したりするために、
あるいは心のなかに住んでいる因縁の誰か、何か(親族、学校、会社など)に報復するために、
当分、穴と一心同体でいたい人もいます。
後者も、べつにわるいことでも愚かなことでもなく、無数の選択肢のなかからその体験を選んでいるだけ。
ズームを引いてみると、こういう人はむずかしいパズルに夢中になっているのだとわかります。

今回のモヤモヤ相談室は、
「天国も地獄も胸三寸」というフレーズで締めくくられていましたが、
これ、心がけや教訓話じゃなくてガチでそう。

<テレビ番組のデータ>
番組名/美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室
放送日/毎月最終金曜日 22:00~22:25
放送局/NHK教育テレビ(Eテレ)
案内人/高瀬 耕造(NHKアナウンサー)
ゲスト/美輪 明宏
  1. 2022/07/05(火) 14:18:28|
  2. デムパ話
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プロフィール

みけ@猫科ホールディングス

Author:みけ@猫科ホールディングス
アルクトゥルス系在地球人。
男女どちらにも属さないトランスジェンダーで、イタリアの美少年のような豹専務(♀)が同居人。
リンクはご随意に。連絡も不要です。
いただいたコメントはすべて拝読しておりますが、原則としてレスはつけません。

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電子書籍をつくったり読んだりできるサイト「パブー」とアマゾン(キンドル)で『サウンド・オブ・ウインド』という本を出版しています。パブーの紹介ページ(下記URL)では、右上にある「みけ」という著者名を押すと、拙著の一覧を表示するページに飛びます。

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出版案内2

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https://puboo.jp/book/76592 ブログ用Starry Souls表紙             キンドル版はこちら

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